このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第五章 【禍津神の如し】

◆◆◆◆◆






 伊之助と時透くんが水の牢獄の中に閉じ込められたその瞬間。
 あの時の……菜々子が拐われたと知ったその時のそれと同じ様な、焦燥感と怒りと絶望が胸の奥から湧き起こった。

 自分の所為だ。自分が油断したから、ちゃんと出来なかったから、間違えたから。
 あの日多分もっと上手くやる方法はあった、あった筈なんだ。
 叔父さんをもっと早く説得していれば何か変わっていたかもしれないし、或いはああやって警察署に連れていかれると分かった時点で陽介たちに連絡していれば。
 そうだ、もっと。もっと自分がちゃんとしていれば、上手く出来ていれば、こんな事にはならなかったのに。
 だから──

 何処かに囚われかけた思考は、二人がもがいた事によって生じた気泡が弾けた音で現実に引き戻される。
 水中に囚われた二人は、抜け出そうとしてどうにか足掻こうとしている様だけれど。
 二人を閉じ込めている液体の粘性が高過ぎるのか、足場らしいものも無い水中ではそれは叶わない様で。
 そして、そうやって動こうとする度に限界は近付く。

 一般的に、水中で息を止めていられるのは入念に準備をしてじっとしていても四分程度、動こうとするなら一分程度だとされている。
 二人は呼吸に秀でその肺は極めて強靭なものに鍛え上げられているので一般人が囚われているよりは呼吸が持つかも知れないが、しかし十分な準備などする様な暇もなく水中に囚われているのだ。
 どれ程長く見積もっても、五分も持たないものだと考えた方が良い。
 酸素が尽きれば低酸素状態になるし、そのまま意識も止まり心臓も止まって数分が経ってしまうと救命不可能な状態になりかねない。
 そもそも、肺に水が入ればそれだけでかなり危険なのだ。
 血鬼術で作られた液体である以上は、それを生み出した玉壺を倒せば肺に水が入ってしまってもその水は消えるのかもしれないけれど。水が肺に入ってしまった事自体による様々なダメージまでもが無かった事にはならないだろう。
 あの童磨とか言う上弦の弐の鬼の初見殺しの様な氷の血鬼術とはまた別の方向性で、この血鬼術は悪質だった。
 一刻も早くあの水の牢獄から二人を助け出さなくてはならない。
 ……でも、どうやって? 
 二人が中に閉じ込められているのにそれを凍結させる事なんて出来ないし、或いは一瞬で蒸発させる程の炎で破る事も出来ない。
 イザナギなどを召喚して強引に引っ張り出すのが一番手っ取り早いのか? 

 一瞬の内に脳裏を巡った思考とはまた別に、身体は反射的に二人へと手を伸ばす様に動いていた。
 しかし、それは届かない。二人を助け出すには、足りない。

 脱皮して半蛇の化け物の様な悍ましい姿を以て『真の姿』とやらを現したのだと玉壺は嘯き煽って来るが、そんな事はどうでも良い事だった。
 繰り出してくる拳も、別にそう脅威と呼べる程度のものでは無い。『真の姿』とやらになると肉弾戦を挑んで来るのかと感じた程度であり、十分に見切って余裕を以て回避出来る程度だ。
 激し過ぎる怒りが他の雑念を抑制するからか、思考は寧ろ何時もより冴えている位で。その動きの一つ一つをじっくりと観察するだけの余裕すらあった。
 こんなにも激しい怒りを懐いたのは、クニノサギリと対峙した時以来だろう。
 どうやれば一番良いやり方で相手を殺せるのかを冷徹に考え、実行させようとする思考が己の内で頭を擡げてくる。
 玉壺の拳が触れたものが、生物・非生物を問わず魚に変わった事には少しばかり驚いたが、要はギリシャ神話の『ミダス王の手』みたいなものなのだろう。彼方は黄金で、此方は魚と言う違いはあるが。
 魚に変化した地面の範囲を見るに、触れられた部分が魚に変化するだけで、掠った瞬間に全身が魚になると言う訳でも無いだろう。まあ、そもそも触れさせなければ何の問題も無い事だ。
 そしてそれは別に難しい事でも何でも無い。
 玉壺は己がまだ本気を出して無いなどと嘯いているが、だから何だと言うのだろう。それで慄くとでも思ったのか。
 玉壺のその動きは、クニノサギリに操られていた陽介に比べればずっと遅い。
 玉壺の戯言など、不快になるだけなのだし本気でどうでも良かった。
 今の自分にとって大切なのは、目の前の存在を殺せば確実に二人を助けられると言う事だけだ。
 なら、一瞬で消し飛ばせば良いのだ。

