輪郭のない証拠
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仁人が勇斗の異変に気付くのに時間は掛からなかった。きっかけは些細なことだが、十年来の仲である仁人の目は誤魔化せない。
楽屋でスタッフが差し入れてくれた弁当とドリンクの組み合わせを見て、勇斗が一瞬、固まったように黙り込んだのだ。
「どうした勇斗?」
「……ん?何が?」
そう言って笑ってみせた勇斗。いつもの様にSNSのチェックをしながら弁当を食べる。
仁人は眉を寄せ、勇斗の手からスマホを取り上げた。
「あ!おい!!」
取り返そうとする勇斗に背を向け、スマホに目を遣る。
【めっちゃ多い🩷】
文章と一緒に、今勇斗が食べている弁当とドリンクが投稿されていた。
仁人は目を大きく見開き、画像と弁当を見比べる。投稿者名には、ファン達が目印の様に使う絵文字が添えられ、アイコンも見た事のあるグッズが写り込んでいた。
スクロールした先には、また別の投稿がいくつも流れている。
【最近歌番組こいつらばっかでつまんない】
【アイドルなのに音外してるのダサw】
【アンチじゃないんだけど、どこの人らの需要ってどこにあるの?】
直接的な悪意とまでは言えない、じわじわとした言葉たちが並んでいた。
「なあ、勇斗。こんなの、いちいち気にすんなよ」
「別に気にしてねぇよ。……ただ、目に入っただけで」
その返事に、仁人は何も言えなかった。二人きりの空間で沈黙がやけに長く思え、痺れを切らした勇斗が口を開いた。
「弁当と飲み物が被る事くらいよくある事だって分かってる。でも、ちょっとこれ見てくれ」
渡されたスマホに視線を移すと、先程とは別の投稿で、鮮明ではないが勇斗と今シーズンドラマで共有した役者が隠し撮りされていた。意味深な絵文字が添えられただけの投稿に、「本物!?」とコメントが連なって一時的に話題を集めていた。
「、マジか……」
「この日は長めの休憩が入ったからスタッフ達も含めて飯食ってるだけで、本当にやましい事はしてない」
「分かってるよ、一緒に写ってるの男だし」
「、投稿された日付も時間も、殆どリアルタイムなんだよ……」
一つ一つは、大したことじゃない。誰かに直接、危害を加えられたわけでもない。
全部が重なった時、それがどれくらいの重さになるのか。仁人には、うまく想像がつかなかった。
「……なあ、仁人」
少し溜めて、勇斗は仁人を呼ぶ。先日、途中で切り上げられたあの話の続きだと、すぐに分かった。
「実は最近……家の鍵の調子がおかしくてさ」
「……鍵?」
「回す時、なんか引っかかる感じがして。もしかして、誰かに変な細工されてんじゃないかって、一瞬本気で考えた」
笑いながら言ってたけど、その笑い方はどこか力なかった。
「おい、それ、いつから……?」
「一週間くらい前かな。それから、あんまり寝れてなくて」
「は!?警察は何て!?」
「、まだ言ってない」
「なんで!?」
無意識に声が大きくなった。
「いやいや、違和感で呼べないっしょ。具体的に何かあったわけじゃないし、大袈裟にしたくなかったんだよ」
「大袈裟とかそういう話じゃねぇだろ、お前の家のことだぞ!?」
勇斗はばつが悪そうに黙り込んだ。
仁人はスマホを取り出すと、その場で発信ボタンを押していた。
「え、どこに電話してんの!?」
「いいから、ちょっと待ってろ!」
◇ ◇
『——もしもし?』
数コール後、彼女の声が返ってきた。いつもと違う、通話越しの澄んだ音質。
「急にごめん。今、大丈夫か?」
『うん、平気だよ。何かあったの?』
仁人は手短に、勇斗の家の鍵の異変を伝えた。話し終え、電話の向こうで少し間があった。
『引っかかる感じ、って言ったんだよね。実際にはちゃんと開けられた?』
「開けられたって。ただ、感触がおかしかったっぽい」
