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このお話はR15となっております。
ごく軽度の性描写がありますので、中学生以下の方は閲覧しないでください。
***
街のはずれにある家はやたら広くて古い。いってきます、と言って大げさに音を立てる扉が閉まったのを確認してから離れた。
横の草むらは風もないのにガサガサ揺れる。野生のポケモンがいるから安易に入り込んではいけない、と教え込まれている。
牧歌的といえば聞こえが良いが要は自然しかない。
母のおつかいで外に出ていたなまえは、とある少年がその店の前を何度も往復している姿を店内から商品棚ごしに見ていた。母から預かったリストにあるいくつかのきのみとモーモーミルクを購入して店から出ても帽子のツバを掴んで左右を見渡している。なまえには縁のないものだけれど、彼と似たようないでたちをした旅をしている少年少女をたまに見るのでたぶんこの子も、そう。
連れているヒトカゲまでも困った様子なのが放っておけず、思わず声をかけた。
「きみ、迷ったの?私になにかできますか?」
助け舟に安心して無邪気に笑う少年がキラキラして見えたのは、その明るい瞳のせいだったかもしれない。希望のかたまりのような目。
歩きながら言葉を交わすうちに、名前と年と彼らの旅の目的を知った。これから行く先も。
「この先がもう森だよ」
「ああ、とても助かった。なまえは帰り道大丈夫か?」
「うん、まだ明るいしここから家は近いから。…ダンデくん、行ってらっしゃい」
「行ってくる!ここまでサンキュー!」
近くの森の入り口で別れて、その日はモーモーミルクが温くなってしまわないうちに早々に家に帰った。彼はこれからキャンプだそうだ。
ポケモンも何匹か手持ちにいるとボールをずらりと見せてくれたので夜もきっと賑やかなのだろう。少し、羨ましい。その非日常の毎日が。だからといって自分だけのポケモンを軽い気持ちで欲しがることはしたりしない。旅をしながら命の面倒をみることはとても大変なことだ。彼にも苦労はあるだろう、見えないだけで。
我が家にはポケモンにあまり関わりがない。外を歩けば見かけるのは自然だが、家族はポケモンを持っていない。
なまえが生まれてすぐのころ、ポケジョブで依頼したメスのイエッサンがベビーシッターをしてくれていたらしいが、歩けるようになったくらいには契約が終わっていたし、残されたのは写真だけで記憶にはない。だから、自分だけのポケモンとはどんな感じなのだろうと想像するだけで終わる。
***
「ダンデくん、今日はどこに行くの?」
「なまえじゃないか!」
そうそう広くもない街で器用に毎日道に迷う少年はいつも少女に助けられた。そう遠くもなかった目的地まで送り届けてその日を終える。約束もなしに毎日のように顔を合わせた。
ある日は授業を終えて帰宅途中に家の付近で会った。
「なまえのスクールの制服姿は初めて見たな」
「そういえばそうだね」
「毎日勉強してえらいな」
なまえにとっては、旅に出てジムチャレンジをすることのほうが偉業に思える。
「そんなことないよ。旅は毎日続くだろうけど、私は明日はスクールお休みだし」
「なら明日は俺と一緒に来ないか?何も予定がなかったら、だけど」
急なお誘いに不安がひとつ。
「私、ポケモンバトルできないよ」
「構わないさ。ちょっと見てみたいポケモンがいるんだ。バトルはしないし危ないところには行かないから」
「わかった。じゃあ、着いていくね」
「決まりだぜ!」
横のヒトカゲがしっぽを振るのが愛らしかった。
地元とはいえ、子供だけで森のこんな奥深くまで入るのは初めてかもしれない。スクールの遠足や家族で来たことはあるけれども、いずれも先生や保護者などバトルのできる大人が付き添っていた。
木々の間を何かが走った。
茶色い毛並みに耳の間の膨らんだ頭頂部。いくつも生やした尻尾が揺れている。
ふわふわでかわいい。大きな瞳ー。
もっとよく見ようと足を止めた。
双眼がこちらを捉えた。数秒したらキッ、と愛らしかったそれが鋭く変わった。
ぶわっと全身の肌が粟だつ。
野生のポケモンと目を合わせてはいけない。それは多くは敵意があることの意思表示だから。臨戦状態になるかどうかは個体の性格によるものが大きいが、目が合ってしまったのなら、逸らしてはいけない。ポケモンは襲いかかってくるから。背を向けて走るのは厳禁だ。焦らずゆっくりと後ずさって安全なところまで距離をとること。
そう、スクールの遠足前に先生から説明があった。せっかく思い出したのに、身体が動かない。
かなしばりをかけられた?技を出した様子はなかった。
まるでこおり状態で均衡が保たれている。
「絶対目を逸らすなよ、なまえ!」
状況を見てとったのか、後ろからダンデの声がして、それでようやく口から空気を吸えた。
「ダ、ンデくん…」
なまえが声を出すとロコンは前のめりになって牙を剥き出しにした。
「振り向かずにそのまま、一歩だけ下がってみるんだ」
左足を浮かせて、背後へ引いた。ロコンは動かない。
「よし。その調子だ、もう一歩後ろへ」
指示通りに右左と足を動かす。ロコンとの距離が離れるたびに、ダンデの声が大きくなる。いまにも飛びかかれる体勢だったポケモンは牙を引っ込めて背中をまっすぐにした。警戒こそ解いたが、視線は逸らさない。
背中がとん、と何かにぶつかってびくりと跳ねた。なまえを抱きかかえる手がある。ぶつかったのはダンデの胸だったのだ。肩の力が抜けて目を閉じる。
「ロコン、ここからは俺とヒトカゲが相手だぜ!」
戦闘準備はできている、とばかりにヒトカゲが進み出た。ロコンはしっぽを下げて、逃げ去った。
まだ恐怖に支配されている心臓はどくん、どくんと脈打つ。彼の肩に頭を預けて、呼吸を整える。
「ごめんなさい」
「なまえが怪我をしなくて良かった」
「ダンデくんとヒトカゲのおかげで助かったよ」
見上げると、にっこりとしたダンデに頭を撫でられた。小さい子供にするみたい。
「もう怖がらなくて良いんだぜ」
少し気恥ずかしい。ヒトカゲが胸に飛び込んできて、すりすりと頬を寄せる。緊迫して冷えた体に温もりが戻ってきた。
「今日は帰ろう。なまえの家まで送るよ」
「ううん、まだダンデくんが見たいって言ってたポケモン見てないでしょう。今度はポケモンの目を見てしまわないように気をつけるから」
ダンデくんの背中だけ見ていよう。
「そうか」
それなら、と彼は手を差し出した。自分とそうそう変わらない大きさ。なのに豆がつぶれて固くなった手。
「近くにいてくれれば、どんなポケモンと出会っても俺とヒトカゲで守ってやるぜ」
帽子のツバを持ち上げて笑う。ちゃんと微笑み返したつもりで、阿保みたいに口を開けていなかっただろうか。
木の葉を踏みしめながら歩く。繋がった手から私の気持ちが零れて伝わってしまいやしないかとハラハラした。
木の葉が枝から離れてひらひら翻りながら落ちてゆく。
好き。友達。スキ。トモダチ。言う。言わない。
葉が裏表を変えるたびに言葉が入れ違う。花占いの真似事だ。
私が好きになっても、彼にとっては旅の道すがら知り合ったひとりでしかないのはわかっている。そうでなければ多少触れることに動揺したりためらいをみせるだろう。
葉っぱが地面に接するより歩いて通り過ぎるほうが早く、どの面が上になったやら。
どちらにしろ気持ちを伝える勇気はないのだけれど。
なまえは見かける度に迷子になっているダンデが心配で彼のキャンプ地まで様子を確かめに行くこともあった。それ以上にポケモンと触れ合う彼の明るさに惹かれていた。必要品を買うにもポケモンセンターに行くにも同行し自然の中にいる野生のポケモンたちを茂みから観察したりバトルして捕らえるときにもそばにいた。家に連れて帰り夕飯をともにすることもあったし、お礼にといってポケモンたちとのキャンプでカレーをごちそうしてもらったこともあった。ヒトカゲが進化する様子に立ち会えたときはこっそり感涙した。
ダンデがなまえの住む町に滞在したのは1ヶ月にも満たない期間だったが、少女の恋心を刺激するには十分な時間を共有していた。次の町に出発するという少年を見送りに駅までやってきた少女は、冒険の旅路を思ってわくわくしている少年とは反対に、別れを惜しんで涙ぐんでいた。こんなに離れるのが辛くなるまで心の奥底まで入り込んできた異性は初めてだった。
「泣かないでくれ、なまえ。また会えるさ」
「ダンデくん、特別なお別れの挨拶をして良い…?」
「特別ってなにがあるんだ?見送りにきてくれただけで十分だぜ」
旅はまだ続く。荷物になる物はあげられない。
勇気を出して、伸ばした両腕を少年の首にからめる。ぎゅっと体を密着させてから、少し離れてその褐色の頬に唇を寄せた。太陽の色をした瞳がまんまるとしている。どうかこの人の夢が叶いますように。精一杯できる限りの笑顔を作ってみせる。
「元気で、気をつけてね。チャンピオンになるの、応援してる」
「サンキューだぜ!じゃあな、なまえも元気で」
「うん。バイバイ、ダンデくん。ありがとう」
この気持ちは伝えない。
少年はポケモントレーナーとしてはプロ顔負けとは言えども、恋を知るにはまだ幼い。きっと戸惑わせるだけだろうから。
きっと彼はガラルを導く光になる。
ーそして、旅の途中で出会ったなんでもない私のことなんて忘れてしまう。
***
「あの、ここらへんにきのみを売ってる店ってあるのか?カゴのみを探してるんだけど、見つからないんだぞ」
数年後、彼の面影を受け継ぐ少年に出くわしてひどく驚いた。隣に従えるのは真っ白なウールー。ウールーのたくさんいるハロンの出身だともきいていたことが脳裏によみがえる。
「ああ、お店には決まった種類しかないから…。森にたくさん成ってるからきのみはそっちのほうが種類あるよ」
