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第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 目が覚めた時には見覚えが無い部屋の中だったので困惑したが。
 部屋を出て見知らぬ場所をうろうろと歩いていると、ひょっとこのお面を被った人に出会して、此処が刀鍛冶の里の人達にとっての避難先であり新たな里となる場所だと教えて貰う。
 どうやら、緊急時に備えて「空里」と呼ばれる移転先を常日頃から準備しているらしい。
 まあ、刀鍛冶の里が機能不全になると鬼殺隊全体も機能不全に陥ってしまうのでそう言った備えは必要なのだろう。
 ……しかし、秘匿された場所なのであろう新たな里に、里の者では無い自分が居ても良いのだろうかと少し心配になったが、特に問題は無いとの事だ。
 自分以外にも、炭治郎たちも一旦この新たな隠れ里に運び込まれたらしいと聞いて、炭治郎たちの安否を訊ねた所、全員五体満足で無事であるらしい。
 激しい戦闘による極度の疲労でまだ殆どの時間を眠って過ごしているが、一応起きてご飯を食べたりする元気はあるそうだ。
 眠りに落ちる前の記憶が、半天狗と戦う炭治郎たちを助けに行こうとした所で途切れているので、その安否がとても心配だったので、大事は無いらしい事に心から安堵した。

 自分が寝落ちしてしまった後で何があったのかを大体の所を掻い摘んで教えて貰う。
 話を聞いた里の人はそこまで詳しく全容を聞いた訳では無いそうなのだが、里を襲って来ていた上弦の鬼の片割れである半天狗は、炭治郎たちが無事にその頸を落としたのだそうだ。
 そして、炭治郎たちの方には救援として甘露寺さんと宇髄さんが駆け付けて来てくれていたらしい。
 自分たちの方を助けに来てくれた煉獄さんも含めて、救援として駆け付けてくれた柱の人達は大きな負傷は無かった事もあって、皆一日の休息を取った後でそれぞれ任務に復帰したそうだ。

 あの激しい一夜から既に二晩が経っていて、どうやら自分はほぼ丸二日半寝ていたと言う事になる。
 まあ、消耗しきってしまうとどうしても長く寝てしまう様だ。
 今までも激しい戦いの後は大体そうなっている。
 なお、救援に来てくれた三人はもう既に任務に復帰し里を離れて行ったそうだが、無一郎に関しては玉壺に引き続き黒死牟や猗窩座とも連続で対峙したと言う事もあって、大事を取って一日ではなく数日休む様に指示された為に今も里に滞在しているそうだ。 後で様子を見に行く事にしよう。

 ……そして、気になっていた里の人たちへの被害の状況だが。
 どうやら、犠牲となった人は上弦の鬼が襲撃して来たとは思えない程少なく抑えられたらしい。
 玉壺によって弄ばれていた五人を抜くと、片手で指折り数える程度の被害だったそうだ。
 ……それでも、助からなかった人は居たのだ。
 何か生活や仕事に支障が出そうな程の怪我人は殆ど出なかったそうだが、それでも僅かながらには居るとの事だった。
 ……決して、自分になら何もかもを助ける事が出来ると驕っている訳では無いのだけれども。
 それでも、もし。もっと違う選択が出来ていたら、もっと早く行動出来ていたら、と。
 そう思わずには居られない。
 失われて良い命なんて、一つも無いのだから。
 何もかもを救う事は出来ないのだとしても、せめてこの手が届く範囲だけでも、と。
 そう思うのに、それもすらも中々叶わない。
 指の隙間から零れ落ちてしまう砂の様に、誰かにとっての大切な人を喪わせてしまった。
 それが、どうしても哀しいと感じてしまう。
 もしかしたらそれは、とても傲慢で不遜な考えなのかもしれないけれども……。

 それから少しして軽い昼食を食べ終えた頃合で、自分が目覚めた事を誰か報告したからなのか、里長である鉄地河原さんに呼ばれた。
 先ず間違い無く、里への襲撃に関する話だろう。
 正直まだ目覚めてからあまり状況を整理出来ているとは言い難いので、里全体への被害状況や自分が寝落ちした後の事も含めて、今がどんな状況であるのかはしっかりと把握したい。



