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***
平凡でありつつも直球で間違えようもない彼女からの「赤葦くんのことが好きです。付き合ってください」という誠実な告白を受けて、あぁ、先を越されてしまった。そう思いつつ、大人しい彼女の方から行動に出たことに驚きすぎて間を空けてようやく「はい」とつまらないたったのニ文字で答えてしまった。緊張はとれないまま二の句を待ち受けている様子だったので「お付き合いよろしくお願いします」と告げると、それだけで彼女は「ありがとうございます」と真っ赤になってしまったものだから愛おしくて、ふっと顔を緩めると「それじゃあ」と逃げるように走っていってしまった。告白後といえばもう少し、気恥ずかしくも甘い恋の成就の余韻を楽しんだりするものではないのだろうか。
いま離れたとしてもどうせまた放課後に顔を合わせるのだけれど。
それで部活終わりに確認のため「一緒に帰る?」と誘えば嬉しそうに「うん!」と着いてきたので、交際しているという認識で間違いはないだろう。いつもの電車の圧迫された空間も彼女が隣にいるというだけで清涼で心地よい気がする。不思議だ。
選手とマネージャーと立場こそ違えども、同じ学年、同じ部活に所属する。ならもっといままでとは変化をつけても良いのではないか。
何の気なしに「なまえ」と下の名前を呼び捨てにしたら「それはちょっと……!まだ早い」と否定されて後、名字呼びに戻している。少し傷ついた、というか彼氏彼女になって名字呼びから名前呼びへの適切な切り替え時期とはいつだろう、と頭を悩ませたりもした。彼女としてはいまの段階ではないらしい。
部活中、当然ながら他のマネージャーと話す姿に耐えられず、またそれを受け入れられないでいる自分の狭量さに耐えられず彼を不自然に避けてしまう自分がいる。ほんとは部活中も見つめていたいのに。そうしても許される立ち位置のはずなのに。
男だからと異性がその場に居ても平気で上半身を露わにして着替える姿など、以前もそれは目を逸らすなどしていたが付き合ってからは意識しすぎて叫び出しそうになる。
だからとにもかくにも体育館の外に居るように努めて存在を消す。それこそ公式戦のための各校の資料起こしだとかまとめだとか、監督に頼まれた雑用も率先して引き受ける。
とっくに用事は終わっているのに、なかなか足が体育館の中に入ろうと動いてくれない。そろそろ部活も終わるころで、締めの挨拶に入っているはずだ。そのミーティングに出なかったとしても、他のマネージャーより後から連絡事項として教えてもらえるので問題はない。けどこのまま続けてサボってるようにとられて不真面目と評価されるのは不本意だな。早く解決しなきゃ。
気持ちに整理をつけないと。
好きなのに、そばにいたいのに、隣に立つと緊張してしまって顔もまともに見れない。これなら付き合う前の方がまだ自然と話せていた。それなのに一丁前に彼女面で嫉妬をする意地はあるのだ。情けない。
あのスッとした目に見つめられると、のぼせ上がってしまって。思い出しただけで顔が熱くなり、体育館の壁に寄りかかって額を冷やした。
***
そうとも知らず、赤葦は彼女を探してきいてまわっていた。
「雀田さん、苗字さんどこにいるか知ってますか」
「あ〜……もしかしたらまだ外にいるんじゃないかな」
指を差す方向を見つめて、礼を告げた。
体育館の裏で、壁に顔を向けて立っている背中はどことなく陰っている。
「苗字さん」
名前を呼ぶと肩を震わせた。
「あああ赤葦くん……」
「部活終わったよ。こんなところでどうしたの」
「あの、いえ、なんでも……ごめんなさい」
なんでもないようには見えないけど。そう言えば追い詰めてしまうのだろうか。
「すぐ体育館戻るね」
ちょっと待って、と横を通り過ぎようとした彼女の腕を掴んだ。
「体育館鍵閉まったからいま行っても意味ないよ」
「あ……」
手で掴んだ腕を伝うようにして彼女の指を握り込む。挟んだ手のひらは薄くて、爪先まで柔らかい。
「最近まともに話してない気がする」
「そ、そうかな」
「そうだよ」
「私、あの、」
「うん」
「そ、それは……」
「ゆっくりで良いから、苗字さんが考えてること教えてよ」
急かさないで待っててくれる姿勢が優しくて好き。こんなにも素敵な人とお付き合いできて幸せなはずなのに私はうじうじしている。
「私、ダメなとこばっかり」