森のきのみは基本、野生のポケモンたちの食糧となる大事なものだから、生態系を壊してしまわないように人の採取は禁じられている。ただ少量、片手で掴める程度ならお咎めはない。この少年が大量に採って売ることなどしないだろうし。
「えっそうなのか?来た道にはなかったぞ」
「こっちの道だよ。見せてあげる」
「ほんとか?」
お願いするんだぞ、と特徴的な語尾の少年はやはりポケモントレーナーらしかった。
「ほんとにあったんだぞ…!」
きのみを1個2個頂戴して、改めて道案内をしてくれたことの礼を告げる少年。
「あなたもジムチャレンジに参加するのね」
「ああ!アニキのようなチャンピオンになるのが目標なんだぜ!」
「お兄さん…、現ガラルチャンピオン…のこと?」
「そうだぜ!チャンピオンのダンデがオレのアニキ」
「似てると思ったわ。そう…」
昔を懐かしむような、寂しいような、喜ばしいような複雑な顔をするので、ホップは首を傾げた。これまで出会った人の、ダンデの名前を聞いた人間のどの反応とも違う。ダンデをテレビで見るたび「あの子ちゃんと食べてるのかしら」と言う母の表情と似ていた。
「昔、あなたのような男の子に会って冒険して過ごしたことがあるの。ちょっとの間だけだけど、森で一緒に迷ったり、朝になるとテントに迎えにいったり、ヒトカゲがリザードに進化する様子も見守ったこともあったなぁ。すごく楽しくて。いろいろ思い出しちゃった」
「あの…もしかして『なまえ』さんなのか?アニキが世話になった」
パチパチと瞬きする。
「確かに私の名前はなまえだけど…。ダンデくんはホップくんに私の話、したことあるの…?」
「ああ!旅で一番印象に残ってる女の子だって、アニキも一緒にいられて楽しかったって言ってたんだぞ。…ん?オレ、自分の名前教えたか?」
「ダンデくんは私に弟さんのことも教えてくれたの」
「そうなのか!オレたち、会ったこともないのにお互いのこと知ってたんだな。なんか不思議なんだぞ」
「ほんとうだね」
会話が弾んで止まらないので、どうせだから腰を落ち着かせて話そうと、家にまで招いた。ふだんなら知り合うこともないだろう年齢の少年と話し込んでしまった。なまえの淹れてくれたお茶が美味しいと褒め茶菓子も気持ちよく平らげてくれた。
ひとしきりダンデについて盛り上がった後、電車に乗って次の街に向かうと言う少年に駅まで着いてきた。ホップのほうから写真を撮ろうとお願いしてくれて、それに笑顔で応えた。
「気をつけてね。迷わないようにね」
「オレはアニキみたいに方向音痴じゃないんだぞ!でもサンキュー!」
当然ハグもキスもない。血縁でもない関係でこの年齢差でしてしまったらガーディを連れたジュンサーさんがすぐさま駆けつけてしまいそうだ。
***
自分ではポケモン一匹でさえ所有していない。ポケモンバトルのルールも詳しくない。なのに観に来てしまった。ホップの「いままでバトルをジムで見たことがないのか?!もったいないんだぜ!」と後押しされてダメ元で応募したエキシビジョンマッチのチケットが当選するなんてこと、現実であるんだ、と未だに信じられない。チャンピオンが人気なのは知っていたが、なんとなく検索して表示された当選倍率に冷や汗をかいた。
チケットを失くさないよう何度も現実に存在するのを確かめ確かめしながら電車に揺られて到着したシュートシティ。
建物は大きくて、どこか無機質で、ぎゅうぎゅうに敷き詰められている。角を曲がれば似たような建物ばかりで、ダンデでなくても迷子になりそうだった。
街のあちこちにガラルチャンピオンの姿を確認できる。電子掲示板、広告ポスター、お土産品。ラベンダー色をした髪と金色の目も変わらないのに、姿形は髭が様になる男の人になってしまってすっかり他人の顔だ。
田舎に住んでいたし、ろくにテレビも見ないでいるので、こんな大々的に取り上げられているなんて知る由もなかった。あれから10年、優勝者の座を守り続けている。その期間は、なまえとダンデが離れている時間。なまえがダンデのことを忘れられないでいる時間。
なんだか私は思い違いをしていないか。ジムチャレンジを駆け抜けてついには大物になってしまった彼の、子供時代にほんのちょっぴり一緒に過ごしただけで舞い上がって。まるで思い出が幻のように思えてきた。実弟であるホップくんと昔話をしたおかげで身近に感じてしまったが、相手はガラルの頂点にいるお方なのだ。ダンデくん、なんてもう呼べないかも。
開催時間よりもずいぶん前に到着して観光がてら周囲をまわっていたら、ぽつりと足下に不自然な影が落ちる。見上げると、リザードンが空を飛んでいた。
ああ、リザードンといえば。
思い出の少年のパートナーがちらつく。先程街の電子掲示板で見た彼はとっくに成人男性になって、象徴のような髭を整えて、ヒトカゲから育てたリザードンを相棒に無敗を誇っている。
その巨体が風塵を巻き上げながら近くに着地する。視界を邪魔する乱れた髪を抑える。薄めを開けて心がぴんと張り詰めた。ヒビが入ったような衝撃と言いかえても良い。
「おつかれ、リザードン」
相棒が鳴き声を上げて、撫でられるがままに満足そうにしている。その鋭い目がなまえを捉えたかと思うと、のっしのっしと近づいてはごく近距離で立ち止まり、なにやら匂いを嗅ぐ動作をして、小さく鳴きながら頬ずりをしてきた。久しぶり、会いたかったとでも言うような仕草。頬も、薄い色の瞳も温かい。
「わ、え、あのときのヒトカゲ…リザードン?」
そうだ、と嬉しそうにさらに擦り寄る。
「こら、リザードン」
慌てた声で追いかけたチャンピオンはさらに目を見開いた。
「なまえ……だよな」
「うん。ダ…チャンピオン、さん」
不服そうに眉を上げた。
「なんだその呼び方」
「えと、チャンピオン殿のほうが良いでしょうか?」
「どうして昔みたいに話してくれないんだ。せっかく会えたのにチャンピオンだの殿だのは嫌だぜ」
「名前を呼んで良いの?」
その場に誰もいないのに、誰かに叱られるのではないかと恐れて肩をすくめる。
「当たり前だろう」
質問自体の意味がわからない。
「小さい頃遊んでくれた、あのダンデくんだよね?」
「ずっと連絡をしなかったのは悪かった。けど俺はなまえを忘れたことはない。特別な別れの挨拶をしてくれるほどには、俺はキミにとって近しい存在なんだと思ってたぜ」
「私も、ずっと覚えてたよ」
「じゃあ特別な再会の挨拶をしよう」
返事をする間も与えず、たくましい腕が背中に回る。あたたかく、力強いのに苦しくはない。屈むようにして触れた紫の跳ねた髪が鼻をくすぐり、耳元でリップ音がした。
「会えて嬉しいぜ、なまえ」
頬どころか耳も首も真っ赤にして、声が出せない。筋肉でできた胸板とか、盛り上がった腕だとか、すっかり見上げないといけなくなった身長も、話し方はそのままなのに声に深みが出て大人になってしまったダンデに動揺するしかできなかった。人を惹きつける魅力は昔から備えていたけれど、惑わすような雰囲気さえ滲み出ているような成長を遂げている。
ずっとずっと、彼はこのお返しをする時を待ち侘びていたのだ。
「いつか会いに行こう行こうと思ってたんだが…結果的に会えずじまいで…すまない」
実は何度か彼女を訪れようとしたが、情けないことに生来の方向音痴を発揮してしまい、彼女の住む街までたどり着けなかった。なまえと知り合うきっかけになった方向音痴はまた、彼女と再会することを阻む障害でもあった。
「ううん。私こそ、ダンデくんがチャンピオンになったのはニュースで知ってたんだから、シュートシティに来れば遠目から姿を見るぐらいはできたかもしれないのに、いままで来なくてごめんなさい」
「こうやって会えたんだから、構わないさ。それで、なまえはどうしてシュートシティに?」
「ダンデとリザードンのバトルを観に来たの。スタジアムに来るのも初めてだわ」
「そうか。来てくれてサンキュー。楽しんでってくれよな」
「応援してるね」
「ところでなまえは今もポケモンを持っていないのかい?」
「ないよ」
「それなら頼みがあるんだが」
頼み?と復唱すると、ダンデはひとつポケモンボールを取り出した。黒字に金の線がくるりと入っている。なまえは名称は知らないが、それが一般の赤と白のものではなく、別格なのが見た目でわかった。
ボールから現れたのは野生味の溢れる緑を頭から被ったポケモン。
「やぁゴリランダー」
ダンデが撫でると一際嬉しそうにして、それだけでどれだけ彼がこのポケモンに愛情を注いでいるか一目瞭然だ。初対面のなまえにも愛想良くしてくれる。軽くお互いを紹介してくれた後、ダンデは頼みごとを口にした。
「コイツにちょっと外の空気を吸わせてやってくれないか。今日は外に出してやる時間がなくてな。バトルが終わったら迎えに行くから」
「預かって良いの?私がお世話できるかな」
「一緒にいてくれるだけで良いさ」
「うん。あと他に気をつけることは?」
「特にないぜ!なまえなら安心して任せられる。ゴリランダー、良い子にしてくれよ」
「何かしたいことあったら教えてね、よろしくゴリランダー」
ポケモンにまで丁寧に接する彼女にフッと笑った。
「ゴリランダー、なまえを頼んだぜ」
私が面倒をみる側では?と疑問を持った横で、ポケモンは任せろとばかりに控えめに咆哮した。
準備があるからと去るダンデに頑張って、とだけ伝えた。
ダンデば外の空気を吸わせてやりたい、と言っていたし、元から散策しようと思っていたのでゴリランダーを連れてのんびり緑を楽しむ。整えられた木々、計算して配置された花々のプランター。地元とは全く違う、これがシュートシティ。
「お姉さん、強そうなゴリランダー連れてるね。バトルしようよ」
とかなんとか仕掛けられそうになったが、頭を下げてこの子は私のポケモンではなく、友人から預かった大切な子なのでごめんなさいと謝ることが数度。ポケモンを連れ歩いたことがなかったなまえは、ポケモンバトルがこんなに気軽に行われるのだと驚嘆していた。