「色々と話はあるんやけど、まあ何よりも先に礼を言わせてな。
 鳴上悠殿、この度は里を救う事に尽力して頂き心よりお礼申し上げます」

 鉄地河原さんの新たな家に通されて早々。
 鉄地河原さんは、そう言いながら小さなその身体で深く頭を下げてきた。
 突然のそれに驚いて戸惑ってしまう。

「えっと、どういたしまして。
 ですが、里を守ったのは俺だけではなくて。
 無一郎や炭治郎たち、それに救援に駆け付けてくれた煉獄さんと甘露寺さんと宇髄さんもですから……。
 だから、その……そんな風に頭を下げなくても……」

 まあ確かに、里を守る為に戦ったのは事実ではあるけれど。
 しかし何もそれは自分一人に限った話では無いのだし、皆が戦ってくれたから何とかなった様なものである。
 救った……と、まあ確かにそれも間違いでは無いだろうけど。
 でも、そうやって深々と頭を下げられると困惑してしまう。
 何せ鉄地河原さんは里長で。
「偉さ」と言う意味では物凄く偉い人なのだ。
 その頭はそんな軽く下げて良いものでは無い。それは間違いなく。

「……謙虚なんかそれとも本当に分かってないのかはワシには分からんけど。……まあ、ええわ。
 君のお陰で、里の被害は驚く程少なくて済んだのは確かや。
 勿論、あの夜戦ってくれた剣士皆のお陰でもあるけどな。
 でも、あの時真っ先に動いてバケモンに襲われてる里の者全員を助けたのは間違い無く君やし、あと怪我しとった者を助けたのも君なんやろ? 
 それのお陰で、襲われたり傷を負った殆どの者が、無事に里から脱出する事が出来た。
 まあ、鍛冶場や家は多少壊れてもうたけど、それでも里の中心が大規模な戦闘の場になった訳でもなかったから、刀や道具なんかも後でちゃんと持ち出せとる。
 あのバケモンどもを放って来た上弦の伍だけじゃなく、その後に襲って来た上弦の参と壱とも戦って、里の者らを守ってくれた。
 君のお陰や」

「……しかし、助けられなかった人が、僅かにでも出てしまいました。
 治す事が出来なかった大きな怪我を負ってしまった人も……。
 それに、上弦の鬼……上弦の壱と参があの夜あの場に現れたのは恐らくは俺の所為です」

 黒死牟と猗窩座の事に関しては自分の所為で訪れた脅威に対して責任を負っただけなのだし、それも煉獄さんに助けて貰っている。
 果たしてそれを、「自分のお陰」なんて言っていいものなのだろうか。

「君を狙って来たんやとしても、でも君たちのお陰で上弦の壱と参なんかにも襲撃されたのにそれの被害は出なかったんやで。
 それとな、上弦の伍に酷い目に遭わされた里の者の事もな、礼を言わせて欲しいんや。
 上弦の伍から聞き出した場所から、あの子らの遺体を回収出来た……家族の手に返してやれた。
 君が上弦の伍から聞き出してくれたんやろ? 
 時透殿がそう教えてくれたんや。
 ありがとうな」

 ……ああ、あの。あんな風に尊厳を弄ばれてしまっていたあの人たちは、ちゃんと家族の下へと帰れたのか。
 ちゃんと弔って貰う事が出来たのか。

「……良かった、です。
 俺は、死んでしまった人には何も出来ないけど。
 そうやって、帰るべき場所に帰る手伝いが出来たのなら……」

 どうしようも無く突然に理不尽に命を奪われて、その尊厳すらも弄ばれて。それでも最後に、家族の下へと帰してやる事が出来たのなら、……彼らの家族が愛する人との別れをちゃんと出来る手伝いが出来たのなら。
 それは、最悪の中で本当に些細な救いになれたのかもしれない。
 喪われた命は戻る事は無い。
 愛しい者を理不尽に奪われた苦しみや哀しみの全てを祓う事も出来ない。
 それでも、空っぽの棺を前に泣くよりは。ほんの少し、本当に少しだけでも、その心を救えたとは思いたいのだ。

