合同合宿編
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*日吉side
泣きじゃくる名無しを近くのベンチまで連れていって座らせる。
一人分くらい距離を空けて、とりあえず俺も腰かけた。
すぐに会議室へ行こうかとも思ったが、こんな状態で一人にするのは、たとえ短時間といってもためらわれた。
こいつを連れていったとしても、万が一誰かに出くわしたら泣いているところを見られてしまう。
それはこいつが嫌がるだろう。
自分の足もとを見ていても、名無しの肩が、腕が、背中が小刻みに震えているのが分かる。
さっきからもうずっとこんな調子だ。
こんなとき、何を言えばいいのか何をすればいいのか。
何一つ、気のきいた事が思い浮かばない。
やっと俺と名無しとの間にあった誤解が無くなったのに。
相変わらず俺は何もしてやれない。
ベンチの上の一人分の距離が、やけに遠く感じられた。
そっと隣へと目をやると、涙をぬぐう名無しの指をすり抜けるように、新たにあふれた涙がその頬を濡らしていた。
頼む…泣かないでくれ……。
名無しへと向かって手を伸ばす。
名無しの頬に、少しずつ俺の指が近づく。
そして――。
「……っ!」
名無しの体温をわずかに感じるほど指が迫ったとき、ハッと我にかえった。
俺は…今…。
何をしようとした…?
それは無意識だった。
名無しの涙を見ていたら、胸がどうしようもなく苦しくなって…。
なんとかしてその涙をとめてやりたくなった。
こいつの涙を、俺がぬぐってやりたくなった。
無意識だったからこそ、そこに自分自身の本当の感情を見たように思えて、顔が熱を帯びた。
「か、会議室に行ってくる。ちょっと待ってろ」
思考を無理矢理断ち切るように、俺は腰をあげた。
『ひよし、くん…。
会議室に、行っちゃうの…?
どう…して…?』
名無しの震える声が不安げに俺に問いかける。
「ティッシュを取ってくるだけだ。
要るだろ?…泣いてるんだから」
『す、ぐ…戻ってくる…?』
「あ、あぁ」
『ほんと…?
ティッシュ、持ってきたら…どこか、行っちゃうの…?』
「え…?」
『私が…ずっと、泣いてるから…嫌に、なっちゃった…?』
必死に涙をこらえて、名無しは俺を見上げる。
その間にもみるみるうちに目尻に涙がたまって、潤んだ瞳から一粒こぼれ落ちた。
「お前を…嫌だなんて、思うわけ…ない、だろ」
……顔が熱い。
普段の自分なら言えないような台詞を口にしていると自覚して、鼓動が速くなる。
本音だった。
こんなことでこいつのことを嫌になんかなるはずがない。
だがそれを直接名無しに伝えるなんて、自分でも信じられない。
それでも今は自分の口にブレーキをかける力より、名無しを安心させてやりたい気持ちが大きかった。
『ほんと…?ほんとに、すぐ…戻ってきてくれる…?』
「あぁ」
『そしたら…また…、一緒にいてくれる…?』
「…あぁ。ここにいる」
俺の言葉を聞いた名無しは、やっと安心した様子でほほえんだ。
その笑顔を見て、勝手に心の奥がじんと暖かくなる。
…今は名無しも感情が高ぶっていて、冷静な状態じゃない。
今までの色々な出来事や思いが頭の中に渦巻いていて、ふわふわと浮いたような心地でいるはずだ。
…そしてそれは俺も同じ。
だから俺もいつもなら決して言えない言葉を口にする。
名無しが必要以上に俺がそばから離れることを不安がったり、まるで俺に…甘えるような、この声も視線も…、今だからに違いない。
頭の片隅で冷静な俺がそう言っているのに、一方でもう一人の俺は平静を保つことができずにいた。
いつもとは違う名無しの仕草や声色…そのひとつひとつに心がざわついて、おさまらない。
「じゃ、じゃあ…行ってくる」
理由のわからない気持ちを抱えたまま、俺は会議室へと向かった。
会議室には記憶のとおりティッシュがあった。
それをケースごとつかんで、もと来た道を急いで戻る。
その間もずっと、頭に浮かぶのは名無しのことばかりだった。
俺が離れて不安がっていないだろうか。
また…泣いたりしていないだろうか。
外へと続く扉をあけると、その先に名無しが一人でポツンとベンチに座っているのが見えた。
薄暗い中で、その姿はやけに頼りなく映った。
歩き出してしばらくすると、俺の気配に気がついた名無しが振り向いた。
少し不安げだった表情が、俺を見つけると瞬時に笑顔に変わる。
『日吉くん……!』
自分でも訳が分からなかった。
名無しが笑顔になるだけで、俺の名前を呼ぶだけで、なぜこんなに胸が苦しくなるのか。
なぜ…苦しいのに嬉しいのか。
「…ほら、使えよ」
いっこうに収まらないざわつきに戸惑いながら、ティッシュケースを差し出す。
『ありがとう…』
嬉しそうにほほえむと、名無しはそれを大切そうに受け取った。
そして、ももの上にそっと置く。
「……?