 里への被害も考えて少し威力を抑えつつ『メギドラ』で消し飛ばそうと、そう意識を僅かに集中させようとしたその時。
 何かの予兆を感じ取ったのか、《《その力を使うなら》》己の術の支配下にある二人を殺すと、玉壺は脅しをかけた来た。
 そして、それがただの口からの出まかせでは無い事を示す様に、水中に捕らえた二人を嬲る様に攻撃する。
 二人は、自分に対する人質だ。だから、本当にそれで嬲り殺す事は無いだろう。その筈だ。
 だが、相手は鬼だ。人の命を奪う事など何とも思ってなどいない……寧ろそれを快楽と共に弄ぶ事すらする紛れも無い悪鬼である。
 人質のつもりだったが弾みで……、なんて事も平気で起こり得るだろう。
 そして何より、水中に囚われている時点で猶予は殆ど無い。
 しかし、自分が何か動くよりも先に、玉壺は二人の命を奪えてしまう事も事実だ。
 念じるだけで二人を助けられる訳では無い以上、どうしても僅かに隙は出来てしまう。
 二人の生殺与奪の権を完全に握られている以上、下手な動きは出来なかった。
 ……このままでは不味いとは、分かっていても。
 そして、当然此方のそんな心情を分かり切っているからか、玉壺は嬲る様に攻撃を仕掛けて来る。
 それを回避する事は容易い。だが、僅かにでも反撃に出ようとした瞬間に、己の手の内に捕らえた二人に危害を加えようとする。その為、回避する事しか出来ない。
 囚われた時透くんは、そこから脱出しようとしてか呼吸の型を使った様だけれど。
 その水の牢獄は時透くんの力を以てしても破る事の叶わぬものであるのか、その抵抗は惜しくも後僅かの所で力尽きてしまう。

 ── 血鬼術 陣殺魚鱗!! 

 調子に乗ったかの様に、玉壺は激しく動き回っては周囲を破壊し、そしてその手で触れたものを魚へと変えていく。
 そして、此方を嘲笑うかの様に、伊之助と時透くんを。
『何の役にも立たない』、『無意味で無価値なもの』だと嘲弄する。
 その瞬間、心の奥底から轟々と音を立てるかの様に嚇怒の炎が湧き上がって来た様にすら感じた。

「……ッ! 無意味なんかじゃない、無価値なんかじゃない! 
 何の役にも立たない、だと? ふざけるなっ!!! 
 そんな事、お前が決める事じゃない。
 人の価値を、人である事を放棄したお前が囀るな……! 
 俺の仲間を、友だちを……! 大切な人たちを侮辱するな……!!」

 かつて人であった事も忘れて人ですら無いものに成り果てて、己の欲望のままに命を喰い荒らす事しかしない者に。
 一体何が分かる、何を量れると言うのだ、と。
 その想いは、己のものとは思えない程の激しい咆哮となって、周囲を震わせる。
 燃え滾る様な怒りが、身体を突き動かす。
 玉壺が二人に何かをするよりも一瞬でも早く、完全にこの世からその存在を抹消しようと、己の心が吼える。

 そして、その瞬間。
 二人を捕らえていた水の牢獄は、突如破られた。

「水獄牢を脱けただと!? 何故だ!」

 それを破られるとは思っていなかったのか、玉壺は驚いた様に声を上げる。
 自力で牢獄を破った時透くんは、既に意識が無いのかぐったりとしている伊之助を抱えて、苦しそうに咳き込みその口から水を吐き零している。

