女監督性
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「船上パーティーですか」
ラウンジで夕食後のデザートをつつきならが談笑していた私達にアズール先輩が声をかけてきた。
「はい。ちょっとしたツテがありまして。船を借りたので常連のお客様限定でお声をかけさせていただいています」
学生に船を貸してくれるちょっとしたツテってなんですか。そんなツッコミもこの優秀なオクタヴィネル寮長には愚問であろう。
アズール先輩は私の手元に置かれたポイントカードをチラリと見てからニッコリと目元を細める。
「貴方も大事なお客様ですからね」
大事なお客様、を強調して意味あり気なニュアンスを含む調子で言われてドキリとする。
あのイソギンチャク事件以降、ポイント制になったモストロ・ラウンジは以前よりも活気に溢れ、繁盛するようになった。
ここで提供される食事は学校の食堂とは違い、学生に好まれる見た目、色合い、味付けばかりで私もグリムも大ハマりしてしまっていた。毎日のように通ったお陰でポイントもあっという間に溜まり、今は3枚目も終わりに近付いている。
「お前、毎日通ってるもんな。飽きねーの?」
呆れ気味のエースはクリームたっぷり乗せのプディングを頬張る。
「日替わりメニューもあるから飽きないんだゾ!」
エースの問いにグリムはメニュー表をバシバシと叩いて私の代わりに得意気に答えてくれた。
「ははは……」
そうだね、笑ってグリムに賛同したけれど、本当は少し違う。
ご飯はどれも美味しいけれど、足繁く通っている理由はそれだけじゃなかった。
そしてその理由もこの目敏い寮長にはバレていた。
アズール先輩がパーティーの詳細について説明してくれる。
集中して聞いている同級生達に気付かれないように、視線だけを動かして私はラウンジ内をコッソリ見渡した。
丁度夕飯の時刻のため、人が多い。あちこちから笑い声が聞こえてくる。照明も落ち着いた灯りの中、私の探し人はすぐに見つかった。
ラウンジ端のカウンタースペースでドリンクを作っている長身の人物に胸が高鳴る。
海のような緑に一房の黒、独特の髪色と金色の片目が暗い室内でも存在感を醸し出していた。
私はジェイド先輩に恋をしていた。
彼の姿を見ているだけで自然と頬が火照り緩んでしまう。
ジェイド先輩の一切の無駄のない流れるような作業。配膳スタッフと言葉を交わす時の穏やかな表情は忙しさや焦りを一切感じさせない。
次々とオーダーのドリンクが並べられていく。ジェイド先輩によって作られたドリンクはどれもキレイでオシャレ。
今日も涼しい顔して激務を全うしているジェイド先輩。はあ……好き。
閉じていた筈の口から溜息が漏れてしまう。
ウットリと夢心地に浸っているとゴホン、と咳払いが聞こえて現実に引き戻された。
慌てて目の前に視線を戻すと可笑しそうにこちらを見ているアズール先輩と目が合った。
いつの間にかテーブルに出された書類を指でトントンと示される。参加希望の欄には既にグリムとエース、デュースの名前が記されていた。
「貴方はどうしますか?」
その眼は『貴方に選択の余地なんて在る筈もありませんよね』と語っている。
アズール先輩の無言の圧を感じつつ、質の良い用紙に筆を走らせる。
筆圧の強いデュースのサインの下に自分の名前を力強く記入した。
* * * *
夜、寝る支度を済ませてベッドに寝転がりながら私は、今日のラウンジでの話を思い出していた。貰った招待状をカバンからゴソゴソと取り出して封を開く。
金色で縁取られたカードには手書きであろう『Invitation』の文字。続く文章はオクタヴィネル寮らしく上品で大人びた言葉で詳細が綴られていた。
目を閉じてパーティーの様子を思い浮かべてみる。船上で演奏される音楽、食事を楽しむお客さん。海上でもスマートに働くジェイド先輩。そんな先輩の隣にいるかもしれない自分……脳内でジェイド先輩とのシチュエーションを想像して思わず顔が緩んでしてしまう。
一人盛り上がってゴロゴロしているとグリムがベッドに上がってきた。
「船上では特別なメニューもあるみたいなんだゾ!」
楽しみなんだゾ!伸びをして私のそばで丸くなる。撫でろと言わんばかりに柔らかい頭部を私の手のひらにくっつけてきた。
グリムの頭を撫でながら、私は何度も時刻や集合場所を確認する。学校を離れることが殆んどないので外出は純粋に楽しみだった。
手紙をサイドテーブルに置くとランプを消す。
「そうだね。凄く楽しみだね」
何事もなく、みんなと楽しく過ごせますように。
叶うならジェイド先輩と過ごせますように。
期待に胸を膨らませながら私は目を閉じた。
この後、私の淡い願いが吹き飛ぶ事件が起こるなんて微塵も予想していなかった。
* * * *
パーティー当日。
集合場所で私達を迎えた船はバタバタと髑髏の旗をなびかせていた。
元々は海賊船だったものを今回使用するにあたって船内を改装したそうだ。甲板を下りるとモストロ・ラウンジのような飲食が出来る広いホールとなっていた。
船内には『海賊船らしい』調度品が置かれていて、まるで海賊になって船旅をしているような気分にさせてくれる。
船内に興味津々なグリム達は船内を見てくると言って早速どこかに行ってしまった。
他の招待された学生も同じように海賊船を探検しているようで船内はそれなりに賑わっていた。
自分も友達と一緒に見て回ろうと思ったけれど、ホール内にジェイド先輩の姿がみえた瞬間、私は無意識に彼のいるバーカウンターに一直線に向かった。
私に気が付いたジェイド先輩はこんにちは、と丁寧な所作で目の前の席に案内してくれた。
カウンターの少し高い椅子をひいてくれる先輩にお礼をして着席する。
まだお昼前のせいか、カウンターは自分しか座っていなかった。
「いらっしゃいませユメさん。海賊船はいかがですか?」
「本当に海賊になった気分です。窓から海の中が見えるなんて素敵ですね」
「ここは甲板からかなり下の方にあるフロアなので海中が見えるのです」
厚みのあるカーテンで飾られた丸い窓からは揺ら揺ら日の光が差し、たまに小魚が通る。
魚の群れの鱗が反射してキラキラと輝く。思わず感嘆の声を上げてしまう。
「気に入っていただけて良かったです」
ニコリと微笑えまれて嬉しさと恥ずかしさでなんだかむず痒くなってくる。
「ああ、でも……」とジェイド先輩は大袈裟に困ったような表情を浮かべた。
「内装はかなり整えていますが、船自体はかなり古いものでして、」
困り顔が悪戯を計画する子供のような悪い顔に変化する。
「大きな衝撃を加えると破損する恐れがあるので気を付けて下さいね」
「ヒエッ……」
「まあそんな騒ぎを起こすゲストは居ませんと思いますが」
瞬時に脳裏を火を噴くグリムが過る。あとでしっかり言っておかなければ。
ジェイド先輩にオススメされるままに今日限定のランチを頼んだ。
白ソースがライスとキノコとサーモンと山菜に絡んでトロリとした湯気を漂わせている。
パクリと口に含むとふんわりと甘い香りが鼻を抜ける。
「最近山で採ったキノコと山菜のクリームリゾットです」
「美味しいです!キノコも弾力があってソースとの相性が最高ですッ」
私は夢中でパクパクと白いリゾットを口に運んでいく。とても美味しい。
「この時期しか採れない山の恵みをたくさん使っている贅沢な一品なのですが、アズールもフロイドも試食をしてくれなくて……」
シクシクと俯いて嘆いてみせるけれど、悲しそうに見えない先輩にプククと笑ってしまう。
最初はどうリアクションをしていいのか分からなかったけれど、段々と扱いに慣れてきた。
ジェイド先輩も分かっているのか、私をからかってくることが増えた。こうやってジェイド先輩がアズール先輩やフロイド先輩との出来事を話してくれることも増えて、ジェイド先輩のプライベートに少しだけ触れられたような気がして嬉しかった。
「最近のジェイド先輩、明るくなりましたね」
「明るく、ですか?」
「はい!前よりも表情が優しくなったなって思いまして」
「そうですか?」
私の突然の言葉にきょとんとしたジェイド先輩に、失言だったと慌てて謝罪する。
「あっ、ごめんなさい!失礼なことを言ってしまいました!」
アワアワと悪気も何もない事を懸命にアピールするとクスクスと口元に手を置いて笑われてしまった。
少しだけ嬉しそうに見えたのは私の自意識過剰フィルターのせいだけじゃないハズ。
「良かったらまた海中をご案内しましょうか」
「ほんとですか!……先輩は人魚の姿ですよね?」
「おや、ウツボは苦手ですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
ジェイド先輩は私の小さな変化に鋭く気付いた。私は言葉を続ける代わりにリゾットをたくさん口に運んでいく。ドリンクの炭酸に少しだけ咽てしまった。
そんな私をジェイド先輩はおやおや、とナプキンを渡してくれた。
* * * *
先輩と他愛ない話をして過ごしているとワアッと上部で歓声が聞こえた。
「甲板で演奏が始まったようですね。良ければ見てきては如何ですか?」
ジェイド先輩と離れるのは惜しかったけれど、聞こえてくる陽気な音に生演奏大好きな私は好奇心に負けて席を立った。
甲板に上がると中央では賑やかな円陣が組まれていた。楽器が奏でる軽快な音楽に合わせてそのまわりでは手拍子が鳴り、飛び跳ねたりして各々が盛り上がっている。
私も手拍子をして身体を揺らしながらリズムを楽しむ。段々とリズムは激しくなり私もまわりもテンションが上がってくる。曲が最高潮に達すると輪の中から一人が飛び出してきた。
フロイド先輩だ。ジャケットを抜いでベストとシャツの動きやすそうな姿で先輩が踊りだすと、俺も俺もと客もスタッフも入り混じって一斉に踊りだした。フロイド先輩がその長い手足を大きく使って高度な技を決めると歓声が沸き、まわりの熱気につられて私も声を上げる。
「あ~小エビちゃん!」
私を見つけたフロイド先輩は大股で駆け寄り、いつもの調子で私の腕を掴む。そして皆がダンスを披露しているエリアへと引き摺りこもうとする。
「えっ、えっ! 私踊れないですよ!?」
「いいから早くこいよ。絞めんぞ」
「いや、マジでちょっと待っ……チカラ強ッ!!」
私の抵抗も虚しくフロイド先輩と共にど真ん中に陣取ってしまった。
急にフロイド先輩に引き摺り出された私に視線が集中している。
(どうするのこの状況!?)
