南国の淡雪
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それからジャーファルはふらりと気が向いたときにやってくるようになった。なまえは周囲に白いものをふわふわさせながら、不思議そうに、でも毎回歓迎してくれた。片言になりがちだった話法も、ジャーファルの真似をしているうちに徐々に滑らかに、丁寧になっていった。
「どうして、ここにくるんです?」
「涼しくて良いんですよね。王宮はたまに暑すぎます。ここは気分転換にもなりますし。なまえはここを離れないのですか?」
「少し街を覗いたりします。賑やかな様子をみると、楽しくなります」
「それは、ありがとうございます」
「どうしてジャーファルがありがとう、なんです?」
「この国が栄えてくれれば、私も甲斐があるというものです」
「ジャーファルは、ここのえらいひと?」
「えらいというか、王の側に仕えていますね。なまえは?」
「私は、なんでもありません」
「なんでもない、ということはないでしょう」
「では今は、ジャーファルが来るのを待っているひと、です」
その答えをきいて嬉しそうに微笑むと、つられたように彼女の頬が少し動いたようにみえた。
そうして逢瀬を重ねるうちに、ジャーファルはなまえから言葉を習うようになった。黒秤塔でも多少習ったが、なまえの語彙量はそれをはるかに凌駕していた。それよりなにより、彼女の話し方は耳に心地よかった。しっとりとした声のせいか、あまりない抑揚も、ジャーファルの心を穏やかにさせた。
<私は人より長生きなだけ。雪を操れるけれど、完璧ではないの>
それは言外に彼女が人の理に縛られるような存在ではないということをあらわしていたが、ジャーファルはそれをすんなりと受け入れた。あれだけ超人的な力を見せ付けられては納得するしかない。彼の仕える主もある意味人外的な存在ではあるが、彼はれっきとした人間だ。風格があり、雰囲気があり、存在感がある。なまえはどこかそういったものとはかけはなれていた。彫刻とか、はたまた金属や川の流れといった美しくも無機質なものを連想させる。たとえ目の前で動いているとしても、ぬくもりや呼吸を感じられないのだ。
<あれだけの吹雪を起こしておいて、完璧ではないとは?>
<力を使えるときと、そうでないときがあるの>
<どうして?>
<……>
<それがわかったからとて、あなたをどうこうしたりはしない>
<知ってるわ。……力が使えないのは、人に近づきすぎたとき>
<人間に対しては使えないということですか?>
なまえはかぶりを振った。
<それは私がそういうふうに使いたくないだけ。人を傷つけて、面白いとは思わないわ>
しばしの沈黙のあと、ジャーファルは静かに尋ねた。
「どうしてなまえはここに、シンドリアに来たんです?」
「呼ばれたんです。雪を見たいという声に惹かれて」
―雪っていうの、みてみたいなぁ。
一人の子供の無邪気な願い。それはあの、小さい女の子のささやかな好奇心から生まれたもの。
「ごめんなさい。私、それが嬉しくて、がんばってしまったんです」
「結果として犠牲はなかったんですから、大丈夫ですよ。あの子を守ってくれたのもあなたでしょう。あの子を助けてくださって、感謝しています」
****
それから彼女は心を開いてくれたようだった。ジャーファルは彼女の使ういにしえの言葉から彼女自身のことまでいろいろなことを尋ね、なまえは答えた。ときには逆に彼女がジャーファル自身のことやシンドリアのことを好奇心を満たすまで子供のようになぜなに、をくり返した。
二人が会うたびに、下がっていた気温はシンドリアの平均へと上昇の一途を辿り、雪が降る前の状態に戻るにつれ人は皆大雪事件のことなど忘れ去ってしまったようだった。
「近頃はすっかりシンドリアらしく暑さが戻ってきているようですね」
不規則に白粉を落としたように残る山も、ほぼ緑が戻った。それをてっきりなまえが力を抑えているからなのだと思い込んでいた。彼女は色のない両の手のひらに視線を落とした。
「実は私、だんだん力がなくなってきているみたいです」
「なんですって?」
「あまり使わなかったから、こうなるまで気づかなくて。でも、みなさんは喜びますね」
なにかをごまかすように笑った。
「どうして……あなたは、人に近づきすぎると力が使えなくなると言いました。でも私がそばにいても、その力に変化はなかったのに」
