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虚構の勇者

◇◇◇◇◇





 家で出迎えてくれた菜々子は、想像していた以上に賑やかな人数に驚いていたが。
 それでも初めて会った巽くんやクマとも直ぐ様馴染み、今は巽くんがクマと菜々子の二人に何やら複雑な折り紙の折り方を実演していた。
 巽くんが一つ折り紙を完成させる度に二人は歓声を上げ、それに巽くんは満更でも無い様な何処か照れた様な表情を浮かべる。

 元々、巽くんは性格自体は面倒見が良い方だ。
 子供受けの良いスキルも多く持っているし、案外小さな子供に何かを教えたりするのには向いているのかもしれない。
 まあ、ちょっと強面なのが子供的には玉に瑕なのであるが。

 そんな三人を見守りつつ、オムライスの準備を進める。
 コンロの方ではりせがライスを玉子で包んで一足早く完成させようとしていて、その横では火力を間違えた天城さんがあたふたとしている。
 更にその横では、里中さんが何故か肉を切っていた。
 三人でワイワイ騒ぎながら作っていく様子を、微笑ましく見詰める。

 だが、不意に。
 視界がグニャリと歪んだ様な気がした。
 咄嗟に目を閉じて軽く頭を振ってから再び目を開けた其処には──

「おい、悠希!」

 強く肩を揺すられて、焦点はいつの間にか目の前に居た花村に結ばれる。

 あれ、何で、花村が?
 ……そうだ、今は、打ち上げの為にオムライスを作っていて……。
 ……打ち上げ……?
 ──それは、《《何回目》》の打ち上げの事だ?

 いや、違う。それは。
 繰り返していたのは、あの“悪夢”の中での話だ。
 今居る此処は、“現実”だ。
 ……どうやらまた、“悪夢”と“現実”の境を見失ってしまっていたらしい。
 周りを見回した所、花村以外は誰も反応しては居ないので、それはほんの一瞬の事だったのだろうけれども。

 焦った様に此方の肩に手を置く花村の手を、「もう大丈夫だから」と、下ろす。
 そして、花村を安心させる様に少しだけ笑って「有難う」と礼を言った。
 ……それなのに、何故か花村はもどかしく苦しそうな顔をする。
 そして、花村が何か言おうとしたその時。

「はい、かーんせいっ!
 ほら花村先輩退いて退いて!」

 完成させたオムライスを皿に盛り付けたりせが、花村と此方の間に割って入る様にして通っていく。
 そして、何かトラブルでもあったのか里中さんが慌てていた。
 そちらに一瞬気を取られ、そして再び花村の方へと視線を向けるが。
 花村は言葉にする切っ掛けを喪ったかの様な顔をして、黙ってしまった。

 ……何はともあれ、コンロが空いたのだから自分のオムライスも完成させなくては……。




◇◇◇◇◇




 程無くして、卓袱台の上には四つの大皿が並べられた。
 どのオムライスも、目に見えるのはソースと中身を包む卵の部分だけだ。
 各人が中に何を仕込んだのかは、パッと見では分からない。
 その皿以外にも、サラダとコーンポタージュも用意しているが、今のメインはオムライスだ。

 全員で手を合わせて「いただきます」と唱和したが、直ぐにはオムライスに手を付けなかった。
 前回のカレーの時の経験を活かし、里中さん達の分は先ずは誰かが毒味役を引き受けてから、菜々子にも食べて貰う様にする為だ。
 菜々子には万が一にもあの『物体X』の様なシロモノを口にさせる訳にはいかない、と里中さん達を説き伏せた所、一応は納得してくれたらしい。
 因みに、花村がりせの分を、巽くんが天城さんの分を、クマが里中さんの分を先ずは試食する。

「それじゃあ、私のは花村先輩が先ずは食べてみて!
 凄い自信作だから! 絶対に美味しいよ!」

 自信満々なりせにそう薦められた花村は、特に警戒する事無く、寧ろ嬉しそうにスプーンでりせのオムライスを一口分掬った。
 トマトベースのソースなのか……妙に赤いソースがオムライスに全面的にかかっているオムライスだ。
 ……何だか近くに居ると目が痛くなってくるオムライスなのだが……。
 まあ、花村はりせのファンなのだし、その辺りを考えるとこの状況は花村にとって中々感慨深いものなのだろう。
 そして、一口にそれを頬張ると。