既に恥ずかしさで倒れそうな私の右手をフロイド先輩がとり、もう片方の手は腰あたりに添えられる。添えてると言うか、掴んでいる。
手を握ってるとか、腰とかダンスとかいきなりの事に脳処理が追い付かない間に演奏者たちの奏でるリズミカルな音楽に合わせてフロイド先輩が一歩を踏み出す。手を繋いでいるので引っ張られるように私も一歩踏み出す。
(もうこうなったらやるしかない!)
覚悟を決めて半ばヤケクソでフロイド先輩のリードに必死にくらいつく。背の高いフロイド先輩の型にはまらない早くて大股のステップに私も握られた手に力を込め、片方の手は先輩の腰まわりを掴んで走ったり跳ねたりしてどうにか応戦する。
足が絡んで転びそうになるもギリギリ踏ん張る。まわりの歓声におされるようにフロイド先輩と甲板を走り抜ける。
フロイド先輩のペースに段々慣れてくると、握る手を緩めると放り出されてしまいそうな勢いのあるスピードが楽しくなってくる。ハッハッと苦しい呼吸すら気持ち良さを感じる。
予測不能な先輩に負けじとリズムに合わないタイミングで背を反らしてみる。すると反れた背中に合わせて先輩は私の上半身を掬い上げてくれた。
「子エビちゃんやるじゃん~」
ニヤリと笑うフロイド先輩に私も息を切らしながらも精一杯に悪い顔をしてみる。
リードする先輩のスピードが更に上がり、私の足はちゃんと甲板を踏んでるのかも分からなくなるくらい忙しなく動く。
格好良くステップを踏むフロイド先輩とは逆にバタバタと走ってる状態の私にフロイド先輩はジェイド先輩とは反対のオッドアイを光らせる。
ああ、これは何か企んでいる顔だ。
「そんなに飛び跳ねるのが好きならもっと高く飛ばしてあげる」
「え」
瞬間、グッと腰を両手で掴まれた。何かを言う前に私は真上にポーイと上空へ投げられた。
「!!?」
一気に視界が誰よりも高くなる。
子供がお父さんにしてもらうような微笑ましいモノじゃない。高すぎる。甲板では一際大きな歓声があがっている。真下ではフロイド先輩がニコニコ顔でこちらを見ている。
先輩の左手にはいつの間にかマジカルペン。浮遊魔法をかけられた。
ちゃんとキャッチしてくれるよね?このタイミングで飽きたりしないよね??
脳内思考は全て悲鳴になって口からでてきた。
「ヒィイイ!!」
情けない悲鳴を上げて落下する私を投げた時と同じ要領でフロイド先輩は受け止めた。落下の衝撃は殆んどなかった。
身体が密着した状態で甲板にストンと両足が着いた。キャッチされる瞬間に無意識にフロイド先輩の首にしがみついてしまっていたことに気付いて慌ててすぐに手を離した。
丁度音楽のクライマックスが終わり、拍手や歓声、口笛が鳴り響く。今の曲が最後だったらしい。音楽の終了と同時に盛り上がっていた群集はまばらに散っていく。
「小エビちゃん楽しかったね~」
「あと少しで心臓が口から飛び出るところでした」
ケラケラ楽しそうに笑うフロイド先輩につられて私も笑ってしまった。
事実めちゃくちゃだったけど楽しかった。
「このままギューしていい?」
「ダメです、絶対ダメです!」
「え~小エビちゃんだってオレの首絞めたじゃん」
「ちっ、違います、あれは怖くてしがみついたんです!!」
「素晴らしい跳躍でしたね」
「……! ジェイド先輩!」
グラスを手に持ったジェイド先輩がいつの間にか私達のそばに立っていた。
ハッと自分の状態に気付く。今、フロイド先輩と抱き合ってる状態だ。誤解を招きそうなシチュエーションを一番見せたくない人に見られてしまった。
先ほどまでの楽しい気持ちが一気に萎み、心臓が嫌な音を立てる。
「フロイド、休憩時間が終わりますよ。そろそろ持ち場に戻ってくださいね」
「え~~まだ小エビちゃんと遊びたい~」
まわされている腕に力をこめられて思わずグェェ、とカエルのような呻き声が口から漏れてしまう。
物理的なチカラの差によりされるがままになっていると、ジェイド先輩の長い腕が伸びてきて私とフロイド先輩を引き剥がすように密着した身体の隙間に割って入ってきた。
「ダメですよ。アズールに怒られてしまいます」
優しく窘めるように言うとフロイド先輩はふくれつつも私を解放してくれた。『じゃあね、小エビちゃん~』と上機嫌に仕事に戻っていった。
フロイド先輩を見送った後、残った私にジェイド先輩が向き直る。いつもの優しい笑顔に少し心が落ち着く。
「ユメさん、フロイドのお相手は疲れたでしょう? 良かったらライム水をどうぞ」
ジェイド先輩の言葉で急に酷い喉の渇きに襲われる。急にあんなに動いたんだから当然といえば、当然だ。
「ありがとうざいます、いただきます!」
手渡されたグラスの中には四角い氷と輪切りにされたライムが浮かんでいる。カラン、と涼しい音を立ててグラスを傾けて喉に流し込む。冷たくスッキリとした液体が身体の火照りと渇きを潤してくれた。
「ひゃっ!」
「っと、」
ライム水を飲むことに気を取られ、疲労で足元がおぼつかなかったせいで、少し大きめの船の揺れに耐えられず、バランスを崩して倒れそうになる。が、それをジェイド先輩の咄嗟の支えのおかげで転倒は免れた。
「ありがとうございました。……あっ」
バランスを崩した拍子に持っていたグラスの液体は着ている制服にかかってしまった。ジャケットとシャツが濡れ、グラスの中身は全て床と服に吸われた。
「オクタヴィネル寮の制服で良ければ、予備がありますよ」
季節的に放っておいても乾く望みがないのでジェイド先輩の提案をありがたく受け入れることにした。
* * * *
ジェイド先輩に続いて甲板を下り、ホールのある階のもう一つ下の階へ下りた。
そこは廊下を挟んで両側にいくつか個室があるが、上の階ほど整備されてはいなかった。スタッフ専用の階なのだろう。
それよりも気になっていることが私にはあった。甲板を下りてからジェイド先輩が一言も喋らない。
ずっとお互いに無言で落ち着かない。先を歩くジェイド先輩が気になるけれど表情は見えない。
漠然とした不安が私の心を締め付けてくる。ギイギイと船の軋む音がやたらと大きく聞こえる。
居心地の悪さをどうにかする方法を考えている間に一室に案内された。
通された部屋に入るとロッカーが壁に沿って設置されている。
「こちらが予備です。一番小さいサイズでよろしいですか?」
オクタヴィネル寮の制服一式を渡してくれるジェイド先輩はいつも通りだった。
「はい、ありがとうございます」
少し緊張気味に制服を受け取る。
しかしジェイド先輩の手は制服を掴んだまま離れない。よくみるとかなり強く制服を握っている。
「ジェイド先ぱ、」
「フロイドのダンスについていけるとは驚きました」
ジェイド先輩が言葉を被せてきた。普通ではない先輩の様子に驚いて視線を上げる。飛び込んできた彼の表情に私は凍り付いた。
「そんなに楽しかったですか?」
ジェイド先輩が無表情でこちらを見下ろしていた。
いつもの笑みもなく、すました表情もなく、何の感情も感じられない。鋭いオッドアイに囚われて身が縮こまる。こんなジェイド先輩は見たことがない。怖い。
