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少女はカカリコ村の簡易な小屋に住んでいた。墓守ダンペイの小屋とも似たり寄ったりの、それでもこどもひとりが過ごすには十分な広さだった。
内装に仕切りはない。玄関からすぐにある台所と、居間とも寝室ともつかない空間にベッドが壁際に置いてある。折りたたみの椅子と、食事がようやっと一人できるくらいのテーブルが置かれていた。
数年前の戦火を免れ、父親は逃亡の道すがら母と子を守って命を落としたらしい。母親も無傷ではおられず、その傷が原因で間もなく夫の後を追った。子はインパの情けでカカリコ村で引き取られ、まだ発展途上の村の中で、大人たちの助けを借りて生活している。
大柄な大工たちが走り回る村の中で、力仕事のできないなまえは、コッコの世話をしつつも、コッコを触れないという体質のコッコ姉さんを手伝ったり、住人たちの小間使いをしたりして過ごしていた。
大人たちは少女のとある異質さに気づいてはいたが、現状で大きな害がないため指摘することはなかった。小さな手に光を捕まえたといって見せるのはかわいいもので、道具もなにもないところから火を起こしたこともあった。
たびたび墓地に行っては空に向かって話しかけ、何者かから逃げたり追い払う手振りをするわ、井戸に魔物がいるといって周囲を怖がらせたりするので、村人からの積もりつつある将来への不安を受けて、少女に指導をしたのはやはりインパだった。
「なまえ。お前が幼いからといってごまかすべきではないだろう。率直に言うが、お前には魔力がある」
「魔力?それを持ってたら、何ができますか?」
「妖精と対話したり、鍛えれば魔物と戦うこともできる。だが、使わないでもいい。努力次第ではお前なりの使い道を見つけることもあるだろう。お前は優しい子だから、他人を傷つけることにだけはその力を向けることはないことを願う」
「私は……この村にいられれば、それで……」
両親がどうやって亡くなったのか、幼いながら聞き及んで理解している。縁者もいない村の中でここまで育つことができたのは村人たちが協力して世話を焼いてくれたからで、感謝こそすれ危害を加えるようなことはない。魔力が脅威であるなら、極力それを使わず隠していよう。
「お前が健康で、毎日元気でいてくれるのなら皆はそれ以上を望むことはない」
そのささやかな願いを、神妙に受け入れた。
「村の人たちに迷惑をかけたくないです。魔力をなくすにはどうすればいいですか?」
インパは少女を共に連れて、大妖精のおわす場所まで案内した。
清い水は濁りひとつなく、その場で呼吸するだけで何かの力が体の内に満ちあふれるようだった。小さな妖精たちが、近づいてはなまえの周りを回って遠ざかる。
インパの指笛で奏でた音楽で、光とともに大妖精泉から現れた。赤く長い髪に、くっきりと睫毛に縁どられた大きな瞳に高い鼻。宙に浮かんだ緑の蔦の這う体はなまめかしく足を組み、大妖精はうっとりと微笑んだ。
インパと大妖精の会話は難しくておぼえていない。
とにかく、無闇に魔力を日常生活の上で使うことがないよう祈った。大したことはされなかった。手を差し伸べただけで、一瞬息苦しくなったがその感覚もすぐ消えた。
妖精の頭は鮮明な高笑いを残して姿を消し、明るかった神殿内が一気に暗くなる。手を引かれて外にでた。
「……どうなったんですか?」
何があったのか把握できず、インパを見上げると、哀れみを向けられた。
「大妖精さまに、お前の魔力を抑えてもらった。これからお前には不便かもしれない」
「これでみんなが安心できるんですよね。私、ふつうの女の子になったんですよね」
「お前が持っていてしかるべき力を、大人たちの都合でなかったことにしてしまうんだ。…すまない」
魔力がある以外はなんの変哲もない子だ。だが、村人の一部は接触を避けるようになってきていた。異質を恐れるがためにいずれ少女を村から追い出してしまうだろう。
ゼルダ姫のようにその身に聖なる御印を宿してでもいれば、奇跡の力と崇められることもあったろうに、不遇の身の上のために嫌悪されるとは。
本来あるべきこの子の未来を奪ってしまったのかもしれない。
「……お前がもう少し成長して分別のつくようになれば、また大妖精さまにお会いして、魔力を開放してもらおう」
「ううん、このままでいいです」
無邪気な笑顔が心に刺さる。
村に戻るとインパの呼びかけで大人たちの集会があり、なまえに親切にしてくれる人が増えた。遠巻きに姿を見ては目をそらしていたものも、話しかけてくれるようになって、受け入れられたのだ、と感じる。
それから、手から火を生成することもなくなった。いまだに人と違うものが見えるが、次第にそれらを無視することを覚え、なまえは村に溶け込むことができた。
ある日コッコ姉さんと、兄さんがかくれんぼに誘ってくれた。二人はほかの村人より年が近いので、一応は大人の部類に入るもののたまに子供の遊びにつき合ってくれる。
一人がかくれんぼの鬼になり、あとは各々散り散りになる。いい隠れ場所だと岩が二つあわさっている合間に身を隠した。ところがその先に、道が続いていることに気づいた。向こうに明かりがうっすら見え、なにか生き物の気配がうかがえた。
岩の隙間を抜けると、ゴロンシティの内部につながっていた。
くるりと回って開けた洞窟を見渡すと、岩だと思い込んでいたものが内部から開いて形を変えてゆく。
「人間の子がどうやってここまで来たゴロ?」
それには目があって、手足が生えていた。ぽりぽり、と後頭部を掻く。
「あなた、なあに?妖精さん?」
人間ではない。妖精と言えば羽が生えていて、小さくて光る生き物のことだ。しかしこれは動物でもないし、毛も生えていない。岩のような体表を持つ生き物など、知らなかった。
「オレはゴロン族ゴロ。ここにいると岩が転がってきて危ないゴロよ。でもせっかくここまできたなら、ゴロンシティを見てみる?」
「……うん!」
ゴロンシティ、という名前に聞き覚えはなかったが、面白そうな響きに頷いた。洞窟の中では松明が灯され、常に岩が転がってる音が響いていた。それもそのはず、固い体を球のようにして、道を走っているのだから。
階段の踊り場にある緑の花弁に包まれた不思議な蕾を見つけて、触ろうと手を出そうとすると両脇を抱えて引き離された。子供が引き抜けるわけもないが、万が一があるといけない。
「バクダン花に触っちゃ危ないゴロ!」
「ばくだんばな?バクダンなの?」
「そうゴロよ。ほら、お店に案内してあげるからこっちへ」
見た目はスイカで、頭頂部に黄色と赤の房だかが生えていた。背中を押されてしまえば、前に進むしかない。
店の品数はあまり充実しているとは言い難かった。特産品であるバクダン花はそれこそ溢れんばかりに棚に並んでいたが。
「この赤いお洋服、見たことない」
「それはゴロンの服といって、熱にとっても強い服ゴロ。とっても高いし、おとな用しかないゴロよ」
「欲しいんじゃないの。なんかこれ……普通と違うわ。どうやって作ってるの?」
「魔力を織り込んだ特別な布を使って仕立ててるゴロよ」
「面白いね。ねぇ、私にも作れるかしら?」
ふむ、と空を見つめたゴロン。
「そういえば後継者を探していたゴロ。お嬢ちゃんはちょっと幼すぎだけど、興味があるなら作るところを見せてやるゴロ。見たい?」
「うん!連れてって!」
ゴロン族といえば刀鍛冶が有名だが、ゴロンシティ内の店には、特産物のバクダンはもちろん、矢や服もそろっている。若い衆は刀鍛冶や爆弾の採掘にばかり夢中で、服飾はなかなか人気がなく後継ぎを見つけていないらしい。
案内された洞窟内の一室に、ゴロン族にしては小柄な者が一人、流れるような手作業で機を織っていた。張られた経糸 に、緯糸 を小管を使用して織り込む。規則的にリズムを刻んでいると音楽のようにも聞こえる。
「おや、いらっしゃい。人の子ゴロね」
少ししわがれた声は穏やかで、女性らしい気もする。先生然とした雰囲気になぜかかしこまって、名前と出身を答えた。
「なまえです。カカリコ村からきました。あの、機織りってどうやるんですか?」
「はいはい、あの村ゴロね。お嬢ちゃん、機織りに興味があるの?」
こくり、と肯定したその目が期待に輝いた。
「じゃあ、まずはやってみてごらん。ここに座るゴロ」
ゴロンは席を譲り、背中からかぶさるようにして機織りの仕組みを丁寧に説明しはじめた。
機織りを学んでご機嫌で村に戻ると姉さんと兄さんが疲労困憊した顔でなまえを取り囲んだ。
「なまえ、どこに隠れてたの。心配したんだから」
「あ、かくれんぼしてたんだっけ」
すっとぼけた様子に姉さんが怒り、兄さんは呆れた。
「じっとしてて眠くなったんじゃないのか」
そう言われたのを否定せず、岩の一族のことは言い出しづらく秘密にしておいた。
ゴロン族に気に入られたなまえはほとんど毎日、村での日課を終えたお昼過ぎに通い、機織りを習うようになった。久しぶりに帰郷したインパにできあがった布を見せながら報告すると、彼女はそうか、と呟いた。穏やかに、がんばりなさい、と続けてなまえの頭に手を置いた。それはなまえにとって最上級の褒め言葉だった。
しばらくしてゴロン族から持ち運びのできる機織りの機械を譲ってもらい、自宅でも機織りをするようになった。
姉さんには怪しまれたが、インパさまが薦めたということになっているようだった。
