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クロルフ短編

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 己を無欲だと思った事は無いが、強欲だと思った事も無い。
 望めば多くのモノを手に出来る立場であるからこそ、その我欲はなるべく律しなければならないと言う思いがあった。
 それなのに……──


 自警団の団長と戦術家として、戦乱の中で半ば済し崩しに自警団が国軍の中核を担う様になってからは軍主と軍師として。
 その立場や関係性は多少変わりはしたけれど、それでもあの日記憶の無い真っ新な彼女と出逢った時から、クロムとルフレの関係に大きな変化は無い。
 恐らくルフレにとって最も多くの時間を共に過ごしているのはクロムであるのだろうし、その分クロムはルフレの事を知っている……筈だ。
 とは言え多くの時間を共に過ごしているのだとしても、それで相手の全てを知る事など当然出来はしない。
 クロムの知らない側面、知らない表情、知らない感情。
 そんなものは幾らでもあるのだし、どんな関係性であるにしても相手の全てを知る事も手に入れる事も出来ない。
 それはルフレに限った話では無く、自警団の仲間達やフレデリク、リズや姉だってそうだ。それが当然なのだ。

 そんな事、一々考えるまでも無く知っている、分かっている。
 それなのにどうしてだか、ルフレに関してだけは、クロムですら知らない彼女を他人が知っている事に対して、胸の内に靄がかった様な居心地の悪さにも似た何かを感じてしまうのだ。
 そんな事は物心付いてから初めてで、どうすれば良いのかも分からなくて、自分の感情である筈なのに持て余してしまう。

 軍議の合間にフレデリクと話し合う時のその真剣な眼差しに。
 斥候として情報を持ち帰ったガイアに向けるその表情に。
 ヴィオールと共に盤上で戦略を競い合わせている時の、自分の知啓を振り絞り競い合わせる悦びが零れた不敵な微笑みに。
 リヒトと過ごしている時に見せる年端の行かぬ子供を見守るまるで慈母であるかの様に優しい表情に。
 ソールと過ごす時に見せる気心知れた友への穏やかな表情に。
 クロムではない相手に、その相手だけに見せているのであろう表情を、その感情を、クロムが知らなかったルフレの一面を僅かに垣間見た時に。言葉では表現し尽くせない強い衝動を。
 嫉妬とも、或いは焦燥とも似て非なる情動を抱いてしまう。
 自分が知らない一面が在る事は当然だと分かっていて。
 軍主と軍師、「半身」にも等しい友であるのだとしても、違う存在である以上は相手の全てを理解する事なんて叶わず、相手の全てを自分のものにするなんて神であっても叶わない事だ。
 それなのに、ルフレの全てを己のものにしたいと言う衝動は。
 他人には見せるのに自分は知らない一面がある事に身を焼く様な感情のうねりは。どんなに己を律しようと努めても鎮まる事がないばかりか、益々燃え盛る炎の様に胸の内を焦がすのだ。

 ルフレに抱くこの想いは「恋情」の類であるのだろうか? 
 だが、自分でも醜いとすら思う様な、この傲慢で強欲で道理を弁えない様な自分勝手な感情は、「恋」と言う言葉には似つかわしくない様に思えてしまう。
「恋」とは、もっと優しく温かなものなのではないだろうか。
 そのイメージは、クロムが未だ「恋」と言うものをロクに知らないが故の幻想であるのかも知れないけれども。
 ただそれが何であれ、ルフレに対して荒々しく衝動的なまでの強い感情を抱いている事だけは確かである。
 ただ……自分の内に在る感情の存在を理解していても、それをどうすれば良いのかの答えはクロム自身にもまだ分からない。
 今の時点で、互いの関係性はこの様な感情を向け合う様なものではない。大切な仲間であり「半身」であるけれども。
 しかしそれは、恋人などと言った関係性とは全く違うものだ。

