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**
「はじめまして、マヤちゃん」
「…この人が、なまえ?」
「さん、をつけろ、さん、を」
慌てた様子で妹の頭を小突く兄は、なまえに申し訳ないと謝った。それを見て女性は面白そうにしていた。
「へぇー。なんか、ふっつーだな」
先入観で、兄の惚れる女性というのはマルティナをも凌ぐ傾国の美女であるような気がしていた。でなけば横に並んだときの釣り合いもとれないし、あの誰もが認める美の代表マルティナと旅をしても気に留めない兄なのだから、それを上回るものを持つ人でなければ彼のお眼鏡にかなわないのだろうと。身内の贔屓目なしにも、兄貴は美形だ。立ち寄った町の娘たちの間ですぐ噂になるし、なにかといえば贈り物をもらうしおばさんたちにも人気になってしまうほどの容姿。
それが、まぁそれなりに整っているとはいえ、完全に土くさい田舎に溶け込んで収まっている村娘なんて。
「はぁ。普通ですよ?」
この場にいる勇者パーティのメンバーが突出して偉人たちなだけで。勇者と同じイシの村出身とはいえど、これといった起伏のない日々を続ける村人がほとんどだ。畑を耕し、家畜の世話をし、川で釣りをする。ごはんをつくり、洗濯して、掃除して、井戸端でおしゃべりをする。そんな毎日だ。
それは大事な生活の礎だし、なにも恥じることなどない。
「まぁいいや、おれ、マヤ。よろしく」
「はい、噂はかねがね。よろしくね、マヤちゃん。遠いところを来てくれてありがとう」
「ほんとに遠いな、ここ」
「道中はどうだったの?どこか寄ってきた?」
「グロッタの街に泊まったけど、カジノは兄貴に止められたから観光だけだったな」
「ふふ…カジノは大人になってからね」
「あ、でもダーハルーネはいろんな店があって楽しかった」
「ダーハルーネは栄えているらしいから。買い物はした?」
「荷物になるからあんまり物は買ってない」
「それもそうね」
「なまえは?旅したことないのか」
「私はずっとイシの村にいるわ」
「ずっと?それってつまんなくねーか?」
「そんなことないわ。毎日平和でありがたいばかりよ」
マヤは、何を期待していたのか。
もっと美人で、もっと魔法とか武術に優れて、誰が見ても文句なしにカッコイイというような、姉の鑑のような人に憧れていた。大好きなおにいちゃんを任せるのだから、それなりの人でないと、と。加えてちょっとした嫉妬心。これまで二人きりの家族だった中に、他人が割り込まれてしまうのが、少し怖かった。頭では大人になって受け入れなければ、と言い聞かせるも、心のどこかはまだ納得できないでいた。兄貴に幸せになってほしいのは本心だ。けれども、まだおにいちゃんに甘えてもいたい。
***
イシの村はクレイモランと違って空気も人々ものどかで緑が鮮やかだった。太陽を近くに感じて、少し歩くと汗ばむくらい。
今夜の宿は教会だった。イシの村の宿は衝立もないほど粗末なもので、雑魚寝をするに近い。年頃の少女を居座らせるにはためらわれた。かといってイレブンの家も寝床が足りないので泊まれず、教会に頼んで一晩を過ごすことにした。
すぐ近くのベッドで熟睡している兄を起こさぬようにそっと起き上がり、扉に向かう。
教会から出ると、草は揺れかすれ、虫は元気になき、動物たちのいびきや風が吹く音さえ敏感に感じ取ってしまう。夜というものはこんなにもうるさいものだっただろうか。
ほとんどが火を落として真っ暗な中、向こうに珍しく、明かりのついている家がある。奇妙だと思って見つめていると、ほどなくしてそこからでてきたのは、昼間に会ったなまえだった。
「マヤちゃん、こんな夜中に外に出るなんてどうしたの?」
「なんか周りがうるさいから眠れないんだ」
「そう。とりあえず家にいらっしゃい。さすがに冷えるでしょう?」
雪国の人間からすれば涼しいくらいだったが、訂正せずに着いていく。
「あんた、起きてたのか?」
「家のことしてたら、なんだかんだでこんな時間になっちゃった。でもおかげでマヤちゃんにも気づけたわ」
それが彼女にとっては喜ばしい出来事のように聞こえて、首をかしげる。顔見知りとはいえ真夜中になってから外をうろついている怪しい人物を家に入れるのは面倒ごとではないのか。
「ふーん」
他人の家にこんな風に招き入れてもらうことは初めてかもしれない。家自体は木の匂いをかぎとれるほどに新しいが、いかにも引っ越したばかりという風情で家具もまともにない。マヤとて兄とと共に住んでいた洞穴も野外テントと変わりない作りだったから殺風景な部屋に気が休まるほどだ。床には絨毯も敷かず絵や花瓶などの飾りものもない。
壁の右から左へ紐がかけられていて、洋服やタオルがぶら下がっている。
「ミルクをあたためるから、飲んだらベッドに行きましょう。私ももう寝るわ」
「アリガト」
もともと眠いには眠かったのだ。マグカップをもらってちびちび飲み体があたたまると、うとうとしてきた。
手を引かれて、簡易だが新しく、清潔にされたベッドに寝かされた。
毛布を優しくかけられて、無防備ながらにこの人の手つきは好きだな、と感じた。赤子にするように、拍子をつけて毛布の上から体をぽん、ぽん、と撫でられる。こんな風に扱われるのは、いつぶりだろう。
「どう、寝られそう?」
「クレイモランでは、雪が多いから…雪がぜんぶ音を吸い込んで、静かなんだ…」
道中では徒歩での移動だったので、街々の宿やキャンプ場では疲れですぐ寝入っていた。それがイシの村でのんびり過ごしたので、周囲を知る余裕ができてしまった。あの洞穴の中で、出入り口に布を垂らしただけの我が家では、物も少なかったから音を立てるものもなかった。夜中まで飲んだくれる荒くれものの海賊はいたが、アジトとは離れていたし動物は土地柄少なかった。ましてや虫の音など響かない。わずかな衣擦れの音でさえ、雪がかき消してくれていたのだと知る。
「そうなの。雪が」
「ん…、ここはたくさんいろんな音聞こえてきて、落ち着か…」
「私にとっては子守唄なのだけれど…ごめんなさい」
どうして謝るんだ、変なヤツ、ともごもごしたが音にはならなかった。おやすみなさい、良い夢を、と優しい声が聞こえたような、聞こえなかったような。
***
翌朝になって、気恥ずかしさを覚える。昨日どう接して良いかわからず反抗してた人間に甘えてしまったことが。
どうしてだか、一晩ともに過ごして自分の兄と似ているような気がして、妙に安心してしまったのだ。なまえは青いつんつん髪も海色の瞳も持ってないし、言葉づかいも荒くない。なのに世話焼きなところとか、優しい手だとか、重なるところがあった。
そうか、兄貴にするようにおねぇちゃんにも接すれば良いのか。
解決法を見つけると、すっきりして背伸びをした。
朝になって、騒々しく扉を叩く者があった。
扉の先には、血相を変えたカミュの姿。
「なまえ、マヤがいなくなっー…ここにいやがった」
途中で、奥から自分と同じ空色の髪をした少女を見つけて、言葉を変えた。妹はテーブルについて、満足そうにもぐもぐと口を動かしている。
「おはようカミュ。マヤちゃん、昨日眠れなかったみたいで外にいたから、うちで寝かせてあげてたの。カミュも朝ごはんまだなら食べていく?」
一気に脱力した。
「すまない…」
朝食のことではなく、妹が迷惑をかけたことに対しての謝罪だったわけだが、なまえはどちらにしろ困りごととは捉えていないようだった。きっとイレブンやエマで慣れているのだ。
「上がっていって、いま卵とベーコン焼くから」
マヤの向かいの椅子に座ったところで、口元にパンくずをつけながら挨拶してきた妹。
「はよー兄貴、パン食えよ。姉貴の豆スープもうめーぞ」
「お前はおはようじゃねぇだろ、オレがどんだけ焦ったと思ってんだ…」
怒った顔を保ちつつ、なにかが引っかかる。マヤは昨日、なまえを呼び捨てにして注意しても改善しようとしなかった。
それが、あねき?
