今じゃないだけ



その服は、まだ世界に出すな



夕方。
高杉家の居間。

紫苑は膝の上に一冊のカタログを広げて、少し遠慮がちに言った。

「あのね……」

高杉「……なんだ」

「こういうお洋服、着てみたいの……」

差し出されたページ。

そこに並んでいたのは、
・肩が少し出たトップス
・お腹がちらっと見えるデザイン
・短めのスカート

高杉「………………」

時間が止まる。

(来たか)

高杉の脳内で、世界の治安が一段階下がる音がした。

「……紫苑」

「なに?」

高杉は慎重に言葉を選ぶ。

「これは、あの……あれだ」

「……?」

「変な虫が寄ってくる」

紫苑「…………」

紫苑の表情が、さっと曇る。

「え……?」

「……?」

「変な虫……?」

一拍。

紫苑の脳内で、完全に別の映像が再生されていた。

「……えっ……しおん、虫はやだなあ……」

「…………」

「だって蚊とか、カブトムシとか……服の中に入ったら……」

「違う」

即座に訂正。

「虫じゃねェ。比喩だ」

「……ひゆ?」

(あ、これ説明詰むやつだ)

紫苑は「でも」と、もう一度カタログを見る。

「……でも、お洋服……かわいい」

高杉「…………」
(かわいい。それは、分かる)

だが、頭に浮かぶのは──
人の目。
外の世界。
守るべき距離。

高杉はしばらく黙ったまま、紫苑と同じ高さに腰を下ろす。

「……紫苑」

「うん」

「その服が悪いわけじゃねェ」

「……うん」

「ただな」

言葉を探す。

「……外は、まだ早い」

紫苑は、少し考えてから聞いた。

「……じゃあ、いつならいい?」

高杉「…………」
(即答できねェのが、俺の弱さだな)

沈黙。

紫苑は諦めたようにカタログを閉じかけ、高杉はそれを止めた。

「……待て」

紫苑、ぱっと顔を上げる。

「……家の中だけならな」

「……!」

紫苑の目が、ぱあっと明るくなる。

「ほんと!?」

「ああ。家の中だけだ」

「虫、来ない?」

「来ねェ」

「変な虫も?」

「来ねェ。俺がいる」

紫苑は安心したようにうなずいた。

「……じゃあ、着てみたい」

「……分かった」

高杉はカタログを一度だけ見て、言った。

「……でも、寒かったら上着着ろ」

「うん!」

「転んだら着替えろ」

「うん!」

「鏡の前で走るな」

「……それはなんで?」

「……俺が心臓止まる」

紫苑は、くすっと笑った。



その夜。

紫苑は家の中でだけ、少し背伸びした服を着て鏡の前でくるりと回った。

「……どう?」

高杉「…………」

少し目を逸らして。

「……悪くねェ」

紫苑は満足そうに笑った。

「じゃあ、外に出るときは?」

高杉「……そのときは」

少しだけ声を低くして。

「もっと強くなってからだ」

「……うん」

紫苑は素直にうなずいた。

高杉は思う。

(守るってのは、閉じ込めることじゃねェ。今じゃないって言えることだ)

カタログは棚に戻された。
世界は今日も、一段階だけ守られた。


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