「どこが。なにか失敗でもした?」
ふるふる、と首を横に振る。合わせて揺れる髪。俯かれると身長差のせいで彼女のつむじしか見えず、表情がわからない。
「赤葦くんの前だと普通でいられなくて、もう以前はどうしてたのかもわからなくなってきて」
とりあえず嫌われてないことだけははっきりして安堵する。手も振り解かれたりしてない。
「うん」
「一緒に帰ってくれたりするのすごく嬉しいのに、隣にいたいのと同じくらい逃げ出したくなっちゃう……」
「俺はどうすれば良い?」
「そのまま素敵な赤葦くんでいてください!私の問題だから……」
「俺のことで悩んでるなら俺の問題でもあるよ。俺にはなにもできない?してほしくない?」
「そんなんじゃなくて……」
「じゃあ、そもそもの話さ」
「……うん」
「苗字さんは俺のこと神聖視しすぎだよね。俺は平凡の部類だと思うんだけど」
「えっ赤葦くんはすごいよ。3年生とも渡り合ってるし、レギュラーのセッターだし尊敬してるよ」
強豪校として名高い梟谷の正セッターの座を勝ち取るのは並大抵のことではない。
「俺はスターじゃない」
「スター……、私が赤葦くんのことアイドルとして見てるんじゃないか、ってこと?」
「そう」
真面目で責任感が強くて面倒見も良い。常識人かと思いきやちょっとズレてて、そのギャップが面白いなと感じていたらそれがいつの間にか恋にすり替わっていた。憧れ混じりなのは認める。
自分の彼に対する気持ちを反芻して、頷いた。
「ちょっと、そうかも。でもちょっと、そうじゃない。付き合ってからも好きっていう気持ちが天井知らずに重なっていって、持て余してる、んだと思う」
交際を始めてからは、特別な女の子として扱ってもらってますます感情が深まった。部活に向かうにも教室まで迎えにきてくれたり、言葉の端々が気にかけるものであったり。
「俺だって好きな子に対して俗なこと考えたりもする」
「俗なこと……?」
「いつキスできるのかなとかどんな下着着けてるんだろうとか」
「したっ……ぎ……」
飛び出した単語に絶句していた。
「苗字さんはそういうつもりで付き合おうって言ったんじゃないの?」
「……はい。でもそんな、すぐすぐのこととは考えてなくて」
「うん。俺も身体的接触は直近では考えてないけど。苗字さんともっと近づきたい。名前で呼びたいし顔もちゃんと見たい」
心臓が痛いほど苦しい。見上げると、相変わらず真顔の赤葦。
「なまえかわいい」
「かわ、か、かわいいなんて……!」
「じゃあなんで俺がなまえの彼氏になったと思ったの。かわいいと思うし、好きだからだよ」
「私……他のマネが赤葦くんと堂々と話してるの見て羨ましく……、ううん、嫉妬してました……!こんなのかわいくないでしょ?ごめんなさい。」
「それ、謝ること?」
恋をしているのなら当然の感情だと思った。
「だって部活に支障が出るでしょ。でもだからって他の女子と話すの止めてとか言うつもりないから安心して!束縛はしたくないし。私が勝手にもやもやしてるだけだから」
それはたぶん、彼女の自信のなさからきている気持ちかもしれない。他を意識する暇もなく揺るがない自信を手に入れさえすれば解決できるだろう。
「なるほど。俺がもっとなまえのこと好きだよっていう表現をすればマシになる?」
「赤葦くんは十分してくれてるよ!私が慣れなきゃいけないんだと思う」
「そうかな?それって慣れるもの?俺もたまに不安になる」
「え?……ごめん、ね?」
「なまえも俺のこと好きなら、キスしてよ」
ここがふたりの分かれ道なのだ。この先も恋人でいられるか、ただの憧れで終わってしまうのか。
「……わかった」
覚悟を決めて挑戦を受け入れる。
「俺からは動かないから」
直立不動の体勢で、赤葦は目を閉じた。
ひとまず、つま先立ちになった。足も手もぷるぷるする。赤葦の肩に手を置くと安定した。動揺もしない彼が、信じて待っていてくれる彼がやっぱり好き。
まっすぐ前に向けた顔。口を近づけようと伸びても、せいぜい喉仏のあたり。あごまでいくかどうか。
「あの、ごめんなさい、届かない……」
こんな場面で自分の至らなさを自己申告するのすっごく恥ずかしい。
「ああ、そっかごめん」
目が開いたかと思えば、赤葦が屈んでそのまま唇を合わせた。しっとりした温もりとぽってりとした柔らかさ。脳に痺れを感じるほどには長く、けれどあっさりとその瞬間は終わってしまった。
言葉にならない音の羅列が口から漏れる。