「大丈夫か!?」

 玉壺の意識の隙を突いて、一息で二人のものへと駆け寄る。
 伊之助の心臓はまだ止まっていない様だけれど、呼吸は止まる寸前に近い状態になっていた。
 少なくはない水を飲んでしまっている時透くんも、無事とは言い難い。
 地力で脱出出来た事は本当に素晴らしいが、このままでは身動きも儘ならない為危険である。
 その為急いで二人を回復させると、伊之助もゴホゴホと咳き込みつつ水を吐き出して息を吹き返した。

「ホホッ、どうやら手を抜き過ぎて拘束が緩くなっていた様だな。
 だが、ならば念入りに潰して殺すまで」

 己の自慢の血鬼術が破られた事に動揺していた玉壺は、それを「己の油断」と片付けて、ならばと何処からともなく壺をまた取り出してそこに己の手を入れる。
 すると、玉壺の攻撃によって魚に変わってビチビチと蠢いていた地面の至る所から、瞬時に蛸足が噴き出て来た。
『真の姿』とやらになってご自慢の手で殴り掛かって来るしか能が無くなったのかと思ったが、どうやらその姿でも壺を介した攻撃はしてくるらしい。

「無数の蛸の肉に押し潰されて愛らしい鮮魚になりながら擂り潰されるが良い!!」

 ご丁寧に、その攻撃の意図まで教えてくれる。馬鹿なのだろうか。
 とは言え、触れたものを魚に変えると言う玉壺の手の性質が付与されたこの蛸足を不用意に日輪刀で斬る事も不味いだろう。日輪刀が魚に変わってしまったら目も当てられない。
 成る程、確かに本来なら必殺にも等しい一撃なのだろう。
 しかし。

「煩い。お前のその『芸術』とやらはもう見飽きた」

 瞬時に呼び出した『イザナギ』が巻き起こした雷の嵐によって、此方を押し潰さんと所狭しとうねりながら迫って来ていた蛸足は、何に触れる事も無く全て消し飛んだ。水分が豊富だったのでさぞ良い弾け飛び方をした事だろう。
 そしてその雷の一撃は、玉壺の身体も打ち据える。
 流石は上弦の伍と言うべきか。一発や二発流れ弾の様な雷撃が当たった程度では消し飛びはしないが、しかしその気色の悪い半蛇男の様な半身は蛇の丸焼きの様に黒焦げになる。
 このまま完全に蒸発するまで雷を落とし続けるのもそれはそれでありかもしれないが、こんな奴に使う時間が惜しいし、炭治郎たちを助けに行かねばならないのに此処で無意味に消耗してしまう訳にもいかないだろう。

「何故だ! 何故だ、何故だァァ!! 私はあの方から力を与えて頂いているのに! 
 それで何故此処まで! 
 まだだ、まだ私は本気を出していない!」

 たった一瞬でほぼ全てが消し飛んだ衝撃からか、玉壺は喚き散らす様に叫ぶ。
 本当に煩いし見苦しい。
 玉壺の存在と発言にイラっと来たのか、回復してもまだ少し咳き込んでいた時透くんも、そして腕の中に抱えられながら水を吐いていた伊之助も。
 己の日輪刀を固く握りしめて玉壺に対峙する。

「本当に、鬼って連中はどいつもこいつも見苦しいんだね。
 仮にも上弦の伍のクセに。いや、だからこそ見苦しいのか」

「散々好き勝手やってくれやがって! その気色悪い身体を丸ごと、絶対細切れにしてやる!」

 呆れた様に、何処か馬鹿にした様な顔でそう煽る時透くんと。
 そして、腹に据えかねると言わんばかりに闘志を漲らせる伊之助と。
 そんな二人に、玉壺は焼け焦げた身体を再生させながら言い返す。