『なら、断言は出来ないけど、ピッキングじゃないと思うな』
「え、なんで?」
『ピッキングは、鍵穴の中の構造を無理やりこじ開けるやり方だから、正規の鍵で開ける時とはまるで感触が違うの。むしろ、正規の鍵ならすんなり回るはずのところに違和感があるってことは……』
「、鍵穴そのものが、傷んでる、とか?」
『かもしれない。今すぐ、管理会社に確認した方がいいと思う』
「分かった、ありがとう」
電話を切り、仁人はすぐに勇斗のマネージャーに連絡を入れた。その日のうちに管理会社が確認に来て、鍵穴の交換と、念のための防犯カメラの映像チェックが行われることになった。
結果はその晩に判明する。上下階の住人が、酔って部屋を間違え、無理に鍵を差し込もうとした形跡があったらしい。誰かが勇斗を狙ったわけじゃない。ただの、酔っ払いの迷惑行為だった。
「……なんだよ、それ」
報告を受けた勇斗は、つい笑ってしまっていた。安堵と、少しの脱力が入り混じった笑いだった。
「……でも、それで眠れなくなってたんだとしたら、無理もないだろ」
仁人が呟くと、勇斗は小さく頷いた。
「なんか……ちょっと、色々気にしすぎてたのかもな、俺」
「だな。次からは、違和感があったら一人で抱えんな。俺でも、マネージャーでも、誰でもいいからとりあえず言え」
「……分かった」
◆ ◆
ドアベルが鳴っていつもの足音が聞こえると、彼女は本を閉じてカップに指を掛けた。仁人はいつもの様に、彼女の対面に座る。
「鍵の件は解決したよ。あの時は、ありがとう」
「いえいえ、わたしは何もしてないよ」
彼女はゆっくりと珈琲を飲み、静かに口を開く。
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
「……、」
彼女の問いに、仁人は寂しげに眉を寄せる。
「SNSの件は、まだ引っかかってる」
「お弁当の件は、やっぱり多分ただの偶然だと思うな。ファンの方の投稿と、スタッフが選んだ組み合わせが、たまたま一致しただけ。目撃情報がバズった件もそう。悪意があるわけじゃない、偶然そこに居合わせた人のいいね稼ぎの投稿だよ」
「……そうだよな」
「うん……でも、あの言葉達は、ちょっと違う」
彼女の声が、少しだけ硬くなった。
「偶然じゃなく、"一意見"という皮を被った"明確に悪意"を持って書かれた言葉だよ」
仁人は黙って頷いた。
「真っ白なミルクに一滴の珈琲を垂らすと、もう純白には戻らないんだよ……」
彼女はぽつりと呟いた。
「好きだって言ってくれる言葉が、どれだけたくさんあっても、たった一滴の悪意で、全部の言葉の色を変えてしまう。そう感じてしまうのが、人間なんだと思う」
「……じゃあ、勇斗はどうすればいいんだよ」
「わたしにできるのは、何が事実で、何が偶然で、何が悪意かを整理することまで。そこから先は——」
彼女はそこで言葉を切り、小さく笑った。
「——あなたの役目でしょう、仁人」
◆ ◆
「なあ、勇斗。もうスマホばっか見んの止めろよ」
ドラマの台本を広げながらも、どこか上の空だった勇斗に仁人は言った。
「……エゴサは大事だろ?ファンの反応を見て次の動画のネタとか探さなきゃだし」
「じゃあ聞くけど、最後にちゃんと"好き"って言ってくれたファンの名前でもアイコンでも言えるのか?」
「……」
勇斗は目を伏せ黙っているので、仁人は畳み掛ける様に言った。
「今のSNSのアルゴリズムくらい、お前も分かってるだろ……」
「、いや、アンチの中にもなるほどなって思う言葉もあんだよ、実際。そういう人の声だって——」
仁人はスマホを取り出すと、勇斗の目の前に突きつけた。画面には、ファンからの応援メッセージがずらりと並んでいた。
「見ろよ、これ。お前が引っ張ってきたグループを、ちゃんと好きでいてくれてるみ!るきーずの声だ」
