Royal Milk Xxx
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逃げ出した二人を迎えに行くのはいつも俺の仕事だった。
心配して向かえば楽しそうな二人の笑い声。ただ俺は、泣きそうだったなまえがそこに行けば笑っていてくれるだけで安心した。
今日もそうだ。二人の笑い声が、まだ少し冷たい風に乗り俺を導く。
あの時と変わらない景色に俺は安堵した。
「本日は本邸へと向かいます」
「い、嫌な予感しかしない……」
朝食を食べ終え自室で優雅なテータイムを嗜んでいたなまえは悲しげにカップを置いた。嫌な事は極力避けて生きてきたなまえでさえ、本邸への召喚命令には逆らえない。
「旦那様は今入院しとるし、呼ばれる用事なんかあったっけ?」
「昨日のパーティの件、勇斗が誰かにチクった?いけ好かない奴だけど、そんなみみっちい事する性格じゃなかったんだけどな……」
「そらそうやな。ほなあの会場に親族でもおったんやろか?」
「それだー!やだやだ会いたくないよ、めんどくさいよ、仁人どうにかして…」
「無理です。つべこべ言わず行きますよ」
本邸へ向かうなまえの足は非常に重く、太智の背中にしがみつきながら「助けてくれ」と懇願していたが笑って流されてしまう。なまえが逃げない様に仁人が目を光らせているのも事の重大さの現れに見えて、更になまえの表情は曇る。
そして駄々をこねながら連れて来られた先は、応接間でも親族会議室でもなく大広間だった。
「……逃げよ、太智」
「逃げれません」
走り出しそうななまえの手首を即座に掴んだ仁人は「では昨日の復習からです」と嫌がるなまえを無視して大広間に入る。
大きな振り子時計、窓際の古いグランドピアノ、幼い頃の家族の肖像画。
どれもあの頃のままそこにあった。
あの日のまま時が止まったみたいで、少しだけ息が詰まる。
「うわ、懐かし!俺も久しぶりに入ったわ!」
太智の明るい声が大広間で反響する。
「なまえも仁ちゃんも、ほら見て!この傷覚えとる!?」
「お前が旦那様の大切なカップを落とした時にできたやつだな」
「そういえばあの時の太智、この世の終わりみたいな顔してたよね」
「そらなるやろ!?やってしもた!ってめっちゃ焦ったんやから!!」
カップを落としてできた床の傷。
顔の様に見えた壁のシミ。
振り子時計の独特な軋む音。
グランドピアノの譜面台の端に残る欠けた跡。
この本邸には、彼らの思い出が数多く残っていた。
「ではお嬢様、始めますよ」
空気を切り替える様にパンッと一つ手を叩く。「太智、」と手招きして隣に並ばせる。太智も何が始まるのか分かっておらずキョトンとしたまま仁人を見た。
「まずはスタンダードなものを俺と太智がしてみせます」
「え!?俺も!?」
「ですのでお嬢様は俺の動きを見ていてください」
「えぇぇぇぇえ!?待ってよ吉田さん、今日はなまえのレッスンじゃん!?」
太智の言葉を無視して仁人は音楽を流す。そのまま手を取りステップを踏む。
惹きつけるダンスだった。
柔らかな表情は崩れず、指先まで神経が行き届いている。
力強さではなく流れる身のこなしに、思わず視線が奪われる。
どれも昨日のなまえにはないものだった。
瞬きを忘れて魅入ってしまうダンスに、なまえの劣等感はさらに増したかの様に見えた。
「――と、まあ、こんな感じです」
「それが出来たら苦労はしないんだよ」
「競技ダンスではありませんから、お嬢様ももう一度真剣に取り組めばすぐに出来る様になりますよ」
膝をついてなまえの手を取った。
その優しさに一瞬でも心を許したのが間違いだった。
「お嬢様、目線はもっと上です」
「そんなこと言ったって……!」
「踏み込みは合っています。目線は広く、優雅に」
「は、はい…!」
「守りに入らない」
「うぅ……」
「もっと塩﨑に体を預けて」
「……」
「太智は踏み出しが早い」
「え!ほんま!?」
「リードが曖昧だ」
「り、リード……」
