踊り子とジャーファルさま
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女は空き地を前に立ち尽くしていた。家族に会いに行くと言っていたのだから、ここから動かない理由はだいたいの想像はつく。
見ていられずに声をかけた。
「私たちについてきますか?」
「旦那様がたに……?」
彼女は売られて後がないとなったときでも、素直に言われた通り働こうとしていた。それがとてもじゃないが自分の得意でないことであろうとも。むしろ、大抵の女性には嫌悪感を持たれることだと思う。
「従順で、忠誠心は強そうです。真面目に働く気があるのなら、シンドリアで仕事を与えます」
「ぜひ……お願いします! 私を連れて行ってください」
見ていてわかる、あの店でも絶望していなかった彼女の自暴自棄だ。家族のためにと犠牲になったはずが、その大切にしていた家族に売り捨てられたのだと知ってしまっては無理もない。もはや家に固執しても意味はなく、この場から永遠に立ち去りたいと願う気持ち。
「あなたの名前は?」
「なまえです、旦那様。よろしくお願いします」
「その、旦那様というのは……。私はジャーファルといいます」
「いやですか? じゃあ……ご主人様?」
より主従関係が強まる呼称だ。ほかにふさわしい呼び名を知らないのか。
「いえ、なお悪いです。戻してください」
「はい、旦那様」
ジャーファルはいまいち納得はしていなさそうだが、やむなしといったところか。
船の上では、ジャーファルから礼儀作法を習い言葉づかいから直された。万が一にもシンドリアで国王や他国の王族に失礼があってはいけないから。シンドリアは新興国で、他国の王族を食客として受け入れている。王宮にいれば見かけることも、まれに言葉を交わすこともある、だから身につけてほしいそうだ。
ジャーファルに見捨てられてはなまえに未来はない。メモをとり復習を毎晩繰り返し、必死に食いついた。
****
海に浮かぶはシンドバッドと築き上げた故郷だ。シンは大きな笑顔を浮かべる。そして口を開く。
島へ降り立って出迎えてくれた人々に向けた、王が留守から戻った旨の言葉を想像したが、全く違っていた。
「ジャーファルが女を買ったぞ!!」
「ヤベーですね」
無表情なのはマスルールの常だが、笑われるより落ち着いた声で言われるほうがよっぽど精神に傷がつく。より酷いことをしているのだと浮き彫りにする。
「人聞きが悪い」
身柄を引き取る方法が人権無視だったのは認めるが、ある種の人助けだと思ってもらえないか。確かに本人に肩代わりを申し出ることもせずに実行したわけだが、誰も借金など抱えていても嬉しくないだろう。借金がなくなって現状より深く悲しむことなどない。彼女の様子ではいかがわしい店で働き続けるのも難しかっただろうし。
船を降りてからもなまえは大人しく、離れてついてきていた。
****
降り立ったのは島国。世間に疎いなまえでさえ聞き覚えている物語の国。だが現実に存在する新興国だ。
素性を聞いたら、とんでもないお方だった。
あの方がシンドバッド国王で、その右腕のジャーファル。彼らと近しい八人将を軽く紹介してもらって挨拶した。
そっと下がって、大男たちに取り囲まれるジャーファルを遠巻きにしていると、ふと女の子が下から覗き込んでいた。
「あなたが、ジャーファルさんが買ったっていう女の子?」
見かけだけは純真な少女のピスティから言われると、自分の業は深いのだと耳に刻まれるかのようだ。
「買った、というのは語弊があります。私の借金を肩代わりしてくださったのです。なので、私はあの方にとって負債でしかありません」
思いのほか真面目に受け取りすぎて、後ろ向きの発言になってしまった。
「そこまで卑下しちゃったら、からかいづらいよぅ……」
「すみません。ですが、人間としての能力を評価していただけたのでもありませんし……」
「ででででも、これからでしょ! まだわかんないじゃん?!」
ねね、と笑顔で元気づけようとしてくれている。愛らしく、己には眩しく映った。
