その他
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
**
デスマウンテンの山の上で、女神と出会った。そこで思い出したのが、とある少女の話だ。カカリコ村で静かに暮らす彼女を訪ねた。
なまえは過去に魔力を抑えられたと話してはいたが、その魔力をどうこうしたいようすはなかった。魔力を失って平穏を手に入れたようなのでそのままにしていたいのかもしれないが、もし取り返す機会があるとして、それを知らない振りはしていられない。
少女は毎度唐突の来訪を歓迎してくれて、かいがいしく世話を焼いてくれる。それを申し訳なく思いながらも、要件を話した。
「なまえ、小さい頃に女神さまに会って魔力を失くしたって言ってたろ」
「ええ、そうよ。インパさまが連れていってくれたの」
「オレ、その女神さまがいるところを知ってる」
飲もうとしていたお茶を、緩慢な動作でに受け皿に戻してからというもの、彼女は動かなくなってしまった。
「行って、みるかい?」
幼いころに失った魔力。一度は戦うために取り戻そうとした力。
いつかは解決しなければと思いつつ、女神の居場所もわからないので放置し、忘れようとすらしていた。
大人になった現在なら、その力をちゃんと我が物としてコントロールできるだろうか。
その機会が降ってわいてきた。その時期が実際にきてしまうと、どこかためらってしまう。魔力に関してあまり良い思い出がないためだ。
まだ、力がこの手に返ってくるかどうかの確証もない。力が戻ったとして、その後どうすればいいのか自分の気持ちも考えも定まってはいない。
けれど、リンクが一緒ならどうにか前向きなれる気がして、目の前のじっと返答を待つ優しい瞳に頷いた。
おそろいのゴロンの服を着て、登山に向かった。
頂上近くの、かつて大岩にふさがれていたところだ。外からは見覚えがあるような、ないようなうすぼんやりとした記憶とどうもつながらない。リンクの背について中に入ると、水場が広がっていた。明かりもなくて薄暗い。リンクが胸元から取り出したオカリナで、短い曲を奏でたときに目を瞠った。インパさまの指笛とおなじメロディだったから。
ああ、これだ。この曲。
聴いたのは遠い昔に一度きり。それでも、心に残るものだった。なまえはこのときまで、リンクが楽器を弾けるだなんて想像したこともなかった。
オカリナの少し擦れるような音はシンプルで、柔らかい。リンクの心そのものだ。
「わぁ…」
思わず声が漏れた。
透明な水面下から光とともに飛び出してきた女神に、息をのむ。記憶の中でも艶美さが強調されていたのが、それよりもさらに神々しさが加わってひれ伏してしまいそうになる。隣の男は、その存在を平然と受け止めていた。
『いらっしゃい、リンク。旅の疲れを癒しましょうか』
「ありがとうございます。でも、今日はこの子のためにきたんです」
「女神さま…」
『なまえね、あなたの魔力を返してほしいのかしら?』
名前を言い当てられたことから、かつての少女を覚えているのだと悟る。
「私の魔力は、まだ女神さまのお手にあるのですか」
『あるわよ。だから言っているの』
一度、長い爪の伸びる手を閉じて開いてみせた。そこに光の玉が浮かぶ。
あのときの魔力を取り戻したとして、どうなるだろう。
『私の手をおとりなさい』
いま私は微細な魔力しかない。かつてのように火を起こしたり、何かに強く働きかけることはできない。普通の人間には見えないものをなんとなく感知する程度。機織りの時に意識して魔力を込めれば、ゴロンの服を織ることができる。ガノンドロフの起こした災いで苦しい思いをした人たちを助けたいと奮闘もしたし、力が欲しいと願ったこともある。―けれどそれらは、リンクが解決してくれた。ガノンドロフのことも、きっと。
いまさら望外の魔力を手に入れても、持て余すだけなのではないか。
「いいえ。―いいえ、私には必要ないものです。なので、その魔力をリンクにあげることはできますか」
「なまえ?!」
声を上げる勇者に、決心したのだと目で訴える。
「私には過ぎる力です。でもリンクなら、この世界のために役立ててくれます」
『そう。リンク、あなたはどう?』
判断は男に委ねられた。力強い瞳が、意思を再確認する。
「なまえ、本気なのか」
「子供のころの私の力なんて大したことないだろうけど、リンクの役に立つなら使ってほしいの」
隣に立つリンクが手袋ごしになまえの手を包んで、女神に向き直った。
「女神さま、その魔力をオレにください」
『良いでしょう。いらっしゃい』
受け渡しはあっさりしたものだった。リンクが一歩進んで、女神の手のひらにあった光が彼の胸に吸い込まれる。彼は胸を抑えてはいたが、苦しそうではなかった。
「ありがとう、なまえ。オレはこの力でハイラルを救ってみせるよ」
服といい、魔力といい、またシュエルには借りができてしまった。
溜まるばかりのそれをどのような形で返還すればいいのか悩む。
帰り道、リンクへの異変はみられなかった。自分も幼い頃魔力を失ってから激変したことはなかったが、どこか心配していた自分がいたことに気づく。そしてそんな憂いを吹き飛ばすようにリンクは変わらず親身になってなまえが道を進みやすいように段差で手を引いたり、注意してくれたりする。
「私を女神さまのところまで連れてきてくれてありがとう」
「なまえに返すはずだったのに結果としてオレがもらっちゃったから、オレがお礼言わなきゃな」
「私はいまの自分に満足してるからいいの」
「そっか。なまえは大人だな」
「そうでしょうとも。ところで今日も泊まっていくでしょう?」
「泊まらせてもらえると助かる」
「お任せなさい」
帰宅してから二人で一息ついた。ナビィもいるのだが、リンクと外を旅している間はあんなにうるさいのに、どうしてかなまえといると大人しくしているのだった。気まぐれな彼女だから機嫌を損ねたのなら文句を言うはずで、それがないとなると気遣うこともなさそうだ。
脱いだ帽子にいるであろう妖精を横目に、着替えたゴロンの服を畳むなまえに話しかけた。
「そういえばゾーラの里でもゾーラの服っていう特別な服が売ってるんだ。なまえ、興味があるんじゃないかと思って」
「どんな服なの?」
「青色で、それを着ると水中でも息ができるようになる」
「そんな服があるの。ゾーラの里って言った?どこにあるの?」
「ゾーラの川を辿って上流にいくと泉があるんだけど、そこにゾーラ族の集落ができてるんだ」