実を言うとゴリランダーはなかなかバトルに乗り気だったが、どんなわざをどのタイミングで使えば良いのか、そもそも技名すら詳しくないなまえには挑戦を受けることなんてとんでもないことだった。ヒトカゲが使っていた技、なんだったっけ…この子も使えるのかな?確かタイプによって使える技は違うんだっけ。おぼろげながらわかっているのはその程度の知識。
「普段ダンデくんとはどうやって過ごしてるの?」
腹筋、チェストプレス、それからダンベルを持ち上げるようなフィットネスの動作をする。
「筋トレ?なるほどね、ダンデくんの腕も胸も…」
すごかった。最後まで言えず、抱きしめられた感触が蘇って体が熱くなる。少年のころは華奢なくらいだったのに。
急に赤くなったなまえを心配するようにゴリランダーが弱々しくうめく。
「大丈夫よ。そろそろスタジアムに行こうか」
入場口にはもう列ができている。
人混みに押されて流されそうになるのを、ゴリランダーが留めて支えてくれた。都会って怖いなぁ。わざとぶつかっているつもりはないのに、これだけの人との距離が近くて肩幅をいくら狭くしても周囲から迫ってくる。広い田舎道では人とすれ違うのも十分距離を取れたから避けなきゃいけないなんて考えたこともなかった。
リザードンポーズから始まった試合を、チャンピオンタイムと彼は呼ばわっていた。
初手から怒涛の攻撃、攻撃、攻撃。対戦相手も一歩も引かないまま押しも押されもされずダイマックスまでもつれ込んでの戦況。
それでもやはり決着がついた。ずいぶん経ったいまも熱気が冷めやらない。
試合後の恒例インタビューに答えながら、ダンデは観客席を探る。人が捌けていって空席が目立つ。のろのろとしかし確実に出て行く人たち。その中に、ゴリランダーを連れたなまえの姿は見当たらなかった。
あの時俺は子供だったから、なまえの好意に気づくのが遅くなってしまった。
修行の旅でいろんな人に出会った。同い年の男にも年上の女性ともバトルを重ねながら強くなった。忘れられないバトル、特徴的なポケモン、印象深い人々。その中でポケモンバトルもしていないなまえが心にこびりついていて。なんでもないときにふっと思い出してしまうのだ。忘れたと思えば彼女の優しい声で呼ばれる自分の名を懐かしく感じた。ダンデがまだきのみを上手に使えなかった、やっと作り慣れてき始めたばかりのカレーを美味しいと言ってくれた。野生のポケモンを観察するために森の茂みで身を寄せ合い隠れた。なまえの髪が自分の耳をくすぐっていた。少し顔を動かせば、その桃色の肌に鼻先で触れることだってできた。
どれだけ親切な人でも心を許した人でも『特別なお別れの挨拶』は彼女にしかされていない。
あの頃から灯った心の炎は、大きくなるばかり。
再会できたいま、なにがなんでも逃したくない。物別れになることだけは避けたかった。だから己のポケモンを一体、鎖とばかりに付けたのだ。
ローズタワーの裏口から出てすぐ、外のベンチに座ってゴリランダーに寄りかかっている彼女を見つけた。おかげで探し回ることはなかった。
「なまえ、すまない遅くなった」
先にゴリランダーが気づき駆け寄ってくる。
なまえはぼんやりと座ったまま、ダンデに手を振る。
「お疲れさま。すごいバトルだったね」
ふらりと後ろにもたれるなまえの隣に今度はダンデが腰掛ける。
「どうしたんだ?人混みに酔ったのか」
「ううん、違うの。なんだかのぼせちゃった」
周囲の観客の盛り上がり。声援。熱気。リザードンの技で文字通り熱された空気が観客席まで届こうとしたが、バリアで守られていた。
それから大画面に映る、ダンデの燃え上がった瞳。魂までも揺さぶられる感覚がいまだ残る。
「大丈夫か?気分が悪いなら言ってくれ」
「気分は最高だよ。楽しかった。ルールもぜんぜんわからないけど、ポケモンバトルって面白いんだねぇ」
最高潮のバトルができたと自覚はあったが、彼女にこんな影響を及ぼしているとは。
「立てるかい?中で話がしたい」
「中?」
「俺の控室なら人払いができる」
ダンデがローズタワーにパスコードを入力したら裏口の扉が開いた。こちらだ、と迷いのない足取りで彼が指定の部屋へ通い慣れていることが伺える。「早くこちらに」外の一般人に見つかってはいけないから、とダンデはなまえの手を引いた。森の中でも彼は手を繋いでくれた。あの時にはここまで硬く厚い手ではなかったけれども、この角度、背中が懐かしい。
チャンピオン控室と書かれた表札の扉を開けて、なまえはソファへ案内された。ダンデは紅茶を淹れてから向かいへ座る。ティーカップを受け取り、部屋の広さに寂しくなった。きっと大柄なあの子がのびのびと過ごせるようにと用意された部屋。
「リザードンの怪我は?」
「他のポケモンたちと一緒にいまジョーイさんに診てもらっている」
ポケモンセンターから出張してきてもらっているんだ、とダンデは言った。そっか、ゆっくり休んでくれてるかなぁと納得しつつも、あの子たちとダンデがくれた感動をすぐに伝えられないのはもどかしい。
「帰ってきたらいっぱい褒めてあげてね」
「もちろんだぜ」
「あ、あとゴリランダーもありがとう。あの子がいなかったら、あの人混みの中でちゃんと席に辿り着けたかわからなかったよ」
「ああ。それは良かった」
よくやってくれた、とゴリランダーを労いボールに戻した。なまえは目を伏せてティーカップを口に当てている。
「そういえばね、私の街でホップくんに会ったの」
「そうなのか!」
声を上げたものの、弟の名前を聞いて喜んでいるようだ。
「きいてなかった?」
「アイツもジムチャレンジに集中したいだろうからな。ここでバトルできる日まで連絡は控えている」
男の子の兄弟ってそんなものなのかな。
「そっか。私も連絡先もらったけど、そういえば写真やりとりしたっきりだなぁ」
困ったことがあったら教えて、なんてお姉さんぶってはみたものの、こちらからメッセージすることなどないし。
アニキとも知り合いだし出会った記念に、と並んで撮ってくれた写真をその場で共有してくれた。
「写真?」
「そう、ホップくんが撮ってくれたの」
スマホの画面に映すと、ダンデが覗き込む。ウールーを真ん中に挟んだホップとなまえ。打ち解けた様子で、無邪気にしている。
「あいつも元気で頑張ってるんなら嬉しいぜ」
「やっぱりジムチャレンジは簡単じゃないけど、努力してるみたいだったよ」
そうか、と初めて見せる兄の表情をして、目元がなごんでいる。
「ではロトム、カメラを起動してくれ」
返事をしたスマホロトムはくるくると回転してカメラを向ける。なまえの隣にやってきたダンデを追いかけて角度を変えた。
「ダンデくん?」
「ホップとも撮ったのなら俺とも撮ってくれたって良いだろう」
肩を抱いて頬を寄せる。バトルの後でシャワーでも浴びたのか、石鹸の香りが強かった。対戦相手はすなあらしも使っていたしそのせいだろう。
飛び出してきそうな胸を抑えてロトムのカウントダウンに笑わなければと慌てた。
「サンキュー!写真を送るぜ」
渡されたロトムスマホに素直に連絡先を打ち込む。視界の隅でロトムがにーっこりとしたような、していないような。
それから会えなかった時間を埋めるように質問して答えていたら時計の針はくるくる周ってしまっていた。こんな時間かぁ、と呟いたなまえに引き止めてすまなかった、と謝る。
ダンデは立ち上がり、なまえの手をとって引っ張った。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ、声をかけてくれてありがとう。…っていうのはリザードンに、かな。こうして会って話ができるとは思ってなかったし、素晴らしいバトルが見れたわ」
じゃあ帰ろう、との言葉を予想していたのに、どうもダンデの表情は食い違う。
「これだけは言っておきたいんだが」
うん、とその先を待つ。
「なまえ、俺はキミが好きだ」
「あ、え…?…ええ?!」
なまえの両手を包むダンデの手に力がこもる。
「友人としてじゃない、ひとりの女性としてだぜ。昔の思い出を美化しているのかと自分でも疑ってたが、今日会ってもやっぱり好きだった。だから恋人になってほしい」
「私が…?ダンデくんの恋人…?」
「嫌ならそう言ってくれ」
「嫌じゃない!…わ、私は初めて会ったときから、ダンデくんが好きだった…から」
「本当か?」
こっくりと首を縦に振る。
こんなポケモンバトルの控室で不謹慎なのではないか、と居心地が悪くなる。
「それじゃあ、遅くならないうちに帰らなきゃ」
「ああ」
「あのね、それからやっぱり違った、って思ったら早めに教えてね。あっでも一週間は待って、明日とかやめて」
「そんなこと言わないさ」
それからダンデはアーマーガアタクシーを呼び、運転手にくれぐれも頼むと念押ししていた。
「家に着いたら連絡をしてくれ」
「うん、ダンデくんも家まで気をつけてね」
「ああ。…今日はもうお別れだな」
扉を開けて座らせられたかと思うと、ぎゅっと抱きしめて、それから唇に触れるだけのキス。
運転手はすでにアーマーガアの上に乗っているので、誰にも見られてはいないが。
「ダンデくん…?!」
「なんだ?恋人として、『特別じゃない』お別れの挨拶だぜ」
そう囁いて目を細め、扉を静かに閉めた。
出発します、と運転手の声が聞こえて窓の外を見る。彼は手を振っている。口元を抑えながら振り返す。浮遊感とともに小さくなる姿。はためくマント。
次会えるのはいつかな。
***
教えてもらった住所には大きなマンションが建っていた。正面の横にパネルがあり、とある番号を入力すると呼び出し音が響いた。はい、と機械越しの声に「あの、なまえです」とだけ答えると「ああ、中に入ったらホールで待っててくれ」と通話が切れた。ほぼ同時にカチリと施錠の解ける音がしてドアを開けて入った。中にはコンシェルジュが在中しておりカウンターの向こうでにこやかに頭を下げた。エレベーターが降りてきたかと思うと、ダンデがそこから手招きをする。乗り込むと電子キーをかざして階のボタンを押した。