*******
数年後。
*******
パタン、パタン、コケーココココ、パタン、コケーッ。
機織りに混じって、コッコの鳴き声が響く。コッコを囲う柵からは少し離れているはずなのに、こんな近くに聞こえるなんて。嫌な予感を裏切らず、コッコ姉さんが家に飛び込んできた。
「なまえ、大変。コッコたちが逃げちゃったの。捕まえるの手伝ってくれる?」
「またなの?……先に柵を高くしたらどうかなぁ?」
「大工さんたちにも頼んでるんだけど、家の建設にかかりっきりでどうしても後回しになっちゃうのよね。村の外には出てないはずだから、お願い」
コッコたちに触れない姉さんの苦労を不憫に思って、なまえは家から出た。
「姉さんはいつものところで待ってて」
「ありがとう、よろしくね」
コッコ姉さんが柵の前で頭を抱えておろおろしていると、緑の服を着た少年が話しかけてきた。光をまとった妖精を連れているからにして、普通の人間ではなさそうだ。
「お姉さん、こんにちは。どうかしたの?」
「コッコがどっかへパタパタとんでっちゃった!ねぇぼうや、お願い。コッコたちを捕まえて、この柵の中につれてきて」
「姉さんったら。そんな通りすがりの子に頼まなくても」
「いいよ」
あっさりと承諾して、少年は村の中をまるで自分の庭のように駆けまわりはじめた。飛んで、転がって、また家の柵に上ったりして。見事7羽を捕まえてみせた。体当たりで木箱を破壊したときには目を剥いたけれども、コッコがその中にいると見越しての洞察力と腕力はそこんじょそこらの子どもではありえない。
「コッコたちを捕まえてくれてありがとう。あなた、どこから来たの?旅の途中かしら」
「オレはコキリ族のリンク。こっちは妖精のナビィ。オレたち精霊石を探してるんだ」
「なまえとそう変わらない年なのに、勇敢なのね。ごめんなさいね、精霊石っていうものに心当たりはないけれど……コッコたちのお礼にこれをあげるわ」
コッコ姉さんがあきビンを手渡すと、少年はこの上もなく喜んでいた。女性が少女のことを見て名前を呼んだので、その子の名前がなまえだということを知る。あきビンをしまって向き合うと、少女は興味津々と質問を浴びせてきた。
「すごい。コキリ族の子って、みんなそんなにすばしっこいの?」
「みんなこれくらいできるんじゃないの?」
少なくとも、リンクがいたコキリの村に住む子供たちは、自然そのままの中で生活しているため蔦を上ったり一抱えもある岩を投げ飛ばしたりなんてこともしていた。自分だけ運動神経が飛びぬけているという感覚はあまりない。
「ううん。あんなに高くから飛び降りたり、早く走ったりできないわ。ねぇ、コキリ族って禁断の森に住んでいるんでしょう?どんなところなの?」
「木がたくさんあって、コキリ族のみんなの家があって、お店もあるよ。池もある」
「あんがい普通なのね。じゃあどうして禁断なんて呼ばれてるのかしら」
「なまえ、それは……」
真実を伝えるのをためらっていると、少年がこともなげに口を開いた。
「コキリ族以外の人が森に入ると、みんな怪物になっちゃうんだ」
「え……、」
異様なものが目の前にあるかのように、リンクを見つめた。少年は珍しい緑の衣装をきているけれども、顔も体のつくりもハイリア人そのものにしか見えない。そしてすぐ反省する。親切な少年に向けるべき目ではなかった。かつて自分がされて嫌だったことを、他人にしてはいけない。
「森は危険じゃないよ。オレたちにとっては」
ナビィが肯定するように光り輝いた。
「そうよね。あなたの故郷だもの。でもなまえは森に行ってはダメよ。さてお二人さん、私は仕事があるからもう行くわね。
なまえ、まだお話するんならお茶でもお出しするのよ」
「うん、姉さん。リンク、時間があるならうちにきて」
少女の家ははリンクの自宅、もとい樹の洞にも負けずとも劣らない狭さだった。ただ樹の洞とは違い、真四角で、壁は石づくりですべすべしている。
「カカリコ村にいるのは大人ばかりだし、みんな忙しそうなの。私も村の発展のために協力したくて、織物を始めたばかりよ」
「へえ、えらいね」
ナビィがふわりと機織り機に降り立って、緑色に光った。異常を知らせる合図だ。
「リンク、これ普通の布じゃないわ。魔力がこもってる」
「さすが妖精さんはわかるのね」
張り巡らされているのはいずれも同じ赤い糸。
「魔力を織り込んで、デスマウンテンの火山の熱さにも耐えられる服を作るの」
「そんなもの作れるなんて、すごいよ」
「まだ練習中なの。私がもっと上手に織れるようになったら、リンクにもいつかゴロンの服を作ってあげる」
お世辞でも褒められたのが嬉しくて、そんな約束をしてしまった。
「ほんと?楽しみだな」
リンクもなまえも互いの生い立ちから、近頃あった面白い出来事まで思いつく限り言い合った。
コキリ族なら生まれたときから持っている妖精だが、リンクにナヴィがついたのはごく最近のことで、妖精がいなかった間はずっとミドをはじめ仲間にからかわれていたこと。
優しかったデクの樹サマ。たった一人リンクを見送ってオカリナをくれたサリア。
なまえにも両親がいないこと。小さいころに魔力をほとんどなくしたこと。インパ様を尊敬していて大好きなこと。
ゴロン族と出会って、機織りを覚えたこともリンクには話してしまっていた。
話しつかれて、いつの間にか二人ともベッドに並んで眠ってしまっていた。
********
それはほとんど天災だった。ガノンドロフと呼ばれるゲルド族の男ひとりの仕業にもかかわらず、その手に力のトライフォースが宿っているからというだけで天地がひっくり返るほどの事象を起こした。ハイラル王城は姿を変え、城下町は朽ち果て魔物に乗っ取られてしまった。
ゼルダ姫が失踪し、護衛役でこの村の創設者であったインパの行方も共にわからない。姫の乳母であり教育者であった彼女は、自ら所有する村へ隠れればすぐに見つかることを考慮し、村人の誰にも何も残さずに消えた。よって足取りを知るものはいない。
ガノンドロフの暴挙により、城下町よりカカリコ村へ越してきた人も多く、皮肉なことに、昔よりも村はにぎわった。
このまま世界が破滅に向かうことを信じられず、幼い彼との約束だけを心の支えに、なまえは機を織り続けた。
一年ごとに、一着、毎回サイズを大きくして、ゴロンの服を仕上げていた。それらはたった一人のために作られたというのに、一度も誰にも袖を通してもらうことがなかった。自分がしていることは無駄なのかもしれないと何度も思った。けれどなぜだかやめることができなかった。それはもう儀式のようでもあり、彼女にとっての祈祷だった。
ある日、旅人にゴシップストーンは道祖神なのだときいて、じゃあお守りになるかしらと彫刻した手のひらサイズの石。難しい模様ではなかったため、制作にそこまで時間をかけることはなかったが、見ればみるほど奇妙なデザインだと思う。横に並ぶ図形が聖なる三角形を模していることは理解できるが、一つ目とそのすぐ下にあるのはひげのようにも口のようにも見える。教えてくれた旅人にあげようと持っていったら、すでに旅だった後で、他の誰かにあげるのもためらわれて、自室に飾ることにした。時折ひとりで素直な気持ちを語り掛けることすらあった。
小さなゴシップストーンは手に馴染み、なまえの悲しい気持ちを吸い取って楽にしてくれる。
民族衣装の緑の服を着た少年を見かけなくなってもう数年が経った。
無謀な挑戦をしたこともあった。大けがをして、体を引きずりながら村に戻ってきてクスリ屋のオババから「バカな子だね」と言われながら治療を受けた。
魔力はあれど、戦うために使ったことなどなかったし、そもそもの量が足りなかった。
自我が芽生えたばかりのころ、インパに連れられて大妖精に会ったことがある。そこで魔力を封印してもらったのだ。インパ様の口ぶりだと、もう一度大妖精に願えば魔力を取り戻せるようだった。しかし小さい頃一度訪れただけの道はどうしても思い出せず、かすかな記憶に頼り似た道を探したが、地形が変わってしまってどことも知れない。
自分の力では魔物に太刀打ちできないことを学ぶと、今度は憑りつかれたように再び機織りに没頭するようになった。私がいままで培ってきたものは、これだけだから。
********
時は満ち、リンクの意識が浮上した。
7年の眠りから覚めたのち、光の賢者ラウルから指針を下されて、時の神殿を去る。外の空気はどこか陰気でねっとりとしていた。焼け落ちた、見るも無残な廃墟が並ぶ。あれだけ活気のあった街だったのに、幻のようだ。
「カカリコ村が心配だ……」
村の造り自体はさほど変化がない。家屋や建物が増え、かつて見たことあるような店も並んでいた。村のほぼ中心にあった井戸は7年の間に枯れてしまって水の一滴もない。
井戸をのぞき込むリンクの背後を通りかかったのは、顔色の悪い女性だった。産みたてらしいコッコの卵の入った手提げ籠を抱えている。カカリコ村の成人した女性といえばコッコ姉さんと大工のおかみさんがいたが、そのどちらでもない。
うつむいて歩く姿は儚い幽霊のよう。生気に欠け、目には光がない。彼女の足にまとわりつく、コッコたちの鳴き声だけは昔と同じように村中に響き渡る。
耳慣れない男性の声が、名前を呼んだ気がして振り返った。
少年っぽさの抜けきらない旅路姿の青年。目線の合ったなまえに、純真そうに微笑む。数年間忘れることもできなかった、かの少年の名前を口走っていた。