なんで、だって、私からするように仕向けておいたじゃない。そう非難を込めて見つめる。変わらないようでいてどこか嬉しそうに目が輝いていた。
「ごめんやっぱり俺からしたかった」
体に力が入らずくらりと前に傾いた。受け止めたのは彼であり、背中に手を回してしがみつく。顔を見られたくない。それでシャツが汗を吸っていることに気づいた。
「赤葦くん半袖だし、部活の後で汗かいてるのに体冷やしちゃう。早く着替えないと」
「そうだね。更衣室に行くのが遅いと怪しまれるな」
体を離して赤葦は告げる。
「じゃあ校門で待ち合わせで」
なまえはうん、と頷いた。
支度を終えて校門の前に行くとまだ赤葦は部室にいるようだった。キスしたばかりで目を合わせられるか心配していると、木兎と赤葦が会話しているのがきこえてきた。
「お待たせ」
「ううん」
「なまえも一緒に帰るか!」
「はい」
部活で遅くなるとマネージャーたちを家の近い部員が送っていったりする。校門でなまえがひとり赤葦を待っていたことにどうしたんだとも尋ねない木兎に微笑んだ。それぞれの家が特別近いわけでもないことは、赤葦となまえ自身しか知らない事実。
ふたりの男女としての関係に気づいた素振りもない。知っていれば一緒に帰ろうなどと言わず一人で帰るだろうから。こうやって、木兎の何の疑問も持たないところに救われるときもある。
一度キスしてしまったのだから、帰りにでもまたすぐされてしまうのではないかとか、期待なんてしてない。けど木兎が共にいるならきっとキスをされることない。少し残念なような気持ちを振りほどいた。
ゆっくりで良い。ちゃんと、赤葦くんと向き合えるようになるから。
「では苗字さんを家まで送るので」
「おお、そうか。頼んだぞ。ふたりとも気をつけてな!」
木兎は清々しく手を振って、駅構内で別れた。
ふたり並んで歩く。
初めて、赤葦を特別意識しはじめたのはいつだったか。
やはり部活関係だったと思う。
「苗字さんの、こういうとこ良いよね」
当人はさほど意識もしていないであろう、さらりと流れ出た褒め言葉に、喜びとはまた別の感情が沸き立った。凛々しい瞳に捕らえられて、抜け出せない。その一言だけが強烈に残って、前後の記憶は吹き飛んだ。
表立って誰かに言うわけでもないのに、努力を見ててくれた。嬉しかった。
もともとは純粋な尊敬からだった。早いうちから強豪校と評される梟谷のレギュラーを勝ち取り、冷静にかつ狡猾に相手コートチームを翻弄する姿に、本当に同い年なのかと疑うこともあった。真面目が過ぎるせいかときにとんちんかんな発言もあるけれど、その目はしっかり遠くの目標に定められていて……そばでずっと見ていたいと思ってしまった。
この人と心を通わすことができたなら、と願ってしまった。
告白して了承をもらって晴れて恋人同士になったものの、名実ともに、となるにはまだ時間がかかりそうだ。
***
月島が疑問と疲労を重ねる夏の第三体育館。もうそろそろ切り上げて逃げ出そうと隙を窺うが、黒尾と木兎の様子ではさらに続きそうだ。
「木兎先輩、赤葦くん、ここにいた」
出入り口に張られたネットをくぐって、ひとりの女子が入ってきた。他校の生徒である黒尾や月島に軽く頭を下げる。黒尾からは笑顔が、月島からは社交辞令のお辞儀が返ってきた。灰羽はというと、まだ床に伏している。
「じゃ、5分休憩」
黒尾が仕切って、各々返事をする。すみません、と謝る彼女にいーよ、と音駒の主将は笑った。以前にも練習や合宿で顔を合わせており、それなりに見知った仲だ。なまえは梟谷の生徒へまっすぐ向かう。
「どこにいるのか探しちゃった」
「ごめん、言う暇もなく木兎さんに自主練のために連行されたから」
「苗字どうした?」
「はい、監督からの伝言です」
学園の生徒だけで円になった3人を尻目に、黒尾がずいっと眼鏡越しに覗き込んできた。
「あの子誰って聞かねぇの?」
問われた月島は面倒くさそうに目を向ける。
「どうせ梟谷のマネージャーですよね、話してるの見ればわかります」
「えぇ〜そうだけどさぁ。もっと他人に興味持とうぜ」
「もうこれ以上知りたいことはないんで結構ですあと僕疲れたんで、」
「俺は気になります!あの子マネージャーなんですか?!」
灰羽は今のいままで床に張り付いていたというのに、いつの間にか息を吹き返していた。間に挟まれ抜け出すきっかけを失ってしまい、舌打ちをしたが聞こえてないようだ。
「じゃあ、明日もあるので自主練で無理はしないでくださいね」