 ──その瞬間、花村の表情が完全に固まった。

「どう? 美味しいでしょ!」

 花村の表情に一切気付いていないのか、りせは期待に満ちた顔で、花村の「美味しい」と言う言葉を待つ。
 だが、花村は恐らくはそれに気を配る処では無いのだろう。
 必死に激痛を堪える様な顔をしながら、花村は何とか口を開く。

「こっ……これは……。
 菜々子、ちゃんには……やれないな……」

 ……どうやらかなりの劇物であったらしい。
 花村は表情は平静を装っているが、その目からは生気が抜け落ちていく。
 だが、その事に気付いていないりせは、褒められたと勘違いして嬉しそうに歓声を上げた。

「やっだ、もう、花村先輩!
 美味しくて独り占め宣言!?」

 それに曖昧な答えを返す花村を横目に、天城さんが自分のホワイトソースがかかったオムライスを巽くんに勧めていた。
 あのカレーの件で警戒心が高まっている巽くんは、冷や汗をかきつつ恐る恐る一口掬って、ままよとばかりに一気に口に含む。
 この世の終わりの様な顔をして食べていた巽くんだが、次第に首を傾げ始め、何故か二口目を掬った。
 それを食べて、更に三口目。

 美味いとも不味いとも言わずに、ただオムライスを口にする巽くんに。

「えっ、何か言ってくれないと困るんだけど……」

 と、天城さんが溢すと。
 巽くんは首を捻りながら自分の中から適切な単語を探し、一拍置いてから答える。

「何つーのか……。
 ……“不毛な味”っスかね……」

「不毛!?
 “不毛”なんて味の表現に使わないでしょ!?
 美味しいのか不味いのかだけが知りたいんだけど!」

 喰ってかかってきた天城さんに、巽くんはどう言えば良いのか悩みつつも答えた。

「いや、本当に何の味もしないんスよ。
 お麩をそのまま囓ってるってのが一番近いっつーのか……。
 美味い不味いの前に味が全くしないんで、分からねーっつか……。
 まあ、美味しくはないんスけど。
 色々入ってる感じはあるのに、全く何の味もしないなんて、ある意味で才能っスね」

 そんな巽くんからの評価に天城さんは、「繊細な味が分からないだけ!」と主張するが、巽くんの味覚は至って正常なので、恐らくは本当に味を感じられないオムライスなのだろう。
 ……寧ろ作り方を知りたい位だ。
 不味いとすらも言って貰えず落ち込む天城さんを励まそうとしてか、菜々子は天城さんのオムライスを迷う事無く口にした。
 そして少し考えてから。

「……おいしいよ?」

 と天城さんに言うと、その優しさに打ち震えるかの様に天城さんの目が潤んだ。
 そんな様子を横目で見ていた里中さんは、少し緊張しつつも何処か自信あり気にスタンダードな自分のオムライスをクマに勧める。
 クマは何も気負わずに食べ始め、そのままパクパクと食べていく。
 少なくとも、口に含む事が出来る類いのモノではあるらしい。

「ど、……どうかな?」

 期待を込めつつ里中さんがクマにそう訊ねると。

「うん、不味い!」

 それはそれは良い笑顔でクマはそれをぶった切った。
 そして、そのオムライスを花村にも勧めてくる。

「いやお前……自分で“不味い”つったモンを人に勧めんなよ……」

 そうぼやきつつも一口そのオムライスを食べた花村は、納得した様に頷いた。

「あー……成る程な。
 確かに、普通に不味い。
 でも、まあ……あの時よりは進歩してるし良いんじゃね?」

 どう言う事なのだろうか、と自分も一口食べてみる。
 ……確かに、不味くはあった。
 間違いなくこれは不味いし、好んで食べたいとは思わない。
 ただ、あのカレーの惨劇を思えばこれは普通であった。
 調味料の量を間違えた、とか。
 焼き加減を間違えた、とか。
 そう言う普通の失敗を積み重ねた先にある不味さである。
 あの異次元の味のカレーから見れば、雲泥の差であった。