「舐めるなよ、糞餓鬼どもめ。
 高々十数年しか生きていない分際でその様な口を利いて許されるとでも?」

 その身体を蜷局を巻きながら持ち上げる様にして、そう脅す様に玉壺は言うが。そんなものが通じる相手は此処には居ない。

「何百年も無駄に歳だけ食ってきた事を自慢されてもなあ」

「百足みてぇに無駄に足が沢山だった姿から、ニョロニョロと更に気持ち悪ぃ見た目になってるじゃねぇか」

「その十数年しか生きてない糞餓鬼を相手に、人質を取って嬲ってたのに?」

 三者三様のその答えに、玉壺は苛立った様にそのこめかみに青筋を立てる。
 どうやら、玉壺は人を煽る割には直ぐに煽られる様だ。
 現代でSNSとかネット掲示板とかをやれば直ぐに自ら大炎上するタイプなのだろう。

「この美しく気高く優雅な完全なる『芸術』そのものの姿の素晴らしさを理解出来とは……哀れな者達だな」

 美しさも気高さも優雅さも、何一つとして微塵も感じられない姿を誇らし気にそう言いだす。
 それには、流石に三人揃って首を傾げてしまった。

「お前……変な位置に眼が付いてるから、鏡とかちゃんと見えてねぇんじゃねえの?」

「すまないが、『美しさ』や『気高さ』や『優雅さ』という言葉に、俺が知らない別の意味があるのか?」

「鼻がもげそうな位臭いし、ただただ気持ち悪いし……。
 あ、ごめん。美意識が根本から歪んでいるからそうなっているんだろうね」

 時透くんはかなり煽る為にそう言っているのが分かるが、伊之助は本気でそう言っている。
 そして、玉壺がそれに何かを反論する前に。
 時透くんは「うーん……」と首を傾げた。
 どうしたのかと訊ねてみると。

「いや……さっきから気になってたんだけど。
 アイツの壺、何か形が歪んでない? 
 左右対称に見えないんだよね、下っ手くそだなあ」

 その時透くんの一言は、どうやら玉壺の逆鱗に触れたらしい。
 まるで瞬間湯沸かし器の様に瞬時に沸き上がって、玉壺は怒りのままに吼える。

「それは貴様の目玉が腐っているからだろうがアアアアッ!!! 
 私の壺のオオオオ!! 何処が歪んでいるんだアアア!!!」

「壺と言うか、あいつの眼の位置がおかしいから、自分の作った物が正しく立体的に見えていないんじゃないか? 
 歪んでいるのはあいつの視界だろうな、多分」

 立体視は中々繊細なものなので、その可能性はあるだろう。
 自分では歪んでいない様に見えていても、傍から見れば……と言う事だって有り得るだろうし。
 確かにな、と伊之助も頷く。

「アアアアアアアアアアッッ!!??」

 ブチブチと、体中の血管が切れたかの様な音が玉壺から聞こえる。
 まさに怒髪天を衝いた様な勢いで、玉壺は壺を一気に取り出して、そこから再び怒涛の勢いで血鬼術の化け物たちを放出する。
 針を吐き出す金魚に、毒の魚に、蛸の足にと。
 空と地上とを埋め尽くす勢いのそれは、何とも悍ましい光景である。
 恐らくその全てに、触れるだけでそれを魚に変える様な力も付与されていると見た方が良いのだろう。

 数千匹近い金魚たちが吐き出してきた膨大な量の針を時透くんと伊之助が全て斬り伏せて叩き落す。
 空中から猛突進して来た毒の魚たちは全てイザナギの『雷神斬』で斬り飛ばして、そしてのたうつ蛸の足の間を、うねる様な動きで凄い速さで跳び回りながら此方に襲い掛かって来る玉壺の攻撃を三人で避ける。

