慕う涙
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誰かに引っ張られる。
確かに斬られた身体は、もうどこも痛くなかった。
それよりも、右手が暖かい。誰かが自分の手を掴み、そのまま包み込んでくれている。
この手が、引っ張っているのだろうか。
***
島に平和が戻った。英雄・エルザが偉業を成し遂げたのである。
グルグ族との抗争は終わり、話は和解へと進んでいった。
騎士たちは城の瓦礫を外に運び出し、島の塗装業者はみな修復に駆り出された。
メイドたちは力仕事というより雑務を任され、業者の手配、家具の配置決めなどを行っていた。
「ジル様のことは残念だったわね」
平和が喜ばれる合間、時折聞く言葉だった。
エルザたちが帰ってきてから、冤罪が証明されたのである。
それは他でもない、エルザの言葉があったからだった。
ジルはまだ、見つかっていない。
巷ではもう、死んだのではないかと噂されている。
だが名無しは、ジルの遺体を見るまで信じられないと思っていた。
大広間の掃除を任され、瓦礫が撤去されたところから掃き掃除をする。
なんだか人が少ないな、と思ったが、今日は確か中庭の掃除が主だったはずだ。
崩壊した牢獄を修復するため、中庭を整備することが最優先になったのだ。
疲れたとき人目を気にせず適度に休める、という点では、大広間の掃除は気楽だった。
そろそろ疲れてきたな、と思ったとき、なにやら中庭の方が騒がしくなった。
瓦礫の撤去に失敗でもしたんだろうか、と思っていると、後ろから自分の名前を呼ぶ声がした。
「名無し!」
「ん、なに、どうかした?」
呼んだのは同期の女の子だった。急いで走ってきたのか、肩で息をしている。
「どうしたのそんなに急いで、大広間の掃除ならまだ」
「ジル様が……」
どくり、と心臓が鳴った。
中庭が騒がしい。だがそれも遠くに聞こえた。
「ジル様が、中庭で見つかったって…!」
言い終わるよりも早く、名無しは箒を投げ出した。
後ろで同期の子が叫んでいるが、もう聞こえない。
中庭の騒ぎだって遠くに聞こえたままだ。聞こえるのは、ただ脈打つ自分の心臓だけ。
中庭の扉を開け放ち、人だかりのできているところへ走った。
「すみません、通してください!」
人をかき分けながら進んだ先には、血を流したジルの姿があった。
おそらく骨折をしてるであろう腕は、力なくだらんと垂れ下がっている。
口と頭からは流血しており、瓦礫の下敷きになったのだろう、ということが伺えた。
「ジル様! ジル様!」
名無しはすぐさまジルの元へ駆け寄り、膝を付いて声をかけた。
が、もちろん反応はない。
直後、他のメイドが呼んだらしい医者と、中庭の整備に当たっていた騎士が駆けつけ、ジルを運んでいった。
***
一命はとりとめたものの、まだ油断は禁物だった。
見た目から分かるように、かなりの量の出血をしていた。足や腕の骨も折れていたし、場所によっては複雑骨折しているらしい。
油断は禁物と言うものの、グルグ族との抗争の爪痕が残るルリ島の病院は、満室だったらしい。
万全とは言えないが、急遽ジルの部屋へと運ばれることとなった。
何本もの管が身体に繋がれ、それ自体が生命線になっている。
部屋、掃除しておいて良かった。と名無しは思った。
空気を循環させようと、窓と部屋の扉を開けておいた。心地よい風が通る。
ジルの顔色が悪い。元からいい方ではなかったが、顔が青く、唇は紫色だった。
名無しは突然不安になり、ベッドの横に座って手を握った。
冷たい手だ、と思った。だが、前に感じた冷たさとは違う。目の前にジルがいるのに、なにも感じられない。
「ずっと、待っていたんですよ」
名無しはそのままベッドに突っ伏した。
自分の体温を、分けられたらいいのに。そう思いながら目を閉じた。
