Head Over Heels In Love With You.
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
目的もなくとにかくあの場から遠ざかるように歩いていたつもりだが、いつも心にある、かの人がよくいるであろう場所に自然と向かっていた。
その執務室の扉から少しはなれた場所で、壁によりかかってうつむく。
じっと床をみつめて、時が過ぎるのを待った。影がゆったり形を変えるのを、なにを感じるでもなく観察して、ときおりぞわりと肌が立つのを手首を握り締めておさえる。
日もすっかり沈み、ようやくジャーファルがシンドバッドとともに部屋からでてきた。はっと顔を上げて、二人を確認する。いつものように駆け寄ろうとして、足が止まった。
「ジャーファルさま……」
「ああ、なまえ。……どうしたんです?」
いつもと雰囲気の違う彼女に胸が騒いだ。ちらりとシンに視線を送る。
「いい、ジャーファル、行って来い。俺は部屋に戻る」
シンが後押しし、自分から近づいていく。普段なら呼びもしないのに姿を見れば駆け寄ってきて、きらきらとした瞳でジャーファルをみつめるというのに、視線を床にとどめたままだ。落ち込むようなことがあったのだろうか。そんなときでもこちらから尋ねる前ににおしゃべりをはじめて、「なぐさめてください」なんてあわよくばひっついて甘えようとしてくるのが常だ。
シンも去り、二人きりになったというのに、距離は保たれたまま。
「なまえ、いらっしゃい」
両腕を広げてみせた。こうすれば飛びつくようにして首根っこに腕をまわしてくるはずだが、ぴくりと反応はしたものの、動かなかった。
「どうしたんです?」
ジャーファルが一歩踏み出すと、なまえは後ろに下がった。頭を振る。頬を抑えたまま、さらにうなだれた。
「いけません」
「いけないって、何が?」
「今の私にはジャーファルさまに近づく資格がありません」
「おかしなことを。ではどうして、私のもとへ来たんです。資格がないなどとごまかしても、私に会いにきたんじゃないんですか」
「……逢いたかったんです……。
どうしても、逢いたかったんです。顔を見れば安心できると、思って……ごめんなさい」
やわらかな頬に食い込む指、くぐもった声。
泣きそうになるのをこらえている様子に、こちらが胸が苦しくなる。もう一度ごめんなさい、と繰り返して背を向けた肩を掴んで、振り向かせる。
「あなたがそう思ったならそれだけで逢いに来てくださって良いんですよ。理由づけも考えることもありません。来てくださってありがとうございます」
優しく抱きよせて、後頭部を手でつつみこむと、ことんと肩に額をつけた。背中を手のひらでごく軽く叩きながら、様子をみる。
「ジャーファルさま、ジャーファルさま。ずっと落ちつかなくて……お逢いしたかった」
こんなに弱っているなまえを初めてみて、内心おどろいていた。どんなに仕事で失敗しても、落ち込んでも、こんなに痛ましい姿を見せたことはなかった。
しおらしく身を預けるなまえを、素直に愛おしいとも。
真っ正面から感情をぶつけてくるのには戸惑っているが、引かれてみるとこんなにももどかしく、寂しいものだとは思いもしなかった。押してだめなら引いてみろ、とはよく言うが、効果はあるのかもしれない。ただ彼女にそんな計算ずくの芸当はできないだろうに。普段の頬のゆるんだ彼女でない、新しい一面を見れて嬉しいような気もしたが、ただ手放しで喜べはしない。
おなじ腕に抱くなら泣くより笑っていてほしい。
悲しみにくれるなまえを励ますにはどんな言葉をささげればいいのだろうと頭を回転させた。
「なまえ、あなたにとって、ひどいことがあったんでしょう?言ってください。どんなことがあったとしても私がどうとでもしますから」
「失望、されそうです」
「しません」
きっぱりと否定し、続ける。
「正直に言うと、いまのあなたをかわいいと思ってます。けれどあなたが笑っているほうが、私は嬉しいです。
私ではあなたを笑顔にはできませんか?心を軽くしてあげられないでしょうか」
「あの皇子に……こうされました」
しばらくの沈黙の後、ぎゅう、とすがりつくように抱きついた。
あの男とは違う、なまえの求めるぬくもりがやさしく体をつつみこんで、じんわりと胸の奥から熱くなる。そうっと髪をすべる指。むりやり腕を力まかせにつかんできたりしない。
うるさく質問攻めしてこない。なまえが飛び込むのを待ち受ける、ただ羽のように添えられる腕が。
その程度なら想定済みだったのか、先を促される。
「はい……それで?大丈夫です、ちゃんと全て教えてください」
ためらいつつも
