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魂の慟哭

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「君達人間は事有る毎に、やれ『人の誇り』だの、『人の矜持』だのと嘯いては、無意味に戦い無意味に死ぬ。
 どうせ絶望の内に死ぬ事に変わらないのなら、さっさと諦めるなりして、自らの首を掻き切って死んだ方が、屍兵どもに嬲られ生きながらにして食い散らかされるよりは、余程楽な死に方だと僕は思うけれどもね。
 じゃあそうやって戦うなら何かに『希望』を見出すなりしているのかと思えば別段そう言う訳でもなく、唯々無意味に無価値に命を散らし、骸の山を築き上げていく。
 全く以て不可思議でしょうがないよ。
 君達にとって『ヒト』である事は、そしてそこにある誇りだの矜持だのと……僕からすれば何の意味も無く役にも立たぬ曖昧な概念如きには、その個体としての生存や安寧を投げ捨ててまで貫き通す価値があるものなのだろうか? 
 それは、人々の『最後の希望』……人間どもの無責任な『願望』の矛先たる君にとってもそうなのかな?」


 そう言いながら、くつくつと喉の奥を鳴らす様にして。
 目の前の男──邪竜ギムレーは、囚われ鎖に戒められ身動きすらままならぬルキナを、蔑む様に見下ろした。

 本来は命溢れ希望に満ちていた筈のこの世界を、死と絶望と恐怖だけが支配する荒廃した、命果て行く世界へと変えてしまった全ての元凶。
 この世を嫌悪し、命を憎悪し、希望を唾棄し、死と絶望と滅びのみを『是』とする、狂い果てた邪悪なる、神にも比肩する力を持つ神話の化け物の如き竜。
 伝説の中より再びこの世に甦ったその竜は、こうして見るとまるでヒトの様にも見える。
 だが、この姿は所詮は仮初めのものでしかなく。
 邪竜の本性とも呼ぶべき竜としての姿は、連なる山々すらもその翼の端にすら届かぬ、まさに見上げた天を覆い尽くす程に巨大な異形の怪物の様な竜だ。
 ルキナがその姿を直接目にした事があるのはただ一度だけだが、成る程あの強大な姿からすれば、人など本当に塵の様な大きさにしか映らぬであろう。
 ヒトが、足元を這う蟻を気にも留めずに踏み潰し、そして踏み潰した事すら気付かぬ様に。
 この邪竜からすれば、自らの行為でヒトが幾ら死に絶えようが、それはヒトの感覚の尺度で当て嵌めるならば、精々蟻を列を踏んでしまった程度のものでしかないのかもしれない。
 尤も、ヒトは蟻の存在に対して何も気を払わぬからこそ、道理の分からぬ無邪気で残酷な幼子でもなければ一々蟻の巣に熱湯を掛けて無闇に蟻達を虐殺しようなぞとはしないけれども、この邪竜は寧ろ……人々を絶望の内に死に至らしめる事こそを喜びとし目的としているのだ。
 その本質は邪悪にして、ヒト……否この世のありとあらゆる命にとっては、決して相容れる筈も無い、そんな滅びと死の化身の如きもの。
 父である聖王クロムの死とほぼ時を同じくしてこの世に蘇ったこの邪竜と、ルキナ達人間は戦い続けてきた。

 ……とは言え実際の所は、邪竜が戯れの様に世界に解き放ち、命巡る大地を蹂躙しながら蠢き人々を襲う怪物……ヒトの屍の成れの果てである屍兵達の侵攻を何とか押し留めるだけでも既に精一杯で。
 時折姿を見せては戯れの様に人々を蹂躙し鏖殺していく邪竜の侵攻によって、人々の生存圏は削り取られていき……もう今となっては、かつてと比べればほんの一握りしか残っていない僅かな土地に、辛うじて生き延びている人々が身を寄せ合いながら生きているのみだ。
 食料も何もかも足りないこの世界では、人々は徐々に戦う力もその術も喪っていって……。
 この世で唯一邪竜を討ち倒す力を持つ神竜の牙──神剣ファルシオンを振るう事の出来るルキナを『希望』の旗頭としてどうにか物資を搔き集められているイーリス軍程度しか、最早この世界には組織だった戦力は存在しない。 
 点在する村や町は、各自で傭兵を雇うなりしてどうにか屍兵の襲撃に対処しているのが現状である。