終わりに忠告で締め括ったなまえに灰羽がさっと近寄った。
「で、苗字さんって、どっちと付き合ってるんですか?」
「オイオイ、コイツは梟谷のマネだぞ?」
木兎が大きな瞳できっぱり答えたのに、なまえは少し困ったようにしながら、主将を一瞥した上で赤葦に目で助けを求めた。それに対して静かな態度で好きに答えたら良い、と含みを持たせる。単純に恥ずかしくて答えたくないなら無言で通せば良いし、騒ぎにしたくなくてみんなの前で否定しても気にしない、と。
なまえはどう受け取ったのか、黒髪の方に擦り寄り、その腕に手を添えた。
「こっち、です」
周囲の更に問いかけるような空気に、赤葦が頷こうとした時、木兎が手のひらを掲げて止めた。
「ちょい待って」
目がこぼれ落ちんばかりの驚愕の表情をはりつけている。
「お前ら付き合ってたの???」
「はい」
平然と肯定する赤葦とその横で赤い両頬を抑えているなまえ。とっさに嘘をつくことも誤魔化すこともできなかった。
「俺はともかく木兎知らなかったのかよ。同じ学校同じ部活じゃん、どうなってんの」
黒尾が失笑した。
「いやいやいや、俺普通に部活終わりふたりに混ざって帰ったりしてたよな?!」
「それはだって電車同じですし」
「言ってくれれば俺だって遠慮したよ?!ふたりきりにしてたよ?!それくらいできるから!」
「木兎さんから気を使われるのは嫌なので」
「木兎先輩と一緒に学園にいられるのも半年くらいしか残されてないんですから、少しでも長く楽しい時間を過ごしたいです」
「お前らぁ……」
感動して良いのか鈍感な自分を呪えば良いのか。頭を抱えていると黒尾が助け舟を出した。
「まーまー、ここはおめでとうっていう場面だろ」
「はっ!そうだな!赤葦、苗字おめでとう」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ございます」
並んでみるとふたりともども大人しそうな、なんとも穏やかなカップル。
「てことはバレー部のみんな知ってんの?」
「報告はしてませんが、おそらく察しているんじゃないですか」
「あ、私は雀田先輩と白福先輩には言ったよ」
「ああ」
それでは本当に知らなかったのは木兎だけ。
「しかしなーかわいい後輩たちを真っ先にお祝いしてやれなかったのは悔しい!」
「お気持ちだけで十分です」
「そうかよ。赤葦と苗字が付き合うとはなぁ」
「意外ですか?」
「だって、苗字はともかく赤葦は効率うんぬん言い出しそうじゃないか?『高校生活で勉強と部活両立させるには恋愛まで手が回りませんよ』とか言い出しそうで」
「それ俺のモノマネですか。似てません。いま初めて木兎さんを嫌いになるかと思いました」
「そんなに?!悪かったよ」
「俺だって人間です」
彼女を見下ろすと、いまのやりとりを見て微笑んでいる。気が和んだ。
「確かに部活と勉強で手一杯なところはありましたが……今自分が持っている気持ちも彼女の気持ちも大事にしようと思ったまでです」
ヒュウ、と黒尾の口笛が響く。
「もたもたしてたら他に取られそうだし」
「ええっ?!それはないよ」
瞬きをして彼氏の不安を否定した。
「もらって良いなら俺がもらってたよ」
黒尾が本心なのかからかっているのかわからない笑顔で告げる。赤葦はそら見たことか、とため息をついた。
「強豪校で経験ありの優秀なマネージャー、うちにも欲しいんだよな」
「黒尾さんは主将として素晴らしい方だと思いますが、私は梟谷の人間なので……」
「主将としてだけ?男としては?もっと知ってもらうためにも、合宿の間だけでもさぁ」
面白がって食い下がるので、赤葦が割り込む。
「その図体で迫らないでください」
「デカいのに囲まれるのは慣れてるでしょ。音駒に来れば大事に可愛がってあげるよ?」
「黒尾さんさすがにその言い方はやーらしい」
ぼん、と木兎の手のひらが黒尾の背中を叩く。
「はは、なまえちゃん愛されてんね」
からかうナンパ男に赤葦が答える。
「当たり前でしょう。俺の可愛い彼女ですから」
「そこまでにして……!け、京治くん!」
動揺している彼女に、赤葦がくしゃりと笑った。
***
おわりです。
読んでくださりありがとうございます。
ヒロインの独白が長くてどこかぼんやりとしたお話になってしまいました。キスのくだりと後半を書きたかった。
Hung the moon
(おおざっば訳)理想の人