「ふ、……普通に不味いって……。
 何気に一番キツいかも……」

 落ち込む里中さんを励まそうと、また菜々子は里中さんのオムライスを食べる。
 そして、ゆっくりと頷き、少し震える声で「おいしいよ」と笑った。
 それに感極まったかの様に、里中さんの目も潤む。
 その横では、天城さんが里中さんの分のオムライスを食べて、どうやらその味が笑いのツボに入ったらしく、「普通に不味い」と楽しそうに爆笑していた。
 そこに悪意は全く無いのだが、自分の料理を貶されるのは良い気分にはならない。
 だから里中さんは不機嫌そうに、りせのオムライスを指差して、「りせちゃんのも食べてみなよ! 絶対にあたしのヤツの方が美味しいよ!」と言うと、天城さんは一度真顔になって、りせのオムライスを一口食べた。

 が、次の瞬間には軽く呻いてから天城さんは倒れてしまう。

「天城さん!?」

 慌てて天城さんの状態を見てみるが、どうやら激し過ぎる刺激に耐えきれず、一時的に気を失っているだけの様だ。
 オムライス作りの前に、天城さんはりせに「一撃で仕留める」と宣言していたが、仕留められたのはどうやら天城さんの方であった。

「一撃かよ……」

 巽くんが戦く様にりせのオムライスを見詰め、クマも遠慮する様にオムライスから目を逸らしている。

 ……一体、どんな味がするんだ?
 警戒しつつ一口分を掬って食べたのだが。
 直後、口腔と唇の激しい痛みと灼熱感を知覚する。

 何だこれは!

 突然口腔内に吹き荒れた暴力の嵐に依って若干涙目になりそうで、それをギリギリで堪えた。
 それと同時に、この灼熱感と痛みの正体に大まかながらも検討を付ける。

 これは、恐らく辛味……。
 しかも、カプサイシン受容体で受容されるカプサイシンの類いだ。
 唐辛子の辛さである。
 しかし、これ程の辛味を出すとは……一体何を使ったのだか、と思って台所をチラリと見やると。
 そこには開封された『デスソース』が転がっていた。
『デスソース』は一般の人でも手が届く調味料の中では断トツにスコヴィル値が高い、激辛党御用達の代物だ。
 罰ゲームに使われる位のモノである。
 堂島家にはそんなモノ置いていなかったので、あれを買ったのは今日の事……ジュネスに売っていたと言う事だ。
 何故ジュネスがそんな劇物を置いていたのかは分からないが。
 その所為でこんな、味の大殺界が誕生してしまったのかもしれない。

「こっ……子どもには分からない味なんだもん!
 大人の味なんだもん!
 先輩たちが、お子様なんだもん……。
 私、私……」

 口腔内の痛みに思わず無言になってしまうと、りせは泣き出しそうな顔になり、顔を手で覆ってしまう。
 すると、止める間もなく菜々子がりせのオムライスを一口食べてしまった。
 暫し無言になった菜々子は、一口水を飲んでからりせに笑いかける。

「からいけど、おいしいよ」

 少し汗をかきながら健気にもそんな事を言う菜々子を、りせは我慢出来ないとばかりに抱き締めた。

「……ねー、そうだよね!
 菜々子ちゃんが一番オトナ!」

 その顔には、涙の跡など何処にも無い。
 どうやら先程の涙は嘘泣きであった様だ。

「じゃあ、最後は真打ちの先輩のヤツっスね!」

 巽くんは待ってましたとばかりに声を上げた。
 真打ちになるのかは分からないが……。

 自分が作ったのは、パッと見た所は普通のオムライスに見える。
 ソースはトマトから作った特製のモノで、卵はスフレオムレツの様に作ったのでフワフワ、中はバター醤油で炒めたライスとなっている。

