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魂の慟哭

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 家畜を狙ってとは言え人里を襲ってしまってから、何かの箍が外れてしまった様な感覚があった。
 理性以上に、竜の本能が強く出る瞬間が明らかに増えて。
 段々と、『ヒト』としての……変わらぬ筈であった心が変質していってしまっているのを、感じている。
 それでも、何も出来ない。

 一度、『虹の降る山』まで飛んで行った事があった。
 しかし、祭壇へと赴いても、そしてそこでどんなに声を上げても、神竜がルキナの声に応えてくれる事はなくて。
 失意のままに、ルキナは『虹の降る山』を去り、それ以来、一度たりとも近付こうとはしていなかった。

 縋る先など、ルキナには無くて。
 次第に自分が壊れていくのを、この心までもがヒトならざる獣へと堕ちて行きつつあるのを自覚しながら、その恐ろしさに震える事しか……それ以外にルキナに出来る事は無かった。
 人々がルキナを見る眼差しが……恐ろしい怪物に怯えるその目が、ルキナの脳裏に焼き付き、そしてその心を追い詰めていく。
 いっそ自ら命を絶ってしまえば良いのかもしれないが、それだけはどうしても躊躇ってしまう。
『最後の希望』であるルキナを生かす為に、その命を散らしていった臣下達の事が、どうしても脳裏に過るのだ。
 最早ルキナ自身は、彼等がその未来を託していった『最後の希望』としては在れないのだけれども。
 しかし、彼等に託されたものをそのまま投げ棄てる様に、死を選んでしまって良いものなのかと。
 託されてきものをルキナもまた誰かにに託すまで、自分には死を選ぶ事は許されないのではないかと、そう思ってしまう。
 もしくは、ただ単純に『死にたくない』と言う生き物の本能的な欲求によるものであるのかもしれない。






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 家畜を狙ってとは言え人里を襲ってしまってから、何かの箍が外れてしまった様な感覚があった。
 理性以上に、竜の本能が強く出る瞬間が明らかに増えて。
 段々と、『ヒト』としての……変わらぬ筈であった心が変質していってしまっているのを、感じている。
 それでも、ルキナには何も出来ない。

 一度、『虹の降る山』まで飛んで行った事があった。
 しかし、祭壇へと赴いても、そしてそこでどんなに声を上げても、神竜がルキナの声に応えてくれる事はなくて。
 失意のままに、ルキナは『虹の降る山』を去り、それ以来、一度たりとも近付こうとはしていなかった。

 縋る先など、ルキナには無くて。
 次第に自分が壊れていくのを、この心までもがヒトならざる獣へと堕ちて行く事を自覚しながら、その恐ろしさに震える事しか……それ以外にルキナに出来る事は無かった。
 人々がルキナを見るその眼差しが……恐ろしい怪物に怯えその脅威から逃れる為に神に縋らんとするその目が、ルキナの脳裏に焼き付き、そしてその心を追い詰めていく。
 いっそ自ら命を絶ってしまえば良いのかもしれないが、それだけはどうしても躊躇ってしまう。
『最後の希望』であるルキナを生かす為に、その命を散らしていった臣下達の事が、どうしても脳裏に過るのだ。
 最早ルキナ自身は、彼等がその未来を託していった『最後の希望』としては在れないのだけれども。
 しかし、彼等に託されたものをそのまま投げ棄てる様に、死を選んでしまって良いものなのかと。
 託されてきものをルキナもまた誰かに託すまで、自分には死を選ぶ事は許されないのではないかと、そう思ってしまう。
 もしくは、ただ単純に『死にたくない』と言う生き物の本能的な欲求によるものであるのかもしれない。
 何にせよ、このまま心まで獣に堕ちるのを防ぐ為であれど、自ら命を絶つ事はルキナには出来なかった。
 死ぬにしても、自害ではなくせめて邪竜に立ち向かって死ねれば……とも思うものの、邪竜が何処に居るのかなどルキナには分かる筈も無く、邪竜が気紛れにルキナの前に姿を現しでもしない限り、ルキナには奴と戦う事すら出来ない。
 そうして、死ぬ事も出来ずに、ルキナは次第に竜としての自分に呑み込まれて行ってしまっていた。