「わざわざ来てもらってすまない」
「ううん、お外だとダンデくん迷っちゃうだろうし、人に見つかったら大変でしょう?たまのお休みならお家でゆっくりして欲しかったから」
どんなお家に住んでるのか知りたかったし。
「普通ならデートは外に行くんだろうが…」
渋い顔で恋人としての至らなさを悔いているので、首を振る。シュートシティの最先端のカフェやブティックも気にならないわけではなかったが、今は何より彼と過ごす時間があれば幸せなのだ。
「それはまた今度にしよう」
一人暮らし(正確に言えば何匹ものポケモンとの共同生活なわけだが)の男の家に行くなど初めての経験ではあったが、相手はあのダンデ、子供の時分にひとつのテントで夜を明かした仲ではあるし何より現在は恋人である。多少なり緊張はあれど、デートを楽しみにしてきた。
「わぁ…きれい。広い」
玄関を開けての感想がそれだった。なまえの実家よりかは小さいが、都会でこの広さ、部屋数と考えると下世話ながら家賃を思って眩暈がする。
「なまえの家よりかは狭いだろう」
「私は家族と住んでいるもの」
部屋も好きに見ていいぜ、とお許しが出たが歩き回るのは遠慮する。居間に大人しく座ると外の景色に目が行った。
「バルコニーでキャンプできそう!」
「ああ、テントを張れるくらいはあるぜ。今そこに干してるやつだ」
部屋のバルコニーにテントが張られているのはちぐはぐに見えるだろうと、手入れや部品の点検を兼ねて出すこともあるんだと口頭で説明しながら、ダンデはキッチンでお茶を用意していた。
「いまでも森でキャンプしてるの?」
「昔みたいに頻繁にはできないが、まとまった休みがあればな」
少し寂しそうな響きが残る。ポケモンが大好きで、バトル三昧の毎日も本望なのだろうが、ポケモンが大好きだからこそ外に出て新しいポケモンに出会う生活もしたいだろう。
「リザードンは今日はいないの?」
「ポケモンボールに入ってもらってるぜ。会いたいか?」
「会いたいな」
なまえの要望に応えるように、棚に几帳面に置かれたボールの一つがカタカタと揺れてひとりでに口を開けた。
ばぎゅあ、と目を細めるリザードンにこんにちは、と手を上げる。
大型ポケモンがのびのび過ごせる余裕のある部屋。邪魔になりそうな家具や小物は排除されていて、彼の生活は良くも悪くもポケモン中心なことが窺える。
「リザードンもキミに会いたがってたぜ」
「ほんとう?私も会いたかったよ。この前のバトルかっこよかったね」
皮切りに褒めちぎるとリザードンも満更ではない様子で鼻をふかしていた。
ダンデがポケモンたちをボールから放ちだして、彼らは真っ先にテントの張ってあるバルコニーに駆けて行った。ダンデは少し気まずそうに、あまり遊びに連れだせなくて悪いな、と謝っていた。
今日はバルコニーに出て気分だけでもお外でキャンプだ。
ポケモンボールを模したボールでキャッチボールをして遊んだり、ポケモンじゃらしを振って戯れる。
ダンデの教育が行き届いたポケモンたちは、例え遊びに夢中になっても力加減を調節してくれるし、間違ってもなまえに飛び掛かってきたりしない。
ひとしきり満足したのかちらほらお昼寝を始める子たちもでてきて、じゃらしを振る手も休憩した。
「テント、見せてもらっても良い?」
「なまえには珍しいか。乾燥も終わった頃だな。良いぜ、入ってみても」
寝ることだけを目的としたテントは狭く、中で立ち上がることはできない。腰を屈めて入るしかなかった。
奥に詰めて座ると、それだけで身動きは難しくなる。続いてダンデが手を下について入ってくると圧迫感が増した。体全部を入れるために、筋肉をまとった腕がなまえの腰を通り過ぎほとんど抱きしめる形になった。心臓の音が彼に届いてしまいそう。
確か、かつて二人が並んで寝たテントはこれとそう変わらないサイズのはず。歳月はこんなにもふたりを変えてしまった。
「はは、さすがに狭いな」
そうだね、と同意しかけた口にダンデのそれが重なる。身を固くすると頬をほぐすように撫でられた。
「俺はこの距離も嫌じゃないが。二人用のテントを買ったら、一緒にキャンプに行ってくれるかい?」
沈黙の後になまえ?と返事を催促されて軽く睨む。
「だって、今、キス…」
質問も聞こえず答えるどころではない。何もなかったかのように話をされたらたまらない。
「キスしちゃダメなのか?」
子供のような瞳で問われると、逆に何が悪いのかわからなくなってくる。付き合ってるのだから、キスくらいするだろう。いやでも。
「急にされるとびっくりするから」
「じゃあ慣れるためにたくさんしよう」
反論する前にもうキスは始まってしまって、ダンデの唇が何度もなまえを襲う。小さく短い口づけが回数を重ねるにつれ長くじっとりと味わうものになっていく。待って、と言おうとして開いた唇にするりと入ってきた柔らかく温かい舌。
「んぅっ?!」
悲鳴さえ飲み込むように奥まで侵入してくるダンデ。なまえの匂いに包まれながら、貪るように唇を食む。
もっとだ、もっと欲しい。会えなかった10年分を埋め合わせたい。
会話が消えた二人を心配してか、切ないポケモンの鳴き声が空気に割り込んだ。酔った理性を取り戻す。
怯えた瞳が目の前にあった。
「…悪い。調子に乗り過ぎた」
テントにそわそわ動くリザードンの影が被っている。
「リザードン、もうテントから出るから心配しないでくれ」
惜しむようになまえの髪を撫でてテントを這い出る。リザードンと並んで待つが、彼女が出てくる様子がない。確実にダンデの獰猛な行動が原因だ。
「なまえ、俺が悪かった。出てきてくれないか」
テント内の気配は微動だにしない。怒らせただろうか。怒った女性への対処とは如何に。謝り通すしかない。
「キミの意志を無視したことは反省している」
愛しい人が触れられる距離にいるとなれば同意をとることなど念頭にもなかった。
もう一度謝罪した。
「この状況下で卑怯だったよな、」
「ダンデくん、が、怖い…」
ぽつりと呟いたのがかろうじて聞こえた。
「怖がらせてごめん。キスもハグも我慢するから、お願いだからテントから出てきてくれ」
ポケモン相手ならきちんと距離を測るし扱いを心得ているのに、なまえという好きな人間の女性となると舞い上がってしまって情けないまでに暴走してしまう。
リザードンも彼らに何が起こったのやら詳しくはわからないまでもダンデがなまえに良くないことをしたのだと悟り、強めに小突く。
「イテッ…爪が痛いぜ、リザードン…。なまえはもっと嫌な思いをしたんだろって…そうかもな。イダダ、」
「ダンデくん、大丈夫?」
怪我をしたのかと慌てて出てくると、大したことはなさそうで、幼い表情をしたダンデがリザードンにぐりぐりと前足を上から押しつけられていた。
「リザードンにも呆れられてしまったぜ…」
まるでトレーナーとポケモンの立場が逆転しているのがおかしくて笑ってしまった。ポケモンバトルではあんなに向かうところ敵なしで凛々しく戦っているのに。
「嫌な思いをさせて申し訳ない…」
もうちょっと雰囲気を作って場所も配慮して欲しかったけれど、嫌かときかれれば否定する。
「その、キスは…、嫌じゃなかったよ…でも」
ダンデはほっとして柔らかく微笑む。
「もっとゆっくり、進んでいきたいって思うのは…ダメ、かな?」
「いいや。これからはなまえのペースに合わせるよう努める」
***
「ーーーというのが初デートだったんだが」
「オレさまなんて惚気聞かされてんの?苦痛なんだけど」
特にまとまりも落ちどころすらない付き合いたてのカップルがイチャつく話など最早拷問。成人した男性からキスをしただの報告されるなんて思いもしなかった。勝手によろしくやっといてくれ。加えてシチュエーションにロマンもへったくれもねぇ。
ご愁傷様なまえちゃん、としか言いようがない。
「もっと簡潔に説明できるだろ。付き合ってから初キスがそれって残念だったな」
「いや、初キスはアーマーガ」
「それ以上聞かせるんじゃねぇ」
「なまえがどういう人物か教えておく必要があるだろう」
どうでも良いからすっとばせ、と首を振った。また長くなる気がする。
「じゃあ本題だぜ。とりあえず次のデートはポケモンキャンプしようということになったんだが、一般的にデートとはどうするのが正解だったんだ?今度はなまえを喜ばせたいんだが」
じゃあ今までの詳しい話する意味とくになくねぇ?というのを飲み込んで、
「いやなまえちゃんの意見は聞いたのか?彼女が行きたいこととかやりたいことすりゃ良いだろ」
目から鱗だ、とばかりに関心する。
「そうだな、なまえもキャンプをすごく楽しみにしていると言ってくれたし他に浮かばなかったぜ」
ローズ委員長に後援されて仕事上でのレディの扱いは完璧といえるのに、プライベートじゃてんでダメだな。こいつら長続きしねぇんじゃねぇの。キバナはそんな予感を抱えた。
子供の時もキャンプしてたって言うし、それは問題ないけど大人になってからも同じ遊びの誘い方って10年前と精神年齢変わってないってことだろ。
「そういうとこだろ…お前の悪い癖」
「どういうところだ?」
「強引すぎる。あとポケモンから離れろ」
「いや、しかしポケモンなしの生活だなんて」
「なまえちゃんといるときは彼女を優先しろって言ってんだ。病気でもない限りは彼女を第一に考えろ」
「それはもちろん今も考えているさ」
なまえの微笑みなまえの優しさなまえの可愛らしさなまえの匂いなまえの柔らかさ。
「煩悩だらけじゃねぇか。花束持って謝ってこいよ」
「花束だな、必ず用意しよう。良い案をサンキューだぜ」
皮肉が通じていない。
