合同合宿編
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*日吉side
名無しは木更津さんと葵と一緒に歩いていった。
葵は楽しくてしかたがないということを隠そうともせず、はしゃいだ様子で名無しに話しかけている。
そんな葵と話す名無しは、俺のところに来たときの思い詰めたような緊張したような表情とは違って、リラックスした楽しげな表情をしていた。
そんな名無しの顔を見て、俺はほっとしていた。
そして、それと同時に胸が痛んだ。
あいつは俺に何かを言いに来た。
こんな場所にいたから、なかなか見つからなかったんだろう、ひどく息をきらしていた。
このタイミングであんなふうになってまで俺に言いたいことなんて、ひとつしかない。
あいつの性格を考えれば言われなくても分かる。
あいつは、きっと…。
木更津さんと葵と話しながら、小さくなっていく名無しの後ろ姿。
俺から離れていく、名無しの笑顔。
俺はただ、それを見つめていた。
そのとき、ふいに木更津さんがゆっくりと振り返った。
瞬間、目が合う。
―――!
俺は反射的に顔を背けた。
妙な汗が出る。
少し間をおいてからもう一度見てみると、そこに三人の姿はなかった。
………………。
今のは…なんだったんだ。
ただなんとなく振り返ったようには、とても見えなかった。
…木更津さんのことだ。
もしかすると、さっきのあの短い時間で何か感じとったのかもしれないが…。
……駄目だ。
頭がうまく回らない。
………………。
名無しは…。
…名無しが言おうとしたことは……間違いなく、さっきの試合のことだろう。
あの惨めな試合を観て…俺を励ましに来たんだろう。
そうに…決まってる。
なんで…。
なんで、あんなところにいたんだ。
少し前に見たときには全然違う場所で作業していたのに。
試合の途中で何気なくコートの外へと顔を向けたら、そこにあいつがいた。
そして…。
悲しそうな顔をしていた。
……………。
同情したんだろうな。
あそこまでみっともない試合をみせられたんだ、それがいくら嫌いな男でも、さすがに気の毒になったんだろう。
そしてあいつのことだから、黙っていられなくて励ましに来た…そんなところだろう。
………………。
あいつに見られているなんて、思わなかった。
あいつに…あいつに同情されるくらいなら…。
ただ嫌われているだけのほうが…何百倍も、マシだ。
同情なんて…されたくない。
――――――ガサッ
突然、背後から人の気配がした。
ハッとして、振り返る。
その瞬間俺の脳裏に浮かんでいたのは、名無しの顔だった。
だが、そこにいたのは違うやつだった。
「樺地…」
…バカか、俺は。
名無しがここにいるはずがないだろ。
あいつは今、木更津さんや葵と一緒にいるんだから。
…あんな態度をとった俺のところになんか、戻ってくるはずがない。
「樺地、何か用か?」
「……」
「樺地?」
「…………」
問いかけても返事はない。
樺地はただその場に立ったまま、俺をじっと見ていた。
「どうしたんだ?
何か…あったのか?」
樺地が静かなのはいつものことだが、何を聞いても無言でいるのは珍しい。
少し心配になった俺は、樺地に合わせて立ち上がろうとした。
「このままで…いいんですか」
突然、樺地が口を開いた。
「…?
なんの話だ?」
意味が分からず聞き返しても、樺地は相変わらず俺の目をじっと見ている。
「気持ちには…言葉にしなくても伝わるものと…言葉にしなければ伝わらないものがあると…思います」
一体、何を…。
「言葉にしなければ伝わらないものは…どうするのかを…選択しなければ…いけません。
伝えるか伝えないか…です」
「樺地…?」
「伝えないのなら…相手に気持ちを知ってもらうことは…できません。
伝えるのなら…覚悟をする必要が…あります。
傷つく…覚悟を」
傷つく…覚悟?
………!!
ま、まさか…。
さっきのやりとりを見てたのか?