 一度家畜を襲ってしまったからか、飢餓状態が続くとルキナは自分の理性では止める事すら叶わずに、人里を襲っては家畜を食い荒らしてしまう。
 まだヒトを喰った事は無い事だけは唯一の救いではあるけれども、それでも獣同然に家畜を食い荒らす自分を、ルキナは何よりも嫌悪し悍ましいとすら思ってしまっていた。
 何時だってルキナが気付いた時には、家畜たちの血肉を貪った後の凄惨な状態で。
 ヒトとしての理性が完全に途切れていたのか、ルキナには家畜たちを襲いそれらを生きながらに貪り食っていた間の記憶は全く無く、思い出す事すら出来ない。
『自分』と言う意識が断絶していくその恐怖、そしてその断絶の間に、どんな凶行に及んでいるのかすら分からぬ事への強い忌避感と嫌悪感。
 ヒトの姿を喪い、言葉も文字も……ヒトとしての能力を凡そ喪い、それどころか今度は『心』まで喪いつつある。
 それを止める手立てすらない事に絶望し……そして、もし何らかの奇跡が起こってヒトの姿に戻れた処で、果たしてその自分は正しく元の『ヒト』のままで居られるのだろうか、と……そう恐ろしい事を考えてしまう。
 人里を襲い家畜たちを食い殺した事実とその経験や記憶は、例え元の姿に戻ろうと、烙印の様に消えないものであろう。
 その変化は身体を変えられた事よりも深刻なものであった。


 そんな絶望に心を侵されながら、空腹のまま人里離れた山奥でルキナが何時もの様に水辺で休息を取っていると。
 急に辺りが騒がしくなった。
 何事かと耳をそ欹てていると、それが武装した人々の立てる音である事に気が付く。

 貧相な装備の村人とは違い、しっかりとした武具に身を固めた彼らは、間違いなくイーリス軍の者達であった。
 ルキナが邪竜に囚われた際に本隊の多くが犠牲になったとは言え、各地に展開していた分隊は無事であったであろうし、そんな邪竜の襲撃からの生き残りの者であるのだろう。


「居たぞ! 報告に上がっていた竜だ!」


 そんな声と共に、無数の矢がルキナに降り注ぐ。
 彼らの狙いはルキナだ。
 ルキナが襲ってきた人里への被害は、かつかつの食料生産で何とか凌いでいた人類全体に打撃を与えていたのだろう。
 そうやって追われる事になるのも、当然の事であった。

 戦う事を避けようと、ルキナは飛び立とうとするけれど。
 翼を、鋭い刃で鱗ごと切り裂かれ、ルキナは悲鳴を上げる。
 竜の硬い鱗を切り裂く事に特化した『ドラゴンキラー』の一撃は、今までどんな攻撃も通さなかったルキナの鱗をも切り裂いたのであった。
 それでも何とか逃げ出そうとするも、再び雨の様に矢が降り注ぎ、ルキナが飛び立つのを阻止してくる。
 訓練だった兵士たちの動きには無駄がなく、ルキナを狩る為の準備は既に入念になされていたのであろう。
 まだ人を攻撃しない理性は残っているルキナには、余りにも分が悪い状況であった。
 次第に鱗は砕かれ、矢傷が付き始め、辺りにはルキナの血が飛び散っていく。
 致命傷などにはまだまだ程遠いが、しかし抵抗せず逃げられないルキナが狩られるのも時間の問題であろう。

