15:たとえ遠く離れても
ヒロイン
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――今回は立場逆転だね。
明るく快活な声が聞こえる。
――あとで、手紙読んで。
最後に聞こえたのは、少し寂しそうな声だった。
堕ちていた暗闇の底から重たい泥をかき分けるようにして、意識がゆっくりと明るい場所に戻った感覚とともにレノは目を覚ました。頭も身体も気怠かった。起き上がるのすら億劫で、レノはぼんやりとそのまま天井を見つめた。
独特の匂いからここが病院であることはわかったが、なぜここにいるのかは曖昧だった。あの男がいるだろう倉庫に踏み込んだのは覚えている。しかし、その後の記憶ははっきりしない。ヒロインに会ったような気もするが、あれは夢だったのだろうか。
「起きたか」
人の気配がない方向から聞こえてきた声に反応し、レノはゆっくりと顔だけそちらに向けた。ベッドからやや離れた位置に置かれた椅子に座る男が見えた。病室の窓側に座っているせいで逆光になっていたが、すぐに誰なのかわかった。
「何だ、ルードかよ」
「ご挨拶だな。調子はどうだ?」
「病院にいるんだ。いいわけないだろ」
ルードが肩を竦めたのが見えた。
「…ヒロインからの手紙を預かっている」
「手紙?」
レノは訝しみつつも、ルードが差し出す手紙の方に手を伸ばそうとした。が、まるで重りでもぶら下げているように腕が重く、腕が上がらなかった。レノが悪態をつくより早く、ルードがレノの顔の横に手紙を置いた。手紙はあとでゆっくり読むことにして、レノは気になっていることを口にした。
「ヒロインは…無事なのか?」
「無事は無事なんだが…」
歯切れの悪いルードの言葉にレノは眉根を寄せた。
「何があった?」
しばし逡巡したのち、ルードが諦めたように溜息をつき、起こったことを話し始めた。ルードの話はレノの記憶を刺激し、倉庫に踏み込んだあとの出来事もやや断片的ではあったが蘇った。ヒロインが助けに来てくれたことも、今の思いを伝えてくれたことも。それを思い出すと、なおさらヒロインに会いたい思いが募る。あのとき、きちんとヒロインの思いに応えられたのだろうか。一番大事な部分が欠けているのがもどかしい。思い出せないことがわずかであってもこれだけ焦燥に駆られるのだ。10年もの記憶を失ったヒロインは、レノとは比べ物にならないぐらい苛立ちや不安を抱えていたに違いない。あの任務の前日にレノを拒絶したヒロインを思い出しながら、レノは布団の中で拳をきつく握りしめた。
「今回の件がタークスと副社長の手柄になるのを快く思わない奴らの物言いのせいだ。ヒロインが今、ここにいないのは」
聞き取り調査という名目で呼び出されたルーファウスを待っていたのは、社長派の古参役員たちからの小言だった。今回の急ごしらえの作戦を副社長権限で強引に推し進めたのが気に入らなかったらしい。流石に副社長という立場にあるルーファウスを真正面から非難する者はいなかったが、ルーファウスが見せた隙をここぞとばかりにつついてくるのは、煩わしいことこの上ない。今回の作戦の成果を自分たちの手柄にしてはどうかと提案もしたが、それだけでは満足しなかった一人が言った。
「今回はタークスの救出も兼ねていただろう?本来の方針とは真逆だと思うが、まさか私情で作戦を決めたわけではないだろうね?タークスの救出といえば以前も――」
目の前に座る初老の男がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたのを見て、ルーファウスは苦々しく思いつつも彼らの提案を飲まざるを得なかった。彼らが蒸し返そうとしていたのは、数年前のヒロイン救出の作戦だったからだ。
「現在、私の作戦の人手が不足していてね。君の護衛についているタークスをこっちの作戦に回してくれ」
この絶好の機会にルーファウスの力を削いでおきたいという古参役員たちの思惑通りになるのは癪に障ったが、ルーファウスは怒りを内に収め、今日この件に賛同した役員たちの顔をしっかりと記憶に焼き付けた。遠くない未来に排除してやろうという固い決意とともに。
「…オレのせいか?」
「そう言うだろうとヒロインも言っていた。手紙を読めともな」
ルードはそう言い残して病室を出ていった。時間が少し経ったことで重かった腕も少しは動くようになっており、レノはゆっくりと手紙に手を伸ばした。
手紙と言うには簡素なレポート用紙が折りたたまれただけのそれ。そんなところもヒロインらしさが現れていた。彼女は、可愛らしい便箋を用意し、丁寧に封をした封書を渡すようなタイプではないことは確かだ。レノは少し口元を緩ませ、折りたたまれた手紙を開いた。
手紙には丁寧な字で先程ルードが説明したことがもっと簡潔に書かれていた。諸々の事情で遠くの任務に就くと言われても、ルードの話がなければなんのことだかわからなかっただろう。字とは真逆の雑さもヒロインらしい。
――弟分を守るのは、姉である私の役目。私が決めたことだから。
――とにかく、レノのせいじゃないからね。
――でも、少し、寂しいな。
――いつ戻れるかわからないけど、もし戻れたら…
その後は乱暴にペンで塗りつぶされていた。そして、最後にはこう書かれていた。
――レノに好きな人ができたら、その人のことを大切にしてあげてね。
「ヒロインの他に、できるわけないだろ…」
こんなことになるなら、『好き』だとヒロインに伝えたらよかった。その機会は何度もあったはずなのに。どこか遠くにいるだろうヒロインを想い、レノは窓の外に目を向けた。
それからいくつかの季節が始まっては終わり、ヒロインは無事なのか、元気なのか――それすら知らされることなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
To be continued...