「リンク!生きてたの……」
「なまえも、カカリコ村にいてくれて良かった」
駆け寄ると、見知った妖精も青年の影から飛び出してきた。
「私のこと覚えててくれたのね。ナビィもいる、よかった」
『モチロン』
くるくるとなまえの周囲を飛ぶ妖精は、いるだけでその場の空気を陽気にさせる。
「村のみんなは元気?」
「大工の親父さんはいま弟子たちを連れてゲルドの砦にいるはずよ。おかみさんは宿屋みたいなことをやってるわ。コッコ姉さんも村にいるの。それから、ダンペイさんが……亡くなって」
「あ……そっか、ダンペイさん、おじいちゃんだったもんな。じゃあ墓参りしなくちゃ」
「私が連れていってあげる。一緒にいきましょう」
「うん、ありがとう」
墓地の端っこに、彼の墓石は置かれていた。なまえは膝をつこうとして、途中ではっとして折り曲げかけた体を伸ばした。
「お墓参りするのに手ぶらだなんて。私、お花摘んでくるわね」
なまえが離れたところで、ナビィが墓を検分しはじめた。
『ねぇリンク、このお墓の下になにかありそうだヨ』
少し力を込めると、墓石が動いた。現れた穴に飛び降りる。
―急いで墓石を元に戻すと、ちょうどなまえが花を抱えて戻ってきた。
「ごめんなさい、遅くなって。先に母さんのほうに一輪置いてきちゃった」
それで良かったのだ。もしリンクがこの場にないことを不審がられたら、なんと説明すればよいやら。
「ううん……」
「……リンク、そんなに汚れてたっけ?」
土ぼこりにまみれた緑の衣服に首を傾げる。慌てて服を叩いた。
「いや、掃除してたら……さ」
昔から、箱を開けるのに足で蹴ったりとがさつなところがあったが、不器用そうではなかったのに。そんなに熱心に墓石を綺麗にしていたのだろうか、となまえは微笑んだ。
たった今までダンペイ本人と会って追いかけっこをしていたなどとは彼女に言えず、手を合わせる彼女の隣で真似をした。
「座って話がしたいわ。私のうちでいい?」
「ああ」
あちこちにある村の変化に視線を奪われつつもなまえの後をついてゆく。彼女の立ち止まった家を見上げて、感嘆の息を漏らした。
「二階建てになってる」
「建て増ししてもらったの。ちょっと狭く感じて。作業場が上よ」
「いまでも機織りしてるのか?」
「……ええ、そうよ」
なまえは来客をもてなすよりも先に、リボンで留められた紙の包みをリンクに差し出した。
「これは……?もらっていいの?」
照れたように頷く。ビリビリと包みを破くところがまだ子供っぽい。赤い布地の戦闘服を広げて体に合わせた。
「ゴロンの服だ!なまえ、ありがとう。約束を守ってくれたんだね」
心からの感謝を告げる彼に対して、なまえは表情を硬くした。
「リンク、お願い。それでゴロンのみんなを助けて。デスマウンテンの様子がおかしいし、ゴロン族のほとんどみんながいなくなっちゃったの。私は何もできない。私じゃ、……ダメなの」
懇願するその目は涙で潤み、リンクの胸を締め付けた。
「私、デスマウンテンに登ることすらできなかった。魔物を一匹も倒せなかった」
子供のころに使っていた抜け道は成長した体には狭すぎてもう使えず、そうでなくともガノンドロフの制圧後は地殻変動があったかのように崖の一部がくずれ、ふさがれてしまった。正面の登山口を行こうと山の噴火に合わせて大岩から小石まで火の玉が雨のように降り続ける道をなんとか抜けても、スタルウォールが張り付く岩面が待っている。何度も突き落とされたうえに、慣れない武器を振り回したとて赤テクタイトに襲われなすすべもなく傷を負った。
命からがら撤退して、手にできたものは口惜しさの涙だった。
「……わかった、オレに任せて」
「ゴロンシティの中に、ダルニアの子どもが残ってるはずだから、あの子ならもっと詳しい話ができるわ」
「そうか。ひとまずゴロンシティの様子を確認しよう、ナビィ」
『うん、目指すはゴロンシティ ネ!』
「無事に戻ってきて。あのとき、ドドンゴを倒して帰ってきたみたいに」
リンクの手を手袋ごと握りしめるなまえのそれは荒れて肉付きが悪く、ちょっと捻れば簡単にひしゃげてしまいそうだった。
オレは、この手を守らなければいけない。
赤の衣装を身にまとい、ゴロン族をもう一度救うべく山頂を目指した。
********
デスマウンテン攻略後
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火山を離れたのに、硫黄の匂いがまだ鼻に残っている気がする。
「なまえ、ただいま」
息をのんで、次の瞬間には駆けだしていた。リンクは両腕を伸ばして、なまえの両脇の下に手を入れて体を軽々ともちあげ、その場でダンスをするようにくるりと一回転した。足が浮いたまま、赤い帽子ごと彼の頭を抱えるように引き寄せて、張り詰めた肺から空気を出す。
真っ赤なゴロンの服には灰の匂いが染みついていた。
リンクはなまえの腰を掴んで抱きしめた状態で見上げた。なまえは肩に手を置いて、視線を合わせる。さきほど魔物の巣窟を一掃してきたとは思えないほど優しい眼差しに見惚れた。
「ゴロン族のみんなも解放できたし、デスマウンテンも元に戻ったはずだ」
「リンク、私信じてた。……信じてたよ」
「うん。待っててくれてありがとう」
信じて良かったんだ。頼って良かった。
ありがとう、とその言葉だけではこの気持ちを表すのには足りなくて、彼の煤けた頬に唇を寄せた。彼は驚きに目をみはって、微笑むなまえに胸を高鳴らせた。
「なまえ、……」
「ほかにどう感謝していいかわからなくて……」
「嬉しいよ。こういう感謝なら大歓迎だな」
かつてゴロンシティでゴロン族たちにキョーダイと呼ばれ、迫られたときのことを思い出した。
ようやく彼女を地に下ろした。温もりが離れるのが名残惜しい。なまえは左右を見渡して、彼に付きまとっているはずの光を探した。
「ナビィはどこ?」
「疲れたって言ってさっさと帽子の中で寝ちゃったよ」
リンクは自身の頭を指さして苦笑する。愛らしい妖精の無事を知り、胸をなでおろす。
「あぁ……リンクも疲れてるでしょ?休んでいって」
「そうさせてもらうよ」
相変わらず質素な部屋だった。機織り機が二階へ運ばれたぶん、広くなっているはずだが、大人ふたりが動き回るには手狭だ。汗と汚れを落とすように言ったら、烏の行水のごとく湯を浴びて、すぐ戻ってきた。彼に他に場所もないからベッドに座るように勧めて、自分は夕食の準備を始めた。このご時世なのでごちそうではないが、体をあたためるには十分こと足りるだろう。
「リンク、もうすぐごはんできるからね。……リンク?」
呼びかけに応えがないので台所からのぞくと、倒れこむように眠りに落ちていた。食欲よりも睡眠欲に負けてしまった彼の靴を脱がせて、毛布をかぶせる。ずれた帽子を開いてみると、うっすら明るい光の玉がコロコロと寝返りをうった。リンクに押しつぶされないようにと、そっと帽子ごと両手で持ってテーブルに置いた。
まだあのときの言葉にちゃんと返事をしてないことに気づき、寝息を立てる彼の頭を撫でた。
「おかえりなさい、リンク」
********
空腹で目が覚めた。なまえの家で、夕食ができあがるのを待っている間に疲労から眠ってしまったらしい。ささやくような虫の音と遠くでオオカミの声が聞こえる。ということは深夜か、まだ朝日は昇っていない。
ベッドに横から半身だけを預けるようにして寝ているなまえと入れ替わるように改めてベッドに寝かし直し、毛布をかけてやった。
鍋にあったシチューを用意されていた皿によそい、いただく。なまえを起こさないように気を配り、失礼ながら台所でせっせとスプーンと口を動かした。
家主が寝ているところを悪いと思ったが、何か魔力の気配を感じて2階の作業部屋へ上がる。
ワンピース型のゴロンの服が壁にかけられており、機織りの椅子に座ると視界に入るように配置されていた。それはところどころが引き裂かれていた。人の手ではなく、おそらく魔物に襲われてできたもの。布地はもともと赤いが、黒く染みができているのは、血だろう。床には無残にも折れた弓が修理もされずに放置されている。もしこれらがなまえのものだとしたら、相当の怪我をしたに違いない。身に着けていた長袖のブラウスと、スカートも脛の半ばほどまであったので傷の有無はわからなかった。
小窓には、冒険中にほうぼうで見かけたゴシップストーンの手乗り版と思わしき石が飾られていた。
「どうして、なまえの家の中にゴシップストーンが……」
目と唇のようなものが手で削られたように見える。なめらかな卵型の石は光沢を放つほどよく磨かれていた。
『リンク、これたぶんなまえの魔力が込められてるワ』
手にとると、真っ赤に燃え上がる炎のような感情の波がリンクの身体に流れ込んできた。
子供時代、まことの仮面をかぶっていると、さまざまなことを教えてくれたゴシップストーンだが、この石はそれらとは違うようだ。頭にかつての懐かしい幼い声がひびいてくる。
『旅の人が、ハイラル王城の様子がおかしいって言ってた』
『ガノンドロフが反乱を起こしたって。
インパ様もゼルダ姫様といっしょに隠匿なされたのかしら。ご無事でいると信じてる』
『城下町の人たちが引っ越してきた。城も変わり果てて酷い様子みたい。こんなにたくさんの人が平和だった生活を追われるなんて……。
これも…ガノンドロフのせい……!