 一口掬って食べた菜々子は、途端に目を輝かせた。

「すっごい、おいしい!
 こんなオムライス、はじめてたべた!
 お姉ちゃん、すごい!
 すごい! おいしい!」

 幸せそうにオムライスを口にする菜々子を見ていると、自然と皆笑顔になる。
 そして、オムライス対決はそこで幕を閉じたのだった。





◇◇◇◇◇





 途中で余っていたモノで炒飯などを作ったりしつつ、そろそろ皆は帰らないといけない様な時間になった頃には、皆の腹も膨れていた。

「そう言えば、8月の中頃には神社でお祭りがあるんだろ? 商店街がやってるヤツ。
 あれさ、皆で行かないか?」

 帰り支度を始めようか、という時に唐突に花村がそう提案してくる。

「あ、賛成」

「夏祭りっちゅー事は、浴衣クマね!
 むほーっ、楽しみー!!」

 直ぐにりせとクマが賛同の声を上げ、それに続く様に皆も頷いた。

「おまつり……」

 ポツンとそう何処か寂し気に呟いた菜々子の頭をそっと撫でて、「一緒に行かない?」と誘うと、途端に目をキラキラとさせて何度も何度も頷く。

「夏祭りも良いけど、夏の終わりの方には花火大会もやってるんだよ」

 里中さんのその言葉に、「じゃあそれも皆で行こう」から始まり、「そう言えば海は何時行く?」やら、「夏と言えば胆試しだよね」だとか、そんな遊びの計画が次々と立てられていく。
 その事に言葉では言い表せない程の幸せを感じながら、皆の帰り際まで共に計画を話し合った。


 この中ではここから家が一番遠い天城さんと、その天城さんを送る為に里中さんが先ず家を後にした。
 続いて商店街に家がある巽くんとりせが帰り、今は花村とクマが残っている。

 …………?
 何故かクマは少し寂しそうな顔をしていた。

「クマ? 何かあったのか?」

 そう訊ねると、クマは曖昧な顔で頷く。

「“ウチアゲ”をしていた時に気付いたんだけど、……もし【犯人】を捕まえて本当に事件が終わったら、クマ、あっちに帰らないといけないんだなって」

 そう寂しそうな顔をするクマに、「どうして?」と訊ねた。
 すると、クマは益々寂しそうな顔になり少し俯く。

「だって、それがセンセイとした“約束”だから……。
 だから、全部終わったなら、クマはここに居ちゃいけない」

 ……そんな事は全く無いのだが、クマにとっては“約束”とはそう思い悩む程に大切なモノであるのだ。

「そんな事は無いさ。
 確かに、私はクマと【犯人】を何とかして事件を終わらせると約束した。
 だけど、私とした約束はそれだけじゃないだろ?」

 そう言ってやると、クマはよく分からなかったのか首を傾げる。
 そして、話の流れはよく分かってはいないのだろうがずっと側で聞いていた菜々子が、そこで動いた。

「クマさん、どこかにいっちゃうの?」

「約束が果たされたら、クマは帰らなくちゃいけないんだ……」

 それはまだ先の事だけどね、とクマが言うと。
 菜々子は少し考える様に黙り、そして言った。

「それなら、そのやくそくがなくなっちゃうまえに、菜々子がクマさんとやくそくしたら、クマさんはどこにもいかなくてもいいの?」

 菜々子の質問にどう答えていいのか分からなかったのか、クマは視線をさ迷わせてから此方を見てくる。
 そんなクマを安心させる様に、ポンポンと軽く頭を撫でた。

「約束を守るのは良い事だ。
 しかし、クマが私とした約束は、まだあるだろ?
 クマが“答え”を探すのを手伝うって言う、大切な“約束”が。
 新しい“約束”を積み重ねていけば、何の問題も無いだろ?」

 勿論、クマが帰りたくなったのならば帰れば良い。
 しかし、此処に居たいと思うのならば、好きなだけ此処に居ても良いのだ。
 “約束”と言う名目が必要ならば、一つの“約束”が果たされる前にまた新たな“約束”を交わしていけば良いだけの話である。

「クマは……」

 まだ何処か悩んでいるクマに、菜々子が話し掛ける。

「じゃあクマさん。
 菜々子と“やくそく”しよ!
 いっしょにあそぶやくそく。
 これだったら、クマさんかえらなくてもいいんだよね?」

 満面のその笑みに、クマは少しぎこちなく頷いた。
 そして、事の成り行きを見守っていた花村が、クマの背後に立って唐突にグシャグシャとその髪を掻き混ぜる。
 少し混乱するクマに、花村は何処か呆れた様に言ってやった。

「ったく、お前今ウチの従業員だろ!
 マスコットが勝手に職務放棄すんなよ!
 ま、それにだな。
 そんな事考えて勝手に居なくなられるのは、寂しいだろ」

 やれやれ、とでも言いた気な溜め息を溢して苦笑する花村に。

「よ、ヨースケぇ……」

 感極まったかの様にクマがしがみつく。
 ……何はともあれ、クマの悩みは一先ず解決した様である。

 それから少ししてから花村とクマを見送って。
 その日は、何時もよりは浅い眠りに就いたのだった。







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