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**
特産品もないような村だったが、あたりで唯一の観光地になりうる場所。
上から光が降り注ぎ滝の雫に反射してその空間を外よりもさらに明るくみせている。神秘的なまでに輝いていた。
「こんにちは。見ない顔ね。旅人さん?」
人懐っこく挨拶をしてきた女性は、薄着のうえからストールを肩にかけていた。滝の裾野に座り込み、警戒もせず微笑む輪郭を細かい飛沫がぼやかし、夢のように幻想的に見せていた。
「あぁ、まぁ…」
意味もなく左の耳飾りを触る。指先にはちゃんと金属の固い感触がある。これは妄想ではない。
見惚れてぼんやりと歯切れの悪い返答にも気を悪くした素振りも見せず、彼女は会話を続けてくれた。
「この近くなら、イシの村にご用事かしら。何もない村だけれど、ゆっくりはできると思うから、どうぞ思う存分休んでいってください」
立ち上がりスカートを叩いて、砂を落とす。
「涼しいのは良いけれど、少し体が冷えちゃいそう。私はもうイシの村に戻るけれど、旅人さんは?」
「あぁ、それならオレも村に行こうかな」
いたずらな妖精にでもかどわかされているのだろうか、でも危険な匂いはしない。昔から勘はするどく、宝箱の中身を開けずともそれが安全かどうか当てられるくらいだ。この女性は、悪魔の類ではない。
大滝につながる洞窟から出ても、彼女はそばにいた。気配も人間のものだし、そばかすの浮かぶ頬が薄く色づいているのを見て、ようやくさきほどの出会いが現実であることを認めた。
「なまえ!どこに行ってたの?イレブンも探してたのよ」
「イシの大滝に涼みに行ってたの」
「やっとベッドから起き上がったばかりなのに、外にでるなんて。また寝込んだらどうするのよ」
エマが女性の手を取り、眉をしかめる。まるで背後の男の存在など眼中にないようで、続いてストールから透ける肩を掴んだ。
「ほら、こんなに体を冷やして」
「だいじょうぶよ。今日は散歩したくなったの」
「じゃあその腰の袋がふくらんでるのはなに?まったくもう、家まで一緒に行くわ」
腰のベルトからひったくった袋には、彼女が採取したであろう薬草が詰まっていた。散歩と称し、病床につくべきところを無理に外に出たのだ。
「ありがとう、エマ」
「やっと見つけた、なまえ!」
息巻いて走ってきたのは線の細い青年。
「イレブン、どうしたの」
「どうしたもこうしたもないだろ!母さんになまえのお見舞いを頼まれて家に行ったらベッドはもぬけの殻で…どこかで倒れてないかって心配したよ」
ちなみにイシの村では家に鍵をかける習慣はない。簡易な内鍵は備え付けてあるものの、村人全員が顔を知っており付き合いも深いので、村全体が家そのものといってもいいくらいだ。家に入るときにはノックして声をかける程度で事足りる。そうやってイレブンもなまえの不在を知った。
「それはごめんなさい。私はこのとおり元気よ。帰りも旅人さんをちゃんとご案内できたわ」
なまえの数歩うしろで黙ってそれまでのやりとりを見ていた青い髪の男性が、笑いをこらえるような仕草をして、イレブンに向かって片手を上げた。そこでエマが目を丸くしてあわてた声で挨拶する。
「あっカミュさん…」
「旅人さんって…カミュのこと?」
なまえが振り向いて、カミュは表情を戻した。
「あら、あなたがカミュさんだったんですか?」
「そうです。オレのこと知ってるんですか。なまえ、さん」
「はい。イレブンの相棒だときいてます。イレブンのこと、これからもよろしくおねがいしますね」
この言い草は、イレブンの姉のような立場なのか。
「こちらこそ」
「…ふたりとも初めてだっけ?」
「話はきいたことあるけど、会うのは初めてよ」
「オレも話しかきいてねぇな」
イレブンのとぼけた問いに息を合わせて答えると、目を合わせて笑った。
「じゃあこれで紹介は済んだよね」
「もう、この子ったらいい加減なんだから。ごめんなさい、カミュさん」
「気にしないでください。オレもコイツがこういう奴だってるのは知ってるから」
エマが頃合いを見て、なまえを引き離す。
「悪いけどカミュさん、なまえを連れていかないといけないの。まだ具合悪いくせに無理して」
「それじゃ、お大事に」
「ありがとうございます。どうぞ村でのんびり、ちょっとエマ、引っ張らないで」
別れの言葉も満足に言えないまま、強制的に家に向かわせられる。
「カミュ、よく来てくれたね」
「あの後どうなったかと思ってな」
村人が城から解放されて、しばらく経った。
「だいぶ立ち直ってきたよ」
「そのようだな」
「しばらくいられるの?」
「まぁ、少し手伝いがてらゆっくりしてくぜ」
「助かるよ、ありがとう。じゃあ、好きなときによろしく頼むよ」
明くる日早速イレブンについて復興の手伝いを申し出ると、なまえは恐縮していた。対してイレブンは素直にありがとうといって喜んでいた。
「長旅でお疲れではないですか?」
「良いんですよ。昨晩よく休めたので。オレ、手先はきようなほうだし、役に立てると思います」
「無理なさらないでくださいね。イレブンも、ほんとは休んでて良いんだからね」
前半はカミュに、後半はイレブンに言い聞かせるようだった。
「はいはーい」
村中に落ちていたものを拾い集めたがれきの山。それらを使えるもの廃棄するもので選別作業をしようというのだった。
「なまえ、これ捨てる?」
「うーん。そうね、処分するものはこの木箱に入れておいて」
「なまえさん、まだこれ使えそうですけど磨いておきますか?オレやりますよ」
古びた剣は、錆びを落とせば使えそうだった。
「あ、ありがとう。そうしてもらえますか?」
「わかりました。あとでまとめてやっておきます」
矢継ぎ早の質問に相手を目視で確認することもなく答えていく。イレブンはいたずらっ子の顔をして、カミュと目を合わせた。カミュもにやりとして、相棒の意思を読み取ったようだ。
「なまえさん、素材混じってたんでよけておきますね」
仕掛けたのはイレブンだ。わざとカミュの声真似をして、敬語で話しかけた。なまえはこちらを見ずに手元の紙に何かを書き足した。
「わかりました。あとで取り分ける袋を持ってきますね」
「壊れた盾はどうする?」
持ち上げたのは、割れた木製の盾だが、釘が残っている。
「釘とかの鉄部分は溶かしてなにかに使えると思うからとっておいて。破片で手を切らないでね、イレブ…ン?」
「はい」
