夢小説 狗巻棘
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狗巻の皮膚が爛れた。やりあっていた式神が吐き出した毒が原因だろう。いびつな人型をしたそいつは、頭部だけになった後も尚も狗巻に飛びかかり、青黒い粘液を彼に浴びせた。毒を浴びた左肩を中心に、狗巻の皮膚は赤く腫れて熱を持った。強い痒みを伴うそこはひっ掻くとぐずぐずに崩れる。すぐに治療を受けさせたかったが、山の激しい雨と霧に阻まれ、下山も応援要請も叶わなかった。2人して泥まみれになりながら山の中腹にあったほら穴に逃げ込んだ。手持ちの長槍を穴の入り口につっかえ棒のように刺して濡れた服を干す。その上から枝葉を被せて帷をおろし、野生動物に見つからないことを祈った。外界ほどではないにしろ、ほら穴の中は冷えて湿っていた。急いで火を起こし、石の転がる地面に内服を敷いて狗巻を寝かせる。傷口に付着した泥を吸い出し、私の呪力を混ぜた薬草を塗り込んだ。悲鳴を押し殺す狗巻の喉が引きつるような音を立てた。
毒そのものを無効化しても狗巻の傷は改善しなかった。天気も。降りしきる雨には氷が混じり、日が落ちる頃には爛れは顎下まで広がった。膿んだ傷口には、式神を従えていた男の残穢が色濃くまとわりついている。無言で包帯を取り替えていると、狗巻が浅い息を繰り返しながら言った。あの2人何でこんな山奥にいたんだろう、と。分かんねえと私は返す。
大昔に高専を離反したというその男について、事前情報は少なかった。報告書からうかがえたのは男が相当の手練れであること、式神を道具ではなく自分と同等に扱う変わり者であるということだ。まともに相手をしたらかなわないと思い、私は式神を人質にして男をおびきよせた。指定場所に訪れた男は目に見えて憔悴しており、私は勝利を予感した。誤算だったのは、男が姿を現した途端に式神が激しく抵抗したことだ。引き渡しは成立せず、式神の消滅とともに男は自分の喉を切った。噴水のように湧き出る血を指にまとい、男はぶるぶると印を結んだ。死をもって強化された呪いは、式神を始末した私ではなく、狗巻にぶつけられた。理由は分からない。分かんねーことだらけだよ、私の術式は見せてなかったんだ、無効化はバレてなかった、なのに狙われたのはお前だ、普通に考えて私をぶっ殺してやろうと思うもんじゃねーかな。疑問を口にすると、おがが、と割れた声で狗巻が言った。否定ではなく、ごめんという意味だ。何謝ってんだ? と聞き返すが、狗巻はこちらに背を向けて横たわったまま、おがが、おがが、おがが……と繰り返した。夢を見てうなされているのかもしれない。だんだんと小さくなっていく声が岸壁に反射してこだました。
ちらちらと窟内を照らす炎に、白い背中が焼かれて玉のような汗をかいている。いつも以上に小さく見える裸体に不吉なものを感じ、たまらなくなった私は狗巻を後ろから抱き込む。ひどく熱を持った身体だった。病的なほどに。火に当たりすぎたせいだろう、そうに違いない。火種に土をかけて弱め、不安を振り払うように私は努めて明るい声をつくる。西っかわの雲が裂けてたからよ、朝には雨もマシになると思うぜ、帰ったら先生にすぐに診てもらおうな。狗巻は何も答えなかった。代わりに繋いでいた手に力が込められる。弱々しく絡む指の感触に、あの呪詛師と式神にもこのように握り、握り返す夜があったのだろうかと私は想像する。そしてふと男の仕返しを理解し、狗巻の謝罪の意図に思い至る。胸の内に去来したのは空虚な寒気だ。久方ぶりで忘れていたが、奪われる側に回るのはとてつもなく恐ろしいことなのだった。
毒そのものを無効化しても狗巻の傷は改善しなかった。天気も。降りしきる雨には氷が混じり、日が落ちる頃には爛れは顎下まで広がった。膿んだ傷口には、式神を従えていた男の残穢が色濃くまとわりついている。無言で包帯を取り替えていると、狗巻が浅い息を繰り返しながら言った。あの2人何でこんな山奥にいたんだろう、と。分かんねえと私は返す。
大昔に高専を離反したというその男について、事前情報は少なかった。報告書からうかがえたのは男が相当の手練れであること、式神を道具ではなく自分と同等に扱う変わり者であるということだ。まともに相手をしたらかなわないと思い、私は式神を人質にして男をおびきよせた。指定場所に訪れた男は目に見えて憔悴しており、私は勝利を予感した。誤算だったのは、男が姿を現した途端に式神が激しく抵抗したことだ。引き渡しは成立せず、式神の消滅とともに男は自分の喉を切った。噴水のように湧き出る血を指にまとい、男はぶるぶると印を結んだ。死をもって強化された呪いは、式神を始末した私ではなく、狗巻にぶつけられた。理由は分からない。分かんねーことだらけだよ、私の術式は見せてなかったんだ、無効化はバレてなかった、なのに狙われたのはお前だ、普通に考えて私をぶっ殺してやろうと思うもんじゃねーかな。疑問を口にすると、おがが、と割れた声で狗巻が言った。否定ではなく、ごめんという意味だ。何謝ってんだ? と聞き返すが、狗巻はこちらに背を向けて横たわったまま、おがが、おがが、おがが……と繰り返した。夢を見てうなされているのかもしれない。だんだんと小さくなっていく声が岸壁に反射してこだました。
ちらちらと窟内を照らす炎に、白い背中が焼かれて玉のような汗をかいている。いつも以上に小さく見える裸体に不吉なものを感じ、たまらなくなった私は狗巻を後ろから抱き込む。ひどく熱を持った身体だった。病的なほどに。火に当たりすぎたせいだろう、そうに違いない。火種に土をかけて弱め、不安を振り払うように私は努めて明るい声をつくる。西っかわの雲が裂けてたからよ、朝には雨もマシになると思うぜ、帰ったら先生にすぐに診てもらおうな。狗巻は何も答えなかった。代わりに繋いでいた手に力が込められる。弱々しく絡む指の感触に、あの呪詛師と式神にもこのように握り、握り返す夜があったのだろうかと私は想像する。そしてふと男の仕返しを理解し、狗巻の謝罪の意図に思い至る。胸の内に去来したのは空虚な寒気だ。久方ぶりで忘れていたが、奪われる側に回るのはとてつもなく恐ろしいことなのだった。