夢小説 狗巻棘
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
side:N
護衛対象の令嬢から抱いてほしいと言われた。物理的に無理なので断る。彼女は泣いた。普通に泣かれるだけでもきついのに、それがまたほろほろと涙をこぼす系の泣きだったから参る。柱の大時計を確認すると任務終了まであと1時間を切っていた。終了後は依頼人、つまり目の前の令嬢の父親との会食が待ち構えている。扉の向こうの廊下では女中がせわしなく行き交いしており、トンズラをこくのも難しい。そもそも立場的に無理だが。背中に嫌な汗がつたった。
状況を整理する。というか言い訳を用意したい。護衛中暇だったのと、女の子が口ついてんのかよってレベルで大人しかったんで話しかけまくったのはたぶん私が良くなかった。でも不可抗力の部分もあるのだ。依頼人からの要望で今の私は男装している。経緯を整理するとこうだ。
①政界の期待の新星である依頼主は昇進前に各重役に挨拶回りに行きたい。
②顔見せも兼ねて挨拶回りには家族もとい娘も連れ回す必要がある。
③舐められないためにも腕っ節のあるガタイのいい男をガードにつけたい、しかし大事な一人娘に妙な奴は近づけたくない。
④でかい女に男装させよう!
という流れである。依頼人は呪術界での敵も多いようで、普段表に出ない娘を連れ歩くとなれば呪詛師の襲撃にも注意したい、と高専に依頼したらしい。経由はともかく④はやり手の政治家が考えたとは思えない内容だが、身内が絡めば冷静な判断がつかなくなるのだろう。金回りがよくコネができ、アキレス腱も分かりやすい。高専からすると良い客だ。そんな訳で私は黒スーツで護衛に入った。終わってみれば襲撃なんて大そうなものはなかった。ひとりふたりパーティ席に忍び込んできたやつはいたが、それくらいだ。時期的に呪詛師も確定申告とかで忙しいのかもしれない。
だからここまでは基本的な警備と令嬢の相手をするだけの楽な任務だった。無事昇進の祝いも終わり、ホテルの宴席から自室まで令嬢を送り届けることもできた。残す仕事は後任への引き継ぎと依頼人のもてなしを受けるのみ。高い酒への期待を膨らませていた矢先にこれである。
令嬢は咳払いをして、つらつらと述べた。彼女が言うには、今回の重役との顔合わせは自分の嫁ぎ先の検討の意味もあるのだという。(言われてみれば何度か見合いじみた席があった)婚姻後は本格的に自由が効かなくなるので、その前に思い出をいただけませんか。金刺繍が織り込まれた着物の袖で、つつましく口元を押さえながら彼女は言った。嫁入り前の「思い出」相手に雇われボディガードを選ぶのが理解に苦しむところだが、上流階級なりの気苦労があるのだろう。しかし無理なものは無理だ。
性別詐称を明かすことと滞りなく任務を完遂することを天秤にかけ、婚約者がいる設定にした。令嬢は押し黙り、じゃあせめて私をその方だと思って口付けてください、と目を伏せた。恐れ多いことです、と固辞するが伏せられた瞳は動かない。その間も時計の針は刻々と進み続けている。性行為と比べるとハードルが下がったのも事実だった。
令嬢が腰掛ける椅子に手をつける。椅子は軋み、それだけのことで彼女は震えた。不憫に思い、頬に口付けると椅子についた手に爪が立てられる。大人しく口を重ねた。やがて枝のような腕が私の首に回り、深いものを要求される。子犬のように震える舌は後輩のそれと少し似ている。
Side:R
昔から、気持ちが昂ると周りの物がよく動く。ポルターガイストや、超能力と呼ばれるものに似ている。先先代では家ひとつ動かす方もいたらしい。だから私の力は気にするほどのものではないのだ、と死に際に曽祖母は語った。建物を浮かせるほどの力に比べれば、机や花瓶が倒れるくらいは確かに微々たるものだろう。けれど引っ込み思案な私が周囲から孤立するには充分な理由だった。両親が過保護になるのは自然な流れだと思う。彼らは私に不満がないか尋ね、欲しいものがないかを聞き、何も返答がないことに寂しい顔をしては、一人娘に高価なものを買い与えた。玩具や服や楽器に本、きらびやかな装飾品と、気持ちをまぎらわす小さな生き物。両親は金を稼ぐことに秀でていて、それを使うことを惜しまなかった。愛してくれていることくらい分かっていた。笑えないのは彼らの育て方のせいではない。まともに人と関われないのも、私の心と振る舞いの問題だ。
高校卒業を間近に父の昇進が決まった。飽きっぽく、思いついては様々な事業に手を出す人ではあったけれど、進むべき道を見つけたようだった。同時に縁談をそれとなく仄めかすようになった。何の取り柄のない自分でも、生まれ持った性別がある。尽くしてくれた彼らと、彼らが築いた家のためにできることがあるのなら、それを選ばない理由はない。
