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川姫

「そよ、すまない。
共に川に飛び込んだ後、どうやら流れが緩やかな所に当たっちまったみたいでな……俺だけが、生き延びてしまったんだ。
もしかしたらお前も、何処かで無事でいるのではないかと探したが見つけられずに……
すぐに後を追おうと思って池に行って……そこの土間さんに止められ教えてもらったんだ。
彼女はあの世にはいない、まだここにとどまっていると。
……怪異と化して、人々を襲っていると……」

辛そうな表情でそよを見つめる平七。

「正直、半信半疑だった。
そよは優しい娘。怪異になって誰かの命を脅かすなんて酷い事はしないって」
「せやから、ここに連れて来ました。
まずは私が行きますから、後ろで様子を見ときと。
そして他の誰でもない、その目で真実を確かめなはれ……とね」
「……そんな……」

そよはわなわなと全身を震わせ膝をつき、最早流す事が叶わぬ涙を隠す様に両手で顔を覆う。

「あたし、誤解していた……
てっきり、平七さんに捨てられたとばかり……」
「俺はお前と離れたりしない、絶対にだ」

平七はそよに近づき、その骨が覗く青白い手を壊れ物を扱うかの様に優しく触れて彼女を見つめる。

「そよ……寂しい思いをさせちまったな。
待たせて悪かった、今度こそ共に逝こう」
「平七さん……」

そよは何か言おうと口を開くも言葉が出ず、しばらく沈黙の後に小さく頷いた。
そして二人は手を繋ぎ、川の中心へと歩き出した。
土瓶蒸しは呼び止める事をせず、二人の行く末を見届けている。
少しずつ入水していき腰の辺りまで浸かったところで、不意にそよが立ち止まった。

「そよ?」

何かあったのだろうかと、平七が心配そうにうつ向く彼女を見つめる。

「……平七さん。あたしね、嬉しかったんだ。
父さんは店を大きくする事しか考えてなくて、跡継ぎの兄さんの事ばかりかまけていて。
母は自分を着飾る事ばかりで、いつもあたしは一人ぼっち。
店の人達もあたしの扱いに困って、下手に関わるまいと遠巻きに見てばかり。
寂しくて、悲しくて、自分は何でここにいるんだろうって
そんな時にね、平七さん。
あんただけが、気さくに話しかけてくれた。
平七さんには他愛のない事だったのかもしれないけれど、あたしは本当に嬉しかったんだよ」

何もない窪みに、ほんの少し灯る光が平七を見つめる。
骨とほんの僅かに残る皮膚では表情は読めないが、それでも彼女は笑っているように見えた。

「平七さん、もう十分だよ。
あたしの事を、好きになってくれて嬉しかった。
命をかけるまでに、愛してくれてありがとう」

平七と繋いでいる手から、黒いもやの様なものが彼女から離れていく。
やがてそよの全身が淡い光に包み込まれ、それが消えた時には人間だった頃の美しい姿が現れた。

「そよ、お前……」
「平七さん、あたしは先に逝くけれど、貴方はまだ生きてる。
生きて、天寿を全うして。
新しい好い人を見つけて、幸せになってよ」
「馬鹿な事を言うな!!俺は、俺にはお前しかいないんだ!!」
「ふふっ……今際の際で、嬉しい事を言ってくれるね。
そんなに言ってくれるなら……先に逝って、待ってるよ。
大丈夫、あたし待つのは慣れてるんだ。
向こうで平七さんの事、ずっと待ってるから……」

そう言い残し、するりと平七の手をすり抜けたそよの身体が音も無く川に沈む。

「待ってくれ、そよ!!」

消えた愛しい人に、平七は慌ててザブンと勢いよく川に潜る。
昼間であれば日の光が手伝い周囲を確認するのは他愛もないが、夜中の星光のみではあまりに頼りない。
それでも平七はそよの姿を探す。
ようやく会えたのに、こんな別れはあんまりではないか。
もう離れたくない、今度こそ共に、永久にいてほしい。
その想いは膨れ上がり、平七は探す事をやめない。
一度水面に上がり、少し移動してはまた潜り。やはり見つからず時間だけが流れ、焦りばかりが募る。
もう、隣にいる事は叶わないのだろうか。
それならやはり、いっそ俺も……
そんな黒い感情に支配されていると、不意に平七の身体が水中に引きずり込まれた。
一瞬深い場所に足を踏み外したのかと思ったが、よく見ると足を掴む誰かの手。
鋭く伸びた爪を生やした、ひょろりと長い『それ』は、そのまとう色合いから先ほどの黒いもやを彷彿とさせた。
そよか?いや、彼女はもうそんな事はしない。
ならば誰だ?わからない。
疑問を解く間もなく、振り払う事も出来ず、平七の身体は普段存在しないはずの川の奥底へ引き込まれていき……

何かが横を掠めていった。
赤?いや、褐色か?
そのいくつかが足を掴む手に襲いかかる。
人ならざるものの苦悶の声が、不快で耳障りな叫び声が響く。
猛攻に耐えられず、水底から伸びる手は平七を離し底見えぬ闇へと消えていった。
呆然とする平七の身体を、誰かが水面へと引きずり上げる。

「げほっ……!!」

咳き込みながら肺に酸素を送り、平七は自分を掴む新たな手の主を見た。
そこには、険しい顔をした土瓶蒸しがいた。
自分を助ける為に川に飛び込んだのだろう、全身ずぶ濡れになっていた。
ふと視線を移すと、視界に入ったのは自身の身体に張りつく季節外れの楓の葉。
それを眺めながら一体何が起こっているのだろうかと平七が呆然としていると、肩を強く捕まれ土瓶蒸しに真っ直ぐ目を見つめ言われた。

「しっかり立ち!!あんさんはまだ生きなあかんのやで!!
彼女との約束を反故する気なんか!?足踏ん張ってしゃんとしい!!」

土瓶蒸しの強い言葉を受け平七は再び川を見て、ふといつの間にか何かを握りしめていた事に気づいた。
手を広げて見ればそれは、綺麗な女物の簪。
そよが愛用していたものである。
それを見て、ようやく彼の心は認めた。
もう彼女はこの世にはいないという事実を。
今世では、共に生きる事は叶わないと。

「そよ……うぅっ…………」

平七は声を噛み殺していたが、嗚咽はもれ徐々に大きくなり、やがて土瓶蒸しにすがり一目もはばからず泣き出した。
土瓶蒸しは肩に置いていた手を背中に回し、幼子を慰めるかの様にぽんっぽんっと優しく叩く。
しばらくの間、泣き声がやむことはなかった。
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