起きたら、色々話したいことがある。ハンカチのこと、お城のこと、壁の穴が塞がれてしまったこと、卵焼きを練習したこと……。
扉の方から人の気配がした。起き上がると、そこにはエルザとカナンが立っていた。
入りづらそうにこちらの様子を伺っている。
「カナン様、エルザ様……」
「あの……お見舞いに、来たの」
カナンは一歩踏み出し、部屋に入って来た。エルザもあとに続く。
それでもベッドの傍には寄ってこず、入り口近くで立ち尽くしていた。
名無しは立ち上がり椅子を出そうとしたが、そのままでいいと断られてしまった。
「本当は、お見舞いにくる資格なんて、ないと思ったんだけど……」
中々ベッドの近くに来ない二人に痺れを切らせ、「どうぞこちらへ」と声をかけた。
カナンとエルザは顔を見合わせ、ようやくベッドまで足を運ぶ。
「ジルの罪に関しては、俺が話しておいたから大丈夫だよ。でも、こうなったのは、俺たちのせいでもあるし……」
「……資格なんて、」
二人とも名無しを見る。
名無しは、ジルの手を握ったまま絞り出すように言った。
「資格なんて、誰にもないんですよ。ここまでジル様を追い込んだのは、他でもない私たちです」
私だって、と思った。ジルの好意を無碍にした自分が、こうやって傍にいる資格なんてない。それでも、こうするしかなかった。
握り返してこない手が、妙に生々しい。あのとき乱暴に涙を拭ってくれた手だというのに。
黙り込んだ名無しに、二人が困っているのが空気で分かった。
「でも、今のジル様は怪我人ですから。お見舞いする権利は、私たちにありますよね」
つとめて明るく、にこりと笑ってエルザたちに言うと、二人は面食らったように目を丸くした。
そんな二人の様子を見て、立ち上がって頭を下げた。
「お見舞い、ありがとうございます」
エルザは困ったように「あはは」と笑った。カナンも、優しく笑っている。
「また……お見舞いに来てもいいかな」
「ええ、是非」
「今度は、果物とか持ってくるわね」
エルザとカナンは来たときより、心が軽くなったようだ。自然な笑顔で部屋を出る。
名無しは二人を扉まで見送った。
お見舞いに来てくれるなんて思ってなかった。
カナンとも話すのは初めてだったが、しっかりと自分を持っていて話しやすい人だった。
名無しは明るい気持ちでジルの元へ戻ったが、異変に気付く。
ジルの顔が、横を向いている。
動かしてはいない。ならば。
「誰か! 誰かお医者様を!」
名無しは廊下にいる騎士たちに声をかけた。
ただ事じゃないと思った騎士が、すぐに医者を呼びに走る。
ジルの横に座り手を握ると、わずかに呻いた。
「ジル様! ジル様!」
「……ああ、名無し…?」
ジルは目を開けた。まぶしそうだ。まだ状況を理解できていないのか、目だけで部屋を見渡す。
「ここは……」
「ここはジル様のお部屋です。中庭で倒れていたところを、運ばれたんです」
ジルは少し考えたが、すぐに思い出したのか、ホッとしたように息を吐いた。しかし身体が痛むのか、顔をしかめる。
痛みをこらえて名無しを見ると、目にたくさんの涙を溜めていた。
「また……泣いていたのか」
ジルの声を聞くと、名無しは溜めていた涙を大粒で流した。
声が出ないのか、返事の代わりに手を強く握る。それに気付いたジルも握り返した。
ジルが、自分の手を握り返してくれている。その事実にたまらなくなり、ベッドにもたれかかった。顔を突っ伏し、嗚咽を漏らしながら震える。
「この手を握っていたのは、お前だったのか」
ジルは納得したように言う。返事はなかったが、確信のようなものがあった。
「お前は、あのときも泣いていたんだな」
嗤ってなど、いなかったんだ。と言ったが、名無しにはなんのことか分からなかった。
返事もできず、ベッドの横で子供のように泣く。
ジルが少し、笑ったのが分かった。
「名無しは、ほんとうに泣き虫だな」
ジル様に対してだけです。という言葉は、嗚咽に消えた。