「私が、近づきたいと願ったから」
「それで、力がなくなるとどうなるんですか?」
「いままで完全になくなったことがないので、私にもわかりません……」
「まったく、なくなりそうなんですか?」
「このままだと、たぶん。もしこの力がなくなったとき……」
「力を失うのは怖いでしょう。」
私は、考えることも嫌だ。もし私が王の役に立てなくなったら。そばで闘えないのなら。
「そうでもないです。もし、なくなって、そうしたら人間になれたらいいな……なんて考えます」
他愛のない願いに、ジャーファルはこわばった頬をゆるませた。
「それはいいですね」
「えぇ。このままゆっくりなくなっていけば……」
「どのくらい保ちますか?」
「大丈夫。心配しないで」
「そうは言っても……」
「ジャーファルから預かり物してますから、次に会うまでいなくなったりしません。たとえ力がなくなっても、がんばってここにいます」
そんな確証はなかったが、彼を傷つけたくはなかった。またジャーファルも、どうやって、ときくことをしなかった。
首から下がった赤い宝石を揺らしてみせる。これが二人をつなぐ絆。これを眺めていれば、不思議と大丈夫だとしっかり気を保つことができた。
<約束、ですからね>
<はい。約束です>
<またすぐ来ます>
ためらいがちに背を向けたジャーファルに手を振りつづけた。
体の芯がなくなったような、はたまた全身にずっしりと重石をのせられているような感覚がじわじわと体をむしばんでいた。頭が、熱っぽいような。雪をつかさどり、全身はその爪の切っ先、髪の毛いっぽんでさえも生き物が触れたら凍らせてしまうほどの冷気をもつのに、おかしいことだ。
頭の上に降らせようとした雪が、太陽に負けてぽつりと髪を、肩を濡らした。諦めて、少しでも気温の低い場所へ移動して大人しくすることにした。
人の理の外で生きる存在に、もしかしたら命という定義のない存在が、鼓動を打つ生命になれるはずがない。
もう私は、だめなのだろう。でもあともうすこし、ここにいたい。あんな屈託なく、ぬくもりを感じる笑顔をみていたい。
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それからジャーファルはふらりと気が向いたときにやってくるようになった。なまえは周囲に白いものをふわふわさせながら、不思議そうに、でも毎回歓迎してくれた。片言になりがちだった話法も、ジャーファルの真似をしているうちに徐々に滑らかに、丁寧になっていった。
「どうして、ここにくるんです?」
「涼しくて良いんですよね。王宮はたまに暑すぎます。ここは気分転換にもなりますし。なまえはここを離れないのですか?」
「少し街を覗いたりします。賑やかな様子をみると、楽しくなります」
「それは、ありがとうございます」
「どうしてジャーファルがありがとう、なんです?」
「この国が栄えてくれれば、私も甲斐があるというものです」
「ジャーファルは、ここのえらいひと?」
「えらいというか、王の側に仕えていますね。なまえは?」
「私は、なんでもありません」
「なんでもない、ということはないでしょう」
「では今は、ジャーファルが来るのを待っているひと、です」
その答えをきいて嬉しそうに微笑むと、つられたように彼女の頬が少し動いたようにみえた。
そうして逢瀬を重ねるうちに、ジャーファルはなまえから言葉を習うようになった。黒秤塔でも多少習ったが、なまえの語彙量はそれをはるかに凌駕していた。それよりなにより、彼女の話し方は耳に心地よかった。しっとりとした声のせいか、あまりない抑揚も、ジャーファルの心を穏やかにさせた。
<私は人より長生きなだけ。雪を操れるけれど、完璧ではないの>
それは言外に彼女が人の理に縛られるような存在ではないということをあらわしていたが、ジャーファルはそれをすんなりと受け入れた。あれだけ超人的な力を見せ付けられては納得するしかない。彼の仕える主もある意味人外的な存在ではあるが、彼はれっきとした人間だ。風格があり、雰囲気があり、存在感がある。なまえはどこかそういったものとはかけはなれていた。彫刻とか、はたまた金属や川の流れといった美しくも無機質なものを連想させる。たとえ目の前で動いているとしても、ぬくもりや呼吸を感じられないのだ。
<あれだけの吹雪を起こしておいて、完璧ではないとは?>
<力を使えるときと、そうでないときがあるの>