「ゾーラ族…へぇ。行ってみたい」
「じゃあ行こう。連れていってあげるよ」
簡単に言ってくれるが、なまえにとっては村を出るだけでも大事である。一歩外に出ればハイラル平原にだって魔物は出没するのだから。
「ちょっと待って、今から?」
「じゃあ、明日から?無理にとは言わないけど、せっかくだし。それとも村を出れない事情でもあったかな?」
「家を数日空けるのはいいんだけど…」
「心配しないでいいよ、エポナがいるからそんなに長くかからない」
「エポナ?」
「ロンロン牧場から買い取ったオレの馬」
結局荷造りをする時間だけもらって、コッコ姉さんに留守を頼んだ。快く引き受けてくれた姉さんはどこか張り切っていた。姉さんが出かけるわけでもないのに。
帰ってきたら根ほり葉ほり聞かれるんだろうな。
「楽しんでね~!」
と村の出口まで見送ってくれた。
「エポナ」
見事な栗毛の馬はリンクの姿を認めると、それだけでいななき、とびかかるようにして喜びを表現した。たてがみと足先の毛は脱色したように真っ白なのが特徴的だ。
「あなたがエポナね。リンクのこと、大好きなのね」
ヒヒン、と鼻息を荒くして返事をした。
「私も乗せてくれるかしら?」
「オレも言い聞かせるし頭のいい馬だから」
先になまえを横座りに乗せて、リンクはひらりと身を翻した。
馬に乗るのも初めてだというなまえに気を使ってか、エポナをゆっくり歩かせる。
体の下には馬のがっしりした筋肉が脈動していて、首を撫でると機嫌良さそうにしている。障害物もなく吹き抜ける風は爽やかで、大地と草の香りを運ぶ。目に映る緑は太陽の光をつやつやと弾いている。透き通った空は頭上を一色に染め上げて雲を流れさせる。
この数年外に出てこんなにも爽快な気分になることなんてなかった。エポナが一歩いっぽ進むたびに、目線が上下する。
「すごい。こんなに視線が高くなるなん、…」
リンクを見上げると、お互いの息がかかるほどに近いことを思い出して顔を羞恥に染めた。
はしゃぐなまえを青い瞳はふんわりと見つめて、どうしたの、と問うた。煮え切らない返事を返しつつ、前を向いた。
「少し走らせてもいいかい?」
「え、うん」
と答えた瞬間にぐん、と前に押し出されて、とっさにリンクの服を掴む。彼に支えられてもいるし万が一にも振り落とされるようなことはないだろうが、鞍の上で飛び跳ねてしまいそうだった。
先ほどとはリズムの違うギャロップでエポナはいななきながら平地を進む。
それはそんなに長いこと続かなかった。
「こんな感じかな。あまり長時間だとエポナが疲れてしまうからここまで」
「まるで風になったみたい!こんなに早く走れるのね、エポナ。かっこいいわ」
ふんふん、と鼻息だけが聞こえた。
順調に王城を背にして、川を辿りながら道なき道を行く。エポナはリンクの行きたい場所をわかりきっているように、ムチで叩かれることなく迷いなく歩む。
川の流れはまだ先に続いていたが、エポナを止めた。
「ここから先は道が険しくて徒歩になるから、降りよう」
馬の背から一瞬で飛び降りて、なまえに手を貸して降ろしてやる。
「エポナ、また後でな」
馬は主人の言葉を解したように、軽やかな足取りで平原を駆けていった。
「いいの?ちゃんと帰ってくる?」
「エポナの歌を弾いてやればすぐきてくれるよ」
「そうなの…」
またすばらしい駿馬を手に入れたものだ。艶やかなたてがみと尻尾が遠くで揺れる。
リンクを背に乗せて、ああして世界中を周ったのだろうか。この短い時間にエポナとリンクの信頼関係を見せつけられているようだった。
草原を駆け抜けるという生まれて初めての体験をして、その清々しい心地よさは格別だった。
羨ましい。
私は、その気分をリンクにさせてあげることができない。一頭の馬に対する尊敬と、主人と飼い馬以上のきずなを表す特別な歌すら有するやっかみと。
まだ体を包む風の余韻に浸っていると、リンクが先へ行こうと指さした。
「なまえ」
「うん…」
「気分が悪いのかい?」
「ううん。エポナはすごいなって驚いてただけ」
自身のちょっとした変化に気づいてくれる彼に、嬉しくなってしまう。
川辺側をリンクが歩いて、なまえは横に並ぶ。
「気を付けて」
なまえをかばって盾を差し出した。オクタロックが吐き出した石はそのまま怪物に返り、魔物は息絶えた。水のなかには、あんな怪物がいたのか。
「ありがとう」
鋭い目をして、鞘から抜きこそしないもののいつでも剣を構える気概でいる。そうでなくともリンクはどこに何匹魔物がいて、いつどのタイミングで襲ってくるのか熟知しているみたいだった。魔物の気配をを察知するたび立ち止まり、なまえを安全な場所に押しやり、やつらの攻撃を返して倒す。
私は、こんなリンクを知らない―…。
物見遊山気分でいたのは、自分ひとりだけ。
「ごめんなさい」
「え?どうしたんだ?」
急な謝罪に、リンクは目を丸くした。
「遊びに行くみたいな気分でいたから。危険な旅になるとは思ってなかったの。村の外に出るってことは魔物に襲われるかもしれないって知ってたはずなのに、エポナに乗せてもらったのも楽しくて」
「ゾーラの里に連れて行くって言いだしたのはオレのほうだよ。なまえは楽しんでくれていいんだ」
そんなこと考えもしなかった、とばつが悪そうに頭を掻く。
「ここら辺のことは何度も来てよく知ってるし、強い魔物はいない。ただ、オレがなまえにぜったい怪我させたくなくて気を張ってたのが伝わっちゃったんだな。ずっと黙ってて息が詰まっただろ。オレのほうこそごめん」
「ううん。守ってくれて、ありがとう。ねぇ、私に何かできないかしら?荷物くらいなら持てるから」
「オレにたいそうな荷物があるように見える?」
彼はいつも旅をしているとは思えないほど身軽だ。剣と盾を背に負えば両手は自由だし、オカリナも胸元に収めてある。
「オレがなまえにゾーラの里を見てほしいんだ。付き合ってよ」
「わかったわ」
「もう少し先に、休憩にいい場所もあるからそこまで行ったら休もう」
ひたすら上流を目指して、途中で野宿もした。頂上近くはほとんど影になっている。滝に阻まれて、それ以上は進めそうにもない。トライフォースの石板の上でリンクはオカリナを取り出し、かわいらしいメロディを奏でた。
不思議なことに、滝が真ん中から割れ、明らかに人の手が加えられた通路が現れる。
暗い洞窟のような通路を抜けると、向こうはひらけていた。
底まで透ける清涼な水が湖として満ちている。向こうには魚が泳いでいるのも丸見えだ。