許せない。
どうにかできないかしら』
『ダルニアに子どもが生まれて、リンクって名付けたんだって。みんなでお祝いをした。
……コキリ族のリンクは、いまどこにいるのかな』
『今日、姉さんでもトリハダ立たないコッコが生まれたって教えてくれた。良かった。最近で一番いいニュースよね。小さくてかわいかった』
『ゴロンシティへの道が崖崩れで塞がれちゃった。私も大きくなって、あの狭い抜け道はくぐれないし、どうしよう』
『インパ様と行った大妖精様の神殿がどこにあったか思い出せれば、もしかしたら魔力を取り戻せるかも』
『なンでも屋さんに、私の作ったゴロンの服と弓とを交換してもらった』
『ゴロンシティのみんなが心配。会いたい』
『弓の練習をしなきゃ』
『結局登山はできなかった。落石でやけどするし、魔物があんなにいっぱいいて強いなんて思わなかった。リンクはあんな怪物たちを相手にしてるんだね。あの頃のリンクよりも大きくなったのに、私は弱いよ。左手はなんとか動かせるけど、しばらく機織りもできなさそう。村の人に心配かけちゃった。インパ様がいたら説教されてるかしら』
『リンク、どこかでまだ旅をしてるのかな。
ハイラルのこの状況を知らないはずはないよね。
どうして来なくなっちゃったの?他の町にいるの?』
『まさかリンクまで……。もう会えないの?』
『どうか、明日には平和なハイラルに戻っていますように』
『この世界中のみんなが、苦しみから逃れ幸せになりますように』
『どうして私は祈ることしかできないのかしら』
『せめて私の作る服が、身に着ける人を危険から守りますように』
小さなゴシップストーンはなまえの魔力とともに不安や焦燥、怒りや悲しみ、呟きから恨み、祈りすらをもごちゃまぜにしてまるごと吸い込んで、その身にありありと刻み込んでいた。途中で声変わりの様も見てとれる。元気そうな甲高いものから、しとやかな声への変化を知って、あの頃のなまえから、今のなまえまでを線で結ぶように少し納得できた。
ガノンドロフの支配下で、今日を生きるのもやっとだったろうに、なまえは他のことを常に気にかけていた。
穏やかなように見えて、その心に秘めた情は深く厚い。積み重ねた怒りの衝動から魔物退治にでかけてしまうほど。その激情たるはさすが炎の精霊に気に入られるだけはある。
「なまえ、辛かったんだな」
『リンク、ゴロン族を救えて良かったネ』
「まったくだな」
ストーンを元の位置に戻して、ゆっくりと階段を下りる。
無防備に眠るなまえの首には、普通ではない引きつれた傷あとが残っていた。尋常でない大きさの爪で―まるで熊手でひっかかれたような。7年前とはなにもかもが変わってしまったように感じられる。7年前はお互い子供で、一緒のベッドに寝ていたって朝起きて普通におはようが言えた。いまは、誰も見ていない、何もおかしいことはしていないにもかかわらず、ただ寝顔を視界に入れるだけで後ろめたい気分になる。
「オレは、眠ってしまっていたけど……なまえには7年は長かったよな。ごめん」
穏やかな表情に、彼女の願いをかなえられて心底良かったと安心した。
*****
コッコの鳴き声で目覚めたときには、位置が逆転していた。ベッドに入っているのはなまえのほうで、リンクは待ちかまえていたようにすっかり身支度を整えていた。
「おはよう。オレ、昨日なまえのベッドとっちゃったな。……ごめん」
謝罪には重みがあったが、寝ぼけまなこのなまえにはそこまで深い意味として感じられなかった。
「おはよう……いつ起きたの?」
「ちょっと前に」
ずいぶんと早起きだ。日が昇ってそんなに経っていないはずなのに。
ベッドから抜け出して、リンクの目の前に立つ。
「どこか行くの?」
「この世界にまだいる賢者たちに会いに行かなくちゃいけないんだ」
なまえには想像もできない壮大な物語を彼はつむいでいるんだと思う。7年前にはドドンゴを倒して、ゴロン族を救った以上の偉業を成し遂げる人物なのかも。いつかはガノンドロフさえ、倒してくれるかもしれない。
内容は置いておいて、こうして話しているぶんには、ちょっと人のいい好青年のように見えるのに。まだ無邪気ささえ見え隠れさせて。
「私が起きるのを待っててくれたのね?」
「うん。ごはん、勝手にもらった。おいしかった。ありがとう」
「いいよ。好きなだけ食べて。足りなかったらもっと作るから」
短い再会に満足できず、引き留めていたくてそう言ったけれども、もうすっかり出立するつもりの意思は変えられなかった。
「じゅうぶんもらったよ」
「またカカリコ村に寄ってくれる?」
「もちろん、またすぐ来るよ」
「うん…。良かったら、その服着ていって。リンクが今着てるの、洗濯しといてあげる。だからいつか取りに来てね」
その指はテーブルの上にきちんと畳まれた真新しい緑の服に向かっていた。
「じゃあ、お願いする。絶対取りにくるから」
「うん、待ってるね」
失礼して新品の服に着替えると、体にぴったり馴染んだ。どんな魔力が込められているのか、まだわずかに残っていた疲れが吹き飛んだように力がみなぎってくる。
「いってくるよ」
「いってらっしゃい」
きらきらした妖精が、またね、と揺れた。旅立つ二人に腕ごと手を振ってこたえる。
*****
翌日
*****
頬を指で掻いて申し訳なさそうにボロボロになった端切れを差し出した。
「ごめん。ライクライクに食べられちゃって。これだけしか取り戻せなかったんだ。ルピーは払うから、もう一着作ってくれないかな?」
「……、どんなことがあったのか話してくれたら、半額にしてあげる」
口調は怒っても動揺してもいない。ただリンクに会えた喜びだけが浮かんでいた。
結局なまえは服の代金を頑として受け取らなかった。
絶望から救ってくれたリンクから、料金なんてもらえない。
この世界に、彼が生きていてくれるだけでいいと思った。
青年と妖精はカカリコ村での短い休憩を終えて旅を再開した。
『リンクってばいい友達ができたわネ。タダで服を作ってくれるなんてサ』
「ルピーくらい払いたいんだけどな。どうして受け取ってくれないんだろう。しかも、新調するたび着心地良くなってきてるよ」
リンクが服を戦闘で駄目にするたび、改善を重ねて、またなまえの機織りと裁縫の技術も向上し続けているため、もともと根無し草の身だからと頓着していなかったはずが今では下手な服を買って着ることに抵抗を覚えるようになってしまった。贅沢を覚えるとは大変なことだ。
ナビィは笑い声を上げて、リンクの肩にとまる。
『ルピーじゃない方法でお返ししなさいヨ』
花束とか、指輪とかヨ。
まぁ、こんな鈍感男じゃ思いつかないでしょうケド。
「そうだよな。でも何がいいんだろ」
ナビィが答えをくれることはなかった。
********
おわり
内装に仕切りはない。玄関からすぐにある台所と、居間とも寝室ともつかない空間にベッドが壁際に置いてある。折りたたみの椅子と、食事がようやっと一人できるくらいのテーブルが置かれていた。
数年前の戦火を免れ、父親は逃亡の道すがら母と子を守って命を落としたらしい。母親も無傷ではおられず、その傷が原因で間もなく夫の後を追った。子はインパの情けでカカリコ村で引き取られ、まだ発展途上の村の中で、大人たちの助けを借りて生活している。
大柄な大工たちが走り回る村の中で、力仕事のできないなまえは、コッコの世話をしつつも、コッコを触れないという体質のコッコ姉さんを手伝ったり、住人たちの小間使いをしたりして過ごしていた。
大人たちは少女のとある異質さに気づいてはいたが、現状で大きな害がないため指摘することはなかった。小さな手に光を捕まえたといって見せるのはかわいいもので、道具もなにもないところから火を起こしたこともあった。
たびたび墓地に行っては空に向かって話しかけ、何者かから逃げたり追い払う手振りをするわ、井戸に魔物がいるといって周囲を怖がらせたりするので、村人からの積もりつつある将来への不安を受けて、少女に指導をしたのはやはりインパだった。
「なまえ。お前が幼いからといってごまかすべきではないだろう。率直に言うが、お前には魔力がある」
「魔力?それを持ってたら、何ができますか?」
「妖精と対話したり、鍛えれば魔物と戦うこともできる。だが、使わないでもいい。努力次第ではお前なりの使い道を見つけることもあるだろう。お前は優しい子だから、他人を傷つけることにだけはその力を向けることはないことを願う」
「私は……この村にいられれば、それで……」