「借金なくなってラッキー、で逃げようとか思わなかったわけ? シンドリアまでついてきちゃったってことは、まんざらでもなかったり?」
「まんざらでもない、とは?」
「ジャーファルさんのこと、いいなーってちらっとでも思ったり、いまはもうドキドキしちゃったり?」
「どちらかというと、初対面のときのほうがすごくドキドキしていましたね」
初めての大人の夜の店で出勤しての接客がジャーファル相手だった。緊張は限界を突き抜けていたし、下手をしてしまったらと恐ろしかった。見た目は決して怖い人ではなかったけれど、初手で失敗してしまえば店の信頼も失ってしまう責任もあった。
震えてしまい重心の不安定ななまえがのしかかっても揺るがぬ体幹に、まっすぐな瞳。
「前はドキドキしててーー、いまは?」
いまはどうだろう。胸に手を当てて目を閉じる。
家族も借金もなにもかも、しがらみはなくなり、新しい土地に来た。仕事も決まっている。仕事があれば、衣食住はまかなえる。衣食住さえ揃っていれば、人間あとは心の持ちようだ。それらを与えてくれるきっかけを作ってくれたのはあの人。
「……安心します」
古巣を離れたからには、もう借金取りから怒鳴り散らされることもない。きっと明日のご飯の心配もしないし、寒さに震えなくて済む。
じわじわと実感が胸に広がり、視界が滲む。
「安心? ほんとに?」
かわいらしい声には疑いの色が滲んでいた。
「はい、旦那様は私に平穏をくださいました」
きっぱり断言すると、ピスティは質問を止めて引き下がった。
他から面白がるような視線は感じるけれども、話しかけられはしない。
あらかた立ち話を終えたらしいジャーファルのそばに歩み寄った。
「あの……これから私はどこに住めばいいのですか?」
その質問にジャーファルはしまった、という表情を正直に出した。考えていなかったらしい。そもそも、なまえを連れ帰るなど予定になかったことだし、受け入れ先など用意してはいなかっただろう。もしくは彼らに頼らず、なまえ自身で探さなければいけなかったのかもしれない。
できたら住み込みで働ける場所がいいけれど。
他に自分が取れる手段を考えていると、シンドバッドが進み出た。
「なんだ、俺の部屋に来るか?」
許可を求めるように目線をジャーファルに向ければ、軽いため息が返ってきた。
「それを了承するということは、シンとベッドを共にするという意味ですよ」
ショックで喉が締まって、とっさに声が出なかった。なまえ次第だ、とでも言うようにシンドバッドはニコリと白い歯を見せている。王の寵愛を受けるというのは、大変光栄なことなのだと思う。シンドバッド王の人望の高さは見て明らかだし、見目も極めて男性的でかっこいい。
なのにどこか「違う」と心が拒絶していた。「彼じゃない」と。しかし選り好みしている場合か。なまえは借金を負っている身、望まれるのならば体も差し出すのが筋だろう。
「……そうしろと旦那様がおっしゃるのなら」
きゅうと手を握りしめながら言うと、ジャーファルは眉根を寄せる。
「馬鹿おっしゃい、あなたはそこから抜け出したばかりだというのに。それにこれ以上シンの私生活を乱れさせるわけないでしょう」
「では、私はどうすれば……」
他国の留学生と同じ顔をしてのんびり過ごすわけにはいかない。働いて働いて働いて、恩を返さなければならないところだ。
「ジャーファルが買ったんだから、ジャーファルが面倒を見るんだな」
あえて下品な言葉を使って、シンドバッドはごく簡単にジャーファルへと丸投げした。助言や志願者を求めるように見渡したところ、誰も名乗り出なかった。なまえを引き取る人間はいないということ。
ため息はジャーファルから漏れた。
「私の使っていない部屋を使いなさい」
本来なら一般人は入ることのできない、王と側近たちの住居ーー紫獅塔が指定された。
王の古株の側近であるジャーファルは、与えられた私室も広いし部屋数もある。中には客室として整えられている部屋もあるから、これまで使われたことはないがベッドも用意されていると。
「私は仕事場に遅く残ることも多いので、生活を同じくしていてもあまり気にならないでしょう」
