Short
input
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
今にも崩れそうなアパートのドアノブに鍵を差し込んで回す。ギィという不快な音と、鼻につく薬品の匂い。
当たり前の様に部屋に入った柔太朗が、鍵の掛かっていないユニットバスへ目を向ける。ドアの隙間から、赤い光が廊下に少しだけ滲んでいた。薬品の匂いに混じって、ドアの向こうから音楽が漏れ聞こえる。柔太朗は家主の存在を確認すると、ワンルームの奥へと進んだ。
どこの国のものかも分からない雑貨の隣に、アニメのカプセルトイが鎮座している。柔太朗は、空いているスペースを見つけ、道すがら手に入れたフィギュアを並べると、満足そうに微笑んだ。
足元には、本棚から溢れた雑誌が束になって積まれていた。しゃがみ込んで物色していると、その中の一冊に、柔太朗は見知った顔を見つける。その一冊を手に取り胡座をかいて座ると、一ページ一ページゆっくりと捲る。
微かに聞こえる音楽に、いつの間にか鼻歌が重なっていた。柔太朗はページを捲りながら、時折、優しく表情を綻ばせる。
「——あれ?来てたんだ」
「来る前にちゃんと連絡したよ」
柔太朗の言葉に、なまえはデスクの上で充電していたスマホを手にする。メッセージを確認したなまえは少し長めに瞬き一度した。
「まあ、集中してたら気付かないだろとは思ってた」
「ほんとごめん」
「大丈夫、気にしてないよ」
それより、と柔太朗は区切ると、読んでいた雑誌を少し持ち上げる。
「これ撮ったの、なまえだったんだね」
「あ、うん。まさか今時期に佐野くん撮れるなんて思わなくて、びっくりしたよ」
「はやちゃんも久しぶりで喜んでたよ」
「ほんと?なら良かった」
なまえは柔らかく微笑むと、床に散らばる機材を片付け始めた。レンズを拭き上げ、ブロワーでミラーの埃を払う。柔太朗は彼女の肩越しに、その様子をぼんやりと眺めた。
「わたしみたいな若手が、大手の雑誌で売れっ子アイドルを撮らせてもらえる機会なんて、早々ないからね」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだよ」
柔太朗は、もう一度雑誌を捲る。
「このはやちゃん、良い表情だと思うよ。俺は好き」
「……どれ?」
なまえは手を止めて首だけで振り返ると、柔太朗の指すページを見る。
「それね、良いよね。その表情。佐野くんは表情上手いし、撮ってて楽しいよ」
「、俺は?」
「柔は……さすがに私情が入っちゃうからなぁ」
眉を下げ、困った様に笑うと前へ向き直る。レンズキャップを閉める無機質な音が部屋に響く。
柔太朗はなまえを背後から抱き締め、細い肩に顔を埋めた。
「俺は特別ってこと?」
「それ以外なにがあるの?」
カメラをバッグの中に入れ終えたなまえは、抱き締められたまま写真の束に手を掛けた。
「この間の旅行で撮った写真、現像出来たよ」
「さっきやってったやつ?」
「それは別。」
なまえは柔太朗に身体を預け、写真を見せる。柔太朗はその重みに愛おしさを感じながら、なまえから写真を受け取った。
「こんなに撮ってたの?普通に恥ずいんだけど」
「良いじゃん、絵になってるよ。モデルが良いとシャッター切り過ぎちゃう」
「、なまえが撮ってるからだよ」
「そう、だといいな……」
写真を繰る手が止まる。なまえは一度足元の雑誌を見た後に、もう一度写真に目を移す。
「そっちの佐野くんも、この柔も"わたし"が撮ってるからこの表情なワケじゃん?」
「、?そうだよ?」
「だとしたら、カメラマンとしては百点じゃないの」
なまえは手にしていた写真を見つめ、そっと柔太朗の顔を指で隠した。
「ほら、隠すと良さがちょっと減るでしょ?」
「……」
「この写真は、柔の表情に助けられてるの」
「でもこの表情は、なまえが撮ったからだよ」
「……まぁ、モデルの最高の表情を引き出すのも、プロとしては必要なスキルだけど」
