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クロルフ短編

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 聖王クロムに仕えてイーリスを支える軍師ルフレの正体は、神竜教の怨敵である邪竜教の、その祭神であり世界を滅ぼす邪竜ギムレーの「器」であるのだと。
 極限られた身内の間で秘されていた筈のその真実が明るみに出てしまったのは、一体誰の所為であるのだろうか。
 ……それはもう、今となっては分からない。
 人の噂に戸口を立てる事は出来ないと言うだけの事であっただけなのかもしれないし、或いはもっと悍ましい思惑が背後で蠢いていたのかもしれない。……しかしもう、その事に関して犯人捜しをした所で、ルフレの真実が広く民の間に広まってしまった事を「無かった事」には出来ない。既に、誰かを口止めしてどうにか出来る事態を越えてしまっていた。

 ……ヒトは、「恐怖」に対してとても脆弱な生き物だ。
 死を恐れ、脅威を恐れ、未知を恐れ、異常を恐れ、理解出来ぬモノを恐れ、「恐怖」自体を恐れ。
 そして身を寄せ合って「恐怖」に牙を剥く……。
 それがヒトと言う、弱く愚かな生き物の常であった。

 ルフレは、クロムと共に幾度も戦を勝利へと導きイーリスを救い、そして終にはギムレーの脅威から世界を救った。
 その功績は民も広く知るところであり、故にルフレは「救世の英雄」として人々から讃えられていた。
 ……そんな「英雄」が、その実得体の知れない「ギムレーの器」なる「化け物」であったのだ。
「ギムレーの器」と言う存在が一体どう言うモノであるのか、ルフレと言う人間はどう言う為人であるのか……。
 それを良く知らない……「英雄」である彼しか知らぬ、多くの民にとって『ルフレ』と言う存在がどの様に映ったのか。
 幾度も繰り返されて来た人の世の愚行を鑑みれば、その遣る瀬無いまでに悲しい現実に向き合わねばならないだろう。
 ……ならばこの結末は、ヒトと言う生き物が弱く愚かである以上は、避け様の無い事であったのかもしれない。

「ギムレーの器」などと言う「化け物」など殺してしまえと。「真実」を知った誰かがそう言った。
『ルフレ』は「英雄」などではなく、人々を騙し世界を滅ぼそうとした「化け物」なのだと。……そう信じた者が居た。

 ……一体、誰が「悪」なのであろうか。
 どんな悪意が、この結末を導いたと言うのか。
 ……誰も「悪」では無いのか、それとも誰もが「悪」なのか。

「そう生まれついてしまった」と言う、ただそれだけで。
 まだ何もしていない……これから先もこの世に「悪」を成す意思など無く、それどころか己が身を擲ってでもこの世界を救おうとした者を、排斥し拒絶する事しか出来ないこの世界とそこに生きる人々の何が「正しい」と言うのだろう。
 ……少なくともそれは、クロムが信じていた「正義」からは最も程遠い所にあるものであった。
 だが、そうであるのならば。最も愚かで間違っているのは、他ならぬクロム自身であるのかもしれない。


 処刑台へと罪人の様に曳かれて行く半身を絶望と共に見詰めながら、……クロムは何も出来なかった。
 何時もと変わらずに腰に佩いたファルシオンを、今日ばかりはこの世の何よりも重く感じる。
『竜』を殺しかつて二度に渡って『邪竜』を討ったこの剣を、……「聖王」としての自身の証であるそれを、悍ましい呪いの枷の様に感じたのは、生まれて初めての事であった。
 そして、この先一生……今日感じているこの剣の重さを、何をしても忘れる事は出来ないだろう。
 だがそれこそが、無力なクロムに科される罰である。
 罪を犯し、罰を背負い……それでも命ある限り許される事など無い罪人として、今日この日から生きねばならぬのだ。

 イーリス聖王国の王子としてこの世に生を受けたクロムは、自身が王族として生きる事に疑問や反発を感じた事は無かった。
 最愛の姉や妹が王族であるが故の理不尽な目に遭っている時には怒りを覚えたりもしたが、しかしだからと言って王族としての責務を放棄する事など考えた事も無かったし、当然一度たりともそんな事をした覚えは無い。
 志半ばにこの世を去った姉の跡を継ぎ聖王となってからは、より一層「王」としての責務を果たそうとしてきた。
 ……それなのに、その先で待っていたのがこんな結果であるのかと。クロムは今、この世の全てを呪っていた。