両親がどうやって亡くなったのか、幼いながら聞き及んで理解している。縁者もいない村の中でここまで育つことができたのは村人たちが協力して世話を焼いてくれたからで、感謝こそすれ危害を加えるようなことはない。魔力が脅威であるなら、極力それを使わず隠していよう。
「お前が健康で、毎日元気でいてくれるのなら皆はそれ以上を望むことはない」
そのささやかな願いを、神妙に受け入れた。
「村の人たちに迷惑をかけたくないです。魔力をなくすにはどうすればいいですか?」
インパは少女を共に連れて、大妖精のおわす場所まで案内した。
清い水は濁りひとつなく、その場で呼吸するだけで何かの力が体の内に満ちあふれるようだった。小さな妖精たちが、近づいてはなまえの周りを回って遠ざかる。
インパの指笛で奏でた音楽で、光とともに大妖精泉から現れた。赤く長い髪に、くっきりと睫毛に縁どられた大きな瞳に高い鼻。宙に浮かんだ緑の蔦の這う体はなまめかしく足を組み、大妖精はうっとりと微笑んだ。
インパと大妖精の会話は難しくておぼえていない。
とにかく、無闇に魔力を日常生活の上で使うことがないよう祈った。大したことはされなかった。手を差し伸べただけで、一瞬息苦しくなったがその感覚もすぐ消えた。
妖精の頭は鮮明な高笑いを残して姿を消し、明るかった神殿内が一気に暗くなる。手を引かれて外にでた。
「……どうなったんですか?」
何があったのか把握できず、インパを見上げると、哀れみを向けられた。
「大妖精さまに、お前の魔力を抑えてもらった。これからお前には不便かもしれない」
「これでみんなが安心できるんですよね。私、ふつうの女の子になったんですよね」
「お前が持っていてしかるべき力を、大人たちの都合でなかったことにしてしまうんだ。…すまない」
魔力がある以外はなんの変哲もない子だ。だが、村人の一部は接触を避けるようになってきていた。異質を恐れるがためにいずれ少女を村から追い出してしまうだろう。
ゼルダ姫のようにその身に聖なる御印を宿してでもいれば、奇跡の力と崇められることもあったろうに、不遇の身の上のために嫌悪されるとは。
本来あるべきこの子の未来を奪ってしまったのかもしれない。
「……お前がもう少し成長して分別のつくようになれば、また大妖精さまにお会いして、魔力を開放してもらおう」
「ううん、このままでいいです」
無邪気な笑顔が心に刺さる。
村に戻るとインパの呼びかけで大人たちの集会があり、なまえに親切にしてくれる人が増えた。遠巻きに姿を見ては目をそらしていたものも、話しかけてくれるようになって、受け入れられたのだ、と感じる。
それから、手から火を生成することもなくなった。いまだに人と違うものが見えるが、次第にそれらを無視することを覚え、なまえは村に溶け込むことができた。
ある日コッコ姉さんと、兄さんがかくれんぼに誘ってくれた。二人はほかの村人より年が近いので、一応は大人の部類に入るもののたまに子供の遊びにつき合ってくれる。
一人がかくれんぼの鬼になり、あとは各々散り散りになる。いい隠れ場所だと岩が二つあわさっている合間に身を隠した。ところがその先に、道が続いていることに気づいた。向こうに明かりがうっすら見え、なにか生き物の気配がうかがえた。
岩の隙間を抜けると、ゴロンシティの内部につながっていた。
くるりと回って開けた洞窟を見渡すと、岩だと思い込んでいたものが内部から開いて形を変えてゆく。
「人間の子がどうやってここまで来たゴロ?」
それには目があって、手足が生えていた。ぽりぽり、と後頭部を掻く。
「あなた、なあに?妖精さん?」
人間ではない。妖精と言えば羽が生えていて、小さくて光る生き物のことだ。しかしこれは動物でもないし、毛も生えていない。岩のような体表を持つ生き物など、知らなかった。
「オレはゴロン族ゴロ。ここにいると岩が転がってきて危ないゴロよ。でもせっかくここまできたなら、ゴロンシティを見てみる?」
「……うん!」
ゴロンシティ、という名前に聞き覚えはなかったが、面白そうな響きに頷いた。洞窟の中では松明が灯され、常に岩が転がってる音が響いていた。それもそのはず、固い体を球のようにして、道を走っているのだから。
階段の踊り場にある緑の花弁に包まれた不思議な蕾を見つけて、触ろうと手を出そうとすると両脇を抱えて引き離された。子供が引き抜けるわけもないが、万が一があるといけない。
「バクダン花に触っちゃ危ないゴロ!」
「ばくだんばな?バクダンなの?」
「そうゴロよ。ほら、お店に案内してあげるからこっちへ」
見た目はスイカで、頭頂部に黄色と赤の房だかが生えていた。背中を押されてしまえば、前に進むしかない。
店の品数はあまり充実しているとは言い難かった。特産品であるバクダン花はそれこそ溢れんばかりに棚に並んでいたが。
「この赤いお洋服、見たことない」
「それはゴロンの服といって、熱にとっても強い服ゴロ。とっても高いし、おとな用しかないゴロよ」
「欲しいんじゃないの。なんかこれ……普通と違うわ。どうやって作ってるの?」
「魔力を織り込んだ特別な布を使って仕立ててるゴロよ」
「面白いね。ねぇ、私にも作れるかしら?」
ふむ、と空を見つめたゴロン。
「そういえば後継者を探していたゴロ。お嬢ちゃんはちょっと幼すぎだけど、興味があるなら作るところを見せてやるゴロ。見たい?」
「うん!連れてって!」
ゴロン族といえば刀鍛冶が有名だが、ゴロンシティ内の店には、特産物のバクダンはもちろん、矢や服もそろっている。若い衆は刀鍛冶や爆弾の採掘にばかり夢中で、服飾はなかなか人気がなく後継ぎを見つけていないらしい。
案内された洞窟内の一室に、ゴロン族にしては小柄な者が一人、流れるような手作業で機を織っていた。張られた
「おや、いらっしゃい。人の子ゴロね」
少ししわがれた声は穏やかで、女性らしい気もする。先生然とした雰囲気になぜかかしこまって、名前と出身を答えた。
「なまえです。カカリコ村からきました。あの、機織りってどうやるんですか?」
「はいはい、あの村ゴロね。お嬢ちゃん、機織りに興味があるの?」
こくり、と肯定したその目が期待に輝いた。
「じゃあ、まずはやってみてごらん。ここに座るゴロ」
ゴロンは席を譲り、背中からかぶさるようにして機織りの仕組みを丁寧に説明しはじめた。
機織りを学んでご機嫌で村に戻ると姉さんと兄さんが疲労困憊した顔でなまえを取り囲んだ。
「なまえ、どこに隠れてたの。心配したんだから」
「あ、かくれんぼしてたんだっけ」
すっとぼけた様子に姉さんが怒り、兄さんは呆れた。
「じっとしてて眠くなったんじゃないのか」
そう言われたのを否定せず、岩の一族のことは言い出しづらく秘密にしておいた。
ゴロン族に気に入られたなまえはほとんど毎日、村での日課を終えたお昼過ぎに通い、機織りを習うようになった。久しぶりに帰郷したインパにできあがった布を見せながら報告すると、彼女はそうか、と呟いた。穏やかに、がんばりなさい、と続けてなまえの頭に手を置いた。それはなまえにとって最上級の褒め言葉だった。
しばらくしてゴロン族から持ち運びのできる機織りの機械を譲ってもらい、自宅でも機織りをするようになった。
姉さんには怪しまれたが、インパさまが薦めたということになっているようだった。
*******
数年後。
*******
パタン、パタン、コケーココココ、パタン、コケーッ。
機織りに混じって、コッコの鳴き声が響く。コッコを囲う柵からは少し離れているはずなのに、こんな近くに聞こえるなんて。嫌な予感を裏切らず、コッコ姉さんが家に飛び込んできた。
「なまえ、大変。コッコたちが逃げちゃったの。捕まえるの手伝ってくれる?」
「またなの?……先に柵を高くしたらどうかなぁ?」
「大工さんたちにも頼んでるんだけど、家の建設にかかりっきりでどうしても後回しになっちゃうのよね。村の外には出てないはずだから、お願い」
コッコたちに触れない姉さんの苦労を不憫に思って、なまえは家から出た。
「姉さんはいつものところで待ってて」
「ありがとう、よろしくね」
コッコ姉さんが柵の前で頭を抱えておろおろしていると、緑の服を着た少年が話しかけてきた。光をまとった妖精を連れているからにして、普通の人間ではなさそうだ。
「お姉さん、こんにちは。どうかしたの?」
「コッコがどっかへパタパタとんでっちゃった!ねぇぼうや、お願い。コッコたちを捕まえて、この柵の中につれてきて」
「姉さんったら。そんな通りすがりの子に頼まなくても」
「いいよ」
あっさりと承諾して、少年は村の中をまるで自分の庭のように駆けまわりはじめた。飛んで、転がって、また家の柵に上ったりして。見事7羽を捕まえてみせた。体当たりで木箱を破壊したときには目を剥いたけれども、コッコがその中にいると見越しての洞察力と腕力はそこんじょそこらの子どもではありえない。