「……たのしかった、です」
何を聞かれているのか理解出来ず、先輩の言葉を繰り返してしまった。彼は私の返答に満足しなかったようで表情は全く動かない。
ジリジリと近づいてくるジェイド先輩に圧されるように後退る。
背中がロッカーに当たりそれ以上動けなくなるとジェイド先輩は私を挟むように背後のロッカーに両手を置く。逃げることを許さない、という気迫さえ感じる。捕食者に捕らわれた稚魚状態だ。
少しでもジェイド先輩から距離をとりたくて胸元で予備の制服を抱え込んだ。
接近を拒む私に構わずジェイド先輩は高い背を屈めて私の顔を覗き込むように整った顔を寄せてくる。顔を背けることが出来ないくらいの近距離に身体が強張る。
すぐ目の前にあるジェイド先輩の身体は大きく、視界がすべて先輩に覆われてしまった。
お互いの身体の隙間に熱が籠る。呼吸すら熱くてクラクラしてくる。
「貴方は、僕が好きなのではなかったのですか?」
吐息ほどに掠れた声音。まるで縋るような瞳で私を見つめてくる。
顔中に熱が込み上げてくる。心臓の音が身体中に響いて煩い。
「それとも、好みの顔なら誰でも良かったのですか」
「わたし、は、ジェイド先輩が好きです」
「ああ、貴方が好きなのは人間の姿の僕でしたか」
「違いますッ!! 私は本当にジェイド先輩のことが、」
ジェイド先輩の全部が、大好きです。
私の必死の告白は最後まで紡ぐことは許されなかった。
言い終わる前にジェイド先輩は俯いて私から離れてしまったのだ。
お互いの間に距離ができて空気が一気に冷え込む。
「着替えたらひとつ上のホールに向かってください。グリムさん達が探していました」
ジェイド先輩はそれ以上は何も言わず、部屋を出て行ってしまった。
静まり返った部屋に一人、放心状態で私は立ち尽くしていた。心臓はいまだに煩い。煩いし鼓動する度に痛みが走る。
ずっと抱き締めていたオクタヴィネル寮の制服から微かに香るシトラスに気付いた。
きっとジェイド先輩の指先から香りが移ったのだろう。
自分から離れる時の先輩の口角を歪めて笑った表情が脳裏から離れない。
「 ジェイド先輩 」
堪らなくなって制服に顔をうずめて私は泣き崩れた。
* * * *
何故あんなことを言ってしまったのだろうか。
アズールと船内の状況確認を報告し合いながらジェイドは先ほどの自分の行動を自問していた。
ユメさんが誰とダンスをしようが、誰と一緒にいようが関係ない。興味も無かった筈。
しかし、甲板で見たあの光景。
彼女が、フロイドと手をとって踊っている。
彼女が、自分以外の者と抱き合っている。
彼女が、自分以外の男と笑って見つめ合っている。
あんな笑顔を知らない。見たことがない。
彼女の特別は自分ではなかったのか。
そう思った途端に視界に入る全てが不愉快で許せなかった。
沸々とした嫉妬心が体内を侵し、抑えられなくなってしまった。
フロイドと楽しそうに踊る彼女と先ほど自分の下で恐怖で怯えた彼女。
それを思い出す度に腹の底がチリチリと痛み、苛立ちが募る。
「……成程。分かりました。引き続きホールの方をお願いします」
「承知しました」
自問の解答に辿り着きそうになる思考を振り払った。
報告を済ませ、持ち場に戻ろうとした瞬間だった。
ドオォォォンン
下の階から轟音と共に激しい揺れが船を襲う。
尋常ではない爆音に演奏も止まり、まわりが騒めき立つ。
「何事ですか!?」
「ホールからのようです」
状況確認に向かう前にフロイドが甲板に走り上ってきた。
「アザラシちゃんの魔法が暴走して船に穴空いちゃった!」
「はあ!?」
「修復魔法で対処できますか?」
「穴が大き過ぎて対処が全ッ然間に合わねえ」
「……おやおや」
「しかも複数やられた」
フロイドの言葉にアズールは天を仰いだ。
「仕方ありません。全員避難です。二人とも事前に打ち合わせした通りに動いてください」
三人は迅速に避難行動を開始した。
* * * *
最初は顔が超好みだけど何考えてるか分からない怖い先輩、ぐらいの印象だった。
少しずつ恐怖が好意に変化していったのはイソギンチャク事件解決後からだった。
事件後は以前よりも会話する頻度が増えて、度々ラウンジにも行った。
そこでキノコ好きという意外な趣味があること、飛行術が壊滅的センスなこと、色々な一面を知っていく中で、警戒心が薄れて親近感が芽生えた。ジェイド先輩と一緒にいることに心地良さすら感じ始めていた。
いつの間にか、怖くて何考えてるか分からない先輩から、好きな人に変わっていた。
私はいまだにロッカー部屋で蹲っていた。
握りしめた制服は濡れて皴だらけにしてしまった。
あの時のジェイド先輩は怒っているようだった。
息が当たるほど近付いた先輩にドキドキする余裕はなく、その鋭い歯で喉を喰い千切られるんじゃないかと身がすくんだ。
怖いのに先輩はとても辛そうだった。大事な兄弟であるフロイド先輩と私が踊ったことが気に入らなかったのだろうか。
自分が先輩に好意を持っていることもバレていた。
色々な出来事が一気に起こって脳処理が追いつかない。
グルグルとジェイド先輩について考えるが、何も考えがまとまらず、脳内で決定付けられたのはジェイド先輩に嫌われてしまったという事だけだった。
「私みたいな何処から来たのかすらも不明な変な人間に大事な兄弟と親しくしたり、好かれたらそりゃ気味悪いよね」
ポツリと漏らした自分の言葉にまた涙が込み上げてくる。
涙が頬から落ちる前にゴォンと上部で大きな音がしてグラグラと船が揺れた。
「え、なに?」
嫌な予感がして急いで戻ろうとドアノブをひねる。
「?」
ガチャガチャと捻るが一向にドアは開かない。
まさか今の振動でドアの立て付けが悪くなった?焦ってドアを押すがビクともしない。
更に追い打ちをかける最悪がドアの向こうから聞こえた。
水が勢いよく流れる音だった。
* * * *
箒を持参していた者は空へ、泳ぎが得意な者は海にそのまま飛び込み、他の者は避難用ボートに乗り、沈み始めている船から脱出する。
無人となった船上でジェイドはアズール、フロイドと共に最終チェックをしていた。
下の階は既に浸水が酷く、船自体も傾きはじめ真っ直ぐに歩けない状態だった。
あの狸は一体どんな魔法を使ったのやら。
呆れ気味に自分達も脱出する準備をしているとバタバタと騒がしい複数の足音が近付いてきた。
船を破壊した本人達だ。
「貴方達まだ居たんですか! はやく避難しなさい!」
「アズール先輩!」
デュースが焦ったように訴えてきた。
ジェイドは不安感に胸が騒めき立つ。
おかしい。何かが欠けている。
ここに居るべき人の姿が見えない。
「ユメが居ないんだ!」
「もうボートに乗ってるか!?」
一年生達がユメさんを探している。彼女はホールに戻っていなかったのか?
「……一緒じゃなかったのですか?」
ジェイド自身も驚くほど声に力が乗らなかった。
彼女は、どこに?
