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幸せの箱庭

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 何時もの様に執務を切り上げたクロムは、誰かに後を付けられていないかをよく確認してから隠し通路に入った。

 イーリス城には、緊急時の為の隠し通路や脱出路が幾つも存在し、その正確な数を知る者は王族の中でも一握りしかいない程である。下手に迷い込めば脱出不可能になり時にそこで命を落とす者も居ると言われている程で、その存在を知る者ですらこうした隠し通路に入ろうとする者はほぼ居ない。
 その為、比較的小まめに点検し整備される隠し通路はともかく、知る人が極端に限られている道や最早忘れ去られてしまった道は、埃に塗れていたり時に塞がっていたりする事もある。
 恐らくは、この城が建造された当初や或いは幾度かあった大幅改修の際に作られた隠し通路の内、「生きている」ものは極僅かしか無いのだろう。そんな隠し通路の中で恐らくは忘れ去られていたモノの部類の一つであろうその道をクロムが見つけたのは、偶然によるものであった。
 恐らくは数代以上前の聖王家の者が人目には曝せない誰かを匿う為に使われていたのだろうその道は、王都の外れにある森の中の古い屋敷へと繋がっている。
 それを見付けた幼い日のクロムにとっては、そこは秘密の遊び場であった。……とは言え、姉を守れる様な強さを欲して剣を振り鍛錬する事に夢中になっていた幼い日のクロムがその屋敷を訪れる事は殆どと言って良い程に無かったのだけれども。

 そんな忘れ去られた屋敷を、ギムレーとの戦いを終えて戦後処理に忙殺されるその傍らで、クロムは密やかに修繕させた。
 何時か、誰よりも大切な友……己の「半身」であるルフレが再びこの世に還って来た時に、そこに匿う為に。

 ……千年の時の彼方から再び蘇りこの世を滅ぼさんとしていたギムレーとの戦いがルフレの献身によって終ったその後で。
 大切な仲間を目の前で喪い国に帰って来たクロム達を待っていたのは、ある意味では余りにも残酷な現実であった。
 恐らくは、あの戦いの場か……或いは、クロムが「覚醒の儀」を遂げた時の戦いに居た末端の兵達から、ある一つの「噂」が流れ出し、それは何時しかイーリス中に拡まってしまっていた。

『希代の軍師ルフレは、邪竜ギムレーに所縁の者である』、と。
 それどころか、ギムレー教団の最高司祭として振舞っていたギムレーの姿を見た事がある者が居たのか、ルフレこそがギムレーを蘇らせこの世を滅ぼしかけたのだと宣う者さえ居た。
 ルフレは彼の存在を危ぶんだクロム達によって処断されたのだと、そんな事実無根の「噂」すら存在するらしい。
 ルフレとギムレーに関する「噂」は無数に存在し、中には全く相反するモノも多く存在したが、しかしそれらの「噂」はイーリスの民に一つの「事実」を植え付けるには十分だった。

 最早、今のイーリスにルフレが帰って来る居場所は無い。
 ルフレは、邪竜の側の存在であるのだと。それはもう、多くの民にとって覆す事の出来ない「事実」となってしまっている。
 それがルフレ自身の「真実」とは全く異なるのだとしても。
 民の心に一度根付いてしまった「事実」を変える事は並大抵の事では叶わず、クロムや仲間たちはどうにかしようと動き続けてはいるがその成果は一向に挙がらない。

 その「事実」が全くの虚構であるならばどうにか出来たのかもしれないが、残念ながら一部には事実が含まれているのだ。
 ルフレが、ペレジアの古い血脈により「ギムレーの器」として生み出された存在であった事も。そして……有り得た「未来」では、邪竜へと堕とされた彼によって世界は滅びた事も。

 大衆の人々が最も信じ受け入れてしまうのは、真実ではなく事実を含んだ「噂」だ。そしてそれは扇情的であればある程、然も公然の「事実」であるかの様に流布してしまう。
 救国の英雄がその実「悪」であったなど、まさに当てはまる。
 此度のギムレー復活でイーリスが直接被った被害はそれ程多くは無い。蘇ったギムレーが世界を滅ぼす為に本格的に動き出す前にそれを止める事が叶ったが故である。だが……。

 あの日蘇ったギムレーを、ペレジアの民達だけではなく、イーリスやフェリアの民の多くが目撃していた。
 幾つもの山々を連ねてもその翼の端にすら届かないだろう程の、生き物としての存在の根本からして人とは全く異なる存在。
「神」と崇められ畏怖される事すら当然だと、そうだれもが一目で理解せざるを得ない程の、強大無比なその姿。
 それを目にしたイーリスの民が、過剰な程に邪竜ギムレーを畏れ拒み、それに連なる者達を排斥しようとする事は、それはもう理屈がどうであれ仕方の無い事でしかないのだろう。