「コッコたちを捕まえてくれてありがとう。あなた、どこから来たの?旅の途中かしら」
「オレはコキリ族のリンク。こっちは妖精のナビィ。オレたち精霊石を探してるんだ」
「なまえとそう変わらない年なのに、勇敢なのね。ごめんなさいね、精霊石っていうものに心当たりはないけれど……コッコたちのお礼にこれをあげるわ」
コッコ姉さんがあきビンを手渡すと、少年はこの上もなく喜んでいた。女性が少女のことを見て名前を呼んだので、その子の名前がなまえだということを知る。あきビンをしまって向き合うと、少女は興味津々と質問を浴びせてきた。
「すごい。コキリ族の子って、みんなそんなにすばしっこいの?」
「みんなこれくらいできるんじゃないの?」
少なくとも、リンクがいたコキリの村に住む子供たちは、自然そのままの中で生活しているため蔦を上ったり一抱えもある岩を投げ飛ばしたりなんてこともしていた。自分だけ運動神経が飛びぬけているという感覚はあまりない。
「ううん。あんなに高くから飛び降りたり、早く走ったりできないわ。ねぇ、コキリ族って禁断の森に住んでいるんでしょう?どんなところなの?」
「木がたくさんあって、コキリ族のみんなの家があって、お店もあるよ。池もある」
「あんがい普通なのね。じゃあどうして禁断なんて呼ばれてるのかしら」
「なまえ、それは……」
真実を伝えるのをためらっていると、少年がこともなげに口を開いた。
「コキリ族以外の人が森に入ると、みんな怪物になっちゃうんだ」
「え……、」
異様なものが目の前にあるかのように、リンクを見つめた。少年は珍しい緑の衣装をきているけれども、顔も体のつくりもハイリア人そのものにしか見えない。そしてすぐ反省する。親切な少年に向けるべき目ではなかった。かつて自分がされて嫌だったことを、他人にしてはいけない。
「森は危険じゃないよ。オレたちにとっては」
ナビィが肯定するように光り輝いた。
「そうよね。あなたの故郷だもの。でもなまえは森に行ってはダメよ。さてお二人さん、私は仕事があるからもう行くわね。
なまえ、まだお話するんならお茶でもお出しするのよ」
「うん、姉さん。リンク、時間があるならうちにきて」
少女の家ははリンクの自宅、もとい樹の洞にも負けずとも劣らない狭さだった。ただ樹の洞とは違い、真四角で、壁は石づくりですべすべしている。
「カカリコ村にいるのは大人ばかりだし、みんな忙しそうなの。私も村の発展のために協力したくて、織物を始めたばかりよ」
「へえ、えらいね」
ナビィがふわりと機織り機に降り立って、緑色に光った。異常を知らせる合図だ。
「リンク、これ普通の布じゃないわ。魔力がこもってる」
「さすが妖精さんはわかるのね」
張り巡らされているのはいずれも同じ赤い糸。
「魔力を織り込んで、デスマウンテンの火山の熱さにも耐えられる服を作るの」
「そんなもの作れるなんて、すごいよ」
「まだ練習中なの。私がもっと上手に織れるようになったら、リンクにもいつかゴロンの服を作ってあげる」
お世辞でも褒められたのが嬉しくて、そんな約束をしてしまった。
「ほんと?楽しみだな」
リンクもなまえも互いの生い立ちから、近頃あった面白い出来事まで思いつく限り言い合った。
コキリ族なら生まれたときから持っている妖精だが、リンクにナヴィがついたのはごく最近のことで、妖精がいなかった間はずっとミドをはじめ仲間にからかわれていたこと。
優しかったデクの樹サマ。たった一人リンクを見送ってオカリナをくれたサリア。
なまえにも両親がいないこと。小さいころに魔力をほとんどなくしたこと。インパ様を尊敬していて大好きなこと。
ゴロン族と出会って、機織りを覚えたこともリンクには話してしまっていた。
話しつかれて、いつの間にか二人ともベッドに並んで眠ってしまっていた。
********
それはほとんど天災だった。ガノンドロフと呼ばれるゲルド族の男ひとりの仕業にもかかわらず、その手に力のトライフォースが宿っているからというだけで天地がひっくり返るほどの事象を起こした。ハイラル王城は姿を変え、城下町は朽ち果て魔物に乗っ取られてしまった。
ゼルダ姫が失踪し、護衛役でこの村の創設者であったインパの行方も共にわからない。姫の乳母であり教育者であった彼女は、自ら所有する村へ隠れればすぐに見つかることを考慮し、村人の誰にも何も残さずに消えた。よって足取りを知るものはいない。
ガノンドロフの暴挙により、城下町よりカカリコ村へ越してきた人も多く、皮肉なことに、昔よりも村はにぎわった。
このまま世界が破滅に向かうことを信じられず、幼い彼との約束だけを心の支えに、なまえは機を織り続けた。
一年ごとに、一着、毎回サイズを大きくして、ゴロンの服を仕上げていた。それらはたった一人のために作られたというのに、一度も誰にも袖を通してもらうことがなかった。自分がしていることは無駄なのかもしれないと何度も思った。けれどなぜだかやめることができなかった。それはもう儀式のようでもあり、彼女にとっての祈祷だった。
ある日、旅人にゴシップストーンは道祖神なのだときいて、じゃあお守りになるかしらと彫刻した手のひらサイズの石。難しい模様ではなかったため、制作にそこまで時間をかけることはなかったが、見ればみるほど奇妙なデザインだと思う。横に並ぶ図形が聖なる三角形を模していることは理解できるが、一つ目とそのすぐ下にあるのはひげのようにも口のようにも見える。教えてくれた旅人にあげようと持っていったら、すでに旅だった後で、他の誰かにあげるのもためらわれて、自室に飾ることにした。時折ひとりで素直な気持ちを語り掛けることすらあった。
小さなゴシップストーンは手に馴染み、なまえの悲しい気持ちを吸い取って楽にしてくれる。
民族衣装の緑の服を着た少年を見かけなくなってもう数年が経った。
無謀な挑戦をしたこともあった。大けがをして、体を引きずりながら村に戻ってきてクスリ屋のオババから「バカな子だね」と言われながら治療を受けた。
魔力はあれど、戦うために使ったことなどなかったし、そもそもの量が足りなかった。
自我が芽生えたばかりのころ、インパに連れられて大妖精に会ったことがある。そこで魔力を封印してもらったのだ。インパ様の口ぶりだと、もう一度大妖精に願えば魔力を取り戻せるようだった。しかし小さい頃一度訪れただけの道はどうしても思い出せず、かすかな記憶に頼り似た道を探したが、地形が変わってしまってどことも知れない。
自分の力では魔物に太刀打ちできないことを学ぶと、今度は憑りつかれたように再び機織りに没頭するようになった。私がいままで培ってきたものは、これだけだから。
********
時は満ち、リンクの意識が浮上した。
7年の眠りから覚めたのち、光の賢者ラウルから指針を下されて、時の神殿を去る。外の空気はどこか陰気でねっとりとしていた。焼け落ちた、見るも無残な廃墟が並ぶ。あれだけ活気のあった街だったのに、幻のようだ。
「カカリコ村が心配だ……」
村の造り自体はさほど変化がない。家屋や建物が増え、かつて見たことあるような店も並んでいた。村のほぼ中心にあった井戸は7年の間に枯れてしまって水の一滴もない。
井戸をのぞき込むリンクの背後を通りかかったのは、顔色の悪い女性だった。産みたてらしいコッコの卵の入った手提げ籠を抱えている。カカリコ村の成人した女性といえばコッコ姉さんと大工のおかみさんがいたが、そのどちらでもない。
うつむいて歩く姿は儚い幽霊のよう。生気に欠け、目には光がない。彼女の足にまとわりつく、コッコたちの鳴き声だけは昔と同じように村中に響き渡る。
耳慣れない男性の声が、名前を呼んだ気がして振り返った。
少年っぽさの抜けきらない旅路姿の青年。目線の合ったなまえに、純真そうに微笑む。数年間忘れることもできなかった、かの少年の名前を口走っていた。
「リンク!生きてたの……」
「なまえも、カカリコ村にいてくれて良かった」
駆け寄ると、見知った妖精も青年の影から飛び出してきた。
「私のこと覚えててくれたのね。ナビィもいる、よかった」
『モチロン』
くるくるとなまえの周囲を飛ぶ妖精は、いるだけでその場の空気を陽気にさせる。
「村のみんなは元気?」
「大工の親父さんはいま弟子たちを連れてゲルドの砦にいるはずよ。おかみさんは宿屋みたいなことをやってるわ。コッコ姉さんも村にいるの。それから、ダンペイさんが……亡くなって」
「あ……そっか、ダンペイさん、おじいちゃんだったもんな。じゃあ墓参りしなくちゃ」