ただ、握り返してくるジルの体温が、とても暖かかった。
終
確かに斬られた身体は、もうどこも痛くなかった。
それよりも、右手が暖かい。誰かが自分の手を掴み、そのまま包み込んでくれている。
この手が、引っ張っているのだろうか。
***
島に平和が戻った。英雄・エルザが偉業を成し遂げたのである。
グルグ族との抗争は終わり、話は和解へと進んでいった。
騎士たちは城の瓦礫を外に運び出し、島の塗装業者はみな修復に駆り出された。
メイドたちは力仕事というより雑務を任され、業者の手配、家具の配置決めなどを行っていた。
「ジル様のことは残念だったわね」
平和が喜ばれる合間、時折聞く言葉だった。
エルザたちが帰ってきてから、冤罪が証明されたのである。
それは他でもない、エルザの言葉があったからだった。
ジルはまだ、見つかっていない。
巷ではもう、死んだのではないかと噂されている。
だが名無しは、ジルの遺体を見るまで信じられないと思っていた。
大広間の掃除を任され、瓦礫が撤去されたところから掃き掃除をする。
なんだか人が少ないな、と思ったが、今日は確か中庭の掃除が主だったはずだ。
崩壊した牢獄を修復するため、中庭を整備することが最優先になったのだ。
疲れたとき人目を気にせず適度に休める、という点では、大広間の掃除は気楽だった。
そろそろ疲れてきたな、と思ったとき、なにやら中庭の方が騒がしくなった。
瓦礫の撤去に失敗でもしたんだろうか、と思っていると、後ろから自分の名前を呼ぶ声がした。
「名無し!」
「ん、なに、どうかした?」
呼んだのは同期の女の子だった。急いで走ってきたのか、肩で息をしている。
「どうしたのそんなに急いで、大広間の掃除ならまだ」
「ジル様が……」
どくり、と心臓が鳴った。
中庭が騒がしい。だがそれも遠くに聞こえた。
「ジル様が、中庭で見つかったって…!」
言い終わるよりも早く、名無しは箒を投げ出した。
後ろで同期の子が叫んでいるが、もう聞こえない。
中庭の騒ぎだって遠くに聞こえたままだ。聞こえるのは、ただ脈打つ自分の心臓だけ。
中庭の扉を開け放ち、人だかりのできているところへ走った。
「すみません、通してください!」
人をかき分けながら進んだ先には、血を流したジルの姿があった。
おそらく骨折をしてるであろう腕は、力なくだらんと垂れ下がっている。
口と頭からは流血しており、瓦礫の下敷きになったのだろう、ということが伺えた。
「ジル様! ジル様!」
名無しはすぐさまジルの元へ駆け寄り、膝を付いて声をかけた。
が、もちろん反応はない。
直後、他のメイドが呼んだらしい医者と、中庭の整備に当たっていた騎士が駆けつけ、ジルを運んでいった。
***
一命はとりとめたものの、まだ油断は禁物だった。
見た目から分かるように、かなりの量の出血をしていた。足や腕の骨も折れていたし、場所によっては複雑骨折しているらしい。
油断は禁物と言うものの、グルグ族との抗争の爪痕が残るルリ島の病院は、満室だったらしい。
万全とは言えないが、急遽ジルの部屋へと運ばれることとなった。
何本もの管が身体に繋がれ、それ自体が生命線になっている。
部屋、掃除しておいて良かった。と名無しは思った。
空気を循環させようと、窓と部屋の扉を開けておいた。心地よい風が通る。
ジルの顔色が悪い。元からいい方ではなかったが、顔が青く、唇は紫色だった。
名無しは突然不安になり、ベッドの横に座って手を握った。
冷たい手だ、と思った。だが、前に感じた冷たさとは違う。目の前にジルがいるのに、なにも感じられない。
「ずっと、待っていたんですよ」
名無しはそのままベッドに突っ伏した。
自分の体温を、分けられたらいいのに。そう思いながら目を閉じた。
起きたら、色々話したいことがある。ハンカチのこと、お城のこと、壁の穴が塞がれてしまったこと、卵焼きを練習したこと……。