彼女は、水の中。
昔本で読んだ人魚のように泡となって消える彼女の姿が瞼に映った。
弾けるようにジェイドは普段の優雅な身のこなしからは想像できない荒々しさで浸水の始まっている甲板下へ飛び降りていった。
背後から仲間達の制する声は全く彼の耳に入らなかった。
* * * *
あの爆発音からどれくらい経ったのだろうか。
ドアは全く開く気配はないし、部屋に水が入ってきている。既に腰まで入水している。
船が何らかの理由で沈没しそうになっていることは察した。しかしドアが開かない。
ドアの近くを通った人に気付いてもらおうとドアを叩いたり大声を出すけれど、ザアザアと水が流れる音にかき消されてしまっていた。
このまま海に沈んでしまうかもしれない。
元の世界に帰ることも出来ず、ジェイド先輩に嫌われたまま……。
「……やだ、嫌だ!絶対嫌!!助けて!!……ジェイド先輩助けて!!」
先ほどよりも力強くドアを叩く。既に指は赤く腫れて血がにじんでいるけれどそんな事を気にしている場合ではなかった。
懸命にジェイド先輩の名前を呼ぶ。このまま死ぬのは嫌だ。
泣きながら声を張り上げてドアを叩き続けていると一番聞きたかった声が聞こえた。
「ユメさん?」
水の音で霞んでいるが紛れもなくジェイド先輩の声だった。
「ジェイド先輩!……先輩、ドアが、ドアが開かないんです!」
「ドアを破りますので、離れてください」
ドアから距離をとると、ドアが勢いよく吹き飛び壁に当たってバラバラになってしまった。
あんなに押しても叩いてもビクともしなかったドアが藻屑となって浮いている。
「さあ、さっさと脱出しますよ」
ジェイド先輩はマジカルペンをジャケットに仕舞いながら私に手を差し出す。
ドアの前に立つジェイド先輩に近寄ろうと水の流れによろけながら進む私をの手を先輩は掴まえて引き寄せる。ぐっしょりと濡れた私の身体にぴったりとくっつくように抱き締められた。
「先輩、助けに来てくれてありがとうございます」
ジェイド先輩にとってこの水位は腰よりも少し下くらいの筈なのに上半身も青緑色の髪も色濃く濡れていた。顔が見られて安心して嬉しくて先輩の制服に顔を埋めて感謝を述べた。
先輩の嫌いになった私のためにきてくれた優しさに感謝するとともに愛しさも込み上げてくる。
「貴方って人は、本当に……」
先輩は大きく息を吐き出す。
そのまましっかりと手を繋がれ、私達は甲板を目指して歩き始めた。
ザブザブと腰まで浸かった海水を掻き分けるように進む。水位は少しずつ上がってきている。湿気で少し息が苦しい。
おもむろにジェイド先輩が急に低いトーンで声をかけてきた。
「先ほどはすみませんでした」
「え?」
少し間を置いて、緊張したように硬い声で続ける。
「フロイドと楽しそうにしている貴方が許せなくて。僕に見せたことない顔を簡単に他の男にしているのが悔しくて、貴方には何も罪はないのに酷いことを言ってしまいました」
「ジェイド先輩それって」
「僕の勝手な醜い嫉妬なので気にしないでください」
「気にします!!」
思わず進む足を止めてしまった。
急に動かなくなった私を振り返った先輩は、あの時と同じ痛々しい表情をしていた。
「確かに先輩は色んな意味で怖いです。怖いんですけど、私はジェイド先輩が大好きなんです……ッ!!!」
流れる海水が口や目に入って痛いのを我慢してジェイド先輩を見る。彼は目を見開いて硬直してしまっている。
先輩の呆気にとられた顔にも負けずに続ける。
「先輩のこと……もっと知りたいんです!」
ザアザアと海水が流れる音があたりに響く。
「……ユメさん」
握られた手が一層強く繋がれる。
「まずはここから脱出しましょう」
先輩のほんのり上気した様子にに私は心臓が飛び出そうになった。大好きな先輩の力強くも優しい声に私は精一杯の愛情を込めて応えた。
「はいっ」
再び歩みを進める。段々と浸水の恐怖も落ち着き、先ほどよりも力強く、先輩の後を歩く。
しばらく歩くと甲板に上がる階段が見えてきた。
「先輩もうすぐ上がれますね」
「はい、しかし船自体がかなり傾き始めているのに気を付けてくだ……!」
目標にしていた甲板へと続く日が差す階段が急に暗くなったと思うと、一気に海水が流れ込んできた。
予想よりも沈没が早かった。
入ってくる水の激しい流れは全身を殴られたような衝撃を受け、繋いでいた手が離れてしまった。
「!! ユメさ……!」
ジェイド先輩がすぐに手を伸ばすが私の手は冷たい海水に阻まれた。流れが早くてどんどん先輩から離されていく。
船内に入り込んだ海水で廊下が満たされて完全に呼吸が出来なくなる。息は止めるが身体は流れに逆らえない。廊下の最奥まで戻されてしまい、身体を壁に強かに打ち付けてガボガボとたくさんの気泡を零してしまった。
すぐに戻ろうとするが、制服の一部が船の壁に引っかかってしまい身動きが取れなくなってしまった。もがけばもがくほど呼吸が苦しくなってくる。
息が出来ない。苦しい。
どうすることも出来ず、身体は流れに合わせて揺らめている。
ゆっくりと意識が朦朧としてくる頭で私は友人達の事を思い出していた。
グリム、立派な魔法士になってね
エースとデュースも元気で……
それからジャック、エペル……親しんだ友達の笑顔を思い描く。
ジェイド先輩から告白の返事聞きたかったなあ
肺に酸素を取り込むことが出来ず、思考も暗く墜ちていく中で何かが私の身体に触れていることに気付いた。
何?瞼を起こしたいけど、もうそんな気力は残ってない。
身体に当たる触感に集中する。海水よりも冷たく滑らかなそれは大きくて私の身体に巻き付いているようだった。
『貴方は嫌かもしれませんが、仕方ありませんね』
大好きな先輩と同じ声が聞こえる。でも何か違和感。
『まさか貴方との初めてがこんなカタチになるとは思いもしませんでした』
頬にヒヤリとした感触が伝わる。ぬるりと唇が柔らかくて薄いものに覆われた。
覆ってきたものに唇は抉じ開けられ、少しの隙間もなく密着する。
開いた口内に空気を送られていることに気付く頃には私の意識は無くなっていた。
意識を手放す瞬間、力を振り絞って薄く開いた視界には青緑と一筋の黒が映った。
* * * *
やたらと身体が重くて動けない、と感じたら目がパチリと開いた。
視界には白い天井が広がっていた。そして目を自分の身体に移せば黒い塊が身体の上で変な鳴き声を出していた。
「ぐりむ?」
塊だったものはパッとこちらを見て再び身体にひっついてきた。
「オマエ~~やっと目が覚めたのか!遅いんだゾ!心配かけさせやがって~~~~!!」
ブナアアアと顔を擦り付けながら鳴くグリムにごめんね、と謝りながらまわりを見渡すとここは学校の保健室だった。私はベッドで寝かされていた。上半身を起こすと少し怠い。
「私、生きてたんだね」
「ええ」
アズール先輩が奥から顔を出してきた。
「まったく、貴方達はとんでもない事をしてくれましたね」
ジトリとグリムを睨む。
「ユメさんも目が覚めたようですし、グリムさんには僕と共に学園長室に来てもらいましょうか。しっかり今回の爆破の経緯を話してもらいますよ」
「ふなっ!? 嫌なんだゾ! そもそもあれはエースが悪いんだゾ!」
アズール先輩に引き剥がされそうになるのをグリムは爪を立てて抵抗する。
「お黙りなさい。ユメさんはジェイドが見てますから、とっとと来るんだ」
「え、先輩いるんですか?」
バリッと私の衣服から剥がされたグリムはアズール先輩と共に保健室を出て行ってしまった。
ジェイド先輩の名前がでて思わず辺りを確認した。
「じ、ジェイド先輩、いるんですか?」
「オレもいるよぉ~」
にょきっと顔を出したのはフロイド先輩。背後にはジェイド先輩。
「小エビちゃん助けに行く時のジェイド、スゲーおもしれぇ顔だった」
ベッドにフラフラ近付いてフロイド先輩は私に耳打ちする。
「トビウオみたいに突っ込んでいったんだぜ」
「とびうお?」
「しかも、さっさと人魚の姿に戻って行けばいいのにサァ……イテテ」
「ええ、恥ずかしい姿を見せてしまいました」
ニヤニヤ笑うフロイド先輩に動じず、ジェイド先輩は兄弟をベッドから強引に離す。
「ユメさんと少し話をしたいので先に学園長室に向かってください」
フロイド先輩は駄々捏ねることなく、素直に退室していった。退室する前にチラリと私を見たような気がした。
うまくやれよ、そう言われているようだった。
ジェイド先輩はベッドの横にイスを置いてそこに姿勢よく座った。
「…………」
「…………」
ジェイド先輩はずっと黙っている。話があるんじゃなかったのか。
私も言いたいことはたくさんあるけれど、何から話したらいいか考えあぐねる。
「ジェイド先輩、ありがとうございました。私、途中で気を失ったみたいで、何も覚えてないんです。先輩が運んでくれたんですよね」
ぺこりと頭を下げる。
「貴方を抱えて泳ぐくらいならそんなに難しい事ではなかったですよ。大きな怪我もなくて良かったです」
お互いに本当に話したいことを避けているような雰囲気に、先に痺れを切らしたのは私の方だった。
「私、先輩に嫌われたんだと思ってました」
「嫌ってはいませんよ」
迷いなく即答してくる。
「ジェイド先輩、好きです。先輩の返事が聞きたいです」
私の言葉に先輩は少し考えた様子で応えた。
「僕は元々は人魚です。人間の姿が仮の姿です」
「ジェイド先輩はジェイド先輩です。ウツボも人間も、どっちの先輩も好きです」
「その割にはウツボ姿を嫌がりましたよね?」
先輩は全く納得していないと言わんばかりに胸の前で腕組みをしてしまった。
もう正直に言うしかない、と私はシーツを握って声を振り絞った。
「……人生初めて見る大きな人魚にあんな風に追いかけまわされたら、誰だってトラウマになりますって」
好きとか嫌いとかの問題じゃないんです、とブツブツと小さな声で白状した。
私の話を聞くなりジェイド先輩はプスッと噴き出した。いつもよりも眉が下がってその表情はどこか安心したような肩の力が抜けたようなものだった。
なんだか凄く間抜けな事を言ってる気がして恥ずかしくなってくる。
シーツを掴んでいた私の指をジェイド先輩がそっと触れる。
「それは大変失礼しました。では、今度は優しくエスコートさせていただきます」
するりと彼の長い指が私のと絡み合う。
体温の低い指が優しく私の指を擦る。
「……約束ですよ」
ゾクゾクとした感覚が背筋に走る。
羞恥心と期待感に思わず先輩の方に身を寄せる。
「はい。約束します」
ふわり、両頬が先輩の大きな手で覆われる。
ジェイド先輩の手のひらに私の火照りが伝わっているだろうか。
