右手の鋭い痛みがヒロインの意識と体の感覚を現実に引き戻した。
　ちらりと目をやった右掌は、砕けたガラス片がいくつか食い込んでいる。これを使わない手はない。

「俺、ヒロインちゃんのこと気になってたんだよね」

　マスターがゆっくりと顔を近づけてきた。
　ヒロインはにこりと笑い、両手をマスターの顔に添えた。そして、これでもかとばかりに手のひらを顔に押し付けた。

「ぎゃあああああ」

　マスターが悲鳴を上げてのけぞった。
　ヒロインは自分の上にまたがっていたマスターの体を思い切り押した。
　マスターは床に転げ落ちると、再び悲鳴を上げた。散らばった破片が背中にでも刺さったのだろう。血まみれの左頬を押さえ、のたうち回っている。
　ヒロインはゆっくりとソファから起き上がると、冷たい笑みを浮かべて床に転がる男を見下ろした。

「男前の顔になったじゃん」

「てめえ…頭イカれてんのか！」

　マスターの視線がヒロインの右手に向かう。

「イカれてるからタークスやってんの」

　ヒロインは満面の笑みを浮かべ、血まみれの右掌をひらひらと振ってみせた。

「さて、ちょっと聞きたいことあるんだけどさ」

　ほんの一瞬。
　床にちらばった靴を拾おうと、マスターから視線を逸らした瞬間だった。
　頭に強い衝撃を受け、ヒロインはその場に倒れ込んだ。

「っ…」

　長い髪を伝って、赤い液体が床に染みを作っている。
　その回りには、ワインボトルと思しきガラス片が散らばっていた。
　ヒロインは大きく目を見開き、頭を振った。
　目の前がチカチカする。

「いい女だと思ったのになぁ」

　マスターの声が頭上から降ってくる。
　サッカーボールを蹴るかのように後ろに振り上げられた足が振り下ろされ、ヒロインの脇腹に刺さった。

「残念だけど、ヒロインちゃんも殺しちゃおう」

　マスターがどこから取り出したのか、ナイフを片手に近づいてくる。

（イカれてんのはどっちだよ…！）

　『ヒロインちゃんも』。
　もうマスターが犯人で間違いないだろう。

　ヒロインは今度は左手でガラス片を持ち、マスターの脚にそれを思い切り突き刺した。

「この…！」

　マスターが血走った目でヒロインを睨む。
　ナイフが振り上げられる。
　ヒロインは間一髪、床を転がり凶刃を避けた。



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