「きれい…あれは、魚、にしては大きいし…えっ、誰かいる?」
水泡とともにゾーラ族の一人が湖の中から顔を出して、見慣れた勇者の隣に立つ女性を注視した。
「おや、リンクさま。今日はお連れさまがいらっしゃるんですね」
「うん。久しぶり。なまえ、彼はゾーラ族だよ」
「はじめまして。カカリコ村のなまえといいます」
「ようこそゾーラの里へ。ご滞在をお楽しみください」
「そうさせていただきます」
「あのさ、ゾーラの服を作っているところを見たいんだけど、いいかな?」
「かしこまりました。それでは案内いたしましょう」
梯子を上ってきて水滴を滴らせながら、こちらです、と先導していく。なまえはゾーラ族にも足が二本あるのね、とウロコでできた体表を背中を見せているのをいいことに珍しそうにじろじろ眺めた。いかにも泳ぐのに特化していると一目見てわかる身体つきをしているが、地上でも生活できるらしい。
「こちらが工場 でございます」
ここまで連れてきてくれたゾーラ族は、扉を開けてくれた。リンクとなまえが中に入ると、一礼して去っていってしまった。好きに覗いていいのだろうか。
清涼な空気の漂う部屋だった。機織りの音は耳に慣れているが、水滴が水面を叩くような音もどこそこで聞こえる。
入ってきた部外者を認めて、作業中だったゾーラ族の一人が声をかけてきた。リンクが片手を上げて挨拶する。
「こんにちは。こんなところまでどんなご用でしょう。リンクさま」
「ちょっと、この子にゾーラの服づくりを見せてあげたくてさ」
「突然すみません。私はなまえ。カカリコ村で、服を作って売って生活しています。…ゴロンの服も作ります。ゾーラの服のことをきいて、一度見てみたかったんです」
「そうでしたか。ゾーラの服をご覧になったことはないのですね。少々お待ちを」
一度離れたかと思うと、完成されたゾーラの服を持ってきた。手に取ってみてもいい、ということだろう。
すべすべとしていて、継ぎ目が少ない。水中での抵抗を無くすためかもしれない。
「はい。ゴロンの服とは、ぜんぜん違うわ。私にも作れたらいいのに」
「違うでしょうとも。お知りになりたいですか?」
「教えていただけますか」
「リンクさまのお連れさまであれば、喜んで」
彼はいったいゾーラ族のためにどんな犠牲を払ったというのだろう。みながみな、敬称つきで彼の名を呼び、命令でもない彼の願いを快く受ける。振り返ると、リンクは笑って頷いた。
「なまえをよろしく頼むよ」
「あの、ご迷惑をおかけします」
「いいんですよ。ただ、10人が10人学んだとて全員ができることではありません。わたくしができるのはお教えすることだけです。なまえさまはゴロンの服をすでにお造りになっているようですから、ゾーラの服も不可能ではないでしょう」
「そうだといいんですが」
「まずは込める魔力の質を知らなければ。お手をお借りします」
ゾーラがなまえの手を握りこむ。
水かきの張った手から冷たい氷のような魔力が流れてくる。その冷気に驚いたときに、なまえの内にある魔力が刺激されて急に膨らんだ。
花火が散って、ふたりの手が弾かれたように離れる。なまえは座り込み、対したゾーラはしびれる腕をさする。
「なまえ、どうしたんだ?」
かがみこむリンクの手を握ると、温かくて気持ちが落ち着いた。
「拒絶なさらないで。違いを知ることが大事なのです」
「ごめんなさい。怪我はありませんか?」
「わたくしは腕がしびれただけです。少しずつやっていきましょう」
「はい」
これ以上できることはないだろう、とリンクはその部屋を後にした。
なまえの手をあんなに長く握っていることは、リンクでもない。ゾーラの彼にそんな意図はないのをわかっているのに、寄り添うように手取り足取りで教える姿に違和感もあるし、落ち着かない気分になる。イラつきさえ覚えてしまいそうになるのを、その場から逃げることでごまかした。
改めてキングゾーラに謁見し、ゾーラひとりひとりが気さくに挨拶してくれるのを返したり、ダイビングチャレンジをしたりして過ごしていた。
**
「休憩なさいませんか」
肩を叩かれたので見上げると、ゾーラ族の一人がすぐ隣にいた。
集中して時間が経つのも忘れていた。魔力の質を一定に保持できなかったためにできた手先から伸びる色むらだらけの布にため息をついて、素材を無駄にしてしまったことを謝罪すると、彼は笑った。
「今日始めたばかりのなまえさまが完璧に仕上げるのでしたら、ゾーラの服は値段に釣り合う価値はつきませんでしょう。明日にでも完成なされたらわたくしは引退してこの工場をお譲りしなければなりませんね」
冗談に少し肩の力が抜けた。
「ついでに昔話をひとつ。ご存じかもしれませんが、リンクさまと我らゾーラ族について」
「ぜひ。リンクは何をしたんですか?私が聞いたのは、ゾーラの里で祀られている、ジャ…ジュ?」
「ジャブジャブさまですね」
「はい、そうです。ジャブジャブさまのお腹の中に入ったということは知ってます」
「リンクさまはかつて、ジャブジャブさまに間違って捕らわれたルト姫を助け出してくださったのです」
「ルト姫…ゾーラ族にとって大切な方だったのですね」
それで、リンクは彼らにとって英雄なのだ。一族はなべて上品なようだが、とりわけリンクに払う敬意は飛びぬけている。
「それはもう。キングゾーラさまの直系である後継ぎの王族はルト姫お一人きりですから」
そこで彼は苦笑にも似た笑みをもらした。なまえは理由がわからず真顔でいると、彼は弁明してくれた。
「ああ、すみません。いえね、あれからルト姫はリンクさまに夢中で…なにやら大切なものを差し上げたらしいのですが、結局なにかは教えてくださらなかったな、と」
子供ながらのかわいらしいやりとりを思い出して、彼は口元を緩めていたが、なまえは取り繕いつつ内心穏やかではない。
一体どういうことだろう。女の子から大事な贈り物をもらったなんてことは聞き及んでいない。
「ルト姫はいまどちらに…?」
「いまは水の賢者におなりです。ゾーラの里にはおられません」
リンクにききたいことがたくさんある。が、疲れた頭では冷静に物事を受け止められそうにもなく、気持ちを整理してからにしようと決めた。
勇者と次に顔を合わせたのは魚料理中心のごちそうをいただくときで、なまえはずいぶん疲れた様子だった。なにか質問しても、生返事ばかり。せっかくの料理をフォークでつついても口に運ぼうとはしない。リンクがこれもおいしい、あれも食べてみて、と取り分けて皿に乗せたものをやっと一口ずつ食べるくらいで終わった。