ふと、既視感を覚える。このシチュエーションに見覚えがあるような気がする。
視界が大好きな人でいっぱいになると自然と瞼を閉じる。
「ユメさんが好きです」
お互いの唇が触れる瞬間、薄く開いた世界はあの時と同じ青緑と一筋の黒だった。
ラウンジで夕食後のデザートをつつきならが談笑していた私達にアズール先輩が声をかけてきた。
「はい。ちょっとしたツテがありまして。船を借りたので常連のお客様限定でお声をかけさせていただいています」
学生に船を貸してくれるちょっとしたツテってなんですか。そんなツッコミもこの優秀なオクタヴィネル寮長には愚問であろう。
アズール先輩は私の手元に置かれたポイントカードをチラリと見てからニッコリと目元を細める。
「貴方も大事なお客様ですからね」
大事なお客様、を強調して意味あり気なニュアンスを含む調子で言われてドキリとする。
あのイソギンチャク事件以降、ポイント制になったモストロ・ラウンジは以前よりも活気に溢れ、繁盛するようになった。
ここで提供される食事は学校の食堂とは違い、学生に好まれる見た目、色合い、味付けばかりで私もグリムも大ハマりしてしまっていた。毎日のように通ったお陰でポイントもあっという間に溜まり、今は3枚目も終わりに近付いている。
「お前、毎日通ってるもんな。飽きねーの?」
呆れ気味のエースはクリームたっぷり乗せのプディングを頬張る。
「日替わりメニューもあるから飽きないんだゾ!」
エースの問いにグリムはメニュー表をバシバシと叩いて私の代わりに得意気に答えてくれた。
「ははは……」
そうだね、笑ってグリムに賛同したけれど、本当は少し違う。
ご飯はどれも美味しいけれど、足繁く通っている理由はそれだけじゃなかった。
そしてその理由もこの目敏い寮長にはバレていた。
アズール先輩がパーティーの詳細について説明してくれる。
集中して聞いている同級生達に気付かれないように、視線だけを動かして私はラウンジ内をコッソリ見渡した。
丁度夕飯の時刻のため、人が多い。あちこちから笑い声が聞こえてくる。照明も落ち着いた灯りの中、私の探し人はすぐに見つかった。
ラウンジ端のカウンタースペースでドリンクを作っている長身の人物に胸が高鳴る。
海のような緑に一房の黒、独特の髪色と金色の片目が暗い室内でも存在感を醸し出していた。
私はジェイド先輩に恋をしていた。
彼の姿を見ているだけで自然と頬が火照り緩んでしまう。
ジェイド先輩の一切の無駄のない流れるような作業。配膳スタッフと言葉を交わす時の穏やかな表情は忙しさや焦りを一切感じさせない。
次々とオーダーのドリンクが並べられていく。ジェイド先輩によって作られたドリンクはどれもキレイでオシャレ。
今日も涼しい顔して激務を全うしているジェイド先輩。はあ……好き。
閉じていた筈の口から溜息が漏れてしまう。
ウットリと夢心地に浸っているとゴホン、と咳払いが聞こえて現実に引き戻された。
慌てて目の前に視線を戻すと可笑しそうにこちらを見ているアズール先輩と目が合った。
いつの間にかテーブルに出された書類を指でトントンと示される。参加希望の欄には既にグリムとエース、デュースの名前が記されていた。
「貴方はどうしますか?」
その眼は『貴方に選択の余地なんて在る筈もありませんよね』と語っている。
アズール先輩の無言の圧を感じつつ、質の良い用紙に筆を走らせる。
筆圧の強いデュースのサインの下に自分の名前を力強く記入した。
* * * *
夜、寝る支度を済ませてベッドに寝転がりながら私は、今日のラウンジでの話を思い出していた。貰った招待状をカバンからゴソゴソと取り出して封を開く。
金色で縁取られたカードには手書きであろう『Invitation』の文字。続く文章はオクタヴィネル寮らしく上品で大人びた言葉で詳細が綴られていた。
目を閉じてパーティーの様子を思い浮かべてみる。船上で演奏される音楽、食事を楽しむお客さん。海上でもスマートに働くジェイド先輩。そんな先輩の隣にいるかもしれない自分……脳内でジェイド先輩とのシチュエーションを想像して思わず顔が緩んでしてしまう。
一人盛り上がってゴロゴロしているとグリムがベッドに上がってきた。
「船上では特別なメニューもあるみたいなんだゾ!」
楽しみなんだゾ!伸びをして私のそばで丸くなる。撫でろと言わんばかりに柔らかい頭部を私の手のひらにくっつけてきた。
グリムの頭を撫でながら、私は何度も時刻や集合場所を確認する。学校を離れることが殆んどないので外出は純粋に楽しみだった。
手紙をサイドテーブルに置くとランプを消す。
「そうだね。凄く楽しみだね」
何事もなく、みんなと楽しく過ごせますように。
叶うならジェイド先輩と過ごせますように。
期待に胸を膨らませながら私は目を閉じた。
この後、私の淡い願いが吹き飛ぶ事件が起こるなんて微塵も予想していなかった。
* * * *
パーティー当日。
集合場所で私達を迎えた船はバタバタと髑髏の旗をなびかせていた。
元々は海賊船だったものを今回使用するにあたって船内を改装したそうだ。甲板を下りるとモストロ・ラウンジのような飲食が出来る広いホールとなっていた。
船内には『海賊船らしい』調度品が置かれていて、まるで海賊になって船旅をしているような気分にさせてくれる。
船内に興味津々なグリム達は船内を見てくると言って早速どこかに行ってしまった。
他の招待された学生も同じように海賊船を探検しているようで船内はそれなりに賑わっていた。
自分も友達と一緒に見て回ろうと思ったけれど、ホール内にジェイド先輩の姿がみえた瞬間、私は無意識に彼のいるバーカウンターに一直線に向かった。
私に気が付いたジェイド先輩はこんにちは、と丁寧な所作で目の前の席に案内してくれた。
カウンターの少し高い椅子をひいてくれる先輩にお礼をして着席する。
まだお昼前のせいか、カウンターは自分しか座っていなかった。
「いらっしゃいませユメさん。海賊船はいかがですか?」
「本当に海賊になった気分です。窓から海の中が見えるなんて素敵ですね」
「ここは甲板からかなり下の方にあるフロアなので海中が見えるのです」
厚みのあるカーテンで飾られた丸い窓からは揺ら揺ら日の光が差し、たまに小魚が通る。
魚の群れの鱗が反射してキラキラと輝く。思わず感嘆の声を上げてしまう。
「気に入っていただけて良かったです」
ニコリと微笑えまれて嬉しさと恥ずかしさでなんだかむず痒くなってくる。
「ああ、でも……」とジェイド先輩は大袈裟に困ったような表情を浮かべた。
「内装はかなり整えていますが、船自体はかなり古いものでして、」
困り顔が悪戯を計画する子供のような悪い顔に変化する。
「大きな衝撃を加えると破損する恐れがあるので気を付けて下さいね」
「ヒエッ……」
「まあそんな騒ぎを起こすゲストは居ませんと思いますが」
瞬時に脳裏を火を噴くグリムが過る。あとでしっかり言っておかなければ。
ジェイド先輩にオススメされるままに今日限定のランチを頼んだ。
白ソースがライスとキノコとサーモンと山菜に絡んでトロリとした湯気を漂わせている。
パクリと口に含むとふんわりと甘い香りが鼻を抜ける。
「最近山で採ったキノコと山菜のクリームリゾットです」
「美味しいです!キノコも弾力があってソースとの相性が最高ですッ」
私は夢中でパクパクと白いリゾットを口に運んでいく。とても美味しい。
「この時期しか採れない山の恵みをたくさん使っている贅沢な一品なのですが、アズールもフロイドも試食をしてくれなくて……」
シクシクと俯いて嘆いてみせるけれど、悲しそうに見えない先輩にプククと笑ってしまう。
最初はどうリアクションをしていいのか分からなかったけれど、段々と扱いに慣れてきた。
ジェイド先輩も分かっているのか、私をからかってくることが増えた。こうやってジェイド先輩がアズール先輩やフロイド先輩との出来事を話してくれることも増えて、ジェイド先輩のプライベートに少しだけ触れられたような気がして嬉しかった。
「最近のジェイド先輩、明るくなりましたね」
「明るく、ですか?」
「はい!前よりも表情が優しくなったなって思いまして」
「そうですか?」
私の突然の言葉にきょとんとしたジェイド先輩に、失言だったと慌てて謝罪する。
「あっ、ごめんなさい!失礼なことを言ってしまいました!」
アワアワと悪気も何もない事を懸命にアピールするとクスクスと口元に手を置いて笑われてしまった。
少しだけ嬉しそうに見えたのは私の自意識過剰フィルターのせいだけじゃないハズ。
「良かったらまた海中をご案内しましょうか」
「ほんとですか!……先輩は人魚の姿ですよね?」
「おや、ウツボは苦手ですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
ジェイド先輩は私の小さな変化に鋭く気付いた。私は言葉を続ける代わりにリゾットをたくさん口に運んでいく。ドリンクの炭酸に少しだけ咽てしまった。
そんな私をジェイド先輩はおやおや、とナプキンを渡してくれた。
* * * *
先輩と他愛ない話をして過ごしているとワアッと上部で歓声が聞こえた。
「甲板で演奏が始まったようですね。良ければ見てきては如何ですか?」
ジェイド先輩と離れるのは惜しかったけれど、聞こえてくる陽気な音に生演奏大好きな私は好奇心に負けて席を立った。
甲板に上がると中央では賑やかな円陣が組まれていた。楽器が奏でる軽快な音楽に合わせてそのまわりでは手拍子が鳴り、飛び跳ねたりして各々が盛り上がっている。
私も手拍子をして身体を揺らしながらリズムを楽しむ。段々とリズムは激しくなり私もまわりもテンションが上がってくる。曲が最高潮に達すると輪の中から一人が飛び出してきた。
フロイド先輩だ。ジャケットを抜いでベストとシャツの動きやすそうな姿で先輩が踊りだすと、俺も俺もと客もスタッフも入り混じって一斉に踊りだした。フロイド先輩がその長い手足を大きく使って高度な技を決めると歓声が沸き、まわりの熱気につられて私も声を上げる。
「あ~小エビちゃん!」
私を見つけたフロイド先輩は大股で駆け寄り、いつもの調子で私の腕を掴む。そして皆がダンスを披露しているエリアへと引き摺りこもうとする。
「えっ、えっ! 私踊れないですよ!?」
「いいから早くこいよ。絞めんぞ」
「いや、マジでちょっと待っ……チカラ強ッ!!」
私の抵抗も虚しくフロイド先輩と共にど真ん中に陣取ってしまった。
急にフロイド先輩に引き摺り出された私に視線が集中している。
(どうするのこの状況!?)
