合同合宿編
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*日吉side
信じられない。
たった今、名無しから聞いたこと全てが。
頭の中は俺自身の感情と名無しの思いとでぐちゃぐちゃだった。
こいつは俺を嫌っていなかった。
それどころか、俺ともっと普通に話したいと思っていた。
そんなの…嘘だろ?
俺を傷つけまいと、嘘を言ってるんだろ?
そう思った直後、こいつはこんなに上手く嘘をつけないやつだったと思い直す。
こんな悟ったような顔で冷静に偽りの気持ちを話すなんて芸当ができるはずがない。
そんなことは俺だってよく知っている。
だとしたら…。
この信じられない内容全てが真実だということになる。
頭がうまく回ってくれない。
…落ち着け。
落ち着け……。
何度も繰り返し、自分に言い聞かせる。
そうしているうち、ひとつの答えにたどり着いた。
俺と名無しの望みは、同じだった。
そんな、嘘みたいであり得ない答えに。
俺は名無しが話している間、何も言えなかった。
――“お前が俺を嫌ってることくらい、知ってるんだぜ”
そう言って傷つけた俺を映すこいつの目はあまりにも悲しげで、自分の思いを話す表情はまるで何かを覚悟したようだったから。
その何かが俺との関わりの終わりのような気がして、名無しの気持ちをひとつ知るたび、その覚悟を知るたび、俺は何も言えなくなった。
俺が情けなくただその場に立ち尽くしていると、名無しは俺に背を向けて歩き出した。
その先にはここに来るときに通った、外と建物の中とを繋ぐ扉がある。
すぐそばにいた名無しが、一歩一歩離れていく。
こんな光景を見るのは初めてじゃなかった。
苦い記憶がよみがえる。
一度目は去年のクリスマス。
二度目は今日の昼休み。
これが三度目だ。
いつも同じ気持ちだった。
引き留めたい。
だが過去の二回のどちらも俺はその気持ちから目を背けて、遠ざかる背中を見送った。
そして、後悔した。
このままじゃ、また同じことになる。
また後悔する。
――“…あの人よりも先に、俺が…今にも泣き出しそうだったあいつに、俺が手を差し伸べるはずだったんだ”
――“このままが…一番いいんだ”
そんな……。
そんなのは…嫌だ。
もう、あんな思いは…。
…したくない!!
「名無し!」
走り出すと同時に名前を呼ぶ。
こんな静かな中だ、叫ぶようなこの声が聞こえていないはずがない。
だが名無しはさっきと違って、振り返りも立ち止まりもしなかった。
速足で迷いなく扉へと向かっていく。
「おい、名無しっ。
聞こえてるだろ、待てよ!」
普通に考えれば、走っている俺が追いつけないはずはない。
それでも俺は必死だった。
早くつかまえないと、もう二度と追いつけないような気がした。
走ったのは、ほんの少しの距離だった。
試合や練習で走る距離を思えば、走ったうちにも入らない。
だが名無しに追いついたとき、俺は何故か息がきれていた。
「待てって言ってるだろ!
なんで無視するんだよ!」
言いながら、俺は名無しの腕を掴んだ。
と、その瞬間、赤くなったこいつの手首を思い出す。
思わず手の力を緩めると、名無しの腕が俺の手からスルリと逃れようとした。
「…っ。
おい、なんで逃げるんだ」
慌てて適度に力を込め直す。
しばらくの沈黙のあと、名無しの小さな声が聞こえてきた。
『…逃げてなんかないよ』
「逃げただろ」
『逃げてない』
「逃げただろっ!」
俺に背を向けたまま無感情に言い放つ名無しに、つい感情が高ぶった。
しまった、かすかな後悔を覚えた次の瞬間、心の奥まで突き刺さるような言葉が聞こえてきた。
『だってもう…、全部終わったでしょ?』
!!!
終わった、という言葉をこれほど強烈に意識したことはなかった。
俺自身、名無しとのことでこれまで何度もそう思った。
そしてそれはこいつも同じだったのかもしれない。
さっきこいつが何かを覚悟しているように感じたのは間違いじゃなかった。
名無しの覚悟は、俺との関わりが終わることだったんだ。
お互いに何の言葉も動きもないまま、時間が過ぎていく。
名無しの表情をうかがい知ることはできない。
相変わらず俺のほうを向こうとはせず、わずかに頬の辺りが見えるだけだった。
…明らかに俺を拒絶している。
今まで俺がどんな態度をとっても、こいつがこんなふうにはっきりと俺を拒むことはなかった。
それだけこいつの覚悟が重かったということだ。
俺はもう後悔をしたくなかった。
名無しを引きとめたい、その本心に正直に動いた。
…………………。
俺は心のどこかで、名無しに甘えていたのかもしれない。
引きとめて話をしさえすれば分かりあえる、俺の望みを受け入れてくれると勝手に思い込んでいた。
実際、こいつはいつも俺を受け入れた。
どんなひどい俺も受け入れてくれた。
だから今回もきっと大丈夫だと…、そんな甘さが俺の心の内にあった。
だが今のこいつは違う。
幼稚な俺の勝手に振り回されて、もう疲れ果てたんだろう。
自分を散々傷つけてきた俺を優しいと言えるほど優しいこいつが、もう俺とは関わらないと覚悟したんだ。
もう、駄目かもしれない。
何を言っても手遅れかもしれない。
そんな考えが脳裏をよぎる。
…やっぱり俺は情けないな。
……怖い。
名無しにこれ以上拒絶されるのが、怖い。
そうなったときに自分がどれだけ傷つくか分かっているから……怖い。
ーー“伝えるのなら…覚悟をする必要が…あります。
傷つく…覚悟を”
………!
ふいに、いつかの樺地の言葉を思い出した。
……そうだ。
自分の気持ちを知ってもらいたいなら、傷つくことを覚悟するしかない。
その怖さを背負ってでも伝えたいことなら……。
俺に腕を掴まれたまま微動だにしない名無しの、わずかに見える頬をじっと見つめる。
…昼休みにこいつが俺のところに来たときは、立場が逆だった。
息を切らして走ってきたこいつに、俺は背を向けたままだった。
それでもこいつは俺に話をしようとしていた。
今になって…、ようやく分かった。
樺地が言っていた、傷つく覚悟で行動に移した人、というのは名無しのことだったんだ。
たぶん、樺地は知ってたんだな…。
あのとき…。
こいつは、どんなに怖かっただろう……。
どんなに勇気が必要だっただろう…。
掴んだ腕から伝わるぬくもりに、名無しの心のあたたかさが重なる。
無意識にほんのわずか、自身の手に力がこもった。
俺はこいつを…。
一体どれだけ傷つけてきたんだろう……。
……………………。
一度、目を閉じてからゆっくりと開く。
そして、俺はそっと名無しの腕を離した。
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