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「流れ球に気をつけてね」
清水にそう忠告されてはいたものの、流れるというより弾丸のように撃たれたくらいの勢いのボールなので気を抜いてコートの近くにいるとたまに本気で驚く。視認できても常人では体の反射が追いつかない。
ボールが跳ね返るだけで、もし鬼が地団駄ふんでいるとしたらきっとこんな音を出すのだろうな、という重低音が響く。
自分がたまたま下を向いていたのがいけなかったのかもしれない。
ごく近くでキキュッと靴と床が擦れるのがきこえたと思って見上げたら、人が降ってきた。太陽が天から突き落とされたんじゃないだろうか。それはまぶしくて、光にふちどられていて、さらにオレンジで。
そのときの痛みはない。ただなにかがぶつかったくらいしかわからなかった。抵抗する術もなく、共に倒れこんだ。
胸に感じた圧迫感がすぐになくなり、頭が回転しだす。
レシーブされたもののホームランばりにこちらに飛んできたボールをおいかけて日向がジャンプしてきたのだ。
「お、おれ、ボールしか見えてなくて…ごめん!!すみませんでしたー!!」
座り込んだまま頭を下げたので、土下座になってしまっている。どうして彼は謝っているのだろう、と不思議なくらい状況を把握できなかった。
「ボゲェ日向ボゲェ!危ねぇだろうが!ちゃんと周り見ろっつってんだろ!」
呆然として、天井の高いところにある照明を見つめる。視界に心配そうな顔が次々入ってきた。
「立てるか?」
西谷が手を伸ばしてなまえの右手を掴む。上半身を起こしたところで、田中も背中を支えてくれ、優しく立ち上がらせてくれた。
「ありがとうございます」
先輩たちのほっとした顔を見渡す。そして床に伏した日向に目が落ちる。
「…っ、日向、怪我は?足ひねったりしてない?!」
屈んで彼の肩に右手を置く。
まず思い浮かんだのは怪我をした日向の姿だった。大事な選手の体を傷つけたとなれば、到底自分を許せない。
「おれよりもなまえは?なんともない?」
「ううん。日向が怪我してバレーできなくなっちゃったら、私このこと一生後悔する」
「おれは丈夫だから」
私のことも気にしないで、と振ろうとした左手首に刺されたような痛みが走る。
「いっ…」
悲鳴に近い声をあげると、日向が泣きそうに目をうるませた。
「左手、どうかした?」
よくよく思い出せば、とっさに左手を後ろにつこうとして、二人ぶんの体重を支えきれずにひねった気がする。
「捻挫か?」
澤村が真面目な顔でちょっと見せてみなさい、というので大人しく差し出す。少しの振動が響いてズキズキする。手首あたりは避けて腕を掴まれ、ひっくり返したりして観察される。
うっ血して、手首の内側の皮膚が青く染まっていた。我ながら派手にやってしまったと眉をひそめる。
「骨折はしてない、やっぱり捻挫だろうな。清水、手当頼めるか?」
「わかった。なまえちゃん、こっちきて。テーピングしよ」
湿布を貼ったうえで、手際良くテーピングを巻かれる。それだけでずいぶん痛みがらくになった。
「ありがとうございます」
「2、3日腫れるかも。もし痛みが酷かったら、病院行って検査受けてね。それでなくても捻挫はクセになっちゃうから」
「ですよね…。選手でもないのに捻挫とか、すみません…」
「謝ることないよ」
「いえ、私があんなところにいなければ良かったんです」
「これからは流れ日向にも気をつけないとね」
流れ球ならぬ流れ日向。清水からのめったにないユーモアに、思わず笑みがこぼれる。
****
部活も終わりに近づくにつれ、だんだん手首の痛みが酷くなってきた気がする。左手がなにかに接触したときの痛みの響きが辛い。
制服のシャツのボタンを締めたりする細かい作業、つまり着替えをするのも億劫で、なんとか下だけはスカートに履き替えて、上はジャージのまま帰ることにした。
男子勢もぞろぞろと部室から出てきたところで、別れの挨拶を済ませていると、日向が自転車を手で押してやってきた。
「なまえ、おれカバン持つよ」
きっと彼は罪の意識から、なまえを送っていくつもりだ。
ほんとうに気にしてほしくないだけなのに、彼は優しいから。
「いいよ、日向」