***
平凡でありつつも直球で間違えようもない彼女からの「赤葦くんのことが好きです。付き合ってください」という誠実な告白を受けて、あぁ、先を越されてしまった。そう思いつつ、大人しい彼女の方から行動に出たことに驚きすぎて間を空けてようやく「はい」とつまらないたったのニ文字で答えてしまった。緊張はとれないまま二の句を待ち受けている様子だったので「お付き合いよろしくお願いします」と告げると、それだけで彼女は「ありがとうございます」と真っ赤になってしまったものだから愛おしくて、ふっと顔を緩めると「それじゃあ」と逃げるように走っていってしまった。告白後といえばもう少し、気恥ずかしくも甘い恋の成就の余韻を楽しんだりするものではないのだろうか。
いま離れたとしてもどうせまた放課後に顔を合わせるのだけれど。
それで部活終わりに確認のため「一緒に帰る?」と誘えば嬉しそうに「うん!」と着いてきたので、交際しているという認識で間違いはないだろう。いつもの電車の圧迫された空間も彼女が隣にいるというだけで清涼で心地よい気がする。不思議だ。
選手とマネージャーと立場こそ違えども、同じ学年、同じ部活に所属する。ならもっといままでとは変化をつけても良いのではないか。
何の気なしに「なまえ」と下の名前を呼び捨てにしたら「それはちょっと……!まだ早い」と否定されて後、名字呼びに戻している。少し傷ついた、というか彼氏彼女になって名字呼びから名前呼びへの適切な切り替え時期とはいつだろう、と頭を悩ませたりもした。彼女としてはいまの段階ではないらしい。
部活中、当然ながら他のマネージャーと話す姿に耐えられず、またそれを受け入れられないでいる自分の狭量さに耐えられず彼を不自然に避けてしまう自分がいる。ほんとは部活中も見つめていたいのに。そうしても許される立ち位置のはずなのに。
男だからと異性がその場に居ても平気で上半身を露わにして着替える姿など、以前もそれは目を逸らすなどしていたが付き合ってからは意識しすぎて叫び出しそうになる。
だからとにもかくにも体育館の外に居るように努めて存在を消す。それこそ公式戦のための各校の資料起こしだとかまとめだとか、監督に頼まれた雑用も率先して引き受ける。
とっくに用事は終わっているのに、なかなか足が体育館の中に入ろうと動いてくれない。そろそろ部活も終わるころで、締めの挨拶に入っているはずだ。そのミーティングに出なかったとしても、他のマネージャーより後から連絡事項として教えてもらえるので問題はない。けどこのまま続けてサボってるようにとられて不真面目と評価されるのは不本意だな。早く解決しなきゃ。
気持ちに整理をつけないと。
好きなのに、そばにいたいのに、隣に立つと緊張してしまって顔もまともに見れない。これなら付き合う前の方がまだ自然と話せていた。それなのに一丁前に彼女面で嫉妬をする意地はあるのだ。情けない。
あのスッとした目に見つめられると、のぼせ上がってしまって。思い出しただけで顔が熱くなり、体育館の壁に寄りかかって額を冷やした。
***
そうとも知らず、赤葦は彼女を探してきいてまわっていた。
「雀田さん、苗字さんどこにいるか知ってますか」
「あ〜……もしかしたらまだ外にいるんじゃないかな」
指を差す方向を見つめて、礼を告げた。
体育館の裏で、壁に顔を向けて立っている背中はどことなく陰っている。
「苗字さん」
名前を呼ぶと肩を震わせた。
「あああ赤葦くん……」
「部活終わったよ。こんなところでどうしたの」
「あの、いえ、なんでも……ごめんなさい」
なんでもないようには見えないけど。そう言えば追い詰めてしまうのだろうか。
「すぐ体育館戻るね」
ちょっと待って、と横を通り過ぎようとした彼女の腕を掴んだ。
「体育館鍵閉まったからいま行っても意味ないよ」
「あ……」
手で掴んだ腕を伝うようにして彼女の指を握り込む。挟んだ手のひらは薄くて、爪先まで柔らかい。
「最近まともに話してない気がする」
「そ、そうかな」
「そうだよ」
「私、あの、」
「うん」
「そ、それは……」
「ゆっくりで良いから、苗字さんが考えてること教えてよ」
急かさないで待っててくれる姿勢が優しくて好き。こんなにも素敵な人とお付き合いできて幸せなはずなのに私はうじうじしている。
「私、ダメなとこばっかり」
「どこが。なにか失敗でもした?」
ふるふる、と首を横に振る。合わせて揺れる髪。俯かれると身長差のせいで彼女のつむじしか見えず、表情がわからない。