 喪われてしまった命に思いを馳せていると。
 鉄地河原さんは、ポツリと言った。

「……何もかも全部を助けるなんてのはな、誰にも出来ん事なんや。それこそ君が『神様』やったとしても。
 命を落としてしまった者たちの事を悼むのはええやろ。
 でも、そこに君が責任を負う必要は無いんやで」

 ……それは、確かにそうなのだろう。
 自分は『神様』ではない、何もかもを救う事なんて出来やしない。そんな事は一々考えるまでもなく分かっている。
 煉獄さんにも、「守る事が出来た者へと胸を張れ」と諭された事もある。
 ……だけれども、同時に。
 掬い上げようとしたその指から零れ落ちてしまったものを、そこにあった命を、見なかったフリは出来ない。
 助ける事が出来なかったものから逃げる事も、出来ない。
 そこに責任がある訳ではないにしても、決してその命を見捨てた訳では無いにしても。

 黙ってしまった此方を見て、鉄地河原さんは「不器用なんやなぁ……」と小さな溜息を吐く。
 自分は「不器用」なのだろうか。……どうなのだろう。それは分からない。
 ただ、鉄地河原さんがそのひょっとこのお面の下で、苦笑する様な……或いは心配している様な表情を浮かべている様な気がする。

「まあ、里の方の被害に関してはそんな感じや。
 上弦の肆との戦いに関しては、戦った者から直接話を聞いた方がええやろ。
 それじゃあ、本題に入ろうか」

 そう言って、鉄地河原さんは脇に控えていた人に合図を出す。
 傍に控えていた人が差し出してきたのは、刀だった。
 自分の為に鉄地河原さんが打ってくれたあの日輪刀だと、一目で分かった。
 まさか、あれから直ぐに研いでくれたのだろうか。
 里を襲撃されて、移転するなどしてそれ処では無い程に大忙しであった筈なのに。
 刀装具もしっかりと揃い、石目塗りの鞘に納められたそれは実に見事なものだ。
 鉄地河原さんに促されてそれを鞘から引き抜くと、まるで鏡面の様に磨き上げられた刃身に霧を斬り裂く様な見事な刃文が浮かぶ。
 そしてそれ以上にしっくりと手に馴染む事に驚く。
 呼吸の才能は無いのでこうして手にしていても刃の色が変わる訳では無いけれど。
 そんな事はどうでも良いと思える程に、凄い刀であった。

「うん、ええ感じやな。頑張って研いだ甲斐があったわ」

「有難うございます……!
 こんな、本当に凄いものを打って頂いて……。
 大切に、使わせて頂きます……!」

 何て事は無い様な調子で言うけれど、間違いなく鉄地河原さんが最大限この刀に注力して仕上げを行ってくれたのは直ぐに伝わる。
 刀装具を揃えてくれたのは、また別の里の人なのかもしれないけれど。
 何にせよ、この刀に詰まった「想い」の強さは凄まじいものだと分かる。
 それを思うと、感謝の気持ちで胸が一杯になった。
 これで、次に上弦の鬼に出逢った時は、周りの被害を気にせずに今度こそその頸を落として倒す事が出来るだろう。
 或いは、鬼舞辻無惨を斬り刻んで足止め出来る。
 本当にもう、感謝するしか無くて、自然と頭が下がった。

 そうすると、鉄地河原さんはカラカラと上機嫌な笑い声を立てて、皆の様子を見に行くと良いと促してくれる。
 それに頷いて、再び礼を言ってからその場を後にするのであった。






◆◆◆◆◆






 炭治郎たちが療養中だと言う部屋を訪れると、タイミングが良かったのか炭治郎たちは皆目を覚ましていた。

「皆、身体の方は大丈夫か?」

 伊之助と無一郎は共に戦っていたのだから大体どんな風に消耗しているのかは見当が付くけれど。
 しかし、半天狗との激闘がどんな物だったのかは分からないので炭治郎たちの状態はとても心配であった。