ゾーラ族にあてがわれた部屋で、二人だけでお茶を飲んでいてもなまえの周囲の空気が重くて、リンクはそれが不思議だった。
「そんなに疲れたの?」
見当違いの言葉に、ため息をついた。
頭の中で何度も繰りかえした質問がするりと口をついて出る。
「…ルト姫からもらった大切なものってなにか覚えてる?」
「大切なモノ?んっと…ああ、水の精霊石のことかな」
「精霊石…リンクが昔探してた石ね」
「そう。くれるときにえんげーじりんくだからふぃあんせがどうとか言ってた気もするけど、オレ正直よくわかってなかったし」
顔をあげると、とぼけたリンクがいる。
「リンクは…ルト姫の婚約者なの?」
「違うよ。オレはそんなつもりない。ルト姫を助けたのだって成り行きで…オレは精霊石がもらえればそれで良かったんだ」
なにやら両者で考えの行き違いがあるようだが、解決していないらしい。
どうしてこういうことに関しては無頓着で能天気なのだろう。見ようによっては結婚詐欺だ。
「その、精霊石がゾーラ王族の結納の品だったんでしょう」
「ムコになるシルシとか言ってたかな。わがままでおてんばで…悪い子じゃなかったけどさ、オレもゾーラのサファイアがルト姫にとってどんなものか知らなかったからそこらへんをハッキリしてなかったのもいけないんだけど、そういう思い込み激しいところあったし…」
「ルト姫はそのつもりだったんじゃないかしら。…リンクはルト姫と結婚するの、ね」
結婚の約束の品を受け取ったということは、結婚事態を了承したということのはず。
彼は否定するために頭を振った。
「まさか。最後に会ったとき、ルト姫のほうからオレとは一緒になれないって言われてさ。いま、ルト姫は水の賢者なんだ。しっかりして大人っぽくなってたけど、とにかくそれがなくても結婚は考えられないな」
つまりリンクはルト姫から一方的にプロポーズをされたにも関わらず、これまた一方的に婚約を破棄されたということだ。慰めればいいのか、笑い飛ばせばいいのかわからない。
「リンク、寂しい?」
「どうして?」
この男は事態を根本的に理解していない。
「だってルト姫は婚約者だったんでしょう?それをなかったことにされるなんて…傷つかない?」
「いや、だからオレは好きとかでもなかったんだよ。ふぃあんせとか呼ばれてもなんのことやら」
もし今後どこかでルト姫に会うようなことがあっても、このことは絶対口外しないでおこうと決心した。
この会話が急に馬鹿らしくなって、もう終わったことのようだし、水に流してやることにした。
それにしても、だ。
「ルト姫は、リンクと一緒に冒険したのね」
羨望であり嫉妬。見たこともない女性相手にぶつけられない気持ちを持て余して、ため息を漏らした。
「ジャブジャブさまのお腹の中に入ったらたまたま見つけただけで、見つけたからにはそのまま放っておけないだろ。きけばお姫様だっていうし」
「そうよね」
リンクは根のいい人だから。声をかければ知りあいでもないコッコ姉さんの突飛なお願いもきいてしまうし、素直で、でも大きな剣を軽々振り回すほど強くて勇敢でたくましい。きっとルト姫が王族でもなく、ただの女の子だったとしても、その先に得がなかったとしても、ただただ困ってると知ったら助けていたに違いない。
ルト姫もきっとそんなリンクに惹かれずにはいられなかった。
「なまえがどうしてそんなにルト姫のこと気にするのかわからないけどさ。…オレからどっか行こうって誘った女の子は、なまえだけだよ」
「そうなの?」
「あぁ」
そりゃあ、リンクは顔も整っていて見た目もかっこいいし、極めつけに趣味は人助けかというくらい親切。正直女の子をとっかえひっかえしていても不思議ではない。それが、彼から誘ったのは私だけだなんて。こういうことでおふざけをいう人ではないから、からかっているわけではないのだろう。
「ありが、とう?」
疑問を含んだ感謝の言葉にリンクは口元をゆがませて笑った。
なかなかどうして、伝わっているやらいないやら。
キミだけがトクベツなんだよって言ったつもりなんだけどな。
そろそろ寝るよ、おやすみと挨拶をして隣の部屋に移動する前ぶりをすると、いつものようにおやすみと返してくれた。
**
「なまえ、ちょっと早いけど起きて。見せたいものがあるんだ」
肩を優しく揺すられて、瞬きをした。毛布をどけて半身を起こすと、リンクが外套をかけてくれた。
感覚では周囲はまだ夜の空気を醸し出している。日の出よりももっと早い時間だ。
「リンク…?おはよう、どうしたの」
「おはよう。いいから来て」
朝の挨拶もそこそこに、ベッドからでるように急かす。いままでかぶっていた毛布で外套の上から彼女をくるみ、防寒を強化した。
夢うつつの頭で、緑の背中をついて歩く。
外にでても彼は歩みを止めず、長い長いつり橋をわたって、ついにハイリア湖の中の浮島に降り立った。冷気を含んだ風が足元をすくうように通り過ぎてゆく。黙っていると、ちゃぷ、ちゃぷ、と柔らかな波の音すら聞こえてくる。
「寒くない?」
長袖をきているとはいえ、彼のほうがずっと薄着なのに、気遣ってくれる。
「だいじょうぶ。リンクが来たかったのってここ?」
「うん。見てて」
指さした先はまだ闇色をしている。
ふっ、と山の谷間から白い線が輪郭をなぞるように伸びた。そこから一気に空が白、オレンジ、紺色のグラデーションとして広がっていく。
自然の美に圧倒されて、倒れそうになるのを、リンクの腕にしがみつくことでこらえた。
「リンク、空がすごい、きれい…」
「…うん」
リンクは自分の腕をとる少女の横顔が朝日に照らされてゆくのをじっと眺めていた。
子供のころとは違う、彼女の深みのある声に自分の名前を呼ばれると、めまいを覚えた。頭がふわふわして、目を閉じてその声に集中したくなる。
絡んだ腕は密着していてあたたかくリンクを抱き込む。
水の神殿でモーファを倒して地上に出てこの景色をひとりで見たときも―正確にはナビィもいたため独りとはいいきれないが―心を動かされたものだが、命をかけた戦いの後であることも手伝い、疲労もあってどこか現実味がなかった。この美を堪能するよりも、柔らかいベッドで寝てしまいたかった。ナビィはいそいそと休息といって帽子の中に入ってしまったし。
こうして分かち合える人がいることが、こんなにも感動を増幅するとは思ってなかった。
湖にも負けないくらいかがやく瞳が、まぶしそうに細められる。
これで少しは今まで彼女からもらったもののお礼になっただろうか。