違和感に気づいたのか、はっとして二人を見比べる。素材を手にフリフリ揺らして歯を見せるイレブンに、盾を手にするカミュ。
「あれ?いまのカミュさん?でも、え、ちが、ごめんなさい、間違ったんです」
「あはは、なまえが混乱してる」
ひとしきり笑った後、カミュは言葉を崩した。
「敬語じゃなくて良いぜ。いちいちめんどくさいだろ」
「えー、えーと、じゃあ、そうするね」
「オレもなまえって呼んで良いか?」
「っ、どうぞ」
真顔だと美貌もあいまって鋭い瞳が冷たく見せるが、ひとたび表情を崩すと子供っぽささえ感じさせる。詳しいことは知らないものの苦労した生い立ちのせいで随分と精神的に成熟しているかと思えば、いたずらのようなこともするのは、イレブンの影響か。
「オレの物まね、上手かったか?」
「書き物しながらきいてたから、似てたとかじゃないわよ」
悔し紛れにそう返すと、まだ笑っている。
「まったく、大人をからかわないでちょうだい」
居心地悪そうに睨むものの、上目遣いになっているだけなので怖くはない。
「こういうことも楽しみながらやったほうがいいじゃないか」
「思ったよりおちゃらけてるのね」
「あー、仲間にひとり、芸人がいるからそいつの影響かな」
それからカミュはちょくちょくイシの村に顔を出すようになった。
カミュだけでなく、旅をした仲間が代わる代わる村を訪ねてきてくれるようになった。
***
イシの村復興時、人一倍張り切りすぎて、村が落ち着きを見せてきたいまになって疲労がどっと出たらしく、寝込んでいた。
焼け跡の村を瓦礫撤去からはじめたのだ。なまえは若くて動けるぶん、力仕事も炊事も関係なく、できそうなことを片っ端からやっつけていた。夢中だったときは麻痺していた感覚が、気が緩んだとたんに空から降りかかるように体にのしかかった。
調子良いと思ったんだけど、無理しすぎちゃったかな。
「せっかく来てくれたのにごめんカミュ、なまえはいま人に会える状態じゃないんだ」
一目会って挨拶もしたかったが、たまたま村にいたシルビアが事情を知り放った「パジャマパーティでもないんだから、女の子の寝間着を見に行くものじゃないわよ」の台詞に、彼女の快復を待つことにした。イレブンは家族のような存在なので、真っ先に家を訪ねていたが。
「なまえ、気分はどう?母さんがスープ作ったから、持ってきたよ」
「すごく助かる。ありがとう」
「いま飲むならお皿によそうけど」
食べ物らしい食べ物を口にしていないから、体力も戻らない。調理をするどころか、ベッドで腕を動かすのも寝返りを打つのも億劫で、自分の体とは思えなかった。それでも何か食べないと保たない。
「…お願いしようかな」
イレブンは勝手知ったる我が家のように皿を出し、スープを注いでスプーンを添えた。
起き上がると、毛布にこもっていた熱気が逃げる。脈打つような痛みに締め付けられる頭を押さえる。
「まだ具合悪い?」
「ん…悪いけど、お水足してくれる?」
脇に置かれたコップも水差しも空になっていた。
「うん。スープここに置いておくよ」
台所の水瓶も底をついていたので、井戸から新鮮な水を汲んで追加した。
戻ってみたらスープの中身は減っていないどころか、スプーンに触れた形跡もない。
イレブンはベッドに腰掛け皿を取り上げて、スープを一口ずつなまえに与える。ぼうっとした目をして、溶けるように柔らかい野菜を咀嚼して飲み込む。まだ皿には半分ほど残っていたが、なまえはそれ以上受けつけられなかった。
小さい頃寝込んだイレブンやエマの世話を、母さんと変わりばんこでなまえが焼いていたものだから、逆の立場になって奇妙な感覚を覚える。あんなに壮健で頼り甲斐のある姉もやはり人間で、無理をすると短期間でここまで弱ってしまうのだという事実に、怖くなった。頬はこけかけて、しっかりしていると思っていた腕も肩も薄い。城に幽閉されていたときにも心労が続いていただろうに。
「ほんとはなまえのこと、みんなに紹介したかったんだけどまた今度にするよ」
「みんな…?」
「旅で出会った仲間さ。カミュはもう会ったけど、大道芸人のシルビア、双子の賢者ベロニカとセーニャ、オレの本当のおじいさんのロウ、姫のマルティナ、将軍グレイグは…知ってるか。いま村に来てくれてるんだ」
「えぇ。村のみんなから、少しきいたわ。賑やかそうな人たちね。ぜひ会いたいわ」
「みんなも会いたがってた」
「ありがとう。そのうちに会えるといいな」
「それならちゃんと休んでぜったい元気になってよ」
「そうね」
ベッドから起き上がれるほどまで回復したなまえは、微熱を抑えて懲りずに家を抜け出した。
「イレブン、なまえ見なかった?村の中にいないみたいなの」
エマは困り顔で、決まり文句のようになった言葉にイレブンも苦笑していた。探してくるよ、と踵を返すと、エマがお願い、と手を振る。
「なんつーか、よくいなくなる奴だな。オレも探してこようか?」
「カミュさん…ありがとうございます」
村の中にはいない、ということなのでデルカダール地方か。門番がわりに村の入り口に立つ男に尋ねると、彼女はどうやら素材集めにでかけたようだ。
「私も一応止めたんだが、いつものことだし、あまり遠くは行かないように忠告はしといた」
「わかった。ありがとよ」
「カミュさんも気をつけてな」
笑って頷く。
道沿いに、馬の姿があった。両側に袋を下げて、のんびり歩をすすめている。おかげですぐに追いついた。
「おい」
「カ、カミュ?どうしたの?」
「お前がどうしたんだよ…」
「村で使えそうな素材集めに出てたの。暗くなる前には帰るから大丈夫よ」
「ここいらだってモンスターが出るんだから危ないだろ」
イシの村周辺のモンスターは比較的弱いものが多いのだが、雑魚モンスターは群れで行動するのが常で、それらに捕まったら厄介だ。
「いざとなったら馬で逃げるわ」
モンスターならば馬くらい追いつけるし、回り込まれたら逃げられずにやはり集団暴行だ。カミュだって過去に何度も経験した。彼女はしょっちゅう村の外へ出ているらしいのに、いままで無事でいられたのが不思議なほど。
「…それで、素材は集まったのか」
「もうちょっと欲しいかな」
ため息をついて、馬の手綱をなまえから奪う。
「そこまでにしておけよ。エマさんが待ってるから早いとこ村に戻るぞ」
引き戻す道に馬を誘導する。どのみち素材が足りてようが足りてまいが連れて帰るつりだった。
「あの、カミュ、馬に乗る?私歩くわ」
「いいから乗ってろよ」
村の入り口にはエマがいまかいまかと待ち構えていた。