「ちょっと潰されかけたりはしたんですけど、大きな怪我は無くて。
 里の人たちに診て貰ったところ、内臓の方にも大きな影響は無かったみたいです。
 でも、中々疲労が抜けなくて……」

 炭治郎はちょっと疲れが抜けきらない顔でそう言う。
 善逸と獪岳と玄弥も大体そんな感じだ。
 と言うか、玄弥からは微かに鬼の気配を感じる。
 仕方が無かっただろうけれど、また鬼を喰ったのだろう。
 後で治さなくては。

「潰されかけた……?
 それは後で詳しく聞かせて欲しいけれど。
 でも、とにかく皆が無事で良かったよ。
 本当に……本当に心配したんだ。
 ……助けに行ってやれなくて、ごめんな」

「いえ、そんな。
 伊之助と時透君から聞きました。
 上弦の伍を倒した直ぐ後に、上弦の壱と参と同時に戦ったって。
 悠さんの方こそ、無事でよかった……」

 ホッとした様にそう息を吐く炭治郎に頷く。

「そうだな……救援に駆け付けてくれた煉獄さんのお陰で助かった。
 どちらの頸も落とす事は後一歩の所で叶わなかったけれど、全員で大きな怪我も無く生き延びられたのは本当に運が良かったよ」

「悠さんたちの方には煉獄さんが来てくれたんでしたね。
 俺たちの方には甘露寺さんと宇髄さんが来てくれて。
 お二人が、上弦の肆が生み出した分身の相手をしてくれたから、俺たちは『本体』の頸を斬る事に専念出来たんです」

 そうか、と頷く。
 本当に、お互いに運が良かったのだろう。
 本来、広大な範囲を警備している筈の柱が、運良く三人も、それも里が襲撃されてからそう時間を置かずに救援に駆け付ける事が出来たのは、幸運なんてものじゃない。
 恐らくは、お館様の「先見の明」が働いたのではないだろうか。
 何にせよ、三人には危ない所を助けて貰ったのは間違いない。
 出来れば直接お礼を言いたいけれど、しかし三人共既にこの場は離れているのだし、柱として多忙な日々を過ごしているのだろうから、ちゃんとお礼を言える機会は何時になる事やら。
 取り敢えず後で、先に書面で感謝の気持ちを伝えておこう。

 お互いに、何があったのか色々と話したい事がある。
 ただ、疲れが抜けきっていないのならまた後で改めて話そうかとも思ったのだけれども。
 炭治郎も、善逸も、玄弥も、獪岳も、そして伊之助も。
 何があったのかを話したがっていたし聞きたがっていた。
 なので、皆が良いなら此処で話そうか、と。
 座布団の上に腰掛けて、じっくりと話そうとしたその時だった。


「あれ、悠だ。起きてたの?」

「お、おにい、ちゃん。おはな!」

 襖を引いて部屋に入って来たのは、炭治郎よりもずっと元気そうな無一郎と、そして小さな花を幾つも手に持った禰豆子だった。

「無一郎が元気そうで何よりだ、安心したよ。
 それと、今は日中だけれど、禰豆子ちゃんは寝ていなくても大丈夫なのか?」

 炭治郎に手の中の花を渡しながら嬉しそうに笑っている禰豆子を見ながら首を傾げる。
 と言うか、言葉を喋る事が出来る様になったのか。
 辿々しく、幼子の様ではあるけれど。確かに言葉を話せる様になったのは、とても良い変化だと思う。
 恐らく、その自我はまだ禰豆子本来のそれでは無いのだろうけれども。自分の感情を言葉で表現出来る様になったのは良い事だ。
 良かったな、と禰豆子のその頭を優しく撫でていると。
 炭治郎がとんでも無い事を言い出した。