勇斗はしばらく黙って画面を見つめていた。
「……分かってるよ、そんなの」
「分かってるなら、なんでのアンチの言葉に、そんなに振り回されてんだよ」
「振り回されてなんか——」
「——振り回されてるだろ。眠れなくなるくらい、鍵の音一つでビビるくらいに」
勇斗は言葉に詰まった。
「お前、いつも先陣切って矢面に立ってきただろ。俺らのために。それは、ずっと見てきたし、感謝もしてる」
仁人の声が、少しだけ低くなった。
「でも、それとこれとは別だ。全部一人で抱えて、勝手に壊れられても困るんだよ」
「……」
「お前らしくないぞ、こんなん」
その一言に、勇斗はふっと肩の力を抜いた。
「……おいちゃんに言われるとはなぁ」
「なんだよ、悪いか」
「いや」
勇斗は小さく笑った。今までの、無理に作ったような笑い方とは違う、いつもの自然な笑みだった。
「ありがとな、仁人」
「礼はいいから、次からはちゃんと共有しろよ。俺でも、他の誰でもいいから」
「……分かった」
二人の小さな安堵の吐息が控え室内で小さく谺した。
◆ ◆
「ねえ、どの人?」
「……ここからじゃ見えない」
窓の外に怪しい影が二つ、喫茶店の中を覗いていた。
「逆に言えば、外から見えない二人だけの特等席って訳か」
「全然逆じゃないけどな」
呆れた仁人はツッコミも程々にドアを押す。いつもの様に乾いたベルの音が店内に響く。
柔太朗は少し緊張した面持ちで店の奥へと視線をやった。窓際でも通りが見える席でもない、一番奥の席。そこに、今日の目的である彼女が通り座っていた。
「、あの人?」
「……うん。」
仁人の声が、心なしか一段低くなる。仁人のその返答に、柔太朗は少しだけ頬を緩めた。
二人が店の中央まで近付くと、彼女がゆっくりと顔を上げる。
「仁人が友達と来るなんて珍しいね」
「別に、こいつは友達って訳じゃないよ」
仁人が言うと、彼女は小さく笑った。少し目を細めた視線が、柔太朗の体を通り過ぎた。
——あれ、なんか今……?
柔太朗がテーブルまで来ると彼女は椅子から立ち上がる。
「柔太朗くん、でいいのかな?」
「あ、はい」
「へー……思ったよりも背は高いし、線も細くて……さすがアイドルだ」
彼女は少し顎を上げ、一歩距離を縮めると柔太朗の顔を覗き込む。そのまま彼の顔に触れようと手を伸ばした時だった。
「——はい、そこまで。」
二人の間に仁人が割って入った。
「、大丈夫だよ。ここで撮られたりしないから」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題?」
くすくすと笑う彼女に、仁人は困ったように眉を下げる。
——なるほど、こういうタイプね。
柔太朗は二人を静かに二人を観察しながら腰を下ろす。普段メンバーに弄られている時よりも明らかに狼狽えている仁人の姿に、、込み上げる笑いを堪える様に柔太朗は唇をきゅっと結ぶ。談笑中も二人に隠れ何度か同じ様に笑いを噛み殺し、その度に柔太朗は手で口元を隠していたり、天井を仰いで誤魔化した。
「——もう遅いし、そろそろ送るよ」
仁人がそう言ってスマホを取り出しタクシーを呼ぶ。彼女も傍に寄せていた本を鞄にしまい、ゆっくりと立ち上がった。
店の外にタクシーが到着すると、仁人は当たり前の様に彼女に腕を差し出した。
——ナチュラルな腕組みじゃん。俺がいるのに、やってんねぇ。
柔太朗は目を細めた。仁人は特に気にした様子もなく、それが日常みたいな顔をしている。
「気をつけて帰れよ」
「うん、ありがとう仁人。柔太朗くんも、またね」
彼女はそう言い残して、タクシーに乗り込んだ。走り去る車を見送る仁人の横顔は、なんだかいつもより穏やかだった。
その一連のやり取りを見ていた柔太朗の頭の中で、何かがかちりと嵌まった。
「よっしーが中学生みたいな恋愛してるとか、事件じゃん」