<どうして?>
<……>
<それがわかったからとて、あなたをどうこうしたりはしない>
<知ってるわ。……力が使えないのは、人に近づきすぎたとき>
<人間に対しては使えないということですか?>
なまえはかぶりを振った。
<それは私がそういうふうに使いたくないだけ。人を傷つけて、面白いとは思わないわ>
しばしの沈黙のあと、ジャーファルは静かに尋ねた。
「どうしてなまえはここに、シンドリアに来たんです?」
「呼ばれたんです。雪を見たいという声に惹かれて」
―雪っていうの、みてみたいなぁ。
一人の子供の無邪気な願い。それはあの、小さい女の子のささやかな好奇心から生まれたもの。
「ごめんなさい。私、それが嬉しくて、がんばってしまったんです」
「結果として犠牲はなかったんですから、大丈夫ですよ。あの子を守ってくれたのもあなたでしょう。あの子を助けてくださって、感謝しています」
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それから彼女は心を開いてくれたようだった。ジャーファルは彼女の使ういにしえの言葉から彼女自身のことまでいろいろなことを尋ね、なまえは答えた。ときには逆に彼女がジャーファル自身のことやシンドリアのことを好奇心を満たすまで子供のようになぜなに、をくり返した。
二人が会うたびに、下がっていた気温はシンドリアの平均へと上昇の一途を辿り、雪が降る前の状態に戻るにつれ人は皆大雪事件のことなど忘れ去ってしまったようだった。
「近頃はすっかりシンドリアらしく暑さが戻ってきているようですね」
不規則に白粉を落としたように残る山も、ほぼ緑が戻った。それをてっきりなまえが力を抑えているからなのだと思い込んでいた。彼女は色のない両の手のひらに視線を落とした。
「実は私、だんだん力がなくなってきているみたいです」
「なんですって?」
「あまり使わなかったから、こうなるまで気づかなくて。でも、みなさんは喜びますね」
なにかをごまかすように笑った。
「どうして……あなたは、人に近づきすぎると力が使えなくなると言いました。でも私がそばにいても、その力に変化はなかったのに」
「私が、近づきたいと願ったから」
「それで、力がなくなるとどうなるんですか?」
「いままで完全になくなったことがないので、私にもわかりません……」
「まったく、なくなりそうなんですか?」
「このままだと、たぶん。もしこの力がなくなったとき……」
「力を失うのは怖いでしょう。」
私は、考えることも嫌だ。もし私が王の役に立てなくなったら。そばで闘えないのなら。
「そうでもないです。もし、なくなって、そうしたら人間になれたらいいな……なんて考えます」
他愛のない願いに、ジャーファルはこわばった頬をゆるませた。
「それはいいですね」
「えぇ。このままゆっくりなくなっていけば……」
「どのくらい保ちますか?」
「大丈夫。心配しないで」
「そうは言っても……」
「ジャーファルから預かり物してますから、次に会うまでいなくなったりしません。たとえ力がなくなっても、がんばってここにいます」
そんな確証はなかったが、彼を傷つけたくはなかった。またジャーファルも、どうやって、ときくことをしなかった。
首から下がった赤い宝石を揺らしてみせる。これが二人をつなぐ絆。これを眺めていれば、不思議と大丈夫だとしっかり気を保つことができた。
<約束、ですからね>
<はい。約束です>
<またすぐ来ます>
ためらいがちに背を向けたジャーファルに手を振りつづけた。
体の芯がなくなったような、はたまた全身にずっしりと重石をのせられているような感覚がじわじわと体をむしばんでいた。頭が、熱っぽいような。雪をつかさどり、全身はその爪の切っ先、髪の毛いっぽんでさえも生き物が触れたら凍らせてしまうほどの冷気をもつのに、おかしいことだ。
頭の上に降らせようとした雪が、太陽に負けてぽつりと髪を、肩を濡らした。諦めて、少しでも気温の低い場所へ移動して大人しくすることにした。
人の理の外で生きる存在に、もしかしたら命という定義のない存在が、鼓動を打つ生命になれるはずがない。
もう私は、だめなのだろう。でもあともうすこし、ここにいたい。あんな屈託なく、ぬくもりを感じる笑顔をみていたい。
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