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ギムルキ短編

◇◇◇◇◇




「これは……?」


 神と崇め奉る自身への献上品として人間どもが差し出してきたのは、何やら茶褐色の物体であった。
 どうやら、チョコレートと言う貴重な菓子の一種であるらしいのだが……。
 竜として長く生きているギムレーだが、菓子やら食べ物やらに関心を持った事など無くて。
 だからこそ、献上されたこのチョコレートとやらをどう扱うべきかと持て余していた。

 だがふと、妻であるルキナにやるのはどうだろうかと考え付く。
 ギムレーには今一つ理解出来ぬが、どうやら人間の女子供と言うものは甘い菓子には目がないと何時か何処かで聞いた事がある。
 今までは考えた事も無かったのだが、ルキナもまた、その例に漏れず甘いものを好む性分であるのかもしれない。
 ルキナに不自由などさせた事は無く、食べ物に関しては日々充分に与えているものの、ギムレー自身がそれに全く関心が無い事もあって、甘い菓子などを与えた事は殆ど無かった。
 ルキナに与えた事がある甘味は、精々が果物位なものであろうか。
 そもそも、ルキナに甘いものをあげれば喜んでもらえるかも知れない、と言う発想すらギムレーには無かったのだから、それも仕方ない事ではあるのだが。

 この貴重であるらしいチョコレートとやらをルキナに与えれば、少しはルキナも喜んでくれるだろうか?
 ギムレーの妻となってからもずっと心を閉ざして、翳りのある虚ろな表情ばかりを見せるルキナの事を想い、ギムレーは僅かに溜め息を吐く。

 最早この滅びた世界で彼女が戦わねばならぬ理由などは何処にもないと言うのに、それでもその心は未だ人々が勝手に押し付けた『希望』などとか言う鎖に囚われているのだろうか?
 その身は最早“人間”のモノではないと言うのに、それでも未だ“人間”である事とやらにしがみつこうとしているのだろうか?

 ……ギムレーは、心からそう考えていた。

 ルキナがこの世界を救おうとして戦い続けていた事も、ギムレー自身がルキナが守ろうとした世界を滅ぼし尽くした事も、その上で無理矢理にルキナを“眷族”に変えて自身の妻とした事も、それらの全てを理解しているのに。
 それでもギムレーには、理解のしようが無かった。
 理解など、出来はしなかった。
 “人間”の心とやらは、ギムレーには残酷な程に理解し得ないものだった。

 最早世界は既に滅び、ルキナが守るべき国も民も何処にもない。
 ルキナ自身、ギムレーの力に侵されて既に“人間”ではない。
 それなのに何故、現状を拒む様にその心を閉ざしているのだろうか、と。
 現実を受け入れて、ギムレーを心から受け入れないのだろうか、と。
 ギムレーは心からそう想っている。

 それは、竜と人の心の埋めようが無い隔たりによるものかもしれない。
 何にせよギムレーは、ルキナが世界を救おうと今も尚固執する心も、最早そうではないのに“人間”であった事に固執する心も、理解出来なかった。

 何故、人々の総意とやらに押し付けられた身勝手な『希望』などの傀儡として戦いあまつさえ世界を守ろうとするのか、既にその世界が滅び人々の総意など消し飛んですらもその心をそこに囚われ続けているのか、最早全く異なる存在になったと言うのに身も心も脆弱な“人間”などであろうと固執し続けるのか。

 ギムレーには、ルキナの心の事は何も理解は出来ない。
 理解したくない訳でもないのに、何れ程考えても全く理解出来ないのだ。
 ただ……その心が何れ程不可解で遠いものであるのだとしても。
 ギムレーは、心からルキナを愛していた。

 理解など出来ないのだとしても、ただその不屈の意志を灯す瞳に、そして真っ直ぐに自身を見詰めるその瞳の持つ抗い難い力に、魅入られた。
 聖王の血筋でも構わない、忌々しいナーガの眷族の末裔であっても構わない。
 ただ、この美しい瞳が、欲しいと。
 そう心から願ってしまった。
 だからこそ、ギムレーはルキナを妻としたのだ。
 ギムレーに隷属する事と引き換えにほんの一握りの人間達だけが生かされた、この滅び去った世界で。
 自らの長き生が終わるその時まで番う相手として、ルキナを選び愛した。
 しかし、ギムレーは何処まであっても『邪竜』であった。

 例え何を与えた所で、例え何処へ連れ出してどんな景色を見せた所で。
 何れ程存在を歪められようとも“人間”の心を喪えないルキナが、全てをギムレーに奪われ滅ぼされた最愛の妻が、ギムレーがする事で喜ぶ筈がない事には何も気付かないのだ。
 いや、例え気付いていても。
 “愛”を与え続けていれば何時かきっと受け入れるだろうと、いっそ無邪気な程に信じていた。

 だからこそギムレーは、何もかもを──“人間”である事すらをも奪われて心を閉ざしてしまったルキナに、ギムレーとしては真っ直ぐな、“人間”としては何処までも歪で悍ましい“愛情”を捧げ続けていた。
 それを、『狂っている』と指摘する者は居ない。
 否、指摘された所でギムレーがそれを改める事などは無いであろう。
 それが何れ程歪んでいようが狂った行為であるのであろうが、愛する者が自らの手の中に居る事には何一つ変わりなど無く。
 ルキナを手離す等と言う選択肢は、端から頭の片隅にすら存在しない。

 確かに、ルキナが今すぐギムレーを受け入れるのは不可能なのだろう。
 ギムレーの力でその心を無理矢理蹂躙するなら話は別かもしれないが、使い捨ての駒にならともかく、愛する者の心をそんな風に壊して何になると言うのだ。
 だからギムレーはルキナの心に対しては、何も出来ない。
 しかし、ギムレーにとってはそれでも全く構わなかった。

 ルキナはその心だけでも“人間”であり続けようとして、その結果心を閉ざしている。
 しかし、“人間”の心は、時間に対しては驚く程に無力だ。
 元より百年も生きられない存在である“人間”の心が、竜の時間に耐えられる筈もない。
 全ての心は、時の流れの中で残酷な程に褪せていくのだ。
 その心だけでも“人間”であろうとするからこそ、ルキナには何時か必ず終わりが来る。

 だがギムレーには無限に等しい時間がある。
 だからこそ、例えそれが幾千の時を必要とするのだとしても、構いはしない。
 憎しみも、哀しみも、怒りも、怨みも、嘆きも、絶望も。
 ルキナのその“人間”としての心が、感情が、全て風化するまで、そして“竜”としての己の心を受け入れるまで。
 何時までだって待てるのだ。

 無論、“その日”が一日でも早く訪れる事に越した事など無い。
 だが同時にそれが何れ程の長い時を要するのだとしても、何も問題はない。
 例え幾千の時を必要とするのだとしても、ギムレーは変わらずにルキナを愛し続けていられるのだから。
 それが、邪竜ギムレーと言う生き物なのだ。


 この菓子は、少しでも“その日”を近付ける事が出来るのだろうか?
 ほんの少しだけでも、ルキナの閉ざされたその心を揺らす事が出来るだろうか?


 様々なルキナの反応を想像しながら。
 甘い甘い心の猛毒の様な菓子を片手に、ギムレーはルキナの部屋の扉を叩くのであった。





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