「姉貴のこと、認めてやってもいーぞ」
「おまえ、調子が良いヤツだな」
呆れて物も言えない、とそっぽを向くと、台所に立つなまえの後ろ姿が目に入って、表情が緩む。エプロンのリボンの結び目さえもきっちりしていてきれいだ。と、彼女がフライ返し片手に半身だけこちらを振り返って、にっこり尋ねた。
「カミュ、ソーセージも食べる?」
「あぁ、頼む。ってかオレも手伝うぜ?」
椅子から腰を浮かせると、押しとどめられた。
「良いの、座ってて。ありがとう」
「兄貴が気持ちわりー。いししっ」
テーブルの下で、軽く足を蹴りつける。
「うっせー。後で皿洗いくらいしろよ。ご馳走になってんだから」
「へーへー」
出された小さなボウルに注がれた豆スープを一口飲むと、素直な感想を告げる。
「うまい」
それを聞いて嬉しそうにするなまえとカミュの目が合って、同時に照れる。
うっわ兄貴がニヤけてんの見るのマジでキモチワルイな。
「ごちそうさまでした。姉貴、オレが皿洗うよ」
率先して片づけだすと、なまえが止めようとする。
「夜中に邪魔して朝メシまで食わせてもらったし、これくらいおれにもできるって。姉貴は兄貴の相手してやってくれよ」
汚れた食器を奪おうとする手をぐいぐいと押しのけるので、諦めてお茶の用意を始めた。
「ありがとう、マヤちゃん。助かるわ」
「いいんだよ。やらせてやってくれ」
「カミュは、朝ご飯あれで足りた?」
「じゅうぶん馳走になった。そういえばシルビアが来るらしいんが、きいたか?」
「え?ううん、知らないわ」
「イレブンの奴言ってなかったのか」
「シルビアさんって?」
「オレらの旅仲間で、芸人だ」
「ああ!以前村にいらしてたみたいだけど、私は会ってないのよね」
「あいつのショーはちょっとしたもんだぜ」
「ほんとう?大道芸なんて見たことないわ。どんな感じかしら」
「なら詳しいことは教えねー。シルビアが来るまで楽しみにしてるんだな」
「えっ教えてくれないの?」
マヤは後ろで交わされる会話を聞き流すために頭を振った。
***
「娯楽が少ないイシの村のみんなのために、シルビアがショーをお披露目しちゃうわよん!」
一度見たら忘れられない人、とはまさにこの人のことを言うのだろう。風格からして人並み外れている。
「イレブンちゃーん!久しぶり!」
ハートマークの飛び出そうな笑顔で、大仰に手を振る。
イレブンは驚いた様子もなくのほほんと笑っているし、あれで普段通りなのだろうか。
「シルビア、来てくれてありがとう。でもイシの村はまだその、心許なくって」
支払えるものは雀の涙、とうていシルビアのような大スターに見合う報酬は用意できない。
「心得てるわ。村にはまだまだ支援が必要なんだから、今回は無料でね。デルカダール王国でたんまり一稼ぎしてきたばかりだから、安心して。アタシ、みんなを元気づけたいの」
わりと分厚い胸板を叩いた。
公演は拍手喝采の大成功だった。シルビアがこしらえた舞台に花が投げ込まれ辺りには紙吹雪が散り、観客たちの口笛が鳴りやまない。スーパースターを追いかけてデルカダールくんだりからやってきた者もいて、会場はすし詰め状態だった。
愛想を振りまいてシルビアが水色の兄妹の席に落ち着くと、グラス瓶が差し出された。
「素晴らしいショーをありがとうございました。エールを一杯いかがですか?」
「やっだ~、わかってるぅ~!ありがとう」
カミュとマヤに手を振って給仕は去る。シルビアが一気飲みして、濡れる口元を拭った。
「ふう。それにしてもカミュちゃんとマヤちゃんもきてるだなんて知らなかったわ」
目立つ髪色をした兄妹なので観客席にいるとすぐわかった。
「ここには兄貴の好きな人がいるからな」
「マヤ、てめぇバカ」
「うふっ、それってなまえちゃんって子?」
キラキラとした瞳で、語尾にハートマークをつけて。お見通しとばかりに瞬きをする。
イレブンから村人たちのことはきいていたし、幼馴染のエマと二人の姉代わりであるなまえのことは特によく口にしていた。外見の特徴からして、エールを差し出してくれた女性がそれだとピンときたし、カミュの目線の熱さからだいたいの推測がつく。
カミュは一度目を逸らし、片手で首の後ろを撫でた。
「あの子がそうなんでしょ」
「そういうんじゃない。そもそもオレはマヤの面倒を見なくちゃなんねーし、」
シルビアは座りながらも腰に手を当てて、こちらを見下ろすようにした。
「男らしくないわ。マヤちゃんが大人になるまで面倒みる。そしてなまえちゃんとも幸せになる。カミュちゃんなら両方できるわよ」
「できるとかできないとかの問題じゃ…」
「だいたいねー、アナタ二十歳そこそこでしょ。四十路の男やもめみたいになってるわよ。マヤちゃんだってオムツの必要な赤ちゃんでもないんだし、見守るくらいで良いのよ」
「そーだそーだ」
合いの手が入って、カミュは横目で妹を見やった。彼にとってはマヤはいつまでも小さい手のかかる妹だった。はずなのに、子供扱いすると嫌がるようになってきたのは、思春期だからだと親の立場になっていたが、本当に成長しているのかもしれない。もう彼女に必要なのはずっとそばで守ってやるのではなく、手を離して独り立ちを促すことなのだろうか。
「そうか」
しんみりと呟いた。
「みっともねぇとこ見せちまったな」
気まずそうに、シルビアに向くとにっこりと返された。
「あらどうして?誰かを守る覚悟をしてる男って、かっこいいわよ。自分を過大評価してあれもこれもって 欲張りなのはいけないけれど、カミュちゃんならマヤちゃんもなまえちゃんもちゃーんと、大事にできるわ。きっとよ」
ウィンクをして、長い睫毛が頬に陰を落とす。
ああ、ほんとに人を元気づけるのが上手いおっさんだなぁ。
席を離れ、先ほどエールを提供してすぐ立ち去った女性を探して、シルビアは訪ね回った。
「なまえちゃん、なまえちゃぁん!」
「え、あ、はい。シルビアさん、どうかなさいましたか?」
「なまえちゃんは、カミュちゃんのこと好きなのよね?」
イレブンから人となりはきいていたとはいえ、ほぼ初対面の人間から突っ込まれたことを聞かれると気後れしてしまうのがいつもなのに、シルビアはどこか首を突っ込んでも許されるような雰囲気があって、なにより嫌味というものと無縁だった。
「ええ?え、っと…」
「やだ、かわいい~!わかるわよ~だって、二人がお互いを見つめ合う視線、特別なものが伝わってくるもの」
「イレブンの相棒っていうくらいだから、良い子なのは確かです。でもイシの村にいないタイプの人だから、珍しいなっていう…恋愛かどうかと言われると…」
村の住民は総じて純朴で、おおらかである。見た目だけでも、あんなに鮮やかな明るい青色の髪は見られない。人目をひく容姿に加え、なんだかんだで優しいので、無垢な少女であれば簡単に恋に落ちてしまうだろう。だがなまえは、とっくに少女の域を超えている。