 ならば、この想いを伝えれば良いのだろうか? 
 その上で、ルフレからの恋情を乞えば良いのだろうか? 
 ……しかし、クロムがルフレに対して「恋」にも似た何かの感情を抱いているのだとしても、ルフレがクロムに対してその様な感情を抱いているのかは分からない。
 ……「好意」は、間違いなくあるだろう。ただ……好意的な感情の全てが「恋情」と同じである訳は無く、ルフレの抱くそれが、恋愛感情などとは程遠い感情である可能性は当然ある。
 寧ろ「恋心」と言う意味でなら、クロムでは無く他の仲間達へ向けている好意の方が当てはまるのかもしれない。

 思い返してみれば。
 ガイアとルフレは何かにつけて交流しているし、ルフレが砂糖菓子を報酬にガイアに何事か頼んでいる姿は幾度も見ている。
 フレデリクとルフレは同じくクロムの傍に居る者として共に過ごしている時間はかなり長いし、そうでなくても個人的な付き合いもかなり多い方であろう。
 共に盤上遊戯を愉しむ仲であるヴィオールとはかなりの接戦を繰り広げており、そうやって対等に盤を挟める相手との交流をルフレは間違いなく楽しみにしている。
 そして彼等だけに留まらず、交流関係の広いルフレは老若男女問わずに仲間達全員と親しく付き合っている。

 クロムの目から見てルフレが明らかに誰かに「恋」をしている様な風には見えないが、そもそもルフレの場合誰かにそう言った想いを寄せていてもそれを余人には悟らせないであろう。
 ルフレが本気で自分の想いを隠している場合はそれに気付ける自信はクロムには無い。……そして、ルフレが自分以外の誰かに対し想いを寄せていても、それを止める権利もまた、無い。
 それを分かっていても、ルフレが自分以外の誰かに笑顔を向けている様を見ていると、心を許し語り合う姿を見ていると、どうしようもなく胸が騒めくのだ。
 それが苦しいとすら感じるのに、それでいて尚、そうしたルフレの姿を目で追ってしまう。
 己の想いを自覚してからは、そんな矛盾を抱え続けていた。

 しかしだからと言って、ルフレの意志を無視する様に自分の想いを告げて迫る事は、クロムには出来なかった。

 クロムが思いを告げたとしたら、ルフレがそれを無碍に扱う事は無いだろう。クロムに対しその様な感情を抱いてなくても。
 ……だが、そうやってクロムの想いが受け入れられるとして、そこにあるのは、果たしてクロムが望むものなのだろうか? 
 自らの立場などを利用して強要する事と何が違うのだろうか。
 ……一歩間違えればそれは、クロムが本当に欲していたものを永遠に失う結果になるだろうし、もしそうなった時には元の関係性に戻る事も叶わない。
 自分らしからぬ臆病さではあるけれども、その可能性を考えるとどうしても衝動のままに想いを告げる事は出来なかった。
 しかし、胸に抱えた想いは心の奥底に閉じ込める事も難しく。
 ルフレの姿を目にするだけで、息をする事も儘ならない様な苦しさすら覚えてしまう。
 何かの切欠があれば容易く決壊してしまいそうな想いは、既に限界まで張り詰めていて。「その時」を待ち侘びていた。

 そして「その時」は、突然訪れたのであった。



 ルフレは何時も忙しそうに、彼方此方を動き回っている。
 策を練るだけでなく、訓練に参加したり、或いは兵站の管理にも携わったりと、常に何かをしているのだ。
 過労を心配する程であるのだが、クロムが幾ら言っても、ルフレはそれとなく流してしまう。
 そんなに必死になって働き続けては何時か倒れてしまうのではないかと思うのだが……。
 今は戦時中なのだから、と。ルフレは足りない人手を補う為にと人の何倍も働き詰めになっている。
 それをどうしたら止めてやれるのか、クロムには分からない。
 実際、ルフレの働きに助けられているのだ。ルフレに頼っている自覚はあるだけに、それを強くは止めきれなかった。