「……はァ?」
柔太朗が真顔で呟いた一言に、仁人は瞳が飛び出る程目を見開き固まる。
生温い夜風が二人を包み、仁人の背には嫌な汗が伝った。
楽屋でスタッフが差し入れてくれた弁当とドリンクの組み合わせを見て、勇斗が一瞬、固まったように黙り込んだのだ。
「どうした勇斗?」
「……ん?何が?」
そう言って笑ってみせた勇斗。いつもの様にSNSのチェックをしながら弁当を食べる。
仁人は眉を寄せ、勇斗の手からスマホを取り上げた。
「あ!おい!!」
取り返そうとする勇斗に背を向け、スマホに目を遣る。
【めっちゃ多い🩷】
文章と一緒に、今勇斗が食べている弁当とドリンクが投稿されていた。
仁人は目を大きく見開き、画像と弁当を見比べる。投稿者名には、ファン達が目印の様に使う絵文字が添えられ、アイコンも見た事のあるグッズが写り込んでいた。
スクロールした先には、また別の投稿がいくつも流れている。
【最近歌番組こいつらばっかでつまんない】
【アイドルなのに音外してるのダサw】
【アンチじゃないんだけど、どこの人らの需要ってどこにあるの?】
直接的な悪意とまでは言えない、じわじわとした言葉たちが並んでいた。
「なあ、勇斗。こんなの、いちいち気にすんなよ」
「別に気にしてねぇよ。……ただ、目に入っただけで」
その返事に、仁人は何も言えなかった。二人きりの空間で沈黙がやけに長く思え、痺れを切らした勇斗が口を開いた。
「弁当と飲み物が被る事くらいよくある事だって分かってる。でも、ちょっとこれ見てくれ」
渡されたスマホに視線を移すと、先程とは別の投稿で、鮮明ではないが勇斗と今シーズンドラマで共有した役者が隠し撮りされていた。意味深な絵文字が添えられただけの投稿に、「本物!?」とコメントが連なって一時的に話題を集めていた。
「、マジか……」
「この日は長めの休憩が入ったからスタッフ達も含めて飯食ってるだけで、本当にやましい事はしてない」
「分かってるよ、一緒に写ってるの男だし」
「、投稿された日付も時間も、殆どリアルタイムなんだよ……」
一つ一つは、大したことじゃない。誰かに直接、危害を加えられたわけでもない。
全部が重なった時、それがどれくらいの重さになるのか。仁人には、うまく想像がつかなかった。
「……なあ、仁人」
少し溜めて、勇斗は仁人を呼ぶ。先日、途中で切り上げられたあの話の続きだと、すぐに分かった。
「実は最近……家の鍵の調子がおかしくてさ」
「……鍵?」
「回す時、なんか引っかかる感じがして。もしかして、誰かに変な細工されてんじゃないかって、一瞬本気で考えた」
笑いながら言ってたけど、その笑い方はどこか力なかった。
「おい、それ、いつから……?」
「一週間くらい前かな。それから、あんまり寝れてなくて」
「は!?警察は何て!?」
「、まだ言ってない」
「なんで!?」
無意識に声が大きくなった。
「いやいや、違和感で呼べないっしょ。具体的に何かあったわけじゃないし、大袈裟にしたくなかったんだよ」
「大袈裟とかそういう話じゃねぇだろ、お前の家のことだぞ!?」
勇斗はばつが悪そうに黙り込んだ。
仁人はスマホを取り出すと、その場で発信ボタンを押していた。
「え、どこに電話してんの!?」
「いいから、ちょっと待ってろ!」
◇ ◇
『——もしもし?』
数コール後、彼女の声が返ってきた。いつもと違う、通話越しの澄んだ音質。
「急にごめん。今、大丈夫か?」
『うん、平気だよ。何かあったの?』
仁人は手短に、勇斗の家の鍵の異変を伝えた。話し終え、電話の向こうで少し間があった。
『引っかかる感じ、って言ったんだよね。実際にはちゃんと開けられた?』
「開けられたって。ただ、感触がおかしかったっぽい」
『なら、断言は出来ないけど、ピッキングじゃないと思うな』
「え、なんで?」
