私のヒーロー・番外編
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*跡部side
放課後の生徒会室。
副会長と二人、仕事にあたる。
きのう処理しきれなかった分があるだけで、さして量はない。
だから俺たち以外は帰らせることにした。
「跡部、コーヒーいれたよ。休憩にしよう」
「あぁ、悪いな」
「ううん」
いい香りが部屋の中に広がる。
この物静かで穏やかな副会長は、よくこんなふうにコーヒーをいれる。
余程好きらしい。
「ねぇ。
名無しさんまで帰してよかったの?」
「いいに決まってるだろう。
そもそも俺ひとりでも問題ないくらいなんだぞ」
「そういうことじゃなくてさ」
何か言いたげな様子を不思議に思いながら一口飲んでいる間に、すぐにその答えが分かった。
「寂しいんじゃないかなと思って」
………………。
聞き間違いか?と思いつつも、念のため聞き返してみる。
「誰が」
「跡部が」
「…なんで」
「名無しさんがそばにいないから」
………………。
どうやら聴力に問題はないようだ。
「何を藪から棒に」
「だって寂しそうだし…」
「んなわけあるか」
この頭のまわる副会長は、それゆえに時々余計なところにまで気をまわす。
俗にいう、おせっかいというやつだ。
「でもさ、名無しさんが生徒会に入ってから跡部はいつもあの子と一緒だったでしょ?それこそ多いときは朝も昼も放課後も。
それだけ一緒にいたら、やっぱりそばにいないと寂しくならない?」
……………。
寂しい、というのとは違うが、あいつがいないとき確かに何か空虚な感覚は覚える。
副会長の言うとおり、最近はすっかり名無しがそばにいるのが当たり前になっていたからだろう。
「寂しいとは思わねぇが…」
コーヒーをまた一口飲みながら、この感覚に合う言葉を探す。
「そうだな…。
物足りない、って感じか。わずかな喉の渇きのような。
そんな感覚はするぜ」
言い終えて、副会長を見やる。
すると、ポカンとこっちを見ていた。
「どうした」
そこで副会長はハッとしたように何度かまばたきをした。
「…あ、ごめん。
まさか肯定するとは思ってなかったから」
「肯定はしてねぇぞ。
そもそもお前が言い出したことだろうが。驚きすぎだろう」
「てっきり、そんなことはない!って否定すると思ってたんだよ」
「事実なら認めてやらないこともねぇ」
「あはは、それじゃどっちか分からないよ。
あー、でもそれで合ってるかも。
跡部って素直そうで素直じゃなくて、素直じゃなさそうで素直だもんね」
「アーン?
お前こそ、それじゃ訳が分からねぇじゃねぇか」
副会長がなぜか楽しげに笑う。
その理由もすぐに分かることになるわけだが。
「実は俺ね、跡部と名無しさんが一緒にいるところを見るのが好きなんだ」
今度は俺がポカンとする番だった。
副会長はそんな俺の様子にふっと笑って続ける。
「跡部と名無しさんはお互いに相手のことが本当に好きだよね。
そんな二人を見てると、なんだか優しい気持ちになれるんだ。
ほら、俺たちももう小さな子どもじゃないからさ。他人との関係に計算とか損得の勘定とか、そういうものが混じってきちゃうでしょ」
コーヒーカップに口をつける副会長のまなざしに、かすかに影が降りたような気がした。
こいつは本当に余計なところにまで気を配るから、些細なことからでもいろいろと感じるところがあるのかもしれない。
「でも跡部たちにはそれがない。純粋に、ただ相手を好きなだけ。
だから見てるほうまでなんだか幸せな気分になれるんだ」
「…ずいぶん簡単に幸せになれるんだな」
「簡単なことじゃないよ。すごいことだよ」
…すごいこと、か。
確かにそうだ。
名無しが俺を慕っていることは俺も知っている。
その中に何の打算も無いことも。
だから俺はあいつといるとき、柄にもなく気が緩む。
それをとっくに自覚しているくせに、らしくねぇと思っているくせに、あいつがそばにいるとそんなわずかな後ろめたさすら心地よく感じる。
他人と一緒にいてそんなふうに思うってことは、確かにすごいこと、だ。
「可愛くて可愛くてしょうがないでしょ」
「アーン?」
「名無しさんのこと。可愛いでしょ?