昇進が確定するまでのボディガードを指定したのは気まぐれだ。指定といっても3人の候補者の書類から目に留まった人物を指さしただけにすぎない。軽薄そうな顔つきをしたその人は、顔の印象通り遭遇したことのないタイプだった。人を正面から見据えて話をする人だった。私から視線をずらすわけでもなく、下に見るわけでもなかった。基本的に丁寧だが時々飛び出る大雑把な口調も印象深かった。彼と接すると感じたことのない気持ちになる。そわそわと落ち着かないのに、ずっと続いても構わないと思える不思議な気持ち。
物を動かすという、奇妙な力を見ても彼は何食わぬ顔をしていた。事前に両親から情報を得ていたのかもしれない。
車に乗り込む際に側溝で足を踏み外し、とっさに私を支えてくれた時だった。タイヤが大きな音を立ててパンクした。最悪だった。タイヤ交換の間、縮こまる私を面白いもののように彼は横目で眺めて話す。
「同期で似たような奴がいます」
「車のタイヤをパンクさせるんですか」
「そういうのじゃなく。人に近寄ると考えてることが分かる? 的な。物でもいいんだけど。サトリ? 的な」
「サイコメトラー?」
「お詳しいですね」
「本で読みました」
「本で読んだだけでよく信じますね。自分で言うのもなんだけど、結構やばいこと言ってますよ」
「車のタイヤをパンクさせるやばい人なので信じます」
「気にしすぎウケる。こんなの大したことないのに」
「…………」
「えっ、怒っていらっしゃる?」
「怒っていません」
「どうみても怒っていらっしゃる」
「自分が情けないだけです。怒ってない」
「でも眉間にシワを寄せていらっしゃる」
「しつこい!」
怒鳴ったと同時に飲んでいた缶ジュースが潰れた。彼は笑った。徒歩で帰ろうと思った。待って待ってごめんなさい、と後ろから追いかけられる。何かを言い返したくてきつい口調で反論した。
「物を動かすのと気持ちが分かるのとでは、少しも似ていません」
「まあ術式……力の内容は違いますよね」
「じゃあ何が似ているんですか?」
「全然大したことない失敗なのに、この世の終わりみたいな顔するとこ」
岩を飛ばしてやろうかと思った。
「今みたいに定期的にガス抜きしたら、ひどいことは起こらないと思います」
後頭部のたんこぶをさすりながら、帰りの運転席で彼は言った。気持ちを溜め込むのは良くないので、と語る彼に、そうかもしれませんね、と返す。事実すっきりした気持ちだった。けどそれを意識的に表に出さないようにして、過ぎていく景色を頬杖をついて眺めた。まだ怒ってるの? というような、困ったものを見るような目がバックミラー越しにこちらを伺っていたけど、無視した。
彼の前ではつんとした態度を取っても許してくれるだろうという余裕があった。からかわれてもどこか心地が良くて、お返しにどう困らせてやろうかとすら考えていた。
最後の夜にとんでもないことをお願いをしたのも、本気ではなかった。無茶なことを言って困らせたかっただけだ。困らせて駄々をこねて、その人を少しでも長く引き留めたかった。婚約者がいると聞かされた時は裏切られた気分だった。そう思った自分が恥ずかしかった。
「じゃあせめて私をその方だと思って口付けてください」
突き動かされる衝動のまま、私の口はみっともなく恥を上塗る。
この世でもっともやわらかいものが口に触れ、私の唇を食み、舌の中央を円をかくようになぞり、離れた。大きな手が私の口横を撫でる。
彼が触れるその場所には傷がある。中学の頃、教室の窓ガラスが砕けた時についたものだ。撫でる手は優しかった。それでも私の顔を正面から見てくれるこの人はじきにいなくなるのだ。私は決壊した。
「好きでもない方に触られたくありません。おかしくないのに笑えない。でもそれでは生きていけないから、だから結婚します。したくなくてもするんです。大したことなくても、私は失敗するのが怖いから。弱くて1人じゃ何もできないから。するしかないから。私には怖いものばかりだから」
首にしがみつきながら泣いた。止まらなかった。
「その気持ちを大切になさってください」
たったの3択だけど私が選んだ人だった。
護衛対象の令嬢から抱いてほしいと言われた。物理的に無理なので断る。彼女は泣いた。普通に泣かれるだけでもきついのに、それがまたほろほろと涙をこぼす系の泣きだったから参る。柱の大時計を確認すると任務終了まであと1時間を切っていた。終了後は依頼人、つまり目の前の令嬢の父親との会食が待ち構えている。扉の向こうの廊下では女中がせわしなく行き交いしており、トンズラをこくのも難しい。そもそも立場的に無理だが。背中に嫌な汗がつたった。
状況を整理する。というか言い訳を用意したい。護衛中暇だったのと、女の子が口ついてんのかよってレベルで大人しかったんで話しかけまくったのはたぶん私が良くなかった。でも不可抗力の部分もあるのだ。依頼人からの要望で今の私は男装している。経緯を整理するとこうだ。
①政界の期待の新星である依頼主は昇進前に各重役に挨拶回りに行きたい。
②顔見せも兼ねて挨拶回りには家族もとい娘も連れ回す必要がある。
③舐められないためにも腕っ節のあるガタイのいい男をガードにつけたい、しかし大事な一人娘に妙な奴は近づけたくない。
④でかい女に男装させよう!