***
終わります。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
このお話はR15となっております。
ごく軽度の性描写がありますので、中学生以下の方は閲覧しないでください。
***
街のはずれにある家はやたら広くて古い。いってきます、と言って大げさに音を立てる扉が閉まったのを確認してから離れた。
横の草むらは風もないのにガサガサ揺れる。野生のポケモンがいるから安易に入り込んではいけない、と教え込まれている。
牧歌的といえば聞こえが良いが要は自然しかない。
母のおつかいで外に出ていたなまえは、とある少年がその店の前を何度も往復している姿を店内から商品棚ごしに見ていた。母から預かったリストにあるいくつかのきのみとモーモーミルクを購入して店から出ても帽子のツバを掴んで左右を見渡している。なまえには縁のないものだけれど、彼と似たようないでたちをした旅をしている少年少女をたまに見るのでたぶんこの子も、そう。
連れているヒトカゲまでも困った様子なのが放っておけず、思わず声をかけた。
「きみ、迷ったの?私になにかできますか?」
助け舟に安心して無邪気に笑う少年がキラキラして見えたのは、その明るい瞳のせいだったかもしれない。希望のかたまりのような目。
歩きながら言葉を交わすうちに、名前と年と彼らの旅の目的を知った。これから行く先も。
「この先がもう森だよ」
「ああ、とても助かった。なまえは帰り道大丈夫か?」
「うん、まだ明るいしここから家は近いから。…ダンデくん、行ってらっしゃい」
「行ってくる!ここまでサンキュー!」
近くの森の入り口で別れて、その日はモーモーミルクが温くなってしまわないうちに早々に家に帰った。彼はこれからキャンプだそうだ。
ポケモンも何匹か手持ちにいるとボールをずらりと見せてくれたので夜もきっと賑やかなのだろう。少し、羨ましい。その非日常の毎日が。だからといって自分だけのポケモンを軽い気持ちで欲しがることはしたりしない。旅をしながら命の面倒をみることはとても大変なことだ。彼にも苦労はあるだろう、見えないだけで。
我が家にはポケモンにあまり関わりがない。外を歩けば見かけるのは自然だが、家族はポケモンを持っていない。
なまえが生まれてすぐのころ、ポケジョブで依頼したメスのイエッサンがベビーシッターをしてくれていたらしいが、歩けるようになったくらいには契約が終わっていたし、残されたのは写真だけで記憶にはない。だから、自分だけのポケモンとはどんな感じなのだろうと想像するだけで終わる。
***
「ダンデくん、今日はどこに行くの?」
「なまえじゃないか!」
そうそう広くもない街で器用に毎日道に迷う少年はいつも少女に助けられた。そう遠くもなかった目的地まで送り届けてその日を終える。約束もなしに毎日のように顔を合わせた。
ある日は授業を終えて帰宅途中に家の付近で会った。
「なまえのスクールの制服姿は初めて見たな」
「そういえばそうだね」
「毎日勉強してえらいな」
なまえにとっては、旅に出てジムチャレンジをすることのほうが偉業に思える。
「そんなことないよ。旅は毎日続くだろうけど、私は明日はスクールお休みだし」
「なら明日は俺と一緒に来ないか?何も予定がなかったら、だけど」
急なお誘いに不安がひとつ。
「私、ポケモンバトルできないよ」
「構わないさ。ちょっと見てみたいポケモンがいるんだ。バトルはしないし危ないところには行かないから」
「わかった。じゃあ、着いていくね」
「決まりだぜ!」
横のヒトカゲがしっぽを振るのが愛らしかった。
地元とはいえ、子供だけで森のこんな奥深くまで入るのは初めてかもしれない。スクールの遠足や家族で来たことはあるけれども、いずれも先生や保護者などバトルのできる大人が付き添っていた。
木々の間を何かが走った。
茶色い毛並みに耳の間の膨らんだ頭頂部。いくつも生やした尻尾が揺れている。
ふわふわでかわいい。大きな瞳ー。
もっとよく見ようと足を止めた。
双眼がこちらを捉えた。数秒したらキッ、と愛らしかったそれが鋭く変わった。
ぶわっと全身の肌が粟だつ。
野生のポケモンと目を合わせてはいけない。それは多くは敵意があることの意思表示だから。臨戦状態になるかどうかは個体の性格によるものが大きいが、目が合ってしまったのなら、逸らしてはいけない。ポケモンは襲いかかってくるから。背を向けて走るのは厳禁だ。焦らずゆっくりと後ずさって安全なところまで距離をとること。
そう、スクールの遠足前に先生から説明があった。せっかく思い出したのに、身体が動かない。
かなしばりをかけられた?技を出した様子はなかった。
まるでこおり状態で均衡が保たれている。
「絶対目を逸らすなよ、なまえ!」
状況を見てとったのか、後ろからダンデの声がして、それでようやく口から空気を吸えた。
「ダ、ンデくん…」
なまえが声を出すとロコンは前のめりになって牙を剥き出しにした。
「振り向かずにそのまま、一歩だけ下がってみるんだ」
左足を浮かせて、背後へ引いた。ロコンは動かない。
「よし。その調子だ、もう一歩後ろへ」
指示通りに右左と足を動かす。ロコンとの距離が離れるたびに、ダンデの声が大きくなる。いまにも飛びかかれる体勢だったポケモンは牙を引っ込めて背中をまっすぐにした。警戒こそ解いたが、視線は逸らさない。
背中がとん、と何かにぶつかってびくりと跳ねた。なまえを抱きかかえる手がある。ぶつかったのはダンデの胸だったのだ。肩の力が抜けて目を閉じる。
「ロコン、ここからは俺とヒトカゲが相手だぜ!」
戦闘準備はできている、とばかりにヒトカゲが進み出た。ロコンはしっぽを下げて、逃げ去った。
まだ恐怖に支配されている心臓はどくん、どくんと脈打つ。彼の肩に頭を預けて、呼吸を整える。
「ごめんなさい」
「なまえが怪我をしなくて良かった」
「ダンデくんとヒトカゲのおかげで助かったよ」
見上げると、にっこりとしたダンデに頭を撫でられた。小さい子供にするみたい。
「もう怖がらなくて良いんだぜ」
少し気恥ずかしい。ヒトカゲが胸に飛び込んできて、すりすりと頬を寄せる。緊迫して冷えた体に温もりが戻ってきた。
「今日は帰ろう。なまえの家まで送るよ」
「ううん、まだダンデくんが見たいって言ってたポケモン見てないでしょう。今度はポケモンの目を見てしまわないように気をつけるから」
ダンデくんの背中だけ見ていよう。
「そうか」
それなら、と彼は手を差し出した。自分とそうそう変わらない大きさ。なのに豆がつぶれて固くなった手。
「近くにいてくれれば、どんなポケモンと出会っても俺とヒトカゲで守ってやるぜ」
帽子のツバを持ち上げて笑う。ちゃんと微笑み返したつもりで、阿保みたいに口を開けていなかっただろうか。
木の葉を踏みしめながら歩く。繋がった手から私の気持ちが零れて伝わってしまいやしないかとハラハラした。
木の葉が枝から離れてひらひら翻りながら落ちてゆく。
好き。友達。スキ。トモダチ。言う。言わない。
葉が裏表を変えるたびに言葉が入れ違う。花占いの真似事だ。
私が好きになっても、彼にとっては旅の道すがら知り合ったひとりでしかないのはわかっている。そうでなければ多少触れることに動揺したりためらいをみせるだろう。
葉っぱが地面に接するより歩いて通り過ぎるほうが早く、どの面が上になったやら。
どちらにしろ気持ちを伝える勇気はないのだけれど。
なまえは見かける度に迷子になっているダンデが心配で彼のキャンプ地まで様子を確かめに行くこともあった。それ以上にポケモンと触れ合う彼の明るさに惹かれていた。必要品を買うにもポケモンセンターに行くにも同行し自然の中にいる野生のポケモンたちを茂みから観察したりバトルして捕らえるときにもそばにいた。家に連れて帰り夕飯をともにすることもあったし、お礼にといってポケモンたちとのキャンプでカレーをごちそうしてもらったこともあった。ヒトカゲが進化する様子に立ち会えたときはこっそり感涙した。
ダンデがなまえの住む町に滞在したのは1ヶ月にも満たない期間だったが、少女の恋心を刺激するには十分な時間を共有していた。次の町に出発するという少年を見送りに駅までやってきた少女は、冒険の旅路を思ってわくわくしている少年とは反対に、別れを惜しんで涙ぐんでいた。こんなに離れるのが辛くなるまで心の奥底まで入り込んできた異性は初めてだった。
「泣かないでくれ、なまえ。また会えるさ」
「ダンデくん、特別なお別れの挨拶をして良い…?」
「特別ってなにがあるんだ?見送りにきてくれただけで十分だぜ」
旅はまだ続く。荷物になる物はあげられない。
勇気を出して、伸ばした両腕を少年の首にからめる。ぎゅっと体を密着させてから、少し離れてその褐色の頬に唇を寄せた。太陽の色をした瞳がまんまるとしている。どうかこの人の夢が叶いますように。精一杯できる限りの笑顔を作ってみせる。
「元気で、気をつけてね。チャンピオンになるの、応援してる」
「サンキューだぜ!じゃあな、なまえも元気で」
「うん。バイバイ、ダンデくん。ありがとう」
この気持ちは伝えない。
少年はポケモントレーナーとしてはプロ顔負けとは言えども、恋を知るにはまだ幼い。きっと戸惑わせるだけだろうから。
きっと彼はガラルを導く光になる。
ーそして、旅の途中で出会ったなんでもない私のことなんて忘れてしまう。
***
「あの、ここらへんにきのみを売ってる店ってあるのか?カゴのみを探してるんだけど、見つからないんだぞ」
数年後、彼の面影を受け継ぐ少年に出くわしてひどく驚いた。隣に従えるのは真っ白なウールー。ウールーのたくさんいるハロンの出身だともきいていたことが脳裏によみがえる。
「ああ、お店には決まった種類しかないから…。森にたくさん成ってるからきのみはそっちのほうが種類あるよ」
