合同合宿編
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*室町side
正直、迷った。
正直、困った。
――“迷ったり困ったりしなかったの?”
しないはずがない。
その子は、先輩の大切な子なんだから。
夕食を終えたあと、後片付けがあるという名無しさんと別れた俺は、外の空気を吸いに宿舎から出た。
そのまま何面もあるコートが見渡せる場所まで来ると、そこに腰をおろす。
辺りがすっかり暗くなった中、照明設備に照らされたコートはテニスができる明るさを保っていた。
これから誰か練習するのかもしれない。
そう思いつつ、まだ誰もいない静まりかえったコートを眺めた。
あのとき、俺は名無しさんの質問にすぐに否定の答えを返した。
あれは嘘じゃなかった。
迷ったのも困ったのも、もっと前…。
ごはんを一緒に食べようと誘われたときだったから。
名無しさんに対する千石さんの思いを知っている身としては、知っているくせにこれ以上名無しさんと二人でいてもいいものかと、少なからず抵抗を感じた。
名無しさんはなぜか俺のことをいい人だと思ってくれているらしく、さらに不思議なことに、俺のテニスの教え方を気に入っているらしい。
俺も普通の男なわけで、女子から好感を抱かれて悪い気はしない。
でもそれが名無しさんとなると、単純に喜んではいられない。
それは俺にとって名無しさんが、この合宿で初めて会うよりずっと前から、“千石さんの大切な子”だったからだ。
結果的に俺は名無しさんからの頼みに応えることにした。
それは千石さんが名無しさんのことを少なくとも今はまだ好きだというわけじゃない、ということもあった。
だけど最終的に一番大きな理由になったのは、自分自身の気持ちだった。
朝一緒にテニスをしたとき、俺が教えたことを通してテニスの面白さを知ったという名無しさんの言葉が率直に嬉しかった。
楽しそうな名無しさんとテニスをするのは俺も楽しかった。
そんな関わりがこの合宿かぎりで終わるのは当たり前のことで、その事に対して深く考えることも全くなかった。
だけど名無しさんから明日の朝もまた教えてほしいと言われたとき、またこの楽しい時間が来ることを思うと、かすかに心の奥が浮き立った。
その感情のままに、明日の朝も教えると俺は約束した。
だけど、俺は後になってその行動が正しかったのかどうか悩んだ。
なぜなら偶然一緒に過ごすことになった今朝とは違って、今度は意識的に時間を合わせて会うことになる。
それが千石さんへの裏切りのような気がした。
俺は千石さんの思いを、もうずっと前から知っていたのに。
それに、名無しさんだって千石さんに良い感情を持っている。
だったら俺は千石さんが名無しさんと一緒にいられるようにするべきで、俺が二人で会ってる場合じゃない。
だけどしばらくそんなことを考えているうちに、これはいわゆる余計なお世話というやつじゃないだろうかと思い始めた。
千石さんは誰の力も借りずに名無しさんと会う約束をして、一緒に過ごす時間をつくった。
千石さんには千石さんの考えがあって、千石さんのやり方やタイミングがある。
そこに俺が自分の価値観であれこれ思いを巡らせるのは、千石さんの思いを知っているからこそ、かえって失礼なことのような気がした。
そして、名無しさんにも。
名無しさんは何も知らない。
名無しさんはただ、もう少し俺からテニスを教わりたいと思ってくれただけ。
たぶん、俺とは合宿中にしかこういう機会を持てないからっていうこともあるだろう。
それを自分の意志とは違うところで断るのも、またずいぶん失礼な話だ。
そう自分の中で整理がついた俺は、練習にも集中して取り組むことができた。
明日は名無しさんにどんなふうに教えよう。
せっかくだから、もっとテニスを好きになってもらいたい。
休憩時間や昼食のときにそんなふうに考えたりもした。
そして午後の練習が終わったとき、名無しさんから呼びとめられた俺は、思いがけないことを言われる。
――“よかったら、今日の晩ごはん一緒に食べない?”
女子からあんなふうに言われたら、ごくごく普通の男子中学生なら多少なりとも動揺するはずだ。
正直、俺もドキッとした。
だからまるで名無しさんと二人なのが嫌だと思っているようなリアクションをしてしまった。
だけど、名無しさんはただ一緒に食べようと言ったわけじゃなくて、俺に頼みたいことがあるとも言っていた。
食堂でそんなに繊細な話はしないだろうし、俺に頼むことで可能性があるとすればテニスに関することだろう。
完全に動揺していた俺は、あのときそんなことにも気づけなかった。
それどころか、もしかして名無しさん、俺のこと……なんてありえない誤解を一瞬しかけた。
…というか、した。
完璧に、した。
…………………………。
で、でも、これはしょうがない面もあるだろ?
明日の朝も教えてほしいとか、ごはん一緒に食べようとか、たたみかけるように言ってくるし。
優しいとか教え方が上手だとか、ニコニコしながらいろいろ誉めてくるし。
俺じゃなくても変な勘違いするやついるって、絶対。
…って。
まぁ、言い訳だけど…。
はぁ…………………。
千石さんと名無しさんのことをあれこれ勝手に考えていたくせに…。
…一瞬とはいえ、あんな誤解をした自分が情けない。
思い出しただけで顔から火が出そうだ…。
とにかく俺はそれから夕食までの短い間、名無しさんがしてきそうなテニスに関係する頼み事を何十パターンと考えた。
名無しさんにさっきみたいな嫌な思いはもうさせない、そして自分がごく平凡な普通の男子中学生だからといって、変な勘違いももうしない。
今度こそそんな情けないことはしないぞと、密かに心に誓って。
そして、夕食の時間。
名無しさんからの頼み事は、無事、俺の予想の中にあったものだった。
俺が心の中で密かにガッツポーズをしたのは、言うまでもない。
そして…。
――“あの…ね。
合宿終わっても、また室町くんに会えるかな”
…あのときまたドキッとしたのも、言うまでもない。
あんな緊張した顔であんな事言われたら、さすがに…。
あの時点ではもう名無しさんの言わんとしていることがテニスのことだと分かっていたのに、それでもドキッとした。
うーむ…。
…名無しさん、大丈夫なのか?
絶対に故意じゃないだろうから、いつもあんな感じで他の男にも接してるんだよな?
冷静に考えてみたら、いろいろ心配になってきたような…。
機会があったら鳳にでも聞いてみるか…。
なんか…今日は名無しさんのことで迷走した日だったような気がする。
そんな俺の胸のうちの迷走っぷりを知るはずもない名無しさんは、俺がOKと返事をするたび無邪気に喜んでいたけど…。
…真実を知ったら、びっくりするだろうな。
これも本当に謎だけど、俺のことをクールだとか言ってるから…。
全然違うのに…。実際はこんなにあたふたしてるのに…。
…やっぱりあれかな。
千石さんから話に聞いて名無しさんがどんな子なのかずっと気になってたから、最初のころ少し緊張してたというか、様子を伺ってたというか、そんな感じだったからかもな…。
ま、まぁとにかく、名無しさんとの接し方に少しあった迷いが無くなったのはよかった。
俺は俺のやり方で接していけばいい。
今までテニスだって何だって、そうしてきたんだから。
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