「赤葦くんの前だと普通でいられなくて、もう以前はどうしてたのかもわからなくなってきて」
とりあえず嫌われてないことだけははっきりして安堵する。手も振り解かれたりしてない。
「うん」
「一緒に帰ってくれたりするのすごく嬉しいのに、隣にいたいのと同じくらい逃げ出したくなっちゃう……」
「俺はどうすれば良い?」
「そのまま素敵な赤葦くんでいてください!私の問題だから……」
「俺のことで悩んでるなら俺の問題でもあるよ。俺にはなにもできない?してほしくない?」
「そんなんじゃなくて……」
「じゃあ、そもそもの話さ」
「……うん」
「苗字さんは俺のこと神聖視しすぎだよね。俺は平凡の部類だと思うんだけど」
「えっ赤葦くんはすごいよ。3年生とも渡り合ってるし、レギュラーのセッターだし尊敬してるよ」
強豪校として名高い梟谷の正セッターの座を勝ち取るのは並大抵のことではない。
「俺はスターじゃない」
「スター……、私が赤葦くんのことアイドルとして見てるんじゃないか、ってこと?」
「そう」
真面目で責任感が強くて面倒見も良い。常識人かと思いきやちょっとズレてて、そのギャップが面白いなと感じていたらそれがいつの間にか恋にすり替わっていた。憧れ混じりなのは認める。
自分の彼に対する気持ちを反芻して、頷いた。
「ちょっと、そうかも。でもちょっと、そうじゃない。付き合ってからも好きっていう気持ちが天井知らずに重なっていって、持て余してる、んだと思う」
交際を始めてからは、特別な女の子として扱ってもらってますます感情が深まった。部活に向かうにも教室まで迎えにきてくれたり、言葉の端々が気にかけるものであったり。
「俺だって好きな子に対して俗なこと考えたりもする」
「俗なこと……?」
「いつキスできるのかなとかどんな下着着けてるんだろうとか」
「したっ……ぎ……」
飛び出した単語に絶句していた。
「苗字さんはそういうつもりで付き合おうって言ったんじゃないの?」
「……はい。でもそんな、すぐすぐのこととは考えてなくて」
「うん。俺も身体的接触は直近では考えてないけど。苗字さんともっと近づきたい。名前で呼びたいし顔もちゃんと見たい」
心臓が痛いほど苦しい。見上げると、相変わらず真顔の赤葦。
「なまえかわいい」
「かわ、か、かわいいなんて……!」
「じゃあなんで俺がなまえの彼氏になったと思ったの。かわいいと思うし、好きだからだよ」
「私……他のマネが赤葦くんと堂々と話してるの見て羨ましく……、ううん、嫉妬してました……!こんなのかわいくないでしょ?ごめんなさい。」
「それ、謝ること?」
恋をしているのなら当然の感情だと思った。
「だって部活に支障が出るでしょ。でもだからって他の女子と話すの止めてとか言うつもりないから安心して!束縛はしたくないし。私が勝手にもやもやしてるだけだから」
それはたぶん、彼女の自信のなさからきている気持ちかもしれない。他を意識する暇もなく揺るがない自信を手に入れさえすれば解決できるだろう。
「なるほど。俺がもっとなまえのこと好きだよっていう表現をすればマシになる?」
「赤葦くんは十分してくれてるよ!私が慣れなきゃいけないんだと思う」
「そうかな?それって慣れるもの?俺もたまに不安になる」
「え?……ごめん、ね?」
「なまえも俺のこと好きなら、キスしてよ」
ここがふたりの分かれ道なのだ。この先も恋人でいられるか、ただの憧れで終わってしまうのか。
「……わかった」
覚悟を決めて挑戦を受け入れる。
「俺からは動かないから」
直立不動の体勢で、赤葦は目を閉じた。
ひとまず、つま先立ちになった。足も手もぷるぷるする。赤葦の肩に手を置くと安定した。動揺もしない彼が、信じて待っていてくれる彼がやっぱり好き。
まっすぐ前に向けた顔。口を近づけようと伸びても、せいぜい喉仏のあたり。あごまでいくかどうか。
「あの、ごめんなさい、届かない……」
こんな場面で自分の至らなさを自己申告するのすっごく恥ずかしい。
「ああ、そっかごめん」
目が開いたかと思えば、赤葦が屈んでそのまま唇を合わせた。しっとりした温もりとぽってりとした柔らかさ。脳に痺れを感じるほどには長く、けれどあっさりとその瞬間は終わってしまった。
言葉にならない音の羅列が口から漏れる。
なんで、だって、私からするように仕向けておいたじゃない。そう非難を込めて見つめる。変わらないようでいてどこか嬉しそうに目が輝いていた。
「ごめんやっぱり俺からしたかった」