「私が連れていってあげる。一緒にいきましょう」
「うん、ありがとう」
墓地の端っこに、彼の墓石は置かれていた。なまえは膝をつこうとして、途中ではっとして折り曲げかけた体を伸ばした。
「お墓参りするのに手ぶらだなんて。私、お花摘んでくるわね」
なまえが離れたところで、ナビィが墓を検分しはじめた。
『ねぇリンク、このお墓の下になにかありそうだヨ』
少し力を込めると、墓石が動いた。現れた穴に飛び降りる。
―急いで墓石を元に戻すと、ちょうどなまえが花を抱えて戻ってきた。
「ごめんなさい、遅くなって。先に母さんのほうに一輪置いてきちゃった」
それで良かったのだ。もしリンクがこの場にないことを不審がられたら、なんと説明すればよいやら。
「ううん……」
「……リンク、そんなに汚れてたっけ?」
土ぼこりにまみれた緑の衣服に首を傾げる。慌てて服を叩いた。
「いや、掃除してたら……さ」
昔から、箱を開けるのに足で蹴ったりとがさつなところがあったが、不器用そうではなかったのに。そんなに熱心に墓石を綺麗にしていたのだろうか、となまえは微笑んだ。
たった今までダンペイ本人と会って追いかけっこをしていたなどとは彼女に言えず、手を合わせる彼女の隣で真似をした。
「座って話がしたいわ。私のうちでいい?」
「ああ」
あちこちにある村の変化に視線を奪われつつもなまえの後をついてゆく。彼女の立ち止まった家を見上げて、感嘆の息を漏らした。
「二階建てになってる」
「建て増ししてもらったの。ちょっと狭く感じて。作業場が上よ」
「いまでも機織りしてるのか?」
「……ええ、そうよ」
なまえは来客をもてなすよりも先に、リボンで留められた紙の包みをリンクに差し出した。
「これは……?もらっていいの?」
照れたように頷く。ビリビリと包みを破くところがまだ子供っぽい。赤い布地の戦闘服を広げて体に合わせた。
「ゴロンの服だ!なまえ、ありがとう。約束を守ってくれたんだね」
心からの感謝を告げる彼に対して、なまえは表情を硬くした。
「リンク、お願い。それでゴロンのみんなを助けて。デスマウンテンの様子がおかしいし、ゴロン族のほとんどみんながいなくなっちゃったの。私は何もできない。私じゃ、……ダメなの」
懇願するその目は涙で潤み、リンクの胸を締め付けた。
「私、デスマウンテンに登ることすらできなかった。魔物を一匹も倒せなかった」
子供のころに使っていた抜け道は成長した体には狭すぎてもう使えず、そうでなくともガノンドロフの制圧後は地殻変動があったかのように崖の一部がくずれ、ふさがれてしまった。正面の登山口を行こうと山の噴火に合わせて大岩から小石まで火の玉が雨のように降り続ける道をなんとか抜けても、スタルウォールが張り付く岩面が待っている。何度も突き落とされたうえに、慣れない武器を振り回したとて赤テクタイトに襲われなすすべもなく傷を負った。
命からがら撤退して、手にできたものは口惜しさの涙だった。
「……わかった、オレに任せて」
「ゴロンシティの中に、ダルニアの子どもが残ってるはずだから、あの子ならもっと詳しい話ができるわ」
「そうか。ひとまずゴロンシティの様子を確認しよう、ナビィ」
『うん、目指すはゴロンシティ ネ!』
「無事に戻ってきて。あのとき、ドドンゴを倒して帰ってきたみたいに」
リンクの手を手袋ごと握りしめるなまえのそれは荒れて肉付きが悪く、ちょっと捻れば簡単にひしゃげてしまいそうだった。
オレは、この手を守らなければいけない。
赤の衣装を身にまとい、ゴロン族をもう一度救うべく山頂を目指した。
********
デスマウンテン攻略後
********
火山を離れたのに、硫黄の匂いがまだ鼻に残っている気がする。
「なまえ、ただいま」
息をのんで、次の瞬間には駆けだしていた。リンクは両腕を伸ばして、なまえの両脇の下に手を入れて体を軽々ともちあげ、その場でダンスをするようにくるりと一回転した。足が浮いたまま、赤い帽子ごと彼の頭を抱えるように引き寄せて、張り詰めた肺から空気を出す。
真っ赤なゴロンの服には灰の匂いが染みついていた。
リンクはなまえの腰を掴んで抱きしめた状態で見上げた。なまえは肩に手を置いて、視線を合わせる。さきほど魔物の巣窟を一掃してきたとは思えないほど優しい眼差しに見惚れた。
「ゴロン族のみんなも解放できたし、デスマウンテンも元に戻ったはずだ」
「リンク、私信じてた。……信じてたよ」
「うん。待っててくれてありがとう」
信じて良かったんだ。頼って良かった。
ありがとう、とその言葉だけではこの気持ちを表すのには足りなくて、彼の煤けた頬に唇を寄せた。彼は驚きに目をみはって、微笑むなまえに胸を高鳴らせた。
「なまえ、……」
「ほかにどう感謝していいかわからなくて……」
「嬉しいよ。こういう感謝なら大歓迎だな」
かつてゴロンシティでゴロン族たちにキョーダイと呼ばれ、迫られたときのことを思い出した。
ようやく彼女を地に下ろした。温もりが離れるのが名残惜しい。なまえは左右を見渡して、彼に付きまとっているはずの光を探した。
「ナビィはどこ?」
「疲れたって言ってさっさと帽子の中で寝ちゃったよ」
リンクは自身の頭を指さして苦笑する。愛らしい妖精の無事を知り、胸をなでおろす。
「あぁ……リンクも疲れてるでしょ?休んでいって」
「そうさせてもらうよ」
相変わらず質素な部屋だった。機織り機が二階へ運ばれたぶん、広くなっているはずだが、大人ふたりが動き回るには手狭だ。汗と汚れを落とすように言ったら、烏の行水のごとく湯を浴びて、すぐ戻ってきた。彼に他に場所もないからベッドに座るように勧めて、自分は夕食の準備を始めた。このご時世なのでごちそうではないが、体をあたためるには十分こと足りるだろう。
「リンク、もうすぐごはんできるからね。……リンク?」
呼びかけに応えがないので台所からのぞくと、倒れこむように眠りに落ちていた。食欲よりも睡眠欲に負けてしまった彼の靴を脱がせて、毛布をかぶせる。ずれた帽子を開いてみると、うっすら明るい光の玉がコロコロと寝返りをうった。リンクに押しつぶされないようにと、そっと帽子ごと両手で持ってテーブルに置いた。
まだあのときの言葉にちゃんと返事をしてないことに気づき、寝息を立てる彼の頭を撫でた。
「おかえりなさい、リンク」
********
空腹で目が覚めた。なまえの家で、夕食ができあがるのを待っている間に疲労から眠ってしまったらしい。ささやくような虫の音と遠くでオオカミの声が聞こえる。ということは深夜か、まだ朝日は昇っていない。
ベッドに横から半身だけを預けるようにして寝ているなまえと入れ替わるように改めてベッドに寝かし直し、毛布をかけてやった。
鍋にあったシチューを用意されていた皿によそい、いただく。なまえを起こさないように気を配り、失礼ながら台所でせっせとスプーンと口を動かした。
家主が寝ているところを悪いと思ったが、何か魔力の気配を感じて2階の作業部屋へ上がる。
ワンピース型のゴロンの服が壁にかけられており、機織りの椅子に座ると視界に入るように配置されていた。それはところどころが引き裂かれていた。人の手ではなく、おそらく魔物に襲われてできたもの。布地はもともと赤いが、黒く染みができているのは、血だろう。床には無残にも折れた弓が修理もされずに放置されている。もしこれらがなまえのものだとしたら、相当の怪我をしたに違いない。身に着けていた長袖のブラウスと、スカートも脛の半ばほどまであったので傷の有無はわからなかった。
小窓には、冒険中にほうぼうで見かけたゴシップストーンの手乗り版と思わしき石が飾られていた。
「どうして、なまえの家の中にゴシップストーンが……」
目と唇のようなものが手で削られたように見える。なめらかな卵型の石は光沢を放つほどよく磨かれていた。
『リンク、これたぶんなまえの魔力が込められてるワ』
手にとると、真っ赤に燃え上がる炎のような感情の波がリンクの身体に流れ込んできた。
子供時代、まことの仮面をかぶっていると、さまざまなことを教えてくれたゴシップストーンだが、この石はそれらとは違うようだ。頭にかつての懐かしい幼い声がひびいてくる。
『旅の人が、ハイラル王城の様子がおかしいって言ってた』
『ガノンドロフが反乱を起こしたって。
インパ様もゼルダ姫様といっしょに隠匿なされたのかしら。ご無事でいると信じてる』
『城下町の人たちが引っ越してきた。城も変わり果てて酷い様子みたい。こんなにたくさんの人が平和だった生活を追われるなんて……。
これも…ガノンドロフのせい……!
