踊り子とジャーファルさま
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「さすがに、ここまでですよ」
ドアを閉め、完全なプライベートに入った。
演技は終わりだと区切りをつけたのに、小さな手はジャーファルの服を握り込んで離そうとしない。
「一人でいるのは、寂しいし、怖いです」
ハッと息を飲む。成人を過ぎて、弱音を他人に口にするのにどれだけ勇気がいることか。
「それは、酔っているから負の感情も増幅しているのでしょう。……この部屋に入ってくる命知らずはいないので安全ですよ」
「お酒がなくても、ずっとそう感じていました」
震える声は本心だ。二人きりの空間で嘘を連ねる意味などない。
自分で覚悟したとはいえ、たった一人、見知らぬ土地に連れて来られたのだ。寂しい瞬間があるのは当然のこと。
だからといって、肉欲と勘違いしてはいけない。女なのだから、そこらへんの男に甘えて隙を見せるようではあまりにも考えが足りなかった。
「こういう心の埋め方はよくありません。まったくよくありませんよ」
体は満たされるかもしれないが、一瞬だけだ。すぐに虚しくなる。
「まだ、わかってくださらないのですか」
ジャーファルは背が低い。八人将の男たちが体格がいいせいもあるが、なまえが背伸びすれば顔をつけられるくらいには低かった。またジャーファルが下を向いていたために、今度は簡単に唇を奪われた。それは殺気がないために油断したこと、彼女が強硬手段に出るなんて思いもよらなかったことによる。
赤い唇は冷たかった。瞬きの間にぬくもりに変わる。
普段と違う姿に見惚れてしまって、なにも止められずにいた。いや、本音では避けるつもりもなかったのかもしれない。誰からも隠れる必要もない場所で、二人きり。正直になれる状況だ。襲うというにはあまりにも控えめすぎる接吻。やたら甘ったるいのに、喉を刺すアルコールの独特の香りがほんのりとする。酒は嫌いなはずなのに、受け入れていた。それどころか取り込もうとしていた。
唇にまとわりつくアルコールを舐め取りながら、冷静になろうとすればするほど、正気は遠のいていく。
キスをされて、シンドバッドのことなど頭から吹き飛んでしまっていたが、飲み会に戻って王の見張りを続けなければならない。ーーと、考えてはいるのに、体は動かなかった。
他に八人将もいることだし、いいか、とさえ思いついた。
なまえを抱きしめている。いま、彼女以上に世界に大切なものなどないかのようだ。
酒など飲んでいない。なまえとのキスで摂取したとしても、酔うほどの量なものか。
酔ってもいないのに、タガが外れた行為をしている。
まさか、己が雰囲気に流されているとは。
熱烈に求められて、嫌な気はしない。けれど、理性は保つべきだ。やっと、そう思い至った。
「待ってください、ダメです」
肩を抑えつけると、なまえのまつげの下はきらきら光っていた。
「他の人と間違いを犯す前に、旦那様どうか」
「他なんて近寄らせません。私が守りますから。ヤケにならないでください」
言いながら、彼女のつやつやとした唇にばかり目がいく。男の本能とはやっかいなものだ。
「守ってくださる……? いつまでですか?」
「えっ……? それは、噂がなくなるまで、とか」
「噂が鎮火したら私を遠ざけてしまわれるのですか? 宮殿や塔から追い出して、旦那様とは会えなくなるのですか?」
「ええ……宮殿から離れるのがあなたのためだという意見もあります」
人伝えの口調から、それが同僚たちの考えだと気づいたのか、明らかにしゅんとする。
「あなたにはシンドリアで明るい第二の人生を送ってもらえるはずだったのに、こんなことになってしまってすみません」
「謝るくらいなら、いま確実に私を旦那様のものにしてください」
顔を上げたときには力強い目つきになっていた。
「噂を真実にして旦那様から離れないでいいようにしてください。証拠を……既成事実を作りましょう」