一連の出来事により村人たちの間の結束が強くなり、もともと田舎であることも手伝って、独り身には家族を持てと囃される傾向が顕著になりつつあった。だから、恋愛を楽しむことをすっとばしてなりより結婚を考慮しなければいけない風潮にある。年頃なれば所帯を持てと押し付けられるのを、まだ村の復興でそれどころではない、と突っぱねてなんとかごまかしてきた。
それは、ふとした日常に心を許せる人がそばにいてくれれば、と思わないこともない。
しかし浮ついてはいられないのだ。
「カミュちゃんなら、一度押し倒しちゃえばあとはカミュちゃんが良くしてくれるわよ」
「シルビアさん?!何を言って…」
明るい調子で言い切るので、冗談かと思った。けれどもその後否定もしないので、心からの言葉なのだと理解する。
「なまえちゃんがとーっても真面目で、責任感のある子だっていうのはわかるけど、恋愛は自由よ。結婚は誰かに言われてするものじゃないわ。それから自分に素直になりなさい」
諭されて、思い浮かぶのは青い髪と青い瞳。
「恋をするのに、時も場所も関係ないんだから」
村の再興を盾にしたとて、エマとイレブンも、最中ながら式を挙げた。村の人たちは嬉しそうにふたりの新しい門出を祝福し、なまえもペルラとともに手を取り合ってきゃいきゃい言ったものだ。情報屋も村の女性と婚約したと聞く。私のことも、そういうふうに歓迎されるだろうか。
そもそも、彼は私に気持ちがあるのかすらわからないのに。イレブンの相棒で、シュエルがイレブンの姉のようだから気安く接してくれているだけで、そんなつもりもないとしたら。
思い上がった女だと見られたくない。
村が大変なときに悠長な、と。
イレブンにも気まずい思いをさせてしまうかもしれない。沈む表情のなまえの肩に、シルビアが優しく手を置いた。
「だいじょうぶだから。なまえちゃんは、素直になるだけでいいの。難しく考えないで。
応援してるわよ~!」
嵐のような人だ、となまえはお盆を胸にかかえて言われたことを反芻した。
***
エマに翌日は何もしてくれるなと釘を刺されたものの、村中で復興に尽力している中、自分だけのうのうとしているのはどうも気が休まらない。魚獲り用の籠網を川に仕掛けて、獲物が罠にかかるのを待つことにした。 これで待っている間は何もしていない、という言い訳が立つ。
川辺に座って、裸足を流れに浸す。透明な中に魚が泳ぐ姿を見て、ほっとする。この平和が戻ってきて間もない。暗雲が晴れて、日向ぼっこができるようになったのはつい最近のことだ。
視界の端に水色の人影が見えて、幻想かと思った。けれどそれは喋った。
「よぉ。今日は村の外じゃないんだな」
「カミュ…」
昨日のシルビアの言葉が脳裏をよぎり、変に意識をしてしまう。まっすぐその目を見れない。
―押し倒しちゃえば。
体幹はまっすぐで、長袖から見える手首も明らかに自身のものより骨太で、首から背中にかけても筋肉の線が見える。ちょっとやそっと押したくらいでは、びくともしそうにない。しゃがみこんだ彼は、篭網を見つけた。
「お、魚掛かってるぞ」
せっかく二人きり、というべきかなんでこんなときに二人きり、なのか。
「昨日のシルビアのショー、ちゃんと見てたか?あのおっさんのパフォーマンス相変わらずすげーよな。つっても、なまえは見たの初めてか」
「…うん…」
「疲れてんのか?昨日座ってショー見てればよかったのに」
つまみやらエールやらを配膳していたのを見ていた。
「……」
「おーい」
耳元で大きな声を出され、体が跳ねた。立ち上がったところで足を小石にとられ、川の中に倒れそうになる。だが次の瞬間には、抱きとめられていた。
「わりぃ。ぼーっとしてるからからかっちまった」
しっかり掴まれた腕も、近距離で聞こえる声も、はだけた胸元から見える素肌も、生々しくあたたかい。
流れるような鎖骨を凝視して、息苦しくなった。
「ダメかも…」
「ん?熱でもあるのか?まだ本調子じゃねぇんだろ」
真っ赤な顔を見下ろして、額に手を伸ばす。それを一歩下がって避けた。
「うん、熱があるのかも。風邪だと移ったらいけないから、帰るね」
「家まで送るぞ」
「ううん、いい」
無碍にも断られ、カミュには返す言葉もなかった。奇妙な間が空く。はずみで川に落ちた靴を拾って、地面に上がった。
「失礼します」
ぺこりと他人行儀な礼をして、呆気にとられたカミュを置いて家に向かった。
「あらぁ。カミュちゃんじゃない」
「ああ」
「それで、今朝なにかあった?うふふ、昨日なまえちゃんをちょーっとけしかけちゃった」
「なにかって…なんだ」
「…なあにそれ。なにもなかったのね」
「ねぇっちゃねぇけど…」
煮え切らない答えにシルビアは肩をすくめる。
「なんだかカミュちゃんが上の空なんて珍しいわね。クレイモランのときとはまた違う感じだけど」
ははん、これはなまえちゃんとなにかあったわね、と口角を上げた。
「どうしたのよ」
睨むでもなく悩ましい顔をして、口を覆う指の隙間からため息をもらした。
「わかんねぇ。オレは、なにかまずいことをやっちまった…のか?」
「だいぶ参っちゃってるわね。面白ーい」
「おっさんなぁ…」
「まぁそんなのずーっと前からだものね」
「何言ってやがる」
「だぁって、カミュちゃんたらイレブンちゃんが故郷の話をするたびに、なまえちゃんのこときくんだもの」
まさか気づいてないわけないわよね?と、確認されておし黙る。
「それはないだ…いや、そう…だったのか…?」
「気になるんならさっさとききにお行きなさい。時間を置けば置くだけ気まずくなっちゃうわよん」
なまえの忘れ物、罠にかかった魚を手に下げて彼女の家を訪ねた。
「なまえ、川に魚置いてってたぞ。ほら」
扉からでてきたのは浮かない顔で、やはりこちらを見ようとはしない。おずおずと扉を広げて中に促すので、遠慮なく入る。
「ありがとう」
力ない声が礼を告げ、カミュの手から魚の入った籠を受け取る。それを蓋を開け水瓶に落として、彼女は手を洗い、身につけたエプロンで拭いた。
彼女の隣に立ち、顔を覗き込もうとするも、目を伏せられる。向かい合わせになり、カミュが手を頬につけると、軽く唇を噛んだ。
「…ほんとうに、大丈夫か?」
こっくりと、頭が動いた。
「体調、悪いだけなんだな?」
今度は動かなかった。頬に置いた手を顎の下に移し、指を使って上を向かせる。
「あんまりずっと目つむってっと何するかわかんねーぞ」
実際変な気を起こしそうだった。
まぶたがぴくりとする。
カミュのことを真っ向から見てしまうと、ちゃんと会話ができそうになくて視界を閉じていたが、観念して目を開ける。深い海色の瞳が、少し悲しそうにしている。ほんとうなら、飽きるまでその眼を見つめて過ごしていたい。
「ごめんなさい。気持ちの整理がつかなくて…」
「オレがなにかマズいことしたか?悪いが、心当たりがさっぱりだ」