「かしこまりました」
礼を言って、数ある塔の中に入っていく彼らに続いた。
見ていられずに声をかけた。
「私たちについてきますか?」
「旦那様がたに……?」
彼女は売られて後がないとなったときでも、素直に言われた通り働こうとしていた。それがとてもじゃないが自分の得意でないことであろうとも。むしろ、大抵の女性には嫌悪感を持たれることだと思う。
「従順で、忠誠心は強そうです。真面目に働く気があるのなら、シンドリアで仕事を与えます」
「ぜひ……お願いします! 私を連れて行ってください」
見ていてわかる、あの店でも絶望していなかった彼女の自暴自棄だ。家族のためにと犠牲になったはずが、その大切にしていた家族に売り捨てられたのだと知ってしまっては無理もない。もはや家に固執しても意味はなく、この場から永遠に立ち去りたいと願う気持ち。
「あなたの名前は?」
「なまえです、旦那様。よろしくお願いします」
「その、旦那様というのは……。私はジャーファルといいます」
「いやですか? じゃあ……ご主人様?」
より主従関係が強まる呼称だ。ほかにふさわしい呼び名を知らないのか。
「いえ、なお悪いです。戻してください」
「はい、旦那様」
ジャーファルはいまいち納得はしていなさそうだが、やむなしといったところか。
船の上では、ジャーファルから礼儀作法を習い言葉づかいから直された。万が一にもシンドリアで国王や他国の王族に失礼があってはいけないから。シンドリアは新興国で、他国の王族を食客として受け入れている。王宮にいれば見かけることも、まれに言葉を交わすこともある、だから身につけてほしいそうだ。
ジャーファルに見捨てられてはなまえに未来はない。メモをとり復習を毎晩繰り返し、必死に食いついた。
****
海に浮かぶはシンドバッドと築き上げた故郷だ。シンは大きな笑顔を浮かべる。そして口を開く。
島へ降り立って出迎えてくれた人々に向けた、王が留守から戻った旨の言葉を想像したが、全く違っていた。
「ジャーファルが女を買ったぞ!!」
「ヤベーですね」
無表情なのはマスルールの常だが、笑われるより落ち着いた声で言われるほうがよっぽど精神に傷がつく。より酷いことをしているのだと浮き彫りにする。
「人聞きが悪い」
身柄を引き取る方法が人権無視だったのは認めるが、ある種の人助けだと思ってもらえないか。確かに本人に肩代わりを申し出ることもせずに実行したわけだが、誰も借金など抱えていても嬉しくないだろう。借金がなくなって現状より深く悲しむことなどない。彼女の様子ではいかがわしい店で働き続けるのも難しかっただろうし。
船を降りてからもなまえは大人しく、離れてついてきていた。
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降り立ったのは島国。世間に疎いなまえでさえ聞き覚えている物語の国。だが現実に存在する新興国だ。
素性を聞いたら、とんでもないお方だった。
あの方がシンドバッド国王で、その右腕のジャーファル。彼らと近しい八人将を軽く紹介してもらって挨拶した。
そっと下がって、大男たちに取り囲まれるジャーファルを遠巻きにしていると、ふと女の子が下から覗き込んでいた。
「あなたが、ジャーファルさんが買ったっていう女の子?」
見かけだけは純真な少女のピスティから言われると、自分の業は深いのだと耳に刻まれるかのようだ。
「買った、というのは語弊があります。私の借金を肩代わりしてくださったのです。なので、私はあの方にとって負債でしかありません」
思いのほか真面目に受け取りすぎて、後ろ向きの発言になってしまった。
「そこまで卑下しちゃったら、からかいづらいよぅ……」
「すみません。ですが、人間としての能力を評価していただけたのでもありませんし……」
「ででででも、これからでしょ! まだわかんないじゃん?!」
ねね、と笑顔で元気づけようとしてくれている。愛らしく、己には眩しく映った。
「借金なくなってラッキー、で逃げようとか思わなかったわけ? シンドリアまでついてきちゃったってことは、まんざらでもなかったり?」