「貴様らはその醜い頭を捥ぎ取って、愛らしい魚の頭に挿げ替えてやろう! 
 そこの『化け物』も、正しい『芸術』を解せぬその歪んだ眼は抉り出してくれる!!」

 玉壺は特に時透くんを集中的に狙っている様で、その動きを執拗に追い掛ける。
 だが、時透くんは一切焦る事は無く、その動きを避けた。

 ── 霞の呼吸 漆ノ型 朧

 ただでさえ時透くんのその足運びを見切る事は困難極まりない事であるが、『マハスクカジャ』によって引き上げられたその動きは、もう蜃気楼であるかの様な残像にしか捉え切れていないのであろう。
 時透くんの動きに完全に翻弄されている玉壺は、しかし自分が完全に弄ばれた状態だとは微塵も気付いておらず、未だに自分が圧倒的に優位だと思っている様で、寧ろ「遊んでやっている」と思っているらしい。
 不愉快な嘲笑の声を上げながら、無意味にその拳を振り回している。
 当たらなければどうと言う事も無いものではあるが、純粋に「邪魔」だ。
 伊之助と頷き合って、それを仕掛ける。

「俺を無視して余所見してんじゃねーぞ!」

 ── 獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み! 
 ── 雷神斬! 

 時透くんの事に完全に気を取られていた玉壺は、完全に意識の外にあった伊之助の一撃を避ける事は出来なかった。その右肩から噛み千切る様な切り口で腕が落ちて。
 そしてそれとほぼ同時に放った雷神斬の一撃が、左腕を上腕の半ばで切断し、ついでにその胸を深く抉る様に雷で焼く。
 イザナギの一撃に比べると威力はあまり出ないが、イザナギの雷神斬だと伊之助も時透くんも巻き込んでしまうのでこれで良いのだ。

 ガラ空きの胴体を『メギドラオン』などで消し飛ばす事など、恐らくは容易い事だ。
 完全に頭に血が上っている今の状態なら、壺で逃走するという発想すら湧かないだろうから逃がす事も無い。
 だが、そんな事は必要無い。既にその頸は断頭台に掛けられ、刃はもう落とされているも同然なのだから。

 玉壺の反応速度を上回る速さで落とされた両腕は、ほぼ同時に地面に落ちて転がって。状況を把握出来なかった玉壺が、呆けた様に「ヒョッ?」と声を上げたその瞬間。
 その背後に静かに迫っていた時透くんの、赫に染め上がったその日輪刀によって玉壺はその頸を一太刀で斬り落とされる。
 それを全く理解出来ていなかったのか、地面に落ちながらもその顔は何も理解出来ないと、混乱しているかの様に呆けたままだった。

「お終いだね、さようなら。お前はもう二度と生まれて来なくていいからね」

 一拍の後に、己の頸が斬られた事を理解したのか。
 玉壺は崩れ落ちつつあるその頸をどうにかしようと、醜く手を生やしたりしつつ抵抗して喚き散らす。

「くそオオオ!!! あってはならぬ事だ!!! 
 人間の分際で!! この玉壺様の頸をよくもォ!! 
『化け物』にやられるならともかく、悍ましい下等生物めにやられるなどと!! 
 貴様らの命などどれ程積み上げた所で私の方が何百倍も価値があるのに! 
 私は、選ばれし!! 優れた!! 生物なのだ!! 
 弱く!! 生まれたらただ老いるだけの!! 《《詰まらない下らぬ命》》を! 
 私自らが、この手!! 神の手により高尚な作品に《《仕立て上げてやったというのに》》!! 
 この、下等な蛆虫共──」

 その余りにも腐り切った妄言は、その顔スレスレの所に突き立てられた十握剣の刃によって断ち切られた。
 この胸に湧き起こった怒りがそのまま表出しているかの様に、意識していないのにも関わらずその刃は紫電を帯びていて、スレスレの所にある玉壺の頭を容赦無く焼く。
 ギャアギャアと頭は痛みに喚くが、そもそも頭だけでは動きようが無い。
 その汚らしい暴言にもう我慢ならないと言わんばかりの顔で日輪刀を構えて、玉壺の頭を斬り刻もうとしていた時透くんと伊之助が驚いた様な顔をしたのが横目に見えた。
 別に何かをしなくても、そう時を置かずしてこの頭は完全に消え去るだろう。
 既にそこからその血を回収し終えた玉壺の『真の姿』とやらの胴体部分は、もう既に殆ど灰となって消えてしまっているのだし。
 ただどうしても、こいつが消える前に聞かねばならない事はあった。