「言葉にすれば…それに対する答えが…返ってきます。
それは…望み通りのものとは…限りません」
…さっきの様子を見ていたとしたら、樺地は俺が名無しの話を聞かなかったことを後悔していると思っているのかもしれない。
それを名無しに伝えるべきだと言っているのかもしれない。
だが、俺は…。
「樺地、俺はもう…」
もう…あいつのことは…。
これ以上…考えたくない。
俺は名無しのことが嫌いだとずっと思っていた。
それは間違いだったと…知った。
だが…。
あいつは俺を……嫌っている…。
…それでもあいつはああいうやつだから、俺に関わろうとしてきた。
俺がいくらひどい態度をとっても…。
だがそれも、もう終わりだ。
終わりで…いいんだ。
俺に関わると、あいつが傷つく。
俺が…傷つけてしまう。
駄目だと分かっていても、あいつがそばにいるとどうしても心が落ちつかなくなって…。
自分をうまく制御できなくなる。
だから…これでいい。
これでもう、あいつは俺に近づかない。
あいつはもう…傷つかない。
「…樺地、俺はこのままでいいんだ」
「……」
「このままが…一番いいんだ」
このままが一番いい…、それは本当の思いのはずだ。
それなのに…。
…俺はなぜか、樺地の目を見ることが出来なかった。
「自分は…知っています」
……?
「傷つく覚悟をして…行動に移した人を…知っています」
「…そいつは、強いんだな」
「…いいえ」
樺地の表情が、わずかに寂しげに曇る。
その誰かを思い浮かべているんだろう。
「特別に…強いわけではないと…思います。
ただ…、相手に伝えたいという気持ちが…とても大きかったから…」
「……」
「相手への気持ちが…その人を…強くしたんだと…思います」
「そう、か…」
傷つく、覚悟…。
……………。
そう…だな。
俺は…恐れているんだ。
あいつを傷つけることを。
あいつが傷つくことで…俺自身が傷つくから…。
「………。
考えて…ください」
「…?」
「苦しくても…自分の本心から…目を背けずに…考えて…ください。
そうして出した…答えなら…後悔はしないと…思います」
「………」
それからしばらくして、樺地は帰っていった。
一人になって、さっき樺地に言われたことを思い出す。
苦しくても、考える…。
……………。
…俺は…やっぱり、もうあいつを傷つけたくない。
あいつが俺を嫌っている以上、できるだけ関わらないようにするのが一番いい。
だが、それは俺の本心と言えるんだろうか。
本当は…。
本当に望んでいるのは……。
名無しのことを考えようとすると、それだけで苦しくて苦しくてたまらなくなる。
その苦しみから逃げ出したくなる衝動に必死に抵抗して、俺は名無しに対する自分自身の本心を確かめようとした。
ドクドクと早鐘を打つ心臓をしずめるように、息を吐いて目を閉じる。
するとまぶたの裏に、今まで数えきれないほど見てきた名無しの笑顔が浮かんだ。
……他のやつらに見せるあの顔を、俺にも向けてほしい。
俺が見たあいつの笑顔は、いつも他の誰かに向けられたものだったから…。
今までずっと心の奥底に押し込めていたそんな素直な思いが、まるで名無しの笑顔に惹きつけられたかのように、あっけないほどあっさりと浮かび上がってきた。
ゆっくりと目をひらく。
ふと気がつくと、俺は笑っていた。
本当に…情けない男だな。
嫌われて当然のことをさんざんしておいて、今さらこんな調子のいいことを考えるなんて。
自分が本当に望んでいたことを、今ごろになってようやく知るなんて。
何もかも…遅すぎるのに。
今さら俺が何を言っても、あいつはもう…。
それでもあいつに…名無しに伝えたいなら……。
必要なのは…傷つく覚悟……。
…………………。
俺も…強くなれるんだろうか。
さっき、樺地が話してくれた奴のように…。
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