夢小説 狗巻棘
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職業に貴賎なし、という考え方があるが、言い出した奴はおそらく貴賎の「貴」側の人間だ。少なくとも、いや、きっと、呪術師ではないだろう。
呪霊という、負の感情から生まれる怪物がいる。呪術師とはそれを祓う仕事である。「呪霊」とか「怪物」「祓う」といった、飲み会でも聞けないようなメルヘンなワードが並ぶが、現実に存在する職種だ。そして実態は全然メルヘンではない。
呪霊は人間を襲う。その危険度に応じて等級が割り振られる。等級が高い任務ほど賃金が高い。金を払うのは東京都立呪術うんたらといった、高等教育機関を兼ねた組織だ。ややこしいので高専と略す。別に高専そのものが金を払うわけじゃないけど、まあそこはどうでもいいから割愛。
要するに高専は呪術師が所属する会社であり、専門学校である。そして呪術師とは、高専にこき使われる社畜のことだ。
これがただの社畜ならまだいい(いいのか?)のだが、等級の高い任務では呪霊だけでなく、高専に敵対する術師を相手どることもある。社畜vs他会社の社畜。もしくは社畜vsフリーランス。呪霊は知能のないやつが多いが、社畜やフリーランスは知能のあるやつが多い。そのため、vsする過程でお互い趣向を凝らす。倫理観を問われることもしたりしなかったりする。日陰者同士の小競り合い。メルヘンなんて、とんでもない。
話は変わるが、任務のバッティングとはままあることだ。悪質な呪術師を追っていたら、別件で追っていた詐欺集団と繋がりがあった、なんて話は珍しくない。
なので、補助監督の新田さんから「高専所属の2級がそっちに向かってるっス!」と連絡があった時も、いつものやつかと軽く考え、構わず作業を続行したのだ。2級術師なら術式に頼らない尋問を知っといた方がいいと思ったし、目下で尋問中の術師は長期をかけて張っていた相手であり、口を割らせるのにあと一歩のところ、という背景もあった。つまりは気が急いていたのである。
まさかビジホの扉を開けて入ってきたのが高一の学生で、昔馴染みの後輩だとは思わなかった。
3週間前に学社の花壇の脇で告白してきた16才と、このタイミングでかち合うと知っていたら、他のやり方もあったのだが。
狗巻棘とは彼が小学生の頃からの仲だ。
といっても歳は6才違い。同じ小学校に通っていた、とかでもない。高1の夏の課題として、私は呪具のレポート提出を選択し、蔵の閲覧許可を出してくれた家の一つが狗巻家だった。
人が齢いくつで優しさを獲得するのかは分からないが、狗巻は出会った頃からそれを持ち合わせていた。小さな頃から横断歩道で困っている老人には声をかけるタイプだったし、今では道に迷った外国人にまで話しかけられている。目つきが良くない割に、なんというか善良なのだ。
それでいて、告白を断わられた後もひょっこり顔を見せてくるような、ちゃっかりとした、無垢っぽい人間。それが狗巻だった。
そういう人間にとって、告白した異性がおっさんを拷問しているさまは、どのように映るんだろうか。ちょっと想像できない。
色白の後輩がさらに蒼白になっていくのを見ながら、ああもうこいつと任務外で会うことはないだろう、と私は悟った。
内心でさよならを告げた3日後、なぜか狗巻はいつも通り工房に顔を出した。(ここでいう工房とは呪具の修理や検査室を兼ねた、高専での私の住まいである)なんならその次のオフ日もやって来る。友達の呪具の調子が悪いから直して、だのなんだの、何かにつけて工房へ上がりこみ、好きな動画チャンネルが炎上したとか、転校生が来たとか、他愛もない話をして帰る。
