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虚構の勇者

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 泡が弾けた様な音で、意識は浮上した。

 ………………ここは…………?

 最早目の前の出来事をただ見ているだけの機械の様になっていた頭に、久方振りに戸惑いが浮かんだ。

 そこは、あの夏の日射しが照り付けるフードコートでも、皆が惨殺される現場でも、皆を殺害した現場でも無い。
 何時もの通学路に、八十神高校の制服を着た状態で立っていた。
 何処も血に染まっておらず、そして怪我などは何処にも無い五体満足の状態で。

 …………これ、は?
 ……何故……?

 マトモな思考力はとうに失われ、目的も何も無いままに、通学路を行く生徒の波に押される様に、高校へ向かって歩き出す。
 教室に入っても、誰もこちらに意識を向ける事は無い。
 …………?
 ……何故か、自分の席が無かった。
 本来は自分の席である場所には花村が座っていて、花村の席があった筈の場所に机は無い。
 花村はこちらに顔を向ける事無く、里中さんと談笑していた。

「は、な……むら……?」

 声を出したのは、何時ぶりだろうか。
 しかし声を掛けても花村は反応せず、里中さんも反応しない。

「花村?」

 再度呼んだが、やはり反応は無し。

 その時、天城さんが教室に入ってきて、それに気付いた里中さんが大きく手を振る。
 それに小さく手を振って返した天城さんは、こちらの目の前を何の反応も無く素通りして、里中さんの前の座席に座り、後ろを向いて話の輪に加わった。

「里中さん、天城さん」

 二人を呼ぶが、一切の反応は無し。
 これは…………。
 ふと黒板を見ると、もう9月1日になっていた。

「花村はちゃんと宿題やった?」

「ま、何とかな。
 つか、里中の方こそどうなんだよ。
 夏の間結構遊びに行ったけど、宿題やってるフシが全く無かったじゃん」

 花村がそう言うと、里中さんは「ウゲッ」と呻いた。

「千枝、いつも面倒な宿題は後回しにするから、最終日は徹夜しても終わらないんだよね。
 今年はちゃんとやるって言ってた気がするけど、無理だったんだ」

 天城さんに止めをさされ、里中さんは机に突っ伏す。

「ま、終わってなくて大変な目に遭うのは里中の自業自得だな。
 てか夏休みって言えばさ、海水浴楽しかったよな!
 夏祭りも結構盛り上がったし」

 そうだったねー、と花村の言葉に里中さんと天城さんは頷いた。
 その時だった。

「ちーっス」

「あ、お邪魔しまーす」

 教室に巽くんとりせも入ってくる。
 そしてやはり、自分の目の前を素通りしていった。

「おー、いらっしゃい二人とも。どしたん?」

 里中さん達は二人を歓迎し、二人も話の輪に加わった。

「どうって訳じゃないっスけど、夏休み明けの初日っスからね。
 こうやって顔出しに来た感じっス」

「私は先輩たちの顔を見に来た感じかな」

 ワイワイとはしゃぐ輪から外れ、その様子を見守る。

 巽くんとりせも、名前を呼んでも反応を返さなかった。
 目の前で手を振ってみたり、軽く肩を叩いてみたりするも、何の反応も返ってこない。

 周りのクラスメイト達にも同様の事を試してみるが、誰一人として何らかの反応を返す者は居なかった。
 廊下に出て、すれ違う生徒や教師に同じ事を試してみても結果は同じ。
 一条に、長瀬に、高山に、小沢さんに、小西くんも、こちらに全く気付きもしなかった。
 誰も彼もが、其処には誰も存在していないかの様に通り過ぎて行く。

 どうやら、自分は今の所誰にも認識して貰えて無い様だ。
 透明人間になった様な気持ちだが、接触しても何の反応も返ってこないので、どちらかと言えば幽霊になった様だと表現するのが正しいのかもしれない。

 無意識に上履きを履いてしまったが、どうやらこれは別の誰かのモノであった様だ。
 偶々サイズに違和感が無かったので気付けなかったが。
 名も知らぬ誰かに悪い事をしてしまったな……。

 学校でやる事が無いしそもそも席も学籍も無いのだろう。
 上履きを無断借用してしまった誰かに心の中で謝りつつ靴を履き替えて校外へと出る。
 授業を抜け出すなんてまるで不良生徒だな、と思いつつもそもそもこの学校の生徒では無いのだろう。

 鈍麻した思考と感情のまま、町のあちらこちらを宛も無く彷徨う。
 神社に行っても、狐は気付かなかった。
 ベルベットルームに繋がる扉は、何処にも存在してはいなかった。
 病院に顔を出しても、神内先生も他のスタッフ達も、誰一人として気付かなかった。
 警察署の方へ行っても、叔父さんも足立さんも、何の反応も返さなかった。
 学童保育の時間に高台に行っても、俊くんも学童の子たちも他の先生たちも、気付かなかった。
 家の近くまで帰ると、買い物に出掛けようとしている倉橋さんとすれ違ったが、倉橋さんは足を止める事も振り返る事も無かった。

 家の鍵は何故か持っていたので、それを使って家の中へと入る。
 居間では菜々子がテレビを見ていた。
 声を掛けても、やはり反応は無い。
 テレビとの間に立ってみても、視線はこちらの身体を透過してテレビへと向いている。
 菜々子も、自分には気付かなかった。
 食器棚を見ると、マグカップは手前に置いてある二つと奥にある一つの三つしか存在していない。
 若草色のマグカップは、何処を探しても影も形も無かった。

 二階に上がり、自分の部屋に入る。
 そこは、自分の部屋であったが、同時に自分の部屋では無かった。
 自分がやって来る前の、恐らくは物置として使われていた時の状態になっている。
 一応掃除は偶にはしているのだろうが、置かれた雑多なモノには、長らく動かしていない事を表すかの様に埃が積もっていた。

 自分の存在の痕跡が一切存在しない部屋を見回す。

 ああ、そうか。
 自分は、どうやら存在しない者であるらしい。

 その事を認識しても、最早何とも思えなかった。
 ふと、そう言えば今は9月になっていたのだったか、と思い至る。

 自分が居なくても。
 皆は変わらない日常を過ごしていた。
 何事も無く、平穏で、愛しい、そんな日常を。

 花村たちが、皆が、久保美津雄の『シャドウ』に惨殺される事も無く。
 自分に殺される事も無く。
 楽しそうに毎日を、過ごしている。

 ああ、それは何て…………。

 ──何て、幸せな事であろうか

 そう心の底から思い。
 久しく浮かべていなかった笑みが、自然と溢れ落ちた。

 意識がゆっくりと泥の中に沈むかの様に薄れていく。
 その事に満ち足りた様な幸せを感じ、微笑みながら目を閉じた。





 ──何処かで、“誰か”が誰かを──








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