私のヒーロー・番外編
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*日吉side
今日は部活が普段より少し早めに終わった。
帰宅した俺は空いた時間を利用して、数日後へと迫った合同合宿の為の準備を部屋で始めることにした。
テニスを始めてからは、遠方で大会や練習試合があるたびに荷造りをする必要があったから、もうすっかり慣れた。
ーーコンコン
ふいに誰かがノックする音が聞こえて、それに返事をしようとした。
が、その次の瞬間…。
「若くーん、あーそーぼー!」
ふざけた声が聞こえてきたせいで、出かかっていた言葉が引っ込んだ。
「若くーん、大好きなお兄ちゃんだよー!」
………………無視しよう。
「若くーん?」
…………………。
「あれ?ねぇ若くんってば!いるんでしょ?」
…………………。
「居留守使うなんてひどいわっ!
私のことは遊びだったのね?!」
…………………。
「しくしく……。えーんえーん……」
……………はぁ、しつこいな。
諦めて、しかたなくドアを開ける。
「あっ、若くん!やっと出てきてくれたー!やーん、会いたかったー!」
ーーバタン
目を潤ませながら両手を広げた兄貴が視界全体に入って、反射的に閉めてしまった。
一秒かかってないかもしれない。
「ちょ、なんで閉めるの?!」
「その口調やめろ、気色悪い」
「えー。ノリが悪いなぁ、もう」
「帰れ」
「わ、分かった分かった。もうやめるから!」
もう拒否するのさえバカバカしい。
しかたなく兄貴を部屋に入れると、俺はさっさと荷造りにもどった。
「で、何の用だ」
作業しながら尋ねる。
あんな調子で来たくらいだ、どうせたいした用事じゃないだろう。
「若、合宿の準備してるんだろ?
だからコレをあげようと思ってさ」
パサ、と紙の音がした。
見るとそれは何かの雑誌で。
「これから絶っ対に必要になるからな。だから遠慮なく受けとれ!」
得意気な兄貴から、半分無理矢理手につかまされる。
「?何だこれ」
「お前の合宿をより有意義にするための必須アイテムだっ!」
合宿をより有意義に…?
その言葉に興味をひかれて、俺は表紙に並ぶ文字を見つめた。
なになに……?
「“この夏、絶対彼女をゲットする!”」
………………………。
「……“気になるあの子を振り向かせるための極意を伝授!!”…………」
………………………。
「……“セイシュンヲバライロニシタイダンシショクンニオクルエイキュウホゾンバン”…………」
………………………。
…………………………………………………。
ーーポイッ
ほとんど無意識に雑誌を放り投げてしまった。
「あーーーーーーーーーっっ!!!」
ズザザーーッ。
全く見当違いの方向に投げたのに、滑り込んでキャッチする兄貴。
どんな運動神経してるんだよ。
「何すんの!?この子は俺の大事な大事な宝物なんだぞっ」
「なら大事に持ってろよ。俺には必要ない」
「えええー?ホントにぃー?」
「あぁ」
「でもでも合宿にはあの子たちも来るんだろ?ほら、青学の子たち。
仲良くなるチャンスじゃないか」
前に練習試合の話を兄貴にしたとき、青学から1年の女子が手伝いに来たことを話したことがあった。
その話を目を輝かせて聞いていたのを思い出す。
「興味ない」
答えると、兄貴は不服そうに口を尖らせた。
「じゃあその子たちじゃなくてもいいからさ、気になる子はいないのか?
テニスもいいけど、女の子と仲良くするのも楽しいぞ!」
「そんな奴、いなーー」
ーー“日吉くん”
…………っ!!
“そんな奴、いない”
そう言うつもりだった。
なのに言い終わる直前、なぜか名無しの顔が頭に浮かんできた。
なんで…、このタイミングであいつのことを思い出したりするんだよ。
全然あいつとは関係ない話題なのに。
………………。
「…んんん?これはもしや?」
………ハッ!
気がつくと、兄貴が腕組みをして俺をじっと見ていた。
「今の沈黙……。
さては気になる子がいるな?!いるな!?」
「い、いない」
かすかに声が震えてしまった。
めざとい兄貴がそれを見逃すはずがなく。
「よしっ、こうしちゃいられないっ!ゴー!!」
何かを思いついたようにひざをたたいて、一目散に走り出す兄貴。
猛烈に嫌な予感がして、その肩を俺は手を伸ばして必死につかんだ。
「待てよ、どこに行くつもりだ」
「どこって、決まってるだろ?母さんのところだよ」
「…何しに」
「もうっ、分かってるくせに!本っ当に照れ屋さんだなー、お前は!
まぁ今日はさすがにもう間に合わないからさ、明日の晩ごはんをお赤飯と鯛のお頭つきにしてもらおうな!心配いらないぞ?お兄ちゃんから母さんにちゃーんと頼んでおくから!あ、ケーキもいるかな?いるよな?
お前の青春を家族みんなでお祝いしなきゃっ!キャッキャッ!」
……はぁ。
やっぱりろくな事じゃなかった…。
「やめろ。絶対にやめろ」
「え?ああ、そうか、さては恥ずかしいんだな?年頃だもんな!ごめんなー、お兄ちゃん気がつかなくて!
じゃあ母さんたちには悪いけど何か別の理由にして、俺たちの心の中でこっそりお祝いしよう!
理由は何にする?例えば俺に好きな子ができたとか…」
「何回赤飯たくんだよ。鯛だってそんなにしょっちゅう買えないぜ」
「うっ、それは…。
ええっと……、そうだ!俺に彼女ができたっていうのは?!」
「永久に食べられないかもしれないな」
「うぅっ……!