 大衆がルフレへの疑念とその危険性から、彼を排斥しようとし始めた時、クロムは当然憤った。
 クロムにとっては、半身の様に大切な友を排斥するなど、何があろうとも到底受け入れられない事であったからだ。
 クロムはルフレと言う一人の人間の事をとても良く知っているのだし、「ギムレーの器」であろうとどんな生まれであろうと何だろうと、ルフレはルフレであり……それ以外の何にもならない事を良く理解している事も大いにあった。
 ルフレが己の出生の事を深く悩んでいる事は知っていたし、故にこそ誰よりも誠実に「善く」在ろうとするその生き方には親愛の情を越えた尊敬の念すら抱いてもいた。
 故に、ルフレが「ギムレーの器」であると知った後も、……異なる可能性の先を辿った「未来」では「邪竜ギムレー」へと堕とされてしまった彼が世界を滅ぼした事を知った後も。
 それでも、クロムは『ルフレ』を信じ続け、決してその手を離す事は無かった。何があっても離すつもりなど無かった。
 ……ルフレがその身を捧げてまで「邪竜ギムレー」を完全に滅ぼしこの世から一度消えてしまった時には、我が身を引き裂かれたかの様な哀しみを抱き、彼ともう一度巡り逢える「奇跡」を固く信じて。……そして、奇跡の果てにもう一度その手を取る事が出来た時には、この先何があろうとも二度とこの手を離さないと固く心に誓った。
 ……それなのに。
「聖王」としての責務は、その誓いを守る事をクロム自身に赦してはくれなかったのだ。

 ルフレを処刑すべきとの声が何処からともなく上がった時には、当然クロムはそれに反論した。
 ルフレが如何に「善い」存在であるのか、世界にとって害になどならない存在なのか、ルフレと言う存在がどれ程この国にとって有益な存在であるのか……。
 クロムが出来る全てで、ルフレを排除しようとする者達を説き伏せようとした。力の限りルフレを守ろうとしたのだ。
 貴族的な利害関係によってルフレを排除しようとしている者達には、それ相応の処罰を与えたり或いは懐柔しようとしたりもした。綺麗とは言い難い手段だって躊躇わなかった。
 クロムやルフレと共に幾度も戦った仲間達も、クロムに味方し力になってくれた。……しかし。
 国を動かす貴族たちの間だけでは無く、民達の間にまでそう言ったルフレへの害意が広まってしまった時。
 最早「クロム」と言う一人の人間の感情と考えだけで状況を変える事など出来なくなっていた。

 幾らクロムが「王」であっても、国とはそこに生きる「民」が居らねば成り立たず、故に全ての大衆が一つの方向を向いてしまった時にその流れを押し留める事など出来ない。
 そして事はイーリス一国だけの問題には留まらず、様々な国との新たな争いの火種にまで発展してしまった。
「邪竜ギムレー」と言う存在の影響が、それ程までに大きいモノであったからこその悲劇である。最早「世界」その物が、ルフレの存在を排除しようとしていたに等しかった。

 ……その結果、クロムは「王」であるからこそ、選択せねばならなくなってしまった。それが、自分の心とは真逆の、赦し難い決断であるのだとしても、だ。

 ……自分が「王」でなければ、自分達以外の「世界」の全てが敵になってしまったのだとしても、ルフレの手を取って何処かに逃げてしまえたのだろうか。
 自分が、かつて「邪竜ギムレー」を討った「聖王」に連なる血筋の王でなければ、もっと他に手はあったのだろうか。
 もし、もしも……──
 最早今となっては意味も無くただただ虚しい現実逃避にしかならない仮定ばかりがクロムの思考を満たす。

 どうして、と。何度思った事だろうか。
 やり直したい、と。何度願っただろうか。

 ……だが、かつて世界の滅びを回避する為に「時の扉」を開いて過去を変えた筈の神竜は、正統なる「聖王」である筈のクロムの嘆きに応える事は無かった。
「邪竜ギムレー」が滅びた今となっては、神竜の庇護下に在る者では無い「邪竜ギムレーの器」がどうなろうが知った事では無いのかもしれない。……実に合理的だ。反吐が出る。