 ここが、自分の命の終わりなのだろうか。
 こんな竜の姿に変えられて、怪物の様に人々に恐れられ忌避されて、そしてこうして獣の様に人々に狩られる……。
 父や人々に託されてきた、『世界を救う』と言う使命を、何一つとして成し遂げる事の出来ぬままに。
 ならば、自分が生きた意味とは一体何だったのだろう。
 こんな結末になるのなら、どうして竜の身に堕とされてまで、足掻く様に生きてきてしまったのだろう。
 答えなど無く、その疑問に意味も価値もありはしない。
 それでも、そう思わずには居られなかった。

 そうして、『生きよう』とこの場から逃げ出そうとする本能の声に耳を塞ぎ、何もかも……自分の『生』すら諦めようとした、その時であった。
 偶然に、ルキナの鉤爪が兵士の足に辺り、脛の辺りを大きく切り裂いてしまう。
 大怪我ではあるが、命には何の問題も無い様な傷であって。
 しかし、何故か、ルキナの視線は、そこから流れ出る紅い雫に釘付けになり、そして自らの鉤爪に残る、野の獣とは違うモノを切り裂いた感覚に痺れていく。
 無意識の内に息が荒くなり、強い興奮状態にあるかの様に視界が歪んで見えた。
 急に、空腹感が強くなる。
 それはまるで、ルキナが理性を喪い人里を襲ってしまう直前のそれと同じで。
 しかしそれが危険な状態であると分かっている筈なのに、ルキナの思考は痺れたように、その抗い難い衝動を抵抗なく受け入れようとてしまう。
 それを止める『理性』の手綱は、血の匂いに酔ってしまったかの様に上手く働かなくなっていた。

 目の前の『獲物』たちは、硬い鎧でその身を守っているものの、ルキナの鉤爪や牙の前では丸裸も同然で、その下にある柔らかな肉の味を想像すると思わず涎が溢れそうになる。
 野の獣よりも愚鈍そうなこの生き物は、ルキナにとっては格好の『獲物』であった。

 先ずは、煩わしい刃物を振り回す個体のその胴を、ルキナは前足で薙ぐ。
 たったそれだけで、胴を覆っていた鉄板諸共にその身体は半分に引き裂かれ、その個体は一瞬で絶命した。
 すかさずその肉塊と化した身体へと喰らい付き、そのまま鎧ごと噛み砕いて咀嚼する。
 食べられない鎧の部分などはその辺りに適当に吐き出して、その場にいる他の個体を逃がさぬよう狩り始めた。
 先程までは無抵抗だったルキナが突如自分達を圧倒的な力で蹂躙し始めた事に、兵士たちは一瞬理解と判断が遅れた。
 そんな隙をルキナが逃す筈も無く、その鋭い鉤爪で切り裂かれ、鞭よりもしなやかで巨木すら一撃で圧し折る尾の一撃で跳ね飛ばされて全身の骨を砕かれ、咬み付かれ生きながらにして貪り喰われ、或いは骨まで瞬く間に焼き尽くされる程の高熱のブレスで身を焼かれて。
 兵士たちは殺戮の宴の肴と変わり果てる。

 ヒトの血肉に狂い酔ったルキナのその眼に、既に理性の光は無く、例えヒトであろうと最早『獲物』としか捉えない。
 最早、完全に獣に堕ちたと言っても過言ではないだろう。
 その内『ヒト』としての理性が戻る事はあるのかもしれないが、その時その『ヒトとしての心』が自身の凶行を受け止める事が出来るのかは……誰にも分からない。

 十数人居た兵士たちは、一人残らずルキナによって狩られ、ルキナは彼らの血肉を喜びと共に貪り尽くす。
 熊よりは柔らかく、猪などよりも食いでがあるこの『獲物』はルキナにとってはまさにご馳走であった。
 その血の一滴までも丁寧に舐め取り、骨もその髄まで啜る。

 空腹を満たされたルキナは、一つ大きな欠伸を零して、その場で丸くなって眠る。
 もう、ルキナが『悪い夢』を見る事は無かった。




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