目が据わっている。これまでのなまえが作る表情の中で一番怖かった。そう、体の芯がぞくぞくとするのは、恐怖、のはずだ。決して、興奮などでは……。
「落ち着いてください。証拠を作るにしても、偽装工作でいいはずです」
一歩を引いて、さりげなく彼女から距離を取る。
「周りに知らしめるなら、あの飲み会から離れるときに芝居したので十分でしょう。 ねっ?」
感情を逆立てないように、下手に出て頼む。
「旦那様の心は求めません。優しい言葉もくださらなくてけっこうです」
再び、瞳がきらきらと不穏に輝きだす。
「私はずっとこれからも、旦那様のものでいたいのです」
そうはいっても、ジャーファルはなまえを泣かせる答えしかあげられない。
「一生旦那様にお仕えします。私はそう決めてこの地へやってきたのですよ」
すべらかな指が、ジャーファルの頬に触れる。小首を傾げたなまえへと視線を誘導される。そんなふうにしなくとも、なまえしか目に入らないというのに。
「キスマークくらいつけてください」
襟ぐりを広げて見せた肌の、どこかしこも白くて、迷う。
髪をどかし、あらわになった首筋へ顔を近づけた。口を開き、下から上へ舌で舐め上げる。
下品に映っただろうに、なまえは惚けたあと、くすりと笑った。
「旦那様も悪戯みたいなこと、なさるんですね」
無意識にベッドへ向かっていた。
キスで精一杯だったのか、なまえからは行動を起こさない。
ここまできて、困ったようにほんのかすかに眉を寄せる。もっといじわるをして、反応を見たいと自虐心をくすぐる。
むんむんとした女の色香に、ジャーファルは抗えなかった。
「声、我慢しないでください」
噛んでいる唇を撫でると、紅がなくても赤かった。
「でも……いやじゃないです、か? 声が変で……」
情事に漏れ出る自分の声に慣れないのだろう。男を興奮させる要素でもあるのだと、知らないのだ。
「聞きたいので」
逃げたがる舌を絡みとり、ねぶり、吸う。ジャーファルはこれから己が嬲りつくすだろう肢体を見下ろした。
****
朝になって思う。
ーーやってしまった。
という心の声に、見合わぬすっきりとした体の爽快感。
約束したからには、なまえを守る。
ドアを閉め、完全なプライベートに入った。
演技は終わりだと区切りをつけたのに、小さな手はジャーファルの服を握り込んで離そうとしない。
「一人でいるのは、寂しいし、怖いです」
ハッと息を飲む。成人を過ぎて、弱音を他人に口にするのにどれだけ勇気がいることか。
「それは、酔っているから負の感情も増幅しているのでしょう。……この部屋に入ってくる命知らずはいないので安全ですよ」
「お酒がなくても、ずっとそう感じていました」
震える声は本心だ。二人きりの空間で嘘を連ねる意味などない。
自分で覚悟したとはいえ、たった一人、見知らぬ土地に連れて来られたのだ。寂しい瞬間があるのは当然のこと。
だからといって、肉欲と勘違いしてはいけない。女なのだから、そこらへんの男に甘えて隙を見せるようではあまりにも考えが足りなかった。
「こういう心の埋め方はよくありません。まったくよくありませんよ」
体は満たされるかもしれないが、一瞬だけだ。すぐに虚しくなる。
「まだ、わかってくださらないのですか」
ジャーファルは背が低い。八人将の男たちが体格がいいせいもあるが、なまえが背伸びすれば顔をつけられるくらいには低かった。またジャーファルが下を向いていたために、今度は簡単に唇を奪われた。それは殺気がないために油断したこと、彼女が強硬手段に出るなんて思いもよらなかったことによる。
赤い唇は冷たかった。瞬きの間にぬくもりに変わる。
普段と違う姿に見惚れてしまって、なにも止められずにいた。いや、本音では避けるつもりもなかったのかもしれない。誰からも隠れる必要もない場所で、二人きり。正直になれる状況だ。襲うというにはあまりにも控えめすぎる接吻。やたら甘ったるいのに、喉を刺すアルコールの独特の香りがほんのりとする。酒は嫌いなはずなのに、受け入れていた。それどころか取り込もうとしていた。