「お前の腐った価値観なんてどうでも良い。どの道、俺たちに負けて死ぬ事だけが事実だ。
 ただ……人を下等生物と馬鹿にするが、正直今のお前の姿はそれにしか見えない。自己紹介か何かか? 
 まあ、それもどうでも良いんだ。
 聞きたい事は一つ。
 お前が死んだら、お前の手によって『作品』にされてしまった人たちはどうなる? 
 何処かに跡形も無く消えるのか? それとも何処かに放り出されるのか?」

 玉壺と戦う際に見せられたあの悪趣味極まりない『作品』だけではない。
 恐らく、玉壺はあの様な悍ましいものを一つや二つなんて数ではきかない程に作り出している筈だ。
 空間容量を無視する様な血鬼術で壺の中に押し込められているのであろう、かつては誰かにとって大切な命だったその骸を、せめて弔ってやりたかった。
 それに、もし玉壺の死と共に乱雑に適当に其処らかしこに放り出されるのだとしても、それはそれで不味い事になる。そんな猟奇的なオブジェを目にしようものなら、普通に心の傷に成りえるだろうから。

「そんな事、どうして私が答える必要が──」

「このまま静かに消えるのを待ってやるか。それとも消えるまでの僅かな間に、この世に存在していた事自体を後悔して、どうか一瞬でも早く殺してくれと喚き散らす事になるか。
 どっちが良い?」

 イザナギを戻して別のペルソナに切り替えながら、淡々とそう訊ねると。
 玉壺は「ヒィッ」と喉の奥で悲鳴を零す。
 鬼にも状態異常を引き起こす力が有効な事は既に試してある。
 上弦の鬼相手に何処まで通じるのかは分からないが、しかし死に掛けの状態なら普通に効く可能性は高いだろう。そうでなくとも、良い実験になる。
 素直に口を割っても良いし、だんまりでも。正直どちらでも良かった。
 ただ、あまり時間の余裕は無いので、選択の為に与えてやる猶予はほぼ無いが。

「今から五を数える間に選んでくれ。
 五、四、三、二、一……」

 ちゃんと数え上げながら待つと。「分かった」と、玉壺は悲鳴の様な声を上げる。

「私の『作品』は全てとある場所に保管してある! 
 私が消えても、そこに残っている筈だ!」

「その場所は?」

 訊ねてもだんまりを貫こうとしたので、威圧を兼ねて少し強めのペルソナに切り替えて再度尋ねた。
 すると、途切れ途切れにだが、とある場所について口を割る。
 後で連絡して、隠の人たちなどに確認を取って貰う必要があるだろう。
 取り敢えず、その名前をキッチリと記憶しておく事にする。
 そして答え切った事に安堵する様な気配を漂わせている、もうその頭部も殆ど消えかけている玉壺に対して、ペルソナの力を使った。

「── オールド・ワン」

 相手を強制的に老化させると言う、ペルソナ使いにとっては厄介ではあっても放っておけばその内治るし対抗策もちゃんと存在するが故に脅威度は低いその力は。消えかけの玉壺の首に対しては劇的な効果を顕した。
 灰になって崩れ行きつつも老いの影など微塵も無かったその首は、瞬く間に枯れ行く様にして干乾び罅割れて。
 まだ少し残っているその喉から零れる呻き声の様なその声は、年月を感じさせる様な掠れたものになっている。

「老いていく下らない命……だったか? 
 良かったな、お前もその下等生物とやらと同じだ」

 その口は何かを言おうとして微かに動いたが、もう罅割れて崩れ落ちたそこからは何も発される事は無かった。
 ペルソナの力はまだまだ止まらず、まるで早回しの映像を見ている様に玉壺は枯れていく。
 端から灰になって消えて行くのと同様に、枯れ果てきったその首は風化するかの様にも崩れて。
 そして、終には完全に塵一つ残さず消え去った。