「キスされ……」
「どこにです」
ごくささやくような声だったが、さすがはジャーファルしっかり聞こえていたようだ。かたくなる声に少しおびえる。
「ほ、ほっぺた……」
と、口づけられた部分を自分の指で示した。手をおろして、肩におそるおそる添える。ジャーファルの顔がおそろしくてみれない。
「だけですか?」
目をかたく閉じ、こくこくと必死にうなずく。
それ以上のことは決してないと。
あったことをそのままに話したものの、軽蔑される、という思い込みが大半を占めていた。
教えぬほうが得策だったのかもしれない。でも隠しきる自信がなかった。この数時間だって彼を裏切っているような気分にずっと浸っていた。
指を軽く曲げ、指の爪側でさらりと汚された頬を撫でられる。上から下へ、優しくいたわるように。
たかがキス程度、しかも頬への。それだけで泣きそうになって罪悪感にさいなみ、想い人に近づくことさえためらうような、こんなに純粋な人間をジャーファルは知らなかった。こんなにもまっすぐ、穢れなく人を想えるものなのか。常日頃からわかっていたようで、どれだけ心を捧げられていたのかギャップを見せ付けられた。
しかし自分以外の人間が彼女を傷つけたのだと考えると怒りで、正しくは彼女の心をこんなにも揺さぶったのかと妬ましさで沸騰しそうだ。
「ごめんなさい……」
「どうしてあなたが謝るんです?」
「私、抵抗したんですが、結果として皇子が触れることを許してしまいました。これも言い訳です……」
「そりゃあ腕力で勝てるわけないでしょう。あなたが喜んで受け入れるわけがないと知ってますよ」
「でも私、こ、こわくなって……不安で….」
「なにが怖いんです?皇子ですか」
「男はみんな、好きな女性を強引にでも手に入れたいから、こういう行動するって。……皇子も、こわいです」
「それは理性のない本能だけで生きている動物がする行動ですよ。本当に愛しているのならそんな不誠実な振る舞いはしません。
なまえ、あなたの意思を尊重するということです。彼はあなたに恐怖心を抱かせている時点で失格です。
私の言うことが信じられませんか?」
「信じているもなにも、私が他の人にこういったことを許してしまったことが、」
「あの皇子が無理矢理したことでしょう。あなたは怒ってもいいぐらいです」
「怒るだなんて、相手は一国の皇子さまですよ」
「あの皇子が一人の男としてあなたを口説いたのだとしたら、立場などは関係ない。あなたがそうでなくとも私が頭にきてますけどね」
「ごめんなさい」
「あなたに大してではありません」
ぱちくりと瞬く。そうとう意外だったその様子にジャーファルは肩を落とす。
「わかってませんね」
「だ、だって、私ほんとうにどうしていいかわからなくなって、ジャーファルさまに嘘はつけないけど、これを言ったらきっと嫌われると」
「あなたの素直さは万金に値しますよ。こうして教えてくれてよかった。それでも私があなたを嫌いになるはずないでしょう」
「良かった……。私がジャーファルさまを好きで一方的におっかけてるだけだと、周りにそう見られてますから」
「どうしてあなたはそう……。私なりに、気持ちを伝えていたつもりですが……」
「えっ、えっ?なんとも思われてないからあんな態度なんだろうって言われるくら、い」
「好きどころかあ―それ以上に、あなたのことを特別な意味で好きです。先ほどそう言いました」
愛しているといいかけて、性急すぎるかと途中で直した。
「……え?す……え?」
さらりと告げられた言葉を脳内で処理するのに時間がかかった。思ってもみない単語に、思考が停止する。
「そっけない態度だと、あなたはそう感じていたんですか?」
「私、私は……いえ、自惚れでも、決して嫌われているわけじゃないとはわかってましたけれど」
顔をみるみるうちに染めていく。特別な意味で好き。頭の中に声が響きながらじょじょに体に染みてきて、それは心臓を刺激した。
胸が苦しくて、苦しくてうまく呼吸ができない。
「ジャーファルさまが好きです。もうずっと、言い表せないくらい好き……それだけです」
「私もそれと同じ気持ちなんですよ」
こっくりと頷いて、心のまま抱きついた。
「でも少し、あなたも不注意でしたね」
「はい……すみません」
「これからは私以外の男性と二人きりにならないこと」
「はい」
なまえを部屋まで送り、もとの調子に戻りつつある彼女を見て、自身に心を許してくれているのだと確認できて嬉しかった。
そうして別れを告げて自室に戻るとすぐに眷属器をいつも以上に丁寧に研ぐ。
「あんのバカ皇子、ひざまずかせて謝罪をきくまで許さん」
その言葉は地獄から這い上がってきたかのようだった。