あの子、跡部のことすごく尊敬してるし、跡部のこと助けたい、支えたい、少しでも力になりたいって思ってる。
大変なことがあっても跡部についていこうって一生懸命だし」
「…………」
「名無しさんを見てるとそういう気持ちがあふれてて、すごく健気で…。
だから、跡部も名無しさんのことが可愛くてたまらないんじゃないかなって」
俺はいつかの出来事を思い出していた。
あいつが朝も昼も仕事をして、俺に休息をとらせようとしたことを。
あのとき、なんとも形容しがたい感情がこみあげた。
“可愛くてたまらないーー”
「……そうだな」
一度きりじゃない。
これまでに何度もあった。
そう思ったことは…何度も……。
「思ったぜ、何度も」
「えっ……………」
「だから、驚きすぎだろ。お前が言い出したんだぞ」
「それは…そうなんだけど……。
まさか認めるとは………」
あっけにとられているこいつを見ているのも悪くはねぇが…。
言うことは言っておかねぇとな。
「一応言っておくが、お前が考えてるような色っぽい意味じゃねぇぞ」
「…えっ?」
「女として見てるわけじゃねぇってことだ」
「つまり、あくまで後輩ってこと?」
「あぁ」
えぇ…?と、残念そうな声をあげる副会長。
思ったとおり、色恋沙汰を期待してやがったな。
「ククッ、残念だったな」
「うーん……」
納得がいかないって顔だが、事実だからしょうがねぇ。
俺は名無しのことを後輩として気に入っている。
わずかに残っていたコーヒーを飲み干し、何気なく頬杖をついた。
遠くから部活中の生徒たちの声や物音が幾重にも折り重なってここまで届いてくる。
会話を止めると静かなこの部屋は、まるで違う空間に存在しているかのようだ。
「ねぇ、跡部」
「アーン?」
声だけで返事をする。
「がんばれ」
…………………。
……?
一瞬意味が分からず、視線が宙に止まった。
「何をだ」
だがしばらくすれば、思考が追いついてくる。
こいつが何に対してがんばれと言ったのか。
「未来の跡部に。がんばれ」
…ったく。
こいつらしいと言えば、らしい。
「そんな未来はこねぇと思うぞ」
「もし来たら。俺、応援団長になろうかな」
「物好きだな」
「言ったでしょ?二人を見るのが好きなんだよ」
ふふ、と穏やかにほほえむ副会長を横目に見ながら、空になったコーヒーカップの縁を人差し指で何気なく撫でる。
……来ねぇと思うがな。
俺が名無しを一人の女として意識する日なんて。
「ね、もう少しだけおしゃべりタイムにしようか。
それでも仕事は俺と跡部ならすぐ終わるし」
「しょうがねぇな。
お前のコーヒーがついてくるならいいぜ」
「さすが跡部。話がわかるね」
副会長は席を立つともう一度コーヒーをいれ始めた。
再び広がる香りに、ふと名無しを思い出す。
ククッ、と笑みがもれた。
「なに、どうしたの?」
副会長はカップを手に不思議そうに首をかしげた。
「あいつがここでお前らと初めて顔を合わせた日のことを思い出したんだ」
「あぁ、あれね」
どうやら何の事かが分かったらしく、笑いながらうなずいた。
「名無しさんの緊張をほぐそうと思ってコーヒーいれたはいいけど、俺、砂糖とミルクを勧めるの忘れちゃってたんだよね。
難しい顔して少しずつ少しずつ飲んでるからおかしいなーと思ったら、気をつかって無理して飲んでくれててさ。ブラック苦手なのに」
「樺地から砂糖とミルクを渡されたときのあいつの顔が、なかなかお目にかかれない間抜けっぷりだったな」
「間抜けじゃなくてすごくいい顔だったよ。
助かったー!って声が聞こえてきそうなキラキラした顔だったね」
はいどうぞ、と笑顔で差し出された湯気の立ち上るコーヒー。
受け取ったとき、今ここに名無しがいたらと考えた。
俺たちはブラックだが、あいつは砂糖とミルクをたっぷり入れたんだろうな。
甘い菓子も欲しがったかもしれない。
出してやったら、きっと小さな子どものように喜んだだろう。
「あーあ。
やっぱり名無しさんにも残ってもらえばよかったなぁ」
どうやら副会長も俺と同じようなことを考えていたらしい。
「……そうだな。
それも悪くなかったかもしれねぇな」
「ふふ。
ねぇ跡部、今度こんな機会があったら名無しさんにも残ってもらおうよ」
「機会があればな」
「名無しさん用にお菓子準備しておかなきゃね」
「お前はあいつに甘いぞ」
「そんなこと言って、跡部だって思ってたくせに」
嬉しそうにニコニコしながら俺を見るその視線に、そこはかとない居心地の悪さを覚えてつい目をそらした。
「ほらね、やっぱり」
「ったく…、嫌な野郎だぜ」
「ふふ、ありがとう」
「褒めてねぇぞ」
「跡部のそういうのは褒め言葉だから」
静かな放課後の生徒会室。
副会長がいれるこのコーヒーにも様々な記憶が刻まれてきた。
生徒会室での様々な出来事が。
だが今一番に思い出されるのは名無しのことだ。
…いつのまにか、そうなっていた。
一口飲んで、目を閉じる。
…大切なものは、そうと意識しないうちにこうして少しずつ重なって、心の中に居場所を広げていくものなのだろう。
自覚したころには、もう失うことなど想像するだけでも恐れを伴うほどに大きな存在になっている。
だからこそ、いつ失うか知れないからこそ、俺は大切な存在を思う存分心ゆくまであきれるほどに大切にしたい。
名無しも、俺にとってそんな存在の一人だ。
だから、必ず大切にする。
あいつがあいつらしく笑っていられるように。
あいつの間抜けでのんきな笑顔を守ってやれるように。
大切な…後輩だからな。
「よし、そろそろ仕事にもどるぞ」
「うん、そうだね。早く終わらせちゃおう」
意識するまでもなく、早々に終わるだろう。
そうしたら家に帰ってシェフに相談してみるか。
名無しが喜びそうな、コーヒーに合う菓子を。
……end.