**
お読みくださりありがとうございます。
デスマウンテンの山の上で、女神と出会った。そこで思い出したのが、とある少女の話だ。カカリコ村で静かに暮らす彼女を訪ねた。
なまえは過去に魔力を抑えられたと話してはいたが、その魔力をどうこうしたいようすはなかった。魔力を失って平穏を手に入れたようなのでそのままにしていたいのかもしれないが、もし取り返す機会があるとして、それを知らない振りはしていられない。
少女は毎度唐突の来訪を歓迎してくれて、かいがいしく世話を焼いてくれる。それを申し訳なく思いながらも、要件を話した。
「なまえ、小さい頃に女神さまに会って魔力を失くしたって言ってたろ」
「ええ、そうよ。インパさまが連れていってくれたの」
「オレ、その女神さまがいるところを知ってる」
飲もうとしていたお茶を、緩慢な動作でに受け皿に戻してからというもの、彼女は動かなくなってしまった。
「行って、みるかい?」
幼いころに失った魔力。一度は戦うために取り戻そうとした力。
いつかは解決しなければと思いつつ、女神の居場所もわからないので放置し、忘れようとすらしていた。
大人になった現在なら、その力をちゃんと我が物としてコントロールできるだろうか。
その機会が降ってわいてきた。その時期が実際にきてしまうと、どこかためらってしまう。魔力に関してあまり良い思い出がないためだ。
まだ、力がこの手に返ってくるかどうかの確証もない。力が戻ったとして、その後どうすればいいのか自分の気持ちも考えも定まってはいない。
けれど、リンクが一緒ならどうにか前向きなれる気がして、目の前のじっと返答を待つ優しい瞳に頷いた。
おそろいのゴロンの服を着て、登山に向かった。
頂上近くの、かつて大岩にふさがれていたところだ。外からは見覚えがあるような、ないようなうすぼんやりとした記憶とどうもつながらない。リンクの背について中に入ると、水場が広がっていた。明かりもなくて薄暗い。リンクが胸元から取り出したオカリナで、短い曲を奏でたときに目を瞠った。インパさまの指笛とおなじメロディだったから。
ああ、これだ。この曲。
聴いたのは遠い昔に一度きり。それでも、心に残るものだった。なまえはこのときまで、リンクが楽器を弾けるだなんて想像したこともなかった。
オカリナの少し擦れるような音はシンプルで、柔らかい。リンクの心そのものだ。
「わぁ…」
思わず声が漏れた。
透明な水面下から光とともに飛び出してきた女神に、息をのむ。記憶の中でも艶美さが強調されていたのが、それよりもさらに神々しさが加わってひれ伏してしまいそうになる。隣の男は、その存在を平然と受け止めていた。
『いらっしゃい、リンク。旅の疲れを癒しましょうか』
「ありがとうございます。でも、今日はこの子のためにきたんです」
「女神さま…」
『なまえね、あなたの魔力を返してほしいのかしら?』
名前を言い当てられたことから、かつての少女を覚えているのだと悟る。
「私の魔力は、まだ女神さまのお手にあるのですか」
『あるわよ。だから言っているの』
一度、長い爪の伸びる手を閉じて開いてみせた。そこに光の玉が浮かぶ。
あのときの魔力を取り戻したとして、どうなるだろう。
『私の手をおとりなさい』
いま私は微細な魔力しかない。かつてのように火を起こしたり、何かに強く働きかけることはできない。普通の人間には見えないものをなんとなく感知する程度。機織りの時に意識して魔力を込めれば、ゴロンの服を織ることができる。ガノンドロフの起こした災いで苦しい思いをした人たちを助けたいと奮闘もしたし、力が欲しいと願ったこともある。―けれどそれらは、リンクが解決してくれた。ガノンドロフのことも、きっと。
いまさら望外の魔力を手に入れても、持て余すだけなのではないか。
「いいえ。―いいえ、私には必要ないものです。なので、その魔力をリンクにあげることはできますか」
「なまえ?!」
声を上げる勇者に、決心したのだと目で訴える。
「私には過ぎる力です。でもリンクなら、この世界のために役立ててくれます」
『そう。リンク、あなたはどう?』
判断は男に委ねられた。力強い瞳が、意思を再確認する。
「なまえ、本気なのか」
「子供のころの私の力なんて大したことないだろうけど、リンクの役に立つなら使ってほしいの」
隣に立つリンクが手袋ごしになまえの手を包んで、女神に向き直った。
「女神さま、その魔力をオレにください」
『良いでしょう。いらっしゃい』
受け渡しはあっさりしたものだった。リンクが一歩進んで、女神の手のひらにあった光が彼の胸に吸い込まれる。彼は胸を抑えてはいたが、苦しそうではなかった。
「ありがとう、なまえ。オレはこの力でハイラルを救ってみせるよ」
服といい、魔力といい、またシュエルには借りができてしまった。
溜まるばかりのそれをどのような形で返還すればいいのか悩む。
帰り道、リンクへの異変はみられなかった。自分も幼い頃魔力を失ってから激変したことはなかったが、どこか心配していた自分がいたことに気づく。そしてそんな憂いを吹き飛ばすようにリンクは変わらず親身になってなまえが道を進みやすいように段差で手を引いたり、注意してくれたりする。
「私を女神さまのところまで連れてきてくれてありがとう」
「なまえに返すはずだったのに結果としてオレがもらっちゃったから、オレがお礼言わなきゃな」
「私はいまの自分に満足してるからいいの」
「そっか。なまえは大人だな」
「そうでしょうとも。ところで今日も泊まっていくでしょう?」
「泊まらせてもらえると助かる」
「お任せなさい」
帰宅してから二人で一息ついた。ナビィもいるのだが、リンクと外を旅している間はあんなにうるさいのに、どうしてかなまえといると大人しくしているのだった。気まぐれな彼女だから機嫌を損ねたのなら文句を言うはずで、それがないとなると気遣うこともなさそうだ。
脱いだ帽子にいるであろう妖精を横目に、着替えたゴロンの服を畳むなまえに話しかけた。
「そういえばゾーラの里でもゾーラの服っていう特別な服が売ってるんだ。なまえ、興味があるんじゃないかと思って」
「どんな服なの?」
「青色で、それを着ると水中でも息ができるようになる」
「そんな服があるの。ゾーラの里って言った?どこにあるの?」
「ゾーラの川を辿って上流にいくと泉があるんだけど、そこにゾーラ族の集落ができてるんだ」
「ゾーラ族…へぇ。行ってみたい」
「じゃあ行こう。連れていってあげるよ」