「なまえったら、おとなしくしてなきゃダメじゃない!」
「村のみんなが頑張ってるのに、私だけ家の中でじっとしてられないわ」
「だからって黙ってでていくことないでしょ」
「だって、エマに言ったら絶対止められるもの」
「当たり前よ。あぁもう、イレブンになまえを見つけたって教えなきゃ」
「オレが」
「ううん、カミュさんはなまえを家に閉じ込めておいて。余分なロープがあったら私がベッドに縛り付けてやるのに。探してくれてほんとうにありがとう」
常に物品不足である村には、あいにくにも余剰に使えるロープはない。
「閉じ込めてって…」
さすが姉妹のように育っただけあって、言い草にまったく遠慮がない。
「ま、大人しくしてるんだな」
喉を鳴らして笑う姿も様になっている。イケメンってちょっと表情をゆるめるだけで周囲を魅了するのだから得よね、と恨みがましくなる。
「イレブンとエマ、いつ結婚するのかしら」
「オレもはっきりいつとは聞いてないな」
「お祝いの品はなにが良いと思う?イレブンの好みって旅の間に変わったりしてないかしら」
「大して変わってないと思うが。あいつは始めから世間知らずのお人好しで、でもこうと決めたら頑固で…エマさん一筋だしなぁ」
「そうよね」
「嬉しそうだな」
「だってね、イレブンとエマは、私の癒しのカップルなのよ」
他人ごとながら幸せそうに見つめるその瞳は柔らかく、きらきらと光を内包していた。
「見てるだけでこちらも幸せにならない?」
同意を求めて笑顔のままこちらを振り返った瞬間に、胸を突かれたような痛みが走る。
おいおい、マジかよ…。
オレは、マヤが一人前になって幸せになるのを見届けるまでは、自分のことは後回しにしなければならない、と自身に言い聞かせていた。
結婚など、ましてや恋なんて二の次三の次だ。
変なことを、考えるんじゃない。気持ちが揺れたのは気のせいだ。
「ふたりとも似合いのカップルだな」
「でしょう?小さいころからずーっと見てたんだもん、お互い好きなのもうバレバレでね。かわいいのなんのって。もう、ぜーったい結婚するしかないわよね」
「まぁ、するだろうな」
「楽しみだわ。カミュもお式には参加するでしょう?」
それはそれは待ちきれないと言うが、この調子なら体調崩しっぱなしで肝心の式にちゃんと参加できるかも危うい。
将来を歩む二人のためにと、頑張っていることは認める。けれど、その二人を悲しませているのもなまえの存在だ。一度きちんとわからせておいたほうがいい。
「あのな、イレブンもエマさんも熱のあるなまえをすっげー心配して探し回ってたんだぞ。なんで二人が言うとおり治療に専念しないんだ?」
「それは…私が…動けるうちにやらなきゃ、早くイレブンが安心して、エマと幸せに暮らせる村に戻さなきゃ」
「まず、あんたにすべての責任があるわけじゃない。体も元気じゃないだろ」
「あなたも知ってるでしょう。イレブンが焼けた村を見たとき、どれだけ悲しんだことか…私達の無事も知らされずにいたのよ」
「だから、イレブンがあんたのこと家族みたいに大事にしてんの知ってて、どうしてあんたは自分を大事にできないんだ。村の連中は優しいから言わないけど、それって相当な迷惑だぞ」
「めいわ…、」
その言葉は堪えたようで、苦しそうに口を押える。
カミュは多少言い過ぎたかもしれない、と反省したが取り消すことはできない。
「あんたが倒れるたび、あいつは心配して世話焼くだろうが。困らせんなよ」
「私は…イレブンがいない間、村を守れなくて悔しかった。あの優しくて勇敢な子を悪魔の子と触れ回る噂を許せなかった」
「イレブンは、村を守れなくたってあんたが生きていてくれただけで嬉しかったと思うぜ。家が燃えても村がめちゃくちゃになっても、イレブンにとっちゃ、あんたやエマさんやおばさんの命が…存在自体が想い出で、故郷そのものなんだろ。だからあいつはいま笑ってる」
「そう…なのかしら」
「ああ。だからちゃんと体が治るまで我慢してじっとしとけ、頼むから」
「私…間違ってたのね…」
「間違ちゃいねーよ。やりすぎただけだ。それから、夫婦になろうってやつらに割り込むんじゃねぇぞ。イレブンとエマさんの幸せを見守っていたいんだろうが、あいつらの幸せは、あいつら二人で築いていくもんだ。なまえがお膳立てするもんじゃないだろ?」
うつむいて隠す顔はきっと泣いている。その頭を軽く撫でた。指先を滑って絡む髪は空気を含んで軽く、カミュをやすやすと受け入れた。
「無駄、だったのかな…余計だった…?」
「いいや。ここまで復興してんじゃねーか。なまえはすげー頑張ってるよ。素直に泣いていいと思うぜ」
首を横に振る。
「恥ずかしいのか?まぁ、わかるけどよ」
「…イレブンにも泣き顔見せたことないもの」
「ハッ。意地っぱりだな」
おちょくるような明るい声に、顔を上げた。
「そうよ。イレブンとエマの“しっかりしたお姉さん”、ちゃんとやってたんだから」
「わかるぜ。なまえが面倒見てたんだろ。あいつら、すげーいい奴らだもんな」
目のふちいっぱいに溜まった涙が、流れ落ちた。一度堰が切られてしまえば、もうそれ以上は我慢できない。する必要ないのだとわかれば、不思議なほど思いっきり泣いてしまっていた。
「なによ。すかしちゃって。イレブンとエマがいい子なのは、あの子たちがあの子たちだからよ」
取り澄ました顔なのに、言葉が、態度が優しくて、涙が止まらない。
「ちげーな。なまえがそばにいたからだろ」
「なんでそんなことわかるの…」
「そりゃあ人生経験の差、かな」
平均的な人よりかは苦労をしたといえるだろう。幼いころから野蛮な集団に囲まれていたせいで人の醜いところを散々見てきたし、自身も軽くは口にできない過去がある。彼らは反面教師でもあったが少なからず影響をどうしても受けているのだ。だからこそ、イレブンのまっすぐな強さがまぶしくて、うらやましかった。そして彼は悩めるカミュのことも辛い過去ごと明るみに引っ張りだしてくれた。自分のような人間でもその気になれば他を救えることもできるのだと教えてくれた。罪を償い、過去を取り戻せるのだと。
「なまえが無理しなくていいんだ。愚痴ったって誰も責めたりしない。それだけ辛い目みてきただろ」
「だって…一番辛いの、イレブンだわ」
「辛いことは他人と比べあうもんじゃねぇだろ。嫌だとか辛いとか思ったら口に出せよ。オレはべつに村の奴らに言いふらしたりしねーし」
「カミュが言いふらすとか思ってるわけじゃないわ。
…村が好きだし、復興のためにがんばるのも嫌じゃない。みんなで協力しあって、少しずつ…でも…」