 ギムレーを討つには神竜の真なる力をファルシオンに蘇らせる必要があるが、その『覚醒の儀』の為に必要な『炎の紋章』──それを構成する『炎の台座』と五つの『宝玉』。
 そのどれもが、聖王クロムの時代よりも随分と前からイーリスより散逸してしまっていて。
 唯一イーリスが保有していた『炎の台座』と『白炎』も、かつて先々代聖王エメリナが暗殺された際の混乱の最中に何者かによって奪われてしまっていてそれ以降杳としてその行方は知れないままとなっている。
 ただでさえ世界各地に散ってしまっていたそれを探し出すのは難しい事であったと言うのに、更には世界がこうなってしまっていては記録を辿って捜索する事すら儘ならない。
『宝玉』探索へと旅立った仲間達はその消息すら知れず、そして刻一刻と人々は滅びゆこうとしていた。

 仲間達が目的を達してイーリスへと帰還するのが先か、或いはイーリスが陥ちてこの世全ての命が滅び去るのが先か。
 最終防衛線の維持すらままならぬ程に、人々は追い詰められていた。

 そもそもの話、もし邪竜が屍兵を主戦力とした人々を長く苦しめる為の戦いを止めて、自らが表に出てその圧倒的な力を思うがままに奮い始めれば、半月も耐える事無くこの世から邪竜以外の命ある者は全て消し飛ばされてしまうだろう。
 皮肉にも、邪竜の暇潰しの様な戯れによって、人々は辛うじて生かされていると言っても良かった。

 人々が邪竜に敵う余地があるとするならばその慢心を突いて一気に攻勢を掛ける事ではあるけれど、最早世界の滅びすら暇潰し程度にしか思っていない邪竜であっても、人々の動向には常に目を光らせていて。
 万が一にも自分を脅かす事が無い様にとしている為、邪竜に気取られずそれを準備する事はほぼ不可能だろう。
『炎の紋章』を完成させたとして、儀式を行う為の『虹の降る山』に向かうまでに邪竜本人に襲撃されればルキナ達が生き延びる術はなく、またそうでなくても『虹の降る山』を落とすなりして儀式を妨害する手段は幾らでもある。
 結局、この戦いは圧倒的なまでに邪竜の勝利に終わる様になっているのだ。
 答えの見えきった戯れは詰まらないとばかりに、邪竜は幾つかはわざと穴を残してはいるけれども。
 しかしその穴すら、全て邪竜の掌の上である。

 そんな状態でどうやって邪竜を討ち倒せと言うのだろうか。
 人々は『最後の希望』としてルキナを縋るけれども、ルキナの方こそ『希望』とやらを指し示して欲しかった。
『神の奇跡』とやらを愚直に信じ祈り続けられる程にルキナは愚鈍でも純粋でもなく、しかし幾千億の可能性の果てからたった一つの『希望』を見付け出せる程に卓越した天賦の頭脳を持ち合わせている訳でもない。
『希望』を託されながらも、それに最も見放され絶望し押し潰されているのが他でもないルキナであった。
 奇跡的に邪竜を討ち倒した処で、ここまで徹底的に文明も環境も破壊され尽くした人類に、果たして復興することなど可能なのだろうかと……そうも頭の片隅で思ってしまう。
 無論そんな事、口が裂けても言葉に出来る筈がない。