 最早クロムの前に選択肢など残されてはいなかった。
 足掻いて抗って……それでも何も変えられず、クロム達の足掻きを嘲笑うかの様に、全ては「最悪」へと突き進んだ。

 大衆は言った。
『邪竜ギムレーを殺せ』、と。『「邪竜ギムレーの器」を滅ぼす為には、「聖王」の振るうファルシオンが必要なのだ』、と。『「聖王」は「邪竜ギムレーの器」を討ち滅ぼし、世界を救わねばならないのだ』、と。

 クロムは……「聖王」としての責務に縛られた愚かな男は。
 その大衆の意志に、逆らう事が出来なかった。



 処刑台へと曳かれるルフレのその眼に、恐怖や絶望は無い。
 ただただ何処までも静かに己の命の終わりを見詰めていた。

 その結末が避けられぬものになってしまった時、クロムは絶望と悲嘆の涙を流しながら何度も何度もルフレに己の愚かしさ無力を謝罪した。
 償う事など何をしても出来ぬそれを、懺悔する様に、或いは彼からの罰を望む様に。
 ……だがルフレは、一度としてクロムを責めなかった。
 そして、恐怖を見せる事も己の命を惜しむ様な事も、何も。

 ……もしルフレが、「生きたい」と。「死にたくない」と。
 ……そうただ一言だけでも言ってくれたのなら。或いはクロムの行いを詰ったのであれば。恐怖を訴えてくれたなら。
 その瞬間に、クロムは何もかもを捨てる事を覚悟して、ルフレの手を取ってこの世の果てにだって逃げただろう。
 何を引き換えにしてでも、何の未来も無い逃避行なのだとしても、それでも絶対にその手を離したりはしなかった。
 今度こそ、もう二度と。「聖王」ではない、ただの一人の人間としてのクロムは、それを心から望んでいたし、願っていた。

 だけれども、ルフレはそれを選ばせてはくれなかった。
 ……いや、結局の所それを選べなかったのは、クロム自身の「弱さ」故に他ならない。
 ルフレは、狂気と愚かさと悪意無き邪悪が蔓延る中で、最後まで清廉であり続けた。……その運命が不可避になった時にも、ルフレは決してそれから逃げる事は無かったのだ。
 ……その清冽なまでの美しい覚悟は、クロムにとっては何処までも哀しく絶望に満ちたものであった。


「クロム」


 ルフレは、静かに己の横に立つ男の名を呼んだ。
 それはまるで、友に話しかける時の何時もの調子のままで。
 その事に、クロムはどうしようもなく動揺して、何も言えなくなってしまった。
 何か言葉を交わせる時間は、これが最後であると言うのに。


「……君の所為じゃ無い。何も、君に罪なんて一つも無い。
 だからね、これで良かったんだ。君は、正しい。
 ……でもね、君の気持は本当に嬉しかった。
 僕と、そして君が背負う全てとを、その秤の上に載せてくれたんだから。それだけで、僕にとっては十分なんだ。
 ……だからね、もう良い。もう、良いんだ。
 ……これ以上、君自身を苛むのは止めてくれ」


 穏やかで優しい声音で語られたルフレのその言葉に、クロムの胸にどうしようも無く激しい衝動が押し寄せた。
 それなのに、「こんな結末、間違っている!」と、そう叫ぶ魂の絶叫を、「聖王」としての鎖が絡め取って殺してしまう。
 結局、この期に及んでもクロムは何も出来ないままだった。
 声を上げる事も、ルフレを逃がす事も、……何も出来ない。
 今この場に於いて、クロムはただの舞台装置でしかないのだ。
 それでも、クロムは心の奥から絞り出す様に呻いた。


「……赦せる訳が、無いだろう。
 何もかも、俺自身も、……お前を奪った全てを。
 俺は、生きている限り決して赦す事など出来ない。
 お前の屍の上に立つものを、俺は……」

「……それでも、君は赦さなきゃいけない」


 怨嗟の様に零れたその言葉を遮る様に、何処までも静かなルフレの声がクロムの耳に響く。
 何を、と。クロムがルフレを見ると。ルフレは何処までも優しい……慈愛に満ちた様な眼差しで、クロムを見ていた。