「じゃあこの写真も、あのカットも、十分凄いって事か」
それに、と柔太朗は言葉を止めて自身のスマホを手に取る。
「リスナーさんから好評な写真も、なまえが撮ってくれたやつばっかりだよ」
「そっか。じゃあ素直にその評価は受け入れておくか」
「おくべきだね」
二人は顔を見合わせて笑う。
写真を一枚、また一枚と繰る度に、思い出話に花を咲かせた。
「……え、なんでこれ入ってるの?」
柔太朗の指が止まり、なまえはその写真を受け取る。
二人が出会った時の最初の一枚だ。
なまえはその写真を見つめると、優しく目を細めた。
「好きだね。その時の俺」
「うん」
「今の俺は好きじゃないの?」
「今の柔の事は大好きだよ」
なまえは振り返る。大きな瞳が柔太朗を映した。
「でも、この時の儚さは、やっぱり人を惹きつけるものがあったよ」
「そう?表情硬くない」
「少年から青年へと変わるこの微妙な時期にしかできない、とっても素敵な表情だよ」
「、はいはい」
小さく溜息をついた柔太朗は、もう一度なまえを抱き寄せる。「大好きだよ」と言った声が、まだ耳に残っていた。
彼女の香りを確かめる様に首元に顔を埋めると、そのまま押し倒し覆い被さった。なまえも抵抗する事なく柔太朗を受け入れ、サラサラとした髪に数回指を通し、頭を撫でる。
「ヘアセット、崩れるんだけど」
「崩れちゃダメなの?」
「ダメでしょ、ここは」
「わたしの服はシワになるかもなのに?」
なまえの問いに柔太朗は答えない。そのまま柔太朗がシャツの裾から手を滑り込ませると、なまえは膝で彼の薄い腹を軽く小突き、静止させた。
「ここ一応、わたしの仕事場」
「良いじゃん」
「良くない!しかも床で痛いし」
柔太朗の肩を押しながらなまえは言う。大人しく解放する柔太朗だが、距離の近さは変わらない。
「わたしボルゾイを飼った記憶ないんですけどー」
「あんなに細くねーし」
「十分細いわ」
腹立つ程に、となまえは続け、床に落ちていた使い捨てのカメラのダイヤルを回す。そのまま、ファインダーを覗く事なくシャッターを切った。
「眩しっ!」
「良い一枚が撮れた」
ケタケタと笑うなまえはもう一度ダイヤルを回し、ファインダーを覗き込む。だが、すかさず柔太朗はそのカメラを奪い、シャッターを切った。
「あ、ちょっと!」
「さっきの仕返し。」
「返してよ」
伸ばしたなまえの腕は空を切る。柔太朗を小さく睨むが、効果はなかった。
「たまには俺にも撮らせてよ」
少年の様な笑みを浮かべ始めた柔太朗に、なまえは肩を竦めた。
おもちゃを手に入れた柔太朗は、なまえにポーズの指示を出しながらシャッターを切る。時には細かく手の位置に修正を入れた。
操り人形となったなまえは、「その言い方だと伝わらないんだけどな」と喉まで出かかり、飲み込んだ。楽しそうな柔太朗を見てると、自然と表情も和らいでいく。
「——ねえ、そろそろわたし、お腹空いてきたんだけど」
「どこか食べに行く?でもこんな時間にどこかやってるっけ?」
「信号の先の、汚ったない中華料理屋ならやってると思う」
ジャケットに袖を通してなまえは言う。
「あぁ、あの床スケートのね」
「床スケだけど、味は最高だよ」
「味は滑らないのは結構点数高いな」
「技術点は加点だけど、暖簾が汚いから減点じゃない?」
「形から入ってるから逆に高評価かも」
「逆にねぇ」
淡々とくだらない事を話しながら夜道を歩く。
少し冷たくなった風に微かに金木犀の香りを感じ、なまえは不意に足を止める。香りの元を探す様に辺りを見回す姿を、柔太朗はファインダー越しに見つめた。思わずシャッターを切る。強いフラッシュが夜道を照らした。
「今めっちゃ良いの撮れた」
「、ほんと?」
「これは国際美術館級だね」
「なら現像するのが楽しみだ」
柔太朗の手を握って、引く様に一歩先を歩いた。
誰もいない夜道に、二人の小さな笑い声と共に一瞬の光が何度か焚かれる。
「柔太朗、」
「ん?」
「……、」
レンズに指、掛かってる。
言葉にする前に彼女はそれを飲み込んで、ふわりと笑う。