 実際、ギムレーが復活した時から今に至るまで、イーリス国内での神竜信仰は些か苛烈なまでに高まっていた。
 そして、ギムレー教に対する忌避感も……かつての「聖戦」の頃以上に高まり、それは留まる事を知らない。
 そんな中で、その様な「噂」が出回ってしまったのだ。
 クロム達が事態に気付いた時には、もうどうする事も出来ない程までにその「噂」は「事実」となって拡がっていた。
 最早収拾不可能な状況を目の当たりにして、世間に蔓延る「噂」を消し去り世論を覆す方では無く、クロムの心はルフレを如何に民衆の敵意から守れば良いのかに傾いて行った。
 そして、ルフレを守る為には彼を世の人々から遠ざけ隔離するしかない、と。そう結論付けたのだった。

 そして、彼の為の「幸せの箱庭」として、クロムは自分以外の者は殆ど知り得ない隠し屋敷を選んだ。
 代々王家に仕え口も堅く信頼の置ける職人達に用途を知らせずに屋敷を改装させて、そして自分以外の誰も立ち入る事が無い様に屋敷の入り口を潰した上で、隠し通路に繋がる隠し扉には複製する事も力技で破る事も難しい特殊な鍵を取り付けた。
 そうして、ルフレの為の「箱庭」の準備が整ったその矢先に、ルフレは再びクロムの目の前に現れたのだ。

 再会を喜ぶ事もそこそこに、クロムは誰の目にも付かない様に誰にも気取られぬ様にしながら、細心の注意を以てルフレを「箱庭」へと連れ込み、そこに閉じ込めた。

 世界の現状など全く知らないルフレはそれに酷く驚いて、考え直す様に何度もクロムに訴えかけ、そしてどうにかしてこの場から逃げ出そうとする様になった。
 事情を説明してやれれば良かったのかもしれないが、クロムには出来なかった。「何故?」と何度も問うルフレに、もうこの国に……それどころかこの世界に、お前の存在が許される場所は無いのだなどと……そんな事をどうして口に出来ようか。
 そんな真実を知れば、ルフレは酷く心を痛め、そして己の存在を責めるのだろう。こうして帰って来た事にすら、罪悪感を抱いてしまうのかもしれない。そしてそうなった時にルフレが何を選んでしまうのか……それを考えたくは無い。

 もう二度と、喪いたくないのだ。
 大切な人を、大切なものを、もう、二度と。

 クロムは、何よりも大切な家族であった姉を守れなかった。
 まだほんの子供であった時分から「聖王」として生きる事を余儀なくされて、姉個人の「幸せ」と言うモノを殆ど奪われて、その上で自国の民とペレジアの民の憎悪に一人向き合い背負わねばならなかった、その人を。クロムは目の前で喪った。
 そして、今も尚クロムの脳裏から離れる事の無い姉の姿が、ルフレのそれと重なってしまうのだ。

 本人の望みや意志とは無関係の場所で定められたものに縛られて、そして本人に責は無い筈の憎悪や恐怖を向けられて。
 そして、「滅びるべき悪」として排除する対象にされて。
 そんな現実を前にすれば、そしてそれを知ったルフレが傷付き悲惨な未来を辿るしかないのであれば。
 ルフレに恨まれる事など、クロムにとっては如何程でも無い。
 恨まれても、憎まれるのだとしても。それでもルフレを守れるならばそれで良かった。その為にこの手でルフレを傷付ける事になるのだとしても、それでルフレがこれ以上残酷な程に愚かな世界に絶望せずに済むのであれば、それで良い。

 だからクロムは、ルフレの自由を鎖で縛り、そして万が一にも逃げ出さない様にその足を潰した。

 きっと憎まれるのだろうと、そう思っていたのだけれど。
 しかしルフレは何も変わらなかった。
 ルフレにとっては甚だ理不尽であろう筈の仕打ちを受けてすら、ルフレがクロムに向ける感情も信頼も、何も変わらなくて。
 だからこそ、守らなければならないと、より一層思うのだ。

 ルフレが「真実」を知る事は何があっても起こらない様に。
 これ以上、大切な人が絶望せずに済む様に。
 その為ならば、クロムは幾らでも非道な行いが出来る。
 このルフレの「幸せの箱庭」を守る為ならば、何だって。

 そこに在る「幸せ」は歪んでいるだろうが、こんな世界ではそんな「幸せ」しか守ってやれないのだから……。




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