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その面影に探して

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 身に付いた『経験』と言うモノは、そうそう簡単に消える物ではないらしい。
 特に、幼い頃から身に沁みついた『経験』と言うモノは、どれ程意識していてもふとした瞬間に出てしまうモノであると言う。
 立ち居振る舞いや僅かな言葉の訛りに留まらず、武器を振るう時の動きや食事中の所作に至るまで。
『意識』の制御からすら時に離れてでも表れてしまうそれらは、その者の『生い立ち』がそこに出てしまっているとも言えるのかもしれない。

『自分自身』の「記憶」が、その「名前」以外の一切を喪ってしまった僕にすら、その身に沁みついていた『経験』と言うモノは消えていなかったらしい。
 一口に「記憶喪失」と言っても、『経験』に関する「記憶」も全て消えてしまった訳では無い様である。
 まあ……そう言う「記憶」まで完全に消えてしまっていたならば、生まれたての赤子同然の真っ新な白痴の状態になってしまう訳なので、そうでは無かったのは間違いなく「不幸中の幸い」なのだろうけれど。

 博識なミリエルの蔵書によると、『記憶』には、大きく分けて三つあると言う。
 一つは、『自分』の経験やそこで感じたモノを元に刻まれる「記憶」……。
 自分がどうやって生きてきて、どんなことを体験してきて、どう言う人間であったのか……、と言う部分を司る「記憶」であるらしい。
 二つ目は、今自分が何をしていたのか、何をしようとしているのか、と言う極めて短期的な「記憶」。
 そして三つ目は、得た『経験』などに関する「記憶」。
 それは、言語や文字などに関した知識や、その意味の知識などに留まらず、所謂「身に沁みついている」と言うやつもこれに該当するのだとか。
 この「記憶」は、一部欠ける事は時折有るらしいが、その全てが一切合切喪われる事はそう無いらしい。

 まあそんな訳で、「記憶」の何もかもが喪われたと言う訳では無いらしく、ならばその残った部分……。
 自分の無意識の立ち居振る舞いなどの中に、喪われた『自分』のその半生を辿る何かしらの手掛かりがあるのではないかと思ったのだけれども……。
 残念ながら、それもそう上手くはいかなかった。

 自警団の仲間達には、様々な階級の出自の者が居るし、更にはイーリス国内だけではなくフェリアやぺレジアなどからやって来た者も居て、そんな彼等の力を借りながら、僕は自らの喪われた「過去」を探そうとはしてみたのだけれど……結果は芳しくなかったのだ。

 育ってきた環境を反映しやすいと言う「言葉」に関しては、恐らくは生粋のイーリスの生まれでは無いのだろう……と言う事位しか分からなかった。
 僅かにぺレジア的な僅かな発音の違いがある気がするらしいと言うのだが、逆にフェリア的なモノもあるにはあるらしく、記憶を喪う前の僕は各地を転々とする様な生活をしていたのかもしれない。
 育ってきた階級的な言葉の特徴を探してみても、貴族階級や騎士階級で育った訳では無さそうではあるが……一般的な平民に多い訛りも無いらしい。
 強いて言えば、裕福な商人階級のモノか……高位の宗教家などの、「教養」がしっかりと身に付いている者が、身の回りに居た可能性があるらしい。
 父母か……或いは育ての親などが、そんな人物であったのだろうか……? 
 しかし残念ながら、それ以上の事は分からなかった。

 武術に関しても、イーリスで一般的に知られている流派の流れは殆ど見受けられず、また武術が盛んなフェリアにある流派ともやはり違うらしく。
 完全に我流であるのか、それとも流派としては規模が小さいモノなのか、或いは様々な流派を取り込み過ぎて原型が無くなったのかは分からないらしい。
 立ち居振る舞いに関しても、それなりに確りとした「教養」ある者に躾けられた痕跡しか分からなかった。

 そんな風に、殆ど分からない……と言う事位しか言えないものばかりであったのだけれども。
 唯一、食事時の所作だけは、僅かながらも特徴と言えるものが見受けられるらしい。

 食事時の所作……所謂「テーブルマナー」などに留まらず、肉の切り方や料理を食べる時の順番に至るまでのそれらは、大人になってからの矯正は難しいが故に、ある意味「言葉」以上に克明にその育ちを映し出すのだと言う。
 だからこそ、イーリスでは、時に身なり以上にその食事の所作と言うモノは大切にされているものであるらしく。
 イーリスに伝わる古事の中にも、その大切さを伝えるモノは多く残されている。
 身なりは取り繕う事は出来るが、そう言った所作は決してその身分や育ちを偽れないのだと言う。

 そう言われれば確かに、と思い当たる事は多い。

 例えば。
 訓練中に物を壊す常習犯であり少し力加減が下手と言うかやや不器用な気はあるが、クロムのその食事の所作はそれはもう綺麗なモノである。
 仲間達と共に語り合いながら賑やかに食べているその時ですら、その所作には洗練された美しさが宿っていて。
 ……確かに、その身分が高貴なモノである事を、言葉以上に雄弁に主張しているモノであった。
 同じ王族であるリズは勿論の事、大貴族の娘であるマリアベルや、古い貴族の家系であるリヒト、代々騎士の家系であると言うフレデリクやソワレの所作は、他の者達とは確かに違っていた。
 それが無理をして作った感じが無い……極自然体のモノであるからこそ、それがまさに「骨身にまで染み付いた」ものである事が窺えるのだ。
 そして、クロム達に限らず、食事の時の所作……特に無意識的な部分のそれは、確かにその者の生きて来た環境をそこに垣間見る窓であった。

 ルフレのそれは、仲間達の指摘した所によると。
 基礎的な食事時のマナーは完璧である為、恐らくはルフレを育てた者はそれをしっかりとルフレに躾けられる程度の「教養」があった事。
 そして、何でも食べる程好き嫌いと言うモノは殆ど無いがより好物のモノは最後の方に食べようとする所などから、恐らく料理を取り合う様な兄弟は居なかったであろうと推測されていた。
 また、よく飢えに苦しめられていた者特有の……飢餓感に似た必死さは無い為、十分な食事量を摂れる環境下に居たのだろうとも言われたのだ。

 成る程、指摘されたそれらは、振り返ってみれば「確かに」と納得がいくものが多い。
 ……まあ、それが分かった所で、自分の「過去」に直接繋がる訳でもないのだが……。
 しかし、少なくとも自分の事を確りと育ててくれていた「誰か」が居たのだと言う確かな事実は、少しばかりそれに救われた様な気持ちになる。

 ……その「誰か」を思い出してあげられない一抹の寂しさは、今も感じてしまうのだけれども。




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