 この世で一番、他でもないルキナだけは決して口にしてはならぬ言葉だからだ。
 しかし現実とは何処までも非情であり、如何に目を反らしていようとも、最早不可逆な状態にまで人の世が滅びてしまっているのには変わらない。
 だが……邪竜を討った先にあるのが、ヒトの世の果てなき黄昏となるのだとしても、このまま何もかもを邪竜に滅ぼさせる訳にはいかない。
 例え種が上手く芽吹かない事は分かっていたとしても、その種すら邪竜によって消し飛ばされていては、何も生まれず何も残せないのだ。
 だからこそルキナは剣を手に、終わりの見えない……救いを差し伸べる手など無く、託された願いと祈りを胸にファルシオンのみを支えとしなければならない……そんな戦いを続けてきた。

 しかし、一体何の戯れであったのか。
 それとも、何とも無慈悲な程の偶然であったのか。

 ルキナ達が屍兵の討伐に赴いたその地に、ギムレーが現れたのだ。
 それまでルキナが居る地には意図しているのか否かは不明だが、ギムレーが直接に侵攻をかける事はなく。
 それを、ルキナを『最後の希望』と担ぐ人々は『神竜の加護』だなんて言っていたけれども……。
 それはきっと……いや恐らく、全く以て違うのだろうとルキナは半ば確信している。

 結局の所、邪竜にとっては全ては戯れでしかなかったのだ。
 世界を滅ぼす事も、そして自らに対抗する旗頭として……まるで人身御供であるかの様に祀り上げられた無力な少女が人々の『希望』によって磨り潰されながら戦い続けている事ですら、邪竜にとっての退屈凌ぎでしかなかった。
 ヒトの苦しみや絶望の感情を何よりもの愉悦とする邪竜にとって、ルキナはさぞ愉しい観察対象であったのだろう。
 邪竜から見たルキナは、戦う理由も意志も力も覚悟も持ちながら……それでいて恐らくはこの世の誰よりも『希望』を持っていない者だっただろうから。

 しかしその戯れにも厭きたのか何なのか。
 邪竜はルキナ達を襲い、そしてあっさりと……それはもうあまりにも呆気なさ過ぎてともすれば乾いた笑いが込み上げてしまいかねない程に、最早比べる意味すらない程のその力の格差に絶望すら感じる暇すら与えられる事もなく、滅び行くこの世界では間違いなく最強の……精鋭中の精鋭だった筈のイーリス軍本隊が、邪竜のただの一息で文字通り灰塵に帰してしまった。
 ルキナが彼等と同じ運命を辿る事が無かったのは、邪竜の気紛れの様な偶然の結果でしかなくて。
 そこに、『神の加護』やら『奇跡』やらの様なものが介在する余地は欠片程も存在し得なかった。

 しかし、あの場で死ななかった事が果たして喜ぶべき事であるのかは、ルキナには分からない。
 こうして、邪竜の手に囚われたルキナの手には当然の如くファルシオンは無い。
 邪竜が何れ程退屈に飽いているのだとしても、わざわざ一度自らの手に堕ちたルキナを解放し、その手にファルシオンを与える程の酔狂はしないだろうし、そんな事を期待出来る程ルキナは楽観的でも無い。
 現にルキナの手足は軽い見た目からは考えられぬ程に頑丈な枷によって戒められ、鎖で壁と床に縫い留められている。
 この状態から邪竜の目を掻い潜って逃げ出すのは、全く以て不可能な事であり、最早ルキナには何も打てる手は無い。
 ここで邪竜に戯れ同然に嬲り殺されるか、或いは自らの手に堕ちたルキナに飽いた邪竜から放逐され水も食料も得られぬまま餓死するか……或いは何かの気紛れで虜囚の身として監禁されながらも辛うじて生かされるか……。 
 まぁ、その程度の未来しかないだろう。