体に力が入らずくらりと前に傾いた。受け止めたのは彼であり、背中に手を回してしがみつく。顔を見られたくない。それでシャツが汗を吸っていることに気づいた。
「赤葦くん半袖だし、部活の後で汗かいてるのに体冷やしちゃう。早く着替えないと」
「そうだね。更衣室に行くのが遅いと怪しまれるな」
体を離して赤葦は告げる。
「じゃあ校門で待ち合わせで」
なまえはうん、と頷いた。
支度を終えて校門の前に行くとまだ赤葦は部室にいるようだった。キスしたばかりで目を合わせられるか心配していると、木兎と赤葦が会話しているのがきこえてきた。
「お待たせ」
「ううん」
「なまえも一緒に帰るか!」
「はい」
部活で遅くなるとマネージャーたちを家の近い部員が送っていったりする。校門でなまえがひとり赤葦を待っていたことにどうしたんだとも尋ねない木兎に微笑んだ。それぞれの家が特別近いわけでもないことは、赤葦となまえ自身しか知らない事実。
ふたりの男女としての関係に気づいた素振りもない。知っていれば一緒に帰ろうなどと言わず一人で帰るだろうから。こうやって、木兎の何の疑問も持たないところに救われるときもある。
一度キスしてしまったのだから、帰りにでもまたすぐされてしまうのではないかとか、期待なんてしてない。けど木兎が共にいるならきっとキスをされることない。少し残念なような気持ちを振りほどいた。
ゆっくりで良い。ちゃんと、赤葦くんと向き合えるようになるから。
「では苗字さんを家まで送るので」
「おお、そうか。頼んだぞ。ふたりとも気をつけてな!」
木兎は清々しく手を振って、駅構内で別れた。
ふたり並んで歩く。
初めて、赤葦を特別意識しはじめたのはいつだったか。
やはり部活関係だったと思う。
「苗字さんの、こういうとこ良いよね」
当人はさほど意識もしていないであろう、さらりと流れ出た褒め言葉に、喜びとはまた別の感情が沸き立った。凛々しい瞳に捕らえられて、抜け出せない。その一言だけが強烈に残って、前後の記憶は吹き飛んだ。
表立って誰かに言うわけでもないのに、努力を見ててくれた。嬉しかった。
もともとは純粋な尊敬からだった。早いうちから強豪校と評される梟谷のレギュラーを勝ち取り、冷静にかつ狡猾に相手コートチームを翻弄する姿に、本当に同い年なのかと疑うこともあった。真面目が過ぎるせいかときにとんちんかんな発言もあるけれど、その目はしっかり遠くの目標に定められていて……そばでずっと見ていたいと思ってしまった。
この人と心を通わすことができたなら、と願ってしまった。
告白して了承をもらって晴れて恋人同士になったものの、名実ともに、となるにはまだ時間がかかりそうだ。
***
月島が疑問と疲労を重ねる夏の第三体育館。もうそろそろ切り上げて逃げ出そうと隙を窺うが、黒尾と木兎の様子ではさらに続きそうだ。
「木兎先輩、赤葦くん、ここにいた」
出入り口に張られたネットをくぐって、ひとりの女子が入ってきた。他校の生徒である黒尾や月島に軽く頭を下げる。黒尾からは笑顔が、月島からは社交辞令のお辞儀が返ってきた。灰羽はというと、まだ床に伏している。
「じゃ、5分休憩」
黒尾が仕切って、各々返事をする。すみません、と謝る彼女にいーよ、と音駒の主将は笑った。以前にも練習や合宿で顔を合わせており、それなりに見知った仲だ。なまえは梟谷の生徒へまっすぐ向かう。
「どこにいるのか探しちゃった」
「ごめん、言う暇もなく木兎さんに自主練のために連行されたから」
「苗字どうした?」
「はい、監督からの伝言です」
学園の生徒だけで円になった3人を尻目に、黒尾がずいっと眼鏡越しに覗き込んできた。
「あの子誰って聞かねぇの?」
問われた月島は面倒くさそうに目を向ける。
「どうせ梟谷のマネージャーですよね、話してるの見ればわかります」
「えぇ〜そうだけどさぁ。もっと他人に興味持とうぜ」
「もうこれ以上知りたいことはないんで結構ですあと僕疲れたんで、」
「俺は気になります!あの子マネージャーなんですか?!」
灰羽は今のいままで床に張り付いていたというのに、いつの間にか息を吹き返していた。間に挟まれ抜け出すきっかけを失ってしまい、舌打ちをしたが聞こえてないようだ。
「じゃあ、明日もあるので自主練で無理はしないでくださいね」
終わりに忠告で締め括ったなまえに灰羽がさっと近寄った。
「で、苗字さんって、どっちと付き合ってるんですか?」
「オイオイ、コイツは梟谷のマネだぞ?」