「なにかしないと落ち着かないんだろ。やらせてやれ」
澤村からの助け舟で、日向は手を差し出した。部長にまで言われては、意固地になるのもおかしいので、肩からカバンの肩紐を滑らせた。
「えと…はい。ありがと、お願いするね」
渡されたカバンを宝物のように胸に抱く。なんだか忠犬って言葉が似合うなぁ。
幸い家は学校から遠くないので、日向の帰宅ルートからはそうそう大きく外れない。
「坂ノ下商店寄っていい?」
「うん、わかった。おれ外で待ってるから」
カバンから財布だけ取り出して、坂ノ下商店のドアを引く。目的のものはすぐ見つかったので、会計を済ませて日向のもとに戻った。
「ごめんね、帰ろうか」
「ううん。何買ったの?」
「湿布だよ。要るかなって思って」
「おれ払うよ!」
「ううん、私もあとでお母さんにお金返してもらうから」
財布の口を開こうとした日向の手を抑えて、断った。
他愛もない話をしながらずっと道路側を歩く日向に気づいたとき、ぼんやりと良いな、と思った。こちらから何も言わずとも歩みをゆるくして合わせてくれてるのがわかった。ひとりだとさっさともっと早く歩くんだろうに。
妹がいるときいていたから、それで誰かを守る行為が意識せずともできるようになったのだろう。大事にされている、と感じられて少し照れくさくもあるが、素直に嬉しい。
「家に両親いる?おれちゃんと謝んなくちゃ」
「そんな大げさにしないで。それより日向に怪我がなくてほんと安心したよ」
嘘偽りのない微笑みに、日向は自己嫌悪におちいる。こんな子に、自分の不注意で怪我をさせてしまったのだ。
「日向は、それで良いんだよ。まっすぐボールだけ追いかける日向、かっこいいもん」
「かっ…」
ポンっと音が聞こえそうなくらい、瞬間沸騰してしまった。
「普段と全然ちがう。ちょっとおっちょこちょいかな?って思ってたら、試合ではあんなすごいスパイク決めて、相手選手ビビらせてさ。勝つぞー!って全身で思ってるみたい」
「おれ、どの試合でも勝つつもりでやってるよ」
曇りも迷いもないその堅い意志。
そういうところが、少し怖くて、鳥肌が立つくらいかっこいい。
「…うん、日向ならそう言うよね」
「そりゃあやるからには勝ちたいし」
「私も力いっぱい応援するからね」
「押忍、なまえは応援よろしく!」
「任せといて」
大きな分かれ道の前で、日向からカバンを返してもらった。
「遅くなったのに送ってくれてありがとう」
「いいよ。おれチャリで帰れるし。
それよりも捻挫早く治ると良いけど…」
「こんなのすぐ治るよ。それに日向が元気なのが一番だから!練習がんばって、今度の練習試合で勝ったら許す」
許すもなにも、最初から捻挫のことは日向のせいなどとはかけらも思っていないのたが、こうでも言わないと納得してくれそうになかったから。
「ならなまえのためにぜってー勝つ!!!」
「うん、ありがとう」
自信満々な断言をして礼を受けてから、間を空けて目を泳がせる。
とっても自然な流れでこぼしたセリフだったが。それをなまえも柔らかい、大人びた笑顔で受け止めてくれたけれども。
「いや、待って今のなんか…あれ?おれ…」
なんだかまるで、おれがなまえのこと好きで、友達からの関係をどうこうしようとしているようにとれるような。
漫画とかでよくある、彼氏が彼女のために身体を張って敵前で言うセリフのような。
なまえはマネージャーで、おれはただの部員の一人で、そりゃ親しげに話しはするけど、言ってもせいぜい友達としか見てない…はず。
「でも、負けたら影山くんの殺人サーブ顔面で受けてもらうからね」
と、なまえのその言葉で現実に引き戻された。
「なっ…それはヤダ。あれ痛ってーもん」
本気で嫌がる様子に、くすくすと笑った。
「そういうことで、また明日ね。バイバイ」
「うっす。バイバーイ!」
自転車にまたがって、ライトを夜道にピカピカさせながら振り返りもせず帰ってしまった。
頼もしい背中だ。
それを見送ってから、なまえもすぐそこの家まで、歩みを進めた。
日向はまた明日も、進化することだろう。
それを見るのが楽しみだ。
********
おわり
読んでくださりありがとうございます。
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