「……今度一緒に、現像までやろ」
「それは有りだね」
「、ね!」
薄汚れた暖簾越しに、淡い光が二人を包んだ。
260919
当たり前の様に部屋に入った柔太朗が、鍵の掛かっていないユニットバスへ目を向ける。ドアの隙間から、赤い光が廊下に少しだけ滲んでいた。薬品の匂いに混じって、ドアの向こうから音楽が漏れ聞こえる。柔太朗は家主の存在を確認すると、ワンルームの奥へと進んだ。
どこの国のものかも分からない雑貨の隣に、アニメのカプセルトイが鎮座している。柔太朗は、空いているスペースを見つけ、道すがら手に入れたフィギュアを並べると、満足そうに微笑んだ。
足元には、本棚から溢れた雑誌が束になって積まれていた。しゃがみ込んで物色していると、その中の一冊に、柔太朗は見知った顔を見つける。その一冊を手に取り胡座をかいて座ると、一ページ一ページゆっくりと捲る。
微かに聞こえる音楽に、いつの間にか鼻歌が重なっていた。柔太朗はページを捲りながら、時折、優しく表情を綻ばせる。
「——あれ?来てたんだ」
「来る前にちゃんと連絡したよ」
柔太朗の言葉に、なまえはデスクの上で充電していたスマホを手にする。メッセージを確認したなまえは少し長めに瞬き一度した。
「まあ、集中してたら気付かないだろとは思ってた」
「ほんとごめん」
「大丈夫、気にしてないよ」
それより、と柔太朗は区切ると、読んでいた雑誌を少し持ち上げる。
「これ撮ったの、なまえだったんだね」
「あ、うん。まさか今時期に佐野くん撮れるなんて思わなくて、びっくりしたよ」
「はやちゃんも久しぶりで喜んでたよ」
「ほんと?なら良かった」
なまえは柔らかく微笑むと、床に散らばる機材を片付け始めた。レンズを拭き上げ、ブロワーでミラーの埃を払う。柔太朗は彼女の肩越しに、その様子をぼんやりと眺めた。
「わたしみたいな若手が、大手の雑誌で売れっ子アイドルを撮らせてもらえる機会なんて、早々ないからね」
「そういうもんなの?」
「そういうもんだよ」
柔太朗は、もう一度雑誌を捲る。
「このはやちゃん、良い表情だと思うよ。俺は好き」
「……どれ?」
なまえは手を止めて首だけで振り返ると、柔太朗の指すページを見る。
「それね、良いよね。その表情。佐野くんは表情上手いし、撮ってて楽しいよ」
「、俺は?」
「柔は……さすがに私情が入っちゃうからなぁ」
眉を下げ、困った様に笑うと前へ向き直る。レンズキャップを閉める無機質な音が部屋に響く。
柔太朗はなまえを背後から抱き締め、細い肩に顔を埋めた。
「俺は特別ってこと?」
「それ以外なにがあるの?」
カメラをバッグの中に入れ終えたなまえは、抱き締められたまま写真の束に手を掛けた。
「この間の旅行で撮った写真、現像出来たよ」
「さっきやってったやつ?」
「それは別。」
なまえは柔太朗に身体を預け、写真を見せる。柔太朗はその重みに愛おしさを感じながら、なまえから写真を受け取った。
「こんなに撮ってたの?普通に恥ずいんだけど」
「良いじゃん、絵になってるよ。モデルが良いとシャッター切り過ぎちゃう」
「、なまえが撮ってるからだよ」
「そう、だといいな……」
写真を繰る手が止まる。なまえは一度足元の雑誌を見た後に、もう一度写真に目を移す。
「そっちの佐野くんも、この柔も"わたし"が撮ってるからこの表情なワケじゃん?」
「、?そうだよ?」
「だとしたら、カメラマンとしては百点じゃないの」
なまえは手にしていた写真を見つめ、そっと柔太朗の顔を指で隠した。
「ほら、隠すと良さがちょっと減るでしょ?」
「……」
「この写真は、柔の表情に助けられてるの」
「でもこの表情は、なまえが撮ったからだよ」
「……まぁ、モデルの最高の表情を引き出すのも、プロとしては必要なスキルだけど」
「じゃあこの写真も、あのカットも、十分凄いって事か」
それに、と柔太朗は言葉を止めて自身のスマホを手に取る。
「リスナーさんから好評な写真も、なまえが撮ってくれたやつばっかりだよ」