扉の方から人の気配がした。起き上がると、そこにはエルザとカナンが立っていた。
入りづらそうにこちらの様子を伺っている。
「カナン様、エルザ様……」
「あの……お見舞いに、来たの」
カナンは一歩踏み出し、部屋に入って来た。エルザもあとに続く。
それでもベッドの傍には寄ってこず、入り口近くで立ち尽くしていた。
名無しは立ち上がり椅子を出そうとしたが、そのままでいいと断られてしまった。
「本当は、お見舞いにくる資格なんて、ないと思ったんだけど……」
中々ベッドの近くに来ない二人に痺れを切らせ、「どうぞこちらへ」と声をかけた。
カナンとエルザは顔を見合わせ、ようやくベッドまで足を運ぶ。
「ジルの罪に関しては、俺が話しておいたから大丈夫だよ。でも、こうなったのは、俺たちのせいでもあるし……」
「……資格なんて、」
二人とも名無しを見る。
名無しは、ジルの手を握ったまま絞り出すように言った。
「資格なんて、誰にもないんですよ。ここまでジル様を追い込んだのは、他でもない私たちです」
私だって、と思った。ジルの好意を無碍にした自分が、こうやって傍にいる資格なんてない。それでも、こうするしかなかった。
握り返してこない手が、妙に生々しい。あのとき乱暴に涙を拭ってくれた手だというのに。
黙り込んだ名無しに、二人が困っているのが空気で分かった。
「でも、今のジル様は怪我人ですから。お見舞いする権利は、私たちにありますよね」
つとめて明るく、にこりと笑ってエルザたちに言うと、二人は面食らったように目を丸くした。
そんな二人の様子を見て、立ち上がって頭を下げた。
「お見舞い、ありがとうございます」
エルザは困ったように「あはは」と笑った。カナンも、優しく笑っている。
「また……お見舞いに来てもいいかな」
「ええ、是非」
「今度は、果物とか持ってくるわね」
エルザとカナンは来たときより、心が軽くなったようだ。自然な笑顔で部屋を出る。
名無しは二人を扉まで見送った。
お見舞いに来てくれるなんて思ってなかった。
カナンとも話すのは初めてだったが、しっかりと自分を持っていて話しやすい人だった。
名無しは明るい気持ちでジルの元へ戻ったが、異変に気付く。
ジルの顔が、横を向いている。
動かしてはいない。ならば。
「誰か! 誰かお医者様を!」
名無しは廊下にいる騎士たちに声をかけた。
ただ事じゃないと思った騎士が、すぐに医者を呼びに走る。
ジルの横に座り手を握ると、わずかに呻いた。
「ジル様! ジル様!」
「……ああ、名無し…?」
ジルは目を開けた。まぶしそうだ。まだ状況を理解できていないのか、目だけで部屋を見渡す。
「ここは……」
「ここはジル様のお部屋です。中庭で倒れていたところを、運ばれたんです」
ジルは少し考えたが、すぐに思い出したのか、ホッとしたように息を吐いた。しかし身体が痛むのか、顔をしかめる。
痛みをこらえて名無しを見ると、目にたくさんの涙を溜めていた。
「また……泣いていたのか」
ジルの声を聞くと、名無しは溜めていた涙を大粒で流した。
声が出ないのか、返事の代わりに手を強く握る。それに気付いたジルも握り返した。
ジルが、自分の手を握り返してくれている。その事実にたまらなくなり、ベッドにもたれかかった。顔を突っ伏し、嗚咽を漏らしながら震える。
「この手を握っていたのは、お前だったのか」
ジルは納得したように言う。返事はなかったが、確信のようなものがあった。
「お前は、あのときも泣いていたんだな」
嗤ってなど、いなかったんだ。と言ったが、名無しにはなんのことか分からなかった。
返事もできず、ベッドの横で子供のように泣く。
ジルが少し、笑ったのが分かった。
「名無しは、ほんとうに泣き虫だな」
ジル様に対してだけです。という言葉は、嗚咽に消えた。
ただ、握り返してくるジルの体温が、とても暖かかった。
終