『ピッキングは、鍵穴の中の構造を無理やりこじ開けるやり方だから、正規の鍵で開ける時とはまるで感触が違うの。むしろ、正規の鍵ならすんなり回るはずのところに違和感があるってことは……』
「、鍵穴そのものが、傷んでる、とか?」
『かもしれない。今すぐ、管理会社に確認した方がいいと思う』
「分かった、ありがとう」
電話を切り、仁人はすぐに勇斗のマネージャーに連絡を入れた。その日のうちに管理会社が確認に来て、鍵穴の交換と、念のための防犯カメラの映像チェックが行われることになった。
結果はその晩に判明する。上下階の住人が、酔って部屋を間違え、無理に鍵を差し込もうとした形跡があったらしい。誰かが勇斗を狙ったわけじゃない。ただの、酔っ払いの迷惑行為だった。
「……なんだよ、それ」
報告を受けた勇斗は、つい笑ってしまっていた。安堵と、少しの脱力が入り混じった笑いだった。
「……でも、それで眠れなくなってたんだとしたら、無理もないだろ」
仁人が呟くと、勇斗は小さく頷いた。
「なんか……ちょっと、色々気にしすぎてたのかもな、俺」
「だな。次からは、違和感があったら一人で抱えんな。俺でも、マネージャーでも、誰でもいいからとりあえず言え」
「……分かった」
◆ ◆
ドアベルが鳴っていつもの足音が聞こえると、彼女は本を閉じてカップに指を掛けた。仁人はいつもの様に、彼女の対面に座る。
「鍵の件は解決したよ。あの時は、ありがとう」
「いえいえ、わたしは何もしてないよ」
彼女はゆっくりと珈琲を飲み、静かに口を開く。
「でも、それだけじゃないんでしょう?」
「……、」
彼女の問いに、仁人は寂しげに眉を寄せる。
「SNSの件は、まだ引っかかってる」
「お弁当の件は、やっぱり多分ただの偶然だと思うな。ファンの方の投稿と、スタッフが選んだ組み合わせが、たまたま一致しただけ。目撃情報がバズった件もそう。悪意があるわけじゃない、偶然そこに居合わせた人のいいね稼ぎの投稿だよ」
「……そうだよな」
「うん……でも、あの言葉達は、ちょっと違う」
彼女の声が、少しだけ硬くなった。
「偶然じゃなく、"一意見"という皮を被った"明確に悪意"を持って書かれた言葉だよ」
仁人は黙って頷いた。
「真っ白なミルクに一滴の珈琲を垂らすと、もう純白には戻らないんだよ……」
彼女はぽつりと呟いた。
「好きだって言ってくれる言葉が、どれだけたくさんあっても、たった一滴の悪意で、全部の言葉の色を変えてしまう。そう感じてしまうのが、人間なんだと思う」
「……じゃあ、勇斗はどうすればいいんだよ」
「わたしにできるのは、何が事実で、何が偶然で、何が悪意かを整理することまで。そこから先は——」
彼女はそこで言葉を切り、小さく笑った。
「——あなたの役目でしょう、仁人」
◆ ◆
「なあ、勇斗。もうスマホばっか見んの止めろよ」
ドラマの台本を広げながらも、どこか上の空だった勇斗に仁人は言った。
「……エゴサは大事だろ?ファンの反応を見て次の動画のネタとか探さなきゃだし」
「じゃあ聞くけど、最後にちゃんと"好き"って言ってくれたファンの名前でもアイコンでも言えるのか?」
「……」
勇斗は目を伏せ黙っているので、仁人は畳み掛ける様に言った。
「今のSNSのアルゴリズムくらい、お前も分かってるだろ……」
「、いや、アンチの中にもなるほどなって思う言葉もあんだよ、実際。そういう人の声だって——」
仁人はスマホを取り出すと、勇斗の目の前に突きつけた。画面には、ファンからの応援メッセージがずらりと並んでいた。
「見ろよ、これ。お前が引っ張ってきたグループを、ちゃんと好きでいてくれてるみ!るきーずの声だ」
勇斗はしばらく黙って画面を見つめていた。
「……分かってるよ、そんなの」
「分かってるなら、なんでのアンチの言葉に、そんなに振り回されてんだよ」