前髪を変えたから見て。見た?じゃあ俺任務だから。と秒で帰ることもあった。
私の工房兼自宅をかねた建物は、高専奥の林の中に立地している。学生寮から歩くと20分はかかるだろうか。決して気軽ではない距離を、てくてくと狗巻がやってきては、またてくてくと帰る。その繰り返しだ。
寒いと人の心も荒れる。冬は呪霊の発生が多い。特に今年は記録的な豪雪が続いた。日付が変わる時間帯に臨時の任務が入ることもある。
出先で一泊して高専に戻ると、家の前で小さな物体が動いているのが見えた。思わず携帯を確認するが、新規の連絡は入っていない。歩を早める。
うずくまる物体は雪玉を両手で固めていた。こちらに気づくと「ツナー」と手を挙げる。マスクから覗く鼻は真っ赤に染まっていた。銀髪に雪が積もっているのを見て、ここ数週間のどまで出かかっていた質問が口をついて出た。
「お前何がしたいの」
「オラフ」
「言い方変える。何でここに来る?」
意味が分からない、というように狗巻は首を傾げた。単刀直入に切り出す。
「この前私の仕事見たろ?」
「いくら?」
「ケツの穴に手突っ込んでガタガタ言わせてたやつ」
「しゃ、しゃけ」
「話戻すぞ。あれの後で何でここに来るんだよ」
「明太子」
「顔見にってお前……」
「……おかか?」
「迷惑とか、そうじゃなくて。普通引くだろ」
ていうか引けよ、と語気が強まる。
「おかか、高菜、ツナマヨ」
困ったように目を泳がせた狗巻は、私と自分とを交互に指差して言う。びびったけど、一緒にいるの楽しいから、と。予想外の返答にまじまじと目の前の後輩を見つめる。沈黙が流れた。
「ツナ、マヨ、おかか」
もしかして俺と一緒にいるの、楽しくないのか。小さな声がぽつりと言った。
狗巻と一緒にいるのが楽しいか?
考えたこともない。
目の前の子どもとのやり取りが頭の中を流れていく。
背中を丸めて、蟻の行列を眺めていたのは10歳くらいの狗巻だろうか。ささやかなつむじが顔を上げた時、頬のそれがポケモンに似ていると思った。次に狗巻家を訪問した際、あんのおんって何、と土文字で尋ねられ、初見の感想が声に出ていたことに気づく。
その後の狗巻は夏休み中をポケモンの育成に費やし、私との対戦を求めた。宿題に手をつけたのは8月の終わりぎわだ。
「絵日記と自由研究以外は手付かずか。ピンチじゃん」
分厚い算数ドリルにベソをかく、しめった頭をわしわしと撫でる。
「人生のコツを教えてやる」
かくして答えの転写作業を始めた私と狗巻は、開始30分で彼のお世話係だというお手伝いさんに見つかった。2人してしこたま怒られた。
私立の意地悪問題に苦戦しながら、合間で自分のレポートを進めた。ギリギリセーフで期限内には提出する。担任の五条先生から「よく頑張りました☆」印をもらう。課題が終わり、狗巻家に行く用はなくなる。
風に秋の匂いが混じる頃。バスを寝過ごした私は交通費をケチり、覚えがあるようでないような道をうろうろと彷徨っていた。大通りに出ると、前方に集団下校の団体が信号待ちをしており、その最後尾に見知った頭を見つける。しめたと思い、跡をつける。
そしてすぐに違和感を覚えた。
どの子も友達と喋ったり、飛び跳ねたりと騒がしいのに、狗巻の周りだけが静かだった。というより周りに誰もいない。最後尾を歩く狗巻から、前列の子どもまで2mは離れている。
狗巻が歩いている位置もまた妙だった。背の順か、名前順なのかは分からないが、どちらにしてもおかしいだろう。
馴染みのある通りに出た後も、私は行列から一定の距離を保って歩き続けた。その間、狗巻の生まれ持った術式と、限られた語彙について考える。