「……取り敢えずは、終わった、な。
 まあ少しでも早く炭治郎たちの所に行かないといけないけど」

 玉壺が完全に消え去るのを見届けて、一つ安堵の溜息を吐く。
 まだ炭治郎たちが半天狗と戦っている事は確かなのだが、しかし確実に上弦の鬼を倒せた事は喜ばしい事だと言っても良い事だ。

「うん、そうだね。早く炭治郎たちの所に行かないと」

「炭悟郎たちも戦ってんのか!?」

 頷いた時透くんに、伊之助が驚いた様な声を上げる。
 伊之助はここでずっと魚の化け物や玉壺と戦っていたので、里全体の状況はまだ分かっていなかったのだ。
 大事な仲間がピンチだと言う事で、伊之助は早く行こう行こうと鼻息を荒くする。

「ああ、勿論だ。
 ……それはそうと、時透くんも伊之助も、身体の方は大丈夫なのか?」

 一応ペルソナの力で癒してはいるのだけれど、しかし溺死寸前の状態を癒したのは初めてなのでかなり心配である。
 今の所不調を訴える感じでは無いけれど、しかし二人とも少なからず水を肺に吸い込んでしまっている様なので、気を払っておくべき事なのは確かだ。
 二次溺水と言って、水を吸い込んだ事が原因で少し経ってから呼吸が苦しくなってきたりする事もある。

「俺は平気だ!」

 厳しい山育ちだからな、と。一体それがどう繋がるのかは分からないけれど、伊之助はそうフスンっと鼻息と共に腕を組んで健康体である事をアピールしてくる。
 何度も技を使っていた時透くんの方はと言うと、苦しそうな感じでは無いけれど、しかし何時もと少し様子が違う気がする。
 何処と無くぼんやりとしている事が多いその眼差しが、しっかりとしていると言うか……。

「どうした、時透くん。何かあったのか?」

 そう訊ねると、時透くんは「あの」とそう意を決した様な顔をする。

「僕、思い出したんだ。自分の大切なものを、取り戻せた。
 悠と、炭治郎と、伊之助のお陰だ」

 ありがとう、と。極自然な調子でそう言葉にした。その目からは、ずっと浮かんでいた焦燥感に似たそれはすっかり薄れている。
 ああ、時透くんは自分の記憶にかかった霧を晴らす事が出来たのだ。
 一体何が最後の切欠であったのかは分からないし、それを一々聞き出したい訳では無いけれど。
 思い出したそれは、幸せなものばかりでは無いのだとしても、時透くんにとっては何にも代え難い大切なものだったのだろうとは分かる。
 それを取り戻す為の力に少しでもなれたのなら、それ以上の事は無い。

「そうか、それは良かった。
 時透くんの力になれて、俺も嬉しいよ」

 きっともう時透くんは大丈夫だろう。大切なものが己の心の中にしっかりとある人はとても強い。
 今まで以上に、時透くんは強くなれる。

「ふーん? よくは分かんねぇけど、つまりは俺のお陰という訳だな!」

 俺を崇め讃えても良いぞ、と。そんな事を言い出す伊之助に、時透くんは少しおかしそうに笑い出した。
 今までなら、真顔で正論を言って切って捨てていただろうに。
 時透くんは、やはり確実に変わったのだ。それもきっと、とても良い方向に。
 そうやって小さな事で笑えるなら、きっとこれから先も大丈夫だと、そう思う。

「あと、僕の事は無一郎で良いよ、悠」

 寧ろそう呼んで、と。そう言われて。
 時透くん……いや、無一郎に、分かったと頷いた。
 その時、無一郎との間に生まれていた【月】の絆が、完全に満たされ切った事を感じ取る。
 八十稲羽で『真の絆』を結んだ時と同じその感覚は、懐かしくも温かい。
 そして、それは自分に更なる力を与えてくれる。
 玉壺との戦いの中で消耗した分が、一気に全部吹き飛んだかの様だった。