という流れである。依頼人は呪術界での敵も多いようで、普段表に出ない娘を連れ歩くとなれば呪詛師の襲撃にも注意したい、と高専に依頼したらしい。経由はともかく④はやり手の政治家が考えたとは思えない内容だが、身内が絡めば冷静な判断がつかなくなるのだろう。金回りがよくコネができ、アキレス腱も分かりやすい。高専からすると良い客だ。そんな訳で私は黒スーツで護衛に入った。終わってみれば襲撃なんて大そうなものはなかった。ひとりふたりパーティ席に忍び込んできたやつはいたが、それくらいだ。時期的に呪詛師も確定申告とかで忙しいのかもしれない。
だからここまでは基本的な警備と令嬢の相手をするだけの楽な任務だった。無事昇進の祝いも終わり、ホテルの宴席から自室まで令嬢を送り届けることもできた。残す仕事は後任への引き継ぎと依頼人のもてなしを受けるのみ。高い酒への期待を膨らませていた矢先にこれである。
令嬢は咳払いをして、つらつらと述べた。彼女が言うには、今回の重役との顔合わせは自分の嫁ぎ先の検討の意味もあるのだという。(言われてみれば何度か見合いじみた席があった)婚姻後は本格的に自由が効かなくなるので、その前に思い出をいただけませんか。金刺繍が織り込まれた着物の袖で、つつましく口元を押さえながら彼女は言った。嫁入り前の「思い出」相手に雇われボディガードを選ぶのが理解に苦しむところだが、上流階級なりの気苦労があるのだろう。しかし無理なものは無理だ。
性別詐称を明かすことと滞りなく任務を完遂することを天秤にかけ、婚約者がいる設定にした。令嬢は押し黙り、じゃあせめて私をその方だと思って口付けてください、と目を伏せた。恐れ多いことです、と固辞するが伏せられた瞳は動かない。その間も時計の針は刻々と進み続けている。性行為と比べるとハードルが下がったのも事実だった。
令嬢が腰掛ける椅子に手をつける。椅子は軋み、それだけのことで彼女は震えた。不憫に思い、頬に口付けると椅子についた手に爪が立てられる。大人しく口を重ねた。やがて枝のような腕が私の首に回り、深いものを要求される。子犬のように震える舌は後輩のそれと少し似ている。
Side:R
昔から、気持ちが昂ると周りの物がよく動く。ポルターガイストや、超能力と呼ばれるものに似ている。先先代では家ひとつ動かす方もいたらしい。だから私の力は気にするほどのものではないのだ、と死に際に曽祖母は語った。建物を浮かせるほどの力に比べれば、机や花瓶が倒れるくらいは確かに微々たるものだろう。けれど引っ込み思案な私が周囲から孤立するには充分な理由だった。両親が過保護になるのは自然な流れだと思う。彼らは私に不満がないか尋ね、欲しいものがないかを聞き、何も返答がないことに寂しい顔をしては、一人娘に高価なものを買い与えた。玩具や服や楽器に本、きらびやかな装飾品と、気持ちをまぎらわす小さな生き物。両親は金を稼ぐことに秀でていて、それを使うことを惜しまなかった。愛してくれていることくらい分かっていた。笑えないのは彼らの育て方のせいではない。まともに人と関われないのも、私の心と振る舞いの問題だ。
高校卒業を間近に父の昇進が決まった。飽きっぽく、思いついては様々な事業に手を出す人ではあったけれど、進むべき道を見つけたようだった。同時に縁談をそれとなく仄めかすようになった。何の取り柄のない自分でも、生まれ持った性別がある。尽くしてくれた彼らと、彼らが築いた家のためにできることがあるのなら、それを選ばない理由はない。
昇進が確定するまでのボディガードを指定したのは気まぐれだ。指定といっても3人の候補者の書類から目に留まった人物を指さしただけにすぎない。軽薄そうな顔つきをしたその人は、顔の印象通り遭遇したことのないタイプだった。人を正面から見据えて話をする人だった。私から視線をずらすわけでもなく、下に見るわけでもなかった。基本的に丁寧だが時々飛び出る大雑把な口調も印象深かった。彼と接すると感じたことのない気持ちになる。そわそわと落ち着かないのに、ずっと続いても構わないと思える不思議な気持ち。