「カミュじゃないの。私がいけないの」
「なにがあったんだ」
「お姉さんなのに、しっかりできなくて恥ずかしいわね」
「年齢は上かも知れねぇけどよ、なまえはもとから危ういぜ」
「それは、ごめんなさい」
「無理に年上ぶるなよ」
「そうじゃないの。私が、勘違いしちゃうから、あんまり優しくしないで…」
「なんだよそれ」
「イレブンから話をきいていて、そのときからなんていうか…憧れていたの。実際会ってみるとイレブンの言う通りの人で面倒見が良くて優しいし頼りになるし…」
話をきいただけで想いを募らせるなんて、良い歳をしておかしいと自覚している。けれど、イレブンの旅で、カミュは誰より一番イレブンを理解しており辛いときには言葉をかけ、思いやりに溢れ、厄介ごとに巻き込まれようとも見捨てたりせず、隣でともに闘うことを選んでくれた。
「でもマルティナ姫みたいな美人が仲間内にいるんじゃそこらへんの女の子なんて眼中にないだろうし」
それ以前にカミュのような男性と私なんて釣り合わない。
「はぁ?なんでマルティナがでてくるんだ」
「ほんとに何も思わないわけ?」
「何がだよ。マルティナは大事な仲間だが、それはベロニカもセーニャも変わらねぇよ」
「あれだけの美女がいて、一瞬でもなにかよぎらなかったの?おいろけもできるのに?ベロニカさんは見た目が少女だからできたら考えたくないけど、セーニャさんなんて癒し系で男の人ならぜったい好きになるでしょう」
「おいおい、マルティナはまがりなりにも一国の姫だぞ…ねーだろ。それにオレ、いちど武闘会の公式戦、公衆の前で負けてるし。あいつ、手より先に足が出るんだぜ。しかも普通の蹴りじゃねぇ、回し蹴りだぞ。
ベロニカはなにかっちゃあおれをバカにしてくるわ、上から目線だわ…セーニャは…どっかズレてんだよな。あいつらにしても、オレのことは仲間とは認めても男っていうんじゃないだろ」
信じがたいものを見る目をしている彼女の手を取る。
「なまえの存在が、落ち着くんだよ」
「イレブンからなまえのこと聞くたびに、なんかオレも一緒にその場にいるような気分になって、全部知ったような気になってた」
「そうなの。あの子、そんなに私の話してたのかしら」
「…これ、言うつもりなかったんだが。すっげー恥ずかしいこと言うぞ」
「う、うん…?」
「滝で会ったとき、あんまりにもキレーだったから妖精にでも騙されてんじゃねーかと思ってた」
「え?イシの大滝のとき?」
「水しぶきで輝いてて、なんか雰囲気があったんだよ」
「あぁ…あそこ光でぼやけるものね。滝きれいよね」
「ちげーよ。あー!!ったく、おまえが綺麗だったんだよ」
なまえは何度か瞬きをした。
「イレブンとエマさんの結婚を喜んでるとことか、かわいいと思った。
イレブンにも見せたことねぇ泣き顔をオレに見せてくれたので優越感持っちまったりした…」
「それで、好きになっちゃわりーかよ」
開き直った告白に、目を丸くした。
「いいの。そのままのカミュが好き」
やっと本心を告げたなまえに、満面の笑みで答えた。
**
1ページ目からカミュが情緒不安定で
2ページ目ではヘタレですみません。
(ついでにマヤも情緒不安定ですね。)
私の力ではうまくカッコよさを出せませんでした。
↓後日、イレブンとカミュの会話↓
**
「カミュ、なまえのことよろしくね」
「おま…折を見て言おうとは思ってたが、なまえが教えたのか?」
「いいや。だって、自分の相棒と姉のことなんて見てればわかるよ。それに、二人がくっついてくれればいいのになってずっと思ってたから」
「お前の思惑通りってわけかよ」
「なまえはさ、みんなの前じゃ年上ぶるけどもっと気を抜いてほしいんだ。カミュならうまく甘えさせてくれるだろ。女の扱いに慣れてるっていうか」
「人聞きが悪いぜ。マヤのわがままに振り回されてるだけだっつの」
「それでいいんだよ。とにかく、いままでなまえを恋愛対象の女性として扱ってくれる人がいなかったからさ、浮いた話もなかったんだ。なまえが好きになったのがカミュで嬉しい」
「嘘だろ…」
「ほんとに嬉しいんだってば」
「そうじゃねぇ。女性として扱わないって…」
「こんな小さな村じゃみんな家族みたいなもんだし、そういう雰囲気にもならないっていうかさ。いまは若い人も入ってきたけど、なまえもなまえで真面目だから村を戻すことしか頭になかっただろ。そういう場合じゃないってつっぱねててさぁ。でもカミュなら、上手にほぐして取り入ってさ、なまえの良さをわかって受け入れてくれるんじゃないかなって」
「強情っぱりなとこあるからな」
「そうなんだ。なんでも我慢しちゃってさぁ。なまえは人前で泣いたりしない。俺に対してお姉さんぶるし、女のエマでも多分泣いてるとこ見たことないんじゃないかな」
「ああ…」
カミュが追い詰めたようなものだが、独り占めした泣き顔を思い出す。
「それがカミュの前では素直でいることができるんだなって」
「…知ってたのか?」
「なにが?」
「あいつが泣いたこと」
「え、なまえ泣いたの。いつ?カミュそれ見たの?」
「いや、あれはオレが泣かせたっつーか…わりぃ」
「泣かせたってなに」
声音が低く怪訝な顔つきになったので、どう弁解すべきか頭を悩ませた。
「お前の結婚の前、なまえの奴村を戻そうと躍起になって、無理を重ねてただろ。だからお前が体壊してまでやることじゃねぇって諭したら、それで…。ずっと抱え込んでたみたいだぜ」
「そっか、良かった。やっぱりカミュしか預けられる男はいないよ。なまえを泣かせた責任は取ってもらわないと」
「ほんっとにお前は…いつもとぼけてるような野郎なのに、わりと計算高いよな」
「ありがとう」
「褒めてるように聞こえんのかよ」
「あははは。なまえは大事な姉さんだから、そこらへんの男には渡したくないけど、泣き顔まで見たカミュならいいよ。俺の相棒だもん」
「そりゃどーも」
**
終わり。
読んでくださりありがとうございます。
「はじめまして、マヤちゃん」
「…この人が、なまえ?」
「さん、をつけろ、さん、を」
慌てた様子で妹の頭を小突く兄は、なまえに申し訳ないと謝った。それを見て女性は面白そうにしていた。
「へぇー。なんか、ふっつーだな」
先入観で、兄の惚れる女性というのはマルティナをも凌ぐ傾国の美女であるような気がしていた。でなけば横に並んだときの釣り合いもとれないし、あの誰もが認める美の代表マルティナと旅をしても気に留めない兄なのだから、それを上回るものを持つ人でなければ彼のお眼鏡にかなわないのだろうと。身内の贔屓目なしにも、兄貴は美形だ。立ち寄った町の娘たちの間ですぐ噂になるし、なにかといえば贈り物をもらうしおばさんたちにも人気になってしまうほどの容姿。
それが、まぁそれなりに整っているとはいえ、完全に土くさい田舎に溶け込んで収まっている村娘なんて。
「はぁ。普通ですよ?」