あれもこれもあったほうがいいのに、とないものばかりに目がいってしまう。
「どうして焦ってるんだ?」
「イレブンとエマが結婚するまでには、なんとか見栄えができるくらいにはしておきたいの」
「体けずってまでやるなよ。どうせ時間かかることなんだ、のんびりやりゃあいい。あいつらだってそんなこと気にしねーぜ」
「気に…しない、か。そう、ぜんぶ私のわがままなのよね」
年若いカップルにきれいな村のきれいな家でなに不自由なく過ごしてほしい。あの笑顔が、なまえの原動力なのだから。
「まず寝ろ。食え。あいつらに必要なもんはあいつらが自分たちで賄えばいい。なまえに必要なのは休息だろ」
「そ、か…ちょっとだけ、休んでいい…?」
「おう。いままでよく頑張ったな」
濡れるのも構わず、カミュは服の袖をなまえの頬に当てて拭いつづけた。服を台無しにしたのが申し訳なくてごめんと謝っても、ただ笑っている。
成人してから、知り合って間もない男性の前で子供みたいに泣くのはとても恥ずかしかったけれど、泣く姿を見られたのがこの人で良かったと思った。一気に楽になれた。
なまえの家には眉を下げたペルラがいて、食事を用意して待っててくれていた。
「ペルラおばさま」
「なまえ、あんたはまたみんなに心配かけて。良い加減におしよ。ちゃんと治りきらないうちに無理するから、倒れたりを繰り返すんだからね。ほら、顔が赤いよ」
顔が赤い原因は別にあったが、それをぺルラに教えることはなかった。
「…ごめんなさい。今回は本当に、身に染みて反省してます。カミュ、ありがとう」
「あぁ。しっかり休めよ。おやすみ」
なまえを引き渡したカミュはそこでお役御免となった。
宿に戻ってからも指に絡んだときのやわらかな髪の感触がいつまでも離れなくて、カミュはじっと指をいじって見つめていた。温かい涙を吸った袖がいまは冷たい。
透明な涙が伝う姿は、悲しみではなくて、心がほぐれたようにみえた。これまで我慢して人に見せなかったものを、受け止めてもらえてほっとするような。きっと辛いときに辛いと言えない性格なんだろう。
イレブンでさえ見たことのない涙を見てしまった。
どこか背徳感さえある。秘密を共有した気分だ。
***
数日して別れの挨拶に来ると、なまえは残念そうにしていた。
「もう帰るの?」
「あぁ。妹の様子も気になるし」
「またいつでもきてね。今度は妹さんも一緒に」
「そうだな」
「あのね、ちょっと待って」
家に引っ込んで、すぐ戻ってきた。手のひらに乗せたのは、一色に染められたハンカチだった。カミュの名前が刺繍されている。
「縫ったばかりで包む余裕がなかったのはごめんなさい。邪魔にならないようならどうか持っていて」
布切れ一枚ぐらい、ベルトにでも挟んでおけばいい。先日の出来事でハンカチさえ持ち歩かないことを見通されたらしい。
「ありがたくもらっとく」
眩しい笑顔を残して、彼は村を去った。
***
海を越えて山を越えて、北の端の故郷へ着いた。相変わらず白というか灰色というか、味気ない場所だ。緑豊かなイシの村で過ごした後ならなおさらそう感じられた。それでもマヤがいれば、ここが自分の居場所なのだと落ち着ける。
「兄貴、しばらくここにいるのか?」
「そうだな。ちょっとしたらまた旅に出るかな」
「おれも行きたい!次はどこ行くんだ?」
妹に尋ねられて、なぜか心に思い浮かぶのはなまえの顔だった。それを押しのけて、マヤに微笑む。
「…マヤは、どこに行きたい?」
「グロッタの町でカジノやってみたいし、ホムラの里の蒸し風呂ってのにも入ってみたい。ダーハルーネの町にもいろいろあるんだろ?」
指折り数えて希望を挙げる姿に和む。
「そうだな。カジノはお前にはまだ早いだろ。ホムラはクレイモランからだと正反対だしなぁ…」
「良いじゃん、時間かかってもぜんぶ周ろうぜ」
「それならイシの村行ってイレブンにも顔見せとくか」
自分でイシの村、と言っておいてちらつくのはやはり彼女。
「勇者様に会いに行くのか?」
「あぁ」
「はやく出発の準備しようぜ」
「おい、オレは帰ってきたばっかだぞ。ゆっくりさせろよ」
「だっておれまだイシの村行ったことねーもん。行きたい」
「つっても船の準備もあるから一週間は待てよ」
「えー仕方ねーなー」
「お前のはわがままだろうが」
それでもわがままにつきあってくれる優しい兄が、マヤは大好きだった。
船の手配をして、道中の食料や着替えを用意する。
なんやかんやしていたら結局一週間経ってしまっていた。
移動中マヤはずっと景色を見ている。まっすぐな水平線、色の均一な海。反射はまぶしくて、絶え間なく揺れている。それで思い出したように、カミュに話しかけた。
「なぁ兄貴」
「なんだよ」
「人魚見たことあるんだろ?キレイだったか?」
「あ?あーまぁ…キレイなんじゃねーの」
初めて出会った人魚はロミア。流れるように波打つ長い金髪に、たっぷり濃いまつげは濡れ、中の瞳は魅惑の輝きを持つ。淡いサンゴ色の頬も、柔らかそうな唇も、繊細な絵画のようだった。
「なまえってねーちゃんよりもか?」
突拍子も無い質問に呼吸すらままならなくて飲み物も口にしてないのに咽せる。
「どうして、」
「だって兄貴、勇者様とか仲間の話いっぱいしてくれたけどさ、なまえのねーちゃんの話するときだけなんかちげーもん。さすがにおれだってわかるよ」
「そうだったか?」
「うん」
「なにもないから心配すんな。お前が成人するまでオレがちゃんと面倒見てやるから」
「なんの話してんだよ」
「いやだから、マヤが思ってるような関係じゃねーから。お前が大人になるまでそういうことは考えてな、」
子供扱いされたことにも、兄が自分のために己を諦めている態度にもむっとした。怪訝な表情で途中で遮る。
「兄貴は、首飾りのことで負い目を感じてるのかもしれないけど、もう終わったことじゃんか。勇者様に呪いは解いてもらったんだし、いまはこうして兄妹で自由に旅もできる。おれは兄貴の荷物になんかなりたくない」
「荷物なんて思ったことねーぞ」
「わかってる、でも、幸せになるのにおれが先とか兄貴が後とかねーよ、バカ兄貴!好きな女を大事にできないなんてみっともねー」
「マヤ…」
「兄貴、そーいうとこ意気地なしだよな。ねーちゃんにも振られるなよな」
「…余計なお世話だ」
ぐりぐりと力を込めて頭をかき乱す。マヤはもう一度バカ兄貴、と言っていしし、とこぼした。