「そっか。じゃあ素直にその評価は受け入れておくか」
「おくべきだね」
二人は顔を見合わせて笑う。
写真を一枚、また一枚と繰る度に、思い出話に花を咲かせた。
「……え、なんでこれ入ってるの?」
柔太朗の指が止まり、なまえはその写真を受け取る。
二人が出会った時の最初の一枚だ。
なまえはその写真を見つめると、優しく目を細めた。
「好きだね。その時の俺」
「うん」
「今の俺は好きじゃないの?」
「今の柔の事は大好きだよ」
なまえは振り返る。大きな瞳が柔太朗を映した。
「でも、この時の儚さは、やっぱり人を惹きつけるものがあったよ」
「そう?表情硬くない」
「少年から青年へと変わるこの微妙な時期にしかできない、とっても素敵な表情だよ」
「、はいはい」
小さく溜息をついた柔太朗は、もう一度なまえを抱き寄せる。「大好きだよ」と言った声が、まだ耳に残っていた。
彼女の香りを確かめる様に首元に顔を埋めると、そのまま押し倒し覆い被さった。なまえも抵抗する事なく柔太朗を受け入れ、サラサラとした髪に数回指を通し、頭を撫でる。
「ヘアセット、崩れるんだけど」
「崩れちゃダメなの?」
「ダメでしょ、ここは」
「わたしの服はシワになるかもなのに?」
なまえの問いに柔太朗は答えない。そのまま柔太朗がシャツの裾から手を滑り込ませると、なまえは膝で彼の薄い腹を軽く小突き、静止させた。
「ここ一応、わたしの仕事場」
「良いじゃん」
「良くない!しかも床で痛いし」
柔太朗の肩を押しながらなまえは言う。大人しく解放する柔太朗だが、距離の近さは変わらない。
「わたしボルゾイを飼った記憶ないんですけどー」
「あんなに細くねーし」
「十分細いわ」
腹立つ程に、となまえは続け、床に落ちていた使い捨てのカメラのダイヤルを回す。そのまま、ファインダーを覗く事なくシャッターを切った。
「眩しっ!」
「良い一枚が撮れた」
ケタケタと笑うなまえはもう一度ダイヤルを回し、ファインダーを覗き込む。だが、すかさず柔太朗はそのカメラを奪い、シャッターを切った。
「あ、ちょっと!」
「さっきの仕返し。」
「返してよ」
伸ばしたなまえの腕は空を切る。柔太朗を小さく睨むが、効果はなかった。
「たまには俺にも撮らせてよ」
少年の様な笑みを浮かべ始めた柔太朗に、なまえは肩を竦めた。
おもちゃを手に入れた柔太朗は、なまえにポーズの指示を出しながらシャッターを切る。時には細かく手の位置に修正を入れた。
操り人形となったなまえは、「その言い方だと伝わらないんだけどな」と喉まで出かかり、飲み込んだ。楽しそうな柔太朗を見てると、自然と表情も和らいでいく。
「——ねえ、そろそろわたし、お腹空いてきたんだけど」
「どこか食べに行く?でもこんな時間にどこかやってるっけ?」
「信号の先の、汚ったない中華料理屋ならやってると思う」
ジャケットに袖を通してなまえは言う。
「あぁ、あの床スケートのね」
「床スケだけど、味は最高だよ」
「味は滑らないのは結構点数高いな」
「技術点は加点だけど、暖簾が汚いから減点じゃない?」
「形から入ってるから逆に高評価かも」
「逆にねぇ」
淡々とくだらない事を話しながら夜道を歩く。
少し冷たくなった風に微かに金木犀の香りを感じ、なまえは不意に足を止める。香りの元を探す様に辺りを見回す姿を、柔太朗はファインダー越しに見つめた。思わずシャッターを切る。強いフラッシュが夜道を照らした。
「今めっちゃ良いの撮れた」
「、ほんと?」
「これは国際美術館級だね」
「なら現像するのが楽しみだ」
柔太朗の手を握って、引く様に一歩先を歩いた。
誰もいない夜道に、二人の小さな笑い声と共に一瞬の光が何度か焚かれる。
「柔太朗、」
「ん?」
「……、」
レンズに指、掛かってる。
言葉にする前に彼女はそれを飲み込んで、ふわりと笑う。
「……今度一緒に、現像までやろ」
「それは有りだね」
「、ね!」
薄汚れた暖簾越しに、淡い光が二人を包んだ。
260919
3/5ページ