 ならばこそ、せめて。
 最早何も出来ないのだとしても、それならば最後まで、この『意志』を、『ヒトとしての誇り』を持ち続け、せめてその心と魂だけは邪竜に屈しなかったのだと……。
 その事をせめての誉れとしてこの命を終えようと、そう思っていたのだけれども。
 しかし死への覚悟は、邪竜の問いかける様なその言葉によって僅かに水を差された。

 邪竜の問いかけに、ルキナは半ば反射的に言葉を探す。
 ここで何を答えようが答えまいがルキナのこの状況が好転すると言う事は無い。
 ヒトを絶望に突き落とす事を何よりもの悦びとするこの邪竜との問答など、本来するべきでは無いのだけれども。
 それでも答えようとしてしまったのは、まだ諦めたくないと……そう思う心の深層が突き動かしたからであろうか。


「『誇り』があるから、人は最後まで人として生きていける。
 それさえ失くしてしまったら、生ける屍と同じです……」

「ふぅん? ヒトとして生きるも、『誇り』とやらを喪いただの動く肉塊同然に生きるも、僕からすれば大差が無いものであるとしか思えないけれども……。
 どうやら君達にはそうではないのだね。
 虫けらの『誇り』なんて、僕が僅かに息を吹きかけるだけでも消し飛んでいくようなものだろうにね。
 いや逆に虫けら同然だからこそ、そんなものに縋らないと自分達として在る自信すら持てないのかもしれないか……。
 成る程哀れな程に脆く醜いと言うのも、色々大変なんだね。
 しかしまあ、『誇り』と君達は皆そう口にするけれども、それはあまりにも実体のない……ともすれば一個体毎にその定義は違うモノの様に僕には思えるのだけれども。
 ならば君にとっての『誇り』とやらは、君がヒトとして生きる為のそれは、一体何なんだい?」


 邪竜はその紅い瞳に好奇心の様な輝きを混ぜ込み、そしてルキナのその心を見透かすかの様に問い掛ける。

 ルキナにとっての『誇り』とは、ヒトである事のその根源とでも言うべきものとは……。
 父と母、そして仲間達、ルキナにとって大切な人達の顔が思い浮かび、そして彼らと過ごした大切な時間……幸せだった日々の事が思い起こされる。
 しかしそれは、ルキナの『誇り』を……その根源を支えるものであれど、それそのものと言われればやはり違う。
 自分である事の証、『それ』を以て自らであると胸を張れるもの……それは……。


「私にとっての『誇り』とは……。
 私自身のこの『心』……『魂』です。
 そこに『心』が、『魂』があるからこそ、ヒトはヒトとして生きていける……、それこそが、ヒトの根源だから」


 ルキナがそう答えると、邪竜は一瞬呆気に取られたように目を僅かに見開いて沈黙し。
 そしてその直後に、全てを嘲笑い貶める様な……そんな哄笑を上げて、身を捩る様にして腹を抱えた。
 この世の全てを蔑む様なその哄笑は、止まる所を知らない。


「成る程! 『心』と『魂』! そうきたか! 
 いやはや、やはり君と言う存在は退屈しないね。
 ああ……、別に君のその答えを貶しているつもりは毛頭ないので気に障ったらすまないね。
 成る程それで? 
 君にとって、ヒトをヒト足らしめるのは、『魂』であり『心』であると言う訳だ」


 爆笑していた邪竜は何とか笑いを抑えて、その口元を歪めながらそう言う。
 そして、禍々しいと感じる程に歪な笑みを浮かべて。
 ルキナを戒めていた鎖を手に取る。


「ならば君のその主張に則れば、『心』と『魂』さえ君の物であるならば、君はヒトであるという事になるね? 
 果たしてそうであるのか……一つ証明させてあげよう」


 邪竜の手が、ルキナの目を覆い隠す様に当てられ、邪竜の力によってなのか、ルキナは急速に意識を喪う。
 途切れ行く意識に最後まで残っていたのは、まるでそこに焼き付いてしまったかの様な邪竜の歪んだ笑みであった。




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