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川姫

「ここは、有名な心中の地らしいですな」

夜が明けて、川の畔にしゃがみ込む二人の男。
土瓶蒸しと平七である。

「見た目は子どもの膝ぐらいの深さなのに、実際に足を踏み入れると大人でも全身が沈む程に恐ろしく深い。
川の流れは緩やかなのに、勢い良く流され遠くで変わり果てた姿で見つかるなんて事もしばしば。
何者かが川に呪いかまやかしでもかけているのでは、なんて井戸端会議で娘さん達が噂してましたわ。
ここから飛び込んだ者達の思念か、はたまた元からいる『何か』の仕業か……
あんさんの彼女さんも、質の悪いもんに引っかかってあないな姿になっとったんやろな」

目を開け合掌していた手を解き、土瓶蒸しは川へ視線を向けたまま立ち上がる。
昨夜の出来事の後、二人は可能な限り川の周囲を見て回ったが、やはりそよの姿は影も形も無かった。
おそらく『何か』から解放され、成仏出来たのだろう。そう願うしかない。

「平七はん、これからどうしますの?」
「……そうですね」

土瓶蒸しの問いかけに祈りを終えた平七も立ち上がり、空を見上げる。
つい数刻前に起こった出来事は全て嘘だったのではと思わせる様な、澄み渡った快晴。
あのどれかの雲に、彼女はいるのだろうか。

「今はまだ、何とも。
本当は彼女の近くを離れたくないのですが、もうこの土地にはいられません。
何処か遠くへ、旅立とうと思います。
旦那様や店の者には世話になりましたが……見つかれば、役人へ引き渡されてしまいますからね」

心中は、死罪に値する程の重い罪である。
生き残った者が捕らえられれば、打ち首……死罪を課せられる。

「彼女と約束したんです。この命、そう簡単に散らす訳にはいきません」

平七は形見となったそよの簪を愛おしげに見つめ、決意を言葉にした。

「そうですか。まぁ、それも一つの生き方ですな。
それなら、これでも持っていきなはれ」

土瓶蒸しは懐から袋を取り出し、平七に手渡した。
その重みと鳴り響く音から、中身が通貨である事がわかる。

「これは……」
「行く末も見えぬ旅には、色々と先立つものが必要でしょう?」
「そんな、あんたにはもう返しきれない程の恩を受けた!!
ここまでしてもらうわけには……」
「袖すり合うも多生の縁、ここまで関わったんですから今更や。
どうしても気になるというんでしたら、次はあんさんが困った私を助けておくれやす」

ね?と土瓶蒸しの屈託のない笑顔に、平七は申し訳無く思うも観念し、ありがたく受け取る事にした。

「土間さん、本当にすまねぇ。いつか必ず、恩は返す」
「そないに気張らんと、肩の力を抜きなはれ。
何にでも全力でいっていたら、これから先の人生で必要な時に力を発揮出来ませんよ?」

感謝を伝えてくる相手に、土瓶蒸しはひらひらと手を振りながら微笑を浮かべ、大きく伸びをした。

「さて、私は町に帰ります。
実は人を待たせていましてね、そろそろ戻らへんと」
「そうだったのかい、そいつは申し訳ねぇ。
一緒に行って、詫びさせてくれ」
「何言うてますの、あんさんは町には入れませんやろ?」
「う、そうだったな……」 
「気持ちだけで充分、私が伝えときますよ。
まぁ町に行けたとしても、あんさんと会おうとしないかもしれませんしな」
「気難しい人なのかい?」
「気難しいといいますか、気紛れといいますか……
滅多な事では怒りませんが、ヘソを曲げられるとちょいと厄介で。
しかも強くて怖いお付きを連れていましてね。
私の様にか弱い商人では、太刀打ち出来ない程の。
下手に抵抗なんてしたら……あぁ、恐ろしくてそないな事はようしませんわ。
……なんや、何か言いたげですな」
「い、いや、とんでもない!!
すごい大物なんだなと思っただけだ!!」

『か弱い』という単語に一瞬眉をしかめていたのがバレていたらしく、ジーッと見つめてくる土瓶蒸しに平七は慌てて誤魔化す。
あれだけの事をしていたのだ、腕っぷしはさておき、度胸に関して『か弱い』なんて到底信じられない。
なんて本音を、平七は胸の内に仕舞い込んだ。

「まぁええですわ、ほな私はこれで」

彼の反応に対して特に気にした様子もなく、土瓶蒸しは平七に別れを告げて町へと向かう。

「土間さん、本当に……本当に、俺達を助けてくれてありがとう!!」

平七は礼を言い、土間に深々と頭を下げる。
少し振り返ってペコリと頭を下げ返し、土瓶蒸しは待たせている彼の元へと向かうのであった。
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