既に恥ずかしさで倒れそうな私の右手をフロイド先輩がとり、もう片方の手は腰あたりに添えられる。添えてると言うか、掴んでいる。
手を握ってるとか、腰とかダンスとかいきなりの事に脳処理が追い付かない間に演奏者たちの奏でるリズミカルな音楽に合わせてフロイド先輩が一歩を踏み出す。手を繋いでいるので引っ張られるように私も一歩踏み出す。
(もうこうなったらやるしかない!)
覚悟を決めて半ばヤケクソでフロイド先輩のリードに必死にくらいつく。背の高いフロイド先輩の型にはまらない早くて大股のステップに私も握られた手に力を込め、片方の手は先輩の腰まわりを掴んで走ったり跳ねたりしてどうにか応戦する。
足が絡んで転びそうになるもギリギリ踏ん張る。まわりの歓声におされるようにフロイド先輩と甲板を走り抜ける。
フロイド先輩のペースに段々慣れてくると、握る手を緩めると放り出されてしまいそうな勢いのあるスピードが楽しくなってくる。ハッハッと苦しい呼吸すら気持ち良さを感じる。
予測不能な先輩に負けじとリズムに合わないタイミングで背を反らしてみる。すると反れた背中に合わせて先輩は私の上半身を掬い上げてくれた。
「子エビちゃんやるじゃん~」
ニヤリと笑うフロイド先輩に私も息を切らしながらも精一杯に悪い顔をしてみる。
リードする先輩のスピードが更に上がり、私の足はちゃんと甲板を踏んでるのかも分からなくなるくらい忙しなく動く。
格好良くステップを踏むフロイド先輩とは逆にバタバタと走ってる状態の私にフロイド先輩はジェイド先輩とは反対のオッドアイを光らせる。
ああ、これは何か企んでいる顔だ。
「そんなに飛び跳ねるのが好きならもっと高く飛ばしてあげる」
「え」
瞬間、グッと腰を両手で掴まれた。何かを言う前に私は真上にポーイと上空へ投げられた。
「!!?」
一気に視界が誰よりも高くなる。
子供がお父さんにしてもらうような微笑ましいモノじゃない。高すぎる。甲板では一際大きな歓声があがっている。真下ではフロイド先輩がニコニコ顔でこちらを見ている。
先輩の左手にはいつの間にかマジカルペン。浮遊魔法をかけられた。
ちゃんとキャッチしてくれるよね?このタイミングで飽きたりしないよね??
脳内思考は全て悲鳴になって口からでてきた。
「ヒィイイ!!」
情けない悲鳴を上げて落下する私を投げた時と同じ要領でフロイド先輩は受け止めた。落下の衝撃は殆んどなかった。
身体が密着した状態で甲板にストンと両足が着いた。キャッチされる瞬間に無意識にフロイド先輩の首にしがみついてしまっていたことに気付いて慌ててすぐに手を離した。
丁度音楽のクライマックスが終わり、拍手や歓声、口笛が鳴り響く。今の曲が最後だったらしい。音楽の終了と同時に盛り上がっていた群集はまばらに散っていく。
「小エビちゃん楽しかったね~」
「あと少しで心臓が口から飛び出るところでした」
ケラケラ楽しそうに笑うフロイド先輩につられて私も笑ってしまった。
事実めちゃくちゃだったけど楽しかった。
「このままギューしていい?」
「ダメです、絶対ダメです!」
「え~小エビちゃんだってオレの首絞めたじゃん」
「ちっ、違います、あれは怖くてしがみついたんです!!」
「素晴らしい跳躍でしたね」
「……! ジェイド先輩!」
グラスを手に持ったジェイド先輩がいつの間にか私達のそばに立っていた。
ハッと自分の状態に気付く。今、フロイド先輩と抱き合ってる状態だ。誤解を招きそうなシチュエーションを一番見せたくない人に見られてしまった。
先ほどまでの楽しい気持ちが一気に萎み、心臓が嫌な音を立てる。
「フロイド、休憩時間が終わりますよ。そろそろ持ち場に戻ってくださいね」
「え~~まだ小エビちゃんと遊びたい~」
まわされている腕に力をこめられて思わずグェェ、とカエルのような呻き声が口から漏れてしまう。
物理的なチカラの差によりされるがままになっていると、ジェイド先輩の長い腕が伸びてきて私とフロイド先輩を引き剥がすように密着した身体の隙間に割って入ってきた。
「ダメですよ。アズールに怒られてしまいます」
優しく窘めるように言うとフロイド先輩はふくれつつも私を解放してくれた。『じゃあね、小エビちゃん~』と上機嫌に仕事に戻っていった。
フロイド先輩を見送った後、残った私にジェイド先輩が向き直る。いつもの優しい笑顔に少し心が落ち着く。
「ユメさん、フロイドのお相手は疲れたでしょう? 良かったらライム水をどうぞ」
ジェイド先輩の言葉で急に酷い喉の渇きに襲われる。急にあんなに動いたんだから当然といえば、当然だ。
「ありがとうざいます、いただきます!」
手渡されたグラスの中には四角い氷と輪切りにされたライムが浮かんでいる。カラン、と涼しい音を立ててグラスを傾けて喉に流し込む。冷たくスッキリとした液体が身体の火照りと渇きを潤してくれた。
「ひゃっ!」
「っと、」
ライム水を飲むことに気を取られ、疲労で足元がおぼつかなかったせいで、少し大きめの船の揺れに耐えられず、バランスを崩して倒れそうになる。が、それをジェイド先輩の咄嗟の支えのおかげで転倒は免れた。
「ありがとうございました。……あっ」
バランスを崩した拍子に持っていたグラスの液体は着ている制服にかかってしまった。ジャケットとシャツが濡れ、グラスの中身は全て床と服に吸われた。
「オクタヴィネル寮の制服で良ければ、予備がありますよ」
季節的に放っておいても乾く望みがないのでジェイド先輩の提案をありがたく受け入れることにした。
* * * *
ジェイド先輩に続いて甲板を下り、ホールのある階のもう一つ下の階へ下りた。
そこは廊下を挟んで両側にいくつか個室があるが、上の階ほど整備されてはいなかった。スタッフ専用の階なのだろう。
それよりも気になっていることが私にはあった。甲板を下りてからジェイド先輩が一言も喋らない。
ずっとお互いに無言で落ち着かない。先を歩くジェイド先輩が気になるけれど表情は見えない。
漠然とした不安が私の心を締め付けてくる。ギイギイと船の軋む音がやたらと大きく聞こえる。
居心地の悪さをどうにかする方法を考えている間に一室に案内された。
通された部屋に入るとロッカーが壁に沿って設置されている。
「こちらが予備です。一番小さいサイズでよろしいですか?」
オクタヴィネル寮の制服一式を渡してくれるジェイド先輩はいつも通りだった。
「はい、ありがとうございます」
少し緊張気味に制服を受け取る。
しかしジェイド先輩の手は制服を掴んだまま離れない。よくみるとかなり強く制服を握っている。
「ジェイド先ぱ、」
「フロイドのダンスについていけるとは驚きました」
ジェイド先輩が言葉を被せてきた。普通ではない先輩の様子に驚いて視線を上げる。飛び込んできた彼の表情に私は凍り付いた。
「そんなに楽しかったですか?」
ジェイド先輩が無表情でこちらを見下ろしていた。
いつもの笑みもなく、すました表情もなく、何の感情も感じられない。鋭いオッドアイに囚われて身が縮こまる。こんなジェイド先輩は見たことがない。怖い。