「よし、じゃあ炭治郎たちの所に急ごう。
 ……あ、でも、鋼鐵塚さんたちの事はどうしようか……」

 早速皆を助けに行こう、と。そう意気込んだ瞬間、この近くに居る鋼鐵塚さんたちの事が脳裏を過る。
 此処に置いて行くと言うのも不味いだろう。
 里の方の避難がどれ程進んでいるのかはまだ分からないが、しかし里の中心からは大分離れたこの山の中まで手が回るとは思わない。
 出来るなら、里の方に降りて一緒に何処か安全な場所に避難して欲しいものなのだけれど。
 ただ、炭治郎の日輪刀を研磨する事に全身全霊で集中している最中の鋼鐵塚さんは恐らく梃子でも動かぬだろうとの事だ。
 最初に作業小屋が魚の化け物に襲われた時も、全く気付いていないかの様子で手を止める事無く粛々と研ぎを続けていたらしい。
 そしてそれは無一郎が自分の日輪刀を取りに行った時も変わらない様子で。
 無理に動かそうとしても、何なら誰かに運ばれながら研ぎを続けそうな勢いであると言うのだ。
 プロフェッショナル根性と言うのか、究極の職人気質と言うのか。本当に凄いし尊敬するのだけど、正直今は逃げて欲しいと言うのが本音である。

「置いて行く訳にはいかないしな……。
 どうにか鋼鐵塚さんを動かす事が出来れば良いのだけど……」

 もういっその事、大きめのペルソナを呼び出してその背中に載せるとか手に載せて移動するとか、そうでもしないと鋼鐵塚さんは動かせないんじゃないだろうか。
 しかし鋼鐵塚さんを強制的に移動させられる様な大きさのペルソナとなると、今呼び出せるものだと結構限られてしまう。
 その背丈は地上から天まで届くと記されているそれよりは流石に小さいがそれでも十分以上に巨人と呼べる大きさの『サンダルフォン』とか、流石にインド神話のスケールそのままでは呼び出せないが十分以上に大き過ぎる『ヴィシュヌ』とか、或いは巨大なドラゴンの姿をしている『セト』とか。まあそんな所になってしまうのだろうか。
 だが、こう……呼び出して良いのかをちょっと迷う面子である気がする。
 いや、戦闘中に必要なら勿論呼び出すのだが。しかし、いきなりそんな相手が出てきたら、集中し過ぎて周りが見えていない鋼鐵塚さんはともかく、鉄穴森さんや小鉄くんが仰天してしまいそうな気しかしない。
 出来るだけ早く炭治郎の所へと辿り着きたいし、しかし鋼鐵塚さんたちをどうしたものか、と。そう考えていると。


 ── ベンッ! ベベンッ!! 


 上空で琵琶の音が、二度鳴った。
 その途端に、本能的な部分がその危険を知らせる様にがなり立てる。
 想定していた中でも【最悪の事態】がまさか此処で起きるとは。
 そして、それに反応して構えようとした二人を押し倒す様にその場から飛び退く。そしてその直後に、その場には上から降って来た者《《たち》》が、土煙を巻き上げながら姿を現す。


「また……こうして相見えるとはな……。
 あの時の首の借りは……返させて貰おう……」

「お前が『化け物』とやらか。
 ……確かに、妙な男だ。闘気が練り上げられているという訳では無いが……異質な事は見るだけでも分かる。
 至高の領域からは遠い……だが、ある意味ではそこを越えてもいるのかもしれない。
 面白い。今まで長く研鑽を続けて来たが、お前の様な者を相手にするのは初めてだ!」


「思う存分に殺し合おう」と、そう嗤った上弦の参の鬼と。
 その異形の刀を抜き放ち構えた上弦の壱……かつては『継国縁壱』の兄であった「黒死牟」が。
 新たな敵として、立ち塞がっていた。






◆◆◆◆◆
18/28ページ
スキ