簡単に言ってくれるが、なまえにとっては村を出るだけでも大事である。一歩外に出ればハイラル平原にだって魔物は出没するのだから。
「ちょっと待って、今から?」
「じゃあ、明日から?無理にとは言わないけど、せっかくだし。それとも村を出れない事情でもあったかな?」
「家を数日空けるのはいいんだけど…」
「心配しないでいいよ、エポナがいるからそんなに長くかからない」
「エポナ?」
「ロンロン牧場から買い取ったオレの馬」
結局荷造りをする時間だけもらって、コッコ姉さんに留守を頼んだ。快く引き受けてくれた姉さんはどこか張り切っていた。姉さんが出かけるわけでもないのに。
帰ってきたら根ほり葉ほり聞かれるんだろうな。
「楽しんでね~!」
と村の出口まで見送ってくれた。
「エポナ」
見事な栗毛の馬はリンクの姿を認めると、それだけでいななき、とびかかるようにして喜びを表現した。たてがみと足先の毛は脱色したように真っ白なのが特徴的だ。
「あなたがエポナね。リンクのこと、大好きなのね」
ヒヒン、と鼻息を荒くして返事をした。
「私も乗せてくれるかしら?」
「オレも言い聞かせるし頭のいい馬だから」
先になまえを横座りに乗せて、リンクはひらりと身を翻した。
馬に乗るのも初めてだというなまえに気を使ってか、エポナをゆっくり歩かせる。
体の下には馬のがっしりした筋肉が脈動していて、首を撫でると機嫌良さそうにしている。障害物もなく吹き抜ける風は爽やかで、大地と草の香りを運ぶ。目に映る緑は太陽の光をつやつやと弾いている。透き通った空は頭上を一色に染め上げて雲を流れさせる。
この数年外に出てこんなにも爽快な気分になることなんてなかった。エポナが一歩いっぽ進むたびに、目線が上下する。
「すごい。こんなに視線が高くなるなん、…」
リンクを見上げると、お互いの息がかかるほどに近いことを思い出して顔を羞恥に染めた。
はしゃぐなまえを青い瞳はふんわりと見つめて、どうしたの、と問うた。煮え切らない返事を返しつつ、前を向いた。
「少し走らせてもいいかい?」
「え、うん」
と答えた瞬間にぐん、と前に押し出されて、とっさにリンクの服を掴む。彼に支えられてもいるし万が一にも振り落とされるようなことはないだろうが、鞍の上で飛び跳ねてしまいそうだった。
先ほどとはリズムの違うギャロップでエポナはいななきながら平地を進む。
それはそんなに長いこと続かなかった。
「こんな感じかな。あまり長時間だとエポナが疲れてしまうからここまで」
「まるで風になったみたい!こんなに早く走れるのね、エポナ。かっこいいわ」
ふんふん、と鼻息だけが聞こえた。
順調に王城を背にして、川を辿りながら道なき道を行く。エポナはリンクの行きたい場所をわかりきっているように、ムチで叩かれることなく迷いなく歩む。
川の流れはまだ先に続いていたが、エポナを止めた。
「ここから先は道が険しくて徒歩になるから、降りよう」
馬の背から一瞬で飛び降りて、なまえに手を貸して降ろしてやる。
「エポナ、また後でな」
馬は主人の言葉を解したように、軽やかな足取りで平原を駆けていった。
「いいの?ちゃんと帰ってくる?」
「エポナの歌を弾いてやればすぐきてくれるよ」
「そうなの…」
またすばらしい駿馬を手に入れたものだ。艶やかなたてがみと尻尾が遠くで揺れる。
リンクを背に乗せて、ああして世界中を周ったのだろうか。この短い時間にエポナとリンクの信頼関係を見せつけられているようだった。
草原を駆け抜けるという生まれて初めての体験をして、その清々しい心地よさは格別だった。
羨ましい。
私は、その気分をリンクにさせてあげることができない。一頭の馬に対する尊敬と、主人と飼い馬以上のきずなを表す特別な歌すら有するやっかみと。
まだ体を包む風の余韻に浸っていると、リンクが先へ行こうと指さした。
「なまえ」
「うん…」
「気分が悪いのかい?」
「ううん。エポナはすごいなって驚いてただけ」
自身のちょっとした変化に気づいてくれる彼に、嬉しくなってしまう。
川辺側をリンクが歩いて、なまえは横に並ぶ。
「気を付けて」
なまえをかばって盾を差し出した。オクタロックが吐き出した石はそのまま怪物に返り、魔物は息絶えた。水のなかには、あんな怪物がいたのか。
「ありがとう」
鋭い目をして、鞘から抜きこそしないもののいつでも剣を構える気概でいる。そうでなくともリンクはどこに何匹魔物がいて、いつどのタイミングで襲ってくるのか熟知しているみたいだった。魔物の気配をを察知するたび立ち止まり、なまえを安全な場所に押しやり、やつらの攻撃を返して倒す。
私は、こんなリンクを知らない―…。
物見遊山気分でいたのは、自分ひとりだけ。
「ごめんなさい」
「え?どうしたんだ?」
急な謝罪に、リンクは目を丸くした。
「遊びに行くみたいな気分でいたから。危険な旅になるとは思ってなかったの。村の外に出るってことは魔物に襲われるかもしれないって知ってたはずなのに、エポナに乗せてもらったのも楽しくて」
「ゾーラの里に連れて行くって言いだしたのはオレのほうだよ。なまえは楽しんでくれていいんだ」
そんなこと考えもしなかった、とばつが悪そうに頭を掻く。
「ここら辺のことは何度も来てよく知ってるし、強い魔物はいない。ただ、オレがなまえにぜったい怪我させたくなくて気を張ってたのが伝わっちゃったんだな。ずっと黙ってて息が詰まっただろ。オレのほうこそごめん」
「ううん。守ってくれて、ありがとう。ねぇ、私に何かできないかしら?荷物くらいなら持てるから」
「オレにたいそうな荷物があるように見える?」
彼はいつも旅をしているとは思えないほど身軽だ。剣と盾を背に負えば両手は自由だし、オカリナも胸元に収めてある。
「オレがなまえにゾーラの里を見てほしいんだ。付き合ってよ」
「わかったわ」
「もう少し先に、休憩にいい場所もあるからそこまで行ったら休もう」
ひたすら上流を目指して、途中で野宿もした。頂上近くはほとんど影になっている。滝に阻まれて、それ以上は進めそうにもない。トライフォースの石板の上でリンクはオカリナを取り出し、かわいらしいメロディを奏でた。
不思議なことに、滝が真ん中から割れ、明らかに人の手が加えられた通路が現れる。
暗い洞窟のような通路を抜けると、向こうはひらけていた。
底まで透ける清涼な水が湖として満ちている。向こうには魚が泳いでいるのも丸見えだ。
「きれい…あれは、魚、にしては大きいし…えっ、誰かいる?」
