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クロルフ短編

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 見上げた空に輝くのは、天の宝石箱が引っくり返されたかの様に色鮮やかに煌めきを放つ様々な星々たち。
 そして、その無数の星々の輝きを優しく包み込む様な柔らかな光を、銀に輝く月は地に投げ掛けている。

 星が煌めき、月が輝く。

 それは、自分達がよく知る夜空と何も変わらないのに。
 それでも、ここが自分達の世界とは全く異なる『異界』である事を示す様に、夜空を彩る星々の多くは見慣れぬものであり、そこに付けられた名も、準えられた星座や物語も、ルフレにとっては何れも全く聞き覚えのないものだ。

 それもそうか、とルフレはぼんやりと考える。
 この世界は、辿ってきた歴史からしてルフレ達が生きてきた『あの世界』とは、全く違うのだから。
 歴史が違えば文化や文明、そしてそれらが違えば時に思想や価値観もまた異なる。
 それを考えれば、全く異なる歴史を辿っている筈のこの世界が、『あの世界』と文化的な部分にも共通項が多く、更には文明的にはほぼ同程度であると言うのも中々に不思議な話であるのだろう。
 それは、ルフレ達の世界が『ナーガ』や『ギムレー』と言った強大な【竜】たちの影響を受けていた様に、この世界でも神の如し強大な【竜】達がその歴史に大きく影響を与えているからなのだろうか? 
 それはルフレにも分からないし、ルフレ達をこの世界に招いた召喚師などは「ある程度似た様な世界を選んで扉を繋いでいるのかもしれない」との仮説を述べていたが、それが「真実」なのかも定かではない。

 しかし、世界が何れ程異なろうとも、見上げた夜空が美しい事は何も変わらず。そして。
 無数の人々が今この瞬間も、その生を全うすべく日々の営みを続けているのもまた変わらないのだろう。
 ……そして人の世に争いが絶える事が無い事も、また。

 異界であるこの地を襲う絶え間ない戦火の波を思い、ルフレの眼差しに陰りが宿った。



「どうかしたのか? ルフレ」


 夜空を見上げつつ物思いに耽ている内に、恐らく無意識にでも溜め息か何かを吐いてしまったのだろう。
 横を並んで歩いていたクロムが、僅かに首を傾げ、ルフレにそう訊ねてきた。
 少し首を傾げた拍子に夜明け色の深蒼の髪が僅かに揺れ、ルフレを見詰める深藍の瞳は月明かりの中でより深みのある蒼をそこに浮かべている。
 その蒼に何時だって心を奪われている事を再確認して、ルフレは何でもないのだと小さく首を横に振った。
 ルフレにとって、唯一無二の誰よりも愛しい人。
 クロムとこうして再び共に同じ時間を過ごせる事は、ルフレにとって何にも代え難い幸せであり、……どうしようもなく残酷な『奇跡』であった。

 この世界には、数多の異界数多の可能性から、異界の同一人物が招かれる事があり、ルフレもクロムもその例に漏れず、本来交わる筈の無い「異世」の自分がこの世界に同時に存在している。彼等彼女等も間違いなく『クロム』や『ルフレ』その人であり、それは疑いようもない。だが。
 今ここで息をして思考する『ルフレ』にとっては。
 幾千万の可能性の果てに、『あの世界』の『あの時間』から招かれた目の前に居る唯一人だけが、最愛の人なのである。それは、この先幾人の『クロム』がこの世界に招かれようとも、絶対に変わる事は無い。

 そんな愛しい恋人の左手の指先に、軽く自身の右手の指先を絡めながら、ルフレは少し微笑んで答えた。


「何でも無いわよ。取り留めの無い考え事だもの。
 クロムが気にしなくても良い事よ。
 ……それよりも、こうして二人っきりで夜に外を出歩くなんて、随分と久し振りね。何だか懐かしいわ」


 ルフレの言葉に、クロムも「そうだな」と小さく頷き、クロムからも優しく指先を絡めてきた。
 懐かしいその大きな指先と、心からの安らぎを感じるその温もりを、ルフレは静かに堪能する。

 ルフレもクロムも、この世界に招かれた数多の『英雄』達の中ではかなりの古株である。
 戦力も戦術眼も……何もかもが足りていなかった初期の特務機関の要となり戦い続けてきた。
 ルフレなど、戦士として戦場を駆ける傍らで、召喚師を交えて、異界で軍師として名を馳せた者達と共に日夜戦術の議論を行ってもいた程だ。そんな特務機関の黎明期では、各地の戦場に十分な戦力を送る事さえ難しくて。
 規模が小さい戦闘ならば、ルフレとクロムの二人だけで戦場に立った事すらも何度もある程であった。
 今は戦力も充実しそんなギリギリの状態で戦う必要もなくなった為に、そんな事はほぼ起こらないのだが。

 が、今回は久々に二人だけでの出撃であった。
 と、言っても戦闘になるのかはまだ分からない。
 とある地域周辺で、少し不審な動きをする者が目撃されたとの情報が寄せられ、それの確認に来たのだ。
 今回のルフレ達の目的は、基本的には平常の警邏の延長線上にあり、万が一の場合にも斥候の役目を果たせば良いだけなので、少しは気楽な道行である。

