最上と茂夫
当たり前だが、テレビを見ても馴染みの顔が少ない。最上の生きた時代同様、現在でも活躍してる者はいるにはいるが、若い世代のほとんどは初めて見る顔だ。元々が入れ替わりの激しい業界であるにしろ、こうして眺めてみると死んでからどれほどの時間が経ったのか実感する。むろん、流行を把握しているわけもなく、先ほどから芸人が発している略語のフレーズの意味だって最上には不明だ。隣で体育座りをする人物に尋ねれば「がんばればできるかもしれない」のニュアンスらしい。使う機会があるのか? 最上はうなる。世界はますます訳の分からない具合になってしまった。生きてる頃から受け入れがたかったその濁流に、死んだ者がどうして馴染むことができるだろう。それなら自分は、曲がりなりにも己を受け止めてくれている、目の前の子供をなおのこと大切にしていかねばなるまい……。そこまで思い至った最上は、幼い腰を引き寄せ、小さなつむじにそっと唇を落とす。なんですか、いきなり。唐突なアプローチに茂夫は顔をしかめる。昼間っからそういうことするのやめてください。そっけない声色で画面に居直る少年の、桃色に染まった耳たるや。おや、と老人は現代語の意外な利便性に目をみはる。今夜はワンチャンあるようだ。