旧家街に入る頃には数名の子どもしか残らなかったが、結局、狗巻は教師以外の誰とも話す様子がなかった。
コンビニで15分ほど時間を潰したあと、狗巻家を訪問した。「こんにちはー」の「ちは」を言い終わる前にダダダッと足音がせまり、長い廊下の影から狗巻が豪速球で現れる。
そのまま抱き止める。
なぜ来なかったのかと聞かれる。
レポートの出来が悪く、担任に叱られていたのだと言った。
「再提出くらったから、これからは週末に来る」
狗巻はこぼれるほど目を見開き、しゃけ! と元気よく破顔した。そのまましばらく抱きしめていた。
それからというもの、狗巻が生活する離れの縁側が私の定位置になった。はたから見れば、裕福な家の高級な和菓子をたかる、タチの悪い高校生だったと思う。しかし週末の訪問そのものについては、お手伝いさんにも狗巻の親にも咎められたことはない。
私が高3になるまで狗巻家への訪問は続いた。
その時期に私は任務でやらかし、右足の負傷、つづく周囲の環境の変化やら術式の変質やらがあり、さまざまな事情から狗巻家へ通うことができなくなった。
この辺はあまり思い出したくないので飛ばす。
狗巻が高専に入学して。再会して。色々あって。告白された。無理だと思った。男として見たことがない、と伝えると、知ってる、と狗巻は言った。告白前と後とで、狗巻の態度は少しも変わらず、私は心底ホッとした。
それなのに見られたくないところを見られてしまった。
だけど、いや、むしろ前より、お前がのこのこやって来るもんだから。
私は気持ちが追いつかない。お前が何を考えてるのか分からない。
目の前の、今の狗巻を見やると深く俯いている。作りかけのオラフが寂しげに狗巻を見上げていた。
雪玉を握りしめる狗巻の手には、色がない。何時間ここにいたんだ、と考える。
来すぎなんだよ。頻度を考えろ。第一、一昨日会ったばっかりだろうが。
マグロがデカすぎたからお裾分け、とか言いやがって。
2日前、狗巻は大ぶりのマグロの切り身を担いでやってきた。育ち盛りからもらうのが忍びなく、家に上げて加工したものを出したのだ。タタキやら丼やら、お茶漬けやら、簡単なやつを。テーブルに並べたそれらを片っ端から口に放り込んでいくが、向かい側に座る狗巻は一向に箸をすすめない。頬杖をつき、こちらを眺めるばかりだ。味付けが好みじゃなかったか、と聞くと首を横に振る。
―――は、昔からたくさん食べるから、見てるだけで気持ちがいい。
眠たげな目を細めて、幸福そうに言った狗巻。
お前と過ごすのが楽しいか、だって?
「……楽しいよ」
当たり前だろ。目元を抑えて言う。
ため息が出た。
「お前がかわいくて仕方ないよ」
本音がこぼれる。狗巻が顔を上げる。
雪が周囲の雑音を吸い取り、ひどく静かだ。優しい後輩が、伺うようにこちらを見つめている。
何度でも言える事実だが、狗巻は心が優しい。6年前からずっと優しい。善人だ。生まれ持った気質なのか、呪術界には珍しい、風変わりな家柄が影響しているのか。彼自身の苦労が実を結んだものなのか。分からないが。とにかく狗巻は優しい。
優しいので、優しいからこそ、狗巻に聞けなかったことがある。
「私が、」
寒さで肺がやられたのか、声が震えた。目を伏せる。雪の地面はそこかしこが泥で汚れている。
「私が怖くな「おかか!」
頭から抜けなかった心配に、大きな声が被さる。
声の主を見やる。
冷気で赤らんだ顔がさらに赤くなっていた。
「おかか!」
狗巻が繰り返す。
「なんつー顔だよ」
ふっと吹き出す。
そのまま深く息を吐いた。
吐き出した息が白くのぼって、くだけて、消えていった。