 エンブラ帝国とは一時的にとは言え停戦状態で、ムスペルからの侵攻は阻んだばかり。
 それでも何かと争いの種が絶える事なく見付かるのは、「争い」が人の本質に根差すが故の事であるのだろうか。

 平和が一番である筈なのに、どうしてこうも中々上手くはいかないのだろう。
 軍師として戦いの中に身を置き続けてきたルフレにとっても、それはきっと永遠に解決し無い疑問である。
 異なる世界、異なる可能性。
 数多の可能性が交差するこの世界でも、恒久的な平和が実現した世界を観測する事は出来ていない様であった。
 そもそも、『生きる』と言う事と「何かを奪い戦う事」はとても近しい所に存在するのだから、そこに異なる意思を持ち生きる他者が居る限りは、真の意味で「争い」が無くなる事はないのだろう。

 きっと誰もが、自分の大切な物を守りたいだけなのだ。
 ルフレが、クロムを守り支えたいと願うのと同じ様に、クロム達の力になりたいと願う様に。
「守りたい」と言う思いは同じでも、『大切なモノ』が各々異なるから、きっと「争い」は尽きる事が無い。
『大切なモノ』があるからこそ戦い、『大切なモノ』を喪ったからこそ憎悪にその身と心を焦がして……時に破滅に至る狂気へとその魂を堕とす。
 それは、人の「業」と言うものなのだろうか。

 ……それでもきっと、それこそが争いの種だと知りつつも、人は何かを愛さずには、何かを大切に想わずにはいられない生き物なのだろう。
 空白の眠りから目覚めたルフレが、クロムの夜明け色の眼差しに魅入られてしまった様に。
 絶望の最果ての未来を悪夢として垣間見て、クロムを想うのならば絶対に結ばれるべきではない『宿業』を薄々感じながらも、クロムを愛さずにはいられなかった様に。
 そして、想い結ばれた果てに授かった新たな命を……。聖なる血と共に邪竜の血も継がせてしまった我が子を、それでも誰よりも愛さずにはいられなかった様に……。
 生きる事、愛する事。その先に生命の環を繋ぐ事とは。
 実に不条理で不合理で、……それでいて喪い難い『価値』があるのだと、ルフレは思っている。
 それは、例え世界を跨いだとしても、変わる事はない。
 愛する人が居るから、守りたいものがあるから。
 そして、愛しいそれらに再び巡り逢わせてくれたこの世界を守りたいから……ルフレは戦えるのだ。

 アスク王国やそれに留まらずこの世界全体を呑み込もうとする戦乱の日々に、未だ終わりは見えず。
 故に、この世界に『英雄』として招かれたルフレ達の戦いの日々にもまた、終わりは見えない。
 それでも、何時かはこの戦乱の世にも夜明けが訪れる事を信じて、そしてその助けとなるべく、この世界に招かれた数多の異界の人々がその力を貸している。
 終らぬ夜なんて無い様に、それが何れだけ長く続いたのだとしても何時か必ず「夜明け」は来るのだ。

 ……例え、その「夜明け」の先に自分の生きる場所は無いのだとしても、ルフレは「夜明け」を望んでいた。
 クロムと共にその「夜明け」を見届けて……。そして『あの世界』へと帰還するクロムを見送ろうと、心に決めている。

 そう、ルフレは、きっと恐らくは。
 あの愛しい世界には、帰る事が出来ない。
 例え帰る事が出来たとしても……そこで「生きていく」事は出来ないのだろう。何故ならば。

 元居たあの世界でルフレは、『邪竜』を永劫の未来まで完全に消滅させる為に、共に消える事を選んでいる。
 自分の身体が跡形も無く溶け消える様に消滅するその感覚を、ルフレはしっかりと覚えている。
 その選択を、「過去」を覆す事は誰にも出来ない。
「死者」を、蘇らせる事は誰にも出来ないのだ。
 摂理を捻じ曲げ「蘇った」として、それは既に「人間」では無い「何か」でしかない。

 ならば、今ここでこうして思考し行動する自分は何なのだと言う話にもなるのだけれど。
 ここにいる自分はきっと、ルフレという存在が完全に消え去る間際に見ている、泡沫の夢の様なものなのだろうと、ルフレは思っていた。
 実際、本来在るべき世界では既に死んだ筈の存在ですら、この世界には招かれたりもしているのだ。
 自分もきっとそうなのだろう、とルフレは悟っていた。
 だから。この戦いが終わっても、ルフレはクロム達と同じ場所には還れないのだろう。
 こうして二人で過ごせるのは、数多の可能性が交差し共存出来るこの世界の中でだけだ。……それでも、構わなかった。

 元より、二度と巡り逢う事は叶わないと覚悟してギムレーを自ら討ったのだ。だからこそ。
 例えそれがほんの一時の儚い夢なのだとしても、
 こうしてまたクロムと出会えて、共に時を過ごせて。……同じ空の下に、居る事が出来る。
 ……それは、この身には余る程の、十分過ぎる程の『奇跡』であり限り無い「幸せ」であった。
 だから──