「振り回されてなんか——」
「——振り回されてるだろ。眠れなくなるくらい、鍵の音一つでビビるくらいに」
勇斗は言葉に詰まった。
「お前、いつも先陣切って矢面に立ってきただろ。俺らのために。それは、ずっと見てきたし、感謝もしてる」
仁人の声が、少しだけ低くなった。
「でも、それとこれとは別だ。全部一人で抱えて、勝手に壊れられても困るんだよ」
「……」
「お前らしくないぞ、こんなん」
その一言に、勇斗はふっと肩の力を抜いた。
「……おいちゃんに言われるとはなぁ」
「なんだよ、悪いか」
「いや」
勇斗は小さく笑った。今までの、無理に作ったような笑い方とは違う、いつもの自然な笑みだった。
「ありがとな、仁人」
「礼はいいから、次からはちゃんと共有しろよ。俺でも、他の誰でもいいから」
「……分かった」
二人の小さな安堵の吐息が控え室内で小さく谺した。
◆ ◆
「ねえ、どの人?」
「……ここからじゃ見えない」
窓の外に怪しい影が二つ、喫茶店の中を覗いていた。
「逆に言えば、外から見えない二人だけの特等席って訳か」
「全然逆じゃないけどな」
呆れた仁人はツッコミも程々にドアを押す。いつもの様に乾いたベルの音が店内に響く。
柔太朗は少し緊張した面持ちで店の奥へと視線をやった。窓際でも通りが見える席でもない、一番奥の席。そこに、今日の目的である彼女が通り座っていた。
「、あの人?」
「……うん。」
仁人の声が、心なしか一段低くなる。仁人のその返答に、柔太朗は少しだけ頬を緩めた。
二人が店の中央まで近付くと、彼女がゆっくりと顔を上げる。
「仁人が友達と来るなんて珍しいね」
「別に、こいつは友達って訳じゃないよ」
仁人が言うと、彼女は小さく笑った。少し目を細めた視線が、柔太朗の体を通り過ぎた。
——あれ、なんか今……?
柔太朗がテーブルまで来ると彼女は椅子から立ち上がる。
「柔太朗くん、でいいのかな?」
「あ、はい」
「へー……思ったよりも背は高いし、線も細くて……さすがアイドルだ」
彼女は少し顎を上げ、一歩距離を縮めると柔太朗の顔を覗き込む。そのまま彼の顔に触れようと手を伸ばした時だった。
「——はい、そこまで。」
二人の間に仁人が割って入った。
「、大丈夫だよ。ここで撮られたりしないから」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題?」
くすくすと笑う彼女に、仁人は困ったように眉を下げる。
——なるほど、こういうタイプね。
柔太朗は二人を静かに二人を観察しながら腰を下ろす。普段メンバーに弄られている時よりも明らかに狼狽えている仁人の姿に、、込み上げる笑いを堪える様に柔太朗は唇をきゅっと結ぶ。談笑中も二人に隠れ何度か同じ様に笑いを噛み殺し、その度に柔太朗は手で口元を隠していたり、天井を仰いで誤魔化した。
「——もう遅いし、そろそろ送るよ」
仁人がそう言ってスマホを取り出しタクシーを呼ぶ。彼女も傍に寄せていた本を鞄にしまい、ゆっくりと立ち上がった。
店の外にタクシーが到着すると、仁人は当たり前の様に彼女に腕を差し出した。
——ナチュラルな腕組みじゃん。俺がいるのに、やってんねぇ。
柔太朗は目を細めた。仁人は特に気にした様子もなく、それが日常みたいな顔をしている。
「気をつけて帰れよ」
「うん、ありがとう仁人。柔太朗くんも、またね」
彼女はそう言い残して、タクシーに乗り込んだ。走り去る車を見送る仁人の横顔は、なんだかいつもより穏やかだった。
その一連のやり取りを見ていた柔太朗の頭の中で、何かがかちりと嵌まった。
「よっしーが中学生みたいな恋愛してるとか、事件じゃん」
「……はァ?」
柔太朗が真顔で呟いた一言に、仁人は瞳が飛び出る程目を見開き固まる。
生温い夜風が二人を包み、仁人の背には嫌な汗が伝った。