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特産品もないような村だったが、あたりで唯一の観光地になりうる場所。
上から光が降り注ぎ滝の雫に反射してその空間を外よりもさらに明るくみせている。神秘的なまでに輝いていた。
「こんにちは。見ない顔ね。旅人さん?」
人懐っこく挨拶をしてきた女性は、薄着のうえからストールを肩にかけていた。滝の裾野に座り込み、警戒もせず微笑む輪郭を細かい飛沫がぼやかし、夢のように幻想的に見せていた。
「あぁ、まぁ…」
意味もなく左の耳飾りを触る。指先にはちゃんと金属の固い感触がある。これは妄想ではない。
見惚れてぼんやりと歯切れの悪い返答にも気を悪くした素振りも見せず、彼女は会話を続けてくれた。
「この近くなら、イシの村にご用事かしら。何もない村だけれど、ゆっくりはできると思うから、どうぞ思う存分休んでいってください」
立ち上がりスカートを叩いて、砂を落とす。
「涼しいのは良いけれど、少し体が冷えちゃいそう。私はもうイシの村に戻るけれど、旅人さんは?」
「あぁ、それならオレも村に行こうかな」
いたずらな妖精にでもかどわかされているのだろうか、でも危険な匂いはしない。昔から勘はするどく、宝箱の中身を開けずともそれが安全かどうか当てられるくらいだ。この女性は、悪魔の類ではない。
大滝につながる洞窟から出ても、彼女はそばにいた。気配も人間のものだし、そばかすの浮かぶ頬が薄く色づいているのを見て、ようやくさきほどの出会いが現実であることを認めた。
「なまえ!どこに行ってたの?イレブンも探してたのよ」
「イシの大滝に涼みに行ってたの」
「やっとベッドから起き上がったばかりなのに、外にでるなんて。また寝込んだらどうするのよ」
エマが女性の手を取り、眉をしかめる。まるで背後の男の存在など眼中にないようで、続いてストールから透ける肩を掴んだ。
「ほら、こんなに体を冷やして」
「だいじょうぶよ。今日は散歩したくなったの」
「じゃあその腰の袋がふくらんでるのはなに?まったくもう、家まで一緒に行くわ」
腰のベルトからひったくった袋には、彼女が採取したであろう薬草が詰まっていた。散歩と称し、病床につくべきところを無理に外に出たのだ。
「ありがとう、エマ」
「やっと見つけた、なまえ!」
息巻いて走ってきたのは線の細い青年。
「イレブン、どうしたの」
「どうしたもこうしたもないだろ!母さんになまえのお見舞いを頼まれて家に行ったらベッドはもぬけの殻で…どこかで倒れてないかって心配したよ」
ちなみにイシの村では家に鍵をかける習慣はない。簡易な内鍵は備え付けてあるものの、村人全員が顔を知っており付き合いも深いので、村全体が家そのものといってもいいくらいだ。家に入るときにはノックして声をかける程度で事足りる。そうやってイレブンもなまえの不在を知った。
「それはごめんなさい。私はこのとおり元気よ。帰りも旅人さんをちゃんとご案内できたわ」
なまえの数歩うしろで黙ってそれまでのやりとりを見ていた青い髪の男性が、笑いをこらえるような仕草をして、イレブンに向かって片手を上げた。そこでエマが目を丸くしてあわてた声で挨拶する。
「あっカミュさん…」
「旅人さんって…カミュのこと?」
なまえが振り向いて、カミュは表情を戻した。
「あら、あなたがカミュさんだったんですか?」
「そうです。オレのこと知ってるんですか。なまえ、さん」
「はい。イレブンの相棒だときいてます。イレブンのこと、これからもよろしくおねがいしますね」
この言い草は、イレブンの姉のような立場なのか。
「こちらこそ」
「…ふたりとも初めてだっけ?」
「話はきいたことあるけど、会うのは初めてよ」
「オレも話しかきいてねぇな」
イレブンのとぼけた問いに息を合わせて答えると、目を合わせて笑った。
「じゃあこれで紹介は済んだよね」
「もう、この子ったらいい加減なんだから。ごめんなさい、カミュさん」
「気にしないでください。オレもコイツがこういう奴だってるのは知ってるから」
エマが頃合いを見て、なまえを引き離す。
「悪いけどカミュさん、なまえを連れていかないといけないの。まだ具合悪いくせに無理して」
「それじゃ、お大事に」
「ありがとうございます。どうぞ村でのんびり、ちょっとエマ、引っ張らないで」
別れの言葉も満足に言えないまま、強制的に家に向かわせられる。
「カミュ、よく来てくれたね」
「あの後どうなったかと思ってな」
村人が城から解放されて、しばらく経った。
「だいぶ立ち直ってきたよ」
「そのようだな」
「しばらくいられるの?」
「まぁ、少し手伝いがてらゆっくりしてくぜ」
「助かるよ、ありがとう。じゃあ、好きなときによろしく頼むよ」
明くる日早速イレブンについて復興の手伝いを申し出ると、なまえは恐縮していた。対してイレブンは素直にありがとうといって喜んでいた。
「長旅でお疲れではないですか?」
「良いんですよ。昨晩よく休めたので。オレ、手先はきようなほうだし、役に立てると思います」
「無理なさらないでくださいね。イレブンも、ほんとは休んでて良いんだからね」
前半はカミュに、後半はイレブンに言い聞かせるようだった。
「はいはーい」
村中に落ちていたものを拾い集めたがれきの山。それらを使えるもの廃棄するもので選別作業をしようというのだった。
「なまえ、これ捨てる?」
「うーん。そうね、処分するものはこの木箱に入れておいて」
「なまえさん、まだこれ使えそうですけど磨いておきますか?オレやりますよ」
古びた剣は、錆びを落とせば使えそうだった。
「あ、ありがとう。そうしてもらえますか?」
「わかりました。あとでまとめてやっておきます」
矢継ぎ早の質問に相手を目視で確認することもなく答えていく。イレブンはいたずらっ子の顔をして、カミュと目を合わせた。カミュもにやりとして、相棒の意思を読み取ったようだ。
「なまえさん、素材混じってたんでよけておきますね」
仕掛けたのはイレブンだ。わざとカミュの声真似をして、敬語で話しかけた。なまえはこちらを見ずに手元の紙に何かを書き足した。
「わかりました。あとで取り分ける袋を持ってきますね」
「壊れた盾はどうする?」
持ち上げたのは、割れた木製の盾だが、釘が残っている。
「釘とかの鉄部分は溶かしてなにかに使えると思うからとっておいて。破片で手を切らないでね、イレブ…ン?」
「はい」
違和感に気づいたのか、はっとして二人を見比べる。素材を手にフリフリ揺らして歯を見せるイレブンに、盾を手にするカミュ。