この場にいる勇者パーティのメンバーが突出して偉人たちなだけで。勇者と同じイシの村出身とはいえど、これといった起伏のない日々を続ける村人がほとんどだ。畑を耕し、家畜の世話をし、川で釣りをする。ごはんをつくり、洗濯して、掃除して、井戸端でおしゃべりをする。そんな毎日だ。
それは大事な生活の礎だし、なにも恥じることなどない。
「まぁいいや、おれ、マヤ。よろしく」
「はい、噂はかねがね。よろしくね、マヤちゃん。遠いところを来てくれてありがとう」
「ほんとに遠いな、ここ」
「道中はどうだったの?どこか寄ってきた?」
「グロッタの街に泊まったけど、カジノは兄貴に止められたから観光だけだったな」
「ふふ…カジノは大人になってからね」
「あ、でもダーハルーネはいろんな店があって楽しかった」
「ダーハルーネは栄えているらしいから。買い物はした?」
「荷物になるからあんまり物は買ってない」
「それもそうね」
「なまえは?旅したことないのか」
「私はずっとイシの村にいるわ」
「ずっと?それってつまんなくねーか?」
「そんなことないわ。毎日平和でありがたいばかりよ」
マヤは、何を期待していたのか。
もっと美人で、もっと魔法とか武術に優れて、誰が見ても文句なしにカッコイイというような、姉の鑑のような人に憧れていた。大好きなおにいちゃんを任せるのだから、それなりの人でないと、と。加えてちょっとした嫉妬心。これまで二人きりの家族だった中に、他人が割り込まれてしまうのが、少し怖かった。頭では大人になって受け入れなければ、と言い聞かせるも、心のどこかはまだ納得できないでいた。兄貴に幸せになってほしいのは本心だ。けれども、まだおにいちゃんに甘えてもいたい。
***
イシの村はクレイモランと違って空気も人々ものどかで緑が鮮やかだった。太陽を近くに感じて、少し歩くと汗ばむくらい。
今夜の宿は教会だった。イシの村の宿は衝立もないほど粗末なもので、雑魚寝をするに近い。年頃の少女を居座らせるにはためらわれた。かといってイレブンの家も寝床が足りないので泊まれず、教会に頼んで一晩を過ごすことにした。
すぐ近くのベッドで熟睡している兄を起こさぬようにそっと起き上がり、扉に向かう。
教会から出ると、草は揺れかすれ、虫は元気になき、動物たちのいびきや風が吹く音さえ敏感に感じ取ってしまう。夜というものはこんなにもうるさいものだっただろうか。
ほとんどが火を落として真っ暗な中、向こうに珍しく、明かりのついている家がある。奇妙だと思って見つめていると、ほどなくしてそこからでてきたのは、昼間に会ったなまえだった。
「マヤちゃん、こんな夜中に外に出るなんてどうしたの?」
「なんか周りがうるさいから眠れないんだ」
「そう。とりあえず家にいらっしゃい。さすがに冷えるでしょう?」
雪国の人間からすれば涼しいくらいだったが、訂正せずに着いていく。
「あんた、起きてたのか?」
「家のことしてたら、なんだかんだでこんな時間になっちゃった。でもおかげでマヤちゃんにも気づけたわ」
それが彼女にとっては喜ばしい出来事のように聞こえて、首をかしげる。顔見知りとはいえ真夜中になってから外をうろついている怪しい人物を家に入れるのは面倒ごとではないのか。
「ふーん」
他人の家にこんな風に招き入れてもらうことは初めてかもしれない。家自体は木の匂いをかぎとれるほどに新しいが、いかにも引っ越したばかりという風情で家具もまともにない。マヤとて兄とと共に住んでいた洞穴も野外テントと変わりない作りだったから殺風景な部屋に気が休まるほどだ。床には絨毯も敷かず絵や花瓶などの飾りものもない。
壁の右から左へ紐がかけられていて、洋服やタオルがぶら下がっている。
「ミルクをあたためるから、飲んだらベッドに行きましょう。私ももう寝るわ」
「アリガト」
もともと眠いには眠かったのだ。マグカップをもらってちびちび飲み体があたたまると、うとうとしてきた。
手を引かれて、簡易だが新しく、清潔にされたベッドに寝かされた。
毛布を優しくかけられて、無防備ながらにこの人の手つきは好きだな、と感じた。赤子にするように、拍子をつけて毛布の上から体をぽん、ぽん、と撫でられる。こんな風に扱われるのは、いつぶりだろう。
「どう、寝られそう?」
「クレイモランでは、雪が多いから…雪がぜんぶ音を吸い込んで、静かなんだ…」
道中では徒歩での移動だったので、街々の宿やキャンプ場では疲れですぐ寝入っていた。それがイシの村でのんびり過ごしたので、周囲を知る余裕ができてしまった。あの洞穴の中で、出入り口に布を垂らしただけの我が家では、物も少なかったから音を立てるものもなかった。夜中まで飲んだくれる荒くれものの海賊はいたが、アジトとは離れていたし動物は土地柄少なかった。ましてや虫の音など響かない。わずかな衣擦れの音でさえ、雪がかき消してくれていたのだと知る。
「そうなの。雪が」
「ん…、ここはたくさんいろんな音聞こえてきて、落ち着か…」
「私にとっては子守唄なのだけれど…ごめんなさい」
どうして謝るんだ、変なヤツ、ともごもごしたが音にはならなかった。おやすみなさい、良い夢を、と優しい声が聞こえたような、聞こえなかったような。
***
翌朝になって、気恥ずかしさを覚える。昨日どう接して良いかわからず反抗してた人間に甘えてしまったことが。
どうしてだか、一晩ともに過ごして自分の兄と似ているような気がして、妙に安心してしまったのだ。なまえは青いつんつん髪も海色の瞳も持ってないし、言葉づかいも荒くない。なのに世話焼きなところとか、優しい手だとか、重なるところがあった。
そうか、兄貴にするようにおねぇちゃんにも接すれば良いのか。
解決法を見つけると、すっきりして背伸びをした。
朝になって、騒々しく扉を叩く者があった。
扉の先には、血相を変えたカミュの姿。
「なまえ、マヤがいなくなっー…ここにいやがった」
途中で、奥から自分と同じ空色の髪をした少女を見つけて、言葉を変えた。妹はテーブルについて、満足そうにもぐもぐと口を動かしている。
「おはようカミュ。マヤちゃん、昨日眠れなかったみたいで外にいたから、うちで寝かせてあげてたの。カミュも朝ごはんまだなら食べていく?」
一気に脱力した。
「すまない…」
朝食のことではなく、妹が迷惑をかけたことに対しての謝罪だったわけだが、なまえはどちらにしろ困りごととは捉えていないようだった。きっとイレブンやエマで慣れているのだ。
「上がっていって、いま卵とベーコン焼くから」
マヤの向かいの椅子に座ったところで、口元にパンくずをつけながら挨拶してきた妹。
「はよー兄貴、パン食えよ。姉貴の豆スープもうめーぞ」
「お前はおはようじゃねぇだろ、オレがどんだけ焦ったと思ってんだ…」
怒った顔を保ちつつ、なにかが引っかかる。マヤは昨日、なまえを呼び捨てにして注意しても改善しようとしなかった。
それが、あねき?
