南国の淡雪
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
**
すぐ翌日にジャーファルは彼女の様子を確かめるためにやってきた。
昨晩は調べものをしていて一睡もしていない。彼女の存在から、意義から謎のまま。大陸のほうに似たような姿の女性が妖精として伝承が残っているようだが、あまりにも現実染みておらず、読んだ書簡はただの御伽噺でしかなかった。
なにが始まりで彼女のようなものが発生しているのか、寿命はあるのか、どうやって生きているのか。本人にきいたところでなまえも生まれたのはいにしえの時代と呼んでもいい、あまりにも大昔すぎて覚えていないらしい。長いこと存在を保ってはいるが、そもそも命をいう概念はあるのか。
人からの突然変異なのか、またそこから人に戻ることはできるのか。
悶々と考えつづいているうちに、森の奥深くまでたどり着いていた。
いつもならある程度森を進むとなまえのほうから出迎えてくれるのに、今日はそれがない。むわっと湿気を含んで身を包む熱気に、恐ろしいものに向かっていくときのような心地で体温調節のためではない、汗をかく。昨日までここは涼しいくらいだったのに。
近くの雪がいっさい積もっていないのがさらに不安を煽った。
<ジャーファルなの?>
<なまえ、どこにいる?>
声がしたことに安堵して、こちら、と導く方向に駆ける。
そこにいた彼女は、いままで見たことのない姿だった。目は潤んで、頬は薄桃色に染まっている。淡いが、人と呼んでも差し支えない色彩を乗せる彼女の顔は、かろうじて微笑をつくっている。
だが木陰からはみ出た、立ち上がるべき足はもう、水溜りとなって土に染みこんでいた。服ごと、太もものあたりからぺったりと地面と接地している。ジャーファルは息を呑む。
「なんて……ことに……どうして」
<見られたくなかったけれど、今日来てくれてよかった。
もう力が残ってないの。私はこれでおしまいみたい。
……だいじょうぶ、って嘘ついてごめんなさい>
「溶けないでいる方法はないんですか」
わかるでしょう、と双眸が優しくジャーファルを捕らえる。その瞳が語る言葉がわからないほど馬鹿でも、二人の関係が浅いわけでもなかった。
おしまい、という湾曲な表現をどんな気持ちでその死に際の唇から搾り出したのか。それを思うと無念で仕方ない。
<ジャーファル、優しすぎです。だから>
「え?」
<こんなに優しくされたことなんてないので、どうすればいいのかわかりません>
雪は熱によって溶ける。あぁ、どうしてこんなにも単純なことに気づかなかったのか。
冷たい雪の精は人のぬくもりに触れて溶けてしまう。雪女は、人に近づきすぎると力を失う。なにもかもを凍てつかし雪で埋める妖が人の心を持ってしまったら、もはやそれは雪の精ではなくなるという。それが真理だった。
指先がかすかに触れた。逃げようとするそれを、無理やりつかんだ。きんと皮膚が張り詰めて切り裂かれ、出血したかのようにびりびりとしびれる。それでも離しはしない。ジャーファルの苦痛の広がった顔をみて、悲しくなった。
「痛いでしょう?だめですよ、」
「かまいません。凍えようがあなたを」
ところがなまえとジャーファルが接触した部分から溶けていってしまう。力を込めれば込めるほど、形を確かめようとすればするほど、なまえは姿をなくしていってしまった。
「いなくなるな……!」
「じゃあ、嫌ってください」
「え?」
その意外かつ突拍子もない提案に、胸がえぐられるかのように感じた。彼女はくり返す。
「嫌いになってください。冷たくされれば、私、存在していられるんです。人から離れれば。大丈夫です、人間に嫌われるのは慣れっこですから」
「そんなの……できるか!好きなんだ、どうしようもないだろ」
口から飛び出してきた言葉に、やっと納得した。どうしてジャーファルがこんなにも彼女に対して必死なのか。物珍しい存在に興味を抱いただけなのだとも言い聞かせていた。その反面彼女のことを誰にも秘密にしていた。約束を守ったからではなく、ただ他に見せたくなかったのだと思う。
あまりにも慣れない感情に、頭が追いついていなかった。
「だめです、そんなこと言っては……」
誰かからこんなにまっすぐに想いをよせられるなど、初めてで。こんなにあたたかいものだと知らなかった。泣きそうなのに、もらった言葉が嬉しくて笑ってしまう。
体の外からも内からも、溶けていく。
「私、次は人間になります……それでジャーファルを抱き、しめ……るの……」
「なまえ、なまえ!!」
<ありがとう、またね>
薄紅色の頬を伝う涙が顔の輪郭から離れないうちに、すべてが液体になってしまった。地面が無念にもなまえだった水を容赦なく吸い込んでいってしまう。掘り返そうと土を掘っても、手が泥にまみれるだけ。いまのいままであの雪の色にも負けぬ白い手を、しっかとこの中に握り締めていたのに。
地面に転がる濡れた赤い宝玉を拾い上げると、これが最後のひとしずくだと、涙のように水滴が落ちた。
それを握り締めて、近くの木にふらふらと歩み寄り背をあずけた。目を片手で覆う。
南国特有の強い日差しに、真っ白な雪はあっという間に液体となり蒸発していく。それが乾ききろうか、まだ湿り気を残しているくらいのころに、ジャーファルの意識は現実に引き戻された。