なんでそんなそっと扱うんだ」
ティッシュケースなんて、べつに繊細なものでもないのに。
俺は何気なく疑問に思ったことを聞いただけだった。
だがそれに対して返ってきた答えに、俺のざわつきはさらに増すことになる。
『だって…。
日吉くんが…わざわざ、取ってきてくれたものだから…。
だから、大事だなって思って』
言葉を失った。
身体中に広がっていくこの感覚は何なんだ…?
生まれて初めて感じる…。
苦くて痛くて、暖かくて熱くて、甘い……。
『日吉くん……?』
黙って立ち尽くしている俺を不思議に思ったのか、名無しは小さく首をかしげた。
「あ、あぁ…なんでもない…」
名無しはまだ少し不思議そうだったが、使わせてもらうねと言って、ティッシュを目もとにあてた。
二枚三枚と使っていくうち、涙が乾いていくにつれて気持ちも落ち着いてきたらしい。
名無しの口調からは、たどたどしさが随分消えていた。
『あの…日吉くん。
鼻、かんでもいい?』
さっきと同じように距離を空けて座った俺に、おずおずと名無しが聞いてくる。
「鼻?かめばいいだろ」
わざわざ許可をとる理由が分からなかったが、忍足さん曰く“女の子にはいろいろあるんやで”…らしい。
忍足さんのさとすような笑みが脳裏に浮かんで、一瞬イラッとする。
だが確かにそうなのかもしれないと思い直す。
現に理由が分からないんだから。
微妙にイライラしながらそんなふうに考えていたとき、辺りにけたたましい音が響いた。
――ブーーーン、ジーーーン!!
…!!?
な、なんだ!?
今の騒音は……!
慌てて周りを見回してみた。
…が、俺たち以外には誰もいない。
あんな騒音が聞こえてくるような要素もない。
………???
思わず首をひねる。
すると、またしても名無しが恐る恐る口を開く。
『あ、あの…日吉くん』
「な、なんだ?
今ちょっと考え事を…」
『ごめん…、今の、私』
「?何が」
『だ、だから…その…今の音…、私…なんだ』
「……………私って……。
!ま、まさか今の騒音はお前が鼻かんだ音か?!」
『は、はい…』
気まずそうに顔をふせる名無し。
「おまっ…、いつもあんな騒音出して鼻かんでるのか?」
『いつもじゃない…けど…』
「てことは今みたいな騒音出すこともあるんだな?」
『は、はい…』
「バカ、あんなかみ方するなよ。身体に悪いぞ!」
『は、はい…。すみません…』
「そもそもよくあんな騒音出して鼻かめるな。
せめて周りに人がいるときくらいはもっと気をつかって――」
ハッと気がつくと、名無しの目がまた潤んでいた。
『だから最初に聞いたのに…。っく…、うぅ……』
あ…。
やってしまった。
「お、おい、泣くなよ。
俺が悪かったから…」
『だって、だって…。
日吉くんに怒られた…』
「べ、べつに怒ってないだろ?!」
『うっ、うっ…。
日吉くんに…嫌われた…うぅ…っ』
「きっ、嫌いだなんて言ってない」
『うそ…。ひよしくん、優しいから…、うそ、ついてる…』
「う、嘘なんかついてない。
そもそも俺は優しくない」
『ううん、ひよしくんは、優しいよ…。
だから、うそなんだ…。
やっぱり、ほんとは私のこと…嫌いなんだ…』
もう一度泣き出してしまった名無しは、何回言っても信じようとしない。
…あぁ、もう…頑固だな、こいつ。
「…本当に嫌いじゃない。
俺は…お前の良いところを、その…」
あぁ、くそ…。
なんで俺、こんな必死になってるんだよ。
「…たくさん、知ってるぜ。
それなのに、嫌いなはずないだろ」
俺を見つめる名無しの目が丸くなる。
『私の、良いところ…?』
「あぁ」
『ほんと…?』
「あ、あぁ」
俺は何を言ってるんだろう。
恥ずかしさで、顔が爆発するんじゃないかと思うほどだ。
『……………』
「な、何だよ」
驚いたように俺を見つめていた名無しの目が、今度は細められた。
『……ふふっ』
くすくすと笑い出す名無し。
「な、何だ。なんで笑うんだよ」
『だって…やっぱり日吉くん、優しい、から』
「…っ」
『それに、嫌われてなくて…よかった…。すごく、うれしい…』
――ドキッ。
鼓動が高鳴る。
涙まじりの名無しの笑顔に惹きつけられて、釘付けになった。
………………………。
………………。
………。
そんな俺の心を知らない名無しは、安心したようにさっきより控えめに鼻をかみ始める。
――ジーン、ブーン!
途中、俺をチラリと見ては幸せそうにほほえむ。
ふと気がつけば、俺たちの間にあった一人分の距離は……。
…無くなってはいないが、半分ほどになっていた。
……………………。
ハァ…。
…俺くらいじゃないか?
鼻かみながら笑ってる女子に見入る男は。
…絶対に俺くらいだろ。
そんな女子を、一瞬でも……可愛い、なんて思う男は。
…やっぱり、どう考えても今の俺は冷静じゃない。
絶対に冷静じゃない。
…よく考えてみろ。
こいつ、鼻かんでるんだぞ。
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