「あ、それが……。
 どうやら禰豆子は、太陽を克服したみたいなんです」

「えっ……!?」

 思わず、炭治郎のその言葉に、信じられないとばかりに禰豆子と炭治郎の顔を交互に見てしまった。
 嘘や冗談を言っている顔では無いし、それは既に周知の事実であったのか無一郎や善逸たちにも特には驚いた様子も無い。
 伊之助などは、「『いのすけ』って言える様になったんだぜ!」とそれはもう嬉しそうな顔で、禰豆子に「いのすけ」と呼ばせている。
 それは良い、大層微笑ましい光景だ。
 自分だって、幸せな気分になる光景である。
 だが同時に、それだけでは終わらない事にも当然気付いてしまう。

 鬼舞辻無惨が求めているものの一つ。
 いや、鬼舞辻無惨が人々から憎まれその命を絶たんと狙われ続けるその最大の原因。自らの血で鬼を増やし続けている、その最たる理由。
 それは、陽光を克服した鬼を生み出す事で、その鬼を自らに取り込んで自身も陽光を克服し、己の命を脅かすものから解放される事である。
「青い彼岸花」を求めているのも恐らくはそれに関係しているのだろうけれども。
 しかし、より強く希求しているのは、やはり陽光を克服した鬼であるのだろう。
 そもそも、炭治郎たちの家族が鬼舞辻無惨に襲われたのも、それが原因である可能性がある。
 畢竟、鬼舞辻無惨がやっている事は、何時か自分の望む目が出る事を願いながら、無数の目が刻まれた賽子をただ振り続けている様なものである。
 必ずしもその行為に「悪意」らしい悪意があるとは限らないのだろう。その結果は最悪だし、絶望の悲劇の連鎖を延々と生み出し続けているのだが。

 そんな、極端な話をすれば鬼舞辻無惨が千年掛けて求め続け、人の世にその病原を撒き散らし続けてまで欲していたその存在に。
 禰豆子が、辿り着いてしまった。
 その事実は、これから起こり得る様々な「最悪」を容易に想像させる。

 ……望まずに鬼にされてしまった禰豆子が、鬼から戻った訳では無くとも陽の光の下で笑える様になった事は、それ自体はとても喜ばしい事だ。間違いなく。
 炭治郎だって、嬉しそうにしている。心が救われた部分も大いにあるだろう。
 ……だけれども。
 禰豆子が、鬼舞辻無惨に直接的に狙われる存在になってしまった事は、間違いなくその未来に深い影を落とす。

「……この事を知っている人は、どれ位居るんだ……?」

 まだ鬼舞辻無惨がそれを知ったとは限らない。
 禰豆子が陽光を克服したタイミングは、恐らく里が襲撃されたその夜明けの事だろう。
 その時には、あの根城である異空間を欠片も残さず消し飛ばされ、黒死牟と猗窩座は錯乱状態になって。幾ら鬼舞辻無惨に直接的なダメージは無いのだとしても、それでも彼方側に甚大な被害を与える事が出来たのは間違いない。鬼舞辻無惨とて他の事に気を取られている余裕は無かったと思うのだ。
 それに半天狗の方も夜明け前には倒す事が出来たらしいので、鬼が禰豆子が陽光を克服した事を知る術は無い。
 それでも、絶対では無い。
 人の噂に戸口を立てる事は出来ないのだし、どんなに注意していても思いがけない所から秘密が漏れる事は十分に有り得る。
 秘匿されていた筈の隠れ里が上弦の鬼たちに襲撃された様に。
 この世に絶対は無い。
 そして万が一にも、禰豆子の事が鬼舞辻無惨の耳に届いたら。
 鬼舞辻無惨が存在する限り、禰豆子に平穏は訪れない。それどころか、その子々孫々に至るまで狙われるだろう。……いや禰豆子だけでは無い。恐らくは炭治郎も狙われる事になる。
 珠世さんが薬を完成させて禰豆子が人に戻れたとしても、「陽光を克服出来る体質」である事自体には変わりが無いので、ずっと狙われる。そして血縁者にもその体質があるだろうと、目するだろう。
 そうなれば最悪だ。
 実際に炭治郎や禰豆子の子孫などにその体質があるのかどうかはともかく、鬼舞辻無惨に最優先で狙われる様になるなんて、その人生にどれ程の暗い影を落とす事になるか……。