水泡とともにゾーラ族の一人が湖の中から顔を出して、見慣れた勇者の隣に立つ女性を注視した。
「おや、リンクさま。今日はお連れさまがいらっしゃるんですね」
「うん。久しぶり。なまえ、彼はゾーラ族だよ」
「はじめまして。カカリコ村のなまえといいます」
「ようこそゾーラの里へ。ご滞在をお楽しみください」
「そうさせていただきます」
「あのさ、ゾーラの服を作っているところを見たいんだけど、いいかな?」
「かしこまりました。それでは案内いたしましょう」
梯子を上ってきて水滴を滴らせながら、こちらです、と先導していく。なまえはゾーラ族にも足が二本あるのね、とウロコでできた体表を背中を見せているのをいいことに珍しそうにじろじろ眺めた。いかにも泳ぐのに特化していると一目見てわかる身体つきをしているが、地上でも生活できるらしい。
「こちらが
ここまで連れてきてくれたゾーラ族は、扉を開けてくれた。リンクとなまえが中に入ると、一礼して去っていってしまった。好きに覗いていいのだろうか。
清涼な空気の漂う部屋だった。機織りの音は耳に慣れているが、水滴が水面を叩くような音もどこそこで聞こえる。
入ってきた部外者を認めて、作業中だったゾーラ族の一人が声をかけてきた。リンクが片手を上げて挨拶する。
「こんにちは。こんなところまでどんなご用でしょう。リンクさま」
「ちょっと、この子にゾーラの服づくりを見せてあげたくてさ」
「突然すみません。私はなまえ。カカリコ村で、服を作って売って生活しています。…ゴロンの服も作ります。ゾーラの服のことをきいて、一度見てみたかったんです」
「そうでしたか。ゾーラの服をご覧になったことはないのですね。少々お待ちを」
一度離れたかと思うと、完成されたゾーラの服を持ってきた。手に取ってみてもいい、ということだろう。
すべすべとしていて、継ぎ目が少ない。水中での抵抗を無くすためかもしれない。
「はい。ゴロンの服とは、ぜんぜん違うわ。私にも作れたらいいのに」
「違うでしょうとも。お知りになりたいですか?」
「教えていただけますか」
「リンクさまのお連れさまであれば、喜んで」
彼はいったいゾーラ族のためにどんな犠牲を払ったというのだろう。みながみな、敬称つきで彼の名を呼び、命令でもない彼の願いを快く受ける。振り返ると、リンクは笑って頷いた。
「なまえをよろしく頼むよ」
「あの、ご迷惑をおかけします」
「いいんですよ。ただ、10人が10人学んだとて全員ができることではありません。わたくしができるのはお教えすることだけです。なまえさまはゴロンの服をすでにお造りになっているようですから、ゾーラの服も不可能ではないでしょう」
「そうだといいんですが」
「まずは込める魔力の質を知らなければ。お手をお借りします」
ゾーラがなまえの手を握りこむ。
水かきの張った手から冷たい氷のような魔力が流れてくる。その冷気に驚いたときに、なまえの内にある魔力が刺激されて急に膨らんだ。
花火が散って、ふたりの手が弾かれたように離れる。なまえは座り込み、対したゾーラはしびれる腕をさする。
「なまえ、どうしたんだ?」
かがみこむリンクの手を握ると、温かくて気持ちが落ち着いた。
「拒絶なさらないで。違いを知ることが大事なのです」
「ごめんなさい。怪我はありませんか?」
「わたくしは腕がしびれただけです。少しずつやっていきましょう」
「はい」
これ以上できることはないだろう、とリンクはその部屋を後にした。
なまえの手をあんなに長く握っていることは、リンクでもない。ゾーラの彼にそんな意図はないのをわかっているのに、寄り添うように手取り足取りで教える姿に違和感もあるし、落ち着かない気分になる。イラつきさえ覚えてしまいそうになるのを、その場から逃げることでごまかした。
改めてキングゾーラに謁見し、ゾーラひとりひとりが気さくに挨拶してくれるのを返したり、ダイビングチャレンジをしたりして過ごしていた。
**
「休憩なさいませんか」
肩を叩かれたので見上げると、ゾーラ族の一人がすぐ隣にいた。
集中して時間が経つのも忘れていた。魔力の質を一定に保持できなかったためにできた手先から伸びる色むらだらけの布にため息をついて、素材を無駄にしてしまったことを謝罪すると、彼は笑った。
「今日始めたばかりのなまえさまが完璧に仕上げるのでしたら、ゾーラの服は値段に釣り合う価値はつきませんでしょう。明日にでも完成なされたらわたくしは引退してこの工場をお譲りしなければなりませんね」
冗談に少し肩の力が抜けた。
「ついでに昔話をひとつ。ご存じかもしれませんが、リンクさまと我らゾーラ族について」
「ぜひ。リンクは何をしたんですか?私が聞いたのは、ゾーラの里で祀られている、ジャ…ジュ?」
「ジャブジャブさまですね」
「はい、そうです。ジャブジャブさまのお腹の中に入ったということは知ってます」
「リンクさまはかつて、ジャブジャブさまに間違って捕らわれたルト姫を助け出してくださったのです」
「ルト姫…ゾーラ族にとって大切な方だったのですね」
それで、リンクは彼らにとって英雄なのだ。一族はなべて上品なようだが、とりわけリンクに払う敬意は飛びぬけている。
「それはもう。キングゾーラさまの直系である後継ぎの王族はルト姫お一人きりですから」
そこで彼は苦笑にも似た笑みをもらした。なまえは理由がわからず真顔でいると、彼は弁明してくれた。
「ああ、すみません。いえね、あれからルト姫はリンクさまに夢中で…なにやら大切なものを差し上げたらしいのですが、結局なにかは教えてくださらなかったな、と」
子供ながらのかわいらしいやりとりを思い出して、彼は口元を緩めていたが、なまえは取り繕いつつ内心穏やかではない。
一体どういうことだろう。女の子から大事な贈り物をもらったなんてことは聞き及んでいない。
「ルト姫はいまどちらに…?」
「いまは水の賢者におなりです。ゾーラの里にはおられません」
リンクにききたいことがたくさんある。が、疲れた頭では冷静に物事を受け止められそうにもなく、気持ちを整理してからにしようと決めた。
勇者と次に顔を合わせたのは魚料理中心のごちそうをいただくときで、なまえはずいぶん疲れた様子だった。なにか質問しても、生返事ばかり。せっかくの料理をフォークでつついても口に運ぼうとはしない。リンクがこれもおいしい、あれも食べてみて、と取り分けて皿に乗せたものをやっと一口ずつ食べるくらいで終わった。