「姉貴のこと、認めてやってもいーぞ」
「おまえ、調子が良いヤツだな」
呆れて物も言えない、とそっぽを向くと、台所に立つなまえの後ろ姿が目に入って、表情が緩む。エプロンのリボンの結び目さえもきっちりしていてきれいだ。と、彼女がフライ返し片手に半身だけこちらを振り返って、にっこり尋ねた。
「カミュ、ソーセージも食べる?」
「あぁ、頼む。ってかオレも手伝うぜ?」
椅子から腰を浮かせると、押しとどめられた。
「良いの、座ってて。ありがとう」
「兄貴が気持ちわりー。いししっ」
テーブルの下で、軽く足を蹴りつける。
「うっせー。後で皿洗いくらいしろよ。ご馳走になってんだから」
「へーへー」
出された小さなボウルに注がれた豆スープを一口飲むと、素直な感想を告げる。
「うまい」
それを聞いて嬉しそうにするなまえとカミュの目が合って、同時に照れる。
うっわ兄貴がニヤけてんの見るのマジでキモチワルイな。
「ごちそうさまでした。姉貴、オレが皿洗うよ」
率先して片づけだすと、なまえが止めようとする。
「夜中に邪魔して朝メシまで食わせてもらったし、これくらいおれにもできるって。姉貴は兄貴の相手してやってくれよ」
汚れた食器を奪おうとする手をぐいぐいと押しのけるので、諦めてお茶の用意を始めた。
「ありがとう、マヤちゃん。助かるわ」
「いいんだよ。やらせてやってくれ」
「カミュは、朝ご飯あれで足りた?」
「じゅうぶん馳走になった。そういえばシルビアが来るらしいんが、きいたか?」
「え?ううん、知らないわ」
「イレブンの奴言ってなかったのか」
「シルビアさんって?」
「オレらの旅仲間で、芸人だ」
「ああ!以前村にいらしてたみたいだけど、私は会ってないのよね」
「あいつのショーはちょっとしたもんだぜ」
「ほんとう?大道芸なんて見たことないわ。どんな感じかしら」
「なら詳しいことは教えねー。シルビアが来るまで楽しみにしてるんだな」
「えっ教えてくれないの?」
マヤは後ろで交わされる会話を聞き流すために頭を振った。
***
「娯楽が少ないイシの村のみんなのために、シルビアがショーをお披露目しちゃうわよん!」
一度見たら忘れられない人、とはまさにこの人のことを言うのだろう。風格からして人並み外れている。
「イレブンちゃーん!久しぶり!」
ハートマークの飛び出そうな笑顔で、大仰に手を振る。
イレブンは驚いた様子もなくのほほんと笑っているし、あれで普段通りなのだろうか。
「シルビア、来てくれてありがとう。でもイシの村はまだその、心許なくって」
支払えるものは雀の涙、とうていシルビアのような大スターに見合う報酬は用意できない。
「心得てるわ。村にはまだまだ支援が必要なんだから、今回は無料でね。デルカダール王国でたんまり一稼ぎしてきたばかりだから、安心して。アタシ、みんなを元気づけたいの」
わりと分厚い胸板を叩いた。
公演は拍手喝采の大成功だった。シルビアがこしらえた舞台に花が投げ込まれ辺りには紙吹雪が散り、観客たちの口笛が鳴りやまない。スーパースターを追いかけてデルカダールくんだりからやってきた者もいて、会場はすし詰め状態だった。
愛想を振りまいてシルビアが水色の兄妹の席に落ち着くと、グラス瓶が差し出された。
「素晴らしいショーをありがとうございました。エールを一杯いかがですか?」
「やっだ~、わかってるぅ~!ありがとう」
カミュとマヤに手を振って給仕は去る。シルビアが一気飲みして、濡れる口元を拭った。
「ふう。それにしてもカミュちゃんとマヤちゃんもきてるだなんて知らなかったわ」
目立つ髪色をした兄妹なので観客席にいるとすぐわかった。
「ここには兄貴の好きな人がいるからな」
「マヤ、てめぇバカ」
「うふっ、それってなまえちゃんって子?」
キラキラとした瞳で、語尾にハートマークをつけて。お見通しとばかりに瞬きをする。
イレブンから村人たちのことはきいていたし、幼馴染のエマと二人の姉代わりであるなまえのことは特によく口にしていた。外見の特徴からして、エールを差し出してくれた女性がそれだとピンときたし、カミュの目線の熱さからだいたいの推測がつく。
カミュは一度目を逸らし、片手で首の後ろを撫でた。
「あの子がそうなんでしょ」
「そういうんじゃない。そもそもオレはマヤの面倒を見なくちゃなんねーし、」
シルビアは座りながらも腰に手を当てて、こちらを見下ろすようにした。
「男らしくないわ。マヤちゃんが大人になるまで面倒みる。そしてなまえちゃんとも幸せになる。カミュちゃんなら両方できるわよ」
「できるとかできないとかの問題じゃ…」
「だいたいねー、アナタ二十歳そこそこでしょ。四十路の男やもめみたいになってるわよ。マヤちゃんだってオムツの必要な赤ちゃんでもないんだし、見守るくらいで良いのよ」
「そーだそーだ」
合いの手が入って、カミュは横目で妹を見やった。彼にとってはマヤはいつまでも小さい手のかかる妹だった。はずなのに、子供扱いすると嫌がるようになってきたのは、思春期だからだと親の立場になっていたが、本当に成長しているのかもしれない。もう彼女に必要なのはずっとそばで守ってやるのではなく、手を離して独り立ちを促すことなのだろうか。
「そうか」
しんみりと呟いた。
「みっともねぇとこ見せちまったな」
気まずそうに、シルビアに向くとにっこりと返された。
「あらどうして?誰かを守る覚悟をしてる男って、かっこいいわよ。自分を過大評価してあれもこれもって 欲張りなのはいけないけれど、カミュちゃんならマヤちゃんもなまえちゃんもちゃーんと、大事にできるわ。きっとよ」
ウィンクをして、長い睫毛が頬に陰を落とす。
ああ、ほんとに人を元気づけるのが上手いおっさんだなぁ。
席を離れ、先ほどエールを提供してすぐ立ち去った女性を探して、シルビアは訪ね回った。
「なまえちゃん、なまえちゃぁん!」
「え、あ、はい。シルビアさん、どうかなさいましたか?」
「なまえちゃんは、カミュちゃんのこと好きなのよね?」
イレブンから人となりはきいていたとはいえ、ほぼ初対面の人間から突っ込まれたことを聞かれると気後れしてしまうのがいつもなのに、シルビアはどこか首を突っ込んでも許されるような雰囲気があって、なにより嫌味というものと無縁だった。
「ええ?え、っと…」
「やだ、かわいい~!わかるわよ~だって、二人がお互いを見つめ合う視線、特別なものが伝わってくるもの」
「イレブンの相棒っていうくらいだから、良い子なのは確かです。でもイシの村にいないタイプの人だから、珍しいなっていう…恋愛かどうかと言われると…」
