合同合宿編
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*日吉side
あのカフェテリアでの出来事以来、それまでのことがまるで嘘だったかのように、名無しを学校のあちこちで見かけるようになった。
それはもはや、冗談かと思ってしまうほどの頻度で…。
「名無しさーん、先生呼んでたよー」
『ありがとー』
…まただ。
何なんだよ、まったく…。
「あ!ななし、前、前見て!」
『え?前って何…ブッ!』
「ななし!大丈夫?!」
『アイタタタ…。
…あれ?このドアあいてたよね?』
「さっき通った子が閉めていったんだよ。
もー、何ボーッとしてるの」
『だってー』
「プッ、ななし、鼻赤くなってる」
『え、嘘!?鼻血出てない?』
「出てないけど…ププッ」
『もう、笑わないでよ。
うー、私の鼻~』
……落ち着きの無い奴。
…名前……ななしっていうんだな。
「あの、すみません」
『はい』
「先週まであの棚にあった本を探してるんですが…」
『あ、その本なら新刊が入ったので他の場所に移動になったんです。
今、案内しますね』
「助かります。ありがとう」
……へぇ。
『ふぁぁぁ~…』
「ななし、今日あくびばっかりしてるね」
『うん…。
きのうお兄ちゃんから借りた漫画読んでたら、つい夜更かししちゃって……ふぁぁぁ~…』
「ちょっと、誰が見てるか分かんないんだから、あくび控えめにしたほうがいいよ!」
「そうだよ、大口あけてるとこ見られてたら最悪だよ?
鳳くんとか日吉くんとかが見てるかもよ!」
『えー?
あはは、私のことなんか誰も見てないよ。平気平気』
……見てるぞ、思いっきり。
「名無しさん。ごめんね、迷惑かけちゃって」
『ううん、大丈夫だよ』
「でも、こんなに遅い時間になっちゃったし…。
名無しさんは直接関係ないのに…」
『私、帰宅部だから時間はたくさんあるし、気にしないで。
それに同じクラスなんだから協力しあわなきゃ』
「…ありがとう。
もし何かあったら私に言ってね。今度は私が力になるから」
『ありがと!
そのときは遠慮なく頼るね!』
「…うん!」
……………。
「みんな!
きのうの話、お母さんに聞いたよ!お母さん、車出してくれるって!」
『本当?やったー!
これでみんな一緒に行けるね!』
「うん、楽しみー!」
『ねー、楽しみ!
あっ、そうだ。おばさんによろしくお願いしますって言っておいてね』
「いつも思うけど、ななしってそういうところ律儀だよね」
「うんうん」
『え、そうかなぁ』
……ふぅん。
「名無し、お前に一生のお願いがあるんだ。
実は俺たちの班、だいぶ作業が遅れててさぁ…」
『もう手伝わないよ。前にこれっきりだって言ったよね?
何回もある一生のお願いなんて、聞くわけないでしょ』
「もちろんタダでとは言わないって。
お礼にカフェテリアのプリンを…」
『いくらプリンでもダメ』
「えー。そんなかたいこと言わずに」
『ダーメ。
私の意志はダイヤモンドより堅いんだから』
「ムム…。
分かった、俺も男だ、覚悟を見せるぜ」
『フフン。
何を言われてもビクともしないわ』
「カフェテリアのプリン――」
『だからその手は通用しないって言ってるのに』
「――アラモードでどうだっ!!」
『えっ…』
「……………」
『……………』
「……………」
『……………』
「……………」
『…もう、しょうがないなぁ。
ほんとに今回だけだからね』
「よっしゃー!