「動きが自己完結してる」
「……」
「あー!もうダメ!」
先に音を上げたのはなまえだった。太智もその場に座り込み天井を仰ぐ。
「まだ疲れるには早いですよ」と慈悲のない仁人の言葉は、体力よりも先に頭の方が限界に達している二人の耳には届いていない。
仁人が次はどう指導するかと思考を巡らせていた時、ドアをノックする音がした。本邸のメイドが仁人に用があり訪ねて来たようだ。
「太智」
「俺も同じこと思ってた」
先程まではテコでも動かない様子をしていた二人だが、メイドと話し込む仁人を見てコソコソしだし悪戯な笑みを浮かべた。音を立てない様に慎重に歩き、ゆっくりと窓を開ける。だが、古い屋敷なので窓の開閉時のギィと鳴る音は隠せなかった。
「あ、お前ら!」
「やっば!」
「逃げるよ、太智!」
ここからの二人は早かった。
燕尾服と革靴、ワンピースとヒールと窓からの逃走には不向きな格好でもお構いなしな軽い身のこなし。ヒールを履いているなまえをきちんとサポートする太智。足元を気にせず真っ直ぐ前を見て走るなまえ。
「これをさっきのダンスでなんで出来ない!」
思わず素が出てしまった仁人は慌てて口元を手で覆う。後ろにいるメイドは驚くわけでもなく小さく笑った。仁人は遠くなる二人の後ろ姿を見て大きな溜息と共に眉を寄せ、窓枠に肘をつく。その横顔は哀愁漂うものだった。
「六年経っても、あの人は変わらないな」
◆ ◆
言葉は交わさずとも、二人の足は自然とローズガーデンへと向かっていた。幼い頃、三人でよく逃げ込んだガゼボ。
仁人に見つかるのも時間の問題だろうが、それでもなぜかここに来たかったのだ。
レディーファーストなど皆無でベンチに座った太智の横になまえも座る。
「惜しかったなぁ、バラが咲くんはもうちょい先やったな」
まだ硬い新芽が風に吹かれ小さく揺れている。幼い頃は生垣の向こうなど見えず、自分たちだけの隠れ家の様に感じていた。
あの頃より、世界が広い事を知ってしまった。
「咲き終わる前なら見られるって事でしょ?」
「そやで!楽しみやね!」
「……うん」
「、俺はな、勝手にここが俺らの秘密基地だと思ってたんよ。レッスン嫌やって半べそかいとるなまえを連れ出して、あの頃の俺はヒーローだったなぁ」
「半べそなんかかいてないし」
「いやいや、今にも泣きそうやったやん!こんな感じで!!」
オーバー過ぎる泣き顔を披露する太智になまえは思わず笑ってしまう。自分にはそんな記憶は一切ないのに、堂々と話を盛りながら当時の事を話され、一瞬そんな気もしてきたがなまえも太智の圧に負けずに否定を繰り返す。他愛のない会話が心地良かった。
「――ちなみにだが、嫌なレッスンの時にお嬢様は不貞腐れていて、半べそをかいていたのは太智だな」
背後から現れた仁人は当たり前の様になまえの横に座ると、すぐに前屈みになり、開いた膝に肘を乗せる。
「吉田さんも執事長に怒られてべそべそ泣いとったもんな」
「バカ言えお前」
仁人はなまえの後ろから手を伸ばし思いっきり太智の頭を叩く。その時になまえの肩に触れ距離が近くなっても誰も何も気にしない。
これが彼らの距離感だ。
太智がふざけ、なまえは眉を下げて笑い、仁人は豪快に笑う。立場を忘れて三人は思い出話に花を咲かせた。
一頻り当時を懐かしむと仁人がスッと立ち上がりなまえの手を引いてガーデンの中心にやってくる。
「逃げて終わり、という訳にはいきません」
跪くと仁人は続ける。
「もう一度、俺と踊ってください」
なまえは何も言わず手を取った。腕を組み背筋を伸ばす。
足の動きは合っている。背筋を伸ばし自信を持って、目線は広く。
仁人の様に指先にまで意識を集中させ、体を預ける。
これまでで一番の出来だった。
「キレイだな……」
その一言が思わず太智の口からこぼれ落ちた。
ピアノの演奏などいらない。
まだ若葉ばかりのガーデンでもしっかりと画になった。
「、どうだった?」
おずおずと仁人を見上げなまえは言った。
「――合格です」