「僕は、今日ここで死ぬ。
 でも、君はその事について何も責めてはいけない。
 君自身にも、そして君が背負うものにも。何にも、僕の命の罪を背負わせたりはしない。全部、僕が持っていく。
 ……今は、君は自分を苛むのかもしれない。明日も明後日も来年も……君が君自身を赦せる時は、直ぐには訪れないのかもしれない。それでも、何時かは必ず赦さなきゃいけない。
 ……それが、今日ここで君に殺される為の、唯一つの条件だ」


 ルフレの、余りにも優しく……そして何よりも残酷なその言葉に、クロムはルフレの目をそれ以上見ていられなかった。


「お前は……何処までも残酷なやつだな……。
 それを、俺に求めるのか……」

「そうだよ、だって僕は『邪竜ギムレーの器』だからね。
『聖王』には容赦なんてしないのさ」


 こんな時なのにそんな笑えない冗談を口にするルフレのその声音に、死への恐怖など欠片も無かった。
 それが、哀しくて苦しくて仕方が無いのに、どうしてだか涙はもうクロムの頬を濡らす事は無い。
 そんなモノは、もう枯れ果ててしまったのかもしれないし、「聖王」としてこれから先も被り続けなければならない仮面の奥でだけ静かに流れ続けているのかもしれない。


「……そうか。なら、仕方無いな……。
 ……なあ、ルフレ。……怖くは、無いのか」


 何かの期待を込めながら、クロムが最後にそう訊ねる。
 しかしその期待は、やはり叶う事は無い。


「最後に君を見て死ねるんだ。怖くは無いさ。
 ……ねえ、クロム。
 もしもさ、「あの世」ってものが何処かにあるのなら。
 何時か、そこでまた、一緒に話そう。
 下らない事も、楽しい事も、沢山……。
 だから、その時の為の土産話を沢山持ってきて欲しいんだ。
 色んなモノを見て、色んな人と話して、沢山……抱えきれない程沢山……。だからね……。
 ……ああ、駄目だ、これ以上は言葉が出て来ないや……」


 ポツリと、名残惜しそうにそう呟いて。
 ルフレは、全てを受け入れる様に静かにその眼を閉じる。
 跪き、刃を受け入れる様にその頭を下げて。
 その白い項が、クロムの前に曝け出される。

「化け物」の処刑の瞬間を待ち侘びている民衆の熱狂は、最高潮を迎えようとしていた。
 彼等にとっては、目の前で今から起こる惨劇は、「英雄」が「化け物」を討ち滅ぼす英雄譚の一幕でしか無いのだ。
 彼等には、クロムにとってルフレが唯一無二の友である事も、そして彼の献身によってこの世界が救われた事も、等しく意味を持たず興味など無いのだろう。……大衆とはそう言うモノだ。

 誰も、「悪人」では無いのだ。きっと。
 普通に生きて、家族を大事にして、誰かに親切に出来る。
 クロム達が守るべき、善良さを持つ普通の人々なのだ。
 ……だが、彼等は余りにも無垢な邪悪その物であった。

 何処までも悍ましい怪物の唸りにしか聞こえない大衆の怒号も、何時かは赦し受け入れねばならないのだろうか……。
「その時」と言うものを、今のクロムには想像が出来ない。
 この心を蝕む「呪い」が解ける日など、来ないだろう。
 ルフレを奪った全てへの憎悪が消える日は、生涯訪れない。

 ……それでも、何時かは赦さねばならないのだ。
 それが、ただそれだけが、ルフレの願いであるのだから。
 友の最期の望みを、何時かは叶えなければならない。

 鞘から抜き放ち振り上げたファルシオンは、それを握るクロムの心の内の絶望や憎悪など知らぬとばかりに、何時もと変わらぬ輝きを放っている。
 ……ファルシオンには、担い手が望まないものは斬らないと言う力が有るが、恐らくそれが働く事は無い。
 神威の力宿る牙は、人々がそうであれと望む様に、「化け物」の命を絶つのだろう。……そんな事に、何の意味も無いのに。



「……また、何時か……──」



 最後にクロムの耳だけに届いたその声を、クロムは命の旅路を終えるその時まで、片時も忘れる事は無かった。





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