「……たのしかった、です」
何を聞かれているのか理解出来ず、先輩の言葉を繰り返してしまった。彼は私の返答に満足しなかったようで表情は全く動かない。
ジリジリと近づいてくるジェイド先輩に圧されるように後退る。
背中がロッカーに当たりそれ以上動けなくなるとジェイド先輩は私を挟むように背後のロッカーに両手を置く。逃げることを許さない、という気迫さえ感じる。捕食者に捕らわれた稚魚状態だ。
少しでもジェイド先輩から距離をとりたくて胸元で予備の制服を抱え込んだ。
接近を拒む私に構わずジェイド先輩は高い背を屈めて私の顔を覗き込むように整った顔を寄せてくる。顔を背けることが出来ないくらいの近距離に身体が強張る。
すぐ目の前にあるジェイド先輩の身体は大きく、視界がすべて先輩に覆われてしまった。
お互いの身体の隙間に熱が籠る。呼吸すら熱くてクラクラしてくる。
「貴方は、僕が好きなのではなかったのですか?」
吐息ほどに掠れた声音。まるで縋るような瞳で私を見つめてくる。
顔中に熱が込み上げてくる。心臓の音が身体中に響いて煩い。
「それとも、好みの顔なら誰でも良かったのですか」
「わたし、は、ジェイド先輩が好きです」
「ああ、貴方が好きなのは人間の姿の僕でしたか」
「違いますッ!! 私は本当にジェイド先輩のことが、」
ジェイド先輩の全部が、大好きです。
私の必死の告白は最後まで紡ぐことは許されなかった。
言い終わる前にジェイド先輩は俯いて私から離れてしまったのだ。
お互いの間に距離ができて空気が一気に冷え込む。
「着替えたらひとつ上のホールに向かってください。グリムさん達が探していました」
ジェイド先輩はそれ以上は何も言わず、部屋を出て行ってしまった。
静まり返った部屋に一人、放心状態で私は立ち尽くしていた。心臓はいまだに煩い。煩いし鼓動する度に痛みが走る。
ずっと抱き締めていたオクタヴィネル寮の制服から微かに香るシトラスに気付いた。
きっとジェイド先輩の指先から香りが移ったのだろう。
自分から離れる時の先輩の口角を歪めて笑った表情が脳裏から離れない。
「 ジェイド先輩 」
堪らなくなって制服に顔をうずめて私は泣き崩れた。
* * * *
何故あんなことを言ってしまったのだろうか。
アズールと船内の状況確認を報告し合いながらジェイドは先ほどの自分の行動を自問していた。
ユメさんが誰とダンスをしようが、誰と一緒にいようが関係ない。興味も無かった筈。
しかし、甲板で見たあの光景。
彼女が、フロイドと手をとって踊っている。
彼女が、自分以外の者と抱き合っている。
彼女が、自分以外の男と笑って見つめ合っている。
あんな笑顔を知らない。見たことがない。
彼女の特別は自分ではなかったのか。
そう思った途端に視界に入る全てが不愉快で許せなかった。
沸々とした嫉妬心が体内を侵し、抑えられなくなってしまった。
フロイドと楽しそうに踊る彼女と先ほど自分の下で恐怖で怯えた彼女。
それを思い出す度に腹の底がチリチリと痛み、苛立ちが募る。
「……成程。分かりました。引き続きホールの方をお願いします」
「承知しました」
自問の解答に辿り着きそうになる思考を振り払った。
報告を済ませ、持ち場に戻ろうとした瞬間だった。
ドオォォォンン
下の階から轟音と共に激しい揺れが船を襲う。
尋常ではない爆音に演奏も止まり、まわりが騒めき立つ。
「何事ですか!?」
「ホールからのようです」
状況確認に向かう前にフロイドが甲板に走り上ってきた。
「アザラシちゃんの魔法が暴走して船に穴空いちゃった!」
「はあ!?」
「修復魔法で対処できますか?」
「穴が大き過ぎて対処が全ッ然間に合わねえ」
「……おやおや」
「しかも複数やられた」
フロイドの言葉にアズールは天を仰いだ。
「仕方ありません。全員避難です。二人とも事前に打ち合わせした通りに動いてください」
三人は迅速に避難行動を開始した。
* * * *
最初は顔が超好みだけど何考えてるか分からない怖い先輩、ぐらいの印象だった。
少しずつ恐怖が好意に変化していったのはイソギンチャク事件解決後からだった。
事件後は以前よりも会話する頻度が増えて、度々ラウンジにも行った。
そこでキノコ好きという意外な趣味があること、飛行術が壊滅的センスなこと、色々な一面を知っていく中で、警戒心が薄れて親近感が芽生えた。ジェイド先輩と一緒にいることに心地良さすら感じ始めていた。
いつの間にか、怖くて何考えてるか分からない先輩から、好きな人に変わっていた。
私はいまだにロッカー部屋で蹲っていた。
握りしめた制服は濡れて皴だらけにしてしまった。
あの時のジェイド先輩は怒っているようだった。
息が当たるほど近付いた先輩にドキドキする余裕はなく、その鋭い歯で喉を喰い千切られるんじゃないかと身がすくんだ。
怖いのに先輩はとても辛そうだった。大事な兄弟であるフロイド先輩と私が踊ったことが気に入らなかったのだろうか。
自分が先輩に好意を持っていることもバレていた。
色々な出来事が一気に起こって脳処理が追いつかない。
グルグルとジェイド先輩について考えるが、何も考えがまとまらず、脳内で決定付けられたのはジェイド先輩に嫌われてしまったという事だけだった。
「私みたいな何処から来たのかすらも不明な変な人間に大事な兄弟と親しくしたり、好かれたらそりゃ気味悪いよね」
ポツリと漏らした自分の言葉にまた涙が込み上げてくる。
涙が頬から落ちる前にゴォンと上部で大きな音がしてグラグラと船が揺れた。
「え、なに?」
嫌な予感がして急いで戻ろうとドアノブをひねる。
「?」
ガチャガチャと捻るが一向にドアは開かない。
まさか今の振動でドアの立て付けが悪くなった?焦ってドアを押すがビクともしない。
更に追い打ちをかける最悪がドアの向こうから聞こえた。
水が勢いよく流れる音だった。
* * * *
箒を持参していた者は空へ、泳ぎが得意な者は海にそのまま飛び込み、他の者は避難用ボートに乗り、沈み始めている船から脱出する。
無人となった船上でジェイドはアズール、フロイドと共に最終チェックをしていた。
下の階は既に浸水が酷く、船自体も傾きはじめ真っ直ぐに歩けない状態だった。
あの狸は一体どんな魔法を使ったのやら。
呆れ気味に自分達も脱出する準備をしているとバタバタと騒がしい複数の足音が近付いてきた。
船を破壊した本人達だ。
「貴方達まだ居たんですか! はやく避難しなさい!」
「アズール先輩!」
デュースが焦ったように訴えてきた。
ジェイドは不安感に胸が騒めき立つ。
おかしい。何かが欠けている。
ここに居るべき人の姿が見えない。
「ユメが居ないんだ!」
「もうボートに乗ってるか!?」
一年生達がユメさんを探している。彼女はホールに戻っていなかったのか?
「……一緒じゃなかったのですか?」
ジェイド自身も驚くほど声に力が乗らなかった。
彼女は、どこに?