仁人は小さく頷くと柔らかく微笑んだ。
心配して向かえば楽しそうな二人の笑い声。ただ俺は、泣きそうだったなまえがそこに行けば笑っていてくれるだけで安心した。
今日もそうだ。二人の笑い声が、まだ少し冷たい風に乗り俺を導く。
あの時と変わらない景色に俺は安堵した。
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「本日は本邸へと向かいます」
「い、嫌な予感しかしない……」
朝食を食べ終え自室で優雅なテータイムを嗜んでいたなまえは悲しげにカップを置いた。嫌な事は極力避けて生きてきたなまえでさえ、本邸への召喚命令には逆らえない。
「旦那様は今入院しとるし、呼ばれる用事なんかあったっけ?」
「昨日のパーティの件、勇斗が誰かにチクった?いけ好かない奴だけど、そんなみみっちい事する性格じゃなかったんだけどな……」
「そらそうやな。ほなあの会場に親族でもおったんやろか?」
「それだー!やだやだ会いたくないよ、めんどくさいよ、仁人どうにかして…」
「無理です。つべこべ言わず行きますよ」
本邸へ向かうなまえの足は非常に重く、太智の背中にしがみつきながら「助けてくれ」と懇願していたが笑って流されてしまう。なまえが逃げない様に仁人が目を光らせているのも事の重大さの現れに見えて、更になまえの表情は曇る。
そして駄々をこねながら連れて来られた先は、応接間でも親族会議室でもなく大広間だった。
「……逃げよ、太智」
「逃げれません」
走り出しそうななまえの手首を即座に掴んだ仁人は「では昨日の復習からです」と嫌がるなまえを無視して大広間に入る。
大きな振り子時計、窓際の古いグランドピアノ、幼い頃の家族の肖像画。
どれもあの頃のままそこにあった。
あの日のまま時が止まったみたいで、少しだけ息が詰まる。
「うわ、懐かし!俺も久しぶりに入ったわ!」
太智の明るい声が大広間で反響する。
「なまえも仁ちゃんも、ほら見て!この傷覚えとる!?」
「お前が旦那様の大切なカップを落とした時にできたやつだな」
「そういえばあの時の太智、この世の終わりみたいな顔してたよね」
「そらなるやろ!?やってしもた!ってめっちゃ焦ったんやから!!」
カップを落としてできた床の傷。
顔の様に見えた壁のシミ。
振り子時計の独特な軋む音。
グランドピアノの譜面台の端に残る欠けた跡。
この本邸には、彼らの思い出が数多く残っていた。
「ではお嬢様、始めますよ」
空気を切り替える様にパンッと一つ手を叩く。「太智、」と手招きして隣に並ばせる。太智も何が始まるのか分かっておらずキョトンとしたまま仁人を見た。
「まずはスタンダードなものを俺と太智がしてみせます」
「え!?俺も!?」
「ですのでお嬢様は俺の動きを見ていてください」
「えぇぇぇぇえ!?待ってよ吉田さん、今日はなまえのレッスンじゃん!?」
太智の言葉を無視して仁人は音楽を流す。そのまま手を取りステップを踏む。
惹きつけるダンスだった。
柔らかな表情は崩れず、指先まで神経が行き届いている。
力強さではなく流れる身のこなしに、思わず視線が奪われる。
どれも昨日のなまえにはないものだった。
瞬きを忘れて魅入ってしまうダンスに、なまえの劣等感はさらに増したかの様に見えた。
「――と、まあ、こんな感じです」
「それが出来たら苦労はしないんだよ」
「競技ダンスではありませんから、お嬢様ももう一度真剣に取り組めばすぐに出来る様になりますよ」
膝をついてなまえの手を取った。
その優しさに一瞬でも心を許したのが間違いだった。
「お嬢様、目線はもっと上です」
「そんなこと言ったって……!」
「踏み込みは合っています。目線は広く、優雅に」
「は、はい…!」
「守りに入らない」
「うぅ……」
「もっと塩﨑に体を預けて」
「……」
「太智は踏み出しが早い」
「え!ほんま!?」
「リードが曖昧だ」
「り、リード……」
「動きが自己完結してる」
「……」