狗巻に目線を落とすと、やつは首をゆっくり横に振って、泣きそうな顔をしていた。思わず笑った。先ほどまでの自分が恐れていた未来と、目の前の狗巻とのギャップがおかしかった。
「お前、ちょっと、かわいすぎ」
腹をかかえる私を、狗巻が奇妙なものを見る目で見ている。それがますます面白かった。
悩んでいた時間が馬鹿らしく思えた。最初からはっきり聞いておけばよかったか、と考えるが、今となっては何とでも言える。
まあ何でもいいか。
よかった。ほんとに。
目尻を拭いながら「ショッキングなもの見せてごめんな」と言うと、おかかおかかと狗巻は激しく首を振った。バグったオウムみたいでそれがまたウケた。肩の力が抜ける。
安心すると寒気が妙に気になってきた。
とりあえずうちに上がるか、という話になり、しゃけ、と狗巻は頷く。
「つっても、何だ、この手は!」
狗巻の手をがしと掴む。突然のことに狗巻はびくっと身じろぐが、それがどうでもいいと思えるほど彼の手は冷え切っていた。握られていた雪玉を足元に置く。
「せめて手袋をしろよ」と睨むと、「おかかぁ」と狗巻は弁明した。初めは着けていたけどオラフの細部にこだわったために外したらしい。無駄な情熱に呆れる。「連絡がないのは?」予想できたが一応聞いた。「五目、ドッキリ」しどろもどろに狗巻は言う。驚かせたかった、と。予想通りである。
「このエンターテイナーめ」と毒づき、ポケットからカイロともろもろを取り出す。
冷えた手に握らせると「ツナ?」と狗巻はそれをつまんで掲げた。
長さ5、6センチの平たい長方形をした木の板。先端には細かな渦巻き模様が刻まれており、反対側に鈴が紐づけられている。
「ここのスペアキー。2階なら何使ってもいいぜ」
1階が工房で2階が私んち、3階は同期の所有であることを説明し、あくまで2階だけな、と念を押す。
「しゃけ?」と狗巻は尋ね、「しゃけだよ」と私は答えた。
「お前が待ちぼうけて、何かあったら寿命が縮む」
実際さっき縮んだんだぜ、と笑う。しゃがんだ姿勢で雪玉を固める狗巻は、遠目から見ると埋まってるようにも見えて血の気が引いた。
カイロとスペアキーを握る狗巻の、両手を握り直してさする。だんだんあったまってきたか?
「早速カギ使ってみろよ。古いやつだから、ちょっとコツがあって、だ、な……」
鍵を掴む方の手を引いて家に入ろうとする。が、狗巻は動かなかった。何だ?と思って振り向くとすぐ下に小さな顔があり驚く。
マフラーが引かれる。
近い距離がさらに近づく。
口元にふんにゃりとした感触。
雪のかかったまつ毛が目の前にきて、すぐに離れた。
「だいすき」
葡萄色の瞳が嬉しそうに微笑む。
そのまま狗巻は私の脇を通り抜け、カギを差し込み、鼻歌を歌いながら中に入っていった。
それからも狗巻との関係は特に変わらない。かわいくてマセた後輩は暇な日にひょいと顔を見せては、とっとこ帰っていく。最近は二輪の免許を取ろうかな、とぼやいていた。
寮からここまで結構かかるよな、と相槌を打つと、狗巻はうーんと首を唸る。そして、卒業してもここに通いたいし、と平然と未来を約束する。
狗巻棘は16歳の学生だ。無垢な思春期はまだ続いている。
現在進行形で恋に恋をしている彼は、世間知らずで夢みがちなそれを、大切に育てているのだろう。
目に見えて変わったことといえば、時々狗巻が口をくっ付けてくることだろうか。
呪具の整理中。
義足のメンテをしている時。
工房で居眠りをしている時。
夕飯を食べ終わった後。
狗巻は音もなく近づく。肩や手の甲、膝に耳、頬といった場所に、やわらかいものを落とす。