**
すぐ翌日にジャーファルは彼女の様子を確かめるためにやってきた。
昨晩は調べものをしていて一睡もしていない。彼女の存在から、意義から謎のまま。大陸のほうに似たような姿の女性が妖精として伝承が残っているようだが、あまりにも現実染みておらず、読んだ書簡はただの御伽噺でしかなかった。
なにが始まりで彼女のようなものが発生しているのか、寿命はあるのか、どうやって生きているのか。本人にきいたところでなまえも生まれたのはいにしえの時代と呼んでもいい、あまりにも大昔すぎて覚えていないらしい。長いこと存在を保ってはいるが、そもそも命をいう概念はあるのか。
人からの突然変異なのか、またそこから人に戻ることはできるのか。
悶々と考えつづいているうちに、森の奥深くまでたどり着いていた。
いつもならある程度森を進むとなまえのほうから出迎えてくれるのに、今日はそれがない。むわっと湿気を含んで身を包む熱気に、恐ろしいものに向かっていくときのような心地で体温調節のためではない、汗をかく。昨日までここは涼しいくらいだったのに。
近くの雪がいっさい積もっていないのがさらに不安を煽った。
<ジャーファルなの?>
<なまえ、どこにいる?>
声がしたことに安堵して、こちら、と導く方向に駆ける。
そこにいた彼女は、いままで見たことのない姿だった。目は潤んで、頬は薄桃色に染まっている。淡いが、人と呼んでも差し支えない色彩を乗せる彼女の顔は、かろうじて微笑をつくっている。
だが木陰からはみ出た、立ち上がるべき足はもう、水溜りとなって土に染みこんでいた。服ごと、太もものあたりからぺったりと地面と接地している。ジャーファルは息を呑む。
「なんて……ことに……どうして」
<見られたくなかったけれど、今日来てくれてよかった。
もう力が残ってないの。私はこれでおしまいみたい。
……だいじょうぶ、って嘘ついてごめんなさい>
「溶けないでいる方法はないんですか」
わかるでしょう、と双眸が優しくジャーファルを捕らえる。その瞳が語る言葉がわからないほど馬鹿でも、二人の関係が浅いわけでもなかった。
おしまい、という湾曲な表現をどんな気持ちでその死に際の唇から搾り出したのか。それを思うと無念で仕方ない。
<ジャーファル、優しすぎです。だから>
「え?」
<こんなに優しくされたことなんてないので、どうすればいいのかわかりません>
雪は熱によって溶ける。あぁ、どうしてこんなにも単純なことに気づかなかったのか。
冷たい雪の精は人のぬくもりに触れて溶けてしまう。雪女は、人に近づきすぎると力を失う。なにもかもを凍てつかし雪で埋める妖が人の心を持ってしまったら、もはやそれは雪の精ではなくなるという。それが真理だった。
指先がかすかに触れた。逃げようとするそれを、無理やりつかんだ。きんと皮膚が張り詰めて切り裂かれ、出血したかのようにびりびりとしびれる。それでも離しはしない。ジャーファルの苦痛の広がった顔をみて、悲しくなった。
「痛いでしょう?だめですよ、」
「かまいません。凍えようがあなたを」
ところがなまえとジャーファルが接触した部分から溶けていってしまう。力を込めれば込めるほど、形を確かめようとすればするほど、なまえは姿をなくしていってしまった。
「いなくなるな……!」
「じゃあ、嫌ってください」
「え?」
その意外かつ突拍子もない提案に、胸がえぐられるかのように感じた。彼女はくり返す。
「嫌いになってください。冷たくされれば、私、存在していられるんです。人から離れれば。大丈夫です、人間に嫌われるのは慣れっこですから」
「そんなの……できるか!好きなんだ、どうしようもないだろ」
口から飛び出してきた言葉に、やっと納得した。どうしてジャーファルがこんなにも彼女に対して必死なのか。物珍しい存在に興味を抱いただけなのだとも言い聞かせていた。その反面彼女のことを誰にも秘密にしていた。約束を守ったからではなく、ただ他に見せたくなかったのだと思う。
あまりにも慣れない感情に、頭が追いついていなかった。
「だめです、そんなこと言っては……」
誰かからこんなにまっすぐに想いをよせられるなど、初めてで。こんなにあたたかいものだと知らなかった。泣きそうなのに、もらった言葉が嬉しくて笑ってしまう。
体の外からも内からも、溶けていく。
「私、次は人間になります……それでジャーファルを抱き、しめ……るの……」
「なまえ、なまえ!!」
<ありがとう、またね>
薄紅色の頬を伝う涙が顔の輪郭から離れないうちに、すべてが液体になってしまった。地面が無念にもなまえだった水を容赦なく吸い込んでいってしまう。掘り返そうと土を掘っても、手が泥にまみれるだけ。いまのいままであの雪の色にも負けぬ白い手を、しっかとこの中に握り締めていたのに。
地面に転がる濡れた赤い宝玉を拾い上げると、これが最後のひとしずくだと、涙のように水滴が落ちた。
それを握り締めて、近くの木にふらふらと歩み寄り背をあずけた。目を片手で覆う。
南国特有の強い日差しに、真っ白な雪はあっという間に液体となり蒸発していく。それが乾ききろうか、まだ湿り気を残しているくらいのころに、ジャーファルの意識は現実に引き戻された。
**