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不定期日記

自罰的思考

2026/02/07 02:03
祖母が他罰的なら、私は自罰的だったのだろう。
今思うと。
それが悪循環になって、酷いことになったのだろう。

「私が悪いのか?私のせいなのか?」

「私が悪い。ごめんなさい」

祖母はもう天国か地獄にいるけれど、何れにしろ、もう感情的になることは無くなった。

どうして仲良くできなかったのだろう?

それは水と油のように相容れないから。

手を差し伸べても、叩かれ、拒絶されるだけ。

人間関係の縮図みたい。

人間関係ってほんと、難しいよね。
私は傷付きやすいから余計に難しい。
最近のフリーレンの回でフリーレンが3日間泣き続けたってのがあったけど、その感覚、わからなくもない。
私か?と、思った。
流石に3日間連続で泣き続けることはできないけれど(枯れる)毎日のように泣き続けたことはある。
泣くと言うよりは、泣き叫ぶ。
自分が何者かすらわから無くなるほどに。
人格が飛ぶというか、入れ替わると言うか。
泣き役の自分に変わる。

適応障害の可能性があると診断されたけれど、通院する余裕も無く、自力で回復したけれど、治るまで十年くらい掛かった気がする。

泣いているときは大抵真っ暗な部屋だったからどれくらい泣いていたのかは覚えていない。
ただただ苦しかったのを覚えている。
苦しみながら泣くというか、そのまま発作が出て過呼吸になるんだけど、あの頃は酷かったなぁって思うほどには回復している。

ごめんなさい、なにもできなくてごめんなさいって、ひたすらそればかりだった。
それと、こわいという感情。
何もかもが怖くて、逃げ場が無くて、寝る場所ですら楽になれなくて、宙に浮いた感じ。
それは、住む場所が変わったから。
新しい部屋で、安心できるわけがない。
恐ろしい祖母と同居して、楽になれるわけがない。
ずっと変わらなかった。
人の性格は変われないから。
根本のところは絶対に。

ひたすらに妬まれ恨まれ、◯んでしまえと言われ、私が楽しそうにしてるのを好まず、恐ろしい顔で睨み据える。
直視できない顔。
邪視というのがあるけれどそれだ。

わからない。酷いことしか浮かばない。
でも、薬をもらいに一緒に地元の病院に行くときだけは穏やかだった。
祖母は表では本性を出さないから。
ニコニコしてる人柄の良い優しいおばあさんになるから。
傍目から見ると如何にも仲の良いおばあさんとその孫になる。
母は祖母に精神的に◯され、一気に病が大きくなり亡くなった。同居して1年と少しで。
徹夜での内職という不規則な生活もひとつの要因かもしれない。

祖母と同居してからは料理がすごくできるようになった。
祖母は全く料理を作らないから必然的に誰かが作らないといけなくなる。
ど田舎だからすぐ近くに店は無い。
車で大量に買い出しして、1週間限られた食材で凌いでいた。
殆ど料理をしたことが無かった私はレシピ本やレシピのサイトを見ながら手探りで料理をすることになる。
母が大うつ病になった時は完全に私だけで料理をしなくちゃいけなくなって、大変だったのを覚えている。
頑張って作ったカレイの煮付けを母が箸でぐちゃぐちゃにして混ぜたのはよく覚えている。
何故か、ご飯を食べたら危ないことが起こるっていう妄想をして頑なに食べなかった。

母は一週間何も食べなかったから救急車を呼んで無理矢理病院へ行かせた。
そして病室へ入ったら手足をバンドで固定されていて、よっぽど暴れたんだなと想像できた。

母が無事退院したあとはいつもの母に戻っていたからすごく嬉しかった。
これからはもっと幸せに過ごせると思った矢先にまた事件が起きた。

料理中の母の背後から祖母がパン切りナイフを突き付けて「憎たらしい!」と言ったんだそうだ。(それは母自身がそう言っていたから)
キッチンと居間は壁一枚の隔たりしか無かったから居間に居た私は祖母の「憎たらしい!」という言葉はハッキリと聞こえていた。
そして、母は悲鳴をあげて私のところへ来て「もうおばあちゃんはダメよ!離れてなさい!」みたいな事を言っていた。
完全に縁を切る勢いで。
それ以降祖母との関係は劣悪になり、母は祖母とひと言も会話をしなくなった。
そこから、内職の話になる。

祖母がデイサービスでいなくなるときだけが母との幸せな時間だった。

人間関係って、人生をも左右するから、難しいよね。
なんか、長くなっちゃったけれど。
色々思い出しちゃって。

生きていれば良いことも起きるから。
あの世へ行っても起きるかもしれないけれど、そうなったときはそうなったときでね。
少しだけ楽しみでもある。

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