森のきのみは基本、野生のポケモンたちの食糧となる大事なものだから、生態系を壊してしまわないように人の採取は禁じられている。ただ少量、片手で掴める程度ならお咎めはない。この少年が大量に採って売ることなどしないだろうし。
「えっそうなのか?来た道にはなかったぞ」
「こっちの道だよ。見せてあげる」
「ほんとか?」
お願いするんだぞ、と特徴的な語尾の少年はやはりポケモントレーナーらしかった。
「ほんとにあったんだぞ…!」
きのみを1個2個頂戴して、改めて道案内をしてくれたことの礼を告げる少年。
「あなたもジムチャレンジに参加するのね」
「ああ!アニキのようなチャンピオンになるのが目標なんだぜ!」
「お兄さん…、現ガラルチャンピオン…のこと?」
「そうだぜ!チャンピオンのダンデがオレのアニキ」
「似てると思ったわ。そう…」
昔を懐かしむような、寂しいような、喜ばしいような複雑な顔をするので、ホップは首を傾げた。これまで出会った人の、ダンデの名前を聞いた人間のどの反応とも違う。ダンデをテレビで見るたび「あの子ちゃんと食べてるのかしら」と言う母の表情と似ていた。
「昔、あなたのような男の子に会って冒険して過ごしたことがあるの。ちょっとの間だけだけど、森で一緒に迷ったり、朝になるとテントに迎えにいったり、ヒトカゲがリザードに進化する様子も見守ったこともあったなぁ。すごく楽しくて。いろいろ思い出しちゃった」
「あの…もしかして『なまえ』さんなのか?アニキが世話になった」
パチパチと瞬きする。
「確かに私の名前はなまえだけど…。ダンデくんはホップくんに私の話、したことあるの…?」
「ああ!旅で一番印象に残ってる女の子だって、アニキも一緒にいられて楽しかったって言ってたんだぞ。…ん?オレ、自分の名前教えたか?」
「ダンデくんは私に弟さんのことも教えてくれたの」
「そうなのか!オレたち、会ったこともないのにお互いのこと知ってたんだな。なんか不思議なんだぞ」
「ほんとうだね」
会話が弾んで止まらないので、どうせだから腰を落ち着かせて話そうと、家にまで招いた。ふだんなら知り合うこともないだろう年齢の少年と話し込んでしまった。なまえの淹れてくれたお茶が美味しいと褒め茶菓子も気持ちよく平らげてくれた。
ひとしきりダンデについて盛り上がった後、電車に乗って次の街に向かうと言う少年に駅まで着いてきた。ホップのほうから写真を撮ろうとお願いしてくれて、それに笑顔で応えた。
「気をつけてね。迷わないようにね」
「オレはアニキみたいに方向音痴じゃないんだぞ!でもサンキュー!」
当然ハグもキスもない。血縁でもない関係でこの年齢差でしてしまったらガーディを連れたジュンサーさんがすぐさま駆けつけてしまいそうだ。
***
自分ではポケモン一匹でさえ所有していない。ポケモンバトルのルールも詳しくない。なのに観に来てしまった。ホップの「いままでバトルをジムで見たことがないのか?!もったいないんだぜ!」と後押しされてダメ元で応募したエキシビジョンマッチのチケットが当選するなんてこと、現実であるんだ、と未だに信じられない。チャンピオンが人気なのは知っていたが、なんとなく検索して表示された当選倍率に冷や汗をかいた。
チケットを失くさないよう何度も現実に存在するのを確かめ確かめしながら電車に揺られて到着したシュートシティ。
建物は大きくて、どこか無機質で、ぎゅうぎゅうに敷き詰められている。角を曲がれば似たような建物ばかりで、ダンデでなくても迷子になりそうだった。
街のあちこちにガラルチャンピオンの姿を確認できる。電子掲示板、広告ポスター、お土産品。ラベンダー色をした髪と金色の目も変わらないのに、姿形は髭が様になる男の人になってしまってすっかり他人の顔だ。
田舎に住んでいたし、ろくにテレビも見ないでいるので、こんな大々的に取り上げられているなんて知る由もなかった。あれから10年、優勝者の座を守り続けている。その期間は、なまえとダンデが離れている時間。なまえがダンデのことを忘れられないでいる時間。
なんだか私は思い違いをしていないか。ジムチャレンジを駆け抜けてついには大物になってしまった彼の、子供時代にほんのちょっぴり一緒に過ごしただけで舞い上がって。まるで思い出が幻のように思えてきた。実弟であるホップくんと昔話をしたおかげで身近に感じてしまったが、相手はガラルの頂点にいるお方なのだ。ダンデくん、なんてもう呼べないかも。
開催時間よりもずいぶん前に到着して観光がてら周囲をまわっていたら、ぽつりと足下に不自然な影が落ちる。見上げると、リザードンが空を飛んでいた。
ああ、リザードンといえば。
思い出の少年のパートナーがちらつく。先程街の電子掲示板で見た彼はとっくに成人男性になって、象徴のような髭を整えて、ヒトカゲから育てたリザードンを相棒に無敗を誇っている。
その巨体が風塵を巻き上げながら近くに着地する。視界を邪魔する乱れた髪を抑える。薄めを開けて心がぴんと張り詰めた。ヒビが入ったような衝撃と言いかえても良い。
「おつかれ、リザードン」
相棒が鳴き声を上げて、撫でられるがままに満足そうにしている。その鋭い目がなまえを捉えたかと思うと、のっしのっしと近づいてはごく近距離で立ち止まり、なにやら匂いを嗅ぐ動作をして、小さく鳴きながら頬ずりをしてきた。久しぶり、会いたかったとでも言うような仕草。頬も、薄い色の瞳も温かい。
「わ、え、あのときのヒトカゲ…リザードン?」
そうだ、と嬉しそうにさらに擦り寄る。
「こら、リザードン」
慌てた声で追いかけたチャンピオンはさらに目を見開いた。
「なまえ……だよな」
「うん。ダ…チャンピオン、さん」
不服そうに眉を上げた。
「なんだその呼び方」
「えと、チャンピオン殿のほうが良いでしょうか?」
「どうして昔みたいに話してくれないんだ。せっかく会えたのにチャンピオンだの殿だのは嫌だぜ」
「名前を呼んで良いの?」
その場に誰もいないのに、誰かに叱られるのではないかと恐れて肩をすくめる。
「当たり前だろう」
質問自体の意味がわからない。
「小さい頃遊んでくれた、あのダンデくんだよね?」
「ずっと連絡をしなかったのは悪かった。けど俺はなまえを忘れたことはない。特別な別れの挨拶をしてくれるほどには、俺はキミにとって近しい存在なんだと思ってたぜ」
「私も、ずっと覚えてたよ」
「じゃあ特別な再会の挨拶をしよう」
返事をする間も与えず、たくましい腕が背中に回る。あたたかく、力強いのに苦しくはない。屈むようにして触れた紫の跳ねた髪が鼻をくすぐり、耳元でリップ音がした。
「会えて嬉しいぜ、なまえ」
頬どころか耳も首も真っ赤にして、声が出せない。筋肉でできた胸板とか、盛り上がった腕だとか、すっかり見上げないといけなくなった身長も、話し方はそのままなのに声に深みが出て大人になってしまったダンデに動揺するしかできなかった。人を惹きつける魅力は昔から備えていたけれど、惑わすような雰囲気さえ滲み出ているような成長を遂げている。
ずっとずっと、彼はこのお返しをする時を待ち侘びていたのだ。
「いつか会いに行こう行こうと思ってたんだが…結果的に会えずじまいで…すまない」
実は何度か彼女を訪れようとしたが、情けないことに生来の方向音痴を発揮してしまい、彼女の住む街までたどり着けなかった。なまえと知り合うきっかけになった方向音痴はまた、彼女と再会することを阻む障害でもあった。
「ううん。私こそ、ダンデくんがチャンピオンになったのはニュースで知ってたんだから、シュートシティに来れば遠目から姿を見るぐらいはできたかもしれないのに、いままで来なくてごめんなさい」
「こうやって会えたんだから、構わないさ。それで、なまえはどうしてシュートシティに?」
「ダンデとリザードンのバトルを観に来たの。スタジアムに来るのも初めてだわ」
「そうか。来てくれてサンキュー。楽しんでってくれよな」
「応援してるね」
「ところでなまえは今もポケモンを持っていないのかい?」
「ないよ」
「それなら頼みがあるんだが」
頼み?と復唱すると、ダンデはひとつポケモンボールを取り出した。黒字に金の線がくるりと入っている。なまえは名称は知らないが、それが一般の赤と白のものではなく、別格なのが見た目でわかった。
ボールから現れたのは野生味の溢れる緑を頭から被ったポケモン。
「やぁゴリランダー」
ダンデが撫でると一際嬉しそうにして、それだけでどれだけ彼がこのポケモンに愛情を注いでいるか一目瞭然だ。初対面のなまえにも愛想良くしてくれる。軽くお互いを紹介してくれた後、ダンデは頼みごとを口にした。
「コイツにちょっと外の空気を吸わせてやってくれないか。今日は外に出してやる時間がなくてな。バトルが終わったら迎えに行くから」
「預かって良いの?私がお世話できるかな」
「一緒にいてくれるだけで良いさ」
「うん。あと他に気をつけることは?」
「特にないぜ!なまえなら安心して任せられる。ゴリランダー、良い子にしてくれよ」
「何かしたいことあったら教えてね、よろしくゴリランダー」
ポケモンにまで丁寧に接する彼女にフッと笑った。
「ゴリランダー、なまえを頼んだぜ」
私が面倒をみる側では?と疑問を持った横で、ポケモンは任せろとばかりに控えめに咆哮した。
準備があるからと去るダンデに頑張って、とだけ伝えた。
ダンデば外の空気を吸わせてやりたい、と言っていたし、元から散策しようと思っていたのでゴリランダーを連れてのんびり緑を楽しむ。整えられた木々、計算して配置された花々のプランター。地元とは全く違う、これがシュートシティ。
「お姉さん、強そうなゴリランダー連れてるね。バトルしようよ」
とかなんとか仕掛けられそうになったが、頭を下げてこの子は私のポケモンではなく、友人から預かった大切な子なのでごめんなさいと謝ることが数度。ポケモンを連れ歩いたことがなかったなまえは、ポケモンバトルがこんなに気軽に行われるのだと驚嘆していた。