一言「やめろ」と言うのは簡単だが、密かにきれいだと思っていた紫色の目に見つめられると、なんとも言えない気持ちになるのだ。
縁側で菓子を頬張っていた時と変わらない、穏やかな葡萄色。その色を見ると、呪術師になってから手放したものの、一部が戻ってくるような、そんな錯覚におそわれる。
別れぎわは口がお気に入りらしい。名残惜しげに何度も唇同士を擦りあわせてくる。
一度、息継ぎの際に舌が触れたことがある。その時の狗巻の顔は表現できない。私は犯罪者の気持ちになった。思い出すのも申し訳ない。
狗巻の舌に触れたのは、その一回きりだ。
何はともあれ、気安く口内に立ち入らせない姿勢は、呪言師として良いものだと私は思う。
同時にこいつは卒業後も術師としてやっていくのだろうかと考える。それについて考えると気が重い。
高専を卒業後、呪術師になる道を選ばずに一般の大学に進学する生徒は一定数いる。狗巻はあくまで呪言のコントロールのために高専に通っている、と私は勝手に思っているが、実際のところは本人にしか分からない。
いずれにせよ特訓の余地はある。
「トゲくん、ちょっと命令形使ってみ」
今日も今日とて隣にいる狗巻に声をかける。何が面白いのか、呪物の手入れをしている横に座り込み、しげしげと作業を観察していた。
命令、という言葉に彼は眉をひそめる。胸の前で腕を上げ、バッテンを作った。
「おかか」
「私の体質知ってんだろ。失敗しても何も起こんねーよ」
「おかーか」
狗巻は頑として譲らなかった。癖がついたら嫌だ、とのことらしい。俺の語彙は縛りの意味もあるから、とゆっくりと言葉を区切って説明される。実に理に叶っている。
「お前むかつくなあ」
「ワンピース」
「誰がルフィやねん」
お前のような聞かん坊はこうしてやる、と狗巻をくすぐる。おかか、と狗巻はガードし、私はガードをかいくぐり、脇をくすぐる。口元を抑えながら、彼は声を殺して笑った。反射的なものだろう。畳に寝転ぶ狗巻のシャツがずり上がり、隙間から鍛えた身体が覗いた。
狗巻は呪術師としてむかつくくらい優秀だ。
語彙の縛りも、日々の努力も、彼の選択するであろう進路を裏打ちしている。先生方のなかでは、昇級推薦の話も持ち上がっているらしい。
憂鬱と期待が入り混じる、大人達の複雑な胸中を狗巻が知る由もなく。当の本人は呑気なものだ。
くすぐりから解放された狗巻の、震える腹をぽんぽんと叩くと、隙ありとばかりに腕を引かれた。
私は体勢を崩して狗巻の上に覆い被さるような形になる。狗巻はついと頭を上げ、そのままちょんと口付けてきた。
「しゃあけ」
素早いクソガキ。
「場所考えろ。危ねえだろ」
自分のことは棚に上げ、額をコンとこずいて離れる。
心が優しく、善人で、かわいい思春期のマセガキ。
そんな彼は近頃不思議な呪文を唱えている。
「ケッキング、こんにゃく、しらす、てり焼きチキン、クダヒゲガニと……さいのめぎり」
「ケッキングは食べ物なのか?」
それよく言ってるけど何? と聞くと、練習だと狗巻は言う。
「練習って何の」
「ひみつ」
計画中のいたずらを、ほのめかすかのごとく邪悪に微笑む。そして襟巻きに顔を埋める。これ以上は聞かれても答えません、のポーズである。
「あっそ」
興味のない声色をつくって流しへ立つ。夕飯食ってくか、と話題を変えれば、背後から、しゃけーと間延びした声が聞こえた。
貴賎の「賎」に属する私は、ずるい人間だ。
顔を見られたらおしまいだなと考え、冷蔵庫を漁りながら、今日も頭文字のそれに気づかないふりをする。
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