 ……何としてでも、早急に鬼舞辻無惨を倒さねばならない。
 そして、出来る事ならば、第二第三の鬼舞辻無惨の様な存在が現れる可能性を少しでも潰さなくては。
 炭治郎と禰豆子の幸せが、僅かでも翳る可能性を少しでも排除する為にも。

「えっと、此処に居る皆と、あと里の人たちと、それとお館様と柱の皆さんですかね……?」

 それと、と僅かに目配せをする。
 恐らく、珠世さんたちも知っているのだと言いたいのだろう。

「……そう、か。
 …………別に炭治郎を脅したい訳では無いのだけれど、どうかくれぐれも気を付けてくれ。
 禰豆子ちゃんの事も、そして炭治郎自身の事も」

 どうして? と首を傾げた炭治郎に、自分の考えを整理しつつ話すと。事の重大さを認識して、炭治郎のその表情が固まった。
 一緒に話を聞いていた、善逸たちも表情を固くするし、無一郎もその眼差しを翳らせる。

「そんな……」

 折角こうして太陽に怯えなくても済む様になったのに、その所為で鬼舞辻無惨が存在する限りは子々孫々に至るまで鬼舞辻無惨の影に怯え続けなくてはならなくなるのか、と。
 禰豆子の身に訪れるその過酷な運命に、炭治郎はその身を震わせる。
 自分も狙われ得る存在であると言う事も衝撃的であったけれども。
 それ以上に、禰豆子の幸せが損なわれる事に激しい衝撃と怒りを感じている様だった。

 その様子に、禰豆子は心配そうにその眉尻を下げながら。
「だ、だい、だいじょう、ぶ?」と、そうおずおずと声を掛けてくる。
 そんな禰豆子の頭を、炭治郎は「大丈夫」だと撫でるけれど。その表情は硬い。
 その様子を見て、脅かし過ぎてしまっただろうかと溜息を吐いて。
 そして、大丈夫だから、と炭治郎の頭を撫でた。

「……大丈夫だ、炭治郎。鬼舞辻無惨を、倒せば良いんだ。
 そうすれば、全部解決する。
 俺も、出来る限りの事はするから。
 だから、必ず鬼舞辻無惨を倒そう」

 こくりと頷いた炭治郎に、善逸と伊之助と玄弥が「俺も力を貸すぜ」とばかりに声を掛けて、そして無一郎も頷く。
 どの道、鬼舞辻無惨は倒さねばならないのだから、倒す理由が一つ増えただけだとも言えるのかもしれない。

「でも、鬼舞辻無惨は何処に居るのかも分からない神出鬼没の存在ですし、何時遭遇出来るか……」

 鬼殺隊が千年以上も辛酸を舐める事になったその原因である鬼舞辻無惨の性質を思い返してか、炭治郎は少し暗い顔をする。
 そう、鬼舞辻無惨は此方側から追い掛けるには、単純なその強さだけでは無く余りにも厄介な性質を備えているし、更には空間転移の血鬼術の所為で神出鬼没である。ろくに追跡する事も難しい。
 倒さねばと言う気持ち一つでどうにかなるなら、そもそも縁壱さんの時代には確実に消滅しているだろう。
 そうはならなかった事こそが、鬼舞辻無惨の厄介さを物語る。
 とは言え、ならば向こうから動かざるを得ない状況にすれば良いのだ。
 そして、その為の餌は既に撒いた。

「ああ、それなら。多分、どうにかなる……と思う。
 恐らく、鬼舞辻無惨はまだ禰豆子の事は知らないだろうから、俺の事を狙ってくるだろうし。
『青い彼岸花』で脅したからな。
『青い彼岸花』を根絶やしに処分されたくないなら、さっさとかかって来いって」

