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クロルフ短編

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 喪う事はほんの一瞬あれば事足りる。
 しかし、それによって刻まれた心の傷は、それを癒す事に気が遠くなる程の時間が掛かるし、その傷口を目で見る事は誰にも出来ないが故に、果たしてその傷が本当に癒えているのかは誰にも分からない。その本人であってすら。
 そして、その傷はふとした切っ掛けであっても再び残酷な程の痛みを与え、心を苛み苦しめるのだ。
 それはきっと、その傷が本当に癒えるまでは、命ある限り永遠に続くのだろう。

 しかし、何時までも喪失の痛みに蹲り、常に変わり行く現実を拒絶し二度と戻る事の無い過去に縋り続ける事は出来ない。
 生きて行く限りは、誰もが何れ歩き出さねばならないのだ。
 生命ある者は何時か死への旅路を逝き、形あるモノは何時かは喪われてしまう、そんな残酷な世界だからこそ、その苦しみや絶望は誰しもが抱えるものだから。
 それを乗り越えるのか、或いは見ないフリ考えないフリをするのか、或いは逃げ出すのか……。
 それは人各々であるのだろうが、何にせよ人は「大切なものを喪った苦しみ」に折り合いを付けて生きていかねばならない。

 喪ったそれが何れ程大切なモノだったとしても、それを「過去」にして、「思い出」にして、人は生きて行く。
 それが何れ程辛くても。生きるとは、そう言う事だ。

 同じ喪失に対し、哀しみや苦しみを分かち合う人が居れば。
 或いは、その絶望や悲嘆や憤怒と言った己の心を苛む全てを、打ち明けて縋り付ける相手が居るのならば。
 その苦しみが和らぐ為に必要な時間は、少し短くなる。
 喪った苦しみや絶望……その心の傷を、新たに大切な「何か」を得る事で癒していく事も出来るだろう。

 だが……そうやって少しずつ癒えたと思っていた傷は。
 そうやって新たに得た大切なものを、心を支えていたものを、再び喪ったその時には。より一層深くより激しく、その心を絶望と後悔の闇の中に閉ざしてしまうのだ。



 世界の輪郭が……この世とあの世の間すら曖昧になる様な、世界の全てが燃える様なの夕暮れの中。
 千年の妄執の果てに、時の流れすらも歪めてまでこの世に再び蘇った邪竜ギムレーとの、この世に生きる全ての生命ある者達の命運を賭けた決戦のその果てに。
 神竜に選ばれて邪竜ギムレーを封じる力を手にした筈だった、当代の聖王となったクロムは……。
 この世で最も大切な友であるルフレを、目の前で喪った。

 しかもルフレは、邪竜による攻撃によってその命を散らした訳では無い。……そうであれば、どれ程まだマシだったか。
彼は…………この世から『邪竜ギムレー』の存在そのものを消し去ると言う……その為だけに。
 自らの命を代償として、この世から消え果てたのだ。

 クロムの手に唯一遺されたのは、彼のローブだけ。
 激戦の痕が色濃く刻まれたその布切れ以外は、ルフレがこの世に存在した証は何一つとして残されなかった。
 この世にその存在の欠片を遺す事は赦さぬとばかりに。
 彼の全ては、まるで散り行く花弁の様に……美しくも残酷な欠片になって……夕暮れの淡い輪郭の中に溶ける様に消えた。

 もう、その名を呼んでも、彼が応える事は無い。
 その姿を求めて世界中を捜し回ったとしても、もうこの世の何処にも……ルフレは居ない。
 あの微笑みも、あの声も、あの匂いも、あの手も、あの温もりも、もう……何処にも……。
 屍に泣き縋り魂呼ばう事すらも、出来ない。
 それは、まさしく絶望そのものであった。

 かつて、最愛の姉を、砂海の絶望の中で喪ったあの日。
無力で愚かな自分の思い上がりの結果の無謀が、姉に自死を選ばせてしまったあの時の。世界の全てが壊れてしまった様な絶望よりも、尚一層深い絶望がクロムを苛む。
 あの日心に深く大きく刻まれた傷が、抉られる様に激しい痛みを訴える。生きながらにして心が膿み爛れ腐れ落ちてゆくのではないかと錯覚する程の、苦しみと哀しみが胸を引き裂く。

 姉を喪ったクロムの手を引いてくれたのは、崩れ行きそうだった心を支えてくれたのは、『半身』として傍に居てくれたのは。
半身であるルフレだった。だが、そのルフレは、もう居ない。
 微笑みながら、骨の欠片一つ、髪の一筋すら遺さず、この世から消えてしまった。それを前に、クロムは何も出来なかった。
 クロムはルフレを永遠に喪った、喪ってしまったのだ……。

 例え千年の後に訪れるかもしれない破滅を完全に回避出来るのだとしても、そうやって救われた世界にルフレが居なければ、クロムにとってその世界で幸せになれる筈など無いのに。
 クロムは、この世の誰よりも信頼し確かな「絆」で結ばれていると信じていた友にとっての、世界よりも自分を選ぶ為の「未練」には、成れなかったのだ。
 それは、その事実は……クロムの心を強く苛む。

 邪竜ギムレーと心中など絶対にしようと思えない程に、より強い「絆」でその身も心も奪ってしまえていたのなら。
 千年後の未来なんてどうでも良い、自分が「ギムレーの器」でもどうでも良い、ただクロムと生きていたいと。
 そう心から思わせられる、「未練」になれていたのなら。
 ルフレは今も自分の隣で微笑んでいたのではないかと。
 そう、思ってしまう、考えてしまう。
 もう何を悔いても、何も変わらないと言うのに。
 それでも、ルフレの形をした心の欠落が、クロムにその苦しみを忘れさせてなどくれない。

 きっとその後悔は、絶望は。
 この先、クロムがその命を終えるその時まで、抱え続けなくてはならないのだろう。

 …………だけれども。もし、もしも。
 幾万の「奇跡」を重ねても到底叶わないだろう、そんな「もしも」が……叶うのならば。
 この世界で再びルフレと巡り逢える様な「奇跡」が、もう一度あの手を掴む事が叶うのならば。
 そして、それを信じる事が、許されるのならば。
 信じよう、信じ続けよう。
 例え、その「奇跡」を信じる者が、この世でクロム唯一人だけになったとしても。
 それが叶う事を疑わず、諦めず。
 この命が果てるその時まで、信じ続けよう。
 そして、その為にも。もう一度巡り逢えたその時にルフレが帰って来る為の場所を、守らなければならない。
 だから──

 ルフレの遺したローブを、強く抱き締めて。
 クロムは、立ち上がった。
 その目は、苦しみと哀しみに彩られた絶望を湛えつつも、それでも「何時か」の為に、前を向いている。



「ルフレ……俺は──」



 誰よりも大切な「半身」へと、永久に変らぬ「絆」を誓って。
 クロムは、「未来」へと歩き出すのであった。





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