お、俺の生命力が…ライフがどんどん削られていく……」
がっくり肩を落とす兄貴の様子に、思わずため息がもれた。
「そもそも気になる女子なんかいないって言ってるだろ」
「えー…、そうなのか?」
「ああ」
「本当の本当に…?」
「ああ」
そう答えると、兄貴は寂しげに「残念だなー…」とつぶやきつつ、あの雑誌を俺にもう一度渡そうとしてきた。
「でもこれはお前にやる」
「いらない」
「いつか必要になるときが来るの!絶対来るの!」
改めて差し出されたそれを、どうしたものかと見つめること数十秒。
「でもいいのか?兄貴の宝物なんだろ」
「大丈夫!もう一冊あるから!」
「……は?」
「いつかこんな日が来ると思って2冊買ったんだ~。
もう一冊は新品状態だけど、若には俺がよーく読み込んだこっち!
な・ぜ・な・ら~」
ーーバッ!
「ジャジャジャーン!!」
得意気に俺の目の前に雑誌を開く兄貴。
そこにはあちこちに色とりどりのペンで線が引かれていたり、丸で囲まれているところがあった。
「…なんだ、これ……」
「お兄ちゃんポイントだっ」
「……は?」
「お兄ちゃんがはずしちゃいけないと思ったポイント。略してお兄ちゃんポイント」
「あ、そう……。
でもそれじゃあんまり参考にはならないな」
「うっ…!
言っちゃダメ!それは言っちゃダメだぞ、弟よ!!」
兄貴の勢いにおされて、俺は結局雑誌を受け取った。
俺には必要ない雑誌だが、延々このやりとりが続くのはあまりにも不毛すぎる。
俺が受け取ったことにある程度満足したのか、兄貴は笑顔でウンウンとうなずいた。
…まったく、そこまで必死になるようなことかよ。
「なぁ、若」
「なんだよ」
「俺はいつもお前の味方だからな」
……………………。
不意打ちだったから、黙ってしまった。
「何か悩みとか困ったことがあったら遠慮なく俺に言えよ?
絶対に助けてやるからな」
……………………。
「…あぁ、分かってる」
「そうか、ならいいんだ!
じゃあお兄ちゃんは戻るけど、もうすぐごはんだからそこそこで切り上げるんだぞ?」
「分かった」
兄貴が部屋から出ていって一人になった俺は、兄貴から言われたことを考えていた。
今までああいうことを兄貴が言ったときは、いつも本当に俺が悩みや迷いを抱えているときだった。
つまり、近頃の俺も何かに苦しんでいるように兄貴の目には映っていたということだ。
心当たりはーー。
…………………。
無いとは…言えない。
ここ最近、俺は気がつけば合宿のことを考えていた。
合宿のこと…、そして名無しのこと、千石さんのことを。
合同合宿であの二人は再会する。
それが決まってから、俺はこれまで全く信じていなかったあるものの存在をそれまでのようには否定できなくなった。
それは……、“運命”。
運命なんてものは無いと俺は思っていた。
どんな道もどんな結末も、全て人が意志によって作り出すものだと思っていた。
だが…、あの二人を見ていて思った。
運命は存在するのかもしれない、と。
ほんの少しでも何かがずれていたら、あの二人は出会わなかった。
どちらか一人の選んだ道が違っていたら、再会することもなかった。
本当に、何かひとつでも違っていたら、ずっとお互いの存在すらも知らないままだっただろう。
だがあの二人はまるで出会うことや再会することが定められていたかのように、細かく枝分かれした道を相手のたどり着く場所目指して迷わず進んでいったようにさえ思える。
ひとつひとつは日常にあふれているただの偶然かもしれない。
だがその小さな偶然がまるで奇跡のようにいくつも重なったなら、それは運命と言えるんじゃないだろうか…。
ふと視線を落とした先に、兄貴から渡された雑誌があった。
表紙に踊る文字に目がとまる。
ーー“この夏、絶対に彼女をゲットする!”
彼女、か……。
…………………。
あの二人がお互いをどんなふうに思っているのか、俺は知らない。
だが、もし運命の相手同士なら…。
名無しはいずれ、千石さんの……彼女、になるのかもしれない…。
そうなったところで、べつに俺には関係ないことだが…。
考える意味も必要性もないことなのに、気づけば考えてしまっている。
そして考えるたびに、あのクリスマスの日にも感じた濃い霧のようなものが胸に広がっていく。
正体の分からない、嫌な感覚が……。
ーーー?
そのとき、わずかに視線を感じた。
その方向へとさりげなく目を向けると、閉まっていたはずの部屋のドアがいつのまにかほんの数センチ開いている。
俺は無言のまま素早く姿勢を整え、手にしていた雑誌を縦に持ち直して、その隙間へと投げつけた。
雑誌はシュルシュルと縦回転しながら隙間を通り抜けてーー
「うぐっ」
「……手応えありっ」
駆けよってドアを開けると、鼻を押さえた兄貴がうずくまっていた。
抜かりなく雑誌もしっかり保護している。
「イタタタ~…」
「のぞき見なんかよくできるな」
「ち、違うもん!
兄は可愛い弟がちゃんと雑誌読んでくれるか心配だったんだもん!捨てるんじゃないかと思ったんだもん!」
……………………。
…本当は雑誌どうこうじゃなく、俺を心配していたくせに。
「捨てたりしない」
俺は兄貴の手から雑誌を取った。
「え、ホント?」
「読みもしないが」
「ガーン……」
別に突き返してもよかった。
だが俺を心配する兄貴のその気持ちや、雑誌の中に細かくつけられているマークを思うと無下には出来なかった。
全力で落ち込む兄貴を横目に、半ばあきれながらも俺は雑誌を本棚の隅にしまった。
そして思った。
名無しのことは兄貴には絶対に知られないようにしようと。
間違いなくややこしいことになるからな。
……end.