彼女は、水の中。
昔本で読んだ人魚のように泡となって消える彼女の姿が瞼に映った。
弾けるようにジェイドは普段の優雅な身のこなしからは想像できない荒々しさで浸水の始まっている甲板下へ飛び降りていった。
背後から仲間達の制する声は全く彼の耳に入らなかった。
* * * *
あの爆発音からどれくらい経ったのだろうか。
ドアは全く開く気配はないし、部屋に水が入ってきている。既に腰まで入水している。
船が何らかの理由で沈没しそうになっていることは察した。しかしドアが開かない。
ドアの近くを通った人に気付いてもらおうとドアを叩いたり大声を出すけれど、ザアザアと水が流れる音にかき消されてしまっていた。
このまま海に沈んでしまうかもしれない。
元の世界に帰ることも出来ず、ジェイド先輩に嫌われたまま……。
「……やだ、嫌だ!絶対嫌!!助けて!!……ジェイド先輩助けて!!」
先ほどよりも力強くドアを叩く。既に指は赤く腫れて血がにじんでいるけれどそんな事を気にしている場合ではなかった。
懸命にジェイド先輩の名前を呼ぶ。このまま死ぬのは嫌だ。
泣きながら声を張り上げてドアを叩き続けていると一番聞きたかった声が聞こえた。
「ユメさん?」
水の音で霞んでいるが紛れもなくジェイド先輩の声だった。
「ジェイド先輩!……先輩、ドアが、ドアが開かないんです!」
「ドアを破りますので、離れてください」
ドアから距離をとると、ドアが勢いよく吹き飛び壁に当たってバラバラになってしまった。
あんなに押しても叩いてもビクともしなかったドアが藻屑となって浮いている。
「さあ、さっさと脱出しますよ」
ジェイド先輩はマジカルペンをジャケットに仕舞いながら私に手を差し出す。
ドアの前に立つジェイド先輩に近寄ろうと水の流れによろけながら進む私をの手を先輩は掴まえて引き寄せる。ぐっしょりと濡れた私の身体にぴったりとくっつくように抱き締められた。
「先輩、助けに来てくれてありがとうございます」
ジェイド先輩にとってこの水位は腰よりも少し下くらいの筈なのに上半身も青緑色の髪も色濃く濡れていた。顔が見られて安心して嬉しくて先輩の制服に顔を埋めて感謝を述べた。
先輩の嫌いになった私のためにきてくれた優しさに感謝するとともに愛しさも込み上げてくる。
「貴方って人は、本当に……」
先輩は大きく息を吐き出す。
そのまましっかりと手を繋がれ、私達は甲板を目指して歩き始めた。
ザブザブと腰まで浸かった海水を掻き分けるように進む。水位は少しずつ上がってきている。湿気で少し息が苦しい。
おもむろにジェイド先輩が急に低いトーンで声をかけてきた。
「先ほどはすみませんでした」
「え?」
少し間を置いて、緊張したように硬い声で続ける。
「フロイドと楽しそうにしている貴方が許せなくて。僕に見せたことない顔を簡単に他の男にしているのが悔しくて、貴方には何も罪はないのに酷いことを言ってしまいました」
「ジェイド先輩それって」
「僕の勝手な醜い嫉妬なので気にしないでください」
「気にします!!」
思わず進む足を止めてしまった。
急に動かなくなった私を振り返った先輩は、あの時と同じ痛々しい表情をしていた。
「確かに先輩は色んな意味で怖いです。怖いんですけど、私はジェイド先輩が大好きなんです……ッ!!!」
流れる海水が口や目に入って痛いのを我慢してジェイド先輩を見る。彼は目を見開いて硬直してしまっている。
先輩の呆気にとられた顔にも負けずに続ける。
「先輩のこと……もっと知りたいんです!」
ザアザアと海水が流れる音があたりに響く。
「……ユメさん」
握られた手が一層強く繋がれる。
「まずはここから脱出しましょう」
先輩のほんのり上気した様子にに私は心臓が飛び出そうになった。大好きな先輩の力強くも優しい声に私は精一杯の愛情を込めて応えた。
「はいっ」
再び歩みを進める。段々と浸水の恐怖も落ち着き、先ほどよりも力強く、先輩の後を歩く。
しばらく歩くと甲板に上がる階段が見えてきた。
「先輩もうすぐ上がれますね」
「はい、しかし船自体がかなり傾き始めているのに気を付けてくだ……!」
目標にしていた甲板へと続く日が差す階段が急に暗くなったと思うと、一気に海水が流れ込んできた。
予想よりも沈没が早かった。
入ってくる水の激しい流れは全身を殴られたような衝撃を受け、繋いでいた手が離れてしまった。
「!! ユメさ……!」
ジェイド先輩がすぐに手を伸ばすが私の手は冷たい海水に阻まれた。流れが早くてどんどん先輩から離されていく。
船内に入り込んだ海水で廊下が満たされて完全に呼吸が出来なくなる。息は止めるが身体は流れに逆らえない。廊下の最奥まで戻されてしまい、身体を壁に強かに打ち付けてガボガボとたくさんの気泡を零してしまった。
すぐに戻ろうとするが、制服の一部が船の壁に引っかかってしまい身動きが取れなくなってしまった。もがけばもがくほど呼吸が苦しくなってくる。
息が出来ない。苦しい。
どうすることも出来ず、身体は流れに合わせて揺らめている。
ゆっくりと意識が朦朧としてくる頭で私は友人達の事を思い出していた。
グリム、立派な魔法士になってね
エースとデュースも元気で……
それからジャック、エペル……親しんだ友達の笑顔を思い描く。
ジェイド先輩から告白の返事聞きたかったなあ
肺に酸素を取り込むことが出来ず、思考も暗く墜ちていく中で何かが私の身体に触れていることに気付いた。
何?瞼を起こしたいけど、もうそんな気力は残ってない。
身体に当たる触感に集中する。海水よりも冷たく滑らかなそれは大きくて私の身体に巻き付いているようだった。
『貴方は嫌かもしれませんが、仕方ありませんね』
大好きな先輩と同じ声が聞こえる。でも何か違和感。
『まさか貴方との初めてがこんなカタチになるとは思いもしませんでした』
頬にヒヤリとした感触が伝わる。ぬるりと唇が柔らかくて薄いものに覆われた。
覆ってきたものに唇は抉じ開けられ、少しの隙間もなく密着する。
開いた口内に空気を送られていることに気付く頃には私の意識は無くなっていた。
意識を手放す瞬間、力を振り絞って薄く開いた視界には青緑と一筋の黒が映った。
* * * *
やたらと身体が重くて動けない、と感じたら目がパチリと開いた。
視界には白い天井が広がっていた。そして目を自分の身体に移せば黒い塊が身体の上で変な鳴き声を出していた。
「ぐりむ?」
塊だったものはパッとこちらを見て再び身体にひっついてきた。
「オマエ~~やっと目が覚めたのか!遅いんだゾ!心配かけさせやがって~~~~!!」
ブナアアアと顔を擦り付けながら鳴くグリムにごめんね、と謝りながらまわりを見渡すとここは学校の保健室だった。私はベッドで寝かされていた。上半身を起こすと少し怠い。
「私、生きてたんだね」
「ええ」
アズール先輩が奥から顔を出してきた。
「まったく、貴方達はとんでもない事をしてくれましたね」
ジトリとグリムを睨む。
「ユメさんも目が覚めたようですし、グリムさんには僕と共に学園長室に来てもらいましょうか。しっかり今回の爆破の経緯を話してもらいますよ」
「ふなっ!? 嫌なんだゾ! そもそもあれはエースが悪いんだゾ!」
アズール先輩に引き剥がされそうになるのをグリムは爪を立てて抵抗する。
「お黙りなさい。ユメさんはジェイドが見てますから、とっとと来るんだ」
「え、先輩いるんですか?」
バリッと私の衣服から剥がされたグリムはアズール先輩と共に保健室を出て行ってしまった。
ジェイド先輩の名前がでて思わず辺りを確認した。
「じ、ジェイド先輩、いるんですか?」
「オレもいるよぉ~」
にょきっと顔を出したのはフロイド先輩。背後にはジェイド先輩。
「小エビちゃん助けに行く時のジェイド、スゲーおもしれぇ顔だった」
ベッドにフラフラ近付いてフロイド先輩は私に耳打ちする。
「トビウオみたいに突っ込んでいったんだぜ」
「とびうお?」
「しかも、さっさと人魚の姿に戻って行けばいいのにサァ……イテテ」
「ええ、恥ずかしい姿を見せてしまいました」
ニヤニヤ笑うフロイド先輩に動じず、ジェイド先輩は兄弟をベッドから強引に離す。
「ユメさんと少し話をしたいので先に学園長室に向かってください」
フロイド先輩は駄々捏ねることなく、素直に退室していった。退室する前にチラリと私を見たような気がした。
うまくやれよ、そう言われているようだった。
ジェイド先輩はベッドの横にイスを置いてそこに姿勢よく座った。
「…………」
「…………」
ジェイド先輩はずっと黙っている。話があるんじゃなかったのか。
私も言いたいことはたくさんあるけれど、何から話したらいいか考えあぐねる。
「ジェイド先輩、ありがとうございました。私、途中で気を失ったみたいで、何も覚えてないんです。先輩が運んでくれたんですよね」
ぺこりと頭を下げる。
「貴方を抱えて泳ぐくらいならそんなに難しい事ではなかったですよ。大きな怪我もなくて良かったです」
お互いに本当に話したいことを避けているような雰囲気に、先に痺れを切らしたのは私の方だった。
「私、先輩に嫌われたんだと思ってました」
「嫌ってはいませんよ」
迷いなく即答してくる。
「ジェイド先輩、好きです。先輩の返事が聞きたいです」
私の言葉に先輩は少し考えた様子で応えた。
「僕は元々は人魚です。人間の姿が仮の姿です」
「ジェイド先輩はジェイド先輩です。ウツボも人間も、どっちの先輩も好きです」
「その割にはウツボ姿を嫌がりましたよね?」
先輩は全く納得していないと言わんばかりに胸の前で腕組みをしてしまった。
もう正直に言うしかない、と私はシーツを握って声を振り絞った。
「……人生初めて見る大きな人魚にあんな風に追いかけまわされたら、誰だってトラウマになりますって」
好きとか嫌いとかの問題じゃないんです、とブツブツと小さな声で白状した。
私の話を聞くなりジェイド先輩はプスッと噴き出した。いつもよりも眉が下がってその表情はどこか安心したような肩の力が抜けたようなものだった。
なんだか凄く間抜けな事を言ってる気がして恥ずかしくなってくる。
シーツを掴んでいた私の指をジェイド先輩がそっと触れる。
「それは大変失礼しました。では、今度は優しくエスコートさせていただきます」
するりと彼の長い指が私のと絡み合う。
体温の低い指が優しく私の指を擦る。
「……約束ですよ」
ゾクゾクとした感覚が背筋に走る。
羞恥心と期待感に思わず先輩の方に身を寄せる。
「はい。約束します」
ふわり、両頬が先輩の大きな手で覆われる。
ジェイド先輩の手のひらに私の火照りが伝わっているだろうか。
ふと、既視感を覚える。このシチュエーションに見覚えがあるような気がする。
視界が大好きな人でいっぱいになると自然と瞼を閉じる。
「ユメさんが好きです」
お互いの唇が触れる瞬間、薄く開いた世界はあの時と同じ青緑と一筋の黒だった。
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