輪郭のない証拠
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大晦日の夜、なまえは自宅のテレビの前に座っていた。落ち着きのないなまえは、気を紛らわせる様に何度も珈琲を淹れていた。
恋人になった仁人が出る。分かっていても、画面越しでしか見られないことに、少しの寂しさはあった。それでも、見たいと思った。
司会の声、拍手、始まりのファンファーレ。曲が始まると、なまえは身を乗り出して、画面を見つめた。
強い照明を浴びて、迷いのない表情をしている。喫茶店で見せる、あの困ったような笑い方とは、まるで違う顔だった。
流れる様に次のパートへ移っていくキレのある動き。それは遠い記憶に重なった。
仁人が客席に向けて手を振る。その顔は、優しくて、少し得意げで。なまえの知らない、仁人だった。
画面の中の仁人を、なまえはただ見つめ続けた。
生で見たら、もっと違うのだろうか。そう思っただけで、その夜は、それ以上、何も考えなかった。
◆ ◆
年が明け、冷え込みの厳しい日が続く様になった頃、ツアーの最終公演が近づいていた。
仁人は最後の追い込みで忙しく、連絡は短いやり取りが続くだけになっていた。なまえの視力は、少しずつ、安定してきている。以前より見える範囲は広がっていたけれど、遠くのものや、強い光には、まだ時折、苦労した。
前回と同じ様に用意してもらった席に座る。会場はあの日と同じ、割れんばかりの歓声に包まれている。
会場の照明。巨大なモニター。無数のペンライトの光。ステージに立つメンバーたち。そして、仁人の姿。
まだ、遠くて、完全には見えない。それでもなまえはモニターだけでなく、自分の目で、そのステージを見つめ続けた。
声だけで想像していた姿が、今確かに目の前にあった。
「……やっぱりすごいな」
なまえは、そう呟いた。泣きそうになりながら、それでも、目を逸らさなかった。
◆ ◆
終演後の楽屋は、まだ興奮の余韻でざわついていた。少しの居心地の悪さを抱きながら、部屋の隅で彼を待つ。
知らない場所、知らない声、知らない足音。その中にいつもの音を拾い、彼女は顔を上げた。ぼやけた輪郭が少しずつ鮮明になる。
「お疲れ様」
「……うん」
気恥ずかしさを誤魔化す様に素っ気なく返す仁人。彼女は一歩距離を縮めると少し顎を上げ、仁人の顔を覗き込む。そのまま彼の顔に手を伸ばして、こちら向かせる。
「かっこよかったよ」
「、過去形?」
「わたしの目、全然見てくれないのにそれを言う?」
小さく笑う彼女に、額に手をやり仁人は分かりやすく頭を抱える。
「だからさぁ!違うじゃん、それは!」
「まずね、"嬉しい"と"恥ずかしい"は一旦切り離さなきゃ駄目だと思う」
「分かった。分かったからさ、もう、良いよ……」
手で顔を隠して彼女に背を向ける。だが、指の隙間から見えたメンバーの顔に仁人は声にならない声を出す。
「さすがホームズじゃん」
「、コーデリア・グレイの方が近いと思うんだけどな」
「あー、デリったか。それも有りだわ」
「有りじゃねぇよ。こっち来なくっていいって言ったじゃん!」
絡んできた柔太朗に、仁人は割って入る。仁人は露骨に嫌そうな顔をして「あー!」「もー!」と短く唸った。
「だから嫌だったんだよ……」
「……」
「あ、なまえを招待する事じゃなくてこれは」
「大丈夫、分かってるから」
彼女は柔太朗の方を見ると続けた。
「いつもこんな感じ?」
「たまには、かな?そうだよね、はやちゃん!」
柔太朗は振り返ると聞き耳を立てていた勇斗を呼ぶ。名前を呼ばれ、水を得た魚の様に目を輝かせた勇斗は三人の輪に混ざる。それを見ていた太智と舜太も後に続いた。
「あの時は、お世話になりました」
「わたしは何もしてないですよ。全部仁人のお節介だから」
「仁人って、昔っからそういうところあるからなぁ」