許せない。
どうにかできないかしら』
『ダルニアに子どもが生まれて、リンクって名付けたんだって。みんなでお祝いをした。
……コキリ族のリンクは、いまどこにいるのかな』
『今日、姉さんでもトリハダ立たないコッコが生まれたって教えてくれた。良かった。最近で一番いいニュースよね。小さくてかわいかった』
『ゴロンシティへの道が崖崩れで塞がれちゃった。私も大きくなって、あの狭い抜け道はくぐれないし、どうしよう』
『インパ様と行った大妖精様の神殿がどこにあったか思い出せれば、もしかしたら魔力を取り戻せるかも』
『なンでも屋さんに、私の作ったゴロンの服と弓とを交換してもらった』
『ゴロンシティのみんなが心配。会いたい』
『弓の練習をしなきゃ』
『結局登山はできなかった。落石でやけどするし、魔物があんなにいっぱいいて強いなんて思わなかった。リンクはあんな怪物たちを相手にしてるんだね。あの頃のリンクよりも大きくなったのに、私は弱いよ。左手はなんとか動かせるけど、しばらく機織りもできなさそう。村の人に心配かけちゃった。インパ様がいたら説教されてるかしら』
『リンク、どこかでまだ旅をしてるのかな。
ハイラルのこの状況を知らないはずはないよね。
どうして来なくなっちゃったの?他の町にいるの?』
『まさかリンクまで……。もう会えないの?』
『どうか、明日には平和なハイラルに戻っていますように』
『この世界中のみんなが、苦しみから逃れ幸せになりますように』
『どうして私は祈ることしかできないのかしら』
『せめて私の作る服が、身に着ける人を危険から守りますように』
小さなゴシップストーンはなまえの魔力とともに不安や焦燥、怒りや悲しみ、呟きから恨み、祈りすらをもごちゃまぜにしてまるごと吸い込んで、その身にありありと刻み込んでいた。途中で声変わりの様も見てとれる。元気そうな甲高いものから、しとやかな声への変化を知って、あの頃のなまえから、今のなまえまでを線で結ぶように少し納得できた。
ガノンドロフの支配下で、今日を生きるのもやっとだったろうに、なまえは他のことを常に気にかけていた。
穏やかなように見えて、その心に秘めた情は深く厚い。積み重ねた怒りの衝動から魔物退治にでかけてしまうほど。その激情たるはさすが炎の精霊に気に入られるだけはある。
「なまえ、辛かったんだな」
『リンク、ゴロン族を救えて良かったネ』
「まったくだな」
ストーンを元の位置に戻して、ゆっくりと階段を下りる。
無防備に眠るなまえの首には、普通ではない引きつれた傷あとが残っていた。尋常でない大きさの爪で―まるで熊手でひっかかれたような。7年前とはなにもかもが変わってしまったように感じられる。7年前はお互い子供で、一緒のベッドに寝ていたって朝起きて普通におはようが言えた。いまは、誰も見ていない、何もおかしいことはしていないにもかかわらず、ただ寝顔を視界に入れるだけで後ろめたい気分になる。
「オレは、眠ってしまっていたけど……なまえには7年は長かったよな。ごめん」
穏やかな表情に、彼女の願いをかなえられて心底良かったと安心した。
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コッコの鳴き声で目覚めたときには、位置が逆転していた。ベッドに入っているのはなまえのほうで、リンクは待ちかまえていたようにすっかり身支度を整えていた。
「おはよう。オレ、昨日なまえのベッドとっちゃったな。……ごめん」
謝罪には重みがあったが、寝ぼけまなこのなまえにはそこまで深い意味として感じられなかった。
「おはよう……いつ起きたの?」
「ちょっと前に」
ずいぶんと早起きだ。日が昇ってそんなに経っていないはずなのに。
ベッドから抜け出して、リンクの目の前に立つ。
「どこか行くの?」
「この世界にまだいる賢者たちに会いに行かなくちゃいけないんだ」
なまえには想像もできない壮大な物語を彼はつむいでいるんだと思う。7年前にはドドンゴを倒して、ゴロン族を救った以上の偉業を成し遂げる人物なのかも。いつかはガノンドロフさえ、倒してくれるかもしれない。
内容は置いておいて、こうして話しているぶんには、ちょっと人のいい好青年のように見えるのに。まだ無邪気ささえ見え隠れさせて。
「私が起きるのを待っててくれたのね?」
「うん。ごはん、勝手にもらった。おいしかった。ありがとう」
「いいよ。好きなだけ食べて。足りなかったらもっと作るから」
短い再会に満足できず、引き留めていたくてそう言ったけれども、もうすっかり出立するつもりの意思は変えられなかった。
「じゅうぶんもらったよ」
「またカカリコ村に寄ってくれる?」
「もちろん、またすぐ来るよ」
「うん…。良かったら、その服着ていって。リンクが今着てるの、洗濯しといてあげる。だからいつか取りに来てね」
その指はテーブルの上にきちんと畳まれた真新しい緑の服に向かっていた。
「じゃあ、お願いする。絶対取りにくるから」
「うん、待ってるね」
失礼して新品の服に着替えると、体にぴったり馴染んだ。どんな魔力が込められているのか、まだわずかに残っていた疲れが吹き飛んだように力がみなぎってくる。
「いってくるよ」
「いってらっしゃい」
きらきらした妖精が、またね、と揺れた。旅立つ二人に腕ごと手を振ってこたえる。
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翌日
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頬を指で掻いて申し訳なさそうにボロボロになった端切れを差し出した。
「ごめん。ライクライクに食べられちゃって。これだけしか取り戻せなかったんだ。ルピーは払うから、もう一着作ってくれないかな?」
「……、どんなことがあったのか話してくれたら、半額にしてあげる」
口調は怒っても動揺してもいない。ただリンクに会えた喜びだけが浮かんでいた。
結局なまえは服の代金を頑として受け取らなかった。
絶望から救ってくれたリンクから、料金なんてもらえない。
この世界に、彼が生きていてくれるだけでいいと思った。
青年と妖精はカカリコ村での短い休憩を終えて旅を再開した。
『リンクってばいい友達ができたわネ。タダで服を作ってくれるなんてサ』
「ルピーくらい払いたいんだけどな。どうして受け取ってくれないんだろう。しかも、新調するたび着心地良くなってきてるよ」
リンクが服を戦闘で駄目にするたび、改善を重ねて、またなまえの機織りと裁縫の技術も向上し続けているため、もともと根無し草の身だからと頓着していなかったはずが今では下手な服を買って着ることに抵抗を覚えるようになってしまった。贅沢を覚えるとは大変なことだ。
ナビィは笑い声を上げて、リンクの肩にとまる。
『ルピーじゃない方法でお返ししなさいヨ』
花束とか、指輪とかヨ。
まぁ、こんな鈍感男じゃ思いつかないでしょうケド。
「そうだよな。でも何がいいんだろ」
ナビィが答えをくれることはなかった。
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おわり