「あれ?いまのカミュさん?でも、え、ちが、ごめんなさい、間違ったんです」
「あはは、なまえが混乱してる」
ひとしきり笑った後、カミュは言葉を崩した。
「敬語じゃなくて良いぜ。いちいちめんどくさいだろ」
「えー、えーと、じゃあ、そうするね」
「オレもなまえって呼んで良いか?」
「っ、どうぞ」
真顔だと美貌もあいまって鋭い瞳が冷たく見せるが、ひとたび表情を崩すと子供っぽささえ感じさせる。詳しいことは知らないものの苦労した生い立ちのせいで随分と精神的に成熟しているかと思えば、いたずらのようなこともするのは、イレブンの影響か。
「オレの物まね、上手かったか?」
「書き物しながらきいてたから、似てたとかじゃないわよ」
悔し紛れにそう返すと、まだ笑っている。
「まったく、大人をからかわないでちょうだい」
居心地悪そうに睨むものの、上目遣いになっているだけなので怖くはない。
「こういうことも楽しみながらやったほうがいいじゃないか」
「思ったよりおちゃらけてるのね」
「あー、仲間にひとり、芸人がいるからそいつの影響かな」
それからカミュはちょくちょくイシの村に顔を出すようになった。
カミュだけでなく、旅をした仲間が代わる代わる村を訪ねてきてくれるようになった。
***
イシの村復興時、人一倍張り切りすぎて、村が落ち着きを見せてきたいまになって疲労がどっと出たらしく、寝込んでいた。
焼け跡の村を瓦礫撤去からはじめたのだ。なまえは若くて動けるぶん、力仕事も炊事も関係なく、できそうなことを片っ端からやっつけていた。夢中だったときは麻痺していた感覚が、気が緩んだとたんに空から降りかかるように体にのしかかった。
調子良いと思ったんだけど、無理しすぎちゃったかな。
「せっかく来てくれたのにごめんカミュ、なまえはいま人に会える状態じゃないんだ」
一目会って挨拶もしたかったが、たまたま村にいたシルビアが事情を知り放った「パジャマパーティでもないんだから、女の子の寝間着を見に行くものじゃないわよ」の台詞に、彼女の快復を待つことにした。イレブンは家族のような存在なので、真っ先に家を訪ねていたが。
「なまえ、気分はどう?母さんがスープ作ったから、持ってきたよ」
「すごく助かる。ありがとう」
「いま飲むならお皿によそうけど」
食べ物らしい食べ物を口にしていないから、体力も戻らない。調理をするどころか、ベッドで腕を動かすのも寝返りを打つのも億劫で、自分の体とは思えなかった。それでも何か食べないと保たない。
「…お願いしようかな」
イレブンは勝手知ったる我が家のように皿を出し、スープを注いでスプーンを添えた。
起き上がると、毛布にこもっていた熱気が逃げる。脈打つような痛みに締め付けられる頭を押さえる。
「まだ具合悪い?」
「ん…悪いけど、お水足してくれる?」
脇に置かれたコップも水差しも空になっていた。
「うん。スープここに置いておくよ」
台所の水瓶も底をついていたので、井戸から新鮮な水を汲んで追加した。
戻ってみたらスープの中身は減っていないどころか、スプーンに触れた形跡もない。
イレブンはベッドに腰掛け皿を取り上げて、スープを一口ずつなまえに与える。ぼうっとした目をして、溶けるように柔らかい野菜を咀嚼して飲み込む。まだ皿には半分ほど残っていたが、なまえはそれ以上受けつけられなかった。
小さい頃寝込んだイレブンやエマの世話を、母さんと変わりばんこでなまえが焼いていたものだから、逆の立場になって奇妙な感覚を覚える。あんなに壮健で頼り甲斐のある姉もやはり人間で、無理をすると短期間でここまで弱ってしまうのだという事実に、怖くなった。頬はこけかけて、しっかりしていると思っていた腕も肩も薄い。城に幽閉されていたときにも心労が続いていただろうに。
「ほんとはなまえのこと、みんなに紹介したかったんだけどまた今度にするよ」
「みんな…?」
「旅で出会った仲間さ。カミュはもう会ったけど、大道芸人のシルビア、双子の賢者ベロニカとセーニャ、オレの本当のおじいさんのロウ、姫のマルティナ、将軍グレイグは…知ってるか。いま村に来てくれてるんだ」
「えぇ。村のみんなから、少しきいたわ。賑やかそうな人たちね。ぜひ会いたいわ」
「みんなも会いたがってた」
「ありがとう。そのうちに会えるといいな」
「それならちゃんと休んでぜったい元気になってよ」
「そうね」
ベッドから起き上がれるほどまで回復したなまえは、微熱を抑えて懲りずに家を抜け出した。
「イレブン、なまえ見なかった?村の中にいないみたいなの」
エマは困り顔で、決まり文句のようになった言葉にイレブンも苦笑していた。探してくるよ、と踵を返すと、エマがお願い、と手を振る。
「なんつーか、よくいなくなる奴だな。オレも探してこようか?」
「カミュさん…ありがとうございます」
村の中にはいない、ということなのでデルカダール地方か。門番がわりに村の入り口に立つ男に尋ねると、彼女はどうやら素材集めにでかけたようだ。
「私も一応止めたんだが、いつものことだし、あまり遠くは行かないように忠告はしといた」
「わかった。ありがとよ」
「カミュさんも気をつけてな」
笑って頷く。
道沿いに、馬の姿があった。両側に袋を下げて、のんびり歩をすすめている。おかげですぐに追いついた。
「おい」
「カ、カミュ?どうしたの?」
「お前がどうしたんだよ…」
「村で使えそうな素材集めに出てたの。暗くなる前には帰るから大丈夫よ」
「ここいらだってモンスターが出るんだから危ないだろ」
イシの村周辺のモンスターは比較的弱いものが多いのだが、雑魚モンスターは群れで行動するのが常で、それらに捕まったら厄介だ。
「いざとなったら馬で逃げるわ」
モンスターならば馬くらい追いつけるし、回り込まれたら逃げられずにやはり集団暴行だ。カミュだって過去に何度も経験した。彼女はしょっちゅう村の外へ出ているらしいのに、いままで無事でいられたのが不思議なほど。
「…それで、素材は集まったのか」
「もうちょっと欲しいかな」
ため息をついて、馬の手綱をなまえから奪う。
「そこまでにしておけよ。エマさんが待ってるから早いとこ村に戻るぞ」
引き戻す道に馬を誘導する。どのみち素材が足りてようが足りてまいが連れて帰るつりだった。
「あの、カミュ、馬に乗る?私歩くわ」
「いいから乗ってろよ」
村の入り口にはエマがいまかいまかと待ち構えていた。
「なまえったら、おとなしくしてなきゃダメじゃない!」