実を言うとゴリランダーはなかなかバトルに乗り気だったが、どんなわざをどのタイミングで使えば良いのか、そもそも技名すら詳しくないなまえには挑戦を受けることなんてとんでもないことだった。ヒトカゲが使っていた技、なんだったっけ…この子も使えるのかな?確かタイプによって使える技は違うんだっけ。おぼろげながらわかっているのはその程度の知識。
「普段ダンデくんとはどうやって過ごしてるの?」
腹筋、チェストプレス、それからダンベルを持ち上げるようなフィットネスの動作をする。
「筋トレ?なるほどね、ダンデくんの腕も胸も…」
すごかった。最後まで言えず、抱きしめられた感触が蘇って体が熱くなる。少年のころは華奢なくらいだったのに。
急に赤くなったなまえを心配するようにゴリランダーが弱々しくうめく。
「大丈夫よ。そろそろスタジアムに行こうか」
入場口にはもう列ができている。
人混みに押されて流されそうになるのを、ゴリランダーが留めて支えてくれた。都会って怖いなぁ。わざとぶつかっているつもりはないのに、これだけの人との距離が近くて肩幅をいくら狭くしても周囲から迫ってくる。広い田舎道では人とすれ違うのも十分距離を取れたから避けなきゃいけないなんて考えたこともなかった。
リザードンポーズから始まった試合を、チャンピオンタイムと彼は呼ばわっていた。
初手から怒涛の攻撃、攻撃、攻撃。対戦相手も一歩も引かないまま押しも押されもされずダイマックスまでもつれ込んでの戦況。
それでもやはり決着がついた。ずいぶん経ったいまも熱気が冷めやらない。
試合後の恒例インタビューに答えながら、ダンデは観客席を探る。人が捌けていって空席が目立つ。のろのろとしかし確実に出て行く人たち。その中に、ゴリランダーを連れたなまえの姿は見当たらなかった。
あの時俺は子供だったから、なまえの好意に気づくのが遅くなってしまった。
修行の旅でいろんな人に出会った。同い年の男にも年上の女性ともバトルを重ねながら強くなった。忘れられないバトル、特徴的なポケモン、印象深い人々。その中でポケモンバトルもしていないなまえが心にこびりついていて。なんでもないときにふっと思い出してしまうのだ。忘れたと思えば彼女の優しい声で呼ばれる自分の名を懐かしく感じた。ダンデがまだきのみを上手に使えなかった、やっと作り慣れてき始めたばかりのカレーを美味しいと言ってくれた。野生のポケモンを観察するために森の茂みで身を寄せ合い隠れた。なまえの髪が自分の耳をくすぐっていた。少し顔を動かせば、その桃色の肌に鼻先で触れることだってできた。
どれだけ親切な人でも心を許した人でも『特別なお別れの挨拶』は彼女にしかされていない。
あの頃から灯った心の炎は、大きくなるばかり。
再会できたいま、なにがなんでも逃したくない。物別れになることだけは避けたかった。だから己のポケモンを一体、鎖とばかりに付けたのだ。
ローズタワーの裏口から出てすぐ、外のベンチに座ってゴリランダーに寄りかかっている彼女を見つけた。おかげで探し回ることはなかった。
「なまえ、すまない遅くなった」
先にゴリランダーが気づき駆け寄ってくる。
なまえはぼんやりと座ったまま、ダンデに手を振る。
「お疲れさま。すごいバトルだったね」
ふらりと後ろにもたれるなまえの隣に今度はダンデが腰掛ける。
「どうしたんだ?人混みに酔ったのか」
「ううん、違うの。なんだかのぼせちゃった」
周囲の観客の盛り上がり。声援。熱気。リザードンの技で文字通り熱された空気が観客席まで届こうとしたが、バリアで守られていた。
それから大画面に映る、ダンデの燃え上がった瞳。魂までも揺さぶられる感覚がいまだ残る。
「大丈夫か?気分が悪いなら言ってくれ」
「気分は最高だよ。楽しかった。ルールもぜんぜんわからないけど、ポケモンバトルって面白いんだねぇ」
最高潮のバトルができたと自覚はあったが、彼女にこんな影響を及ぼしているとは。
「立てるかい?中で話がしたい」
「中?」
「俺の控室なら人払いができる」
ダンデがローズタワーにパスコードを入力したら裏口の扉が開いた。こちらだ、と迷いのない足取りで彼が指定の部屋へ通い慣れていることが伺える。「早くこちらに」外の一般人に見つかってはいけないから、とダンデはなまえの手を引いた。森の中でも彼は手を繋いでくれた。あの時にはここまで硬く厚い手ではなかったけれども、この角度、背中が懐かしい。
チャンピオン控室と書かれた表札の扉を開けて、なまえはソファへ案内された。ダンデは紅茶を淹れてから向かいへ座る。ティーカップを受け取り、部屋の広さに寂しくなった。きっと大柄なあの子がのびのびと過ごせるようにと用意された部屋。
「リザードンの怪我は?」
「他のポケモンたちと一緒にいまジョーイさんに診てもらっている」
ポケモンセンターから出張してきてもらっているんだ、とダンデは言った。そっか、ゆっくり休んでくれてるかなぁと納得しつつも、あの子たちとダンデがくれた感動をすぐに伝えられないのはもどかしい。
「帰ってきたらいっぱい褒めてあげてね」
「もちろんだぜ」
「あ、あとゴリランダーもありがとう。あの子がいなかったら、あの人混みの中でちゃんと席に辿り着けたかわからなかったよ」
「ああ。それは良かった」
よくやってくれた、とゴリランダーを労いボールに戻した。なまえは目を伏せてティーカップを口に当てている。
「そういえばね、私の街でホップくんに会ったの」
「そうなのか!」
声を上げたものの、弟の名前を聞いて喜んでいるようだ。
「きいてなかった?」
「アイツもジムチャレンジに集中したいだろうからな。ここでバトルできる日まで連絡は控えている」
男の子の兄弟ってそんなものなのかな。
「そっか。私も連絡先もらったけど、そういえば写真やりとりしたっきりだなぁ」
困ったことがあったら教えて、なんてお姉さんぶってはみたものの、こちらからメッセージすることなどないし。
アニキとも知り合いだし出会った記念に、と並んで撮ってくれた写真をその場で共有してくれた。
「写真?」
「そう、ホップくんが撮ってくれたの」
スマホの画面に映すと、ダンデが覗き込む。ウールーを真ん中に挟んだホップとなまえ。打ち解けた様子で、無邪気にしている。
「あいつも元気で頑張ってるんなら嬉しいぜ」
「やっぱりジムチャレンジは簡単じゃないけど、努力してるみたいだったよ」
そうか、と初めて見せる兄の表情をして、目元がなごんでいる。
「ではロトム、カメラを起動してくれ」
返事をしたスマホロトムはくるくると回転してカメラを向ける。なまえの隣にやってきたダンデを追いかけて角度を変えた。
「ダンデくん?」
「ホップとも撮ったのなら俺とも撮ってくれたって良いだろう」
肩を抱いて頬を寄せる。バトルの後でシャワーでも浴びたのか、石鹸の香りが強かった。対戦相手はすなあらしも使っていたしそのせいだろう。
飛び出してきそうな胸を抑えてロトムのカウントダウンに笑わなければと慌てた。
「サンキュー!写真を送るぜ」
渡されたロトムスマホに素直に連絡先を打ち込む。視界の隅でロトムがにーっこりとしたような、していないような。
それから会えなかった時間を埋めるように質問して答えていたら時計の針はくるくる周ってしまっていた。こんな時間かぁ、と呟いたなまえに引き止めてすまなかった、と謝る。
ダンデは立ち上がり、なまえの手をとって引っ張った。
「今日は来てくれてありがとう」
「こちらこそ、声をかけてくれてありがとう。…っていうのはリザードンに、かな。こうして会って話ができるとは思ってなかったし、素晴らしいバトルが見れたわ」
じゃあ帰ろう、との言葉を予想していたのに、どうもダンデの表情は食い違う。
「これだけは言っておきたいんだが」
うん、とその先を待つ。
「なまえ、俺はキミが好きだ」
「あ、え…?…ええ?!」
なまえの両手を包むダンデの手に力がこもる。
「友人としてじゃない、ひとりの女性としてだぜ。昔の思い出を美化しているのかと自分でも疑ってたが、今日会ってもやっぱり好きだった。だから恋人になってほしい」
「私が…?ダンデくんの恋人…?」
「嫌ならそう言ってくれ」
「嫌じゃない!…わ、私は初めて会ったときから、ダンデくんが好きだった…から」
「本当か?」
こっくりと首を縦に振る。
こんなポケモンバトルの控室で不謹慎なのではないか、と居心地が悪くなる。
「それじゃあ、遅くならないうちに帰らなきゃ」
「ああ」
「あのね、それからやっぱり違った、って思ったら早めに教えてね。あっでも一週間は待って、明日とかやめて」
「そんなこと言わないさ」
それからダンデはアーマーガアタクシーを呼び、運転手にくれぐれも頼むと念押ししていた。
「家に着いたら連絡をしてくれ」
「うん、ダンデくんも家まで気をつけてね」
「ああ。…今日はもうお別れだな」
扉を開けて座らせられたかと思うと、ぎゅっと抱きしめて、それから唇に触れるだけのキス。
運転手はすでにアーマーガアの上に乗っているので、誰にも見られてはいないが。
「ダンデくん…?!」
「なんだ?恋人として、『特別じゃない』お別れの挨拶だぜ」
そう囁いて目を細め、扉を静かに閉めた。
出発します、と運転手の声が聞こえて窓の外を見る。彼は手を振っている。口元を抑えながら振り返す。浮遊感とともに小さくなる姿。はためくマント。
次会えるのはいつかな。
***
教えてもらった住所には大きなマンションが建っていた。正面の横にパネルがあり、とある番号を入力すると呼び出し音が響いた。はい、と機械越しの声に「あの、なまえです」とだけ答えると「ああ、中に入ったらホールで待っててくれ」と通話が切れた。ほぼ同時にカチリと施錠の解ける音がしてドアを開けて入った。中にはコンシェルジュが在中しておりカウンターの向こうでにこやかに頭を下げた。エレベーターが降りてきたかと思うと、ダンデがそこから手招きをする。乗り込むと電子キーをかざして階のボタンを押した。