「まんざらでもない、とは?」
「ジャーファルさんのこと、いいなーってちらっとでも思ったり、いまはもうドキドキしちゃったり?」
「どちらかというと、初対面のときのほうがすごくドキドキしていましたね」
初めての大人の夜の店で出勤しての接客がジャーファル相手だった。緊張は限界を突き抜けていたし、下手をしてしまったらと恐ろしかった。見た目は決して怖い人ではなかったけれど、初手で失敗してしまえば店の信頼も失ってしまう責任もあった。
震えてしまい重心の不安定ななまえがのしかかっても揺るがぬ体幹に、まっすぐな瞳。
「前はドキドキしててーー、いまは?」
いまはどうだろう。胸に手を当てて目を閉じる。
家族も借金もなにもかも、しがらみはなくなり、新しい土地に来た。仕事も決まっている。仕事があれば、衣食住はまかなえる。衣食住さえ揃っていれば、人間あとは心の持ちようだ。それらを与えてくれるきっかけを作ってくれたのはあの人。
「……安心します」
古巣を離れたからには、もう借金取りから怒鳴り散らされることもない。きっと明日のご飯の心配もしないし、寒さに震えなくて済む。
じわじわと実感が胸に広がり、視界が滲む。
「安心? ほんとに?」
かわいらしい声には疑いの色が滲んでいた。
「はい、旦那様は私に平穏をくださいました」
きっぱり断言すると、ピスティは質問を止めて引き下がった。
他から面白がるような視線は感じるけれども、話しかけられはしない。
あらかた立ち話を終えたらしいジャーファルのそばに歩み寄った。
「あの……これから私はどこに住めばいいのですか?」
その質問にジャーファルはしまった、という表情を正直に出した。考えていなかったらしい。そもそも、なまえを連れ帰るなど予定になかったことだし、受け入れ先など用意してはいなかっただろう。もしくは彼らに頼らず、なまえ自身で探さなければいけなかったのかもしれない。
できたら住み込みで働ける場所がいいけれど。
他に自分が取れる手段を考えていると、シンドバッドが進み出た。
「なんだ、俺の部屋に来るか?」
許可を求めるように目線をジャーファルに向ければ、軽いため息が返ってきた。
「それを了承するということは、シンとベッドを共にするという意味ですよ」
ショックで喉が締まって、とっさに声が出なかった。なまえ次第だ、とでも言うようにシンドバッドはニコリと白い歯を見せている。王の寵愛を受けるというのは、大変光栄なことなのだと思う。シンドバッド王の人望の高さは見て明らかだし、見目も極めて男性的でかっこいい。
なのにどこか「違う」と心が拒絶していた。「彼じゃない」と。しかし選り好みしている場合か。なまえは借金を負っている身、望まれるのならば体も差し出すのが筋だろう。
「……そうしろと旦那様がおっしゃるのなら」
きゅうと手を握りしめながら言うと、ジャーファルは眉根を寄せる。
「馬鹿おっしゃい、あなたはそこから抜け出したばかりだというのに。それにこれ以上シンの私生活を乱れさせるわけないでしょう」
「では、私はどうすれば……」
他国の留学生と同じ顔をしてのんびり過ごすわけにはいかない。働いて働いて働いて、恩を返さなければならないところだ。
「ジャーファルが買ったんだから、ジャーファルが面倒を見るんだな」
あえて下品な言葉を使って、シンドバッドはごく簡単にジャーファルへと丸投げした。助言や志願者を求めるように見渡したところ、誰も名乗り出なかった。なまえを引き取る人間はいないということ。
ため息はジャーファルから漏れた。
「私の使っていない部屋を使いなさい」
本来なら一般人は入ることのできない、王と側近たちの住居ーー紫獅塔が指定された。
王の古株の側近であるジャーファルは、与えられた私室も広いし部屋数もある。中には客室として整えられている部屋もあるから、これまで使われたことはないがベッドも用意されていると。
「私は仕事場に遅く残ることも多いので、生活を同じくしていてもあまり気にならないでしょう」
「かしこまりました」
礼を言って、数ある塔の中に入っていく彼らに続いた。