「村のみんなが頑張ってるのに、私だけ家の中でじっとしてられないわ」
「だからって黙ってでていくことないでしょ」
「だって、エマに言ったら絶対止められるもの」
「当たり前よ。あぁもう、イレブンになまえを見つけたって教えなきゃ」
「オレが」
「ううん、カミュさんはなまえを家に閉じ込めておいて。余分なロープがあったら私がベッドに縛り付けてやるのに。探してくれてほんとうにありがとう」
常に物品不足である村には、あいにくにも余剰に使えるロープはない。
「閉じ込めてって…」
さすが姉妹のように育っただけあって、言い草にまったく遠慮がない。
「ま、大人しくしてるんだな」
喉を鳴らして笑う姿も様になっている。イケメンってちょっと表情をゆるめるだけで周囲を魅了するのだから得よね、と恨みがましくなる。
「イレブンとエマ、いつ結婚するのかしら」
「オレもはっきりいつとは聞いてないな」
「お祝いの品はなにが良いと思う?イレブンの好みって旅の間に変わったりしてないかしら」
「大して変わってないと思うが。あいつは始めから世間知らずのお人好しで、でもこうと決めたら頑固で…エマさん一筋だしなぁ」
「そうよね」
「嬉しそうだな」
「だってね、イレブンとエマは、私の癒しのカップルなのよ」
他人ごとながら幸せそうに見つめるその瞳は柔らかく、きらきらと光を内包していた。
「見てるだけでこちらも幸せにならない?」
同意を求めて笑顔のままこちらを振り返った瞬間に、胸を突かれたような痛みが走る。
おいおい、マジかよ…。
オレは、マヤが一人前になって幸せになるのを見届けるまでは、自分のことは後回しにしなければならない、と自身に言い聞かせていた。
結婚など、ましてや恋なんて二の次三の次だ。
変なことを、考えるんじゃない。気持ちが揺れたのは気のせいだ。
「ふたりとも似合いのカップルだな」
「でしょう?小さいころからずーっと見てたんだもん、お互い好きなのもうバレバレでね。かわいいのなんのって。もう、ぜーったい結婚するしかないわよね」
「まぁ、するだろうな」
「楽しみだわ。カミュもお式には参加するでしょう?」
それはそれは待ちきれないと言うが、この調子なら体調崩しっぱなしで肝心の式にちゃんと参加できるかも危うい。
将来を歩む二人のためにと、頑張っていることは認める。けれど、その二人を悲しませているのもなまえの存在だ。一度きちんとわからせておいたほうがいい。
「あのな、イレブンもエマさんも熱のあるなまえをすっげー心配して探し回ってたんだぞ。なんで二人が言うとおり治療に専念しないんだ?」
「それは…私が…動けるうちにやらなきゃ、早くイレブンが安心して、エマと幸せに暮らせる村に戻さなきゃ」
「まず、あんたにすべての責任があるわけじゃない。体も元気じゃないだろ」
「あなたも知ってるでしょう。イレブンが焼けた村を見たとき、どれだけ悲しんだことか…私達の無事も知らされずにいたのよ」
「だから、イレブンがあんたのこと家族みたいに大事にしてんの知ってて、どうしてあんたは自分を大事にできないんだ。村の連中は優しいから言わないけど、それって相当な迷惑だぞ」
「めいわ…、」
その言葉は堪えたようで、苦しそうに口を押える。
カミュは多少言い過ぎたかもしれない、と反省したが取り消すことはできない。
「あんたが倒れるたび、あいつは心配して世話焼くだろうが。困らせんなよ」
「私は…イレブンがいない間、村を守れなくて悔しかった。あの優しくて勇敢な子を悪魔の子と触れ回る噂を許せなかった」
「イレブンは、村を守れなくたってあんたが生きていてくれただけで嬉しかったと思うぜ。家が燃えても村がめちゃくちゃになっても、イレブンにとっちゃ、あんたやエマさんやおばさんの命が…存在自体が想い出で、故郷そのものなんだろ。だからあいつはいま笑ってる」
「そう…なのかしら」
「ああ。だからちゃんと体が治るまで我慢してじっとしとけ、頼むから」
「私…間違ってたのね…」
「間違ちゃいねーよ。やりすぎただけだ。それから、夫婦になろうってやつらに割り込むんじゃねぇぞ。イレブンとエマさんの幸せを見守っていたいんだろうが、あいつらの幸せは、あいつら二人で築いていくもんだ。なまえがお膳立てするもんじゃないだろ?」
うつむいて隠す顔はきっと泣いている。その頭を軽く撫でた。指先を滑って絡む髪は空気を含んで軽く、カミュをやすやすと受け入れた。
「無駄、だったのかな…余計だった…?」
「いいや。ここまで復興してんじゃねーか。なまえはすげー頑張ってるよ。素直に泣いていいと思うぜ」
首を横に振る。
「恥ずかしいのか?まぁ、わかるけどよ」
「…イレブンにも泣き顔見せたことないもの」
「ハッ。意地っぱりだな」
おちょくるような明るい声に、顔を上げた。
「そうよ。イレブンとエマの“しっかりしたお姉さん”、ちゃんとやってたんだから」
「わかるぜ。なまえが面倒見てたんだろ。あいつら、すげーいい奴らだもんな」
目のふちいっぱいに溜まった涙が、流れ落ちた。一度堰が切られてしまえば、もうそれ以上は我慢できない。する必要ないのだとわかれば、不思議なほど思いっきり泣いてしまっていた。
「なによ。すかしちゃって。イレブンとエマがいい子なのは、あの子たちがあの子たちだからよ」
取り澄ました顔なのに、言葉が、態度が優しくて、涙が止まらない。
「ちげーな。なまえがそばにいたからだろ」
「なんでそんなことわかるの…」
「そりゃあ人生経験の差、かな」
平均的な人よりかは苦労をしたといえるだろう。幼いころから野蛮な集団に囲まれていたせいで人の醜いところを散々見てきたし、自身も軽くは口にできない過去がある。彼らは反面教師でもあったが少なからず影響をどうしても受けているのだ。だからこそ、イレブンのまっすぐな強さがまぶしくて、うらやましかった。そして彼は悩めるカミュのことも辛い過去ごと明るみに引っ張りだしてくれた。自分のような人間でもその気になれば他を救えることもできるのだと教えてくれた。罪を償い、過去を取り戻せるのだと。
「なまえが無理しなくていいんだ。愚痴ったって誰も責めたりしない。それだけ辛い目みてきただろ」
「だって…一番辛いの、イレブンだわ」
「辛いことは他人と比べあうもんじゃねぇだろ。嫌だとか辛いとか思ったら口に出せよ。オレはべつに村の奴らに言いふらしたりしねーし」
「カミュが言いふらすとか思ってるわけじゃないわ。
…村が好きだし、復興のためにがんばるのも嫌じゃない。みんなで協力しあって、少しずつ…でも…」