物を動かすという、奇妙な力を見ても彼は何食わぬ顔をしていた。事前に両親から情報を得ていたのかもしれない。
車に乗り込む際に側溝で足を踏み外し、とっさに私を支えてくれた時だった。タイヤが大きな音を立ててパンクした。最悪だった。タイヤ交換の間、縮こまる私を面白いもののように彼は横目で眺めて話す。
「同期で似たような奴がいます」
「車のタイヤをパンクさせるんですか」
「そういうのじゃなく。人に近寄ると考えてることが分かる? 的な。物でもいいんだけど。サトリ? 的な」
「サイコメトラー?」
「お詳しいですね」
「本で読みました」
「本で読んだだけでよく信じますね。自分で言うのもなんだけど、結構やばいこと言ってますよ」
「車のタイヤをパンクさせるやばい人なので信じます」
「気にしすぎウケる。こんなの大したことないのに」
「…………」
「えっ、怒っていらっしゃる?」
「怒っていません」
「どうみても怒っていらっしゃる」
「自分が情けないだけです。怒ってない」
「でも眉間にシワを寄せていらっしゃる」
「しつこい!」
怒鳴ったと同時に飲んでいた缶ジュースが潰れた。彼は笑った。徒歩で帰ろうと思った。待って待ってごめんなさい、と後ろから追いかけられる。何かを言い返したくてきつい口調で反論した。
「物を動かすのと気持ちが分かるのとでは、少しも似ていません」
「まあ術式……力の内容は違いますよね」
「じゃあ何が似ているんですか?」
「全然大したことない失敗なのに、この世の終わりみたいな顔するとこ」
岩を飛ばしてやろうかと思った。
「今みたいに定期的にガス抜きしたら、ひどいことは起こらないと思います」
後頭部のたんこぶをさすりながら、帰りの運転席で彼は言った。気持ちを溜め込むのは良くないので、と語る彼に、そうかもしれませんね、と返す。事実すっきりした気持ちだった。けどそれを意識的に表に出さないようにして、過ぎていく景色を頬杖をついて眺めた。まだ怒ってるの? というような、困ったものを見るような目がバックミラー越しにこちらを伺っていたけど、無視した。
彼の前ではつんとした態度を取っても許してくれるだろうという余裕があった。からかわれてもどこか心地が良くて、お返しにどう困らせてやろうかとすら考えていた。
最後の夜にとんでもないことをお願いをしたのも、本気ではなかった。無茶なことを言って困らせたかっただけだ。困らせて駄々をこねて、その人を少しでも長く引き留めたかった。婚約者がいると聞かされた時は裏切られた気分だった。そう思った自分が恥ずかしかった。
「じゃあせめて私をその方だと思って口付けてください」
突き動かされる衝動のまま、私の口はみっともなく恥を上塗る。
この世でもっともやわらかいものが口に触れ、私の唇を食み、舌の中央を円をかくようになぞり、離れた。大きな手が私の口横を撫でる。
彼が触れるその場所には傷がある。中学の頃、教室の窓ガラスが砕けた時についたものだ。撫でる手は優しかった。それでも私の顔を正面から見てくれるこの人はじきにいなくなるのだ。私は決壊した。
「好きでもない方に触られたくありません。おかしくないのに笑えない。でもそれでは生きていけないから、だから結婚します。したくなくてもするんです。大したことなくても、私は失敗するのが怖いから。弱くて1人じゃ何もできないから。するしかないから。私には怖いものばかりだから」
首にしがみつきながら泣いた。止まらなかった。
「その気持ちを大切になさってください」
たったの3択だけど私が選んだ人だった。