「確かに、小学生の頃から子生意気で偉そうな感じはありましたね」
「……」
「……」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
その隣で柔太朗が笑いを堪えるように口元をひくつかせ、太智は仁人の顔を見るなり耐えきれずに吹き出した。舜太はその場の空気を楽しむ様にニコニコと眺めている。
仁人は盛大に顔を顰めると「あー……」と頭を掻く。
「……もう、何の話してんの」
「仁人の話」
「聞こえてるわ!」
返ってきた即答に、その場にいる全員が一斉に笑った。
「でも良かった、仁ちゃんの彼女さんが素敵な人で!」
舜太は嬉しそうに声を弾ませた。
「今日もえらい時間かけてメイク直ししとったもんなぁ」
「黙れ塩﨑!」
口元が緩みっぱなしの太智に仁人の怒号が飛ぶ。柔太朗はにやりと笑って、仁人の方を見た。
「いやー、一旦事件か、これは」
「い、意味分かんないから……」
仁人が、思わず顔を赤らめる。そんな姿を見て彼女はくすくすと笑う。
「もういいよ、ほんと……勘弁してくれ」
にぎやかな楽屋の中、仁人はどこか気まずそうに、けれど嬉しそうに、その光景を見つめていた。
◆ ◆
「——今日色々あって疲れただろ」
「ううん。……楽しかった」
夜風が、火照った頬に心地よかった。なまえは、隣を歩く仁人の顔を、もう一度見つめた。
「ステージの上のあなたも、楽屋で照れてたあなたも、今、笑ってるあなたも」
「分かったから」
「分かってないよ、ちゃんと聞いて」
なまえは足を止め仁人の目をじっと見つめる。
「ずっと、声だけだったから。あなたの見てる世界、少しだけ見れてすごく幸せだよ」
仁人はなまえの手をそっと取って、指を絡めた。
「これから、いくらでも見せてやるよ」
「うん」
かつて、指先だけで辿っていた世界が、今は目の前に広がっている。それでも、変わらないものもちゃんとある。
二人は手を繋いだまま、ゆっくりと歩き出した。
260814
恋人になった仁人が出る。分かっていても、画面越しでしか見られないことに、少しの寂しさはあった。それでも、見たいと思った。
司会の声、拍手、始まりのファンファーレ。曲が始まると、なまえは身を乗り出して、画面を見つめた。
強い照明を浴びて、迷いのない表情をしている。喫茶店で見せる、あの困ったような笑い方とは、まるで違う顔だった。
流れる様に次のパートへ移っていくキレのある動き。それは遠い記憶に重なった。
仁人が客席に向けて手を振る。その顔は、優しくて、少し得意げで。なまえの知らない、仁人だった。
画面の中の仁人を、なまえはただ見つめ続けた。
生で見たら、もっと違うのだろうか。そう思っただけで、その夜は、それ以上、何も考えなかった。
◆ ◆
年が明け、冷え込みの厳しい日が続く様になった頃、ツアーの最終公演が近づいていた。
仁人は最後の追い込みで忙しく、連絡は短いやり取りが続くだけになっていた。なまえの視力は、少しずつ、安定してきている。以前より見える範囲は広がっていたけれど、遠くのものや、強い光には、まだ時折、苦労した。
前回と同じ様に用意してもらった席に座る。会場はあの日と同じ、割れんばかりの歓声に包まれている。
会場の照明。巨大なモニター。無数のペンライトの光。ステージに立つメンバーたち。そして、仁人の姿。
まだ、遠くて、完全には見えない。それでもなまえはモニターだけでなく、自分の目で、そのステージを見つめ続けた。
声だけで想像していた姿が、今確かに目の前にあった。
「……やっぱりすごいな」
なまえは、そう呟いた。泣きそうになりながら、それでも、目を逸らさなかった。
◆ ◆
終演後の楽屋は、まだ興奮の余韻でざわついていた。少しの居心地の悪さを抱きながら、部屋の隅で彼を待つ。