「わざわざ来てもらってすまない」
「ううん、お外だとダンデくん迷っちゃうだろうし、人に見つかったら大変でしょう?たまのお休みならお家でゆっくりして欲しかったから」
どんなお家に住んでるのか知りたかったし。
「普通ならデートは外に行くんだろうが…」
渋い顔で恋人としての至らなさを悔いているので、首を振る。シュートシティの最先端のカフェやブティックも気にならないわけではなかったが、今は何より彼と過ごす時間があれば幸せなのだ。
「それはまた今度にしよう」
一人暮らし(正確に言えば何匹ものポケモンとの共同生活なわけだが)の男の家に行くなど初めての経験ではあったが、相手はあのダンデ、子供の時分にひとつのテントで夜を明かした仲ではあるし何より現在は恋人である。多少なり緊張はあれど、デートを楽しみにしてきた。
「わぁ…きれい。広い」
玄関を開けての感想がそれだった。なまえの実家よりかは小さいが、都会でこの広さ、部屋数と考えると下世話ながら家賃を思って眩暈がする。
「なまえの家よりかは狭いだろう」
「私は家族と住んでいるもの」
部屋も好きに見ていいぜ、とお許しが出たが歩き回るのは遠慮する。居間に大人しく座ると外の景色に目が行った。
「バルコニーでキャンプできそう!」
「ああ、テントを張れるくらいはあるぜ。今そこに干してるやつだ」
部屋のバルコニーにテントが張られているのはちぐはぐに見えるだろうと、手入れや部品の点検を兼ねて出すこともあるんだと口頭で説明しながら、ダンデはキッチンでお茶を用意していた。
「いまでも森でキャンプしてるの?」
「昔みたいに頻繁にはできないが、まとまった休みがあればな」
少し寂しそうな響きが残る。ポケモンが大好きで、バトル三昧の毎日も本望なのだろうが、ポケモンが大好きだからこそ外に出て新しいポケモンに出会う生活もしたいだろう。
「リザードンは今日はいないの?」
「ポケモンボールに入ってもらってるぜ。会いたいか?」
「会いたいな」
なまえの要望に応えるように、棚に几帳面に置かれたボールの一つがカタカタと揺れてひとりでに口を開けた。
ばぎゅあ、と目を細めるリザードンにこんにちは、と手を上げる。
大型ポケモンがのびのび過ごせる余裕のある部屋。邪魔になりそうな家具や小物は排除されていて、彼の生活は良くも悪くもポケモン中心なことが窺える。
「リザードンもキミに会いたがってたぜ」
「ほんとう?私も会いたかったよ。この前のバトルかっこよかったね」
皮切りに褒めちぎるとリザードンも満更ではない様子で鼻をふかしていた。
ダンデがポケモンたちをボールから放ちだして、彼らは真っ先にテントの張ってあるバルコニーに駆けて行った。ダンデは少し気まずそうに、あまり遊びに連れだせなくて悪いな、と謝っていた。
今日はバルコニーに出て気分だけでもお外でキャンプだ。
ポケモンボールを模したボールでキャッチボールをして遊んだり、ポケモンじゃらしを振って戯れる。
ダンデの教育が行き届いたポケモンたちは、例え遊びに夢中になっても力加減を調節してくれるし、間違ってもなまえに飛び掛かってきたりしない。
ひとしきり満足したのかちらほらお昼寝を始める子たちもでてきて、じゃらしを振る手も休憩した。
「テント、見せてもらっても良い?」
「なまえには珍しいか。乾燥も終わった頃だな。良いぜ、入ってみても」
寝ることだけを目的としたテントは狭く、中で立ち上がることはできない。腰を屈めて入るしかなかった。
奥に詰めて座ると、それだけで身動きは難しくなる。続いてダンデが手を下について入ってくると圧迫感が増した。体全部を入れるために、筋肉をまとった腕がなまえの腰を通り過ぎほとんど抱きしめる形になった。心臓の音が彼に届いてしまいそう。
確か、かつて二人が並んで寝たテントはこれとそう変わらないサイズのはず。歳月はこんなにもふたりを変えてしまった。
「はは、さすがに狭いな」
そうだね、と同意しかけた口にダンデのそれが重なる。身を固くすると頬をほぐすように撫でられた。
「俺はこの距離も嫌じゃないが。二人用のテントを買ったら、一緒にキャンプに行ってくれるかい?」
沈黙の後になまえ?と返事を催促されて軽く睨む。
「だって、今、キス…」
質問も聞こえず答えるどころではない。何もなかったかのように話をされたらたまらない。
「キスしちゃダメなのか?」
子供のような瞳で問われると、逆に何が悪いのかわからなくなってくる。付き合ってるのだから、キスくらいするだろう。いやでも。
「急にされるとびっくりするから」
「じゃあ慣れるためにたくさんしよう」
反論する前にもうキスは始まってしまって、ダンデの唇が何度もなまえを襲う。小さく短い口づけが回数を重ねるにつれ長くじっとりと味わうものになっていく。待って、と言おうとして開いた唇にするりと入ってきた柔らかく温かい舌。
「んぅっ?!」
悲鳴さえ飲み込むように奥まで侵入してくるダンデ。なまえの匂いに包まれながら、貪るように唇を食む。
もっとだ、もっと欲しい。会えなかった10年分を埋め合わせたい。
会話が消えた二人を心配してか、切ないポケモンの鳴き声が空気に割り込んだ。酔った理性を取り戻す。
怯えた瞳が目の前にあった。
「…悪い。調子に乗り過ぎた」
テントにそわそわ動くリザードンの影が被っている。
「リザードン、もうテントから出るから心配しないでくれ」
惜しむようになまえの髪を撫でてテントを這い出る。リザードンと並んで待つが、彼女が出てくる様子がない。確実にダンデの獰猛な行動が原因だ。
「なまえ、俺が悪かった。出てきてくれないか」
テント内の気配は微動だにしない。怒らせただろうか。怒った女性への対処とは如何に。謝り通すしかない。
「キミの意志を無視したことは反省している」
愛しい人が触れられる距離にいるとなれば同意をとることなど念頭にもなかった。
もう一度謝罪した。
「この状況下で卑怯だったよな、」
「ダンデくん、が、怖い…」
ぽつりと呟いたのがかろうじて聞こえた。
「怖がらせてごめん。キスもハグも我慢するから、お願いだからテントから出てきてくれ」
ポケモン相手ならきちんと距離を測るし扱いを心得ているのに、なまえという好きな人間の女性となると舞い上がってしまって情けないまでに暴走してしまう。
リザードンも彼らに何が起こったのやら詳しくはわからないまでもダンデがなまえに良くないことをしたのだと悟り、強めに小突く。
「イテッ…爪が痛いぜ、リザードン…。なまえはもっと嫌な思いをしたんだろって…そうかもな。イダダ、」
「ダンデくん、大丈夫?」
怪我をしたのかと慌てて出てくると、大したことはなさそうで、幼い表情をしたダンデがリザードンにぐりぐりと前足を上から押しつけられていた。
「リザードンにも呆れられてしまったぜ…」
まるでトレーナーとポケモンの立場が逆転しているのがおかしくて笑ってしまった。ポケモンバトルではあんなに向かうところ敵なしで凛々しく戦っているのに。
「嫌な思いをさせて申し訳ない…」
もうちょっと雰囲気を作って場所も配慮して欲しかったけれど、嫌かときかれれば否定する。
「その、キスは…、嫌じゃなかったよ…でも」
ダンデはほっとして柔らかく微笑む。
「もっとゆっくり、進んでいきたいって思うのは…ダメ、かな?」
「いいや。これからはなまえのペースに合わせるよう努める」
***
「ーーーというのが初デートだったんだが」
「オレさまなんて惚気聞かされてんの?苦痛なんだけど」
特にまとまりも落ちどころすらない付き合いたてのカップルがイチャつく話など最早拷問。成人した男性からキスをしただの報告されるなんて思いもしなかった。勝手によろしくやっといてくれ。加えてシチュエーションにロマンもへったくれもねぇ。
ご愁傷様なまえちゃん、としか言いようがない。
「もっと簡潔に説明できるだろ。付き合ってから初キスがそれって残念だったな」
「いや、初キスはアーマーガ」
「それ以上聞かせるんじゃねぇ」
「なまえがどういう人物か教えておく必要があるだろう」
どうでも良いからすっとばせ、と首を振った。また長くなる気がする。
「じゃあ本題だぜ。とりあえず次のデートはポケモンキャンプしようということになったんだが、一般的にデートとはどうするのが正解だったんだ?今度はなまえを喜ばせたいんだが」
じゃあ今までの詳しい話する意味とくになくねぇ?というのを飲み込んで、
「いやなまえちゃんの意見は聞いたのか?彼女が行きたいこととかやりたいことすりゃ良いだろ」
目から鱗だ、とばかりに関心する。
「そうだな、なまえもキャンプをすごく楽しみにしていると言ってくれたし他に浮かばなかったぜ」
ローズ委員長に後援されて仕事上でのレディの扱いは完璧といえるのに、プライベートじゃてんでダメだな。こいつら長続きしねぇんじゃねぇの。キバナはそんな予感を抱えた。
子供の時もキャンプしてたって言うし、それは問題ないけど大人になってからも同じ遊びの誘い方って10年前と精神年齢変わってないってことだろ。
「そういうとこだろ…お前の悪い癖」
「どういうところだ?」
「強引すぎる。あとポケモンから離れろ」
「いや、しかしポケモンなしの生活だなんて」
「なまえちゃんといるときは彼女を優先しろって言ってんだ。病気でもない限りは彼女を第一に考えろ」
「それはもちろん今も考えているさ」
なまえの微笑みなまえの優しさなまえの可愛らしさなまえの匂いなまえの柔らかさ。
「煩悩だらけじゃねぇか。花束持って謝ってこいよ」
「花束だな、必ず用意しよう。良い案をサンキューだぜ」
皮肉が通じていない。
***
終わります。
最後まで読んでくださりありがとうございました。