 禰豆子の事を知られてしまえば、「青い彼岸花」よりもそちらの方が優先度が高くなるだろう。
 その場合、即座に禰豆子を確保しようとするかもしれないし、或いは此方の寿命切れを狙ってから悠々と禰豆子か或いはその子孫を確保しようとするのかが読み切れないけれど。
 禰豆子の事がまだ知られていない現状なら、鬼舞辻無惨にとっては「青い彼岸花」は千年求め続けていたまさに喉から手が出る程に欲し続けていたものであろう。
 さっさと動かなければ最悪それを全て処分されるとなれば、幾ら何でも多少は何らかの動きを見せると思う。
 そして、そうやって動かざるを得ない状況にしつつ、その根城を消し飛ばした事で多少なりとも此方側も鬼舞辻無惨を迎え撃つ為の時間を作る事が出来ている筈だ。
 慎重で臆病でどうしようもない性格であると言うのなら。
 自分にとって絶対の領域であるあの常夜の城を抜きに自分と対峙しようとはしないだろう。少なくとも、あの城が復元されるまでは大人しくしている筈だ。
 ……そしてきっと、その際には。
『明けの明星』などであの常夜の城諸共再び消し飛ばされる事を阻止する為にも。
 あの常夜の城に、恐らくは何かしらの人質を呼び込むであろうけれど。
 その人質として選ぶ対象が何なのかと言うと。それは恐らく鬼殺隊の隊士たちだろう。
 臆病な割によく分からない所で謎の大胆さと傲慢さを見せる鬼舞辻無惨は、恐らく一石二鳥とばかりに、常々目障りな存在であり隙あらば壊滅させてきた鬼殺隊を今度こそ滅ぼそうとする事は容易に想像出来る。
 珠世さんから聞き及んだ「鬼舞辻無惨」はそんな存在であった。
 まあ何れにせよ、その内自分を襲いに掛かって来ると思う。

「『青い彼岸花』を……?
 でも、俺たち、それを見付けた訳では……」

「まあな。でも、本当にそうなのかを鬼が確かめる術は無いんだ。
 第一、鬼以外は知らない筈の『青い彼岸花』の名前を出されたんだ。
 それを無視なんて出来るとは思えない。
 それに……元々俺は『陽光を克服出来る鬼』になれると目されて鬼舞辻無惨から狙われているみたいだ」

「青い彼岸花」に関しては要はハッタリなのだけど、とそう言うと。炭治郎は成程と頷く。炭治郎は噓を吐く事が本当に苦手らしいので、そう言ったハッタリをかます事は考えた事も無かったのかもしれない。

 その時、炭治郎以外の全員が、その首を傾げた。

「後で聞こうと思っていたんだけど、『青い彼岸花』って何の事?
 上弦の壱と参にも、最後にそう言っていたよね」

 無一郎のその疑問の言葉に、伊之助もそうだそうだとばかりに頷く。
 まあ確かに、二人と煉獄さんからすれば、あの時のあれは突然意味不明な事を言い出した様にしか聞こえなかっただろう。

「ああ……とは言え、俺もそう詳しく知っている訳では無いのだけど。
 どうやら、鬼舞辻無惨にはずっと探しているものが二つあるらしいんだ。
 一つは、『太陽を克服した鬼』。
 それを探し出す為に、鬼舞辻無惨は千年もの間ずっと人を鬼に変えている。
 そしてもう一つが『青い彼岸花』。
 ……正直何でこれを探そうとしているのかは俺には分からないし、そもそもその『青い彼岸花』とやらがどんなものなのかは全く分からないんだけど、とにかくこの二つを探しているらしいんだ」

『太陽を克服した鬼』の事に関しては、鬼殺隊の中でも元々ある程度は推察されていたからまだしも。『青い彼岸花』の事は初耳だったのか、無一郎は「そうなの?」と驚いた様な顔をする。

「そうだとしても、どうして悠がそれを知っているの?」

 当然と言えば当然の疑問に、どう答えるべきかと少し迷う。
 珠世さんの事はまだ言えない。
 珠世さんからの返事がまだ届いていないのだし、言うにしても先ずはお館様に話を通してからの方が色々と良い筈だ。