知らない場所、知らない声、知らない足音。その中にいつもの音を拾い、彼女は顔を上げた。ぼやけた輪郭が少しずつ鮮明になる。
「お疲れ様」
「……うん」
気恥ずかしさを誤魔化す様に素っ気なく返す仁人。彼女は一歩距離を縮めると少し顎を上げ、仁人の顔を覗き込む。そのまま彼の顔に手を伸ばして、こちら向かせる。
「かっこよかったよ」
「、過去形?」
「わたしの目、全然見てくれないのにそれを言う?」
小さく笑う彼女に、額に手をやり仁人は分かりやすく頭を抱える。
「だからさぁ!違うじゃん、それは!」
「まずね、"嬉しい"と"恥ずかしい"は一旦切り離さなきゃ駄目だと思う」
「分かった。分かったからさ、もう、良いよ……」
手で顔を隠して彼女に背を向ける。だが、指の隙間から見えたメンバーの顔に仁人は声にならない声を出す。
「さすがホームズじゃん」
「、コーデリア・グレイの方が近いと思うんだけどな」
「あー、デリったか。それも有りだわ」
「有りじゃねぇよ。こっち来なくっていいって言ったじゃん!」
絡んできた柔太朗に、仁人は割って入る。仁人は露骨に嫌そうな顔をして「あー!」「もー!」と短く唸った。
「だから嫌だったんだよ……」
「……」
「あ、なまえを招待する事じゃなくてこれは」
「大丈夫、分かってるから」
彼女は柔太朗の方を見ると続けた。
「いつもこんな感じ?」
「たまには、かな?そうだよね、はやちゃん!」
柔太朗は振り返ると聞き耳を立てていた勇斗を呼ぶ。名前を呼ばれ、水を得た魚の様に目を輝かせた勇斗は三人の輪に混ざる。それを見ていた太智と舜太も後に続いた。
「あの時は、お世話になりました」
「わたしは何もしてないですよ。全部仁人のお節介だから」
「仁人って、昔っからそういうところあるからなぁ」
「確かに、小学生の頃から子生意気で偉そうな感じはありましたね」
「……」
「……」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
その隣で柔太朗が笑いを堪えるように口元をひくつかせ、太智は仁人の顔を見るなり耐えきれずに吹き出した。舜太はその場の空気を楽しむ様にニコニコと眺めている。
仁人は盛大に顔を顰めると「あー……」と頭を掻く。
「……もう、何の話してんの」
「仁人の話」
「聞こえてるわ!」
返ってきた即答に、その場にいる全員が一斉に笑った。
「でも良かった、仁ちゃんの彼女さんが素敵な人で!」
舜太は嬉しそうに声を弾ませた。
「今日もえらい時間かけてメイク直ししとったもんなぁ」
「黙れ塩﨑!」
口元が緩みっぱなしの太智に仁人の怒号が飛ぶ。柔太朗はにやりと笑って、仁人の方を見た。
「いやー、一旦事件か、これは」
「い、意味分かんないから……」
仁人が、思わず顔を赤らめる。そんな姿を見て彼女はくすくすと笑う。
「もういいよ、ほんと……勘弁してくれ」
にぎやかな楽屋の中、仁人はどこか気まずそうに、けれど嬉しそうに、その光景を見つめていた。
◆ ◆
「——今日色々あって疲れただろ」
「ううん。……楽しかった」
夜風が、火照った頬に心地よかった。なまえは、隣を歩く仁人の顔を、もう一度見つめた。
「ステージの上のあなたも、楽屋で照れてたあなたも、今、笑ってるあなたも」
「分かったから」
「分かってないよ、ちゃんと聞いて」
なまえは足を止め仁人の目をじっと見つめる。
「ずっと、声だけだったから。あなたの見てる世界、少しだけ見れてすごく幸せだよ」
仁人はなまえの手をそっと取って、指を絡めた。
「これから、いくらでも見せてやるよ」
「うん」
かつて、指先だけで辿っていた世界が、今は目の前に広がっている。それでも、変わらないものもちゃんとある。
二人は手を繋いだまま、ゆっくりと歩き出した。
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