 今も、ルフレは沢山の魔道書の在庫を抱えて歩いていた。
 前が見えなくなる程の大量の本にルフレの足元はふらついていて、その危なっかしさに、クロムは思わずルフレの身体を抱える様にして支える。


「あっ……と。有難うございます、クロムさん」

「大丈夫か? そんな足元が見えない程物を持つのは危ない。
 他の人の手を借りるか、もっと小分けにして運んでくれ」

「心配させちゃってすみません。でも、皆忙しそうですし……。
 それに。これ位ならへっちゃらですよ。
 私、こう見えて結構力持ちなんです」


 ほら見てくださいこの力こぶ、と。そう言ってルフレは柔らかな二の腕を晒し、力こぶを作って見せるが……そう自信満々に言い切るには少し頼り無い。
 それよりも、突然ルフレに二の腕を晒された事に、クロムは思わず焦ってしまう。


「分かったから分かったから。
 そうやって異性の前で気軽に腕を出すんじゃない。
 俺ならまだしも、変な気を起こす奴が居たらどうするんだ」


 そう言ってもルフレは今一つピンとは来ていない様で、少し首を傾げてクロムに訊ね返してくる。


「変な気……? 何ですか、それ。
 クロムさんには起きないんですか?」


 クロムの気も知らずにそんな事を宣うルフレに、クロムは思わず深い溜息を吐いた。
 今まで考えてこなかったが、よくよく考えればルフレはクロムに出逢うまでの記憶が無い。だからこそ、クロムにとっては当然在るのだろうと考えていた、男女の恋愛のそれと言うのか……そう言った知識の諸々が欠けているのかも知れない。
 ……恐らく、ルフレには本当に、「恋愛感情」に似たそれや、それに関する駆け引きなどの意識は無い。知らないのだ。
 知らないからこそ、ルフレは余りにも無防備過ぎるのだ。
 これでは、勘違いする者が出て来てもおかしくはない。
 そして、クロム自身、意識せずには居られなかった。


「あるに決まっているだろう」


 別に、脅かす気など無かった。
 ただ、少しでもこれを切欠にルフレが自分を意識すれば、と。
 そんな打算は、無意識の内に在ったのかもしれない。

 クロムは、ルフレを抱き留めた腕に力を込めて、その身体を引き寄せて。口付けすら出来てしまいそうに顔と顔を近付けて、ルフレの目を真っ直ぐに覗き込む。
 その視線からクロムの胸の奥に滾る熱がルフレに伝わっていく様にすら感じた。

 ルフレは、何が起きたのか分からないと言いた気に、戸惑いと共に困惑した様な顔でクロムを見ていたが。
 次第にその頬は上気する様に紅く染まり、呼吸は早くなる。
 だが、固まってしまったかの様にクロムから視線は離さない。


「く、クロムさん……?」


 僅かに震える声は隠しきれない同様に上擦っていて。
 その反応が可愛くて、思わず口付けしてしまおうかと、……そんな考えがクロムの脳裏を過ったが、これ以上ルフレを一気に追い詰めるのも良い結果にならない気がして自重する。
 だからクロムは名残惜しくも抱き締めていた腕を解いて、ルフレを離した。
 すると途端に、ルフレは焦った様にクロムから距離を取る。


「ほら、こうなっても困るだろう? 
 だから、これからは気を付けるんだぞ」


 そう言ってやると、ルフレは過剰な程に頷いて、そして顔を真っ赤にしてその場を逃げ出した。
 耳まで紅く染まったそれを見るに、ルフレにクロムを意識させる事が出来たのだろうか? 
 それは、分からないが。

 ルフレに自分のこの想いを伝えられる機会がある事を確信し、クロムは自然と笑みを浮かべる。
 それは、獲物を見定めそれを狙う、猛獣の様に何処か荒々しい笑みであった。


 その後、どうなったのかは語るまでも無い事だ。





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