ゾーラ族にあてがわれた部屋で、二人だけでお茶を飲んでいてもなまえの周囲の空気が重くて、リンクはそれが不思議だった。
「そんなに疲れたの?」
見当違いの言葉に、ため息をついた。
頭の中で何度も繰りかえした質問がするりと口をついて出る。
「…ルト姫からもらった大切なものってなにか覚えてる?」
「大切なモノ?んっと…ああ、水の精霊石のことかな」
「精霊石…リンクが昔探してた石ね」
「そう。くれるときにえんげーじりんくだからふぃあんせがどうとか言ってた気もするけど、オレ正直よくわかってなかったし」
顔をあげると、とぼけたリンクがいる。
「リンクは…ルト姫の婚約者なの?」
「違うよ。オレはそんなつもりない。ルト姫を助けたのだって成り行きで…オレは精霊石がもらえればそれで良かったんだ」
なにやら両者で考えの行き違いがあるようだが、解決していないらしい。
どうしてこういうことに関しては無頓着で能天気なのだろう。見ようによっては結婚詐欺だ。
「その、精霊石がゾーラ王族の結納の品だったんでしょう」
「ムコになるシルシとか言ってたかな。わがままでおてんばで…悪い子じゃなかったけどさ、オレもゾーラのサファイアがルト姫にとってどんなものか知らなかったからそこらへんをハッキリしてなかったのもいけないんだけど、そういう思い込み激しいところあったし…」
「ルト姫はそのつもりだったんじゃないかしら。…リンクはルト姫と結婚するの、ね」
結婚の約束の品を受け取ったということは、結婚事態を了承したということのはず。
彼は否定するために頭を振った。
「まさか。最後に会ったとき、ルト姫のほうからオレとは一緒になれないって言われてさ。いま、ルト姫は水の賢者なんだ。しっかりして大人っぽくなってたけど、とにかくそれがなくても結婚は考えられないな」
つまりリンクはルト姫から一方的にプロポーズをされたにも関わらず、これまた一方的に婚約を破棄されたということだ。慰めればいいのか、笑い飛ばせばいいのかわからない。
「リンク、寂しい?」
「どうして?」
この男は事態を根本的に理解していない。
「だってルト姫は婚約者だったんでしょう?それをなかったことにされるなんて…傷つかない?」
「いや、だからオレは好きとかでもなかったんだよ。ふぃあんせとか呼ばれてもなんのことやら」
もし今後どこかでルト姫に会うようなことがあっても、このことは絶対口外しないでおこうと決心した。
この会話が急に馬鹿らしくなって、もう終わったことのようだし、水に流してやることにした。
それにしても、だ。
「ルト姫は、リンクと一緒に冒険したのね」
羨望であり嫉妬。見たこともない女性相手にぶつけられない気持ちを持て余して、ため息を漏らした。
「ジャブジャブさまのお腹の中に入ったらたまたま見つけただけで、見つけたからにはそのまま放っておけないだろ。きけばお姫様だっていうし」
「そうよね」
リンクは根のいい人だから。声をかければ知りあいでもないコッコ姉さんの突飛なお願いもきいてしまうし、素直で、でも大きな剣を軽々振り回すほど強くて勇敢でたくましい。きっとルト姫が王族でもなく、ただの女の子だったとしても、その先に得がなかったとしても、ただただ困ってると知ったら助けていたに違いない。
ルト姫もきっとそんなリンクに惹かれずにはいられなかった。
「なまえがどうしてそんなにルト姫のこと気にするのかわからないけどさ。…オレからどっか行こうって誘った女の子は、なまえだけだよ」
「そうなの?」
「あぁ」
そりゃあ、リンクは顔も整っていて見た目もかっこいいし、極めつけに趣味は人助けかというくらい親切。正直女の子をとっかえひっかえしていても不思議ではない。それが、彼から誘ったのは私だけだなんて。こういうことでおふざけをいう人ではないから、からかっているわけではないのだろう。
「ありが、とう?」
疑問を含んだ感謝の言葉にリンクは口元をゆがませて笑った。
なかなかどうして、伝わっているやらいないやら。
キミだけがトクベツなんだよって言ったつもりなんだけどな。
そろそろ寝るよ、おやすみと挨拶をして隣の部屋に移動する前ぶりをすると、いつものようにおやすみと返してくれた。
**
「なまえ、ちょっと早いけど起きて。見せたいものがあるんだ」
肩を優しく揺すられて、瞬きをした。毛布をどけて半身を起こすと、リンクが外套をかけてくれた。
感覚では周囲はまだ夜の空気を醸し出している。日の出よりももっと早い時間だ。
「リンク…?おはよう、どうしたの」
「おはよう。いいから来て」
朝の挨拶もそこそこに、ベッドからでるように急かす。いままでかぶっていた毛布で外套の上から彼女をくるみ、防寒を強化した。
夢うつつの頭で、緑の背中をついて歩く。
外にでても彼は歩みを止めず、長い長いつり橋をわたって、ついにハイリア湖の中の浮島に降り立った。冷気を含んだ風が足元をすくうように通り過ぎてゆく。黙っていると、ちゃぷ、ちゃぷ、と柔らかな波の音すら聞こえてくる。
「寒くない?」
長袖をきているとはいえ、彼のほうがずっと薄着なのに、気遣ってくれる。
「だいじょうぶ。リンクが来たかったのってここ?」
「うん。見てて」
指さした先はまだ闇色をしている。
ふっ、と山の谷間から白い線が輪郭をなぞるように伸びた。そこから一気に空が白、オレンジ、紺色のグラデーションとして広がっていく。
自然の美に圧倒されて、倒れそうになるのを、リンクの腕にしがみつくことでこらえた。
「リンク、空がすごい、きれい…」
「…うん」
リンクは自分の腕をとる少女の横顔が朝日に照らされてゆくのをじっと眺めていた。
子供のころとは違う、彼女の深みのある声に自分の名前を呼ばれると、めまいを覚えた。頭がふわふわして、目を閉じてその声に集中したくなる。
絡んだ腕は密着していてあたたかくリンクを抱き込む。
水の神殿でモーファを倒して地上に出てこの景色をひとりで見たときも―正確にはナビィもいたため独りとはいいきれないが―心を動かされたものだが、命をかけた戦いの後であることも手伝い、疲労もあってどこか現実味がなかった。この美を堪能するよりも、柔らかいベッドで寝てしまいたかった。ナビィはいそいそと休息といって帽子の中に入ってしまったし。
こうして分かち合える人がいることが、こんなにも感動を増幅するとは思ってなかった。
湖にも負けないくらいかがやく瞳が、まぶしそうに細められる。
これで少しは今まで彼女からもらったもののお礼になっただろうか。
**
お読みくださりありがとうございます。