「ああ、それは……。……まあ色々とあってな。
 俺たちも割と偶然にそれを知ったんだ。
 ちょっと半信半疑ではあったんだけれど……、ただあの最後の反応を見るに、鬼たちが『青い彼岸花』を探しているってのは間違いが無いんだと思う」

 そう答えるとそれ以上はどうでも良かったのか、「そうなんだ」と無一郎は頷いた。
 そこで「青い彼岸花」の話題は途切れる。まあこれ以上話せる事は本当に無いのだけど。
 そして、今度はお互いの戦いがどんなものであったのか、と言う話になった。
 
 玉壺の悪趣味極まりない「作品」の話には、炭治郎たちはその額に青筋を浮かべて。
 無一郎と伊之助の陥った絶体絶命のピンチにはハラハラした様な顔をして。
 最後の悪足掻きとばかりに繰り出してきた、魑魅魍魎の濁流の様な怒涛の攻撃と、それを掻い潜って見事に一刀の下にその頸を落とした無一郎の鮮やかな一撃には、感嘆した様な声を零して。
 その直後襲い掛かって来た黒死牟と猗窩座との戦いの話では、獪岳と善逸はかつて対峙した黒死牟を、炭治郎は手も足も出せなかった猗窩座の事を思い出したのか苦い顔をして。
 後僅かの所まで猗窩座の頸を落とし掛けた事には全員が手に汗を握り。
 そして、最終的に撃退した事に、安堵した様な溜息を零す。

 そうすると今度はこっちの番だとばかりに、炭治郎たちは自分達の戦いを代わる代わる話始めた。
「喜怒哀楽」に分裂した鬼たちの多彩な攻撃と、逃げ回り続ける野鼠程度の大きさの小さな『本体』。
 何度追い詰めてもその度に逃げ回り新たに強力な分身を生み出し、自分を「か弱い存在」であると言い募るその卑劣な性根そのままの戦い方。
 恐ろしい攻撃の嵐を駆け抜けてその場の全員を助けてくれた甘露寺さんと宇髄さんのその頼もしい姿。
 恐ろしく硬い頸に何度もその刃は阻まれたが、最終的に五人で力を合わせてその頸を落とす事に成功した事。
 炭治郎たちの語るそれは、まさに手に汗握る様な一進一退の攻防であった。
 本当に、無事で何よりだ。

 ……それに。
 そっと善逸と獪岳を見る。二人でワイワイと話しているそれは、黒死牟の手から助け出したばかりの時のそれとは全く違う。
 お互いに、良い方向に歩き出す事が出来たのだろう。
 そこにどんな心境の変化があったのかまでは分からないけれど、獪岳の表情は随分と良いものになった。
「芯」とでも言うべきものが、その心の中に通った感じだ。
 間違いなく、良い変化だと思う。
 きっともう、虚無のままに道を誤る事は無いだろう。
 いや、もし道を間違えそうになったとしても、きっとその心の中に在る大事なものがそれを止めてくれる筈だ。
 そんな獪岳を見る善逸も、とても嬉しそうだ。
 自分には心の匂いや音を知覚する事は出来ないけれど、でもきっと、今この瞬間の善逸の心からは、「幸せ」や「喜び」に似たそれを感じるのだろうな、と思う。
 自分は、善逸と獪岳の力になれただろうか?
 ほんの少しでも、そうであれたら良いと思う。
 自分が黒死牟と猗窩座との戦いの最中に二人に助けて貰った様に、自分も二人を助けられていたら、と。……そう思うのだ。

 自分は、善逸の「願い」に応えられたのだろうか。
 善逸がそう望んだ様に、『神様』として。


 考えなくてはならない事も、備えなくてはならない事も、まだまだ沢山あるけれども。それでも、こうして全員で無事に生き延びる事が出来たのだ。
 きっと、これからも何とか出来ると。そんな未来を信じたい。
 誰一人欠ける事無く、全員で鬼舞辻無惨を倒した先の夜明けを笑って迎える事は出来るのだ、と。


 その後も七人でワイワイと話し合っている姿を、禰豆子はニコニコと笑って見ているのであった。

 




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