村の住民は総じて純朴で、おおらかである。見た目だけでも、あんなに鮮やかな明るい青色の髪は見られない。人目をひく容姿に加え、なんだかんだで優しいので、無垢な少女であれば簡単に恋に落ちてしまうだろう。だがなまえは、とっくに少女の域を超えている。
一連の出来事により村人たちの間の結束が強くなり、もともと田舎であることも手伝って、独り身には家族を持てと囃される傾向が顕著になりつつあった。だから、恋愛を楽しむことをすっとばしてなりより結婚を考慮しなければいけない風潮にある。年頃なれば所帯を持てと押し付けられるのを、まだ村の復興でそれどころではない、と突っぱねてなんとかごまかしてきた。
それは、ふとした日常に心を許せる人がそばにいてくれれば、と思わないこともない。
しかし浮ついてはいられないのだ。
「カミュちゃんなら、一度押し倒しちゃえばあとはカミュちゃんが良くしてくれるわよ」
「シルビアさん?!何を言って…」
明るい調子で言い切るので、冗談かと思った。けれどもその後否定もしないので、心からの言葉なのだと理解する。
「なまえちゃんがとーっても真面目で、責任感のある子だっていうのはわかるけど、恋愛は自由よ。結婚は誰かに言われてするものじゃないわ。それから自分に素直になりなさい」
諭されて、思い浮かぶのは青い髪と青い瞳。
「恋をするのに、時も場所も関係ないんだから」
村の再興を盾にしたとて、エマとイレブンも、最中ながら式を挙げた。村の人たちは嬉しそうにふたりの新しい門出を祝福し、なまえもペルラとともに手を取り合ってきゃいきゃい言ったものだ。情報屋も村の女性と婚約したと聞く。私のことも、そういうふうに歓迎されるだろうか。
そもそも、彼は私に気持ちがあるのかすらわからないのに。イレブンの相棒で、シュエルがイレブンの姉のようだから気安く接してくれているだけで、そんなつもりもないとしたら。
思い上がった女だと見られたくない。
村が大変なときに悠長な、と。
イレブンにも気まずい思いをさせてしまうかもしれない。沈む表情のなまえの肩に、シルビアが優しく手を置いた。
「だいじょうぶだから。なまえちゃんは、素直になるだけでいいの。難しく考えないで。
応援してるわよ~!」
嵐のような人だ、となまえはお盆を胸にかかえて言われたことを反芻した。
***
エマに翌日は何もしてくれるなと釘を刺されたものの、村中で復興に尽力している中、自分だけのうのうとしているのはどうも気が休まらない。魚獲り用の籠網を川に仕掛けて、獲物が罠にかかるのを待つことにした。 これで待っている間は何もしていない、という言い訳が立つ。
川辺に座って、裸足を流れに浸す。透明な中に魚が泳ぐ姿を見て、ほっとする。この平和が戻ってきて間もない。暗雲が晴れて、日向ぼっこができるようになったのはつい最近のことだ。
視界の端に水色の人影が見えて、幻想かと思った。けれどそれは喋った。
「よぉ。今日は村の外じゃないんだな」
「カミュ…」
昨日のシルビアの言葉が脳裏をよぎり、変に意識をしてしまう。まっすぐその目を見れない。
―押し倒しちゃえば。
体幹はまっすぐで、長袖から見える手首も明らかに自身のものより骨太で、首から背中にかけても筋肉の線が見える。ちょっとやそっと押したくらいでは、びくともしそうにない。しゃがみこんだ彼は、篭網を見つけた。
「お、魚掛かってるぞ」
せっかく二人きり、というべきかなんでこんなときに二人きり、なのか。
「昨日のシルビアのショー、ちゃんと見てたか?あのおっさんのパフォーマンス相変わらずすげーよな。つっても、なまえは見たの初めてか」
「…うん…」
「疲れてんのか?昨日座ってショー見てればよかったのに」
つまみやらエールやらを配膳していたのを見ていた。
「……」
「おーい」
耳元で大きな声を出され、体が跳ねた。立ち上がったところで足を小石にとられ、川の中に倒れそうになる。だが次の瞬間には、抱きとめられていた。
「わりぃ。ぼーっとしてるからからかっちまった」
しっかり掴まれた腕も、近距離で聞こえる声も、はだけた胸元から見える素肌も、生々しくあたたかい。
流れるような鎖骨を凝視して、息苦しくなった。
「ダメかも…」
「ん?熱でもあるのか?まだ本調子じゃねぇんだろ」
真っ赤な顔を見下ろして、額に手を伸ばす。それを一歩下がって避けた。
「うん、熱があるのかも。風邪だと移ったらいけないから、帰るね」
「家まで送るぞ」
「ううん、いい」
無碍にも断られ、カミュには返す言葉もなかった。奇妙な間が空く。はずみで川に落ちた靴を拾って、地面に上がった。
「失礼します」
ぺこりと他人行儀な礼をして、呆気にとられたカミュを置いて家に向かった。
「あらぁ。カミュちゃんじゃない」
「ああ」
「それで、今朝なにかあった?うふふ、昨日なまえちゃんをちょーっとけしかけちゃった」
「なにかって…なんだ」
「…なあにそれ。なにもなかったのね」
「ねぇっちゃねぇけど…」
煮え切らない答えにシルビアは肩をすくめる。
「なんだかカミュちゃんが上の空なんて珍しいわね。クレイモランのときとはまた違う感じだけど」
ははん、これはなまえちゃんとなにかあったわね、と口角を上げた。
「どうしたのよ」
睨むでもなく悩ましい顔をして、口を覆う指の隙間からため息をもらした。
「わかんねぇ。オレは、なにかまずいことをやっちまった…のか?」
「だいぶ参っちゃってるわね。面白ーい」
「おっさんなぁ…」
「まぁそんなのずーっと前からだものね」
「何言ってやがる」
「だぁって、カミュちゃんたらイレブンちゃんが故郷の話をするたびに、なまえちゃんのこときくんだもの」
まさか気づいてないわけないわよね?と、確認されておし黙る。
「それはないだ…いや、そう…だったのか…?」
「気になるんならさっさとききにお行きなさい。時間を置けば置くだけ気まずくなっちゃうわよん」
なまえの忘れ物、罠にかかった魚を手に下げて彼女の家を訪ねた。
「なまえ、川に魚置いてってたぞ。ほら」
扉からでてきたのは浮かない顔で、やはりこちらを見ようとはしない。おずおずと扉を広げて中に促すので、遠慮なく入る。
「ありがとう」
力ない声が礼を告げ、カミュの手から魚の入った籠を受け取る。それを蓋を開け水瓶に落として、彼女は手を洗い、身につけたエプロンで拭いた。
彼女の隣に立ち、顔を覗き込もうとするも、目を伏せられる。向かい合わせになり、カミュが手を頬につけると、軽く唇を噛んだ。
「…ほんとうに、大丈夫か?」
こっくりと、頭が動いた。