「なあ、ルフレ」


 ルフレの思考を遮る様に、クロムは囁く様な声でルフレを呼んだ。直ぐ様思考の海から浮き上がって、ルフレは「どうかしたの?」と、そっとクロムを見上げる。



「……もう二度と……。
 俺を置いて何処かに行ったりしないでくれ。
 お前を喪いたくない……もう、二度と……。
 きっと、もう二度とは耐えられないんだ。
『あの日』からずっと……俺の心には穴が空いていた。
 何をしても、何を見ても、……世界から色が抜け落ちてしまったかの様で……。お前にしか埋められない、お前の形をした『虚ろ』だけが、ずっと傍にあった。
 ……それなのに、時と共にお前の姿が少しずつ遠くなる。
 昨日なら色鮮やかに思い出せた事が、今日には少し不鮮明になる。お前がその時どんな風に笑っていたのか、どんな声で俺を呼んでいたのか……遠くなっていくんだ。
 少しずつ少しずつ、時間が、世界が、俺の記憶の中からすらも、お前を奪っていく……。
 ………………果ての無い砂漠を、宛も無く歩き続けていく様な……そんな毎日だった」


 静かなその言葉の裏には、ルフレですら計り知れない程の、途方も無い苦悩と絶望の感情の残り香が漂っていた。
 ……ルフレは、何も言えない。言う資格など無い。

 愛されている事を、その心の奥深くに存在している事を知りながら。それでも選んでしまったのは、他ならぬルフレだ。
 ルフレなりに合理性と必要性、そして様々な未来を予想して。その上でこれが「最善」であると選んだ。
 こうしてクロムの絶望に触れてすら、『あの日』の選択は間違っていないと思っている。……そんなルフレが、クロムに何らかの言葉を掛ける資格は無い。
 ルフレが何も言えないまま、クロムの言葉は静かに続く。


「ずっと信じていた、ずっと探していた。
 お前は必ずこの世界に帰って来ると、信じいていればもう一度逢えるのだと。だが……。
 信じている筈なのに、どうしようもなく苦しくなる時があった。
 ……お前が消えてしまったのに何事も無かったかの様に変わり無く巡り続ける世界そのものを、許せなく感じてしまう瞬間すらあった……。
 まだ幼いルキナを抱き締めては、どうしてお前がそんな選択を突き付けられたのかと、この世の不条理を呪った事もある……。
 …………それでも、どんなに苦しくても。
 お前の事を考える事を止める事なんて出来なかった。
 俺がそうしてしまったら、誰も彼もがお前を『過去』にしてしまうのではないかと、……それが恐ろしかった。
 再びお前に巡り逢える細い細い可能性の糸を、この手で断ち切ってしまうのではないかと……それが……。
 だから、こうして招かれたこの世界で、再びお前に巡り逢えて、俺は……やっと救われたんだ。
 なあ、ルフレ。この世界での戦いが終わったら、今度こそ一緒に帰ろう。そして今度こそ、もう二度と……」


 ……いっその事、ルフレの事など忘れてしまえれば、クロムはもっと楽になれたのだろう。
 忘れられないからこそ苦しみ、そして全てを記憶し続けていられないからこそ絶望する。
 そんな苦悩を与えてしまった事への慚愧の念は絶えない。
 それでも、過去を変える事は出来ない。そう、誰にも。

 …………果たして、この世界で再び出逢えた事は、クロムにとっては「幸い」なのだろうか。
 叶わぬ泡沫の夢を見せられて目が覚めた時、その心に残るモノは果たして『幸せ』なのだろうか……? 
 それは、誰にも分からない。
 ルフレには、クロムの心を決め付ける事など出来ない。
 だからこそ、せめて、と。
 そう願ってしまう。望んでしまう。
「死者」が生者の為にしてやれる事など、本質的にはありはしないのだろうけれど、だからこそ信じるしかない。

 ふと、絡めあったその指先に、力が籠った。
 そこにあるクロムの不安を読み取って、絡めた指先を一旦解いて、優しく包む様にその手を握り直す。


「大丈夫よ、クロム。
 あたしは、もう何処にも行ったりしない。
 ずっと……あなたの傍に居るから」


『あの世界』に帰ったその時に、ルフレが「存在」出来なくなったとしても、ならばその魂だけでも。 
 ずっとずっと……その傍に居よう。見守り続けよう。
 何時か、クロムが命の旅路を終わらせるその日まで。
 触れ合う事は叶わないのだとしても、ずっと……。

 それが叶わない『嘘』だと理解しながらも、ルフレは最後の瞬間までクロムにその『嘘』を吐き続けるだろう。
『嘘』であったとしても言葉にし続ければ、ほんの少しでも叶うような……そんな気がするから。


 クロムが安心した様にその目元を緩ませた事に、チクりとした胸の痛みを覚えながら。
 ルフレは、優しく微笑むのであった。




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