「あー!もうダメ!」
先に音を上げたのはなまえだった。太智もその場に座り込み天井を仰ぐ。
「まだ疲れるには早いですよ」と慈悲のない仁人の言葉は、体力よりも先に頭の方が限界に達している二人の耳には届いていない。
仁人が次はどう指導するかと思考を巡らせていた時、ドアをノックする音がした。本邸のメイドが仁人に用があり訪ねて来たようだ。
「太智」
「俺も同じこと思ってた」
先程まではテコでも動かない様子をしていた二人だが、メイドと話し込む仁人を見てコソコソしだし悪戯な笑みを浮かべた。音を立てない様に慎重に歩き、ゆっくりと窓を開ける。だが、古い屋敷なので窓の開閉時のギィと鳴る音は隠せなかった。
「あ、お前ら!」
「やっば!」
「逃げるよ、太智!」
ここからの二人は早かった。
燕尾服と革靴、ワンピースとヒールと窓からの逃走には不向きな格好でもお構いなしな軽い身のこなし。ヒールを履いているなまえをきちんとサポートする太智。足元を気にせず真っ直ぐ前を見て走るなまえ。
「これをさっきのダンスでなんで出来ない!」
思わず素が出てしまった仁人は慌てて口元を手で覆う。後ろにいるメイドは驚くわけでもなく小さく笑った。仁人は遠くなる二人の後ろ姿を見て大きな溜息と共に眉を寄せ、窓枠に肘をつく。その横顔は哀愁漂うものだった。
「六年経っても、あの人は変わらないな」
◆ ◆
言葉は交わさずとも、二人の足は自然とローズガーデンへと向かっていた。幼い頃、三人でよく逃げ込んだガゼボ。
仁人に見つかるのも時間の問題だろうが、それでもなぜかここに来たかったのだ。
レディーファーストなど皆無でベンチに座った太智の横になまえも座る。
「惜しかったなぁ、バラが咲くんはもうちょい先やったな」
まだ硬い新芽が風に吹かれ小さく揺れている。幼い頃は生垣の向こうなど見えず、自分たちだけの隠れ家の様に感じていた。
あの頃より、世界が広い事を知ってしまった。
「咲き終わる前なら見られるって事でしょ?」
「そやで!楽しみやね!」
「……うん」
「、俺はな、勝手にここが俺らの秘密基地だと思ってたんよ。レッスン嫌やって半べそかいとるなまえを連れ出して、あの頃の俺はヒーローだったなぁ」
「半べそなんかかいてないし」
「いやいや、今にも泣きそうやったやん!こんな感じで!!」
オーバー過ぎる泣き顔を披露する太智になまえは思わず笑ってしまう。自分にはそんな記憶は一切ないのに、堂々と話を盛りながら当時の事を話され、一瞬そんな気もしてきたがなまえも太智の圧に負けずに否定を繰り返す。他愛のない会話が心地良かった。
「――ちなみにだが、嫌なレッスンの時にお嬢様は不貞腐れていて、半べそをかいていたのは太智だな」
背後から現れた仁人は当たり前の様になまえの横に座ると、すぐに前屈みになり、開いた膝に肘を乗せる。
「吉田さんも執事長に怒られてべそべそ泣いとったもんな」
「バカ言えお前」
仁人はなまえの後ろから手を伸ばし思いっきり太智の頭を叩く。その時になまえの肩に触れ距離が近くなっても誰も何も気にしない。
これが彼らの距離感だ。
太智がふざけ、なまえは眉を下げて笑い、仁人は豪快に笑う。立場を忘れて三人は思い出話に花を咲かせた。
一頻り当時を懐かしむと仁人がスッと立ち上がりなまえの手を引いてガーデンの中心にやってくる。
「逃げて終わり、という訳にはいきません」
跪くと仁人は続ける。
「もう一度、俺と踊ってください」
なまえは何も言わず手を取った。腕を組み背筋を伸ばす。
足の動きは合っている。背筋を伸ばし自信を持って、目線は広く。
仁人の様に指先にまで意識を集中させ、体を預ける。
これまでで一番の出来だった。
「キレイだな……」
その一言が思わず太智の口からこぼれ落ちた。
ピアノの演奏などいらない。
まだ若葉ばかりのガーデンでもしっかりと画になった。
「、どうだった?」
おずおずと仁人を見上げなまえは言った。
「――合格です」
仁人は小さく頷くと柔らかく微笑んだ。