唇にまとわりつくアルコールを舐め取りながら、冷静になろうとすればするほど、正気は遠のいていく。
キスをされて、シンドバッドのことなど頭から吹き飛んでしまっていたが、飲み会に戻って王の見張りを続けなければならない。ーーと、考えてはいるのに、体は動かなかった。
他に八人将もいることだし、いいか、とさえ思いついた。
なまえを抱きしめている。いま、彼女以上に世界に大切なものなどないかのようだ。
酒など飲んでいない。なまえとのキスで摂取したとしても、酔うほどの量なものか。
酔ってもいないのに、タガが外れた行為をしている。
まさか、己が雰囲気に流されているとは。
熱烈に求められて、嫌な気はしない。けれど、理性は保つべきだ。やっと、そう思い至った。
「待ってください、ダメです」
肩を抑えつけると、なまえのまつげの下はきらきら光っていた。
「他の人と間違いを犯す前に、旦那様どうか」
「他なんて近寄らせません。私が守りますから。ヤケにならないでください」
言いながら、彼女のつやつやとした唇にばかり目がいく。男の本能とはやっかいなものだ。
「守ってくださる……? いつまでですか?」
「えっ……? それは、噂がなくなるまで、とか」
「噂が鎮火したら私を遠ざけてしまわれるのですか? 宮殿や塔から追い出して、旦那様とは会えなくなるのですか?」
「ええ……宮殿から離れるのがあなたのためだという意見もあります」
人伝えの口調から、それが同僚たちの考えだと気づいたのか、明らかにしゅんとする。
「あなたにはシンドリアで明るい第二の人生を送ってもらえるはずだったのに、こんなことになってしまってすみません」
「謝るくらいなら、いま確実に私を旦那様のものにしてください」
顔を上げたときには力強い目つきになっていた。
「噂を真実にして旦那様から離れないでいいようにしてください。証拠を……既成事実を作りましょう」
目が据わっている。これまでのなまえが作る表情の中で一番怖かった。そう、体の芯がぞくぞくとするのは、恐怖、のはずだ。決して、興奮などでは……。
「落ち着いてください。証拠を作るにしても、偽装工作でいいはずです」
一歩を引いて、さりげなく彼女から距離を取る。
「周りに知らしめるなら、あの飲み会から離れるときに芝居したので十分でしょう。 ねっ?」
感情を逆立てないように、下手に出て頼む。
「旦那様の心は求めません。優しい言葉もくださらなくてけっこうです」
再び、瞳がきらきらと不穏に輝きだす。
「私はずっとこれからも、旦那様のものでいたいのです」
そうはいっても、ジャーファルはなまえを泣かせる答えしかあげられない。
「一生旦那様にお仕えします。私はそう決めてこの地へやってきたのですよ」
すべらかな指が、ジャーファルの頬に触れる。小首を傾げたなまえへと視線を誘導される。そんなふうにしなくとも、なまえしか目に入らないというのに。
「キスマークくらいつけてください」
襟ぐりを広げて見せた肌の、どこかしこも白くて、迷う。
髪をどかし、あらわになった首筋へ顔を近づけた。口を開き、下から上へ舌で舐め上げる。
下品に映っただろうに、なまえは惚けたあと、くすりと笑った。
「旦那様も悪戯みたいなこと、なさるんですね」
無意識にベッドへ向かっていた。
キスで精一杯だったのか、なまえからは行動を起こさない。
ここまできて、困ったようにほんのかすかに眉を寄せる。もっといじわるをして、反応を見たいと自虐心をくすぐる。
むんむんとした女の色香に、ジャーファルは抗えなかった。
「声、我慢しないでください」
噛んでいる唇を撫でると、紅がなくても赤かった。
「でも……いやじゃないです、か? 声が変で……」
情事に漏れ出る自分の声に慣れないのだろう。男を興奮させる要素でもあるのだと、知らないのだ。
「聞きたいので」
逃げたがる舌を絡みとり、ねぶり、吸う。ジャーファルはこれから己が嬲りつくすだろう肢体を見下ろした。
****
朝になって思う。
ーーやってしまった。
という心の声に、見合わぬすっきりとした体の爽快感。
約束したからには、なまえを守る。