あれもこれもあったほうがいいのに、とないものばかりに目がいってしまう。
「どうして焦ってるんだ?」
「イレブンとエマが結婚するまでには、なんとか見栄えができるくらいにはしておきたいの」
「体けずってまでやるなよ。どうせ時間かかることなんだ、のんびりやりゃあいい。あいつらだってそんなこと気にしねーぜ」
「気に…しない、か。そう、ぜんぶ私のわがままなのよね」
年若いカップルにきれいな村のきれいな家でなに不自由なく過ごしてほしい。あの笑顔が、なまえの原動力なのだから。
「まず寝ろ。食え。あいつらに必要なもんはあいつらが自分たちで賄えばいい。なまえに必要なのは休息だろ」
「そ、か…ちょっとだけ、休んでいい…?」
「おう。いままでよく頑張ったな」
濡れるのも構わず、カミュは服の袖をなまえの頬に当てて拭いつづけた。服を台無しにしたのが申し訳なくてごめんと謝っても、ただ笑っている。
成人してから、知り合って間もない男性の前で子供みたいに泣くのはとても恥ずかしかったけれど、泣く姿を見られたのがこの人で良かったと思った。一気に楽になれた。
なまえの家には眉を下げたペルラがいて、食事を用意して待っててくれていた。
「ペルラおばさま」
「なまえ、あんたはまたみんなに心配かけて。良い加減におしよ。ちゃんと治りきらないうちに無理するから、倒れたりを繰り返すんだからね。ほら、顔が赤いよ」
顔が赤い原因は別にあったが、それをぺルラに教えることはなかった。
「…ごめんなさい。今回は本当に、身に染みて反省してます。カミュ、ありがとう」
「あぁ。しっかり休めよ。おやすみ」
なまえを引き渡したカミュはそこでお役御免となった。
宿に戻ってからも指に絡んだときのやわらかな髪の感触がいつまでも離れなくて、カミュはじっと指をいじって見つめていた。温かい涙を吸った袖がいまは冷たい。
透明な涙が伝う姿は、悲しみではなくて、心がほぐれたようにみえた。これまで我慢して人に見せなかったものを、受け止めてもらえてほっとするような。きっと辛いときに辛いと言えない性格なんだろう。
イレブンでさえ見たことのない涙を見てしまった。
どこか背徳感さえある。秘密を共有した気分だ。
***
数日して別れの挨拶に来ると、なまえは残念そうにしていた。
「もう帰るの?」
「あぁ。妹の様子も気になるし」
「またいつでもきてね。今度は妹さんも一緒に」
「そうだな」
「あのね、ちょっと待って」
家に引っ込んで、すぐ戻ってきた。手のひらに乗せたのは、一色に染められたハンカチだった。カミュの名前が刺繍されている。
「縫ったばかりで包む余裕がなかったのはごめんなさい。邪魔にならないようならどうか持っていて」
布切れ一枚ぐらい、ベルトにでも挟んでおけばいい。先日の出来事でハンカチさえ持ち歩かないことを見通されたらしい。
「ありがたくもらっとく」
眩しい笑顔を残して、彼は村を去った。
***
海を越えて山を越えて、北の端の故郷へ着いた。相変わらず白というか灰色というか、味気ない場所だ。緑豊かなイシの村で過ごした後ならなおさらそう感じられた。それでもマヤがいれば、ここが自分の居場所なのだと落ち着ける。
「兄貴、しばらくここにいるのか?」
「そうだな。ちょっとしたらまた旅に出るかな」
「おれも行きたい!次はどこ行くんだ?」
妹に尋ねられて、なぜか心に思い浮かぶのはなまえの顔だった。それを押しのけて、マヤに微笑む。
「…マヤは、どこに行きたい?」
「グロッタの町でカジノやってみたいし、ホムラの里の蒸し風呂ってのにも入ってみたい。ダーハルーネの町にもいろいろあるんだろ?」
指折り数えて希望を挙げる姿に和む。
「そうだな。カジノはお前にはまだ早いだろ。ホムラはクレイモランからだと正反対だしなぁ…」
「良いじゃん、時間かかってもぜんぶ周ろうぜ」
「それならイシの村行ってイレブンにも顔見せとくか」
自分でイシの村、と言っておいてちらつくのはやはり彼女。
「勇者様に会いに行くのか?」
「あぁ」
「はやく出発の準備しようぜ」
「おい、オレは帰ってきたばっかだぞ。ゆっくりさせろよ」
「だっておれまだイシの村行ったことねーもん。行きたい」
「つっても船の準備もあるから一週間は待てよ」
「えー仕方ねーなー」
「お前のはわがままだろうが」
それでもわがままにつきあってくれる優しい兄が、マヤは大好きだった。
船の手配をして、道中の食料や着替えを用意する。
なんやかんやしていたら結局一週間経ってしまっていた。
移動中マヤはずっと景色を見ている。まっすぐな水平線、色の均一な海。反射はまぶしくて、絶え間なく揺れている。それで思い出したように、カミュに話しかけた。
「なぁ兄貴」
「なんだよ」
「人魚見たことあるんだろ?キレイだったか?」
「あ?あーまぁ…キレイなんじゃねーの」
初めて出会った人魚はロミア。流れるように波打つ長い金髪に、たっぷり濃いまつげは濡れ、中の瞳は魅惑の輝きを持つ。淡いサンゴ色の頬も、柔らかそうな唇も、繊細な絵画のようだった。
「なまえってねーちゃんよりもか?」
突拍子も無い質問に呼吸すらままならなくて飲み物も口にしてないのに咽せる。
「どうして、」
「だって兄貴、勇者様とか仲間の話いっぱいしてくれたけどさ、なまえのねーちゃんの話するときだけなんかちげーもん。さすがにおれだってわかるよ」
「そうだったか?」
「うん」
「なにもないから心配すんな。お前が成人するまでオレがちゃんと面倒見てやるから」
「なんの話してんだよ」
「いやだから、マヤが思ってるような関係じゃねーから。お前が大人になるまでそういうことは考えてな、」
子供扱いされたことにも、兄が自分のために己を諦めている態度にもむっとした。怪訝な表情で途中で遮る。
「兄貴は、首飾りのことで負い目を感じてるのかもしれないけど、もう終わったことじゃんか。勇者様に呪いは解いてもらったんだし、いまはこうして兄妹で自由に旅もできる。おれは兄貴の荷物になんかなりたくない」
「荷物なんて思ったことねーぞ」
「わかってる、でも、幸せになるのにおれが先とか兄貴が後とかねーよ、バカ兄貴!好きな女を大事にできないなんてみっともねー」
「マヤ…」
「兄貴、そーいうとこ意気地なしだよな。ねーちゃんにも振られるなよな」
「…余計なお世話だ」
ぐりぐりと力を込めて頭をかき乱す。マヤはもう一度バカ兄貴、と言っていしし、とこぼした。
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