「体調、悪いだけなんだな?」
今度は動かなかった。頬に置いた手を顎の下に移し、指を使って上を向かせる。
「あんまりずっと目つむってっと何するかわかんねーぞ」
実際変な気を起こしそうだった。
まぶたがぴくりとする。
カミュのことを真っ向から見てしまうと、ちゃんと会話ができそうになくて視界を閉じていたが、観念して目を開ける。深い海色の瞳が、少し悲しそうにしている。ほんとうなら、飽きるまでその眼を見つめて過ごしていたい。
「ごめんなさい。気持ちの整理がつかなくて…」
「オレがなにかマズいことしたか?悪いが、心当たりがさっぱりだ」
「カミュじゃないの。私がいけないの」
「なにがあったんだ」
「お姉さんなのに、しっかりできなくて恥ずかしいわね」
「年齢は上かも知れねぇけどよ、なまえはもとから危ういぜ」
「それは、ごめんなさい」
「無理に年上ぶるなよ」
「そうじゃないの。私が、勘違いしちゃうから、あんまり優しくしないで…」
「なんだよそれ」
「イレブンから話をきいていて、そのときからなんていうか…憧れていたの。実際会ってみるとイレブンの言う通りの人で面倒見が良くて優しいし頼りになるし…」
話をきいただけで想いを募らせるなんて、良い歳をしておかしいと自覚している。けれど、イレブンの旅で、カミュは誰より一番イレブンを理解しており辛いときには言葉をかけ、思いやりに溢れ、厄介ごとに巻き込まれようとも見捨てたりせず、隣でともに闘うことを選んでくれた。
「でもマルティナ姫みたいな美人が仲間内にいるんじゃそこらへんの女の子なんて眼中にないだろうし」
それ以前にカミュのような男性と私なんて釣り合わない。
「はぁ?なんでマルティナがでてくるんだ」
「ほんとに何も思わないわけ?」
「何がだよ。マルティナは大事な仲間だが、それはベロニカもセーニャも変わらねぇよ」
「あれだけの美女がいて、一瞬でもなにかよぎらなかったの?おいろけもできるのに?ベロニカさんは見た目が少女だからできたら考えたくないけど、セーニャさんなんて癒し系で男の人ならぜったい好きになるでしょう」
「おいおい、マルティナはまがりなりにも一国の姫だぞ…ねーだろ。それにオレ、いちど武闘会の公式戦、公衆の前で負けてるし。あいつ、手より先に足が出るんだぜ。しかも普通の蹴りじゃねぇ、回し蹴りだぞ。
ベロニカはなにかっちゃあおれをバカにしてくるわ、上から目線だわ…セーニャは…どっかズレてんだよな。あいつらにしても、オレのことは仲間とは認めても男っていうんじゃないだろ」
信じがたいものを見る目をしている彼女の手を取る。
「なまえの存在が、落ち着くんだよ」
「イレブンからなまえのこと聞くたびに、なんかオレも一緒にその場にいるような気分になって、全部知ったような気になってた」
「そうなの。あの子、そんなに私の話してたのかしら」
「…これ、言うつもりなかったんだが。すっげー恥ずかしいこと言うぞ」
「う、うん…?」
「滝で会ったとき、あんまりにもキレーだったから妖精にでも騙されてんじゃねーかと思ってた」
「え?イシの大滝のとき?」
「水しぶきで輝いてて、なんか雰囲気があったんだよ」
「あぁ…あそこ光でぼやけるものね。滝きれいよね」
「ちげーよ。あー!!ったく、おまえが綺麗だったんだよ」
なまえは何度か瞬きをした。
「イレブンとエマさんの結婚を喜んでるとことか、かわいいと思った。
イレブンにも見せたことねぇ泣き顔をオレに見せてくれたので優越感持っちまったりした…」
「それで、好きになっちゃわりーかよ」
開き直った告白に、目を丸くした。
「いいの。そのままのカミュが好き」
やっと本心を告げたなまえに、満面の笑みで答えた。
**
1ページ目からカミュが情緒不安定で
2ページ目ではヘタレですみません。
(ついでにマヤも情緒不安定ですね。)
私の力ではうまくカッコよさを出せませんでした。
↓後日、イレブンとカミュの会話↓
**
「カミュ、なまえのことよろしくね」
「おま…折を見て言おうとは思ってたが、なまえが教えたのか?」
「いいや。だって、自分の相棒と姉のことなんて見てればわかるよ。それに、二人がくっついてくれればいいのになってずっと思ってたから」
「お前の思惑通りってわけかよ」
「なまえはさ、みんなの前じゃ年上ぶるけどもっと気を抜いてほしいんだ。カミュならうまく甘えさせてくれるだろ。女の扱いに慣れてるっていうか」
「人聞きが悪いぜ。マヤのわがままに振り回されてるだけだっつの」
「それでいいんだよ。とにかく、いままでなまえを恋愛対象の女性として扱ってくれる人がいなかったからさ、浮いた話もなかったんだ。なまえが好きになったのがカミュで嬉しい」
「嘘だろ…」
「ほんとに嬉しいんだってば」
「そうじゃねぇ。女性として扱わないって…」
「こんな小さな村じゃみんな家族みたいなもんだし、そういう雰囲気にもならないっていうかさ。いまは若い人も入ってきたけど、なまえもなまえで真面目だから村を戻すことしか頭になかっただろ。そういう場合じゃないってつっぱねててさぁ。でもカミュなら、上手にほぐして取り入ってさ、なまえの良さをわかって受け入れてくれるんじゃないかなって」
「強情っぱりなとこあるからな」
「そうなんだ。なんでも我慢しちゃってさぁ。なまえは人前で泣いたりしない。俺に対してお姉さんぶるし、女のエマでも多分泣いてるとこ見たことないんじゃないかな」
「ああ…」
カミュが追い詰めたようなものだが、独り占めした泣き顔を思い出す。
「それがカミュの前では素直でいることができるんだなって」
「…知ってたのか?」
「なにが?」
「あいつが泣いたこと」
「え、なまえ泣いたの。いつ?カミュそれ見たの?」
「いや、あれはオレが泣かせたっつーか…わりぃ」
「泣かせたってなに」
声音が低く怪訝な顔つきになったので、どう弁解すべきか頭を悩ませた。
「お前の結婚の前、なまえの奴村を戻そうと躍起になって、無理を重ねてただろ。だからお前が体壊してまでやることじゃねぇって諭したら、それで…。ずっと抱え込んでたみたいだぜ」
「そっか、良かった。やっぱりカミュしか預けられる男はいないよ。なまえを泣かせた責任は取ってもらわないと」
「ほんっとにお前は…いつもとぼけてるような野郎なのに、わりと計算高いよな」
「ありがとう」
「褒めてるように聞こえんのかよ」
「あははは。なまえは大事な姉さんだから、そこらへんの男には渡したくないけど、泣き顔まで見たカミュならいいよ。俺の相棒だもん」
「そりゃどーも」
**
終わり。
読んでくださりありがとうございます。