慕う涙
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牢獄は暗く、冷たいところだった。
自分がどうしてここにいるのか、分からなかった。否、考えたくなかった。
気に入らなかった。自分の婚約者であるカナンと、こそこそと動き回っているのが。
カナンは自分の婚約者だというのに。
ここに来てからずっと苦悩している。薄暗くて、憎くて、どうにかなってしまいそうだった。
鉄格子は、まるで自分を見世物だと言っているようだった。
その向こう側で、人が堕落していく様を、嬉しそうに他人が見るのだ。
かつりと、誰かの足音が聞こえた。
その足音は段々とこちらへ近づいてくる。
恐ろしく感じた。その足音が。惨めな見世物の自分を嗤いに来たに違いない。
足音は自分の牢の前で止まった。
「……ジル様」
聞き慣れた声だ。自分の名前を呼ぶ声だけで、誰だか分かる。
それでも鉄格子の方を向くことができなかった。
ここにくる人は、いつだって自分を嗤っているのだ。
「ずっと面会に来たかったんですけど、中々許可が下りなくて……」
返事をせずにいると、名無しは鉄格子近くにあった食事トレーを見つけたようだ。
「お食事、食べていらっしゃらないようですね。ちゃんと摂らないと、お身体に」
「黙れ」
久々に人と話す声は、驚くほど掠れていた。
それに、思った以上に低く響いた。
名無しはハッとし、鉄格子に手をかける。
ジルはまだ、名無しを見れずにいた。
きんきんと耳の奥で高い音が鳴り出す。それはまるでサイレンのようだった。
「ジル様、私」
「黙れ! ぼくを嗤いに来たのか…!」
きっと睨むと、名無しがたじろいだ。周りが暗くて顔が見えない。
ジルは名無しを睨みつけたまま話す。
「邪魔者がいなくなって清々したか…? 惨めでちっぽけなぼくを、嘲笑いにきたのか…?」
「違います、私……」
ジル様に、という名無しの言葉と同時に壁を殴った。
名無しの表情は見えない。薄暗い牢獄は、人の表情まで隠してしまう。
ジルはゾッとした。あれだけ毎日顔を合わせていた名無しの顔が、真っ暗だった。
名無しは一歩踏み出し、黒から少し顔が出た。
口元に光が当たる。牢の扉近くにある、ロウソクの光だろう。
その口元を見るが、何も読み取れない。
黒に溶けた口から上は、まるで大きな穴が空いているように見えた。
今にもジルを飲み込みそうだ。
黒の下にある口はもっと怖いものだった。
じっとしていてもピクリとも動かない。
それなのに、今にも二つの端が上がり、唇が弧を描くのではないかという妄想が頭をよぎる。
口を開き、その暗い底から自分を笑うのだ。
―――底から、今にも、今にも!
「帰れ!」
気付いたら頭を抱え、叫んでいた。
恐ろしい映像がついて離れない。
目をそらしたのに、見えるのは名無しの嗤った口元。
それが本物なのか、自分が作り出した妄想なのか、もう分からなかった。
頭が痛い。耳鳴りがする。目の奥が熱い。
心臓がどくどくとうるさく、今にも破裂してしまいそうだった。
早く一人になりたい。
そう思いながら、地面にうずくまる。
ひんやりとした牢獄の床は、それでもジルの熱を冷ますことはなかった。
「……また来ます」
ちゃんとお食事を取って、お身体に気をつけて。と名無しは言いながら離れたが、ジルにその声は届いていなかった。
石畳みを鳴らす足音が遠ざかる。ジルにとって遠ざかるその音はほっとするものだったが、心臓はまだ強く脈打っている。
頭から張り付いて離れない嗤った口元。あれは本物だったのだろうか。
結局、名無しの表情を確認することはできなかった。
ただ、遠ざかる足音だけが、ジルの中に真実として残る。
自分がどうしてここにいるのか、分からなかった。否、考えたくなかった。
気に入らなかった。自分の婚約者であるカナンと、こそこそと動き回っているのが。
カナンは自分の婚約者だというのに。
ここに来てからずっと苦悩している。薄暗くて、憎くて、どうにかなってしまいそうだった。
鉄格子は、まるで自分を見世物だと言っているようだった。
その向こう側で、人が堕落していく様を、嬉しそうに他人が見るのだ。
かつりと、誰かの足音が聞こえた。
その足音は段々とこちらへ近づいてくる。
恐ろしく感じた。その足音が。惨めな見世物の自分を嗤いに来たに違いない。
足音は自分の牢の前で止まった。
「……ジル様」
聞き慣れた声だ。自分の名前を呼ぶ声だけで、誰だか分かる。
それでも鉄格子の方を向くことができなかった。
ここにくる人は、いつだって自分を嗤っているのだ。
「ずっと面会に来たかったんですけど、中々許可が下りなくて……」
返事をせずにいると、名無しは鉄格子近くにあった食事トレーを見つけたようだ。
「お食事、食べていらっしゃらないようですね。ちゃんと摂らないと、お身体に」
「黙れ」
久々に人と話す声は、驚くほど掠れていた。
それに、思った以上に低く響いた。
名無しはハッとし、鉄格子に手をかける。
ジルはまだ、名無しを見れずにいた。
きんきんと耳の奥で高い音が鳴り出す。それはまるでサイレンのようだった。
「ジル様、私」
「黙れ! ぼくを嗤いに来たのか…!」
きっと睨むと、名無しがたじろいだ。周りが暗くて顔が見えない。
ジルは名無しを睨みつけたまま話す。
「邪魔者がいなくなって清々したか…? 惨めでちっぽけなぼくを、嘲笑いにきたのか…?」
「違います、私……」
ジル様に、という名無しの言葉と同時に壁を殴った。
名無しの表情は見えない。薄暗い牢獄は、人の表情まで隠してしまう。
ジルはゾッとした。あれだけ毎日顔を合わせていた名無しの顔が、真っ暗だった。
名無しは一歩踏み出し、黒から少し顔が出た。
口元に光が当たる。牢の扉近くにある、ロウソクの光だろう。
その口元を見るが、何も読み取れない。
黒に溶けた口から上は、まるで大きな穴が空いているように見えた。
今にもジルを飲み込みそうだ。
黒の下にある口はもっと怖いものだった。
じっとしていてもピクリとも動かない。
それなのに、今にも二つの端が上がり、唇が弧を描くのではないかという妄想が頭をよぎる。
口を開き、その暗い底から自分を笑うのだ。
―――底から、今にも、今にも!
「帰れ!」
気付いたら頭を抱え、叫んでいた。
恐ろしい映像がついて離れない。
目をそらしたのに、見えるのは名無しの嗤った口元。
それが本物なのか、自分が作り出した妄想なのか、もう分からなかった。
頭が痛い。耳鳴りがする。目の奥が熱い。
心臓がどくどくとうるさく、今にも破裂してしまいそうだった。
早く一人になりたい。
そう思いながら、地面にうずくまる。
ひんやりとした牢獄の床は、それでもジルの熱を冷ますことはなかった。
「……また来ます」
ちゃんとお食事を取って、お身体に気をつけて。と名無しは言いながら離れたが、ジルにその声は届いていなかった。
石畳みを鳴らす足音が遠ざかる。ジルにとって遠ざかるその音はほっとするものだったが、心臓はまだ強く脈打っている。
頭から張り付いて離れない嗤った口元。あれは本物だったのだろうか。
結局、名無しの表情を確認することはできなかった。
ただ、遠ざかる足音だけが、ジルの中に真実として残る。