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ギムルキ短編

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 風が木々の間を吹き抜けていく音は、まるでとても恐ろしい怪物の唸り声の様。
 高い木々と生い茂る葉が頭上を覆う森に落ちた陰は、一歩先の足許すら見えない底無しの闇の様。
 ほんの僅かに葉の隙間から零れ落ちたか細い月明かりに薄く照らされた木々の姿は、まるで幼い子供を食べようと今か今かと待ち構える怪物の様。

 そんな、月明かりすら届かない深い深い夜の森で。
 ルキナは一人、小さなお気に入りのお友達の熊のぬいぐるいを縋り付く様に抱き締めて恐怖に涙を溢していた。

 手をほんの少し伸ばした先すらも見えない様な深い闇が恐ろしくて、目には見えない恐ろしい怪物が自らの縄張りへのこのことやってきた愚かな子供を食べてしまおうと虎視眈々と見詰める視線を闇の彼方此方から感じてしまう。
 大人でも恐怖を感じずには居られない状況に幼いルキナが独り置かれている事を思うと、一歩も動けずに森の只中に座り込む様にして泣きじゃくってしまうのは仕方のない事であるのかもしれない。

 これはきっと“悪い子”への『罰』なのだ……。
 そう、ルキナは恐ろしさに身を震わせながら考えた。

 久し振りにお父様とお母様にピクニックに連れて行って貰って。
 それがあまりにも嬉しくて、そしてその喜びに浮かれた心は危険な“好奇心”を擽らせてしまった。
 だから、『森に入ってはいけない』と言うお父様達との約束を破ってしまったのだ。
 勿論、ルキナはちょっと辺りを探検したら戻るつもりだった。
 太陽は天の頂から少し離れていたとは言えまだまだ日が沈むには時間があったし、外から見た森の中だって木漏れ日が射し込む程穏やかなものだったのだ。
 だから、ルキナは何処に行くにも一緒な大切な熊のぬいぐるみだけをお供にして、森へと入ってしまった。

 最初は楽しかった。
 王城の庭でも見られない程に大きな木々、リスやウサギと言った動物たち。
 本の中でしか見た事が無かったモノや見た事はおろか聞いた事も無いモノ。
 それらに溢れ返った森は、まるでおとぎ話の宝箱の様に輝いている様に見えた。
 そして、それらに目を奪われている内に、ルキナは奥へ奥へと森へ分け行ってしまったのだった。

 森に夢中になっていたルキナだが、ふと辺りが少し暗くなり始めた所でいつの間にかかなりの時間を森の中で過ごしてしまった事に気が付いて慌ててお父様とお母様の所へ帰ろうとした。
 言い付けを破ってしまったのだ、きっと怒られてしまう。
 そう顔を蒼くしながら、それでも少しでも早く帰ろうと来た道を引き返そうとしたのだれど。
 ……そこでルキナは途方に暮れてしまった。
 いつの間にかルキナは、すっかり道を見失ってしまったのだ。
 こっちから来た筈だと思った方へ進んでみても、行けども行けども見た覚えが無い様な気がする景色ばかり。
 完全に迷子になってしまったルキナがどうして良いのか分からないままに右往左往する内に、すっかり日は落ちてしまって。
 ルキナは、独りきりで夜の森の闇の中に取り残されてしまったのであった。

 もう、二度とお父様にもお母様にも会えないのかもしれない。
 もう、このままずっとこの闇の中に閉じ込められてしまうのかもしれない……。

 そんな不安と恐怖が後から後から思い浮かんでしまい、どうして良いのか分からずルキナは歩き方すら忘れてしまったかの様に座り込んで泣くしか出来なくて。
 ルキナの目には見えない、闇の中に潜んでいる様に感じる恐ろしい怪物から必死に隠れようとして、ルキナは声を殺し息を殺し身を縮まらせて泣きながら恐怖にただただ震えていた。
 時間の感覚なんてとうに狂ってしまっていて、日が暮れてから何れ程の時間が過ぎたのかルキナには全く分からない。
 ルキナがとうとう恐怖と不安に押し潰されてしまいそうになった時だった。

 “何か”が近付いてきている様な音を、ルキナの耳は拾い上げる。
 風で葉が擦れる音や木々の間を吹き抜ける音が響く森の中で、その音は決して大きくはないけれどそれでも確かな存在感を伴っていた。
 それは、“何か”の足音の様にルキナには聞こえた。

 既に暗闇と孤独への恐怖が限界に達していたルキナは、それが誰であろうと“人”ならば縋り付いて助けを求めてしまうだろう。
 それでも「助けて!」と声を上げられず、それどころか益々身を固くして息を殺してしまったのは、近付いてきているのが“怪物”ではない自信がなかったからだった。
 助けて欲しい。でも、恐ろしい。
 そんな相反する感情が渦巻き、結局ルキナは何も出来ない。
 だが。

 ルキナから少し離れた所を通り過ぎ様としていた足音はふと何かに気が付いたかの様に一度止まり、そしてルキナへと近付いてくる。
 恐怖と不安で心臓が口から飛び出てしまいそうな程に緊張したルキナは、両手を必死に口元に当てて恐怖故に目を瞑り少しでも気配を殺そうとする。
 しかし。



「おやおや、こんな所に独りぼっちとは……。
 さては迷子なのかな? 可愛いお嬢さんは」


 頭上から降ってきたその声に、ルキナが恐る恐る目を開けて上目遣いに見ると。
 ルキナを覗き込む様に、誰かが立っていた。
 背が高いからルキナよりはうんと大人であろうけれど、お父様よりも声の感じは若かった。
 ただでさえ光が乏しい夜の森の闇の中、フードを深く被ったその“人”の顔は全く見えない。


「……可哀想に。
 道に迷ってしまったのか、或いは誘われてしまったのか……。
 それとも、そのどちらもなのか……。
 こんな森の中で独りだなんて、さぞ恐かっただろうね。
 でも、もう大丈夫だよ」

「わ、わたし……」


 優しい言葉に、思わずルキナの目からまた涙が零れた。
 だけれど、息を殺し続けていたからか、舌がもつれてしまって上手く言葉が続かない。


「ああ、そうか……。
 光がないと何も見えなくて恐かっただろうね……。
 うん、なら……」


 そう言ってその人はゴソゴソと何かを取り出すとそれに手を翳す。
 すると、一瞬でその手に持ったカンテラに灯りが点った。
 決して大きな火では無いけれど暗闇を照らしてくれるその光に、ルキナは漸く息の仕方を思い出した様に一つ息を吐く。


「ほら、もう大丈夫。
 さあ、おいで──」


 差し出されたその手を、ルキナはそっと掴んだ。

 その手に引かれ立ち上がったルキナは、一瞬だけそのフードの下に隠された顔を目にする。
 カンテラの灯に照らされて、その瞳はまるで赤く輝いている様に見えたのだった。




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