木兎が大きな瞳できっぱり答えたのに、なまえは少し困ったようにしながら、主将を一瞥した上で赤葦に目で助けを求めた。それに対して静かな態度で好きに答えたら良い、と含みを持たせる。単純に恥ずかしくて答えたくないなら無言で通せば良いし、騒ぎにしたくなくてみんなの前で否定しても気にしない、と。
なまえはどう受け取ったのか、黒髪の方に擦り寄り、その腕に手を添えた。
「こっち、です」
周囲の更に問いかけるような空気に、赤葦が頷こうとした時、木兎が手のひらを掲げて止めた。
「ちょい待って」
目がこぼれ落ちんばかりの驚愕の表情をはりつけている。
「お前ら付き合ってたの???」
「はい」
平然と肯定する赤葦とその横で赤い両頬を抑えているなまえ。とっさに嘘をつくことも誤魔化すこともできなかった。
「俺はともかく木兎知らなかったのかよ。同じ学校同じ部活じゃん、どうなってんの」
黒尾が失笑した。
「いやいやいや、俺普通に部活終わりふたりに混ざって帰ったりしてたよな?!」
「それはだって電車同じですし」
「言ってくれれば俺だって遠慮したよ?!ふたりきりにしてたよ?!それくらいできるから!」
「木兎さんから気を使われるのは嫌なので」
「木兎先輩と一緒に学園にいられるのも半年くらいしか残されてないんですから、少しでも長く楽しい時間を過ごしたいです」
「お前らぁ……」
感動して良いのか鈍感な自分を呪えば良いのか。頭を抱えていると黒尾が助け舟を出した。
「まーまー、ここはおめでとうっていう場面だろ」
「はっ!そうだな!赤葦、苗字おめでとう」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ございます」
並んでみるとふたりともども大人しそうな、なんとも穏やかなカップル。
「てことはバレー部のみんな知ってんの?」
「報告はしてませんが、おそらく察しているんじゃないですか」
「あ、私は雀田先輩と白福先輩には言ったよ」
「ああ」
それでは本当に知らなかったのは木兎だけ。
「しかしなーかわいい後輩たちを真っ先にお祝いしてやれなかったのは悔しい!」
「お気持ちだけで十分です」
「そうかよ。赤葦と苗字が付き合うとはなぁ」
「意外ですか?」
「だって、苗字はともかく赤葦は効率うんぬん言い出しそうじゃないか?『高校生活で勉強と部活両立させるには恋愛まで手が回りませんよ』とか言い出しそうで」
「それ俺のモノマネですか。似てません。いま初めて木兎さんを嫌いになるかと思いました」
「そんなに?!悪かったよ」
「俺だって人間です」
彼女を見下ろすと、いまのやりとりを見て微笑んでいる。気が和んだ。
「確かに部活と勉強で手一杯なところはありましたが……今自分が持っている気持ちも彼女の気持ちも大事にしようと思ったまでです」
ヒュウ、と黒尾の口笛が響く。
「もたもたしてたら他に取られそうだし」
「ええっ?!それはないよ」
瞬きをして彼氏の不安を否定した。
「もらって良いなら俺がもらってたよ」
黒尾が本心なのかからかっているのかわからない笑顔で告げる。赤葦はそら見たことか、とため息をついた。
「強豪校で経験ありの優秀なマネージャー、うちにも欲しいんだよな」
「黒尾さんは主将として素晴らしい方だと思いますが、私は梟谷の人間なので……」
「主将としてだけ?男としては?もっと知ってもらうためにも、合宿の間だけでもさぁ」
面白がって食い下がるので、赤葦が割り込む。
「その図体で迫らないでください」
「デカいのに囲まれるのは慣れてるでしょ。音駒に来れば大事に可愛がってあげるよ?」
「黒尾さんさすがにその言い方はやーらしい」
ぼん、と木兎の手のひらが黒尾の背中を叩く。
「はは、なまえちゃん愛されてんね」
からかうナンパ男に赤葦が答える。
「当たり前でしょう。俺の可愛い彼女ですから」
「そこまでにして……!け、京治くん!」
動揺している彼女に、赤葦がくしゃりと笑った。
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おわりです。
読んでくださりありがとうございます。
ヒロインの独白が長くてどこかぼんやりとしたお話になってしまいました。キスのくだりと後半を書きたかった。
Hung the moon
(おおざっば訳)理想の人
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