名無しが来てくれれば百人力だぜ!」
『地味な作業ならおまかせあれっ』
………どこがダイヤモンドだよ。
豆腐の間違いだろ。
カフェテリアでの出来事から初めて言葉を交わしたあの日までのあいだに、こんなふうに何度も何度もあいつを見つけた。
名無しの顔を見て。
名無しの声を聞いて。
名無しの仕草を見て。
名無しの言葉を聞いて。
そうして少しずつ少しずつ、俺は名無しを知っていった。
俺にとって、顔すら曖昧で名前も知らない同級生だったあいつは…。
“名無しななし”という、はっきりとした輪郭を持った存在へと変わっていった。
そして俺の中での存在感が増すほど、まだ知らないあいつを知りたくなった。
偶然視界に入ったときに見るだけだったのが、いつの頃からかあいつの姿を探すようになった。
だが、そこから先、俺は何も出来なかった。
名無しと俺とのあいだには、何の接点も無かった。
声をかけたとして…、何を話す?
そもそも声をかけるきっかけも無い。
女子のことなんて、何も分からなかった。
それまで女子と話してみたいだなんて、思ったことが無かったから。
女子との会話の話題なんて、考えたことも無かったから。
そうこうしているうちに、進級して二年になった。
そして…。
名無しは鳳と仲良くなり、先輩たちや樺地と仲良くなった。
俺だけは…何も変わらないまま。
…いや、むしろ悪くなってしまった。
その関係性も、俺に向けられる眼差しも…俺の望んだものとは違っていた。
そんな日々が続いていくうち、いつしか思うようになった。
名無しを思ってこんなに心が騒ぐのは、自分があいつを嫌っているからだ、と。
わざとそう考えたわけじゃない。
考えることすらしなかった。
考えるのは…現実と向き合うのは、苦しかったから。
だから、無意識に…逃げた。
そして、そんな自分勝手な理由で俺は名無しを傷つけた。
全部……俺のせいだ。
俺が弱いから…あいつを傷つけてしまった。
………………。
あいつは…。
名無しは…、俺が生まれて初めて知りたいと思った女なのに…。
「ねぇ、ちょっといい?」
……!
突然の気配に、ハッとして顔をあげる。
すると、いつのまにかすぐそこに越前の姿があった。
「…何か用か」
「名無しさん、ここに来なかった?」
「!」
名無し、という言葉に、ドキリと心臓がなる。
「…………」
俺は何も言えなかった。
来たと答えれば、何があったか話さないとならなくなるかもしれない。
「さっき必死な顔してキョロキョロしながら走り回ってるのを見たんだけど、声かける前にどこかに走っていっちゃって。
意外と足速いんだね、あの人」
…俺を探していた時のことか…。
「で、どうなの?
来たの、来てないの?」
「…それは……」
……………………。
言葉を返すことが出来ず、無言のままうつむいていると、温度の低い声が聞こえてきた。
「…ふぅん」
「…………………」
「…まぁいいや。じゃあ」
離れていこうとする足音が何度か聞こえたあと――。
「あ、そうだ」
ハタ、とその音が止んだ。
思わず顔をあげる。
越前は何を思っているのか読めない表情で俺を見ていた。
「…アンタさ、弱いんだね」
!!
「もうちょっと骨があると思ってたけど」
一瞬、今考えていたことを言われているのかと思った。
だが、越前がそんなことまで知っているはずがない。
だとしたら…。
「…試合、見てたのか」
「試合?何のこと?」
「手塚さんとの試合のことを言ってるんだろ」
「ああ、あの試合?
確かにひどかったね」
顔色ひとつ変えずにさらりと言ってのける。
「でも今弱いって言ったのは、テニス関係ないけど」
「え…」
「それじゃ、俺は一応あの人が無事かどうか見てくるんで」
越前は帽子を深くかぶり直すと、さっさと歩いていってしまった。
…………………。
弱い、か…。
越前が俺の何に対して言ったのかは分からない。
そもそも、なぜそんな事を言ったのかも分からない。
だが、辛らつにも思えるその言葉は、今の俺を表すにはあまりにも的確で…、何かを言い返す気にはとてもなれなかった。
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