2022/12/22
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明るく快活な声が聞こえる。
――あとで、手紙読んで。
最後に聞こえたのは、少し寂しそうな声だった。
堕ちていた暗闇の底から重たい泥をかき分けるようにして、意識がゆっくりと明るい場所に戻った感覚とともにレノは目を覚ました。頭も身体も気怠かった。起き上がるのすら億劫で、レノはぼんやりとそのまま天井を見つめた。
独特の匂いからここが病院であることはわかったが、なぜここにいるのかは曖昧だった。あの男がいるだろう倉庫に踏み込んだのは覚えている。しかし、その後の記憶ははっきりしない。ヒロインに会ったような気もするが、あれは夢だったのだろうか。
「起きたか」
人の気配がない方向から聞こえてきた声に反応し、レノはゆっくりと顔だけそちらに向けた。ベッドからやや離れた位置に置かれた椅子に座る男が見えた。病室の窓側に座っているせいで逆光になっていたが、すぐに誰なのかわかった。
「何だ、ルードかよ」
「ご挨拶だな。調子はどうだ?」
「病院にいるんだ。いいわけないだろ」
ルードが肩を竦めたのが見えた。
「…ヒロインからの手紙を預かっている」
「手紙?」
レノは訝しみつつも、ルードが差し出す手紙の方に手を伸ばそうとした。が、まるで重りでもぶら下げているように腕が重く、腕が上がらなかった。レノが悪態をつくより早く、ルードがレノの顔の横に手紙を置いた。手紙はあとでゆっくり読むことにして、レノは気になっていることを口にした。
「ヒロインは…無事なのか?」
「無事は無事なんだが…」
歯切れの悪いルードの言葉にレノは眉根を寄せた。
「何があった?」
しばし逡巡したのち、ルードが諦めたように溜息をつき、起こったことを話し始めた。ルードの話はレノの記憶を刺激し、倉庫に踏み込んだあとの出来事もやや断片的ではあったが蘇った。ヒロインが助けに来てくれたことも、今の思いを伝えてくれたことも。それを思い出すと、なおさらヒロインに会いたい思いが募る。あのとき、きちんとヒロインの思いに応えられたのだろうか。一番大事な部分が欠けているのがもどかしい。思い出せないことがわずかであってもこれだけ焦燥に駆られるのだ。10年もの記憶を失ったヒロインは、レノとは比べ物にならないぐらい苛立ちや不安を抱えていたに違いない。あの任務の前日にレノを拒絶したヒロインを思い出しながら、レノは布団の中で拳をきつく握りしめた。
「今回の件がタークスと副社長の手柄になるのを快く思わない奴らの物言いのせいだ。ヒロインが今、ここにいないのは」
聞き取り調査という名目で呼び出されたルーファウスを待っていたのは、社長派の古参役員たちからの小言だった。今回の急ごしらえの作戦を副社長権限で強引に推し進めたのが気に入らなかったらしい。流石に副社長という立場にあるルーファウスを真正面から非難する者はいなかったが、ルーファウスが見せた隙をここぞとばかりにつついてくるのは、煩わしいことこの上ない。今回の作戦の成果を自分たちの手柄にしてはどうかと提案もしたが、それだけでは満足しなかった一人が言った。
「今回はタークスの救出も兼ねていただろう?本来の方針とは真逆だと思うが、まさか私情で作戦を決めたわけではないだろうね?タークスの救出といえば以前も――」
目の前に座る初老の男がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたのを見て、ルーファウスは苦々しく思いつつも彼らの提案を飲まざるを得なかった。彼らが蒸し返そうとしていたのは、数年前のヒロイン救出の作戦だったからだ。
「現在、私の作戦の人手が不足していてね。君の護衛についているタークスをこっちの作戦に回してくれ」
この絶好の機会にルーファウスの力を削いでおきたいという古参役員たちの思惑通りになるのは癪に障ったが、ルーファウスは怒りを内に収め、今日この件に賛同した役員たちの顔をしっかりと記憶に焼き付けた。遠くない未来に排除してやろうという固い決意とともに。
「…オレのせいか?」
「そう言うだろうとヒロインも言っていた。手紙を読めともな」
ルードはそう言い残して病室を出ていった。時間が少し経ったことで重かった腕も少しは動くようになっており、レノはゆっくりと手紙に手を伸ばした。
手紙と言うには簡素なレポート用紙が折りたたまれただけのそれ。そんなところもヒロインらしさが現れていた。彼女は、可愛らしい便箋を用意し、丁寧に封をした封書を渡すようなタイプではないことは確かだ。レノは少し口元を緩ませ、折りたたまれた手紙を開いた。
手紙には丁寧な字で先程ルードが説明したことがもっと簡潔に書かれていた。諸々の事情で遠くの任務に就くと言われても、ルードの話がなければなんのことだかわからなかっただろう。字とは真逆の雑さもヒロインらしい。
――弟分を守るのは、姉である私の役目。私が決めたことだから。
――とにかく、レノのせいじゃないからね。
――でも、少し、寂しいな。
――いつ戻れるかわからないけど、もし戻れたら…
その後は乱暴にペンで塗りつぶされていた。そして、最後にはこう書かれていた。
――レノに好きな人ができたら、その人のことを大切にしてあげてね。
「ヒロインの他に、できるわけないだろ…」
こんなことになるなら、『好き』だとヒロインに伝えたらよかった。その機会は何度もあったはずなのに。どこか遠くにいるだろうヒロインを想い、レノは窓の外に目を向けた。
それからいくつかの季節が始まっては終わり、ヒロインは無事なのか、元気なのか――それすら知らされることなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
To be continued...
2022/12/22
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